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江戸以前の画家一覧

【あ行】

相沢石湖(1806-1848)江戸後期の画家、名万、字文英、別号観画楼主人
藍沢南城(1792-1860)江戸後期の儒者、松下一斎の葛山塾に入り折衷学を修める
愛石(1764-不明)江戸後期の画僧、師野呂介石・先哲の画風研究
合葉文山(1797?-1857)師田能村竹田、蝶収集家
亜欧堂田善(1748-1822)江戸中期から後期の洋風画家・銅版画家、名永田善吉、月僊門
青木玄章(1781-1858)師円山派・武川維章
青木昆山(1805-1871 )江戸後期から明治期の画家、名正瑶、字美石、別号鴨洲・松坪・如雲
青木夙夜(不明-1802)江戸中期の画家、師池大雅、韓人姓餘氏、名俊明、号八岳山人
青木図南(1790-1859)四条派
青木石圃(1830?-1860)師浦上春琴
青木典則(1778-1840)画及び挿花をよくした
青木蒲堂(1810-1872)江戸後期の画家、師山本梅逸、通称知多屋庄次郎
青木木米(1767-1833)江戸中期から後期の文人画家・京焼の陶工
青山金貞(1783-1855)江戸後期の画家、通称忠七、号仙流
青山石泉(1770?-1819)師長町竹石
赤石蒲池(不明-1764)江戸中期から後期の画家・秋田藩士、本名行保、平元梅隣に学んだ
赤荻丹崖(1807-1848)江戸後期の画家、春木南湖・谷文晁に師事、名徹、字元徹、通称順平
赤木華石(不明-不明)柴田義董と同時代の画人
赤坂雪峰(不明-不明)江戸中期から後期の横手の画家
明石大助(1793-1865)佐伯藩の書物奉行、師鏑木雲丹・三浦黄鶴
県一雲(不明-不明)狩野派、師狩野昌運
赤田章斎(1784-1845)江戸後期の儒者、詩文、絵画にも優れた
赤松陶濱(1810-1868)師中川馬嶺
赤松藍州(1787-1858)師浦上春琴・養父赤松鳩峰・中井藍江
安芸雲峰(不明-不明)江戸後期の画家、師円山応挙
安芸猛斎(1794-1854)土佐派
秋田壤吉(不明-不明)狩野派
秋田節斎(不明-不明)木村玄量の養子、狩野派を学ぶ
秋山雲平(1820?-1864)森藩士、山水画をよくした
秋山窓蘭(1838-1861)戯作家秋山紫雲の子、画と篆刻に長じた
秋山胤彦(不明-不明)狩野永朝の弟、土佐画をよくした、浮世絵を冷泉為恭に学ぶ
秋山蘭谷(不明-不明)江戸中期から後期の画家、水戸藩士、渡辺崋山の門、通称熊之介
阿久根能賢(不明-不明)江戸初期に活躍した都城の絵師
揚分潮(1765?-1835)柴野栗山・皆川淇園らと交友
浅井星洲(1788-1862)師柴田義重、名正永、通称勘兵衛、猿を得意とした
浅井図南(1706-1782)江戸中期の画家・医者、名政直のち惟寅、通称頼母、別号幹亭・篤敬斎
朝岡興禎(1800-1856)江戸後期の画家・美術史家、初名は信義、通称は三之助・三次郎、伊川院栄信の二男
浅香旭元(不明-不明)幕末から明治期の画家、父は象洲、画と鉄筆を得意とした
浅倉旭斎(1791-1859)師西塔太原
朝倉震陵(1798-1871)徳山藩御用絵師、朝倉南陵の三男
朝倉等泉(1737-1767)江戸中期の画家
朝倉南陵(1757-1844)徳山藩御用絵師、師雲谷等徴・等竺・岩井江雲
浅野霞外(1801?-1865)師前田有竹・菅茶山
浅野重晟(1743-1813)浅野家第七代藩主
浅野西湖(不明-不明)江戸後期の画家谷文晁門、名晁敬、通称庄五郎、別号桂斎白毫
浅野綱長(1659-1706)狩野派、広島浅野藩主四代
朝日郷保(1705-1783)朝日家五代、松江藩家老、余技で画を描いた
朝日千助(1742-1815)松江藩家老、朝日家六代、書画、俳句をよくした
浅山蘆洲(不明-1818)浅山蘆渓の子
浅利牛蘭(1544-1613)戦国時代から江戸初期にかけての武将・鷹絵師
足利義持(1386-1428)室町幕府第四代将軍、師明兆
芦塚若鳳(1723-1780)師河村若元、山本若麟の弟
飛鳥部常則(不明-不明)平安中期の画家、村上朝に活躍した宮廷画家
東東寅(1793-1853)東東洋の長男
東東洋(1755-1839)仙台四大画家のひとり、号白鹿園、円山応挙らと交流した
東東莱(1808-1871)仙台藩画員、東東洋の二男
麻生春所(不明-1863)師小田海僊
足立雲山(1770-1851)鶴崎の狩野派の画家
安達伯義(不明-不明)寛政期の南画家、根本常南の仙台画塾「蠖斎社中」に参加
渥美節斎(1790-1850)江戸後期の画家、名正載、字大車、通称林五左衛門
渥美白濱(不明-不明)江戸後期の画家、師野呂介石
阿部永暉(1807-1869)師狩野隆則
阿部月哉(不明-不明)師斑目東雄
阿部棕軒(1775-1826)江戸後期の画家・備後福山藩藩主、名正精、号蕪軒
阿部椿堂(1794?-1855)国学にすぐれ詩書をよくした
安部掉月(1819-1851)師堀江友声
阿倍仲麻呂(0700-0770)奈良時代の遣唐留学生
阿部北涯(不明-不明)安政年間の画人、岡田竹涯・三木恒山らの師
阿部正精(1774-1826)福山藩阿部氏五代藩主
阿部正福(1700-1769)江戸中期の大名
天野芳湖(不明-不明)江戸後期の南画家、師福田半香
雨宮荊城(不明-不明)江戸後期の画家、立原杏所・松平雪山に学ぶ、名圭
雨宮瑞亭(1759-1832)江戸中期から後期の画家、名広安、通称又五郎
綾部錦江(1793-1821)杵築藩士
鮎川一雄(1813?-1869)江戸後期の画家、四条派
新井勝房(1793-1846)江戸後期の画家、新井勝重の父
新井寒雪典償(不明-不明)津軽藩御用絵師、師狩野栄川院典信
新井寒竹常償(不明-1731)津軽藩御用絵師、師狩野常信、常信門下の四天王、新井寒雪の父、別号樗翠斎
新井勝峰(1829-不明)津軽藩御用絵師、師狩野勝川院雅信
新井晴斎(不明-1846)津軽藩御用絵師・新井家
新井晴峰養償(不明-1838)津軽藩御用絵師、師狩野晴川院養信
新井朴也常寛(不明-1752)津軽藩御用絵師、師狩野常信
新井養雪惟償(1765-1810)津軽藩御用絵師、師狩野養川院惟信
新垣通事親雲上(不明-不明)八重山の絵師に絵を教えた記録がある
荒金呉石(1785-1869)醸造業、画をよくした
荒川洞月(不明-1808)仙台藩画員、荒川如慶の孫
荒川如慶(1707-1767)仙台藩画員
荒川養湖(不明-不明)仙台藩画員、荒川洞月の孫
荒木寛快(1785-1860)江戸後期の画家、荒木寛一・寛畝の養父、片桐桐隠門、名季舜、字挙公、通称弥次右衛門、別号達庵・蓬生
荒木君瞻(1781-1819)熊代熊斐の弟子・真村芦江の子
荒木元慶(不明-不明)江戸中期の画家、師渡辺秀朴
荒木元融(1728-1794)師石崎元徳、通称為之進、字士長、号円山
荒木香亭(不明-不明)荒木曲肱の養子
荒木如元(1765-1824)師荒木元融
荒木是水(1657-1713)江戸前期から後期の書家・画家、師佐々木志津麻、名維時、字蔵六、通称山三郎
有川梅隠(1771-1852)薩摩藩士、明の画法を学び墨梅図を得意とした
有田養圓(不明-不明)師狩野勝川院雅信
有地含章(1814-1871)師小田海僊


有馬織部(1781-1851)画は狩野風で、書は董其昌風に学んだ
有馬喜三太(不明-1769)師雲谷等達
有馬純明(不明-不明)草牟田に住んでいた
有馬頼徳(1797-1844)筑後久留米藩第9代藩主
粟田口桂羽(1779-1821)粟田口直隆の子
粟田口慶羽(1723-1791)江戸中期の画家、住吉広守門、名直芳、通称五郎兵衛
粟田口隆光(不明-不明)室町前期のやまと絵粟田口派の代表的絵師
粟田口直隆(1753-1807)粟田口慶羽直芳の子
安藤遠佐(1701-1763)師加藤遠澤
安藤五琴(1806-1871)師幸田皆春
安東実季(1576-1660)安土桃山から江戸前期の大名、愛季の子、秋田氏を名のる
安藤止堂(不明-不明)師柴田義董・岡本豊彦・浜口南涯、四条派
安東愛季(1539-1587)戦国時代から安土桃山時代の戦国大名
安藤梅峯(1777-1825)日出藩絵師、狩野派
伊孚九(1698-1747?)中国清代の画家・貿易商、来舶四大家のひとり、名伊海
居相平潤(不明-不明)師小橋平咸
飯島雲岳(不明-不明)松江藩御用絵師、師狩野伊川院栄信
飯島華岳(不明-不明)飯島雲岳の子
飯島珈涼(1696-1771)歌人画家・女流俳人、飯島五々の妻、号艸婦人
飯島鐸斎(不明-1868?)江戸後期から明治期の画家、松平雪山の門人、名金平、別号竹外堂
飯塚竹斎(1796-1861)師広瀬臺山・谷文晁
飯塚桃枝(不明-不明)飯塚桃葉の子
飯塚桃秀(不明-1820)飯塚桃枝の養子
飯沼慾斎(1783-1865)本草学者、日本で最初の体系的植物図鑑『草木図説』を著し、印刷用の下絵づくりにも参加した
五十嵐雲嶺(不明-不明)師春国(仙台絵師)
五十嵐元誠(1746-1784)江戸中期の画家、父呉俊明に学ぶ
五十嵐浚明(1700-1781)江戸中期の画家、狩野良信・竹内式部に師事、法眼、山水人物、別号孤峯・穆翁
五十嵐俊明(1700-1781)師山崎闇斎
五十嵐竹沙(1774-1844)江戸後期の画家、名主膳、呉俊明の孫
五十嵐蠧仙(1793-1865)江戸後期の武者絵師
五十嵐蘭児(不明-1814)江戸中期から後期の画家、本名栄助もしくは善助、別号如泉斎・周皐
井川鳴門(1751-1805)江戸中期から後期の画家・書家、名貢、字君錫、通称源兵衛、別号雪下園・淑慎斎
生島三郎左(不明-不明)日本初期の洋画家、南蛮人から洋画を伝授されたと伝わっている
生島三郎左衛門(不明-不明)南蛮人に西洋画法を学んだとされる
池玉瀾(1727-1784)江戸中期の画家、池大雅の妻、名町、号松風、葛蕈居、祇園三女
池大雅(1723-1776)江戸中期の画家・書家、別号霞樵・九霞、師南海・淇園
維馨周徳(不明-不明)室町後期の画像、師雪舟、惟馨とも号す
池添氏助(不明-不明)師父池添美光、狩野派
池添儀七(不明-不明)鋳掛け師、池添美光の兄
池添洞斎(不明-不明)師狩野洞白、狩野派
池添美光(1755-1822)師狩野洞春美信、狩野派
池添楊斎(1791-1841)師父池添美光、狩野派
池田孤邨(1801-1866)江戸後期の絵師、酒井抱一に学ぶ、琳派継承者として光琳作品の縮図集出版、別号孤村
池田知足(不明-不明)江戸後期の画家、水戸藩の御用絵師
池田継政(1702-1776)岡山藩三代藩主、池田家宗家五代、狩野派に学ぶ、号は空山
池田綱政(1638-1714)岡山藩二代藩主、池田家宗家四代
池田文真(1830-不明)師松原文忠
池田凉岷(養信)(1751-1813)師狩野玉永
池西言水(1650-1722)江戸前期から中期の俳人、号紫藤軒、風下堂
生駒月處(不明-1868?)江戸後期から明治期の画家、松平雪山の門人、幼名吉五郎、生駒貞応の養子となる
生駒等寿(1626-1702)江戸前期の画家、名勝政、別号眠翁
砂金文洲(1818-1871)砂金嘉門次郎の子、東東洋・東莱らに学んだとされる、別号九仙人
伊沢梅塢(不明-不明)詩人・画家
石南園(不明-不明)師石南岳、四条派
石井収(1649-1724)江戸前期から中期の画家・水戸藩の儒者、彰考館員
石井鶴山(1744-1790)藩校弘道館の設立に参画
石井三峰(不明-不明)師大西雪溪
石井子龍(1778-1842)庄内藩弓術家・画家、師氏家龍渓
石井石欄(不明-不明)江戸後期から明治期の画家、名良知、東京で四条派を研究
石井東周(不明-不明)石井東江の子、父から絵を学ぶ
石垣抱真(1790-1856)師酒井抱一
石川侃斎(1764-1840)江戸後期の画家
石川☆谷(不明-不明)江戸後期の画家、☆は「たけかんむり」に「均」
石川瓊洲(1810-1858)江戸後期の画家、師林百非・田能村竹田、名復、字子礼、通称は復蔵
石川晃山(1821-1869)幕末から明治期の画家、師文晁、名晃、字士晃
石川大浪(1765-1818)江戸中期から後期の洋風画家、名乗加、別号董松軒・董窓軒
石川達堂(1780-1859)師岸駒、名平直、別号貫河堂
石川総陽(1693-1744)江戸中期の画家、姓は源、石川総茂の養嗣となる
石川孟高(不明-不明)大和文華館
石川林泉主幸(1718-1808)盛岡藩の国元狩野派絵師
石川林泉(初代)(1718-1808)盛岡藩の国元狩野派絵師・石川家二代
石川林流(1768-1834)盛岡藩の国元狩野派絵師・石川家三代
石川林流主景(1768-1834)盛岡藩の国元狩野派絵師、師湯川玉流
石崎影雲(1811-不明)師木村竹渓
石崎元章(1731-1778)師石崎元徳
石崎元徳(1693-1770)唐絵目利石崎家初代、師小原慶山
石崎元甫(1768-不明)石崎元章の子
石崎融思(1768-1846)師荒木元融、名慶太郎、号鳳嶺
石崎融済(1810-1862)江戸後期の洋風画家、字世美、号玉浦・手峯
石里洞秀(不明-1827)福岡藩絵師、駿河台狩野家・狩野元仙に師事
石沢遊鶴(1747?-1814)南部藩お抱えの表具師、松雲斎と号した
石田玉山(不明-1811)江戸中期から後期の挿絵画家、岡田玉山の門人
石田悠汀(1798-1859)江戸後期の画家、石田友汀の二男、名信明、字叔英、通称半兵衛、別号如雲
石田友汀(1756-1815)江戸中期から後期の画家、石田幽汀の子
石田幽汀(1721-1786)江戸中期の画家、名守直、応挙の師、狩野派
石田友徳(不明-1835)石田友汀の子
石田友篤(1813-1871)石田悠汀の子
石田藍山(不明-不明)明治期の画家、南宗画をよくした
石坪独歩(不明-不明)曹洞宗の僧侶
石原准南(1758-1814)師皆川淇園
伊島牧斎 (不明-不明)師狩野安信、鷹および鳥類を得意とした
伊島牧斎(不明-不明)師狩野安信、別号卜斎・朴斎
石丸春牛(1793-1860)師浦上春琴
石嶺伝憲(1714-1771)石嶺伝福の四男
石嶺伝俶(1709-1778)石嶺伝福の長男
石嶺伝莫(1658-1703)琉球の絵師、唐名は琥自謙
石嶺伝房(1737-1802)石嶺伝俶の長男
石村東秀(1828-1872)師陶山勝寂
伊舎堂盛方(1800-1837)琉球の絵師、唐名:翁成藩
石山月澗(不明-不明)津軽の初期南画家、歌人としても知られる
伊豆原麻谷(1778-1860)江戸後期の画家、名迂、字大迂、通称橘蔵、旧号松谷
泉守一(不明-1814 )江戸中期から後期の画家、雪舟末流雲谷派等琳門、号春香斎
泉川寛英(1767-1844)琉球の絵師、唐名は慎思九
泉川寛道(1800?-不明)琉球の絵師、唐名は慎克熙、泉川寛英の三男
泉川寛郁(1791-1821)琉球の絵師、唐名は慎克明、泉川寛英の長男
泉沢修斎(1863-1870)師田鎖蘭室
伊是名広管(1773-1818)八重山の絵師
伊是名広品(1790-1855)八重山の絵師
磯野文斎(不明-不明)江戸後期の浮世絵師、渓斎英泉の門人
板垣東流(不明-不明)師斑目東雄
板倉呂仙(1800-1858)江戸後期の画家、通称市兵衛
板谷慶舟(1729-1797)江戸中期から後期の画家、初名広当、住吉広守門、幕府絵師
板谷桂舟(初代)(1729-1797)江戸中期から後期の画家、名広当、旧号慶舟
板谷廣隆(1786-1831)江戸後期の画家、廣長の長男、西丸御用を仰せつかる、号桂舟
板谷廣長(1760-1814)江戸中期から後期の画家、廣當の子、奥御用を仰せつかり神田鎌倉横町に町屋敷を拝領、号桂意
板谷廣當(1729-1797)江戸中期から後期の画家、住吉廣守門人で奥絵師板谷言の祖、号慶舟・桂舟
市岡猛彦(1781-1827)江戸後期の国学者・尾張藩士、号槲園・椎垣内
市川其融(不明-不明)江戸後期の画家、鈴木其一に学ぶ、名泰度、字子高、通称其二
市川君圭(1736-1803)江戸中期から後期の画家、号眠竜、元明の古法研究
市川春仙(不明-不明)江戸後期、市川米庵の娘


市川東谿(1765-1838)江戸中期の画家、名元宣、字子和、通称井桁屋茂兵衛、別号青生・芸亭
伊地知呉東(不明-不明)師小田海僊
市成弥平太(不明-不明)師木村探元
市原陶々(1798?-1840)師春木南湖
市村鳳頂(1781-1822)師河村文鳳
佚山(1702-1778)江戸中期の画家
一山一寧(1247-1317)鎌倉末期に日本に来た元の僧
一之(不明-1394)南北朝から室町前期の画僧、師明兆
一絲文守(1608-1646)江戸前期の臨済宗の画僧、達磨、祖師画
一色直朝(不明-不明)安土桃山時代の画家
逸然性融(1601-1668)江戸前期・中国明末に日本に渡来した僧、長崎漢画の祖とされる
井手定賢(1789-1799)師石崎元徳
伊藤越川(不明-1836)師狩野洞春・前野河洲、狩野派
伊藤煙☆(1784-1857)江戸後期の画家、☆は「炯」の「火」を「土」に
伊藤鶴嶺(不明-不明)江戸後期の画家、通称仁兵衛・儀兵衛・儀平、阿部鶴峰師事、家相学もした
伊藤若冲(1716-1800)江戸中期から後期の画家、号斗米庵
伊藤如竜(不明-不明)明治期の画家
伊東深江(1835-不明)師三浦梧門、長崎後の三筆
伊藤東駿(不明-1839)師東東洋
伊藤南華(1797-1847)師小田海僊
伊東梅月(1814-1846)師氏家龍渓・谷文晁
伊東養定(1780-1860)薩摩の狩野派の絵師と思われる
伊東蘆水(不明-不明)江戸後期の画家、通称茂兵衛、初号偽峯、別号光山・弧月窓
稲田敬反(不明-不明)師谷文晁
稲葉弘通(1751?-1818)臼杵藩第十一代藩主
犬伏梅渓(1781-1862)本名武左衛門
犬山呉濤(不明-不明)犬山凌濤の父と思われる
井上士朗(1742-1812)江戸後期の俳人・産科医
井上親明(不明-不明)師佐々木縮往
井上東離(不明-不明)江戸中期の画家、名は邦高、通称は嘉兵衛
井上楠堂(1799?-1856)師白神こう々・大原呑舟
井上端木(1768?-1840)師岸駒
井上浮山(1794-1842)晩年絵画を以て法橋に叙された
今井玉慶(1770-1834)師今村惟慶養淳、鷹の絵を得意とした
今大路悠山(1790-1849)江戸後期の画家、師中林竹洞、名源秀、叙法眼
今川了所(不明-不明)南画
今城敬慶(1747-1807)狩野派
今村栄里典慶(不明-1783)弘前藩お抱え絵師、師狩野栄川院典信
今村溪寿栄慶(不明-1863)弘前藩お抱え絵師、師狩野晴川院養信
今村勝渓(不明-不明)尾張藩御用絵師、今村真静と同一人物とも考えられる
今村正元古慶(不明-1777)弘前藩お抱え絵師、狩野受川玄信に学んだと思われる
今村真静(不明-不明)今村晴雲の長男
今村随学(不明-1792)尾張藩御用絵師、浜町狩野三代常川の門人
今村晴雲(不明-1826)尾張藩御用絵師、木挽町狩野九代晴川院養信の門人
今村惟完(不明-不明)今村養寿の子
今村楮堂(1798-1868)師楠瀬大枝・古屋竹原
今村朴元常慶(不明-1729)弘前藩お抱え絵師、師狩野常信
今村道之進(1761-1830)師狩野探索、村狩野
今村養寿(不明-1808)尾張藩御用絵師、木挽町狩野七代養川院惟信の門人
今村養淳惟慶(不明-不明)弘前藩お抱え絵師、師狩野養川院惟信
今村義比(1714-1786)師鶴沢探鯨、今村義広の孫
今村義衡(1691-1738)師鶴沢探山、今村道之進の祖父、今村義広の四男、号幽山斎守義
今村義広(1653-1726)今村道之進の曽祖父、号松嶺斎
維名(1731-1808)師伊藤若冲、京都相国寺中光源院の僧
伊良皆盛昆(1777-1848)琉球の絵師、唐名:翁公煕
色川三中(1802-1855)江戸後期の画家、本名色川英明、通称弥三郎、別号三郎兵衛・東海・瑞霜園
岩井正斎(不明-1801)松平鳳山家御用絵師、江戸狩野養川院惟信の門人、別号養月
岩井泉流(1714-1772)紀伊藩御用絵師、狩野派
岩井宗雪(不明-不明)岩井宗泉の後継者とみられる
岩井宗泉(不明-不明)岩井泉流の後に狩野派を継ぐ
岩井養月(不明-不明)岩井泉流の一派
岩川西臺(不明-1795)師中山高陽
岩佐勝以(1578-1650)安土桃山期から江戸前期の南画家、同一岩佐又兵衛
岩佐半山(1787-1814)津軽の初期南画家、師松宮岱陽・岸駒
岩崎古雲(不明-不明)狩野派、師狩野昌運
岩崎蕉陰(不明-1872)南画、師石丸春牛
岩瀬蟾州(1818-1861)幕末の画家・政治家、名忠震
岩田健文(1762-1814)江戸中期から後期の画家、字仲明、号咸章堂、水戸藩における拓本文化の鼻祖として知られる
岩田單水(不明-不明)南画家
岩淵元方(1724-1808)東東洋の実父
岩淵道元(不明-不明)寛政期の南画家、根本常南の仙台画塾「蠖斎社中」に参加
岩間治信(不明-不明)師清野養山、通称吉右衛門
岩間北溟(1778?-1837)富裕の家に育ち書画、詩、俳諧をよくした
岩本一信(1680-1756)狩野昌運の子
岩本直益(不明-不明)狩野派、師狩野安信、狩野昌運の子
岩谷観瀾(不明-不明)江戸後期の画家、諱宗恕、通称新一郎、字一貫、別号幽斎
隠元隆琦(1592-1673)中国明末の僧、日本黄檗宗の開祖
因斯羅我(不明-不明)日本書紀にある渡来人
因陀羅(不明-不明)中国元代末の画家
宇江城智久(不明-不明)久米島士族
上杉桂翁(不明-1724)師渡辺秀石
上杉墨水(不明-不明)南画家
上田永朴(1656-不明)師狩野常信・狩野昌運
上田琴風(1788-1843)名菊子、字瓊芝
上田公長(1788-1850)江戸後期の画家、通称順蔵、号雍洲・水雲閑人
上田桃逸(不明-1869)江戸後期の画家、師山本梅逸、名為民、別号常春軒
植田鳳沖(不明-不明)師岡本豊彦
上田主治(不明-不明)福岡藩御用絵師上田家の一族と思われる
上西山徳(1619-1697)師狩野山楽、藤堂家に仕える
上野江陵(不明-1782)師中山高陽
上野若元(1668-1744)師河村若芝、河村若元とも称した
上野若瑞(1758-1827)山本若麟の二男
上野若龍(1790-1851)上野若瑞の子
上原真知(1666-1702)琉球の絵師、唐名は査秉信
植松文昌(不明-1868)香西植松家の一族
上村尚庵(不明-不明)頼山陽と親交があった
鵜川常雲(1620-1703)弘前藩お抱え絵師、津軽に狩野派の画風を初めてもたらした
浮田一蕙(1795-1859)江戸後期の大和絵の絵師、田中訥言門、名公信、宇喜多一蕙と同一
宇喜多一蕙(1795-1859)江戸後期の大和絵の絵師、田中訥言門、名公信、浮田一蕙と同一
宇喜多秀家(1572-1655)江戸前期の武将、秀吉から五大老に列せられた、慶長の役では朝鮮に渡った
浮村定直(不明-不明)塑像
宇佐美奇玉(1843-1868)江戸後期の画家、名喜美、宇佐美太奇の子
宇佐美太奇(1794-1872)江戸後期から明治期の画家、北宗画や四条派など各派を学び一派をなす、名弘毅
氏家龍渓(1775-1834)江戸後期の南画家
牛島若融(1754-1817)山本若麟の子
牛島藍皐(不明-不明)儒者の古賀朝陽、古賀穀堂らと交わり画をよくした
臼井酔石(不明-不明)秋月藩士、画をよくした
内尾栄一(不明-不明)江戸後期の画家
内田雨香(不明-1849)師貫名海屋・篠崎小竹
内田九山(不明-不明)江戸後期の画家、師野呂介石
内田浯溪(不明-1852)師斎藤李節
内田梅溪(不明-1868?)江戸後期から明治期の画家、水戸藩士、松平雪山の門人
内林雪溪(不明-不明)田辺文琦の実弟、兄に画を学んだ
内山真龍(1740-1821)江戸中期から後期の画家
宇都宮康甫(不明-不明)江戸後期の画家、秋田藩の重臣で絵もよく描いた、通称敬吉
宇野適斎(不明-1842)師田中大秀・赤田章斎
宇野蘭溪(不明-1822)四條派の画人
海野溪雲(不明-不明)師大西雪溪
梅川夏北(1799-1847)明治版画
梅沢晴峩(不明-1854)師狩野晴川院
梅津黄州(1794-1856)師藤桃斎、狩野派、若林虎吾の祖父
梅津月橋(1777-1858)師荒川洞月
梅津克所(1789-1840)師蒔田必器・王僊


浦上玉堂(1745-1820)江戸中期から後期の南画家、名孝弼、別号穆斎
浦上秋琴(1785-1871)師浦上玉堂、玉堂の二男
浦上春琴(1779-1846)浦上玉堂の子、号睡菴、各地を遊歴したのち京都に居住し頼山陽ら多くの文人と交流した
浦上春圃(1820?-1849)浦上春琴の養子
浦田半山(不明-不明)岡山藩士、画をよくした
漆原漆園(1771?-1824)師長町竹石
上部茁斎(1781-1862)江戸後期の画家、上部光映の養子、伊勢神宮外宮権禰宜、師岡村鳳水、本姓橋村、名光済、字子海、通称雅楽之
雲☆(1819-1862)江戸後期の画家、☆は「穴」の下に「果」
雲居(不明-1867)恩敬寺七世の住職
雲華(1773-1850)江戸後期の真宗の僧
雲谷等意(1721-1753)雲谷等珠の長男
雲谷等益(1591-1644)江戸前期の画家、等顔の二男、名元直、叙法橋
雲谷等鴎(1786-1819)雲谷等愷の嫡子
雲谷等屋(1582-1615)江戸前期の画家、雲谷派等顔の子
雲谷等愷(1743-1805)長富等海の養子
雲谷等鶴(1674-不明)雲谷等はんの長男
雲谷等活(1708-1741)雲谷等鶴より雲谷家を譲られた
雲谷等顔(1547-1618)安土桃山期から江戸前期の絵師、名原直治、雲谷派の祖、叙法橋
雲谷等起(1836-不明)雲谷等範の平士により家督を相続
雲谷等儀(1727-1771)雲谷等琳の実子
雲谷等球(1810-1847)雲谷等隆の長男
雲谷等玉(1812-1867)雲谷等郁の嫡子
雲谷等呉(1787-1846)原東吉の家督を相続
雲谷等效(不明-不明)雲谷等周の嫡子
雲谷等策(1846-不明)雲谷等守の嫡子
雲谷等祚(1652-1699)雲谷等的の三男
雲谷等作(1615-1671)雲谷等屋の三男
雲谷等爾(1615-1671)雲谷等益の二男
雲谷等竺(1741-1803)雲谷等徴の養子
雲谷等守(1811-1858)雲谷等鴎の嫡子
雲谷等壽(1808-不明)雲谷等呉の嫡子
雲谷等珠(1693-1753)雲谷等甫の養子
雲谷等周(1758-1822)雲谷等叔の嫡子
雲谷等宿(不明-不明)雲谷等爾の子
雲谷等術(1749-不明)雲谷等無の養子
雲谷等潤(1745-1812)雲谷等琳の嫡子
雲谷等叔(1722-1779)雲谷等徴の養子
雲谷等恕(1639-1722)雲谷等的の長男
雲谷等節(不明-1746)雲谷等達の長男
雲谷等全(1662-1731)雲谷等恕の長男
雲谷等村(1759-1810)原熊八の家督を相続
雲谷等宅(不明-1683)雲谷等屋の二男
雲谷等達(1667-1725)雲谷等爾の二男
雲谷等智(1730-1770)雲谷等徴の長男
雲谷等仲(1720-1781)雲谷等達の三男
雲谷等徴(1700-1776)雲谷等全の養子
雲谷等直(1684-1762)雲谷等宥の長男
雲谷等陳(1730-1762)雲谷等活の養子
雲谷等的(1606-1664)江戸前期の画家、雲谷等屋の長男、名元明
雲谷等哲(1631-1683)雲谷等益の三男
雲谷等玻(1737-1793)雲谷等珠の二男
雲谷等珀(1713-不明)雲谷等列の養子
雲谷等☆02(1635-1724)国谷等益の四男、☆は「王」+「番]
雲谷等徽(1767-1851)雲谷等竺の養子
雲谷等甫(不明-1730)雲谷等陸の養子、等宅の三男
雲谷等珉(不明-1680)雲谷等宅の二男
雲谷等無(1729-1760)雲谷等仲の養子
雲谷等陸(不明-1705)雲谷等陸の長男
雲谷等郁(1781-1838)雲谷等潤の嫡子
雲谷等宥(1660-1716)雲谷等爾の長男
雲谷等与(1612-1668)雲谷等益の長男
雲谷等☆01(不明-1707)雲谷等作の長男、☆は「王」+「楽」
雲谷等隆(1787-1828)雲谷等徽の長男
雲谷等琳(1702-1774)雲谷等直の家督を相続
雲谷等列(1693-1741)雲谷等らくの養子
雲室(1753-1827)江戸中期から後期の儒者・画僧、名子軌、字公範、文晁門
雲室上人(1753-1827)師清水諸葛監
雲岫(不明-不明)豊後日田の僧
海野蠖斎(1748-1833)江戸中期から後期の画家・武士
海野柯亭(不明-不明)海野蠖斎の子
雲峰等悦(不明-不明)室町時代の画僧、雪舟直系
雲友(1764-1774)江戸中期から後期の画家、鼠除猫の絵を得意とした
雲嶺(不明-1839)江戸後期の画家、師野呂介石
栄西(1141-1215)鎌倉前期の僧侶、臨済宗の開祖、明菴栄西とも呼ばれる
永春(1369-1418)南北朝時代の画家
暎雪(不明-不明)光明寺の住職
江川龍門(不明-1867)動物画をよくした
江口栄春(不明-不明)師御厨夏園
江崎寛斎(1743?-1811)円山派
柳後亭其雪(1788-1842)俳人、画もよくした
恵鶴椿南(1796-1870)江戸後期から明治期の画家、椿椿山の門人、名寿、字芥舟
衛藤勝夷(1790-1831)矢野派、師義父衛藤良行・矢野良勝
衛藤良行(1761-1823)矢野派、師矢野雪叟
恵日房成忍(不明-不明)鎌倉時代の画僧、詫磨派
榎倉杉斎(1798-1867)師岡本鳳水
江馬細香(1787-1861)江馬蘭斎の娘、師頼山陽、号湘夢
会理(0852-0936)平安中期の真言宗の僧、東寺宗叡禅師
円伊(不明-不明)鎌倉後期の画家、「一遍上人絵伝」等
延円(不明-1040)平安中期の絵仏師、藤原義懐の子
延源(不明-1096)平安後期の絵仏師
円心(不明-不明)平安後期の画僧
遠藤曰人(1758-1836)仙台藩士で俳人、「ぼんぼこ祭図」を描いた
遠藤玉瑩(1807-不明)江戸後期の画家、江戸後期から明治期の画家、名正以、通称金次郎、「横手鷹」の一人
遠藤香村(1787-1864)会津に初めて西洋画法を伝えた
遠藤萃雅(1789-1821)師鈴木芙蓉・谷文晁
遠藤貫周(1829-不明)江戸後期の画家、師住吉弘貫、遠藤広実の二男、住吉家八代住吉廣賢の兄
遠藤田一(1765-1834)江戸中期から後期の洋風画家、師亜欧堂田善・谷文晁
遠藤白近(1772-1850)囲碁を好み詩書画もした
遠藤広実(1784-1862)江戸後期の画家、遠藤広古の子、住吉派五代広行に師事
遠藤広古(1748-1824)江戸中期の画家、号蝸盧、住吉派四代広守に師事
遠藤広宗(1824-不明)江戸後期の画家、師住吉弘貫、遠藤広実の長男
及川濯二(不明-不明)寛政期の南画家、根本常南の仙台画塾「蠖斎社中」に参加
尾池忍斎(1814-1855)師池添楊斎、狩野派
王瑾(1718-1810)江戸中期から後期の画家、天龍道人と同一
王克三(不明-不明)中国清代の画家
応源(不明-不明)平安後期の絵仏師
王調鼎(不明-不明)福建画壇の画家
応眠(不明-1868)師西脇蘭渓
大石古閑(不明-不明)師狩野常信、常信門下の四天王
大石真虎(1792-1833)江戸後期の画家、葛飾北斎・沼田月斎・張月樵の門人、通称衛門七・小門太、別号樵谷
大内蘚圃(1764-1842)師森狙仙、宇和島藩士、猿の絵を得意とした
大江霞岳(不明-1850)南画、師海僊
大岡雲峰(1765-1848)南画、名寛正、字公栗、文晁系
大岡春川(1719-1773 )江戸中期の画家、大岡春卜に学び養子となる、本姓有元、名甫政、通称丹次
大岡春卜(1680-1763)江戸中期の画家、狩野派及漢画を研究
大河原五郎右衛門(不明-不明)雲藩御用絵師
大河原同風(不明-不明)松江藩御用絵師
大木英鉄(1638-1668)肥前の絵師
大城石農(不明-不明)江戸時代の画家


大岸探海(1819-1868)鳥取藩御用絵師
大国士豊(1779-1844)師円山応挙
大久保一丘(不明-1859)江戸後期の画家、諱好古・好徳、字敏夫、通称惣次郎、別号伯隣・王江蘋
大久保江山(不明-不明)師松平雪山
大窪詩佛(1767-1837)江戸中期から後期の詩人、江戸の三大詩人といわれた、画もよくした、別号詩聖堂・江山など
大久保桃園(不明-不明)益田の画家
大倉嘉十郎(1783-1863)秋月藩士
大倉笠山(1785-1850)江戸後期の画家、師中林竹洞、名毅、号義邦
大越靖国(不明-不明)江戸中期から後期の画家、別号秀岳、狩野秀水に師事
大越雪香(不明-不明)江戸後期から明治期の画家、松平雪山の門人、名資好
大重伯親(不明-不明)師坂本養伯
大島松溪(1758-1846)師鏑木梅溪
大島来禽(不明-不明)高芙蓉の妻、本姓奥田氏、名蘿井、字檎々
大須賀鬼卵(1744-1823)江戸中期から後期の戯作者、別号陶山・知白・栗杖亭
大園明政(不明-1657)狩野友巴の門人
太田錦城(1765-1825)江戸中期から後期の儒者・漢学者、名天貞、字公幹、折衷学派
太田鯨呑(1807-1870)師河田小龍・画塾
太田山陰(1727-1792)江戸中期から後期の画家、名太田新右衛門、諱皓、字白駒、別号大夢堂・宮道山樵
太田昌雲(不明-不明)師狩野安信、狩野派
太田洞玉(不明-不明)江戸後期の洋風画家、久留米藩の家士
大田守章(不明-不明)福岡藩絵師、師狩野友元
大田弥兵衛(不明-1659)狩野永雲の父
大田龍(不明-不明)幼少時の森寛斎に画を教えた
大高岑峯(不明-不明)師萩谷セン喬
大高坂南海(1766-1838)師吉田蔵澤
大谷蘭室(1789-1828)江戸後期の画家、師月僊
大塚荷渓(1778-1844)江戸後期の画家・商人、名正弘、字風暁、通称甚左衛門
大塚南窓(不明-不明)江戸後期の画家、美濃国に客居して門人が多い
大寺雪江(1798-1854)醸造業、俳諧・詩・画に長じた
大寺雪節(1810-1840)詩・書画をよくした
大友雲泉(1777-1840)元府内光西寺第十五世寺主
大友月湖(不明-不明)江戸中期から後期の画家
大友梅舘(1814-不明)師菅井梅関
大西圭斎(1773-1829)師田能村竹田・谷文晁・宋紫石
大西酔月(不明-不明)江戸中期の画家、望月玉蟾に学ぶ
大西仙洲(不明-不明)大西圭斎の子
大西椿年(1792-1851)江戸後期の南画家、字大寿、号楚南、南岳門
大野雲庵(不明-不明)師撫玉・友聲
大野葭洲(不明-1872)師菅江嶺・小田海僊
巨野泉祐(1774-1837)白河藩御用絵師、師谷文晁、別名は大野文泉
大野文泉(1774-1837)江戸後期の画家
大場雄淵(1758-1829)仙台大崎八幡神社の神官、「奥州名所図絵」を描いたことで知られる
大庭月湖(不明-不明)江戸後期の画家、大庭松風の同族、村松以弘に学んだ
大庭春龍(不明-不明)師吉原真龍
大庭松風(1767-1846)江戸後期の画家、村松以弘に学ぶ、名廷香、字国馥、幼名豊蔵、通称代助、別号松風亭など
大橋(不明-不明)歌人画家、号喬木尼、慧林、通称遊女大橋
大橋享斎(不明-不明)江戸後期の画家、谷文晁の門人、名喜久、通称紋太郎
大橋訥庵(1815-1862)江戸後期の朱子学者・攘夷思想家
大橋文養斎(不明-1870)師若宮養徳
大浜善功(1768-1835)八重山の絵師
大浜善繁(1761-1814)八重山島士族
大原重成(1783-1838)江戸後期の画家
大原左金吾(1761-1810)江戸中期から後期の画家・経世家、名翼、字雲卿、通称観次・貫治・寛治のち左金吾、号呑響・墨斎
大原東野(1771-1840)人物画を得意とし多くの門人がいた
大原呑響(1762-1810)江戸後期の画家・儒者、名翼、別号墨斎
大原呑舟(1792-1857)江戸後期の南画家、呑響の子、師柴田義董、名鯤、号崑崔
大平亀陰(1802-1864)江戸後期の画家
大宮荷江(1833-1871)師荒木千洲
大森黄谷(1786-1852)江戸後期の画家・書家、師浦上春琴、通称蘆之助・武右衛門・蔭次郎、別号岱斐
大森捜雲(不明-不明)師鶴沢探山
大森捜月(1749-1786)師大森捜雲
大矢玉秀(不明-1837)師松村景文
大山探賢(不明-1867)師狩野探淵守真・馬場伊歳
大山等雪(不明-1849)師狩野探信守道
大山二楽斎(1712-1792)江戸中期の画家、本名惟清、通称久蔵・与右衛門、別号喜楽翁・善喜翁・不尤
岡延年(1740-1811)師大西酔月、岡鶴汀の弟
岡鶴汀(1736-1811)漢詩人、大西酔月に学ぶ
岡邨需(不明-不明)寛政期の南画家、根本常南の仙台画塾「蠖斎社中」に参加
岡貞徳01(不明-不明)寛政期の南画家、根本常南の仙台画塾「蠖斎社中」に参加
岡岷山(1734-1806)師宋紫石・勝田友溪、広島藩士
岡熊嶽(1762-1834)江戸中期から後期の画家、名文暉、字世昌、福原五岳門
岡崎喜斎(1562-1636)仙台藩画員・菊田家の祖とされる
岡田一得(不明-1870)狩野派
岡田閑林(1775-1849)江戸後期の画家、文晁門とされるが南蘋風の写実画法に興味をもちやや堅い南蘋風を特色とした
岡田玉山(初代)(1737-1812)江戸中期から後期の画家、名尚友、字子徳、師雪鼎、叙法橋
岡田玉春(不明-不明)師玉置荊窓、岡田元善の妻
尾形乾山(1663-1743)江戸前期から中期の陶工・絵師、号尚古
尾形光琳(1658-1716)江戸中期の画家、名方祝、琳派の祖
岡田糸桐(不明-不明)岡田半江の妻
岡田春燈斎(不明-不明)幕末から明治期の銅版画家
尾形宗謙(1621-1687)江戸前期の書画家・商人、光琳・乾山の父、名宗甫、字子拍、号洗斉
岡田為恭(1823-1864)幕末の画家、冷泉為恭と同一
尾形探香(1812-1868)福岡藩絵師尾形家八代
小方(尾形)仲由(不明-1669)福岡藩絵師尾形家初代、師狩野探幽
尾形洞谷(1753-1817)福岡藩絵師尾形家六代
尾形洞霄(1791-1863)福岡藩絵師尾形家七代、狩野洞益の門人
尾形洞水(不明-1807)尾形洞谷の子
岡田半江(1782-1846)江戸後期の画家、岡田米山人の子、字子羽、大阪文人画壇
岡田文鴻(不明-不明)師加藤文麗、『文麗画選』を著した
岡田米山人(1744-1820)江戸後期の画家、明清の画法を極める
岡田墨樵(1742-1810)師片山北海
小方(尾形)守厚(1721-1781)福岡藩絵師尾形家五代
尾形守俊(不明-不明)尾形家三代市佐衛門友元の長男
小方(尾形)守等(1695-1772)福岡藩絵師尾形家四代
小方(尾形)守房(不明-1732)福岡藩絵師尾形家三代、狩野友元を名乗った
小方(尾形)守義(1643-1682)福岡藩絵師尾形家二代、師狩野探幽、探幽門下四天王のひとりとされた
岡野石圃(不明-不明)江戸後期の画家、名享、字元震、別号雲津・大和主人
岡野洞淵(不明-1759)津和野藩御用絵師、師狩野洞雲益信
岡野洞桂(1725?-1747)津和野・岡野初代益清の子
岡野洞岡(不明-不明)津和野藩御用絵師、岡野洞石の子
岡野洞山美高(1770-1856)津和野藩御用絵師、師狩野洞春美信
岡野洞山陳盖(不明-1860)津和野藩御用絵師、師狩野洞白
岡野洞石(不明-1867)津和野藩御用絵師
岡野洞林(不明-1854)岡野洞山陳盖の子
岡野梅老(1804-1872)江戸後期から明治期の画家、古河藩士、名為治
岡野逢原(1775-1820)江戸後期の画家、立原翠軒の門人、名行從、字子言、号逢原堂
岡野蓬原(1775-1820)師立原翠軒・松平雪山・立原杏所
岡部洞水(不明-1868?)江戸後期から明治期の土浦藩の御用絵師、名敬之
岡村東皐(1860-不明)本名元良、字子慎
岡村鳳水(1770-1845)江戸後期の画家、師円山応挙、名徽芳(房)、通称左膳(全)、別号粛叟
岡本玉梅(不明-不明)渡辺玄対に学んだと思われる
岡本茂彦(1807-1844)師岡本豊彦
岡本秋暉(1807-1862)小田原藩士、彫金家石黒政美の二男、師大西圭斎、渡辺崋山・椿椿山と交流した
岡本清暉(不明-不明)四条派の画家
岡本池陽(不明-不明)師松村蘭台
岡本豊彦(1773-1845)江戸後期の南画家、字子彦、号鯉喬・澄神斎、呉春門
岡本宣就(1575-1657)安土桃山期から江戸前期の兵法家・画家
岡本雄山(1751-1803)江戸中期から後期の画家・秋田藩家老、名元亮、漢詩、画、俳句もよくし、俳号は掬月斎
岡本綾江(1742?-1823)師黒田綾山
岡本乗円(不明-不明)江戸時代の画家、号玄々翁、字朗然、師松花堂
小川華亭(不明-1810)江戸日暮里・南泉寺の住職
小川守黒(不明-不明)書籍業のかたわら南画をよくした
小川隆雅(不明-不明)江戸初期の画家、横手地方によく鷹を描いた系譜があり、その継承者
小川只七(1737-1816)仙台藩士、画をよくした
小川破笠(1663-1747)江戸前期から中期の漆芸家・浮世絵師・俳人、師英一蝶
沖一峨(1797-1855)鳥取藩御用絵師沖家七代
沖清信(不明-1703)鳥取藩御用絵師沖家初代、木挽町狩野の門人
沖清友(不明-1717)鳥取藩御用絵師沖家二代
沖探玉(不明-1791)鳥取藩御用絵師沖家四代
沖探高(不明-1822)鳥取藩御用絵師沖家五代
沖探容(不明-1839)鳥取藩御用絵師沖家六代
沖探陸(不明-1756)鳥取藩御用絵師沖家三代
小木曽文洲(1794-1866)師塩川文麟


荻津勝孝(1746-1809)江戸中期から後期の秋田蘭画の画家
荻津独元斎(1746-1809)江戸中期から後期の秋田蘭画家、名勝孝、通称孫太郎・八十八
荻山常山(不明-1821)木挽町狩野に学ぶ
荻山養弘(不明-1841)師荻山常山
奥文鳴(不明-1813)師円山応挙、名貞章、号陸沈斎、応挙門
奥倉魚仙(不明-1859)江戸後期の画家、名辰行、字子園、通称甲賀屋長右衛門
奥田龍溪(不明-不明)奥田三角の兄
奥野碧潭(1790-1854)江戸後期の画家、師山本梅逸、名友之、通称喜兵衛
奥村玉蘭(1761-1828)師岸駒
奥山金陵(1795-1866)藤本鉄石と交遊し竹中文輔の門に学んだ
奥山常雄(不明-不明)幕末の画家、仙台藩士
小倉秋翠(不明-不明)江戸後期の画家、通称範兵衛
小倉武駿(不明-1839)岡眠山の子
小栗宗継(不明-不明)室町中期の画家、小栗宗湛の子
小栗宗佐(不明-不明)室町期の画家、小栗宗舟の子、父に学ぶ
小栗宗丹(1413-1481)室町期の画家、名助重、通称小二郎、別号宗湛・自牧
小栗宗湛(1413-1481)室町中期の画家、法号宗丹、宋元画法研究
小栗宗甫(不明-不明)室町期の画家、小栗宗舟の弟、兄に学ぶ
小栗宗栗(不明-不明)室町時代の画家、小栗宗湛の子、周文の画法修復
小栗伯圭(1792-1837)師呉春・景文、通称半七、字士復、別号素軒・修同館
小栗晩翠(1795-1871)師呉春・景文、小栗伯圭の弟、通称仙八郎、字徳卿、別号先慎・愛善・松下堂
小栗美成(1810-不明)師小栗伯圭・岡本豊彦、通称兵作、別号春江・成美
小栗文明(不明-不明)江戸後期の画家、谷文晁の門人、通称良三郎
小栗豊水(1812-1847)師岡本豊彦、小栗伯圭の長男、通称半七、字士績
小沢輝興(1807-1852)師守住貫魚・渡辺広輝、住吉派
押川元春(不明-不明)師木村探元
小田海僊(1785-1862)江戸後期の南画家、周防富海の回船業の家に生まれ染織業小田屋の養子となる、師松村呉春、後に中国元明の古画を研究、別号
織田共樵(不明-1862)江戸後期の画家、師張月樵
尾田郷澄(不明-不明)師甲斐良郷、八代の絵師・法橋勝延の子
織田瑟瑟(1779-1832)江戸後期の女性画家
織田瑟々(1779-1832)津田貞秀の長女、独自の桜図を考案、何処の桜かを銘記するのを特色とした
小田南豊(1785-1862)南画、松村呉春に四条派を学び、頼山陽を知り南画に転じた
小田☆川(1805-1858)江戸後期の南画家、師崋山、名重暉、字士顕、通称、清右衛門、別号拙修亭、☆は「くさかんむり」に「甫」
小田切寒松軒(1690?-1774)師目賀多雲川守息
小田野直林(1772-1841)江戸後期の秋田蘭画の画家、小田野直武の二男
小田野直武(1750-1780)江戸中期の洋風画家・秋田藩士、号羽陽、秋田蘭画の中心人物
越智山斎(不明-不明)森藩絵師らしい
越智凌雲(不明-1865?)江戸後期の画家、水戸藩士、松平雪山の門人、名兼良
小津石斎(1785-1857)師烟崖
小野雲鵬(1796-1856)江戸後期の画家、師黒田綾山・柴田義董
小野通女(1559-1631)安土桃山期から江戸前期の歌人画家、小野正秀の娘、通称お通
小野栗城(不明-不明)師栗野
小野岡義年(1756-1801)江戸中期から後期の画家・秋田藩執政、源四郎、大和と称した、字楽圃
小野田直林(1781-1841)江戸後期の画家
小野寺周徳(1759-1814)盛岡藩の漢画家、花巻三画人のひとり
小野寺東鵞(1783-1838)師東東洋
小幡五峯(不明-不明)気仙郡唐丹村の人、画を業とした
小原慶山(不明-1733)師渡辺秀石、名雅俊、字霞光、初号渓山
小原才蔵(不明-不明)石崎元章の三男
小原鉄心(1817-1872)幕末の美濃大垣藩の家老、師日根野對山、号是水酔逸
小原東洋(不明-1781)野口市左衛門と称した
小原梅坡(不明-不明)詩人・画家
小原巴山(1693-1777)師小原慶山
小原友閑斎(不明-不明)佐賀本藩の絵師
小俣蠖庵(1765-1837)江戸中期の画家、名孟寛・孟奬、字子猛・名六、別号栗斎、本姓藤原
温古斎(不明-不明)肥前の絵師、白如斎成真の子と伝わっている
恩田石峰(1775-1847)江戸後期の南画家、師渡辺南岳、名方、字大矩、通称吉作、別号(華道)二世心応軒
恩地山濤(1716-不明)師犬山凌濤

【か行】

甲斐良郷(1761-1829)矢野派、師矢野雪叟
海眼浄光(1722-1786)江戸中期の黄檗僧
海山宗恪(1769-1846)江戸後期の僧
快處(不明-不明)紀州の僧、日高郡御坊町浄国寺の第九世
海田相保(不明-不明)戦国時代の画家
海北友松(1533-1615)安土桃山期から江戸前期の絵師、元信門、海北派の始祖
海北友雪(1598-1677)江戸前期の絵師、名道暉、友松の子、後狩野派
海北友竹(1654-1728)江戸前期から中期の画家、名従親、号道香、海北友雪の子
海北友樵(1817-1868)幕末の画家、友松後裔、友徳の子、字如聞、別号抑聞
貝谷采堂(1786-1835)江戸後期の画家、師山本蘭亭・張月樵、名善、字公器、通称吉兵衛
可翁(不明-1345)14世紀前半に活躍した
可翁宗然(不明-不明)鎌倉・南北朝時代の僧、名良詮、臨済十世虚堂法孫
可翁良全(不明-不明)鎌倉末期から南北朝時代の画僧
加賀了順(不明-不明)狩野永徳の庶子
香川永仙(不明-不明)香川香琴の妹、名園蔡、字不淑
香川氷仙(不明-1815)香川素琴の妹
香川氷川(不明-1815)香川素琴の妹
蠣崎縉斎(1785-1863)師荒川晴海
蠣崎波響(1764-1826)江戸中期から後期の文人画家、師呑響・応挙、四条派の名手として花鳥画を得意とした
垣本雪臣(1777-1839)江戸後期の画家・歌人、師松村月渓、本姓菅原、通称貢
賀来佐之(1799-1857)医師、本草学者
賀来木龍(不明-不明)師吉原真龍
覚円(1031-1098)平安後期の画僧、大僧正、延暦寺座主
岳翁蔵丘(不明-不明)室町中期の画僧、周文系
鶴洲(1641-1730)僧、宮脇村祥福寺を開く、住吉如慶の二男
鶴舟(1504-不明)室町時代の画家
覚超(不明-1034)平安中期の画僧
鶴亭01(1722-1785)江戸中期の南蘋派の画僧、名浄博・のち浄光、字恵達のち海眼、号鶴亭・如是・五字庵・南窓翁など
覚仁(不明-不明)平安後期の画僧
覚鑁(1095-1143)平安後期の僧侶、名正覚、師詫磨為遠、新義真言宗の開祖、諡号・興教大師
覚猷(1053-1140)平安後期の画僧、鳥羽僧正
筧痴仙(1817-不明)南画
華江(不明-不明)松江の人
香西主馬(不明-不明)香西太郎右衛門の子
風折有丈(不明-1797)師内藤東甫、別号交淡斎東湖
風間花車堂(不明-不明)師狩野友元
梶(不明-不明)歌人画家、京の祇園鳥居下の水茶屋・松屋の女主、祇園三女、姓徳山
梶旗山(不明-不明)師鈴木芙蓉
加治松庭(不明-不明)江戸後期の画家、水戸藩士、立原杏所の門人、名貞、別号東岳
梶蝸角(1752?-1792)師内藤東甫、名規正、通所久太郎
我謝盛保(1787-1830)琉球の絵師、唐名は毛世輝
梶山良恭(不明-1837)矢野派、師義父矢野良勝・衛藤良行
柏木素軒(不明-不明)美人画
柏木蕗村(1807-不明)師田能村竹田・岸岱
柏屋平八(不明-不明)寛文頃の人、雲谷派の画をよくした
可睡越溪(不明-不明)江戸中期の曹洞宗の僧、越溪休覚
春日行秀(不明-不明)室町前期の画家、土佐行秀と同一
糠谷蘭汀(不明-1819)江戸後期の画家、師張月樵、名東四郎、別号浄秀
加瀬谷東嶺(1789-1836)江戸後期の画家
化蔵院(不明-1591)安土桃山期の画家、常州の人
片岡簡斎(不明-不明)師柴田義董
片岡篁斎(不明-1857)江戸後期の画家、本名春輝、字元寿、初号功斎、依田竹谷に師事
片岡朱陵(1715-1768)矢野派、師矢野茂安
片岡撫陵(不明-不明)松江に住んでいた
片桐浚暉(1837-不明)師浦上春琴・青根九江、三好雲鳳の子
片桐桐隠(1759-1819 )江戸中期から後期の画家、号蘭石、渡辺玄対門
片山九☆(不明-不明)中津藩の画員、師円山応挙、☆は「田」+「宛」
片山九皐(不明-不明)師円山応挙、片山九☆の子
片山索準斎守規(1772-1833)狩野派、片山守春の子
片山尚景(1628-1717)江戸前期から中期の画家、名親信、通称弥兵衛
片山豊泉(1785?-1865)師中川馬嶺
片山墨随斎守春(1720-1794)狩野派
片山無知(1735-1806)江戸中期から後期の画家、別号華岳
片山楊谷(1760-1801)江戸中期から後期の画家、本姓洞、名貞雄、通称宗馬、別号画禅窟
片山養和常寿(不明-不明)弘前藩お抱え絵師、師狩野常信
片山蘆雪(不明-不明)江戸後期の画家、円山派
花朝(不明-不明)南画
葛蛇玉(1735-1780)江戸中期の画家
克譲(1787-1864)伊予の画僧
勝田松翁(不明-不明)狩野派、勝田竹翁の子をされる
勝田随翁(不明-不明)狩野派
勝田竹翁(不明-不明)江戸前期の狩野派の画家、別号翠竹庵
勝田友溪(不明-不明)狩野派、勝田松翁の門人
勝野范古(不明-1758)南蘋の画法を学んだと思われる
勝屋蘆山(不明-不明)似顔絵を得意とした
勝山琢眼(1747-1824)江戸中期から後期の画家、本姓安倍、名仲起、別号鶴嶺子
勝山琢眠(1747-1824)勝山琢舟の子
勝山啄舟(不明-1788)師山崎如流、のちに土佐派
桂宗信(1735-1790)江戸中期の画家、月岡雪鼎の門人
加藤遠塵斎(1734-1810)江戸中期から後期の画家、狩野玉燕に学ぶ、名信清、通称栄蔵
加藤遠澤(1643-1730)会津藩御用絵師、狩野探幽門下四天王のひとり
加藤甘谷(不明-1841)江戸後期の画家、師伊豆原麻谷、名正利、通称五左衛門、別号江南
加藤澗斎(不明-不明)江戸後期の画家、増田九木・岸駒に師事したとみられる
加藤久皐(1764-1822)津和野藩士、山水花鳥を得意とした
加藤石華(不明-1851)江戸後期の画家、師森高雅・山本梅逸、名半二、別号玉暁・玉山
加藤雪溪(不明-1872)師長塩雪山
加藤雪潭(1809-1864)江戸後期の画家・武士、水戸藩士、松平雪山に学ぶ、名義智・彦太郎
加藤信清(1734-1810)江戸中期から後期の画家、狩野玉燕に師事した伝えられる、江戸の様々な寺に文字絵による仏画を寄進した
加藤礬桂(不明-1868?)江戸後期から明治期の画家、通称辰蔵、加藤雪潭の子
加藤文昇(不明-1862)江戸後期の画家、後藤文琳の門人
加藤文麗(1706-1782)江戸中期の画家、号豫斎、狩野周信・如川門文晁の師
加藤碧潭(不明-不明)江戸中期から後期の画家、立原杏所の門人
加藤宝鶏(不明-1831)江戸中期から後期の画家、名立參、別号芳渓
加藤歩簫(1743-1827)師谷文晁
加藤泰恒(1657-1715)江戸前期から中期の画家、伊予大洲藩の第三代藩主
上遠野雪峰(不明-不明)江戸中期から後期の画家、名典膳、別号清水堂、「横手鷹」を描いた一人
門脇塔玉(1828-1871)師塔然
金井烏洲(1796-1857)江戸後期の画家・画論家、名泰、南湖門
鼎金城(1811-1863)江戸後期の画家、鼎春岳の子、師岡田半江・金子雪操、名鉉、字子玉、通称平作、別号澱水
鼎春嶽(1766-1811)江戸中期から後期の南画家、鼎金城の父、師福原五岳、名元新、通称太郎右衛門
金丸常昭(不明-1758)津和野藩士
金谷仏水(不明-1827)俳句・画をよくした
金子金陵(不明-1817)江戸後期の画家、名允、字君璋、文晁門、崋山の師
金子雪操(1794-1857 )江戸後期の画家、本姓犬塚、名大美、字不言・孟玉、別号美翁
兼子天聾(1759-1829)江戸中期から後期の儒者、長久保赤水の門人、名穆、字如風、通称八三郎
金子豊水(1815-1864)江戸後期の南画家、師渡辺崋山、名徳褒、字猛卿、通称武四郎
金田吉太夫(不明-不明)師狩野探幽、狩野派
金谷三石(不明-不明)江戸時代の画家、沈南蘋の画法を学ぶ、金谷興詩の父
金山半佛(不明-不明)佐渡金山の人、詩歌・山水をよくした
狩野章信(1763-1826)江戸中期から後期の画家、信政に学ぶ
狩野察信(1695-1759)江戸中期の画家、狩野洞学幸信の次男、狩野芳崖の曽祖父
狩野敦信(1639-1718)江戸前期から中期の画家、号寿石、別名淳信、永徳門
狩野伊川(1775-1828)江戸後期の画家、木挽町狩野七世、名藤原栄信
狩野一渓重良(1599-1662)江戸前期の画家、名重良
狩野一渓良信(1630-1716)狩野一渓重良の子
狩野一殊牧(不明-不明)室町後期の画家
狩野一甫(不明-1815)狩野派、田辺
狩野永雲(不明-1697)松江藩御用絵師、師狩野安信、本姓太田、名稠信
狩野永翁(1731-1805)江戸中期から後期の画家、上田藩の絵師奈須永丹の子
狩野永温(不明-不明)鳥取藩御用絵師牧野家初代
狩野永岳(1790-1867)江戸後期の画家、京狩野家九代
狩野永敬(1662-1702)江戸前期の画家、永納の長男、別号仲簡子
狩野永玄(不明-1730)松江藩御用絵師、狩野永雲の子
狩野永元(不明-1704)松江藩御用絵師、狩野永雲の長男
狩野永湖(初代)(不明-1769)岸信永寿の養子、北上市正覚寺の「砂ずりの杉戸」が知られる
狩野永錫(不明-1822)江戸後期の画家、本姓三谷、名映信、通称徳之助
狩野永寿(1659-1736)師狩野永叔、本姓藤田、名俊信、通称宇平次
狩野永叔(1675-1724)江戸中期の画家、父・時信に師事


狩野永俊(1769-1816)江戸後期の画家、京狩野家永常の養子、通称縫殿助、号山朴
狩野永諄(1652-不明)佐土原藩の絵師、師狩野右京時信
狩野永梢(不明-1716?)京狩野家・狩野永納の二男
狩野永常(1731-1787 )江戸中期の画家、永隆の子、京狩野家永良の養子、通称縫殿助、号山隆
狩野永真憲信(1692-1731)中橋狩野家九代主信の長男
狩野永碩(1683-1752)盛岡藩の常府狩野派絵師、狩野休山(初代)の子
狩野栄川(1730-1790)江戸中期の画家、狩野栄川古信の長男、名典信、号白玉斎、叙法印、木挽町五世
狩野栄川院古信(1696-1731)木挽町狩野家三世周信の子
狩野永泰(不明-1842)江戸後期の画家
狩野永徳(1543-1590)安土桃山時代の絵師、狩野派を代表する画人、松栄の長男、叙法印
狩野永納(1631-1697)江戸前期の狩野派の絵師、山雪の長男、号一陽斎・梅岳堂・山静
狩野永伯(1687-1764 )江戸中期の画家、狩野永敬の長男、名清信、別号山亮
狩野永良(1739-不明)江戸中期の画家、狩野永伯の養子、通称縫殿助、号山晟
狩野永琳(1767-1808)江戸中期から後期の画家
狩野養信(1796-1846)江戸後期の絵師、狩野伊川院栄信の長男、木挽町家狩野派九代、狩野派最後の大家とも称される、著書『会心斎年記』
狩野恩信(1742?-1813)肥後狩野家八代
狩野一信(1816-1863)幕末の画家、狩野素川門、本姓逸見、通称豊次郎、号顕幽斎
狩野閑川(1747-1792)江戸中期の画家、狩野常川の子、名昆信、別号青坡斎
狩野休円(初代)(1627-1703)麻布一本松狩野家の始祖、狩野永徳の実弟・狩野休伯長信の三男
狩野休円(2代)(1729-1802)盛岡藩の常府狩野派絵師、狩野休山徳信の子
狩野休山徳信(不明-不明)二代休山
狩野休山(初代)(1655-1724)麻布一本松狩野家初代、盛岡藩の常府狩野派絵師
狩野休雪(1781-1827)盛岡藩の常府狩野派絵師、師狩野洞白愛信、狩野休補の孫
狩野休伯(2代)(1621-1688)江戸前期の画家、名昌信、松栄の子、叙法橋
狩野休補(1726-1775)盛岡藩の常府狩野派絵師、狩野永碩の子
狩野玉栄(1730-1804)御徒士町狩野家・狩野玉燕季信の二男
狩野玉燕(1683-1743)江戸中期の画家、二代狩野休伯の三男、兄休碩の養子、名季信
狩野玉楽(不明-不明)室町末期の画家
狩野九郎太(不明-不明)狩野左京門、伊達政宗による仙台城本丸造営工事のため近畿より招来された画工のひとり
狩野邦信(1787-1840 )江戸後期の画家、狩野探牧の二男、中橋狩野家泰信の養子、号探芳・祐清
狩野匡信(不明-不明)狩野恩信の実子
狩野元俊(1588-1672)江戸初期から前期の画家
狩野兼信(1753-1808)江戸城の襖絵を描いた
狩野源助ペドロ(不明-不明)江戸前期のキリシタン・狩野派絵師
狩野元仙(1685-1751)江戸中期の画家、駿河台狩野三世、台野信の長男、名方信
狩野興以(1569-1636)安土桃山期から江戸前期の狩野派の絵師、光信門、別号興意法橋
狩野興雲(不明-1672)江戸前期の画家、名孝信、父の狩野興也に学ぶ
狩野興益(不明-1705)紀伊藩御用絵師、狩野興甫の長男
狩野興之(不明-1635)安土桃山期から江戸前期の狩野派の絵師、狩野興以の三男
狩野興信(不明-不明)江戸初期の画家、「秋田狩野派」の祖であった狩野定信の妻の弟
狩野厚信(不明-1832)高松藩絵師、狩野明善の養子
狩野興伯(不明-1707)紀伊藩御用絵師、狩野興益の長男
狩野興甫(不明-1671)紀伊藩御用絵師、狩野興以の長男、通称弥右衛門
狩野興也(不明-1673)江戸前期の画家、狩野興以の二男、通称利右衛門、別号伯甫
狩野惟信(1753-1808)江戸中期から後期の画家、号養川院・玄之斎、叙法印、木挽町狩野六世
狩野定吉(不明-不明)仙台藩初期画工のひとり
狩野定信(不明-不明)江戸初期の画家、秋田狩野派の祖
狩野貞信(1597-1623)江戸前期の狩野派の絵師、祖父永徳私淑、狩野光信の子
狩野山雪(1590-1651)江戸前期の狩野派の絵師、号蛇足軒
狩野山卜(不明-不明)江戸前期の画家、狩野山楽に学ぶ、名良次、通称権之助、別号不及子
狩野山楽(1559-1635)安土桃山期から江戸前期の狩野派の絵師、名光頼、師永徳
狩野実信(不明-不明)師狩野休山
狩野自得(不明-不明)岡山藩御用絵師
狩野秀元(不明-不明)江戸中期から後期の画家、名貞信、号蒼雪庵、狩野秀水の養子
狩野秀水(不明-不明)秋田藩江戸定居の御用絵師
狩野秀東(不明-不明)江戸中期から後期の画家、戸村家に仕えた
狩野受川(1715-1731)江戸中期の画家、狩野随川甫信の長男、名玄信
狩野春賀(不明-不明)江戸中期の画家、狩野春湖の子、名理信
狩野春湖(不明-1726 )江戸前期から中期の画家、師狩野春雪、名元珍
狩野春雪(1614-1691)江戸前期の画家、元俊の子、山下狩野家
狩野舜川(1800-1816)浜町狩野家五代融川の長男
狩野昌安(不明-不明)安土桃山期の絵師
狩野昌運(1637-1702)江戸前期の画家、狩野安信門、狩野了昌の養子名、名季信、通称市右衛門、別号釣深斎
狩野松栄(1519-1592)安土桃山時代の狩野派の絵師、名直信、狩野元信の子、狩野四世、叙法眼
狩野宗秀(1551-1601)安土桃山期代の狩野派の絵師、名秀信、狩野松栄の子
狩野常眞(不明-1697)高松藩絵師、師狩野安信
狩野常川(1717-1770)浜町狩野家二代甫信の子
狩野松伯(不明-不明)江戸前期の画家、師松栄・長信、初め直木与市と名のる、号雪川
狩野松林(不明-1835)盛岡藩の常府狩野派絵師、狩野休円(2代)の子
狩野如水(不明-不明)師狩野乗信
狩野如林(1802-1871)江戸後期から明治期の画家
狩野松林喜信(不明-1835)盛岡藩の常府狩野派絵師
狩野如林乗信(1711?-1781)狩野洞学家が断絶したため狩野如林を名乗り如林系の祖となった
狩野如林宗信(1802-1871)狩野如泉の子
狩野真笑(不明-不明)江戸後期の画家、秀頼の子、元信の孫、名秀信、叙法眼
狩野甚之丞(不明-不明)桃山後期の画家、狩野宗秀の子、永徳の甥
狩野随川(不明-1745)江戸中期の画家、常信の二男、周信の弟、名岑信、浜町狩野家の祖
狩野随川院甫信(1692-1745)木挽町狩野常信の第三子
狩野随川峯信(1662-1708)木挽町狩野家常信の二男
狩野晴皐(1797-1867)江戸後期の画家、長府藩御用絵師狩野陽信の子、狩野芳崖の父
狩野泉碩(1682-不明)江戸中期の画家、奈須泉石の子、別号泉竹
狩野宗益(1786-1870)江戸後期の画家、神田松永町狩野家
狩野宗心(1568-1620)安土桃山期から江戸前期の画家、築地小田原町狩野家の祖、名種永、通称甚十郎
狩野即誉(不明-不明)江戸中期の画家、愛宕下狩野家の祖、名種信
狩野祖酉(1556-不明)安土桃山期から江戸前期の画家、狩野松栄の養子、本姓工藤、名家政・秀家・秀信
狩野孝信(1571-1618)安土桃山期から江戸前期の狩野派の絵師、永徳の子、叙法眼
狩野隆長(不明-不明)江戸時代の画家、師狩野永納
狩野高信(1740-1794)肥前の絵師、中橋狩野家十一代英信の長男
狩野種信(1600-1638)江戸前期の狩野派の絵師
狩野探淵(1805-1853)江戸後期の画家、探信守道の子、叙法眼
狩野探原(1829-1866)幕末の画家、狩野探淵の長男、名守経
狩野探常(1705-1756)江戸中期の画家、狩野探信の次男
狩野探信守政(1653-1718)江戸前期から中期の画家、探幽守信の長男
狩野探信(初世)(1653-1718)江戸前期から中期の画家、別号忠淵、狩野探幽の子
狩野探信守道(1785-1835)江戸後期の画家、奥絵師、鍛冶橋狩野七代目
狩野探雪(1655-1714)江戸前期から中期の画家、探幽の二男、名守定、別号孟隣斎、幕府絵師
狩野探船(1686-1728 )江戸中期の画家、探信の長男、名章信、鍛冶橋狩野を継ぐ
狩野探牧(1762-1832)江戸中期から後期の画家、別号探朴、名守邦、鍛冶橋家六世
狩野探幽(1602-1674)江戸前期の狩野派を代表する絵師、鍛冶橋狩野派、名守信、孝信の子
狩野探龍(不明-1855)江戸時代の画家
狩野探林(不明-1776)鍛冶橋狩野家・狩野探常の長男
狩野周信(1660-1728)江戸前期から中期の画家、常信の長男、木挽町三代、号如川・国燕
狩野中信(1811-1871)号董川、叙法眼、浜町狩野家
狩野常信(1636-1713)木挽町狩野二代、狩野尚信の子、号養朴
狩野英信(1717-1763)中橋狩野家九代主信の二男
狩野洞雲(1625-1694)江戸前期の画家、駿河台狩野祖、名益信、叙法眼
狩野洞益(不明-1841 )江戸後期の画家、駿河台狩野六世
狩野洞学(不明-1743)津山狩野家の祖とされる
狩野洞元邦信(1643-1706)猿屋町代地狩野家素川信政の二男
狩野洞壽(不明-1777)師狩野永徳、狩野洞琳の子
狩野洞春(4代)(1747-1797)江戸中期から後期の画家、名福信、洞雲養子、駿河台狩野四世
狩野洞春(9代)(不明-不明)駿河台狩野九世
狩野洞春(2代)(不明-1724)駿河台狩野二世
狩野洞春福信(不明-1723)駿河台狩野家の二世
狩野董川中信(1811-1871)木挽町狩野家六代伊川院栄信の六男
狩野洞白(5代)(1771-1821)江戸後期の画家、名愛信、駿河台狩野五世、表絵師、叙法眼
狩野洞白(7代)(不明-不明)駿河台狩野七世
狩野時信(1642-1678)狩野安信の長男
狩野内膳(1570-1616)安土桃山期から江戸前期の狩野派の絵師、松栄門、別号一翁
狩野尚信(1607-1650)江戸前期の狩野派の絵師、木挽町狩野派祖、号自適斎、孝信の二男
狩野長信(1577-1654)安土桃山期から江戸前期の狩野派の絵師、号休伯、松栄の末子
狩野栄信(1775-1828)江戸後期の画家、狩野養川院惟信の子、木挽町狩野家八代目、号伊川院・玄賞斎
狩野成信(1604?-1675)肥後狩野家四代


狩野信政(1607-1658)江戸前期の画家、狩野祖酉長男、狩野孝信の娘婿、のち探幽の娘婿、通称外記、号素川
狩野憲信(1692-1731)江戸中期の画家、狩野派一〇世、初名季信、父主信、奥絵師
狩野梅笑(1727-1807)東東洋を嗣子とした
狩野伯圓(1642-1726)江戸中期の画家、神田松永町狩野家友益の子
狩野秀頼(不明-不明)室町後期から安土桃山時代の狩野派の絵師、元信次男、叙法橋
狩野寛信(1778-1815)江戸後期の画家、閑川の子、狩野融川と同一
狩野弘信(初代)(1640?-1702)肥後狩野家五代
狩野弘信(2代)(1792?-1833)肥後狩野家九代
狩野文周(不明-不明)肥前の絵師、狩野元頼と同一、京狩野に学んだ
狩野昌信(1595-1662)狩野休伯長信の長男
狩野正信(1434-1530)室町後期の絵師、周文門、狩野派の始祖
狩野益信(1625-1694)駿河台狩野の開祖、狩野探幽の養子
狩野典信(1730-1790)江戸中期の画家、木挽町家狩野派六代目
狩野光信(不明-1608)安土桃山時代の絵師、狩野永徳の子、狩野派六世
狩野岑信(1662-1726)浜町狩野派、常信の二男、号随川・覚柳斎
狩野宗信(1514-1562)戦国時代の画家、狩野祐雪と同一
狩野元信(1476-1559)室町末期の画家、狩野派の画風を確立
狩野主信(1675-1724)江戸前期から中期の画家、中橋狩野第九世、別号澹然、幕府奥絵師
狩野師信(1667?-1710)肥後狩野家六代
狩野安信(1614-1685)江戸前期の狩野派の絵師、号牧心斎、中橋狩野派、孝信の子
狩野泰信(1767-1798)中橋狩野家十二代高信の長男
狩野友益(不明-不明)江戸前期の画家、神田松永町狩野家宗知の子
狩野祐雪(不明-1545)戦国時代の画家、狩野元信の長男、名宗信、通称四郎次郎
狩野融川(1778-1815)江戸後期の画家、名寛信、別号友川、浜町五代目、叙法眼
狩野友川(不明-1831)浜町狩野家五代融川の二男
狩野友巴(不明-1654)肥前の絵師
狩野之信(1513-1575)戦国時代から安土桃山時代の画家、正信の次男、狩野元信の弟
狩野幸信(1696-1761)肥後狩野家七代
狩野雪信女(1643-1682)狩野探幽の娘、清原雪信と同一
狩野養行(不明-不明)肥後狩野派
狩野養拙(不明-不明)戦国時代の画家画家
狩野吉信(1552-1640)安土桃山期から江戸前期の画家、号昌庵、師永徳・光信
狩野由信(不明-1820)江戸後期の画家、洞庭興信の子
狩野美信(1625-1694)江戸前期の画家、号洞春、式部卿法眼、幕府絵師
狩野甫信(不明-1745)浜町狩野派、号青柳斎、随川、峰信弟、奥絵師
狩野柳栄(不明-不明)江戸後期の画家、山内伊村の門人
加納笠斎(不明-1868?)江戸後期から明治期の画家、通称与右衛門、別号化龍
狩野了承(1768-1846)安土桃山期から江戸前期の画家、庄内藩絵師、師狩野探信
狩野涼珉(1751-1814)江戸中期から後期の画家、本姓池田、名貴信、池田幽石の子
狩野凉岷(跡信)(不明-不明)狩野凉岷(貴信)の子
狩野凉岷(貴信)(1751-1814)水戸藩絵師、師狩野探信
狩野派常房(不明-不明)俳人長野馬貞賛の画幅が残っている
川平正肖(1698-1761)八重山の絵師
鏑木雲潭(1782-1853)江戸後期から明治期の画家、師文晁、市川寛斎の子、号尚左堂
鏑木梅溪(1750-1803)江戸中期から後期の画家、荒木元融の門人で、沈南蘋に私淑したと思われる
鏑木梅亭(1804-1830)江戸後期から明治期の画家、鏑木雲潭の長男
可卜(不明-不明)室町期の画僧、鎌倉建長寺住職、啓書記に絵を学ぶ、別号棟隠子
鎌田巌松(1798-1859)江戸後期の画家、名子寛、号秀一、師狙仙・藍江
鎌田景麟(1808-1864)江戸後期の画家、師松村景文
鎌田呉陽(1802-1858)師松村呉春
神谷栄春(不明-不明)江戸中期の水戸藩の画員、名惟雪、別号養秋
神谷慶秋(初代)(不明-1860)尾張藩御用絵師、神谷秋山の養子
神谷慶秋(2代)(不明-1856)尾張藩御用絵師、神谷慶秋(初代)の子
神谷高秋(不明-1860)尾張藩御用絵師、神谷慶秋(2代)の養子
神谷三圭(不明-不明)尾張藩御用絵師、神谷晴真の子
神谷秋山(不明-1818)尾張藩御用絵師、央秋の子
神谷晴雲(1793-1826)尾張藩御用絵師、木挽町狩野九代晴川院養信の門人、今村養寿の長男、名玉真・養顕、字碧峯、別号竹斎・養朔
神谷晴秋(不明-不明)尾張藩御用絵師
神谷晴真(不明-1862)尾張藩御用絵師、木挽町狩野九代晴川院養信の門人、神谷養朔の子、別号元真
神谷養朔(不明-1824)神谷詮敬の養子
神谷養寿(不明-1808)木挽町狩野七代養川院惟信の門人
神谷養秋(不明-1811)尾張藩御用絵師
神谷養周(不明-不明)尾張藩御用絵師
亀井幻☆(1750-1816)師月僊、☆は「合」の下に「廾」
亀井茲方(1817-1846)津和野藩主亀井家十二代
亀井茲胤(1725-1752)津和野藩主亀井家七代
亀井茲親(1669-1731)津和野藩主亀井家四代
亀井茲尚(1786-1830)津和野藩主亀井家十代
亀井少琴(1798-1857)亀井昭陽の長女、名友、原采蘋とともに鎮西二女史と称された
亀井竹溪(1784?-1847)讃岐の南蘋派、師父亀井東溪の子
亀井東溪(1748-1816)讃岐の南蘋派
亀井南皐(1798-1855)師春木南溟
亀井矩賢(1766-1821)津和野藩主亀井家九代
亀井矩貞(1739-1814)津和野藩主亀井家八代
亀岡規礼(1770-1835)江戸後期の南画家、名光茂、字子恭、応挙門十哲
亀山松濤(1818?-1841)師浦上春琴
亀山醴泉(1784?-1810)師呉春
蒲生羅漢(1784-1866)江戸後期の南画家、師谷文晁
辛島東溪(不明-不明)医師、田能村竹田と親交があった
唐橋君山(1745-1800)竹田と江漢の師匠
軽部竹堂(不明-1868?)江戸後期から明治期の画家、名愼、人見淇堂に学ぶ
河合雪峨(不明-1866)師沖一峨
河合智月(1633?-1718)歌人画家・女流俳人
川井田正蔵(不明-不明)師永井慶竺
川上遷有(不明-不明)師萩谷セン喬
川口月嶺(1811-1871)盛岡藩の円山四条派、川口月村の父、字有度、通称七之助、別号真象
河窪信雄(1601-1639)江戸前期の絵師
川崎竹山(不明-1868?)江戸後期から明治期の画家、松平雪山・野沢白華に師事
川尻岱雲(不明-不明)明治初期の画家
河田雲岫(不明-不明)師小野雲鵬
川地柯亭(1780-1872)江戸後期から明治期の画家・福井藩士、師文晁・道斎・竹堂
河西雪渚(不明-1868?)江戸後期から明治期の画家、松平雪山の門人、通称蕭
川西東原(1780?-1839)師長町竹石
川端探濬(不明-不明)師山路探定
川原慶賀(1786-不明)長崎派の洋風画家、シーボルトお抱え絵師
河原南汀(1776-1831)土佐派、広島藩御用絵師
川原慮谷(不明-1872)川原慶賀の子
河村琦鳳(1778-1852)河村文鳳の養子
河村若元(1668-1744)肥前の絵師、師河村若芝(初代)、本姓小川、名道昌、字蘭栄、別号痴翁・華山
河村若芝(初代)(1630-1707)肥前の絵師、師逸然性融、僧名道光、号蘭溪
川村東仙(不明-不明)師東東洋、川村夢得の子
河村文鳳(1779-1821)江戸後期の岸派の絵師、岸駒に師事
川村夢得(不明-不明)師東東洋、川村春洋の父
河本容軒(不明-不明)師来章
河原田兎毛(不明-不明)江戸後期の画家、角館の画家
閑々子(1752-1827)阿波の画僧
岸規(不明-1864)師岸岱、江陵岸賢の子
頑極(1748-1808)江戸中期の画僧、興聖寺の僧
岸駒(1749-1839)江戸中期から後期の南画家
寛舜(不明-不明)鎌倉前期の画家
岸翠(不明-不明)江戸後期の画家、京都で岸派に学ぶ、永島蕉六
神田単龍(1821-不明)美人画、師吉原真龍
神田露光(不明-不明)詩文がうまく書画も得意とした
岸岱(1782-1865)江戸後期の画家、岸駒の長男、姓岸、初名国章、字君鎮、別号卓堂・虎岱
神足高雲(不明-不明)江戸前期の画家、狩野探幽に学ぶ、探幽門下の四天王と称された、名守周、通称善右衛門、別号幽讃・常庵
観音寺祥巌(不明-不明)竹田観音寺主
神庭松嶺(不明-不明)師陶山勝寂
神原玉江(1823?-1861)江戸後期の画家、四条派
神原鳳章斎(不明-1854)犬山城主成瀬家に仕え画を描いた
寛燿(不明-不明)鎌倉末期の画家
岸良(1798-1852)岸駒の娘婿、字子良、号画雲
祇園餐霞(1713-1791)江戸中期の画家、祇園南海の二男
祇園井特(1755-不明)実在のモデルの存在を感じさせる独特の写実描写で知られる
祇園鉄船(1713-1791)江戸中期の画家、名尚濂、字師援、南海の子
祇園南海(1676-1751)江戸中期の画家・儒学者・漢詩人、名正卿、字伯玉
菊田伊洲(1791-1853)仙台四大画家のひとり、師狩野伊川院栄信
菊田伊徳(1785-1851)仙台藩御用絵師、師狩野伊川院栄信
菊田栄羽(1712-1776)小川破笠の子で菊田栄喜の養子
菊田栄喜(1683-1742)仙台藩画員・菊田家の絵師
菊田栄秀(不明-不明)仙台藩画員・菊田家の絵師
菊田喜膳(不明-不明)仙台藩画員・菊田家の祖とされる


菊田東羽(1747-1817)菊田栄羽の長男、菊田伊洲の義父
菊池江外(不明-1868?)江戸後期から明治期の画家、名徳、南画山水
菊池東籬(不明-1868?)江戸後期から明治期の画家、松平雪山に師事、通称修平
菊地南山(不明-1835)江戸後期の画家、名武博、通称良右衛門、別号煙霞釣客・画仏・自適庵
喜久元智重(不明-不明)久米島士族
木崎隆川(初代)(不明-不明)府内藩絵師、師狩野由信
木崎隆川(2代)(1803?-1872)府内藩絵師、狩野派
義産(1775-1838)江戸後期の画家・僧、小川鴎亭に学び、清源寺や宇治興聖寺などで修行
岸八行(1794-1857)師岸駒、岸派
岸遊鳳(不明-不明)岸派
崖熊野(1734-1813)紀伊藩の儒学者
岸連山(1804-1859)江戸後期の画家、岸駒の弟子、本姓青木、名徳、字士進
喜多元規(不明-不明)江戸前期の洋風画家、通称長兵衛
喜多宗雲(不明-不明)喜多氏一家で肖像画に長けていた
喜多武清(1776-1857)江戸後期の南画家、谷文晁に学ぶ、字子慎、通称栄之助、別号可庵・五清堂
喜多道矩(不明-1663)江戸前期の画家
北川観雪(不明-1830)八戸藩お抱え絵師、本名小川潤、別号墨亭・菊麿・喜久麿・月種
喜多川相説(不明-不明)江戸前期の画家
北島勝永(1795-1867)江戸後期の画家、師矢野良勝、筑後柳川立花藩絵師
喜多女(不明-不明)江戸時代の絵師
北野勝永(1795-1867)師矢野良勝・周峰
北原秦里(1785-1829)師箕浦髪山
北山寒巌(1767-1801)江戸中期から後期の洋風画家、父の馬道良に学ぶ、別称樊泥亀
義沖(1282-1352)博多承天寺の画僧
吉川五明(1731-1803)江戸中期から後期の画家・俳人
吉祥寺佛母(不明-1854)吉祥寺第七世寺主
木戸鶴仙(不明-1814)師鶴亭
喜名楽山(不明-不明)師佐渡山安健
木梨恒充(不明-不明)土佐派
衣笠守岡(不明-1789)福岡藩絵師衣笠家四代、衣笠守恒の子
衣笠守起(不明-1798)福岡藩絵師衣笠家五代
衣笠守恒(不明-1758)福岡藩絵師衣笠家三代、衣笠守弘の子
衣笠守弘(不明-1743)福岡藩絵師衣笠家二代、師狩野探幽、衣笠守昌の子
衣笠守昌(不明-1705)福岡藩絵師衣笠家初代、師狩野探幽
衣笠守由(1785-1852)福岡藩絵師衣笠家六代
紀梅亭(1734-1810)江戸中期から後期の南画家・俳人、名時敏、号九老、師蕪村、紀楳亭とも
紀楳亭(1734-1810)江戸中期から後期の南画家・俳人、名時敏、号九老、師蕪村、紀梅亭とも
木下逸雲(1799-1866)師石崎融思、別号如螺物々子、長崎三画人
木下応受(1777-1815)師円山応挙、応挙の子、字君賚、別号水石
木下俊長(1648-1716)日出藩第三代藩主
木下俊泰(1729-1768)日出藩第九代藩主
吉備幸益(不明-不明)伊達政宗による瑞巌寺内装工事のため近畿より招来された画工のひとり
宜野湾朝宏(1834-1870)琉球の絵師、唐名は向有章
宜野湾朝昆(1777-1835)伊是名朝宜の二男
宜野湾朝範(1853-1870)宜湾朝保の二男
木村玉英(不明-不明)字君華、通称彌須子、号鶴洲
木村兼葭堂(1736-1802)江戸中期から後期の南画家
木村蒹葭堂(1736-1802)江戸中期から後期の南画家・蔵書家、姓木村、名弘恭、師大雅
木村紅蓼(1777?-1836)江戸中期から後期の画家、通称伊佐衛門、名正教
木村卓素(不明-1872)師岡田半江
木村探元(1679-1767)江戸時代の薩摩を代表する絵師、師狩野探信
木村常房(不明-不明)師狩野常信
木村舞雪(1816-1865)幕末の画家
木村黙老(1774-1856)江戸後期のの高松藩第9代藩主松平頼恕の家老・藩政家
木村亮啄(不明-不明)東照宮の家康肖像画を描いた
九淵(不明-1498)室町時代の画僧、建仁寺僧
久家暢斎(1793-1844)高松藩の儒官
及雪(不明-不明)戦国から安土桃山期の画僧、雪村に学び継村斎と号した
喜友名安位(不明-不明)八重山の絵師
喜友名安著(1826-1854)八重山の絵師
清家恕(不明-不明)徳島中学校の図画教師をしていた
藕華(1707-1822)僧侶
教懐(1001-1093)平安後期の画僧
行海(1109-1180)平安後期の画家、藤原基光の子、珍海の弟
堯儼(不明-不明)鎌倉後期の画家
尭儼(不明-不明)鎌倉時代の絵仏師、巨勢派一七世
教禅(不明-1075)平安後期の仏画師
堯尊(不明-不明)鎌倉中期の画家
行尊(1057-1135)平安後期の画僧
尭然法親王(1602-1661)江戸前期の皇族・僧、後陽成帝第六皇子、天台座主
玉英(1847-不明)四条派
玉☆梵芳(1348-1420?)室町時代の臨済宗の僧、☆は「田」+「宛」
玉瀾(1728-1784)江戸中期の女流画家、池大雅の妻
清野一幸(不明-不明)尾張藩御用絵師の祖、師狩野尚信、名重信、別号円成・童翁
清野円嘉(不明-1760)尾張藩御用絵師、木挽町狩野二代尚信の門人、清野養山の子
清野円斎(不明-不明)清野円嘉の子
清野養山(不明-1721)尾張藩御用絵師、木挽町狩野派・狩野常信の門人、一幸の子、名常進、通称一成
清原春信(不明-不明)清原雪信の子
清原雪信(1643-1682)久隅守景の娘、雪信女と称す、名は雪子、別号は匠貴
清久佐野(1823-1842)歌人、書画にすぐれた
桐山楸閨(不明-1859)桐山浄所の妻
金大受(不明-不明)東京国立博
金渓道人(不明-不明)室町時代の画家、良敏
金原白玉齋(不明-1826)住吉派
空光(不明-不明)平安前期の画家
空谷(不明-1834)僧侶
愚極礼才(1370-1452)室町前期の画僧、東福寺僧、牧渓に学ぶ
愚渓右慧(不明-不明)南北朝時代の画僧、号幻庵
日柳燕石(1817-1868)幕末の志士、号柳東・春園
草場佩川(1787-1867)江戸後期の漢詩人・佐賀藩儒者、名韓、字棣芳
釧雲泉(1759-1811)江戸中期から後期の南画家、名就、字中孚、元明画蹟研究
楠瀬大枝(1776-1835)師楠瀬南溟、松村蘭台に私淑
楠瀬南溟(1743-1790)師横山竹林斎
楠原竹堂(不明-不明)師小橋香村
久隅守景(不明-不明)江戸中期の絵師、探幽門
楠本圭山(不明-不明)楠本雪溪の子
楠本雪溪(1781-1850)江戸後期の画家、尾張藩御用絵師、別号紫岡宗琳
百済河成(0782-0853)平安前期の貴族・画家、姓余氏百済人、歴史に名が残っている最初の画家といわれる
百済常長(不明-不明)平安前期の画家
百済常良(不明-不明)平安前期の画家、百済河成の子孫と思われる
工藤五鳳(不明-1841)津軽の初期南画家、師毛内雲林
窪田統泰(不明-不明)室町後期の絵師、窪田家三代目
窪田撲翁(1808-1868)師浮田一蕙
久保田要親(不明-不明)首里士族
熊谷東琢(不明-1868)師斑目東雄
熊谷儀克(不明-不明)江戸中期の画家、通称元章
熊谷月郷(1828-1868)江戸後期の画家
熊坂適山(1796-1864)松前藩御抱絵師、師蠣崎波響・浦上春琴
熊代熊斐(1712-1773)江戸中期の画家、沈南蘋門
熊本眞碩(初代)(不明-不明)師衣笠守昌
熊本眞碩(2代)(不明-不明)師衣笠守昌
久米悦之助(不明-不明)江戸後期の画家、水戸藩士、松平雪山の門人
倉井雪舫(1792-1844)師岡本豊彦
倉谷鹿山(1759-1833)長崎で清人に学んだ
倉淵玉鳳(1780-1863)江戸後期の画家、師岡田玉山、名由信、通称竜左衛門、別号淵竜・蛙堂・淵庚子、俳号年々
栗栖探叔(不明-1708)師狩野探信
栗田季久(1693-1753)師狩野永叔
栗田雪仙(不明-不明)福岡藩士、師狩野探雪
栗田長珉(1752-1808)江戸中期から後期の画家、南蘋の画法を学んだ、別号蕉鹿
栗林竹友(不明-不明)幕末から明治期の画家
栗村北沙(1799-1858)師菅井梅関
栗本格斎(1845-不明)師岡野洞山
栗本柳崖(不明-不明)江戸後期の画家、藩の分領越後栢崎陣屋詰の会計吏
久留島通容(1811-1850)旧森藩主
久留島有斐(1783-1861)森藩家老、蘭画をよくした
黒岩金岳(1785-1853)師楠瀬大枝
黒川亀玉(初代)(1732-1756)江戸中期の南蘋派の画家、字子保
黒川亀玉(2代)(1754-1814)江戸中期から後期の画家、別芙蓉山人・清風館、画業は未明だが初代亀玉は沈南蘋の画風を独学
黒川亀玉(3代)(不明-不明)亀玉三代目の絵師で、右膳徳邦と称した
黒川正山(不明-不明)広渡一湖の弟子とみられる
黒田梧堂(1848-不明)師岡脇塔玉
黒田綱政(1659-1711)福岡藩の第四代藩主
黒田稲観(不明-不明)黒田稲皐の甥
黒田稲皐(1787-1846)江戸後期の画家・武士、本姓林、名文祥、通称六之丞、別号稲葉
黒田綾山(1755-1814)讃岐に生まれ岡山南画の草分けとなった、別号起雲道人
鍬形蕙斎(1764-1824)江戸中期から後期の画家、北尾重政の門人、浮世絵師名は北尾政美
鍬形赤子(不明-不明)鍬形蕙斎の子


桑原彦甫(不明-不明)師岸文貫道
桑原鳳井(1793-1841)師衣笠守由
桑原幽宅(不明-1707)師斎藤等室
桑山曦亭(1774-1806)江戸中期から後期の画家、桑山玉洲の子
桑山玉洲(1746-1799)江戸中期から後期の画家・美術評論家、池大雅らと交わり南画を描く、独特の南画論を展開した
訓谷沢水(不明-不明)法書・名画を多く所蔵した
倪元☆(1593-1644)☆は「王」+「路」
啓書記(不明-1493)室町期の画家、名祥啓、鎌倉建長寺の書記であったことから啓書記で知られる
芸愛(不明-不明)室町中期の画家
芸阿弥(1431-1485)室町後期の画家、能阿弥の子、号学叟
桂月子(不明-不明)江戸時代の絵師
景斎(不明-不明)石見の人、雪舟の門人といわれる
景叔(不明-不明)石見の人、雪舟の門人といわれる
恵心僧都(不明-不明)平安中期の天台宗の僧・叡山天台座主、名源信
啓孫(不明-不明)「啓孫」を捺した作品は近世の画譜類ですべて祥啓の作品とされる。
慶忍(不明-不明)鎌倉中期の画家
月桂寺大同(1729?-1780)白隠禅師の法弟の一人
月桂寺鉄箒(1630?-1716)月桂寺第六世寺主
月僊(1741-1809)江戸後期の画僧、師円山応挙、伊勢山田寂照寺住職、名玄瑞、字祥啓、別号雷沢
月峰(1760-1839)江戸中期から後期の画僧、名辰亮、別号菊澗、大雅の画風を学ぶ
元賀(不明-不明)室町後期の画家、雪舟の弟子とされる
玄牛(不明-不明)明治期の画家、書画をよしく、海老の絵を得意とした
源慶(不明-不明)鎌倉前期の画家
賢江祥啓(不明-不明)室町後期の画僧
元興寺玄朝(不明-不明)平安中期の画家
玄朔(不明-不明)江戸時代の画家
玄証(1146?-1206?)鎌倉前期の画僧
元鎮(不明-不明)師石崎元徳
見心来復(1319-1391)中国元代の僧
源信02(0942-1017)平安中期の天台宗の僧侶
玄心堂完永(不明-不明)江戸後期の画家、姓石原、名完永、別号舎山・青雲
元穆(不明-不明)寛政期の南画家、根本常南の仙台画塾「蠖斎社中」に参加
古子方(不明-不明)寛政期の南画家、根本常南の仙台画塾「蠖斎社中」に参加
呉浚明(1700-1781)江戸中期の画家・儒者、山崎闇斎の門人、号孤峯・穆翁、五十嵐浚明と同一
小池曲江(1758-1847)仙台四大画家のひとり、師松林瑶江、別号甘眠堂
小池雪江(不明-不明)師小池曲江
小池仙李(1770-1857)小池曲江の妻
小池梅浦(1784-1850)小池曲江の二男
小泉斐(1770-1854)江戸後期の画家
小泉檀山(1770-1854)江戸後期の画家、名斐、字子章、別号青鸞・檀林斎
小泉探賞斎(不明-1872?)浅野藩御抱絵師
高嵩溪(1760?-1817)高嵩谷の養子
高芙蓉(1722-1784)江戸中期の南画家・儒学者・篆刻家、名孟彪、号永睿、通称大島逸記
高遊外(1675-1763)江戸中期の黄檗宗の僧、売茶翁とも
江稼圃(不明-不明)中国清代の画家、来舶四大家のひとり、字連山、号大来
高乾(不明-不明)沈南蘋が来日した際に同行した弟子の一人
興義(不明-不明)平安中期の画僧
高鈞(不明-不明)沈南蘋が来日した際に同行した弟子の一人
香坂松洲(不明-不明)師小田切寒松軒
鼇山(不明-不明)江戸時代の望月派の画僧
鰲山(1759?-1759)江戸前期から中期の画僧
豪信(不明-不明)鎌倉から南北朝時代の似絵画家、藤原隆信六世の孫
幸田皆春(不明-1830)師宋紫石、藤堂侯に仕える
豪潮寛海(1749-1835)江戸中期から後期の天台宗の僧、字快潮、別号洞竜・旡所得道人・八萬四千煩悩主人
河野栄寿(不明-1802)徳島藩御用絵師、師狩野栄川院典信、狩野派
郷目貞繁(不明-不明)天童市若松観音堂の絵馬「舎人曳駒図」(重文)が残っている
康楽寺円寂(不明-不明)鎌倉・南北朝時代の画僧
康薬寺浄賀(1275-1356)南北朝時代の画僧
高力猿猴庵(1756-1831)江戸中期から後期の画家、高力家七代目、尾張藩士、名種信、通称新蔵のちに与左衛門
高力全休庵(不明-不明)高力猿猴庵の孫
高力種篤(不明-不明)高力猿猴庵の父
高力種英(不明-不明)高力猿猴庵の一族と思われる
高力種昌(不明-不明)高力猿猴庵の祖父
江陵岸賢(不明-1825)長府藩岸派の祖
古☆(1653-1717)江戸時代の画僧、名明誉、号虚舟、☆は「石」+(「門」の中に月)
孤月周林(不明-不明)戦国時代の画家、雪舟の筆意を学んだ
越寛一(1803-1864)師谷文晁
小島左近(1824-1868)幕末の弘前藩士、現存する最古のねぷた絵を描いた
兒島竹處(1805-1868)師佐々木雲屋
小島亮仙(不明-不明)戦国時代の画家
小島老鉄(1793-1852)江戸後期の画家、師山本梅逸、名友一郎・左一郎、別号采風軒・采風外史
呉春(1752-1811)師円山応挙
悟心元明(1713-1785)江戸中期の禅僧・画家・篆刻家
小杉後楽斎(不明-不明)江戸後期から明治期の画家、岡野梅老・渡辺崋山に学ぶ
巨勢相覧(不明-不明)平安前期の画家
巨勢有家(不明-不明)鎌倉後期の画家、姓紀氏、光康の子、巨勢派第十四世
巨勢有久(不明-不明)鎌倉末期から南北朝時代の巨勢派の絵師、巨勢派傍系、有行の三男
巨勢有康(不明-不明)鎌倉・南北朝時代の画家、巨勢派一五世、光康次子
巨勢有行(不明-不明)鎌倉中期の画家、巨勢派傍系
巨勢相見(不明-不明)平安中期の宮廷絵師、巨勢派第二世、絵所絵師、相覧とも
巨勢金岡(不明-不明)平安前期の画家、巨勢派の祖
巨勢堯尊(不明-不明)鎌倉時代の画家、有尊の子、巨勢派一六世
巨勢公忠(不明-不明)平安中期の画家、巨勢派三世、采女正絵所長者
巨勢公望(不明-不明)平安中期の画家、巨勢派四世、造酒正絵所長者
巨勢源尊(不明-不明)鎌倉中期の画家
巨勢是重(不明-不明)平安中期の画家、巨勢派六世、左近将監絵所長者
巨勢惟久(不明-不明)鎌倉時代から南北朝時代の画家
巨勢俊久(不明-不明)南北朝時代の画家
巨勢有忠(不明-不明)鎌倉時代の画家、巨勢派傍系、有行の子
巨勢有宗(不明-不明)平安後期の画家、巨勢派第十世
巨勢永有(不明-不明)鎌倉中期の画家
巨勢信茂(不明-不明)平安後期の画家、是重の子、巨勢派七世
巨勢久行(不明-不明)南北朝期後半から室町初期の画家
巨勢弘高(不明-不明)平安中期の宮廷絵師、巨勢派中興五世、采女正絵所長者
巨勢益宗(不明-不明)平安後期の画家
巨勢光康(不明-不明)鎌倉後期の画家、姓紀氏、永有の子、巨勢派一三世
巨勢宗茂(不明-不明)平安後期の画家、姓紀氏、巨勢派八世
巨勢行有(不明-不明)南北朝時代の画家
巨勢行忠(不明-不明)南北朝期後半から室町初期の巨勢派の絵師、有久の子
児玉探月(不明-不明)雅号から木村探元の門人と思われる
児玉探翠(不明-不明)師狩野探信守道
児玉探翠斎(不明-不明)師狩野探信守道
小玉貞良(1688?-不明)江戸中期の画家、アイヌ風俗画の草分けとされる、号玉円斎・竜円斎
児玉梅坪(1801-1868)江戸後期の画家、頼山陽・佐藤一斎に学ぶ
児玉芳陰(不明-不明)益田市高津の人
己智帯成(不明-不明)奈良時代の画家
小寺玉晁(不明-不明)尾張藩の陪臣、師森玉僊(高雅)
小寺顕義(1775?-1849)盛岡大慈寺の恵観和尚に学んだとされる
小寺芦屋(1827-1870)師山本梅逸・貫名菘翁
後藤月洲(不明-1835)江戸中期から後期の画家、師沼田月斎、通称衛門七・加蔵
後藤芝山(1721-1782)師林榴岡
後藤夕山(不明-不明)江戸後期から明治期の画家、松平雪山の門人、名壬介
古藤探達(不明-不明)雅号から木村探元の門人と思われる
後藤文琳(不明-不明)江戸中期から後期の画家、谷文晁の門人、名幸蔵
後藤方大(不明-不明)広瀬淡窓の叔父月化の肖像画が残っている
後藤田南渓(1807-1866)師山本梅逸
小西松塢(1797?-1845)師浦上春琴
小西眉山(1807-1855)師堀江友声
古波蔵爾方(1767-1832)古波蔵道橋の三男
古波蔵長光(1789-1851)古波蔵爾方の長男
小橋香村(1793?-1859)小橋陶復の子
小橋陶腹(1763?-1820)師釧雲泉
小橋陶復(1764-1820)江戸中期から後期の画家、名信咸、通称市蔵、別号・姑射山人
小橋川朝安(1748-1841)琉球画人五大家、唐名は向元瑚
小浜常慶(不明-不明)師狩野常信
小林玄甫(不明-不明)江戸後期の画家、立原杏所・松平雪山に学ぶ、名抱古
小林秋谷(1793-1827)師増山雪斎
小林西台(1794-1854)西条藩絵師、若宮養徳に学ぶ
小林天淵(1778-1863)江戸後期の画家・書家、師谷文晁、名謹質、字孟素、通称勘右衛門・六郎兵衛
小林豊章(不明-不明)西蝦夷地(北海道の日本海沿岸)と樺太(サハリン)南部を調査し「蝦夷草木図」にまとめた
小林藍溪(不明-不明)佐伯で最も古い画人の一人
古藤養山(不明-1846)師狩野養川院惟信
古藤養真(不明-不明)師狩野晴川院養信
駒井源琦(1747-1797)師円山応挙、姓源
駒井孝礼(不明-1860)師吉村孝敬
駒井常爾(1724?-1807)師池大雅
小宮山桂軒(1692-1737)江戸中期の儒者、林整宇に学ぶ、別号忍亭 
古森癡雲(1790-1858)江戸後期の画家、師西岡邦教・小俣蠖庵
小森守春(不明-不明)師狩野友元
小山渭泉(不明-不明)江戸後期の画家、師野呂介石
小山霞外(1785-1864)江戸後期の儒者・古河藩士
戸来錦嶺(不明-不明)師湯川玉遷・川口月嶺
近藤九渓(1748-1823)名令章・雅久、字子憲、通称求馬、別号楳堂
近藤雪嶺(不明-不明)師加藤雪溪
近藤長次郎(1838-1866)師河田小龍・学塾墨雲洞、幕末に散った志士
近藤洞簫(1653-1693)江戸前期の画家、師狩野洞雲、名益尚、別号丹静斎・自斎
近藤洞蕭(1653-1693)師狩野洞雲益信
近藤芙山(1806-1856)江戸後期の画家、師渡辺清・松野梅山、通称忠三郎、別号煙霞斎・雪翁

【さ行】

西海杖太郎左衛門(不明-不明)室町時代の画家、姓は小野寺、出羽国小野の城主といい、雄勝郡雄勝町小野の人と思われる
在顔(不明-不明)室町期の画僧、遍照院光明寺の住職
税所文豹(1809-1852)師松村景文
財津鏡江(1839-不明)家業は銭湯業、画をよくした
財津天民(1804-1853)師十市石谷
斎藤伊織(不明-不明)江戸末期の画家、陸奥会津藩士
斎藤香玉(1814-1870)師渡辺崋山、崋山十哲のひとり、通称よの
斎藤秋圃(1769-1861)師円山応挙、名相行、通称市太郎・惣右衛門、別号葦行・双鳩
西塔太原(1797-1848)師設楽東玉斎・谷文晁
斎藤太原(1789-1848)師菅井梅関
斎藤等順(不明-1626)師雲谷等顔
斎藤☆太郎(不明-不明)江戸後期の画家、☆は「燐」の「火」を「王」に入れ替え
佐伯岸駒(1756-1839)江戸中期から後期の画家、姓佐伯氏、名昌明
佐伯岸岱(1782-1865)江戸後期の画家、岸駒の子、号卓堂、字君鎮
佐伯岸良(1798-1852)江戸後期の画家、名子良、号雲楼、岸駒の子
佐伯景幽(1813-1869)師堀江友声
三枝真洞(1840-1868)師藤本鉄石
酒井藍山(不明-不明)江戸後期から明治期の画家、後藤文琳の子で酒井家を継いだ
酒井宗雅(1755-1790)姫路藩主、酒井抱一の兄
酒井鶯蒲(1808-1841)江戸後期の画家、江戸市ケ谷浄栄寺の住職、酒井抱一の養子、法名詮真、別号鷺浦
酒井抱一(1761-1829)江戸中期から後期の絵師・俳人、狩野派など広く学んだが光琳に傾倒し、光琳を基礎とし独自の画風を打ち立てた
阪上淇澳(不明-不明)江戸後期の画家、師野呂介石、阪上素玉の夫
阪上漱雪(1765-1847)江戸後期の画家、師野呂介石
阪上素玉(不明-不明)江戸後期の画家、師野呂介石、阪上淇澳の妻
阪上梅圃(不明-不明)江戸後期の画家、師野呂介石
彭城百川(1697-1752)江戸中期の南画家、別号蓬洲・八仙堂、元明南宋画法研究
榊原翠塘(不明-1870)江戸後期の表具屋・彫刻家、師石峰、名孫兵衛
坂場奇一(不明-不明)江戸後期から明治期の画家、松平雪山の門人、名時成、号荷亭
酒巻☆宜(不明-不明)師立原杏所、☆は「行」から「彳」をトル
坂本愛熊(1873-不明)師父坂本芳道・佐多椿斎
坂本浩雪(1800-1853)医業のかたわら本草の学問を研究、余暇に筆をとって画を研究した
坂本常以(不明-不明)師狩野常信、坂本養伯の父
坂元常有(不明-不明)師永井慶竺
坂本養伯(1662-1730)師狩野常信
崎山喜梢(1645-1710)崎山喜俊の長男
崎山喜俊(1626-1687)琉球の絵師、唐名:李基昌
崎山喜政(1674-1753)崎山喜梢の長男
崎山喜安(1704-1756)崎山喜政の二男
佐草春主(1794-1862)師千家尊孫
佐久間栄学(1730-1773)佐久間如節の養子、師狩野栄川院典信
佐久間玄徳(1607-1669)佐久間修理の子、仙台藩御用絵師
佐久間左京(1581-1657)仙台藩最初の御用絵師
佐久間草偃(不明-1828)師松村呉春
佐久間洞巌(1653-1736)江戸前期から中期の書画家・儒者、師狩野洞雲、仙台藩御用絵師
佐久間如琢(1681-1745)佐久間洞巌の養子
佐久間盛芳(1798?-1859)森藩の用人、画をよくした
佐久間友徳(1633-1688)佐久間玄徳の子、仙台藩御用絵師
佐久間六所(1782-1853)佐久間洞巌の子孫、仙台藩御用絵師
桜井才次郎(1678-1753)江戸中期の画家、水戸藩士
桜井雪館(1715-1790)江戸中期の画家、雪舟派の復興につとめ、自ら雪舟十二世と称した
桜井雪保(1754-1824)桜井雪館の娘、名は保子、号は秋山・桂月・小雲谷
櫻間清厓(1785-1851)江戸後期の南画家・岡崎藩士、師渡辺崋山、別号迂亭
佐香貫古(1812-1870)師渡辺広輝・住吉広定、住吉派
左合龍山(1754-1779)江戸中期から後期の漢詩人
左近司惟春(不明-不明)師目賀多家・小田切寒松軒・加藤文麗
佐々十竹(1640-1698)江戸前期の史学者、名宗淳、字子朴、通称介三郎、別号十竹斎
佐々重晁(1793-1846)江戸後期の水戸藩の儒者、西村氏、字明侯、別号了斎
笹川遊泉(不明-不明)狩野派、笹川遊原の父
佐々木鶯郷(不明-不明)金工、画をよくした
佐々木應陽(1777?-1853)師円山応挙
佐々木月岱(不明-1870)江戸後期の画家、師吉川君渓・岡本清暉
佐々木玄仲寿信(1714-不明)徳島藩御用絵師の家系・佐々木家の絵師
佐々木作之丞(不明-不明)徳島藩御用絵師の家系・佐々木家の絵師
佐々木縮往(1648-1733)萩藩儒者
佐々木信之丞(不明-不明)徳島藩御用絵師の家系・佐々木家の絵師
佐々木晴洲(1803-1856)江戸後期の画家、師藍江・巌松
佐々木晴造(不明-不明)徳島藩御用絵師の家系・佐々木家の絵師
佐々木泉景(1773-1848)江戸後期の画家、名為絢、別号彩雲、師鶴澤探山、前田藩絵師、叙法眼
佐々木唯照(不明-不明)徳島藩御用絵師の家系・佐々木家の絵師
佐々木忠兵衛寿照(不明-不明)徳島藩御用絵師の家系・佐々木家の絵師
佐々木忠兵衛信照(不明-不明)徳島藩御用絵師の家系・佐々木家の絵師
佐々木定之丞(不明-不明)徳島藩御用絵師の家系・佐々木家の絵師
佐々木信照(不明-不明)徳島藩御用絵師の家系・佐々木家の絵師
佐々木典照(不明-不明)徳島藩御用絵師の家系・佐々木家の絵師
佐々木原善(不明-不明)江戸中期から後期の画家、南蘋派の熊斐の高弟・松林山人に師事、別号松峯山人・分水・楚宝など
佐々木由仙常照(不明-不明)徳島藩御用絵師の家系・佐々木家の絵師
佐々木養郭(不明-不明)徳島藩御用絵師、狩野派
佐々木養郭惟照(不明-不明)徳島藩御用絵師の家系・佐々木家の絵師
笹山養意(初代)(不明-1743)長府藩御用絵師、藤原常伝、師狩野常信
笹山養意(2代)(不明-1780)長府藩御用絵師、藤原甫伝、常伝の子
笹山養意(3代)(不明-1815)長府藩御用絵師、藤原美彦、甫伝の養子
笹山養意(4代)(不明-不明)長府藩御用絵師
佐世清宗(不明-不明)雲谷派
佐田月溪(不明-1837)文武に精通し唐画を得意とした
佐田宣文(不明-1632)法橋に叙せられた
佐々木雲屋(1776-1831)師長町竹石
佐竹☆々(1738-1790)師池大雅、☆は「口」+「會」
佐竹曙山(1748-1785)江戸中期の洋風画家・秋田藩主、秋田蘭画、小田野直武に洋画を学んだ
佐竹南岳(1849-1868)江戸後期の画家、湯沢十三世の城代、諱義誠、幼名新発意・三郎・淡路
佐竹蓬平(1750-1807)江戸中期から後期の画家、号亀文石主人、大雅門
佐竹義敦(1748-1785)出羽国久保田藩第8代藩主
佐竹義方(1683-1710)江戸初期の画家、大館の五代目城代、東家の義秀の五子で養子になった
佐竹義格(1695-1715)江戸初期の画家、出羽久保田藩の第四代藩主
佐竹義祚(1819-1858 )江戸後期の画家、師岡田閑林、初名義矩、字永錫、号松林堂・三斎
佐竹義文(1770-1825)江戸中期から後期の画家、佐竹氏一門の佐竹北家第十四代当主
佐竹義和(1775-1815)江戸中期から後期の画家、江戸後期の秋田藩主、号は泰峨、足知斎など
佐竹義躬(1749-1800)江戸中期から後期の洋風画家・武士、直武に洋画を学んだ、秋田角館城代
佐々槻子(1795-1867 )江戸後期の画家・歌人
佐藤鴎波(1815-1859)師岡本豊彦・広瀬淡窓
佐藤☆斎(不明-1865)江戸後期の画家、☆は「たけかんむり」に「均」
佐藤謙斎(不明-不明)仙台風藻に詩が収録されている
佐藤香雲(不明-不明)幕末の画家
佐藤周鱗斎(1776-1838)延岡藩の絵師
佐藤松溪(1811-1853)江戸後期の画家、名延昌、字中卿、通称量平、青山雲龍の子、佐藤中陵の養子
佐藤端周(不明-不明)文政頃の出雲の人で画事を好んだ
佐藤雪斎(不明-1866)師目賀多家
佐藤雪門斎(不明-不明)明治期の画家
佐藤大寛01(不明-1848)江戸後期の画家、師鈴木鳴門、名大寛、字栗
佐藤中陵(1762-1848)江戸中期から後期の水戸藩の本草家、名成祐、字子綽、通称平三郎
佐藤陶崖(1787-1843)師小橋陶復
佐藤東岸(1785-1864)師東東洋
佐藤桃月(1782-1857)南画風の花鳥画を得意とした
佐藤東嶺(不明-1853)師東東洋
佐藤南澗(不明-1807)江戸中期から後期の画家、諱徳柄、字大謙、別号欄干坊
佐藤南潤(1749-1807)師円山応挙、名徳柄、通称次郎兵衛、字大謙
佐藤梅塢(1774-1848)師井川鳴門、名大寛、通称新兵衛、字君粟
佐藤梅宇(不明-1857)師谷文晁
佐藤白麟(1833-1856)江戸後期の画家、師塩川文麟、通称俊三郎、別号文陵
佐藤米河(不明-不明)江戸中期から後期の画家、別号米川、放浪の画人といわれるが足跡は不明
佐藤文永(1735-1814)師佐々木文山


佐藤正持(1809-1857)江戸後期の画家、師春木南湖・谷文晁、通称理三郎、号北溟
佐藤幽美(1870-1869)本名勇美、平福穂庵に師事
佐渡山安健(1806-1865)琉球画人五大家、唐名:毛長禧
佐渡山安懿(1759-1827)琉球の絵師、唐名は毛光山、佐渡山安因の二男
佐野柿園(1797-1835)師帆足万里、田能村竹田と交遊
佐野秋華(不明-1814)江戸中期の画家、名公栗、通称周平、左忠豊と称して天明・寛政年間に活躍し尾張南画の先駆けとなった
佐野東庵(1795-1858)師田能村竹田・広瀬淡窓
佐野盛致(不明-不明)江戸後期から明治期の画家、松平雪山の門人
佐分柳喬(不明-1853)江戸後期の画家、師野村玉渓、通称新右衛門
さぶろく(不明-不明)「おもろさうし」に登場する絵師
座間味庸昌(1718-1767)琉球画人五大家、唐名は殷元良
猿川英昌(不明-不明)師能勢探龍、永井慶竺の養子
猿田柏丘(1801-1839)江戸後期の画家、通称銀平、諱光邦、字叔明
猿橋義近(1746?-1801)猿画を得意とした
佐和華谷(1759-1831)師中林竹洞
沢呉峡(不明-1855)師中林竹洞
佐脇嵩之(1707-1772)江戸中期の画家、名道賢、字子嶽、号一翠斎、英一蝶門
佐脇嵩雪(1736-1804)江戸中期から後期の画家、字貫多、号中岳斎、父嵩之門
沢岻安長(1798-1825)首里士族
沢畑松嶺(不明-不明)高橋璞斎に学び、後に佐藤きん斎
沢山巾逸(1808-1869)師松村呉春、四条派
三田花農(1843-1859)名忠敬、字子顕、別号誉高、法橋三田忠純の子
山東京伝(1761-1816)江戸中期から後期の戯曲者・浮世絵師、北尾重政に学び北尾政演と名乗る、山東京山は弟
紫雲(不明-1782)画僧、高松霊源寺住職
塩路鶴堂(不明-不明)江戸後期の画家、円山派
塩田牛渚(1828-1866)師鉄翁祖門・木下逸雲
塩谷大四郎(1710?-1788)日田代官、歌俳・画をよくした
塩谷景山(不明-不明)江戸後期の画家、師鎌田景麟
式部輝忠(不明-不明)室町後期の画家
重田蘭渓(1799-1857)谷文晁の門人・谷文昇に学び、また彫刻も巧みだった
重冨蕉吾(1795-1858)師中林竹洞
慈光寺春叢(1704?-1793)阿波国慈光寺主
獅子目静雲(不明-不明)狩野派風の画を描いた
獅子目清雲(不明-不明)薩摩の狩野派の絵師と思われる
志静(1784-1854)師楠瀬大枝
設楽東玉斎(不明-不明)文化・文政期の漆山陣屋付き絵師
日観子温(不明-不明)中国南宋から元初の画僧
實山(不明-1751)讃岐の画僧、狩野派
蔀関牛(不明-不明)江戸後期の画家、蔀関月の子
蔀関月(1747-1797)江戸中期から後期の画家、蔀関牛の父、師月岡雪鼎、名徳基、字子温・阮二、通称源次郎
子曇(1249-1306)鎌倉後期の画僧
篠崎小竹(1781-1851)江戸後期の画家・儒者、号畏堂、梅花書屋
篠島元琪(不明-不明)師石崎元徳
篠山養意(不明-1743)師狩野常信
司馬琴香(1801-不明)臼杵の人
司馬江漢(1747-1818)江戸中期から後期の洋風画家・蘭学者、日本で初めて腐蝕銅版画制作に成功、鈴木春重と同一
司馬江南(不明-不明)江戸後期の画家
柴秋邨(1830-1871)江戸幕末の儒学者、師大沼沈山・広瀬旭荘
芝琳賢(不明-不明)戦国時代の画家、東大寺大仏殿縁起、春日派
柴田義董(1780-1819)江戸後期の四条派の絵師、四条派、字威仲、号琴緒
柴田義峰(不明-不明)柴田義董の子
柴田西涯(不明-不明)江戸中期の画家、名は玄龍、景浩
柴山亭々(不明-不明)柴山東巒の娘
柴山東巒(1800-1848)江戸後期の画家、師山本梅逸、名準春、字志賀三、通称先之、別号漂麦園・愛蝶軒
渋谷道勝(不明-1851)師山県鶴江
島霞谷(1827-1870)幕末から明治期の洋風画家・写真家、師椿椿山
嶋琴江(1821-不明)師父琴陵
島琴陵(1782-1862)江戸で人をあやめたため長崎へ逃げたとされる。師は定かでないが南蘋風
島半閑(1849-不明)美人画、師三畑如龍
島崎雲圃(1731-1805)江戸中期から後期の画家、師高田敬輔、名輔吉、字黄裳、通称泉司、別号蝦蟆窟
島崎呉江(1795-1853)師楠瀬大枝
島田(谷)元旦(1778-1840)江戸後期の絵師、文晁の実弟、鳥取池田侯の臣
島田探龍(不明-1778)津和野藩士、師狩野探常
島田充房(不明-不明)江戸中期の本草家、号雍山
島田与惣治(1784-1829)豪農
島田鸞洞(1736-1819)江戸中期から後期の南画家、師円山応挙、本姓紀、名元直、字子方、別号後素軒
島津継貴(1650-1704)島津家20代
島津継豊(1701-1760)島津家22代
島津綱久(1632-1673)島津光久の子
島津光久(1616-1694)島津氏19代
島津宗信(1728-1749)島津継豊の子
島袋宗仲(1799-1853)島袋宗雍の長男
島袋宗封(1794-1865)島袋宗雍の長男
島村庭暉(不明-不明)江戸後期の画家、水戸藩士、内藤右膳に学ぶ、名伝、号南圭
島本蘭溪(1772-1855)師松村蘭台、幕末の土佐藩士
清水曲河(1747-1819)師谷文晁
清水☆山(不明-不明)藤堂歸堂の奮臣、☆は「糸」+「兼」
清水謙堂(不明-不明)清水謙斎の子
清水諸葛監(1717-1790)南蘋派
清水静斎(1717-1790)江戸中期の南画家、字子文、別諸葛監・静斎、柴石門
清水天民(不明-不明)江戸中期の画家、市川君圭・岸駒に学ぶ、『雲遊文蔚』に谷文晁・司馬江漢らと挿図を描いている
清水東園(1824-不明)師斑目東雄・東東莱
清水有声(1902-1853)師川合玉堂、名彦輔、別号玉琴
下野九峰(不明-不明)江戸後期から明治期の画家、水戸藩士、下野雪篁の子、名仁
下野雪篁(1823-1865)江戸後期の画家、名遠明、通称隼次郎、水戸藩士下野遠歴の子
下村丹山(1804-1866)師松野梅山、名実頴、通称鉄造、別号湛山・藍衣斎
謝天游(不明-不明)福建画壇の画家
蛇玉(不明-不明)南画家
釈思玄(1786-1845)江戸後期の画僧、村松以弘に師事
周之☆(不明-不明)☆は「免」の上に「日」
秋色(1669-1725)歌人画家、名あき、お秋、号菊後亭
秋月等観(不明-不明)室町中期の画家、師雪舟等楊
周耕(不明-不明)室町時代から戦国時代の画僧、雪舟傍系、入唐研鑽
周崇(1345-1423)記録的に阿波で最も古い画人
重直(不明-不明)八束郡鹿島町の人
周徳(不明-不明)室町後期の画家
秀文(不明-不明)室町前期に李朝朝鮮より来日した画家と推測
周文(不明-不明)室町中期の禅僧・画僧
周黙(不明-不明)江戸後期の画家、桜井雪館の門人
順梁亨(不明-不明)福建画壇の画家
俊賀(不明-不明)鎌倉前期の画家
春休(不明-不明)戦国から安土桃山期の画家、常陸水戸の人
春小(不明-不明)摂津の出身で出雲に住んだ
春叢(1751-1839)僧、北宗画
春嶺(不明-不明)掛川藩のお抱え医師、内藤春嶺
城義隣(1784-不明)唐絵、油絵、泥絵などを手掛けた
浄阿坊(1782-1858)江戸後期の画家、本名政継、別号水滸山人・宗宝・一葉山人・小泉正統・月廼舎・顕徳
浄賀(1275-1356)鎌倉後期から南北朝の画僧、浄土真宗康楽寺住持、宅磨派に学ぶ
証覚(不明-不明)師池大雅
松花堂昭乗(1584-1639)江戸前期の真言宗の僧侶・文化人
松丘(1765-1833)紀州吹上寺の住職、松丘道人、紫陽和尚
正行寺大有(不明-不明)中津古城・正行寺主
正慶尼(不明-1806)師柳沢淇園、匠俗名は雪、号は正慶
松谿(不明-不明)室町中期の画家、詫磨派
祥啓(不明-不明)室町中期の画僧、鎌倉建長寺塔頭宝珠庵の住僧
庄司文☆(1782-1852)江戸後期の画家、☆は「漓」の「さんずい」を「虫」
正住肅叟(1808-1868)師父岡村鳳水
祥瑞(1750-1823)師中慈雲師
定智(不明-不明)平安後期の画僧
承澄(1205-1282)鎌倉中期の天台密教の画僧、法性寺忠通の曽孫
松亭(不明-不明)寛政期の南画家、根本常南の仙台画塾「蠖斎社中」に参加
成忍(不明-不明)鎌倉前期の画僧、号恵日房、京都高山寺の明恵上人の弟子
相李田次万呂(不明-不明)奈良時代の仏工・画工
松林院(不明-不明)肥前藩主松浦棟の正室
徐霖(1462-1538)室町後期・明代の画家
諸葛監(1717-1790)江戸中期の画家、唐画の上手とされ南蘋風の作品に定評があった、号静斎・湖南
如水宗淵(不明-不明)室町後期の画僧、師雪舟
如拙(不明-不明)室町前期の相国寺の画僧
如龍(不明-不明)師吉原真龍
如蓮(1785-1858)江戸後期の画僧、大寅和尚禅師、神龍寺住職


白井華陽(不明-1836)江戸後期の画家、師岸駒・岸岱、名景広、字士潤、通称貞介
白井直賢(不明-不明)江戸後期の画家、字子斉、応挙門
白石探隠(不明-不明)師木村探元
白神☆々(1777-1856)江戸後期の画家、師柴田義董、☆は「白」+「皐」
白谷卜斎(不明-1658)都城島津家の最初の絵師、師狩野光信
自了(城間清豊)(不明-不明)琉球の絵師、唐名は欽可聖
城間清豊(1614-1644)琉球画人五大家、唐名:自了、欽可聖
沈南蘋(1682-不明)江戸中期に来日した清の画家、字衡斉
信海(不明-不明)鎌倉後期の画僧
信海玉盧(不明-1688)師松花堂
心岩(1647-1706)浄土宗大円寺の僧
真季(不明-不明)室町時代の絵師
深賢(不明-不明)平安末期から鎌倉前期の画僧
真済(0800-0860)平安前期の画僧
水雲居(不明-不明)寛政期の南画家、根本常南の仙台画塾「蠖斎社中」に参加
酔煙(不明-不明)明治幕末の画家
遂翁元盧(1717-1789)江戸後期の臨済宗の僧、白隠慧鶴に師事
水琴女史(不明-不明)江戸後期の画家、妙齢にして見識高く、書画ともに堪能といわれた
末広雲華(1773-1850)頼山陽・田能村竹田と交友
末藤要造(不明-不明)師小橋陶復
菅江嶺(1762-1852)師山県鶴江・岸駒・春木南湖
菅井梅関(1784-1844)仙台四大画家のひとり、師谷文晁・江稼圃、別号東斎
菅江真澄(1754-1829)江戸中期から後期の画家・紀行文作家
菅谷秀谷(1797-1854)江戸後期の画家、名君恒、通称銀治、別号松声斎・大平庵、狩野秀水の門人
菅原曲渓(1778-1832)師小池曲江
菅原晋斎(不明-不明)仙台藩の狩野派の絵師
菅原素遊(不明-不明)岩手水沢の人、肖像画を得意とした
菅原洞旭(1817-1869)菅原洞斎の子
菅原洞斎(1772-1821)秋田藩江戸定居の御用絵師
菅原寅吉(不明-不明)江戸中期から後期の秋田蘭画の画家、菅原北明の父、生け花では応機斎其得と号した
杉浦雲渓(不明-不明)師谷文晁・松村景文・狩野勝川
杉浦桐邨(1801-1842)師東東洋・鉄翁祖門
杉浦溟一(不明-不明)江戸後期から明治期の画家、春木南溟に学ぶ、名熈
杉谷行直(1790-1845)矢野派、師衛藤良行
杉沼無牛(1804-1845)師菊田伊洲
杉野怡雲(1791-1865)師岡本豊彦
杉山一元(1637-1732)師狩野昌運・英一蝶
杉山正仲(1725-1793)久留米藩士
介川南溟(不明-不明)江戸後期の画家、通称時也、字通経、謙と称して竹の絵をよく描いた
介川緑堂(1780-1847)江戸後期の画家
鈴江貫中(1831-1868)徳島藩御用絵師、師渡辺広輝・住吉広定、住吉派
鈴江孝之助(不明-不明)吉成葭亭のはじめの師、四条派
鈴川玉簾(不明-不明)大坂で淵上旭江と同居した女性画家
鈴木楽堂(不明-1855)江戸後期の画家、小泉斐の門人、名市重郎
鈴木鵞湖(1816-1870)江戸後期から明治期の画家、師谷文晁、石井鼎湖の父、石井柏亭の祖父
鈴木其一(1796-1858)江戸後期の絵師、酒井抱一の実質的な後継者で絵のほかに俳諧や茶も学んだ
鈴木月湖(不明-不明)江戸後期の画家、師月僊
鈴木三岳(不明-1854)江戸後期の俳人・画家、師青々處卓池、通称與兵衛
鈴木三橋(1768?-1825)長町竹石と交友
鈴木若水(不明-不明)江戸中期の画家、字は伯栗、穂寛、通称は平九郎
鈴木春山(1801-1846)江戸後期の蘭方医・兵学者、号童浦
鈴木松塘01(不明-1845)師宇佐美太奇
鈴木小蓮(1779-1803)師皆川淇園・鈴木芙蓉
鈴木助三郎(不明-不明)江戸中期の画家、水戸藩士桜井才治郎の門人
鈴木青玉(1780?-1857)師春木南湖
鈴木棲鳳(不明-不明)名采女、字采藻
鈴木素陵(不明-1849)江戸後期の画家、狩野素川・章信に師事
鈴木蘭皐(不明-不明)師呉春
鈴木東海(1720-1802)江戸中期から後期の画家、水戸祇園寺の住職、名宝鼎、桜井雪館に師事
鈴木南嶺(1775-1844)江戸後期の画家、名順、別号観水軒、岡本豊彦門
鈴木梅山(不明-不明)三代続いた本荘藩の御用絵師とみられる
鈴木豹斎(不明-1835)松阪の人、蝦夷で活動した
鈴木不求(1703-1775)江戸中期の画家、名義寛、通称善八郎
鈴木芙蓉(1749-1816)徳島藩御用絵師、師黒川亀玉、名雍、字煕、号老蓮
鈴木文鴎(1823-1864)江戸後期の画家、宇佐美太奇の門人、名文次郎
鈴木文鱗(不明-不明)東磐井郡松川の人
鈴木萬悦(不明-不明)江戸後期から明治期の画家、山内勝春の門人
鈴木鳴門(不明-1840)徳島藩御用絵師、鈴木芙蓉の養子、名積、字一善、通称清次郎、別号淡墨斎
鈴木蠣潭(1782-1817)江戸後期の画家・武士、字規民、酒井抱一門
須藤久甫(不明-1763)師狩野興益
須藤周甫(不明-不明)狩野派
住芸文(1778-1853)円山派を学ぶ
巣見東苑(不明-不明)江戸中期の画家、名巣敏、字修父(甫)、通称治平、丹羽嘉言と親交があった
巣見来山(1757-1821)江戸中期の画家、名握固、字赤子、別号石坡、丹羽嘉言を慕い画を学んだ
墨江武禅(1734-1806)江戸中期から後期の画家、月岡雪鼎の門人、号朦朧斎・心朧斎
住吉具慶(1631-1705)江戸前期の絵師、住吉如慶の子、幕府御用絵師、丸顔の愛らしい人物表現を特色とした
住吉慶恩(不明-不明)鎌倉時代の画家、姓藤原、住吉派祖
住吉如慶(1599-1670)江戸前期の大和絵の絵師、住吉派の祖、名広通、住吉絵所を再興
住吉弘定(1793-1863)江戸後期の画家、住吉廣尚の弟、大横物を得意とし晴川院のもとで江戸城障壁画制作にも携わった
住吉広隆(1786-1831)江戸後期の画家
住吉弘貫(1793-1863)江戸後期の画家、名弘定、徳川幕府御絵師、住吉広行の二男
住吉廣尚(1781-1828)江戸後期の画家、廣行のあとを継いだが48歳で没した、和画の鑑定をよくしたと伝わる
住吉広夏(1641-1730)江戸前期から中期の画家、広通の二男、法名鶴洲
住吉廣守(1705-1777)江戸中期の画家、住吉廣保の子、御用絵師、小石川御箪笥町に町屋敷
住吉広保(1666-1750)江戸前期から中期の画家、別号内記・内蔵允、晩年至石
住吉広行(1755-1811)江戸中期から後期の画家、幕府絵師、別号景金園、通称内記
須山素朴(1838-1865)儒者、土井ゴウ牙の女婿
陶山文帖(不明-不明)松江の画工
諏訪鵞湖(1764-1849)武官の職にあって画をよくした
性安(不明-不明)室町期の画僧、溝山寺の住職、祥啓に学ぶ、号梅庵
瀬川永知(不明-1730)津和野藩士、師狩野永叔
関石城(不明-不明)岸派の画家
関口雪翁(1753-1834)津山藩の儒者
石谿(1612-1674)江戸前期・中国明末・清初の僧・画家、雪舟・牧谿を慕う
石斉(不明-不明)師岡本俊彦
石室(1294-1389)相模国圓学寺の画僧
是山(1732-1811)江戸中期から後期の画家、幼名大助
赤脚子(不明-不明)室町時代の東福寺明兆系の画僧
雪渓(1813-1857)江戸後期の画家
雪好02(不明-不明)特異なアイヌ像を描いた
雪斎(不明-不明)南画家
雪舟等楊(1420-1506)室町後期の画僧、周文系、中世における水墨画の大成者
拙宗等揚(不明-不明)室町時代の画家
雪深等沢(不明-不明)戦国時代の画家
雪村周継(1504?-不明)戦国時代から安土桃山時代の禅僧・画僧、三春に雪村庵を構え奇態な人物描写や波の表現を完成させた
雪津(不明-不明)雪舟門
雪亭(不明-不明)寛政期の南画家、根本常南の仙台画塾「蠖斎社中」に参加
雪洞山人(不明-不明)江戸中期の画家、精巧な猫の画を描いた
雪鯉(不明-不明)安来の人、富岡鉄斎の門人と伝わる
瀬戸貞好(不明-不明)簸川郡大社町杵築の人
瀬戸口永雲(不明-不明)師父瀬戸口栄春
瀬戸口栄春(不明-不明)師狩野栄川院典信
瀬戸口養元(不明-不明)師狩野養川院惟信
妹尾黄鶴(不明-不明)明治期の画家
瀬谷桐斎(1773-1833)江戸後期の儒者
僊可(不明-不明)室町後期の画僧
仙厓義梵(1750-1837)江戸中期から後期の臨済宗古月派の画僧
千巌元長(1566-1643)中国元代の僧
千呆(不明-不明)筑前の画僧
千家清足(1770-不明)国学者、師本居宣長・八田古秀
仙蝶斎素峯(不明-不明)柳川市出来町竜蔵院の住職、狩野派眠蝶斉の門人
宋紫岩(不明-1760)中国・清の画家、沈南蘋の弟子といわれる、名岳、号石耕
宋紫岡(1781-1850)江戸後期の画家
宋紫山(1733-1805)江戸中期から後期の画家、宋紫石の子、父の画法に忠実に従った、尾張藩御用絵師
宋紫石(1715-1786)江戸中期の南蘋派の画家、態斐・宋紫岩に学ぶ、余白を多くとり軽く明るい画面を生み出した
宋紫崗(1781-1850)宋紫山の子
相阿弥(不明-1525)室町後期の絵師、真芸の子、号松雪斎、真相とも称した
宗淵(不明-不明)室町時代の画僧、号如水、円覚寺僧、雪舟師事
草加堯墻(不明-不明)南画をよくした、沈南蘋に学んだとされる
巣雪僊可(不明-不明)戦国時代の画僧、啓書記門流
相馬松陵(不明-1856)浄雲寺寺主
荘門為斎(1778-1836)師岡村鳳水
蒼龍山人(不明-不明)寛政期の南画家、根本常南の仙台画塾「蠖斎社中」に参加、栗原郡花山村の城国寺の天井画を描いた
曾我蛇足(不明-1483)室町後期の曾我派を代表する絵師、実体は不明な点が多い
曽我秀文(1452-1530)明からの帰化人
曾我紹祥(不明-不明)戦国時代の画家、曾我紹仙の子
曾我紹仙(不明-不明)戦国時代の画家、名玄仙、蛇足男
曾我蕭白(1730-1781)江戸中期の画家、別号如鬼・蛇足軒
曾我宗誉(不明-不明)室町時代の曾我派の絵師、曾我派四代目とされる、曾我蛇足を名乗ったともいわれる
曾我直庵(不明-不明)安土桃山時代の絵師
曾我二直庵(不明-不明)江戸前期の絵師、曾我直庵の子
曽岳(不明-不明)福建画壇の画家
曽木墨荘(1772-1838)田能村竹田と親交があった
即非如一(1616-1671)江戸前期に明から渡来した黄檗宗の僧
蘇山玄喬(1799-1868)江戸後期の画家
祖庭(1804-1866)江戸後期の画家
曽根琴峯(不明-不明)松江の人
薗井守供(1626-1717?)江戸前期から中期の画家
園田洞兆(不明-1849)森藩絵師
園田南坡(1812?-1872)森藩絵師、師春木南溟、園田洞兆の養子
薗部屋東渠(不明-不明)江戸後期の画家、師野呂介石
祖父江洞常(不明-1855)師狩野洞春、狩野派
曾和温山(1748-1797)四条派を学ぶ、松阪の人
孫君沢(不明-不明)14世紀の中国・元代の画家
孫師昌(不明-不明)福建画壇の画家
孫億(不明-不明)福建画壇の第一人者
尊海(不明-不明)室町中期の絵仏師
尊智(不明-不明)鎌倉前期の画僧

【た行】

大瀛(1759-1804)江戸時代後期の画僧
対岳(不明-1855)石井東江の弟子と伝わる
大雅堂清亮(1807-1869)京都双林寺第三十七世住職
大含(1773-1850)江戸後期の浄土真宗の僧、別名末広雲華
大鵬(1691-1774)明の書家・画家
大文字屋市兵衛(1777-1846)三代、大文字屋は江戸新吉原京町の妓楼、歴代市兵衛は酒井抱一のパトロン的存在
平淳吉(不明-不明)寛政期の南画家、根本常南の仙台画塾「蠖斎社中」に参加
平曼容(不明-不明)師大西酔月
大楽朴水(1696-1769)師狩野永信
高嵩谷(1730-1804)江戸中期から後期の画家、字子盈、号屠龍翁・楽只斎
高岡掌山(不明-不明)医師、書と南画にすぐれた
高木一岳(不明-不明)大社町杵築の人
高木空洞(1808-1872)南画、上村米山の弟
高木雪居(不明-不明)江戸後期の画家、師谷文晁・中林竹洞、名秀真、通称八郎右衛門、別号大応
高木萬水(1819-1865)師山本梅逸
高木文仙(不明-1872)師谷文晁・木下逸雲、津に住み藤堂家に仕える
高木豊水(不明-1858)小倉藩絵師、師岡本豊彦・広瀬淡窓
高久靄崖(1796-1843)江戸後期の南画家、師文晁、別号如樵・疎林外史
高久隆古(1810-1858)渡辺清・浮田一蕙に古代大和絵を学んだ、高久靄崖の養子、別名高隆古
高階隆兼(不明-不明)鎌倉後期の宮廷絵所絵師
高階隆盛(不明-不明)南北朝時代の画家
高島千春(1777-1859)江戸後期の画家、通称寿一郎、号鼎湖・融斎
高島孫右衛門(不明-不明)土佐の狩野派、高知城三の丸に障壁画を描いた
高須甘棠(1802-1872)近世壬生の画人
高須梅室(不明-1776)江戸中期の北宋の漢画家、麦雪の孫、通称嘉兵衛元敦、字稚原
高田円乗(不明-不明)師加藤文麗、容斉の師、名正和、号文庸斎
高田敬輔(1674-1755)江戸前期から中期の画家、狩野系、別号竹隠斎、叙法眼
高田敬甫(1673-1755)師狩野永敬
高田太郎庵(1683-1763)江戸中期の画家、師狩野常信
高田良斎(1684-1763)江戸時代の画家、号朴黄孤、狩野堂信門
高梨雲結峰(不明-不明)隠岐の人、島前焼火神社に絵馬がある
高野雪塘(不明-不明)江戸後期から明治期の画家、松平雪山の門人、林十江の従弟
高橋杏村(1804-1868)江戸後期の画家、師中林竹洞、別号爪雪
高橋旭香(不明-不明)幕末から明治期の画家
高橋空中(1742-1804)狩野風を学ぶ、彫刻・陶芸をよくした
高橋卦斎(1796-1852)江戸後期の画家、本名茂親、通称藤吉、別号載陽軒・松涛庵・雲客居士、俳号五英
高橋月庵(不明-不明)江戸後期から明治期の画家、春木南溟の門人、名明
高橋光房(不明-不明)師池添楊斎、狩野派
高橋草坪(1804-1835)師田能村竹田
高橋琢斎(1809-1866)江戸後期の画家
高橋東華(1734-1801)師熊代熊斐
高橋波香(不明-不明)師蠣崎波響
高橋波藍(不明-不明)師蠣崎波響
高畠一溪(不明-不明)師大西雪溪
高林方朗(1769-1847)江戸後期の国学者
高原里之子親雲上(不明-不明)首里士族
高原竹窓(1746?-1836)画・彫刻をよくした
鷹部屋春鳩(1828-1862)師貫河堂・高久靄崖、名季固、通称新右衛門、字日華
高間春渚(1756-1786)江戸中期の画家、師磯谷滄洲、名明遠、通称増兵衛、別号清環堂主人
田上菊舎(1753-1826)歌人画家・女流俳人、名道、号一字庵
高森観好(1750-1831?)江戸後期の蘭学者
財部盛陳(不明-不明)江戸初期に活躍した都城の絵師、師阿久根能賢
財部常之(不明-不明)師狩野常信
滝尾文谷(不明-不明)江戸中期から後期の画家、別号画仙堂・雪香堂・泉石斎、文晁の門
滝口国成(不明-1848)土佐唯一の土佐派、師土佐光貞、川村清之助に私淑
滝沢昌良(1771-1843)江戸後期の画家
多久茂文(1669-1711)多久三代邑主
琢斎(不明-不明)寛政期の南画家、根本常南の仙台画塾「蠖斎社中」に参加
田鎖鶴立斎(1773-1829)盛岡藩の漢画家
田口葵皐(不明-不明)黒田家の家臣
田口四軒(不明-1828)俳諧俳画をよくした
田口慮慶(不明-不明)肖像画を得意とした
詫磨栄賀(不明-不明)南北朝頃の詫磨派最末期の画家、良賀の子
詫磨俊賀(不明-不明)鎌倉前期の画僧、号薩摩法橋
宅磨勝賀(不明-不明)鎌倉前期の画家、宅磨派絵仏師の始祖、宅磨為遠の子、俗名為基
詫磨勝賀(不明-不明)平安末から鎌倉初期の詫磨派の画家
宅磨為氏(不明-不明)平安中期の画家、姓藤原氏、詫磨派始祖
詫磨為遠(不明-不明)平安後期の画家、詫磨派中興祖、姓藤原、絵仏師
宅磨為遠(不明-不明)平安後期の画家、宅磨派の祖とされる絵仏師、勝賀・為久の父
宅磨為成(不明-不明)平安中期の画家、詫磨派二世、姓藤原
宅磨為久(不明-不明)平安後期から鎌倉時代の画家、詫磨派、姓藤原、為遠三男
宅磨為行(不明-不明)鎌倉前期の画家、宅磨為久の子、宮廷絵所の画師
宅磨長賀(不明-不明)鎌倉時代の画家、宅磨派の絵仏師
宅磨澄賀(不明-不明)鎌倉前期の画家、詫磨為久の子
宅磨良賀(不明-不明)鎌倉時代の画家
宅磨了尊(1265-不明)鎌倉後期の画家
武井周発(1694-1770)浜町狩野派、初め作之丞と称し、のちに半三郎・半蔵・作右衛門・常美
竹内雲崖(不明-不明)師長町竹石
竹内雲石(不明-不明)温泉津の人、南宗派
竹内栄之丞(不明-不明)雲藩給帳に名がある
武内小鸞(不明-不明)師円山応瑞・岸駒、名は千賀、字は左琴
竹内衡山(不明-不明)師父竹内春山
竹内随春(不明-1758)師狩野随川甫信
武川維章(1744-1799)師円山応挙
竹崎元章(不明-不明)師木村探元
竹沢養渓(不明-1808)師狩野養川院惟信
竹重香雨(1827-不明)師佐野東庵
武重桃堂(1773-1853)江戸後期の画家、児玉胤堂に二男
竹重鳴春(1792-1847)師鈴木鳴門
武田雲室(1753-1827)江戸中期から後期の画家、江戸芝西久保の光明寺住職
武田永球(1622-1675)江戸初期の画家、本名安親、武田狩野の祖
武田柯笛(1802-1868)師山本梅荘、名晨業、通称新次郎のちに新蔵
武田耕雲斎(1804-1865)江戸後期の水戸藩の天狗党の首領
竹田治右衛門(不明-1845)江戸後期の画家、号楽山
武田信廉(1532-1582)戦国時代から安土桃山時代の武将
武田竹亭(1764-1829)寛政期の南画家、菊田伊洲の実父
武田南灘(不明-不明)書画をよくした
武市瑞山(1829-1865)師徳弘董斎
竹中北丘(不明-不明)師三浦梅園、竹画をよくした
竹内春山(1743-1817)師狩野栄川院、竹内甫記の子
竹内甫記(不明-不明)師狩野随川甫信、竹内春山の父
竹之下信成(1639-1682)都城島津家の絵師、師狩野常信
竹原玄路(1720-1794)矢野派、師矢野雪叟
建部巣兆(1761-1814)江戸中期から後期の画家・俳人、号秋香菴、菜翁、文晁門
建部樸斎(1769-1838)鳥取初の南画家
建部凌岱(1719-1774)江戸中期の画家・俳人、号綾足
竹村悦人(1818-1862)南部三戸藩の医者
竹村四勿軒(1815-1868)諱宗政、字以徳、幼名政太郎・平七郎・仲、別号如向・北海・徳山・柳塘・梅竹陳人
竹村節斎(不明-不明)江戸後期の画家、通称平助、別号湖南
武村文海(1797-1863)角館四条派の創設者
竹山南圭(不明-不明)江戸後期の画家、谷文晁の門人、名伝
多胡逸斎(1802-1857)津和野藩家老・多胡外記真恭の養子
田尻種美(1794-1855)師松村景文
田尻常秀(不明-不明)師狩野昌運
田代雲夢(1757-1830)江戸中期から後期の画家、名国綱、忠国・周助とも、別号春秋庵・金台散人・雲夢
田代忠国(1757-1830)江戸中期から後期の洋風画家・武士、出羽久保田藩士
田代等甫(不明-不明)矢野派
多田撃壤子(1773-1827)閑々人に画を教えた
多田晴宜(1827-1862)師狩野晴川院養信
湛木澄山(不明-1809)江戸中期から後期の僧、牛川正太寺住職
忠岡三千子(不明-不明)仙台藩七代藩主・伊達重村夫人観心院の侍女として仙台を訪れ奥女中となった
立入快堂(不明-不明)代議士、余技で画を描いた
橘守国(1679-1748)江戸中期の画家、号後素軒、鶴沢探山門
橘保国(1715-1792)江戸中期の画家、橘守国の子、号秋筑堂・後素軒
立原杏所(1786-1840)江戸後期の画家・水戸藩士、文晁門、別号東軒
立原春沙(1818-1858)立原杏所の長女、師立原杏所・渡辺崋山
立原翠軒(1744-1823)江戸中期から後期の水戸藩士、名萬、字伯時、通称甚五郎、別号東里、立原杏所の父
立原竹沙(1817-1847)立原杏所の次女
立原朴二郎(1832-1864)江戸後期の画家・水戸藩士、立原杏所の三男、椿椿山に学ぶ、号裕堂
伊達邦宗(1870-1823)仙台藩十三代藩主・伊達慶邦の子
伊達忠宗(1599-1658)仙台藩二代藩主


伊達綱宗(1640-1711)仙台藩三代藩主、伊達正宗の子
伊達綱村(1659-1719)仙台藩四代藩主
伊達政宗(1567-1636)江戸前期の武将、出羽国と陸奥国の戦国大名、陸奥仙台藩の初代藩主
伊達吉村(1680-1751)仙台藩五代藩主、伊達宗房の子
立野芳山(不明-不明)師岡眠山
立林何帛(不明-不明)江戸時代の画家、名立徳、別号喜雨斎
建部綾足(1719-1774)江戸中期の南画・俳人・国学者、俳号葛鼠・都因・涼袋
田所静山(1832-1869)江戸後期から明治期の画家、名秀次市郎、田所静年の子
田所静年(不明-不明)江戸後期から明治期の画家、宇佐美太奇に学ぶ、名弘
田中亀水(1820-1867)師福田太華
田中笈斎(不明-不明)幕末の画家
田中索我(1742-1814)師鶴沢探索
田中雪堂(不明-不明)師加藤雪溪
田中田信(1748-1825)医師、豊後南画の初期を代表する画家
田中陶居(1789-1829)田能村竹田と交遊した
田中洞慶(不明-1831)師狩野洞春
田中洞仙(不明-不明)津の人、南画をよくした
田中訥言(1767-1823)江戸中期から後期の画家、師土佐光貞、名痴、字虎頭、別号大孝斎・痴翁・得中・過不及子・求明、復古大和絵派の祖と呼ばれる
田中日華(不明-1845)江戸後期の画家、字伯暉、号月渚、師豊彦
田中貝峯(1757-1833)師石里洞秀、狩野派
田中瓶山(不明-1847)松江藩士
田中美芳(不明-1831)師狩野洞春
田中岷江(1735-1816)江戸中期から後期の画家・彫刻師、名淳徳、通称藤左衛門、別号五瀬・湖南
田中守義(不明-不明)師鶴澤探泉
田邊如亭(1812-1863)師村瀬藤城・頼山陽・佐藤一斎
田辺文琦(1801-1869)師谷文晁
谷阿佐子(不明-不明)谷文晁の後妻、谷阿佐
谷幹々(1770-1799)谷文晁の先妻、本姓林氏、字翠蘭
谷紅藍(1780-1833)江戸後期の女性画家
谷舜英(1772-1832)谷文晁の末娘、字小春、別秋香
谷文一(1787-1818)江戸後期の画家、号痴斎、文晁の養子
谷文二(1812-1850)江戸後期の画家、文晁の子、名義宣
谷文三(不明-不明)師谷文晁、田辺文琦のいとこ
谷文晁(1763-1841)江戸南画を確立、師加藤文麗・渡辺玄対、号写山楼・文阿弥
谷川青野(1777-1820)師長町竹石
谷川石瀬(不明-不明)津の人
谷口月窓(1774-1865)師月僊
谷山洞龍(不明-1811)師狩野洞春美信
狸源兵衛(不明-不明)江戸後期の画家、畸人と伝えられる
田能村竹田(1777-1835)豊後竹田の岡藩侍医の子に生まれ儒学や詩画を学んだ、幕末文人画壇を代表する作家のひとり
田原南塘(1776-1824)江戸後期の画家、鶴沢探索に学び仏画を描いた
多福寺賢巌(1627?-1696)臼杵・多福寺第三世寺主
玉井鵞渓(不明-1862)江戸後期の画家、師月僊・中林竹洞、名裔涯、通称貞次、別号月皋
玉江蓬洲(1779-1848)師村上東洲
玉置敬窓(1780-1829)浜田に住んだ
玉置景雲(1780-1829)師松村景文
玉手棠洲(1795-1871)江戸後期から明治期の画家、中井藍江門
田村建顯(1656-1708)一関藩主、隠岐守宗良の二男
田村直翁(不明-不明)江戸前期の画家
為氏(不明-不明)平安中期の画家
俵屋宗雪(不明-不明)俵屋宗達の後継者、工房印「伊年」を継承
俵屋宗達(不明-不明)江戸初期の画家、字伊年、号対青軒
単庵智伝(不明-不明)室町後期の画家、名知伝、相国寺僧、師周文
湛海(1629-1716)江戸前期の僧、彫刻もよくした
湛慶(1173-1256)鎌倉時代の慶派仏師
湛賢(不明-不明)師秋月等観
探水(不明-1868)師長塩雪山
谷田忠兵衛(不明-1733)蒔絵師
近松昌栄(不明-不明)江戸中期から後期の画家、佐竹氏に仕えた
近森半九郎(不明-1724)師狩野養朴常信
力石遷交(不明-不明)江戸後期から明治期の画家、水戸藩士、通称勘五郎
千島春里(不明-不明)狩猟や漁業を主な題材にアイヌ絵を描いた
智順(不明-不明)平安後期の絵仏師
知念昌之(1787-不明)知念昌俊の長男
茅根一鴎(1787-1868)江戸後期の画家、古河藩士、名信之、通称杢左衛門、奥原晴湖の師
千葉華岳(1780-1839)小池曲江の長男
千葉竜卜(不明-不明)江戸中期の画家、名胤綱、号松翁斎
千村鵞湖(1727-1790)師月僊、名諸成、通称総吉、字伯就、別号笠沢・自適斎・大観盧・七楽居
仲安真康(不明-不明)15世紀中頃の画家
仲安梵師(不明-不明)南北朝から室町前期の画家
中條雲堤(不明-1866?)讃岐の南蘋派、師木下逸雲
中条康永(不明-1824)通称多膳、別号勲章、狩野派の画を学んだ
中天和尚(不明-不明)師清野養山、竜を得意とした
中峰明本(1263-1323)中国の元代の禅僧
千代01(1703-1775)歌人画家、号素園、草風
張月樵(1772-1832)江戸後期の画家、師市川君圭・松村呉春、名行貞、字元啓、通称晋蔵のちに快助、別号酔霞堂
張子祥(不明-不明)中国清代の文人画家
張秋谷(不明-不明)中国清代の画家、来舶四大家のひとり
張瑞図(1570-1641)明の書家・画家
張天然(1715-1786)師佐々木縮往
晁有輝(不明-1811)江戸後期の画家、宋紫石門、名豊興、字詩叔、通称久兵衛
長久寺鴻雲(1804-1865)萩原長久寺第十二世寺主
長康亭道三(不明-不明)江戸後期の画家
漲川永海(不明-不明)江戸初期の画僧
長宗我部信親(1565-1587)戦国・安土桃山時代の武将
長柳斎(不明-不明)鎌倉建長寺の住職、別号に可卜
陳柱中(1597-1676)明の福建の画家
珍海(1091-1152)平安後期の学僧・画僧、藤原基光の子、禅林寺十世
陳惟(不明-不明)福建画壇の画家
塚原夢舟(不明-不明)逓信省に務める、名周造
月岡雪渓(不明-不明)江戸後期の画家、月岡雪鼎の次男、師父雪鼎・兄雪斎
築山楽山(不明-1837)師岡田米山人、名穣、字玄厚、通称平楽山・平野屋忠右衛門
筑和文嶺(不明-不明)明治期の画家
辻雪蕉(不明-1840)師法橋俊乗
辻鳳山(1794-1850)師渡辺南岳、上島鳳山の祖父
辻内文福(不明-不明)江戸後期の画家、師谷文晁、徳川幕府の役人
津田永清(不明-不明)雲藩御用絵師、狩野永雲の孫
津田応圭(不明-1780)江戸中期の画家、名乗文、通称織部・縫殿、別号北海・柘榴園、沈南頻を学び、特に花鳥を得意とした
津田小石(1790-1872)中津藩の執政、田能村竹田と親交があった
津田辨作(不明-不明)小倉藩画人
土屋篤直(1733-1776)江戸中期の画家、第4代土浦藩主、幼名左門
土屋観斎(1975-不明)師野々垣清三朗・織田杏斎、名賢之助、字孝臣、別号好雨・草居
土屋索進斎(不明-不明)師鶴沢探鯨・探索
土屋彦直(1798-1847)江戸後期の常陸土浦藩の第9代藩主、水戸徳川斉昭の叔父、藤森弘庵に学んだ
筒井永年(1817-1856)師浦上春琴
堤蕉岡(不明-不明)寛政期の南画家、根本常南の仙台画塾「蠖斎社中」に参加
角田九華(1784-1856)師中井竹山・林逑斎
椿華谷(1825-1850)江戸後期の南画家、椿椿山の子、名恒吉、幼くして崋山に入門
椿椿山(1801-1854)江戸後期の南画家、師金子金陵・渡辺崋山、名弼、字篤甫、通称忠太、別号梧軒・休庵、清国・張秋谷の画法を研究
津曲朴栄(1654-1701)都城島津家の絵師、師狩野常信
津村洞仙(1804-1856)江戸中期から後期の画家、名重信、渡辺洞昌に師事
津村洞達(不明-1819)江戸中期から後期の画家、本名重之のちに由之、通称伝兵衛、別号印月斎・松翠
津森等為(不明-1686)雲谷派
露木石門(不明-不明)井川鳴門の師という説がある
鶴沢探鯨(不明-1769)江戸中期の画家、狩野派鶴沢家二代
鶴沢探索(不明-1797)江戸中期から後期の画家、鶴沢探鯨の子、狩野派鶴沢家三代
鶴沢探山(1655-1729)江戸中期の画家、名守見、別号幽泉・探春叙法眼
鶴沢探泉(不明-1816)江戸後期の画家、鶴沢探索の子、狩野派鶴沢家四代、名守之
鶴田卓池(1768-1846)江戸後期の俳人、師石川貫河堂、名光貞、通称与三右衛門、号青々処・藍叟
貞雲女(不明-不明)寛政期の南画家、根本常南の仙台画塾「蠖斎社中」に参加
丁雲鵬(1547-1628)中国明代末期の画家
鄭大観(不明-不明)福建画壇の画家


貞玄(不明-不明)江戸後期の僧、師野呂介石
鄭培(不明-不明)沈南蘋が来日した際に同行した弟子の一人
手柄岡持(1735-1813)江戸中期から後期の画家・戯作者、別名は朋誠堂喜三二
出久廼坊画安(不明-1871)江戸後期から明治期の画家、二代勝川春山
手島君山(不明-1824)田能村竹田とも親交があった
手島香苓(1824?-1872)師木下逸雲
手銭白沢園(不明-不明)通称宮三郎、号薄庵
鉄翁祖門(1791-1872)師石崎融思・江稼圃、画僧、長崎春徳寺の住持、長崎三画人
手塚鴎盟(1774-1833)師長町竹石
鉄崖(1626-1703)禅宗黄檗派の僧
銕牛(1628-1700)僧侶
鉄舟徳済(不明-不明)南北朝時代の画僧、夢窓国師の弟子
徹心(不明-1815)江戸中期から後期の画家、京都府の山城神応寺の東谷直伝の高弟らしい、よく虎を描いたので「虎和尚」と呼ばれていた
寺門静軒(1796-1868)江戸後期の儒学者・随筆家
寺崎広意(不明-不明)江戸後期の画家、通称藤九郎、祖父は広方、子が広長
田文卿(1770-1822)寛政期の南画家、根本常南の画集「優遊一奇」に牡丹図を描いている
天桂伝尊(1648-1735)禅宗曹洞派の僧
天香豊(不明-不明)江戸後期から明治期の画家
天龍道人(1718-1810)江戸中期から後期の画家、名瑾、子は公瑜、通称渋川虚庵、別号草龍子・水湖観
土井平所(不明-不明)江戸後期の画家、通称竹屋権四郎、別号蘭竹草堂
土井有隣(不明-1811)師石崎融思
十市石谷(1793-1853)師片山東籬、名賚、通称恕輔、別号霞村
東鶴斎(不明-不明)本吉郡気仙沼の人
董九如(1745-1802)江戸中期から後期の画家、名董烈、通称井戸平助、紫石門
洞楊谷(1760-1801)沈南蘋の画風を学んだ、別号片山楊谷
等安(不明-不明)雪舟門
桃☆(不明-不明)寛政期の南画家、根本常南の仙台画塾「蠖斎社中」に参加、☆は「さんずい」に「雲」
等海(不明-不明)師秋月等観
道口雪窓(不明-1864)江戸後期の画家、立原杏所・松平雪山に学ぶ、名貞徳
等芸(不明-不明)師秋月等観・雪舟
等見(不明-不明)師秋月等観
等碩(不明-不明)室町後期の水墨画家、秋月等観の子
東皐心越(1639-1695)江戸前期の禅僧・画家、帰化明人、号兆隠、水戸祇園寺開山
等秀(不明-不明)島津家のために架鷹図を描いた
等春(不明-不明)室町後期の画家、周文・雪舟傍系
東條探竺(不明-不明)師山路探定
東條東園(不明-不明)師能勢一清、東條探竺の子
東条南溪(不明-不明)師大西雪溪
等雪(不明-不明)師雪舟・秋月等観
等坡(不明-不明)室町後期の画僧、師秋月等観
東福門院(1607-1678)第2代将軍徳川秀忠の5女、名は和子
等本(不明-不明)室町期の画僧
遠坂文雍(1783-1852)江戸後期の画家、名文応、号友園、文晁門
栂静逸(不明-不明)師春木南溟
土岐洞文(1502-1582)戦国時代から安土桃山時代の画家
土岐頼芸(1501-1582)戦国時代の美濃の守護大名・武人画家、師周文、別号徳秀斎
土岐某(不明-不明)尾張藩初代藩主義直に仕え、鷹の絵を得意とした
常盤光長(不明-不明)平安末期の大和絵師
徳川綱條(1656-1718)江戸前期の水戸第3代藩主
徳川斉昭(1800-1860)江戸後期の画家、水戸第9代藩主
徳川斉彊(1820-1849)幕末の紀伊第12代藩主
徳川治紀(1773-1816)江戸後期の水戸第7代藩主
徳川治保(1773-1816)江戸中期の水戸第6代藩主
徳川宗尭(1705-1730)江戸中期の水戸第4代藩主
徳川宗輸(1728-1766)江戸中期の水戸第5代藩主
徳田常房(不明-不明)師狩野常信
独湛禅師(1628-1706)江戸前期に明から来た黄檗宗の僧
徳力善宗(1549-1637)安土桃山期から江戸前期の画家、名存之助、本願寺絵所
徳弘石門(1777-1825)江戸後期の画家・武士、土佐高知藩士、師広瀬台山・雲室、名保孝、通称直蔵・庄九郎、別号石崖
土蔵栄松(不明-不明)室町中期の画家
戸倉耕月庵(不明-1871)師日比野鶴翁
徳力善章(1493-1583)戦国時代から安土桃山時代の画家
徳力善雪(1599-1680)江戸前期の画家、徳力善宗の子
常世翠巒(1767-1814)江戸中期から後期の画家
土佐一得(不明-不明)安土桃山から江戸初期の土佐派の画家
土佐隆相(不明-不明)鎌倉時代の画家、土佐支族、長隆の二男、藤原隆相と同一
土佐経隆(不明-不明)鎌倉中期の画家、春日光長男、土佐派始祖
土佐鉄山(不明-不明)三好応山の師とされる
土佐広周(不明-不明)室町中期の土佐派の絵師、土佐十世
土佐光顕(不明-不明)鎌倉末期から南北朝時代の画家、隆兼の子
土佐光淳(1734-1764)土佐光芳の長男
土佐光起(1617-1691)江戸前期の土佐派の絵師、土佐中興
土佐光清(1805-1862)江戸後期の画家、光孚の子、絵所預、従四位土佐守
土佐光国(不明-不明)南北朝から室町前期の画家
土佐光貞(1737-1806)江戸中期から後期の土佐派の絵師、土佐光芳の子
土佐光孚(1780-1852)江戸後期の画家、光貞の子
土佐光重(不明-不明)南北朝時代の画家、行光の二男
土佐光茂(不明-不明)室町後期の土佐派の絵師、土佐派一二世
土佐光祐(1675-1710)江戸前期から中期の画家、土佐派一八世、号常心、幕府絵所預
土佐光高(1676-1710)土佐光成の子
土佐光親(不明-不明)江戸前期から中期の画家、光起の二男、光成の弟
土佐光時(1764-1819)土佐光淳の子
土佐光禄(不明-1849)土佐光時の子
土佐光長(不明-不明)平安末期の画家、藤原隆親の男、春日派四世
土佐光成(1647-1710)江戸前期から中期の土佐派の絵師、光起の子、号常山
土佐光信(不明-1521?)室町中期の絵師・土佐派中興の祖
土佐光則(1583-1638)江戸前期の土佐派の絵師、光吉の子、絵所預
土佐光久(不明-不明)室町後期の画家
土佐光秀(不明-不明)鎌倉後期の画家
土佐光弘(不明-不明)室町前期の画家、土佐派八世
土佐光正(不明-不明)鎌倉時代の画家、吉光の二男
土佐光元(1530-1569)戦国時代の画家、土佐一三代絵所預
土佐光吉(1539-1613)安土桃山期の大和絵土佐派の絵師、光茂の子
土佐光芳(1700-1772)江戸中期の画家、土佐派一九世、号常覚、幕府絵所預
土佐行長(不明-不明)鎌倉時代の画家、藤原隆親の子
土佐行広(不明-不明)室町初期の土佐派の絵師、行光の長男、絵所預
土佐行光(不明-不明)南北朝時代の画家
土佐吉光(不明-不明)鎌倉後期の画家、土佐家三世
土佐邦隆(不明-不明)鎌倉中期の画家、経隆の二男
利光常尹(不明-不明)師狩野常信、日出藩士
☆然(1796-1861)僧侶、師台腎、☆は「口」+「荅」
戸田黄山(不明-不明)江戸後期の画家、大坂天満の酒屋主人、師鼎春岳
戸田松嶺(1783-1841)師狩野了承・田中洞慶
戸田忠翰(1761-1823)江戸中期から後期の大名、戸田忠寛の長男、号粛亭
杜澂(1748-1816)日本の南画家・篆刻家・出版家
戸塚茗溪(1809?-1854)讃岐の南蘋派
百々広年(不明-1856)師山脇東暉、別号菱華
十時梅厓(1749-1804)江戸中期から後期の儒者、師伊藤東所、名業・賜、字季長・子羽、通称半蔵、別号顧亭・清夢軒・天臨閣
十時梅谷(不明-不明)十時梅厓の養子、本姓山田、名順、字伯祐、別号梅谷樵夫
舎人葵園(1780-1848)江戸後期の画家、師山本梅逸、名経栄、字華卿、通称平兵衛、別号鼓腹
鳥羽石隠(不明-1823)江戸後期の南画家、別号台麓
鳥羽僧正(1053-1140)平安後期の天台宗の僧・天台座主、名覚猷
戸部一☆斎(1645-1707)江戸初期の画家、秋田で最も古い著述家、本名正直、別号一閑、☆は「敢」の下に「心」
戸祭雪湖(1808?-1861)師春木南湖
戸祭友古(1828-1869)江戸後期から明治期の画家、椿椿山の門人、名為之介
富川大塊(1799-1855)大橋白鶴の長男、江戸・京都に出て文武を修め書画にもすぐれた
富田古観(不明-1832)江戸後期の画家、師張月樵、名道寧、通称忠兵衛、別号日月亭
富田呉舟(不明-不明)江戸後期から明治期の画家、松平雪山の門人
富松蘭溪(不明-不明)南画
戸村旭峰(不明-不明)江戸後期の画家、諱義辰、義通の子
戸村後草園(1768-1854)横手城代の戸村家第六代、名は義通
富山方亭(1820-1870)医師、医業のかたわら詩歌を好み、画もよくした
豊田克斎(不明-不明)江戸後期の画家
豊田随園(不明-1732)浜町狩野派、別号常之
豊田随可(1721-1792)浜町狩野派、豊田随園の孫、別号常令
豊平良全(1786-1848)琉球の絵師、唐名は馬執宏
鳥居靖斉(不明-不明)江戸中期から後期の画家、名新三郎
鳥越烟村(不明-不明)備前岡山藩士、師浦上春琴、通称仙蔵、別号煙村・梅圃

【な行】

内藤右膳(不明-不明)江戸後期の画家、名重昌、後に業昌、別号桂斎・鳳翔、立原杏所に学ぶ
内藤常山(不明-不明)江戸後期から明治期の画家、杉浦霞岳の門人、名庸之介、好古堂
内藤東甫(1728-1788)江戸中期の画家・尾張藩士、名正参、通称浅右衛門、別号閑水・泥江隠士・朽庵
内藤等甫(不明-1644)都城島津家の絵師、師狩野尚信
那珂碧峰(1748-1817)江戸中期から後期の画家・儒者、名通博、字公雅、通称長左衛門、別号渓山閣・絃誦堂・飽媛・鶴峰
長井槐斎(1730-1786)松阪の人、書道に長じ画もよくした
永井慶竺(1685-不明)狩野常信門下の四天王のひとり、師狩野常信・津曲朴栄、永井実益の二男
永井実益(1637-1696)都城の絵師、永井慶竺の父
中井泰嶺(不明-1865)師松村景文
永井探謙(不明-不明)師木村探元
中井文寿(不明-不明)寛政期の南画家、根本常南の仙台画塾「蠖斎社中」に参加
中井藍江(1766-1830)中井竹山の姪、名直、字伯養
長尾憲長(1503-1550)戦国時代の武将画人
長尾慶蔵(1834-1872)師近藤篤山
長尾景長(1461-1528)戦国時代の武将画人
長尾文岱(不明-不明)江戸時代の画家
長尾政長(1528-1569)戦国時代の武将画人
中臣典膳(1804-不明)医学にも通じた多芸多才の人で画もこなした
中川秋山(不明-不明)巣見来山の孫、医業の傍ら南画をよくした
中川秋星(不明-不明)師富岡鉄斎
中川東澤(1794-1835)画をよくし、彫金も巧みだった
中川梅縁(1801-1858)江戸後期の画家、師狩野梅栄・天嶺、名吉算、通称五郎右衛門、俳号契雪庵竹明
中川馬嶺(1783-1860)師長町竹石
中川久昭(1820-1869)岡藩主、藤堂の二男
中川久忠(1585-1629)通玄院殿雲外了山大居士
中川墨湖(1789-1861)広島藩絵師、師山田雪塘
永木竹雨(不明-不明)中川秋星と交友
長沢蘆洲(1767-1847)江戸中期から後期の画家、長沢蘆雪の養子、名鱗、別号南暁、円山派
長沢蘆雪(1754-1799)師円山応挙、円山十哲
長沢蘆鳳(1804-1871)江戸後期から明治期の画家、蘆雪孫、円山派
長塩雪虹(1810-1871)師父長塩雪山
長塩雪山(1774-1833)安芸に移住、母里藩御用絵師
永島岸翠(1814-1870)師早斯尹・岸良、通称岩吉、別号蕉鹿
中島魚坊(不明-1793)師田中五竹
中島秋挙(1773-1826)師井上士郎、通称鉄太郎、別号曙庵
中島勝孚(不明-不明)江戸後期の画家
中島信雪(不明-不明)津和野藩絵師のはじめ、狩野益信の門人と伝わる
長嶋尉信(1781-1867)江戸後期の画家、名尉信、字祐郷、通称治左衛門・二左衛・二左衛門、別号郁子園・二洲
中島来章(1796-1871)江戸後期から明治期の文人画家、渡辺南岳門後応挙私淑、号神通堂
長瀬直福(1796-1867)江戸後期の画家、字子寿、通称平右衛門、幼名直貞・鶴吉、別号鹿山・竜湖
仲宗根真代(1641-1710)琉球の絵師、唐名:査秉徳
中田湖山(不明-不明)明治期の画家、小室怡々斎に師事
永田崑山(1737-1791)亜欧堂田善の兄
長富等珍(不明-1702)師雲谷等宥
中西石焦(1733-1807)江戸中期から後期の画家・篆刻家
中西南喬(不明-1871)師目賀多雲川信済
中根青藍(不明-不明)杵築藩の人
長野南山(1826-不明)師橋本小霞
中野龍田(1764-1811)江戸中期の画家、名煥、字季友
長浜屋小四郎(不明-不明)出雲の人
中林竹渓(1816-1867)江戸後期の画家、中林竹洞の子、師父中林竹洞・山本梅逸
中林竹洞(1776-1853)江戸後期の画家、師山田宮常・神谷天遊、名成昌、字伯明、通称大撫、別号仲澹・痴翁・大原庵・東山隠士
中原国華(1796?-1867)師白神こう々
永原権兵衛(不明-不明)尾張藩初代藩主義直に仕え、鷹の絵を得意とした
中原次右衛門(1726-1795)師江口順右衛門
長町竹石(1757-1806)師建凌岱、池大雅に私淑、名徽、字琴翁、号軒琴
永松玄偲(不明-不明)友関斎の子、永松秀精の父
永松秀精(不明-不明)肥前佐賀藩絵師
長峰探隠(1785-1861)師狩野探淵・山路探定
中村可敬(不明-不明)梅香堂の版元と版下絵師を兼務
中村晴江(不明-1868)中津藩の人
中村石鶴(不明-不明)江戸後期の医者・画家
永村茜山(1820-1862)江戸後期の南画家、渡辺崋山門、本姓長谷川、名寛、字済猛、別号寿山
中村竹圃(1841-不明)福島柳圃に師事、名邦敬
中村轍外(不明-不明)江戸後期の画家、名公成、別号嶽蓮・無限道人
中村文彬(不明-不明)江戸中期の画家、名淑徳、通称与一左衛門、谷文晁に学ぶ
中村芳中(不明-1819)江戸後期の画家、名徳哉、号温知堂・達々・担板漢
中村黙々(1827-不明)師毛利空桑
中村幽甫(1623-1698)江戸前期の画家、狩野探幽門、名守以、通称八弥、別号幽恕斎
中村了斎(不明-不明)師狩野了承
永安薫☆(不明-1862)師三浦紫えん、☆は「田」+「宛」
中山月樵(1848-不明)江戸後期の画家、通称甚五郎、播州の柴田雪樵に学ぶ
長山孔寅(1765-1849)江戸後期の画家・儒者・狂歌師、字子亮、号牧斎・紅園、呉春門
中山高陽(1717-1780)江戸中期の画家・書家、字延中、号仲仙
中山秀種(1745-1808)師父中山高陽
中山三屋(1840-1871)勤王歌人画家、名宮子、芦ノヤミヤ、中山みや子
中山養福(1808-1849)徳島藩御用絵師、師狩野晴川院養信・勝川院雅信、橋本雅邦と同門
中山蘭花(不明-不明)江戸後期から明治期の画家、名盛元、漢籍に通じて詩書をよくした
波島(不明-不明)師蠣崎波響
那須芝山(1759-1832)津軽家一門、父親は弘前藩七代藩主信寧の弟
鍋島綱茂(1652-1706)肥前佐賀藩三代藩主
並川源章(不明-不明)師駒井源琦
並川甫雲(初代)(不明-不明)師狩野興甫・狩野常信
並川甫雲(2代)(不明-1748)二代目甫雲
並川甫仙(不明-不明)紀藩狩野派
滑川竹斎(1787-1856)江戸後期の画家・漢学者、初名通約、通称駒之助・長蔵、諱通惇、字子篤、別号緑蔭・頑翁、常世翠巒の門下
成田五兵衛(不明-不明)金森氏に仕えた
成田半烟(1795?-1870)師浦上春琴、母は浦上玉堂の娘
成田益親(不明-不明)室町期の画家、名小次郎
成富独幽(不明-不明)初代広渡心海に師事した
成富峰雪(不明-不明)元禄の頃の肥前佐賀の絵師
成瀬古仙(不明-1809)藤堂家の重臣
成瀬正成(1568-1625)安土桃山期から江戸前期の尾張徳川家の付家老、号白林寺、三河の武将
南合果堂(1798-1863)江戸後期の儒者、師広瀬蒙斎、名琦、字圭卿・希韓、通称龍橘・彦左衛門、別号長風楼・頑石幽人
南郷元安(不明-不明)師山路探定
難波玖嶽(不明-不明)師古市金峨、同門四天王
南部一翁(不明-不明)伊島牧斎の門人
南部行信(1641?-1702)南部家30代藩主・重信の第3子
南部裕(不明-不明)南画
南陽(不明-不明)広島の町絵師、四条派
新妻鶴巣(1818-1871)師高橋容所、佐沼の三大画家の一人
仁尾鱗江(1774-1833)師松村蘭台
二木長嘯(1755-1814)師池大雅・太田南畝
西苦楽(不明-不明)原南嶺斎らと同時代の人と思われる
西尾忠善(1768-1831)江戸後期の武士・画家、遠江横須賀藩の第5代藩主
西川恵園(不明-不明)号紅兒子
錦織霞江(不明-不明)出雲の人
西島鉄仙(1825-不明)師日高鉄翁
西宮四壁(不明-不明)明治期の画家、名正興、通称円右衛門、別号羽横
西原舜玉(1796?-1871)師佐々木雲屋、西原竹屋の妻
西原竹屋(1780?-1826)師長町竹石
西村清狂(1794-1794)江戸中期の画家、名百春、通称清兵衛、独学で南画を描き丹羽嘉言とともに尾張南画の草創期に活躍した
西村楠亭(1775-1834)江戸後期の画家、名予章、字子風、応挙門
西岡邦教(1739-1815)江戸後期の画家、師月僊、屋号海老屋
西村嬾竜(不明-不明)広渡一湖の弟子とみられる
西山英眠(1767-1843)師狩野養川院惟信
西山芳園(1804-1867)江戸後期の四条派の画家、四条派松村景文門、名成章
西山孟郷斎(1799-1870)師狩野伊川院栄信、松平斉斎に仕え鷹の図をよく描いた
耳鳥斎(不明-不明)江戸中期の町絵師、狩野派の小柴隼人の門人
日収秋澗(1579-1650)江戸前期の僧
新渡辺姫岳(1761?-1823)与謝蕪村に俳諧と絵を学んだ
二宮文子(1824-1854)号奇峰、松隣
土師元雪(不明-1697)臼杵藩絵師、師狩野元俊
丹羽ジャコベ(1579-1638)安土桃山から江戸前期のキリシタン画家


丹羽桃渓(1760-1822)江戸中期から後期の画家、通称大黒屋喜兵衛、別号靖中庵・桃渓山人
丹羽嘉言(1742-1786)江戸中期の画家、字彰甫、通称新治、号章甫・謝庵・福善斎・聚珍堂・名士関、尾張南画を創始した
忍海(1696-1761)江戸芝増上寺の僧
仁海(0951-1046)平安中期の真言宗の僧侶、空海八世の法派、山城曼荼羅寺開祖、真言宗小野流の祖、通称・小野僧正
額田照通(1569-1630)安土桃山期から江戸前期の画家、常陸額田城主、名彦三郎
貫名海屋(1778-1863)江戸後期の書画家・儒者、号林屋・海屋・海叟・海客・菘翁
貫名菘翁(1778-1863)江戸後期の儒学者・南画家、師矢野栄教、狩野派から南画や
沼宮内蘭渓(1799-1837)盛岡藩の漢画家、本堂蘭室に学び、のちに鈴木南嶺・岡本豊彦に学んだ
沼沢永朔(1759-1839)江戸後期の尾花沢を代表する絵師、狩野永朔と同一
沼尻墨僊(1775-1856)江戸後期の地理学者・天文学者、名一貞、幼名常治、通称完蔵・墨僊彜・蠖斎・蘆間山人
沼津乗昌(不明-1641)江戸前期の画家、狩野永徳門、本姓滝野、号屏風絵所
沼野棠宇(不明-1778)南画
根田秀儁(1794-1850)江戸後期の画家、名俊安、通称冲之助、別号聴松軒、狩野秀水の門人
根本古柳(1656-1736)江戸初期から中期の画家、秋田藩、別号述情
根本周興(不明-不明)江戸後期の画家、通称松之助、芙蓉の絵を得意とした
根本常南(不明-不明)菅井梅関の最初の師
根本幽峨(1824-1866)鳥取藩御用絵師、沖一峨に学ぶ
能阿弥(1397-1471)室町中期の連歌師・画家、師周文、号鴎斉
能美鴎友(不明-1846)師菅江嶺
直川屋梅亭(不明-不明)江戸後期の画家、師野呂介石
野際蔡眞(不明-1871)紀藩絵師、白雪の養子
野際白雪(1773-1849)江戸後期の画家、名蔡徴・載長、字伯亀、別号石湖
野口北川(1816-1868)江戸後期の画家、師椿山、名勝章
野崎愛山(不明-不明)野崎鶴巣の子
野崎鶴巣(不明-1872)元徳島藩士、師岸駒
能島邑義(1710-1775)師狩野友甫
能勢一清(1790-1857)師森玄心、能勢探龍の曾孫
能勢探龍(1702-1755)師木村探元
野津無人相菩薩(1726-1797)仏画を多く描いた
野之口隆正(1792-1871)師増山雪斎
野之口持正(不明-不明)師浮田一蕙、野之口隆正の二男
野之口基正(不明-不明)師浮田一蕙、野之口隆正の長男
野々村国春(不明-不明)江戸中期
信貞(不明-不明)平安後期の画家
野村玉渓(1785-1857)江戸後期の画家、師松村月渓、通称参吾
野村紫澤(不明-1805)師谷文晁
野村竹外(1820-1866)江戸後期の画家、師山本梅逸、名惟叙、字子哥、通称新次郎、別号橋左堂
野村天香(不明-不明)師平野五岳
野村望東(1806-1867)師大隈信道
野村訥斎(1831-1864)師円山応立
野呂介于(1777-1855)江戸後期の画家、野呂隆基の子、介石の養子
野呂介石(1747-1828)江戸中期から後期の画家、師桑山玉洲・池大雅、字隆年

【は行】

梅香堂可敬(不明-不明)唐人、紅毛人、丸山遊女、異国人、異国女などを描いている
梅雪(不明-不明)日向の人
梅痴(1793-1858)江戸後期の画家、飯沼弘経寺の住職、名秦冏、字壹純・白純、号小蓮主人
梅道人(不明-1354)元代の画家
梅坡(不明-1829)竹堂の弟
馬遠(不明-不明)中国南宋の画家
萩千嶽(不明-不明)師揖取魚彦
萩谷☆喬(1779-1857)江戸後期の画家、水戸藩三大画家に数えられる、名徹、字霓夫、通称八介、☆は「僊」から「にんべん」をとる
萩原一山(1778-1832)師月僊、名範別
萩原盤山(1772-1846)奇行で知られた会津の狩野派
伯益乗(不明-不明)師狩野洞雲
白隠慧鶴(1685-1768)江戸中期の禅僧、勅謚・神機独妙禅師
白雲(1764-1825)江戸中期から後期の浄土宗の画僧、号は白雲・松堂・蝸牛叟
白雲上人(1764-1825)松堂白雲と称した浄土派の僧
柏山(不明-不明)肥前の絵師、温古斎の子
白如斎成真(不明-不明)肥前の絵師
柏庭(不明-1857)江戸後期の画家
橋石斎(不明-不明)寛政期の南画家、根本常南の仙台画塾「蠖斎社中」に参加
橋本雲山(不明-1822)師狩野洞春、狩野派
橋本鶯谷(不明-1857)師足立雲山・矢野右膳
橋本養邦(不明-1847)江戸後期の画家、橋本雅邦の父
馬上清江(不明-1842)江戸後期の画家、師野呂介石
長谷川久蔵(1568-1593)安土桃山時代の画家、長谷川等伯の長男
長谷川信春(1539-1610)長谷川等伯と同一人物
長谷川雪旦(1778-1848)江戸後期の絵師、名宗秀、叙法橋
長谷川雪朝(不明-不明)江戸中期の画家
長谷川宗宅(不明-1611?)桃山時代の画家
長谷川宗也(1590-1667)江戸前期の画家、等伯の子、名信正、俗名新之丞
長谷川聴秋(不明-不明)江戸後期の画家
長谷川常宇(不明-1784)岡山藩御用絵師
長谷川常雄(不明-1757)岡山藩御用絵師
長谷川常時(不明-1726)岡山藩御用絵師師狩野常信、常信門下の四天王
長谷川等胤(不明-不明)長谷川等伯門、伊達政宗による仙台城本丸造営工事のため江戸より招来された画工のひとり
長谷川等重(不明-不明)江戸前期の画家、等伯の一族、通称左近
長谷川等伯(1539-1610)安土桃山期から江戸前期の絵師、桃山時代を代表する画人のひとり、雪舟五世、叙法眼
長谷川等楊(不明-不明)師雪舟
長谷川融記(1770?-1844)狩野融川院の門人
長谷川養辰(不明-1726)師狩野常信
長谷川嵐渓(1814-1865)江戸後期の南画家、張嵐溪と称した、師春木南湖・菅井梅関
長谷部柳園(1780-1860)師渡辺玄対、高橋草坪の師
秦燕恪(1732-1799)江戸中期から後期の画家、師狩野栄川院典信
秦鼎(1761-1831)字士鉉、通称嘉奈衞、別号滄浪・小翁・夢仙
羽田子雲(1835-不明)東京築地本願寺宝林寺の住職、師岡本秋暉
秦如春武貞(不明-不明)弘前藩お抱え絵師・秦家三代
秦新右衛門養雪(不明-1668)弘前藩お抱え絵師・秦家初代
秦致貞(不明-不明)平安後期の画家、別称致貞
秦致真(不明-不明)平安後期の画家、法隆寺絵殿障子絵、聖徳太子襖絵伝
蓁致貞(不明-不明)平安中期の画家
☆白英(不明-不明)寛政期の南画家、根本常南の仙台画塾「蠖斎社中」に参加、☆は「拳」の「手」を「示」に
奏文昇(1818-1857)師越寛一
秦文昇(1818-1857)師越寛一
秦養雲常貞(不明-不明)弘前藩お抱え絵師・秦家二代
秦隆古(不明-1858)家名鑑物故01(日)
畠山仙江(不明-1860)蘭方医・画家
波多野賢斎(不明-1677)雲谷派
蜂須賀重喜(1738-1801)師矢野栄教、狩野派、11代藩主
蜂須賀載(1771-1795)師矢野栄教、狩野派
蜂須賀寿代(1772-1838)師矢野栄教、狩野派
蜂谷蘭渓(1769-1840)江戸後期の画家、蜂谷蘭州の弟
蜂谷蘭州(1758-1814)江戸中期から後期の画家、蜂谷九右衛門の子
八田古秀(1760-1822)江戸中期から後期の画家、字子瑩、号希軒、応挙門
服部南郭(1683-1759)江戸中期の南画家・漢詩人、名元喬、字子遷、徂徠門
花城善定(1740-1826)八重山の絵師
英一珪(1749-1844)英一川の養子
英一圭(不明-不明)江戸時代の画家
英一蜩(不明-1736)初代英一蝶の二男
英一川(不明-1778)師英一舟
英一蝶(初代)(1652-1724)狩野安信に破門される、本姓多賀、別号朝湖、俳号曉雲
英一蝶(2代)(不明-不明)初代英一蝶の長男
英一峰(初代)(1691-1760)師英一蝶(初代)
英一峰(2代)(不明-1788)英一峰(初代)の子
英一蜂(2代)(不明-1788)江戸中期の画家、初代英一蝶門人、別号春窓翁
馬場明義(不明-不明)師石里洞秀、狩野派
馬場伊歳(1783-1854)師狩野伊川院栄信、馬場養龍の子
馬場竹琴(1801-不明)尾道の浄土寺上道に住んでいたとされる
馬場養龍(不明-不明)師狩野養川院惟信
浜口灌圃(1778-1837)江戸後期の画家、師野呂介石
浜口南涯(1801-1865)師松村景文、四条派
浜崎屋市左衛門(不明-1816)津和野の商人、書画も堪能だった
浜田杏堂(1766-1815)江戸中期から後期の画家・医師、名世憲、字子徽、別号希菴・痴仙
浜地庸山(1775-1835)名任重、字伯仁、通称十郎兵衛、別号画痴斎
早坂義川(不明-不明)師藤沢祐川、早坂文嶺の父
早坂文嶺(1797-1867)山形から松前に渡りアイヌ絵を描いた
林旭堂(1814-不明)江戸中期の画家、師井川鳴門・山口余延年、名正維、字子均、通称正九郎
林巨渓(1810-1856)師吉成葭亭、四条派
林玄川(不明-不明)京都の狩野派に学んだとみられる
林十江(1777-1813)江戸後期の画家・篆刻家、名長羽、字子翼・雲夫
林稚瞻(不明-1792)師熊代熊斐
林長羽(1777-1813)江戸後期の画家、別号十江
林南唐(不明-不明)池添美光の最初の師
林晩翠(1804-1861)師中林竹洞・頼山陽
林百非(1796-1851)萩藩士、師矢野括山・田能村竹田
林方斎(1795-1846)江戸後期の画家、字道甫、通称久平、名隆久、別号旭川
林養清(不明-1773)師狩野常信
林☆苑(不明-不明)江戸時代の南画家、字日新、師福原五岳、☆は「門」の中に「良」
葉山朝湖(不明-不明)桃山期の肥前の絵師、江戸で狩野派を学んだ
速水春暁斎(初代)(1767-1823)江戸中期から後期の画家・読み本作者
速水春暁斎(2代)(不明-1867)幕末の画家、初代速水春暁斎の子
原熊八(1754-1765)雲谷等陳の養子
原在照(1813-1871)原派三代目、原在明の娘婿、字子写、別号観瀾
原在中(1750-1837)原派の祖、師石田幽汀、名致遠、明人の古法を学ぶ
原在明(1778-1844)江戸後期の画家、在中の二男、字子徳、別号写照・大和介
原紫泉(不明-不明)師吉田蔵澤
原東吉(1775-1790)雲谷等術の嫡子
原田玉芝(1792?-1844)讃岐の南蘋派
原田文漁(不明-不明)師慈雲寺慈仙
原南嶺斎(1771-1836)師山本若麟
春木南華(1819-1866)春木南溟の子
春木南湖(1759-1839)師葭堂門、字子魚、別号烟霞釣叟
半化坊闌更(1726-1798)江戸中期から後期の画家・俳人、別号・高桑闌更、師大雅
範舜(不明-不明)平安後期の絵仏師
範俊(1038-1112)平安後期の画僧
半田卵啼(1766-1828)佐沼の三大画家の一人
費漢源(不明-不明)中国清代の画家、来舶四大家のひとり
費晴湖(不明-不明)中国清代の画家、名肇陽、字得天、別号耕霞使者
日置風水(不明-1708)連歌を詠み俳諧を楽しみ諸国を修行した
檜垣素袋(1716-不明)江戸中期の画家、狩野永真安信の門人、通称庄右衛門
樋口思斎(1812?-1871)幕末から明治期の画家、福田半香の門人、通称彌市郎
肥後如雪(1848-不明)師国分友雪
久子翠峯(1790?-1847)師亀田鵬斎
土方稲洋(不明-不明)土方稲嶺の孫


土方稲林(1796-1859)鳥取藩御用絵師土方家二代、土方稲嶺の子
土方稲嶺(1741-1807)鳥取藩御用絵師土方家初代、名広邦、紫石門
菱川吉左衛門(1597-1662)縫箔師、菱川師宣の父
備前屋昌益(不明-不明)江戸中期の画家、法橋洞昌の門人
日高鉄翁(1790-1871)江戸後期から明治期の南画家、木下逸雲・三浦梧門と共に長崎南画三筆とされる
飛騨守惟久(不明-不明)南北朝時代の画家、巨勢惟久と同一
日根対山(1813-1869)江戸後期の文人画家、星巌・海屋らと交遊、師半江
日根野対山(1813-1869)師桃田栄雲・岡田半江、名盛長、字成言・小年、別号茅海・錦林子・同楽園・雲煙楼・酔墨庵
日野雅亮(不明-不明)明治期の僧、茶と画をよくした
日野霞山(不明-1872)師浦上春琴
日野資時(1690-1742)江戸中期の公卿、従一位権大納言、土佐風
日野資愛(1780-1845)師皆川淇園
日野等林(不明-不明)師弓削等薩
日比野鶴翁(1764-1847)師山田鶴洲、名清蔵・景亮、字公明、初号亀洲
百拙元養(1668-1749)江戸前期から中期の黄檗宗の画僧、名元養、号元椿・葦菴、山城法蔵寺開祖
百束幽谷(1804-不明)師目賀多雲川信済
檜山淡斎(不明-1842)江戸後期の画家、狩野派を習得して江戸に出た
平井顕斎(1802-1856)師松村以弘・渡辺崋山、名忱、字欽夫、通称治六、別号三谷山樵
平井時善(不明-1859)虫魚草木など2000種類を写生した
平井伯栄(不明-1686)師坂本養伯
平岩七十郎(不明-不明)屏風絵をよく描いた
平岡為龍(1786-1840)師能勢一清
平賀源内(1728-1780)江戸中期の蘭学者・本草学者・戯作者・浄瑠璃作者・洋風画家
平川徳順(不明-不明)尾張藩初代藩主義直に仕え、鷹の絵を得意とした
平田可竹(1665-1728)師甫山和尚
平田玉蘊(1787-1855)師福原五岳・八田古秀、名は豊子
枚田水石(1796-1863)江戸後期の画家、古河藩士、名之盛、字保之、通称源之丞
平塚研樵(不明-不明)北條玉洞の師
平野喜伯(不明-不明)江戸初期の画家、三代秋田藩主佐竹義処のおかかえ絵師、別号船遊斎
比良野貞彦(不明-1798)弘前藩士、津軽に最初に漢画をもたらした
平野文蔚(不明-不明)江戸後期から明治期の画家、松平雪山の門人、名幸一、別号暢谷
平林無方(1782-1837)江戸後期の画家、師野呂介石
平松可逸(不明-1862)寺小屋師匠
平山西海(1774-1847)師中林竹洞、種子島の人
平山文鏡(1732-1801)師加藤文麗、名直員、『文麗画選』を著した、田原藩藩主平山忠左衛門直儀の別号だといわれる
広江殿峰(1756-1822)長府藩御用絵師
広瀬花隠(不明-不明)江戸後期の画家、名自勝、号睡足園
広瀬百羅(不明-不明)師小豆澤常悦
廣瀬周度(1780-1840)江戸後期の画家・谷田部藩医
広瀬春樵(不明-不明)山田訥斎の初期の師
広瀬楚川(不明-不明)通称土佐之助
広瀬臺山(1751-1813)江戸中期から後期の南画家・武士、字穆甫、師五岳
弘瀬美高(不明-不明)師池添楊斎、狩野派
広瀬梁水(不明-不明)師狩野永岳
広渡一湖(1644-1702)唐絵目利兼御用絵師、師広渡心海・陳清斎・渡辺秀石
広渡猪三郎(不明-不明)広渡湖秀の子、師石崎元章
広渡桂洲(1833-1866)師荒木千洲、唐絵目利
広渡湖月(1761-1799)広渡湖秀の子、師真村蘆江
広渡湖秀02(1737-1784)唐絵目利兼御用絵師、広渡湖春の子
広渡湖春(不明-1746)唐絵目利兼御用絵師、広渡一湖の二男
広渡湖亭(1717-1762)唐絵目利兼御用絵師、広渡湖春の子
広渡湖笛(不明-1746)広渡一湖の長男
広渡湖峰(不明-不明)広渡系の画人
広渡作三郎(不明-不明)師石崎融思、唐絵目利
広渡重次平(不明-不明)広渡湖亭の子
広渡丈輔(1826-1846)唐絵目利
広渡心海(初代)(1596-1685)肥前の絵師、師狩野洞雲
広渡雪山(不明-1674)佐賀本藩の絵師
広渡大輔(1806-1844)唐絵目利の広渡為八郎の養子
広渡為八郎(1795-1860)師石崎融思、唐絵目利
広渡虎蔵(不明-不明)師石崎融思、唐絵目利
藤井梧園(1780-1844)師柴田義董、四条派
風外慧薫(1568-1658)安土桃山期から江戸前期の画僧
風外本高(1779-1847)江戸後期の画僧、難波円通寺・三河香積寺の住持、俗姓平、号好幽
深江玄珠(不明-1862)師馬場伊歳・住吉内記弘定
深江簡斎(1771-1848)弘道館監察、のちに東原庠舎教授
深江蘆舟(1699-1757)江戸中期の画家・琳派、名庄六、別号青白堂
深谷喜覚(不明-不明)深谷梁燕の子
深谷養節(不明-不明)仙台藩画員・深谷家の絵師
深谷養竹(不明-不明)仙台藩画員・深谷家の絵師
深谷梁燕(不明-不明)深谷養節の身内とみられる
福王雪岑(不明-1785)江戸中期から後期の画家、別号白鳳軒、英一蝶門
福岡文孝(1787?-1847)若くして京にのぼって仏師としての修業を積んだ
福島晁山(不明-不明)津軽家一門、弘前藩九代藩主寧親の家老津軽頼母の家に生まれ
福田太華(1796-1854)師村井蕉雪
福田半香(1804-1864)江戸後期の南画家、師渡辺崋山、名佶、字吉人、別号暁斉・暁夢生
福谷水竹(不明-1850)江戸後期の俳人・画家、師青々處卓池、諱世黄、俳号涼石居水竹、狂号赤守
福原五岳(1730-1799)江戸中期から後期の画家、名元素、字子絢、号玉峰、大雅門
藤素羊(1775-1850)師小池曲江
藤多喜(不明-不明)浦上春琴の妻
藤桃斎(1752-1820)師河野栄寿
藤桃洲(1781-1837)師藤桃斎
藤北鳳(不明-不明)寛政期の南画家、根本常南の仙台画塾「蠖斎社中」に参加
藤井玉翁(不明-不明)浜田の人
藤井藍田(1816-1865)幕末の儒者・尊攘派、師中井藍江・田能村竹田、別号梅軒
藤江石鼎(不明-不明)南画
藤枝月躬(不明-1789)師田能村竹田
藤沢祐川(不明-1787)両所宮山門の天井画を描いた
藤氏憲承(不明-不明)江戸後期の洋風画家
藤田永湖(1693-1769)盛岡藩の国元狩野派絵師・藤田家二代
藤田永寿(不明-1740)盛岡藩の国元狩野派絵師・藤田家初代
藤田錦江(不明-1773)出羽国庄内藩酒井家藩士
藤田松湖(1820-1864)幕末から明治期の画家、福田半香の門人、通称三千郎、別号永規
藤田雪原斎(不明-不明)江戸中期から後期の画家、名祥元、別号北海陳人など
藤崎常興(不明-不明)師狩野常信
藤村鵞講斎(不明-不明)屋号荒木屋
藤村墨雨(1797?-1855)貫名海屋・上杉墨水らと交友
藤本鉄石(1816-1863)幕末の尊攘派志士、名真金、号鉄寒士、都門売茶翁
藤盛江岸(1802-1869)江戸後期から明治期の画家、鳥潟一族
撫松(不明-不明)師片岡撫陵
藤原有宗(不明-不明)平安後期の画家
藤原憲承(不明-不明)江戸中期の秋田蘭画家
藤原豪信(不明-不明)南北朝時代の画家
藤原伊信(不明-不明)鎌倉中期の画家、信実の孫、為継の子
藤原伊久(不明-不明)南北朝時代の画家
藤原隆章(不明-不明)南北朝時代の画家、号覚智、京都祇園社絵師
藤原隆成(不明-不明)平安後期の画家
藤原隆相(不明-不明)鎌倉後期の画家
藤原隆信(1142-1205)平安末期から鎌倉前期の貴族、春日派
藤原隆昌(不明-不明)南北朝時代の宮廷絵所絵師
藤原隆能(不明-不明)平安後期の宮廷画家
藤原為家(1198-1275)鎌倉中期の歌人
藤原為親(不明-1172)平安後期の画家
藤原為継(1206-1265)鎌倉中期の画家・歌人、中務大輔、画を父藤原信実に学ぶ
藤原為信(1248-不明)鎌倉後期の似絵絵師・歌人
藤原長章(不明-不明)鎌倉後期の画家
藤原長隆(不明-不明)鎌倉後期の画家
藤原信実(1176?-1265?)鎌倉中期の歌人・似絵師
藤原光範(不明-不明)鎌倉前期の仏画家
藤原基光(不明-不明)平安後期の画家、巨勢公望に学ぶ、春日土佐・住吉派元祖
藤原玄上(0856-0933)平安中期の画家
藤原隆親(不明-不明)平安後期から鎌倉時代の官吏・歌人、隆能男、春日派三世
藤原隆房(1147-1209)平安末期から鎌倉前期の公卿・歌人
藤原済時(0941-0995)平安中期の僧侶(真言宗)


藤原久国(不明-不明)戦国時代の画家、通称・掃部助
藤原宗弘(不明-不明)平安後期の宮廷絵師
藤原行秀(不明-不明)室町前期の土佐派の絵師
二川玉篠(1805-1865)二川相近の二女、名龍
二川相近(1767-1836)師亀井南冥・青柳種磨
二熊一笑(1792-1857)江戸狩野家の門人
二葉膠山(不明-不明)江戸中期から後期の画家、通称勘左衛門、文晁の門人で秋田江戸邸に住んだ、小室怡々斎は孫
淵上旭江(1753-1816)江戸中期から後期の画家、師大西酔月、名禎、字白亀
淵野香斎(1794-1835)淵野真斎の娘婿
淵野真斎(1760-1823)豊後岡藩士、師淵上旭江・渡辺玄対、名世龍字玉麟、
淵野天香(1797-1825)淵野真斎の長子
物外(1795-1867)尾道済法寺に住んだ
仏乗慈僊(1809-1870)僧侶
佛頂(1642-1715)江戸前期の画僧、号河南
不動院香園(不明-1815)江戸中期から後期の画家、師渡辺清、僧名宥如、海東郡津島の不動院住職
舟谷処節(不明-不明)広瀬勝願寺住職
船曳大滋(1819-1847)土佐派風の画をよくした
古尾谷竹村(不明-不明)明治期の画家、秋田市鷹匠町の画家
古川松根(1813-1871)師柴田是真、住吉広行に私淑
古屋竹原(1788-1861)江戸後期の画家・医師、師楠瀬大枝、名良材、字棟梁、通称尉助・荘助、別号点伯・顧岳
古谷洞芸(1828-1872)師弘瀬洞意、絵金派
文清(不明-不明)室町中期の画家
文藻(不明-不明)江戸後期の画家
米鳥斎(不明-不明)江戸時代の画家
碧雲寺渕黙(1784-1846)竹田碧雲寺第十八世寺主
辺文進(不明-不明)福建画壇の画家
方西園(1736-不明)中国の画家、名済、字巨斎、別号巨川
葆斎(不明-不明)広瀬町岩倉寺に作品がある
北条蟠木(1719-1789)江戸中期の画家・秋田藩士、名忠友、通称重蔵、本名幡木、別号八十
芳春院(1547-1617)織田信長の家臣篠原主計の娘、本名はまつ
牧松(不明-不明)室町時代の画家、雪舟傍系
穆浄(不明-不明)江戸後期の画家、書画、和歌をよしくた
北泉戴岳(不明-不明)二代葛飾戴斗門人あるいは北斎門人、号は戴岳・溪斎・雲鶴・北泉・卍など
墨痴(不明-不明)画僧、師兒島竹處
星野田斉(不明-不明)江戸後期の画家、別号天福道人、鉛筆画を得意とした
星野文良(1798-1846)白河藩絵師、師谷文晁
甫雪等禅(不明-不明)室町時代の画僧、師雪舟、俗称松浦等禅
細井平洲(1728-1801)儒学者
細川成之(1434-1511)師雪舟
細川林谷(1780-1843)江戸後期の日本の篆刻家・漢詩人
細谷耕雲(1830?-1853)細谷松坡の二男
細谷松坡(1797?-1868)医業のかたわら画をよくした
法橋義信(1788-1868)江戸後期の画家、別名長安義信、師佐野龍雲
墨溪(不明-1473)室町中期の画僧、名鑑貞、字桃林、周文門
堀田鶴渚(1824-不明)師春木南溟
堀田正敦(1755-1832)仙台藩主・伊達宗村の八男
堀田正民(1781-1838)近江宮川藩六代藩主
没倫紹等(不明-不明)室町中期の画僧
堀井竹堂(不明-不明)明治期の画家、秋田市八町の画家、名和兵衛
本阿弥光悦(1558-1637)安土桃山期から江戸前期の書画・陶芸家、号自得斎・太虚庵
本阿弥光甫(1601-1682)江戸前期の芸術家、本阿弥光悦の養子光瑳の子、光伝の父、号空中斎
本田玉岡(不明-1865)雲州広瀬藩御用絵師
本田蘿山(1821-1864)師小田海僊
本堂蘭室(1776-1843)盛岡藩の漢画家、田鎖鶴立斎の実弟

【ま行】

舞田屋理作(不明-不明)南部めくら暦を出版した
前田紫石(不明-不明)江戸後期の画家、師野呂介石、前田有竹の妻
前田蕉庵(不明-不明)江戸後期の画家、師野呂介石
前田有竹(不明-不明)江戸後期の画家、師野呂介石
前野河洲(不明-1792)師狩野栄川院典信、狩野派
前村洞泉(不明-不明)師前村洞和、狩野派
前村洞和(不明-1841)師狩野洞白、狩野派
勾田香夢(不明-不明)江戸後期の画家、師中林竹洞、名清、号芳仙・香夢
勾田台嶺(1772-不明)江戸後期の画家、名寛宏、字文饒、師中林竹洞
蒔田雲処(1812-1865)越前福井藩士
蒔田暢斎(1738-1801)江戸後期の画家・書家、師月僊、名器、字必器、通称亀六、別号彪山・箕山等
牧田歴山(1775?-1828)書画詩文を好んだが師系は定かではない
牧野永昌(1747-1824)師鈴木梅山・狩野梅笑、別号遊心斎・高興
牧野梅僊(1778-1860)牧野永昌の養子、狩野永岳に師事のちに松村景文に私淑、別号牧遊斎
牧野黙庵(1796-1849)師斎藤一斎
政池遠耻(1761-1839)江戸後期の画家、名彦作、諱威、別号遠恥堂
政池子董(1761-1839)江戸中期から後期の画家、太田山陰の甥
真砂幽泉(1770-1835)紀南田辺で活躍した狩野派の画人
正宗直胤(1799?-1862)師武田五峰
正宗雅敦(1788?-1838)師武田五峰
増山雪園(1785-1842)江戸後期の画家、増山雪斎の長男
増山雪斎(1754-1819)江戸中期から後期の画家、南瀕派、伊勢長島藩第5代藩主、名正賢、字君選
増田九木(1782-1848)本荘藩御用絵師、師谷文晁
益田春山(1815-1862)師斑目東雄
益戸滄洲(1726-1777)江戸中期の画家・儒者・俳人
斑目東雄(1795-1863)師東東洋
町田雲平(1678-1756)元米沢藩士で、新庄藩の絵師となった
町田半岡(不明-不明)野呂介石の画風を慕った
松井慶仲(1781-1819)松井霞山元仲の子
松井慶徳(1721-1782)師石崎元徳
松井元仲(1752-1813)師石崎元徳
松井竹山(1804-1862)松窓乙二の二男
松浦春挙(1771-1847)師森狙仙・円山応挙
松浦松洞(1837-1862)幕末の南画家、名温古、通称亀太郎、変名松田和介
松浦桃挙(不明-不明)師森狙仙・森徹山、松浦春挙の養子
松尾琴江(1836-1865)師鉄翁祖門
松尾齢右衛門(不明-1809)長崎版画文錦堂の版元・絵師
松岡栗材(1736-1831)渡辺蓬島の師
松岡李堂(1787?-1861)師浦上春琴
松崎敬信(不明-不明)師狩野洞春、狩野派
松崎昨非坊(不明-不明)俳画を得意とした
松嶋仙流(1722-1784)矢野派、師矢野雪叟
松田周修(不明-1730)師狩野周信、日出藩士
松田翠崖(1804?-1862)師浦上春琴
松田翠玉(1818-1838)師楠瀬大枝・島本蘭溪
松平義山(1664-1744)江戸前期から中期の画家、名頼貞、姓源、字子剛
松平玉峯(不明-1861)師本多玉岡・堀江友声
松平治郷(1751-1818)出雲松江藩主・茶人
松平松翁(不明-不明)松平康映の弟
松平近訓(不明-1852)府内藩大給氏第八代藩主
松平近貞(1688?-1757)府内藩大給氏第四代藩主
松平近形(1723-1773)府内藩大給氏第五代藩主
松平直興(1800-1854)出雲母里藩主松平直方の子
松平綱隆(1631-1675)松江藩松平家二代、師太田永雲
松平乗完(1752-1793)三河西尾藩主
松平不騫(1755-1840)府内藩大給氏第六代藩主
松平鳳山(1735-1811)師岩井正斎、名勝長
松平頼該(1809-1868)松平頼儀の子
松平頼救(1756-1830)江戸中期から後期の画家、宍戸藩第5代藩主、字子徳、号謙山・太玄
松平頼恭(1711-1771)高松藩五代藩主、書画をよくした
松平頼常(1652-1704)高松藩二代藩主、書画をよくした
松平頼儀(1775-1829)高松藩八代藩主、書画をよくした
松平頼恕(1798-1842)高松藩九代藩主、書画をよくした
松平鸞山(1697-1742)江戸中期の画家、宍戸藩第3代藩主、名頼慶、狩野派の山水を描いた
松波悦翁(1820-不明)師木下逸雲・僧鉄翁
松波鶴山(1769-1855)師山田鶴洲、名文右衛門、別号邦章・慶翁
松野梅山(1783-1857)江戸後期の画僧、師岩井正斎・狩野養川院、名栄興、字純恵、別号雪香斎、無我道人・叙法眼
松林山人(不明-1792)熊斐に師事
松原栄元(1710-不明)松原探水の子
松原探水(不明-不明)松原探梁の子
松原探梁(不明-不明)師狩野探幽
松原文忠(不明-1865)師谷文晁
松原幽知(不明-不明)師狩野探幽
松宮岱陽(不明-不明)津軽の初期南画家、門人に岩佐半山がいる
松村玉文(1819-1870)師父松村景文、別号光清
松村景文(1779-1843)四条派、号華渓、呉春門、別名・呉景文
松村月渓(1752-1811)四条派の始祖、別号呉春
松村呉春(1752-1811)江戸中期から後期の文人画家、別号月渓、師蕪村
松村梅宰(1815-1864)師小田海僊
松村蘭台(1760-1820)師横山竹林斎・楠瀬南溟
松本一雄(不明-不明)江戸後期の画家、号仙鶴堂
松本玄々堂(1786-1867)銅版画家、師中屋伊三郎
松本交山(1784-1866)江戸後期の画家・俳人、本姓上条、文晁に師事、叙法眼
松本山月(1650-1730)江戸前期から中期の画家、名貞則、初めは佐次之丞、別号半輪斉、松本山雪の養子
松本山雪(不明-1676)江戸前期の絵師、本名恒則、初名庄三郎、別号岨巓・心易
松本晩翠(1824-不明)師飯島雲岳
松本保居(1786-1867)玄々堂と称して天保年間初期に銅版画をはじめた
松吉樵渓(不明-1870)江戸後期の画家、師野村玉渓、父樵渓のあとを継いだ
的場南岳(不明-不明)南画
真野桃蹊(不明-1818?)名恭、通称菅四郎、字子儉、別号墨亭
馬淵里夕(不明-不明)江戸後期の画家


間宮林蔵(1780-1844)江戸後期の北方探検家、間宮海峡を発見、名倫崇、書画をよくした
真村蘆江(1755-1795)江戸中期から後期の南画家、名斐瞻、通称長之助
眞山蕙園(不明-不明)師高久靄崖、眞山梧洞の実父
丸尾月嶂(不明-1827 )江戸後期の画家、本姓河村
丸野清耕(1784-1843)上山藩御用絵師
円山応挙(1733-1795)円山派の祖、師石田幽汀
円山応震(1790-1838)江戸後期の南画家、名仲恭、應受の子、應瑞の養子
円山応瑞(1766-1829)師円山応挙、応挙の子、字儀鳳、号真堂・怡真堂
丸山閑山(1810-1872)師大高坂南海
丸山南海(不明-1801)松山藩士、丸山閑山の父
馬渡高雲(不明-不明)肥前佐賀の絵師、達磨の画をよくした
満香(不明-不明)江戸後期
三浦呉舟(不明-不明)江戸後期の画家、椿椿山に学ぶ
三浦梧門(1808-1860)師石崎融思、名惟純、字宗亮、長崎三画人
三浦紫☆(1773-1856)師宋紫山、☆は「田」+「宛」
三浦子☆(不明-1794)肥前の絵師、師林龍斎・舶方西園、☆は「燦」の「火」を「王」に
三浦楚☆(1804-1832)三浦紫えんの子、☆は「田」+「宛」
三浦南溪(不明-1787)津和野藩士、師楠本雪溪
三浦文渓(不明-不明)江戸後期の画家、名富作、文嶺に学んだ
三上隆圭(1785-1834)津軽の初期南画家、弘前藩医、江戸で酒井抱一に学んだとされる
三木菁里(1832-1861)師赤松藍洲・小寺芦屋
三木文柳(1716-1799)讃岐の南蘋派、師宋紫石、分流とも表記
三熊花顛(1730-1794)江戸中期から後期の画家、名思孝、字介堂
三熊思孝(1730-1794)師大友月湖
三熊露香(不明-不明)三熊花顛の妹
御厨夏園(不明-1722)師狩野文周
三島雲嶺(1828-不明)師長塩雪山
三島等泉(不明-不明)松江の人、仏画
水谷正村(1524-1598)安土桃山期の画家、下館城主、号蟠龍斎
水野鏡川(不明-不明)師横山竹林斎、狩野派
水野真邦(1785-1862)江戸後期の画家・歌人、通称貢、別号池有亭・内膳・梅下山人
三隅房安(不明-不明)師狩野友元
溝口栄春(不明-不明)寛文頃の金森家の絵師で鷹を得意とした
三谷永玄(不明-1724)江戸中期の画家、三谷等悦の二男、名安常、通称仁右衛門
三谷永恕淵信(不明-1761)久留米藩絵師三谷第二分家初代、三谷安常の長男
三谷永錫映信(1752-1822)久留米藩絵師三谷本家五代、三谷永雪の二男、師狩野法眼永徳(二代)
三谷永就資信(不明-1825)久留米藩絵師三谷第一別家五代、師狩野法眼永徳(二代)
三谷永雪白信(不明-1756)久留米藩絵師三谷本家四代、三谷永伯の長男、師狩野永叔
三谷永恕(不明-1761)三谷第二別家初代、師狩野永叔
三谷永伯邑信(1663-1739)久留米藩絵師三谷本家三代、三谷安俊の養子、師狩野永真・永叔
三谷勝浦友信(不明-1845)久留米藩絵師三谷本家六代、三谷永錫映信の長男
三谷勝波方信(1805-1869)久留米藩絵師三谷第一別家六代
三谷元就柳眼(1687-1748)久留米藩絵師三谷第一分家二代、三谷安常の二男
三谷勝竹(1815-1840)師狩野勝川院
三谷勝浦(不明-1845)師狩野伊川院・晴川院
三谷仙八(不明-1812)三谷第一別家四代
三谷仙八主景(不明-1812)久留米藩絵師三谷第一分家四代
三谷宗恕主邑(1702-1769)久留米藩絵師三谷第一分家三代
三谷宗恕(1702-1769)三谷第一別家三代
三谷等悦(不明-1675)久留米藩絵師三谷本家初代、三谷等哲の長男
三谷等雪(不明-不明)雪舟派
三谷等哲(不明-1630)久留米藩御用絵師三谷家の祖、雲谷等益の三男
三谷方信(1805-1869)三谷第一別家六代、師狩野伊川院・晴川院
三谷元就(1687-1748)三谷第一別家二代
三谷盛直(不明-1654)師雲谷等顔
三谷安常(不明-1724)三谷第一別家初代、師狩野永真
三谷安俊(1634-1671)久留米藩絵師三谷本家二代、三谷等悦の長男、狩野派に転向
三谷祐八(不明-1781)三谷第二別家二代
三谷友林主郷(1819-1864)久留米藩絵師三谷本家七代、三谷勝浦の養子
三井丹丘(1729-1811)江戸中期から後期の画家・医者、三井久英の子、師谷川士清、名重諟・諟、字伯顧・子幹・文幹、通称建章・建二・建子、別号芝園
緑姫(不明-不明)江戸中期から後期の画家、徳川家斉の養女、水戸中納言の簾中、狩野勝川院に学んだ
皆川雨邨(不明-不明)明治期の画家、狩野派、名清四郎
皆川淇園(1735-1807)江戸中期から後期の画家・儒学者、名愿、字伯恭、別号節斉
皆田高渚(不明-不明)師中山高陽
源忠卿(1763-1808)寛政期の南画家、根本常南の画集「優遊一奇」に鳳凰図を描いている
源鸞卿(1729-不明)名は義和、字は翩之、別号隴南・黙亭、一説には山本又三郎とも言われる
源信01(0810-0868)平安前期の画家、嵯峨天皇の皇子
源師時(1077-1136)平安後期の画家
蓑田周賀(不明-不明)師狩野周信
蓑田常僖(1665-1732)師狩野常信
源為憲(不明-1011?)平安中期の画家
箕浦桂林(1779-1813)師狩野洞春、狩野派
三畠上龍(不明-不明)江戸後期の画家、別号乗良・乗龍等
三原文叢(1812-不明)師和田芸谷、三原静軒の子
壬生水石(1790-1871)師徳弘石門
三増文高(不明-不明)師谷文晁
三村常和(初代)(不明-1678)庄内藩御用絵師、師狩野探幽
三村常和(2代)(1644-1721)庄内藩御用絵師、師三村常和(初代)
三村常和(3代)(不明-不明)庄内藩御用絵師、三村常和(2代)の養子
三村晴山(1800-1858)江戸後期の南画家・松代藩士、名養実、別号金斎、狩野晴川門
三村養益(不明-1834)師狩野養川院惟信
宮悟崗(不明-不明)京にあって細密画で一世を風靡したとされる
宮内梁洲(不明-不明)南画、益田市高津町教西寺住職
宮尾流芳斎(不明-不明)師森狙仙
三宅鴨渓(1794-1857)江戸後期の画家、谷文晁の門人、名寅、字希唐、通称熊五郎、別号緑个
三宅看雲(不明-不明)江戸後期の画家、師野呂介石
三宅紫山(1792-1792)師梶山九江、了閑の曽孫、名泰邦
三宅西浦(1786-1857)江戸後期の画家、師伊孚九・野呂介石、名高哲、字稚由、通称辰蔵、別号看雲楼
三宅雪僊(1839-不明)師小田海僊
宮崎☆圃(1717-1775)江戸中期の画家、名奇、字子常、☆は「たけかんむり」に「均」
宮崎青谷(1811-1866)江戸後期の画家・儒者、伊勢津藩士、師斎藤拙堂・頼山陽
宮崎白山(不明-不明)江戸中期の画家、通称十郎次、字慎甫
宮崎友禅斎(1654-1736)江戸中期に京都で活躍した扇絵師・染物絵師、別名深江幽禅、友禅染の創始者
宮沢鶴斎(1806-1850)師東東洋
宮沢水寮(不明-不明)明治期の画家、名茂、通称運蔵、菊池容斎の門人
宮路惣右衛門(不明-不明)師狩野常信
宮地敬之(1734?-1791)師頼春水
宮田嘯台(1747-1834)江戸中期から後期の漢詩人
宮地惣右衛門(不明-不明)鹿児島城において蓑田傳兵衛とともに描いた
宮野丘陵(不明-1844)森藩士、師父雲巌
宮部雲錦(1749-1815)江戸中期から後期の画家、師栗田長珉
宮本君山(不明-1827)江戸後期の画家、星渓の子、名は瓊、別号峨洋堂
宮本二天(1584?-1645)宮本武蔵と同一
宮本武蔵(1582?-1645)江戸前期の画家・剣豪、号二天、師友雪
宮本綾浦(不明-不明)師黒田綾山
明菴栄西(1141-1215)平安末期から鎌倉初期の僧
明恵上人(1173-1232)鎌倉中期の画僧


明実(不明-1093)平安後期の画僧
明順(不明-1118)平安後期の絵仏師
妙性尼(不明-不明)江戸中期の画家、狩野栄川右信の妻
妙沢(1308-1388)室町前期の臨済宗の僧、日本初期水墨画の先駆者
三好応山(1792-1849)師土佐鉄山
三好元一(1793-1843)江戸後期の画家、水戸藩士、酒井抱一の門に学ぶ、幼名徳太郎
三輪雪溪(不明-不明)江戸後期から明治期の画家、下館藩士、竹内南圭に学ぶ、名才次郎
明中(不明-不明)江戸後期の画僧、名如寿
明兆吉山(1352-1431)室町前期の東福寺の画僧、通称・兆殿司、宇吉山、号破草鞋
向井竹斎(不明-1859)讃岐の南蘋派、長崎で鉄翁逸雲らと交友
無倪(1744-1811)江戸中期の画僧、岡寺山継松寺の僧
六平寿栄(不明-不明)明治期の画家、本姓池田、増田九木に師事
武藤玄海(不明-不明)明治期の画家、秋田六郷町の人
武藤細鸞(1788-1855)師楠瀬大枝
無等周位(不明-不明)南北朝時代の画僧
村井琴山(1733-1815)江戸中期から後期の医師
村井樵雪(1769-1841)江戸後期の画家
村井蕉雪(1769-1842)福田太華の師
村井中漸(1708-1797)医業の傍ら画を描いた
村井漠所(1821-1862)師東夢亭・東佩芳
村井守憲(不明-不明)師衣笠守昌、福岡藩士
村尾石溪(1783?-1845)師長町竹石
村岡岳民(不明-不明)江戸後期の画家、名粛、萩谷セン喬の弟
村片相覧(1778-1846?)住吉派、福山藩絵師
村上島之允(1760-1808)幕府の蝦夷地調査に同行し『蝦夷島奇観』を著した
村上十兵衛(不明-不明)師狩野探幽、狩野派
村上松堂(1776-1841)江戸後期の画家、名茂篤、字元厚、師岸駒
村上菁莪(1761-1826)師池大雅
村上専助(不明-不明)土佐藩の御用絵師・村上家三代
村上貞助(1780-1864)村上島之允の養子、養父の仕事を引継ぎ『蝦夷生計図説』を完成させた
村上東洲(不明-不明)師望月玉蟾
村瀬栲亭(1744-1819)江戸後期の画家・漢学者、名之煕
村瀬石斎(不明-1808)村瀬栲亭の子
村田鶴皐(1802-1857)師渡辺秀実
村田経方(不明-不明)別号の類似性から探達と近い関係にあったと思われる
村田東圃(1802-1865)師松村景文・斎藤秋圃
村田筆岳(不明-不明)讃岐の四条派の画家、森琴岳の師
村田龍亭(不明-不明)円山応挙と交流
村松以弘(1772-1839)江戸後期の南画家・歌人、名維孝、字以弘、通称奥五郎、別号笠斎・小笠山房主人など
村松弘道(1795-1862)江戸後期の画家、谷文晁の門人、通称孫兵衛、号原谷
村山半牧(1828-1868)幕末から明治期の南画家、名淑、字其馨、別号荷亭
明正天皇(1624-1696)第109代天皇、本名は興子
目賀多雲川信済(不明-1847)師狩野探信守道
目賀多雲川守息(1641-1714)師狩野探幽
目賀多幽雲守如(不明-不明)師狩野探幽
米良東☆(1811-1871)日出藩儒官、☆は「山」+「喬」
毛受昇堂(1864-1827)師織田杏斎、名金次郎
毛内雲林(不明-1837)津軽の南画家、津軽に南画をもたらした
茂木知矩(不明-不明)江戸後期の画家、秋田藩士、歌、絵画をよくした
木庵性☆(1611-1684)☆は「滔」の「さんずい」を「王」
黙庵霊淵(不明-1345?)鎌倉末期から南北朝時代の禅僧、日本の初期水墨画の重要作家の一人
望月玉川(1794-1852)江戸後期の画家、名暉、字子瑛、玉仙の男
望月玉仙(1744-1795)江戸中期から後期の画家、名真、字守静、玉蟾の子
望月玉蟾(1692-1755)江戸中期の画家、名重勝・玄、通称藤兵衛、字守静、号玉蟾
牧谿(不明-不明)宋末元初の僧
茂庭幽紅(不明-不明)「原田宗輔公像図」が残っている
百川学庵(1799-1849 )江戸後期の画家・儒者、百川玉川の二男、師谷文晁、名子琢、字璞、通称文平、別号名山楼
桃田伊信(不明-1765)江戸中期の狩野派の画家
桃田柳栄(1647-1698)師狩野探幽
森一鳳(1798-1871)師森徹山、名敬之、森徹山の義子
森☆谷(1800-1856)師谷文晁、森昌義の子、☆は「山」+「解」
森煕斎(不明-不明)森五石の娘婿
森休印(不明-1740)盛岡藩の国元狩野派絵師、師狩野休山
森玉僊(高雅)(不明-不明)高力猿猴庵と関係があると思われる
森荊田(不明-不明)森五石の甥
森月航(不明-1814)江戸後期の画家、和歌山藩画員、師月僊
森研樵(不明-不明)森秋艇の一子
森玄心(不明-不明)師森探瑞
森五石(1747-1822)日田の御用商人、森春樹・森秋艇の父
森三桐(不明-不明)師父森探龍
森秋艇(1786-1868)師田能村竹田・広瀬淡窓、森五石の第三子
森周峰(1738-1823)江戸中期から後期の画家、号鐘秀斎、師雪鼎、叙法橋
森春溪(不明-不明)江戸後期の画家、森狙仙の門人
森銭江(不明-不明)森一族の入り三の人
森狙仙(1747-1821)師円山応挙、名守象、字叔牙
森高雅(1791-1864)江戸後期の画家、師吉川一渓・中林竹洞・牧墨僊、通称右門・蜂助、号玉僊・蝦翁・菊亭・素堂・紫川亭
森探瑞(1724-1769)師木村探元
森淡亭(不明-1845)森五石の又従兄
森徹山(1775-1841)師円山応挙、名守真、字子元
森桐谷(1831?-1855)森カイ谷の養嗣子
森東溟(1772?-1843)師谷文晁
森春樹(1771-1834)師田能村竹田・広瀬淡窓、森五石の長子
森萍雨(不明-不明)森秋艇の二子
森平原(不明-1858)森家一族山三家の人
森保斎常以(不明-1771)森休印の子、江戸で狩野如川に学んだ
森行貞(不明-不明)文化年間の人、月航と号した
森義章(不明-不明)四条派の画家、師景文
森蘭斎(1740-1801)江戸中期から後期の画家、名文祥、字九江
森菱許(不明-不明)文久年中の豊前の人
森菱湖(不明-不明)森秋艇の長子
盛合魯斎(1813?-1866)寺沢綾湖に画を学んだとされる
森岡永眠(1766-1822)京狩野の門人
森崎春旦(不明-1840)徳島藩船絵師、師森崎常福師大岡春川
森崎常福(不明-1798)徳島藩船絵師、森崎家の最も古い存在
森田樵眠(1795-1872)師松村呉春・岡本豊彦、四条派
森田南濤(1808-1872)小松藩絵師、師春木南湖
森田二斎(不明-不明)師幸田皆春
森田珉岑(1792-1866)江戸後期の儒者
森田魯舟(1722-1783)江戸中期の俳人・画家、名作兵衛、字顕忠、別号百花園
守屋中岳(不明-不明)師黒田綾山
守屋貞治(1765-1832)仏師
森脇塔玉(1828-1871)師塔然
諸葛函溪(1780-1848)狩野陽信の養子、諸葛家を創立
諸葛秋錦(不明-不明)長府藩御用絵師
諸藤実斉(1829-不明)柳川藩絵師、師狩野永岳
文覚(1139-1203)平安末期・鎌倉初期の真言宗の画僧、俗名遠藤盛遠
文観(1278-1357)南北朝時代の真言宗立川流の僧侶

【や行】

八重樫豊澤(1763-1842)盛岡藩の漢画家
八木巽所(1771-1836)師木村巽斎
八木米慎(1824-1857)師佐伯岸岱
八木松濤軒(1829-1854)師能勢一清
屋慶名政賀(1737-1800)琉球の絵師、唐名は呉着温、のちに呉着仁
屋慶名政喜(1768-1825)琉球の絵師、唐名は呉昆孝、屋慶名政進の長男
屋慶名政進(1798-不明)琉球の絵師、唐名は呉啓思、屋慶名政賀の三男
矢島鶴仙(1755-1826)師山田鶴洲、名矢島一円、別号鷺山道人
矢島群芳(1798-1869)高崎藩士、師大西圭斎・椿椿山
保井錦江(不明-不明)讃岐の南蘋派
安井亘(1769-不明)江戸後期の画家・秋田藩士、名本生、通称竜之助・、亘藩士の似顔絵を描いた
安岡道仙(1727-1797)江戸中期の医者・南画家
安田元志(不明-1792)師石崎元徳
安田素教(不明-不明)安田元志の子か弟、あるいはその一族
安田田騏(1784-1827)江戸後期の洋風画家・銅版画家、師亜欧堂田善
安田甫行(利忠)(1712-1771)高鍋藩御用絵師安田家四代、師狩野随川甫信
安田守義(李仙)(不明-1841)高鍋藩御用絵師安田家七代、師狩野探信守道
安田義方(李仲)(1752-1815)高鍋藩御用絵師安田家五代、師狩野常川幸信・狩野閑川昆信
安田義為(李仙)(1782-1832)高鍋藩御用絵師安田家六代、師狩野友川寛信
安田義成(李仲)(不明-1696)高鍋藩御用絵師安田家初代、師狩野尚信
安田義正(李仙)(不明-1706)高鍋藩御用絵師安田家二代、師狩野養朴常信
安田義行(不明-1747)高鍋藩御用絵師安田家三代、師狩野如川周信
安田雷洲(不明-不明)江戸後期の洋風画家、幕府の与力
安山親定(1692-1777)師木村探元
安山常親(1649-1724)師狩野常信・坂本常以
安山親信(1649-1724)師狩野常信・坂本常以
矢田四如軒(1718-1794)江戸中期の加賀藩の画家
宿茂稼暁(1798-1851)師若宮養徳
野内月居斎(不明-不明)江戸中期から後期の画家、名助三郎
梁川星巌(1789-1858)江戸後期の漢詩人、名孟緯、字公図・伯兎、通称長澄
柳沢淇園(1704-1758)江戸中期の文人画家・漢詩人、名里恭、字公美
矢野伊章(1785-1840)師狩野伊川院栄信、狩野派
矢野伊籍(1777-1811)徳島藩御用絵師、師狩野養川院惟信・伊川院栄信、狩野派
矢野栄教(1730-1799)徳島藩御用絵師、師狩野栄川院典信、狩野派
矢野括山(1780-1845)萩藩士、山口における南画の祖
矢野三郎兵衛吉重(1598?-1653)矢野派、師田代等甫
矢野茂安(1673-1752)矢野派、師父矢野吉安
矢野章三郎(不明-不明)師矢野伊章、狩野派
矢野常博(不明-1756)徳島藩御用絵師、師狩野常信、狩野派
矢野雪叟(1714-1777)矢野派、師養父矢野茂安
矢野南竹(不明-1756)師狩野常信、狩野派
矢野夜潮(1782-1828)江戸後期の画家、名正敏、字仲観
矢野良勝(1760-1821)矢野派、師矢野雪叟
矢野良敬(1800-1858)矢野派、師矢野良勝
矢野吉尚(不明-不明)肥後矢野派、矢野吉重の子
矢野吉安(不明-不明)矢野派、師矢野吉安
薮長水(1814-1867)幕末の画家、藪鶴堂の子、別号蝶睡
矢吹酔月(1805-1868)師斑目東雄
山跡鶴嶺(不明-不明)師円山応挙
山内伊村(不明-1863)江戸後期の水戸家御用絵師、名榮以
山内勝春(不明-不明)江戸後期の画家、狩野勝川院雅信の門人、名雅熈、山内伊村の養子
山内対鵞(1733-1791)江戸中期の画家
山内養春(1757-1819)江戸中期から後期の水戸藩の御用絵師、狩野惟信の高弟
山岡雲峯(不明-不明)師堀江友声・陶山勝寂
山岡蒼雪(不明-不明)師飯島雲岳・陶山勝寂
山県鶴江(1754-1803)江戸中期から後期の画家・書家、名英、字子粲、通称俊平、別号県英
山県吾風(1785-1846)江戸後期の画家、通称東一郎、諱厚忠、別号菊園・菊翁・子朴・子樸
山川阿谷(1772-1830)松山藩の閨秀画家
山川千渓(1735-1780)師鶴沢探鯨、名正治
山川滄洲(不明-不明)沈南蘋風の画を描いた
山川冬青(1754-1818)江戸中期の画家、名貞、字玉幹、橋本修竹の子、山川墨湖の妻
山川墨湖 (1746-1800)清人費晴湖に南画を学んだ
山川墨湖(1746-1800)江戸中期の画家、師費晴湖、名斉、字子順、通称弥兵衛、別号五石山人
山口巻石(1805-1870)貫名海屋・中島棕隠らと交友
山口耕雪01(1810-1849)師荘門為斎
山口雪溪(1648-1732)江戸前期から中期の画家、雪舟・牧溪を学んだ、別号雪景
山口宗季(1672-1743)琉球画人五大家、唐名は呉師虔
山口素絢(1759-1818)師円山応挙、字伯後、別号山斎、応挙門
山口等月(不明-不明)師内藤等甫
山口洞月(不明-1811)師狩野洞春美信
山口南嶺(不明-不明)師衣笠守由
山口牧野(不明-不明)江戸後期から明治期の画家、鈴木鵞湖の門人、名花見郎
山口余延年(1746-1819)江戸中期の画家、師高芙蓉
山崎阿亭(不明-1832)師春木南湖
山崎雲山(1771-1837)江戸時代後期の画家・書家、池大雅に私淑
山崎寿山(不明-不明)佐伯藩士
山崎松窓(不明-不明)師尾形探香
山崎董烈(1786-1837)江戸後期の画家、董九如の子
山里得次(不明-不明)八重山の絵師
山路探英(不明-不明)師父山路探定
山路探溪(1762-1816)師父山路探定
山路探定(1728-1793)師狩野探林・木村探元
山下守胤(1786-1869)江戸後期から明治期の画家、師森探玉斎
山田右衛門作(1575-1657)洋風の画法で描いた
山田雲窓(1776-1825)師松村呉春
山田嘉右衛門(1665-1746)俳画家
山田鶴洲(1745-1803)師鶴亭、名登穀、通称治右衛門、美濃南蘋派の祖
山田宮常(1747-1793)江戸中期の画家、字吉夫、通称半蔵、別号雲嶂・拙々画堂、尾張南画中興の祖
山田元長(不明-不明)江戸中期から後期の漢詩人、山田鶴洲の弟
山田☆斎(不明-不明)江戸後期の画家、☆は「王」+「泉」
山田香雪(1817?-1857)江戸後期の画家、名意誠、別号眞誠斉
山田秋桂(不明-不明)豊前の人
山田秋濤(不明-1858)家業は掛屋、書画をよくした
山田雪塘(不明-不明)四条派、師松村呉春
山田遷民(不明-不明)江戸後期から明治期の画家、萩谷セン喬の門人
山田宗閑(1809-1852)京都の人で人物花鳥を得意とした
山田鼎石(1720-1800)江戸中期から後期の漢詩人
山田道安(不明-1569)戦国時代から安土桃山時代の武人画家、名順貞、周文・雪舟を私慕
山田洞雪(1781-1842)江戸後期の画家、師狩野洞淋、幼名伴之丞、名由辰、別号輝山亭
山田東渚(不明-1859)家業は掛屋、書画をよくした
山田反山(不明-不明)師長塩雪山
山田来青(1776-1826)師松村呉春
山田蘭陵(不明-不明)江戸後期の画家、別号鉄外、大庭松風の弟
山田蘆岸(1801-1860)江戸後期の画家、山田家十二代、名重武、字寛夫、別号逢雪斎・松濤舎・無為楽老人
山田樗里(不明-不明)菅茶山・頼山陽らと交友した
山名虚舟(不明-不明)津の人
山中探叔(1680-1716)師狩野探信
山野峻峰斎(1785-1852)狩野派、広島藩絵師
山辺雪居(1766-1812)名暉、通称内記、別号雲林
山辺等淵(不明-不明)雲谷派
山村春耕(不明-1862)師荒木千洲
山本雲渓(1780-1861)師森狙仙、通称雲平、字好徳
山本琴浦(1756?-1835)貫名海屋らと交友した
山本梧嶺(不明-1781)師円山応挙・月湖山人
山本十水(1816-1862)師森茂雨香
山本若麟(1721-1801)上野若元の長子
山本守礼(1751-不明)師円山応挙、山本探川の養子
山本☆桃(不明-不明)江戸中期、儒者山本北山の後妻、俗名は多美、字は如雲、☆は「糸」+「相」
山本翠雲(不明-不明)江戸後期、山本☆桃の孫
山本宗川(1679-1760)山本素軒の養子
山本素軒(不明-1706)師狩野探幽
山本素程(不明-1674)師狩野探幽


山本為則(不明-1788)狩野派
山本探川(1721-1780)江戸中期の狩野派の画家
山本梅逸(1783-1856)江戸後期の画家、明清の画法を学ぶ、名親亮、通称卯年吉、別号天道外史、玉禅、梅華、春園
山本梅痴(1789-1854)江戸後期の画家
山本麦雲(不明-不明)出雲の人、画を得意とした
山本飛鳩(不明-不明)出雲の人
山本養仙(不明-不明)金森家に仕えた
山本養和(初代)(1776-1829)江戸木挽町狩野、晴川院養信の門人
山脇東暉(1777-1839)江戸後期の南画家、字威中、号既白、呉春門
祐円(不明-不明)南北朝期後半から室町初期の絵仏師
祐源泉芳斎(不明-不明)師鶴澤探泉
祐常(1723-1773)二条綱平の子、別号月渚
幽賞光繁(不明-不明)師町田光雅、狩野派
宥存(1739-1787)画僧、琴平金光院住職
祐天(1637-1718)江戸前期の呪術師、浄土宗大本山増上寺三六世
湧堂(不明-不明)竹田九郎太夫の家臣、蝦蟇の画を得意とした
熊斐文(1747-1813)熊斐の長男
熊斐明(1752-1815)熊斐の二男
湯川玉僊(1812-不明)盛岡藩の国元狩野派絵師・湯川家三代
湯川玉泉(1775-1816)盛岡藩の国元狩野派絵師・湯川家二代
湯川玉僊智易(1812-不明)盛岡藩の国元狩野派絵師
湯川玉泉智徳(1775-1816)盛岡藩の国元狩野派絵師
湯川玉流(不明-1808)盛岡藩の国元狩野派絵師・湯川家初代、師狩野春信
湯口龍淵(1763-1833)江戸後期の横手の画家
弓削等薩(1516-不明)師秋月等観・周徳・等坡
湯佐薫陰(不明-1860)師岩本贅庵
柚木黄香(1804?-1864)師鳥越烟村
百合(1694-1764)歌人画家、松屋の女主・梶の養女、池玉瀾の母、祇園三女、本姓木村
楊君山(1728-1797)師費漢源
楊月(不明-不明)室町後期の画僧、号和玉、牧渓の画法修得
楊月和玉(不明-不明)室町後期の薩摩出身の画僧
溶姫(1813-1868)第11代将軍徳川家斉の21女
横井金谷(1761-1832)江戸中期から後期の浄土宗の僧、師与謝蕪村、名妙憧、別号蝙蝠道人
横井不染(不明-不明)横井金谷の妻
横沢雪斎(不明-1862)南部利済に重用され家老の職についた
横田節斎(不明-不明)狩野派を学んだ、秋田穣吉と同一
横田養休(不明-不明)久世出雲守のころ吉田藩お抱え絵師
横地三丘(1774-1857)師横井金石、名義詮、通称勘内、別号白雲洞
横山華渓(1815-1864)幕末の画家、師岸駒・横山華山、通称信平・主馬之助、別号嵐山
横山華山(1784-1837)江戸後期の画家、名一章、字舜朗、師岸駒
横山清暉(1792-1864)江戸後期の四条派の画家、名子介、字成文、松村景文門
横山惟儀(不明-不明)飫肥藩の狩野派の絵師
横山竹林斎(不明-1781)師狩野探常守富、狩野派
横山文堂(不明-1856)江戸後期の画家、師谷文晁
横山守寿(不明-1781)江戸中期の画家、狩野探常門、通称弁蔵、号竹林斎
横山養徳(1799-不明)飫肥藩の狩野派の絵師、横山惟儀の子
与謝蕪村(1716-1784)南画家・俳諧師、師早野巴人、日本南画の大成者と称される
吉川一渓(1763-1837)通称仙太郎のちに小右衛門、名義信、部別号養元・自寛斎、狩野英信の長男
吉川烏山(不明-不明)師楠瀬大枝
好川尚賢(不明-不明)師住吉広尚
吉川庄助(不明-不明)吉川知信の門人で後に養子
吉川翠烟(不明-不明)師浦上春琴
吉川知信(1686-1771)江戸中期の画家、師清野養山、通称小左衛門、別号孤月堂
吉川英信(1737-1801)江戸中期の画家、吉川知信の長男
吉川養悦(1736-1811)師吉川知信
吉川義信(1763-1837)吉川英信の長男、別号一渓
吉沢撫松(不明-不明)江戸後期の画家、通称助左衛門、牛の絵をよく描いた
吉田袖蘭(1797-1866)吉田南涯の娘、師頼山陽・中林竹洞、名佐登、字成文
吉田蔵澤(1722-1802)江戸中期から後期の画家、本名良香、通称久太夫
吉田蘇川(不明-1861)師浅井星洲・小島老鉄、通称六兵衛、別号梅隠
吉田千鶴(不明-不明)文政年間の人
吉田洞京(不明-1849)師岡本豊彦
吉田洞佐美保(不明-不明)狩野派・阿部家御用絵師、吉田家二代
吉田蘭香兼貞(不明-不明)狩野派・阿部家御用絵師、吉田家初代
吉田利翁(不明-不明)福岡藩士
吉田柳蹊(1820-1870)幕末から明治期の画家、名久道、通称左吾左衛門、別号暫庵
良親(不明-不明)平安中期の画家
吉成葭亭(1807-1869)師鈴江孝之助、四条派
吉羽三橋(1817-1863)砲術師、師木下逸雲
吉原真龍(1804-1856)師三畠上龍、名信行、通称与三郎、別号玉峰・桃隠・臥雲
良峯義方(不明-0947?)平安中期の画家
吉村玉磬(不明-不明)延岡藩の絵師
吉村孝敬(1769-1836)師円山応挙、字無違、号蘭陵、応挙門
吉村周山(不明-1776)江戸中期の画家・根付師、名充興、号探儒叟、叙法眼
吉村蘭洲(1739-1816)江戸中期から後期の画家、吉村蘭陵の父
吉山允慶(不明-不明)吉山常房の子
吉山常房(不明-1745)師大楽朴水
依田竹谷(1790-1843)江戸後期の画家、名瑾、字子長、号凌寒道人、文晁門
世継寂窓(不明-1843)江戸後期の画家・商人、別号希仙
米田友竹斎(不明-不明)松原寛泉斎の兄
米村醉翁(不明-不明)江戸後期の画家、津の人、宮崎青谷の師
米村祐以(不明-不明)師狩野興以
住吉広定(1793-1863)住吉派の絵師、門人に阿波の住吉派・渡辺広輝らがいる
寄田九峯(不明-1839)江戸後期の画家、師張月樵、名保延、通称清太郎、別号水竹居
萬木鹿川(不明-1857)盛岡市馬町の検断で書画をした

【ら行】

頼梨影(1797-1855)頼山陽の妻、小石玄瑞の養女、名里恵、梨枝
頼円(不明-不明)鎌倉後期の画家
頼源(不明-1183)平安後期の絵仏師、頼派祖、筑前頼助の男、叙法橋
頼成(不明-不明)平安後期の画僧
楽庵(不明-1844)江戸後期の書家・画家、通称茶七、別号一樹道人
蘭溪道隆(1213-1278)鎌倉中期に南宋から渡来した禅僧
蘭谷(不明-不明)「仙台城下絵図」が残っている
李一和(不明-不明)福建画壇の画家
李良佐(不明-不明)福建画壇の画家
李在(不明-不明)福建画壇の画家
栗杖亭鬼卵(1744-1823)江戸中期から後期の戯作者、別号陶山・知白・大須賀
李迪(不明-不明)中国南宋代の画家
龍円(不明-不明)師狩野探幽
龍臥(不明-不明)狩野派、龍円の子
柳花堂(不明-不明)江戸時代の画家
良賀(不明-不明)鎌倉前期の画家
梁楷(不明-不明)中国南宋頃の画家
了覚(不明-不明)江戸後期の僧
了願(不明-1822)江戸中期から後期の僧、花園町浄円寺十二世
了教(1782-1859)江戸後期の画家
良全(不明-不明)鎌倉・南北朝時代に東福寺を中心として活躍した絵仏師
良詮(不明-不明)鎌倉末期から南北朝時代の絵仏師
呂紀(1477-不明)浙派の宮廷画家
琳賢(不明-不明)安土桃山時代の画家、琳賢坊有勝と称す
霊彩(不明-不明)室町前期の画僧、明兆系
冷泉為恭(1823-1864)幕末から明治期の公家召抱えの復古大和絵の絵師、姓岡田、古画研究
蓮行(不明-不明)鎌倉後期の画家
六左衛門(1504-不明)室町後期の画家、常陸国に住み、兄雪村の法を学んだ
鷺洲(不明-不明)江戸後期の画家
六角寂済(1348-1424)南北朝から室町前期の画家

【わ】

若井牛山(1799-1871)師目賀多雲川信済
若芝一山(不明-1726)河村若芝に画法および鍔細工法を学んだ
若杉五十八(1759-1805)江戸中期から後期の洋風画家
若松則文(不明-1859)四条派
若宮養徳(1754?-1834)江戸中期から後期の画家、七代養川惟信に師事
和久是安(1578-1638)江戸前期の絵師
鷲屋石巒(1788-1871)江戸後期から明治期の画家・彫刻家、通称三十郎、異号道楽山人
和田芸谷(不明-1851)師小田海僊
和田呉山(1800-1870)江戸後期から明治期の画僧、号空相、俗名弘毅、通称房吉
和田助堅(1737-1807)師父和田雪観・木村探元
和田雪観(1706-1777)師木村探元
和田僊嶺(1794-1863)師河村文鳳、名純亮、字子誠、通称勝兵衛
和田陵雨(不明-不明)松江市内に作品が残っている
渡辺雲岳(不明-1842)江戸後期の画家、谷文晁の門人、名喜、通称安次郎
渡辺雲溪(不明-不明)江戸後期から明治期の画家、松平雪人の門人、名進、通称咲兵衛
渡辺崋山(1793-1841)江戸後期の南画家・蘭学者、師白川芝山・金子金陵・谷文晁、名定静、字伯登、通称登、別号萬絵堂・金楽堂・随安居士
渡辺元周(1676-1735)師渡辺秀朴
渡辺清01(1778-1861)江戸後期の画家、師吉川一渓・田中訥言・土佐光貞、通称太助、別号周溪・雪朝斎
渡辺琴友(不明-不明)渡辺玄対の長女
渡辺駒岳(不明-不明)幕末から明治期の画家
渡辺玄対(1749-1822)江戸中期から後期の画家、長崎で清人に画を学び南蘋風をよくする
渡辺広輝(1778-1838)徳島藩御用絵師、師住吉広行・矢野栄教、住吉派
渡辺始興(1683-1755)江戸中期の絵師、名求馬、光琳・狩野の画法を学ぶ
渡辺秀岳(1644-1734)師渡辺秀石
渡辺周溪(1751-1861)師吉川英信・土佐光貞・田中訥言
渡辺秀溪(1700?-1751)渡辺元周の子
渡辺秀乾(1809-1829)師渡辺秀実
渡辺秀彩(不明-1761)師渡辺秀渓
渡辺秀実(1778-1830)師渡辺秀詮、別号鶴洲
渡辺秀彰(1821-1870)渡辺秀実の養子
渡辺秀石(1639-1707)唐絵目利の祖、宋画の法を修めた
渡辺秀詮(1736-1824)師渡辺秀彩
渡辺秀朴(1662-1756)師渡辺秀岳
渡辺春江(不明-不明)渡辺玄対の三女
渡辺春山(不明-不明)渡辺玄対の次女
渡辺如山(1816-1837)江戸後期の南画家、師椿椿山、渡辺崋山の実弟、名定保、字叔保、通称五郎、別号華亭
渡辺赤水(1776-1833)渡辺玄対の子
渡辺雪溪(不明-不明)師松平雪山
渡辺湊水(1720-1767)江戸中期の画家、名従
渡辺洞昌(不明-不明)江戸中期から後期の画家
渡辺南岳(1767-1813)師円山応挙、光琳私淑、名巌、字維石宝、
渡辺拈華(1799-1872)師田能村竹田、渡辺蓬島の長男
渡辺蓬島(1753-1835)師淵上旭江、名寧、字文邦、通称得一、別号華亭
渡辺了慶(不明-不明)桃山後期・江戸初期の画家
渡部雅堂(1892-不明)四条派、師渡辺直堂
度会東溟(不明-1850)度会文流斎の子
度会文流斎(不明-1816)笹山養意常伝の養子、狩野養川院惟信に学んだ、唐人物を得意としたと伝えられる

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