画人伝・宮崎 狩野派 花鳥画 鶴図

高鍋藩御用絵師を代々世襲した安田家

安田甫行(利忠)「竹鶴図」宮崎県立美術館寄託(個人蔵)

高鍋藩では、安田義成(不明-1696)を初代とする安田家が、代々世襲で御用絵師をつとめた。初代義成は、木挽町狩野家の狩野尚信の門人だったが、高鍋藩二代藩主・秋月種春に招かれて寛文7年に高鍋にきた。それ以来、安田家は代々御用絵師を世襲し、二代義正、三代義行、四代甫行、五代義方、六代義為、七代守義、八代守世と続いた。また、絵だけではなく、地図書き、剣術、砲術などで仕えたものもいた。李仲という号は初代義成が師の尚信から与えられた号だが、初代のほかに、五代義方、八代守世が名乗っており、二代義正、二代義為、七代守義は李仙という号を名乗った。

安田義成(李仲)(不明-1696)
安田家初代。幼名は利左衛門。江戸木挽町狩野家の狩野尚信に師事し、「狩野李仲」の名を賜った。二代種春、三代種信に仕えた。「自画像」が安田家に保存されており、これは79歳の時に手鏡に姿を写して描いたといわれている。元禄9年死去した。

安田義正(李仙)(不明-1706)
安田家二代。正信ともいった。幼名は利左エ門。号は李仙。狩野養朴常信に師事し、三代種信、四代種政に仕えた。作品は残っていない。宝永3年死去した。

安田義行(不明-1747)
安田家三代。信行ともいった。幼名は利左衛門、のちに義貴。狩野如川周信に師事し、また、示現流中位免許を受けた。四代種政、五代種弘、六代種美に仕えた。「不動明王図」が安田家に伝わっている。延享4年死去した。

安田甫行(利忠)(1712-1771)
正徳2年生まれ。安田家四代。幼名は利平次。利忠、修竹斎と号した。狩野随川甫信に師事し、五代種弘、六代種美、七代種茂に仕えた。「竹鶴図」「涅槃図」が安田家に伝わっている。明和8年、60歳で死去した。

安田義方(李仲)(1752-1815)
宝暦2年生まれ。安田家五代。名は利平次、のちに義門。安永10年から李仲と改め、好竹斎と号した。狩野常川幸信と狩野閑川昆信に師事し、七代種茂、八代種徳、九代種任に仕えた。安永10年綾部永英らとともに弾琴松の碑を立てた。寛政4年木城の比木神社が大風で崩壊したとき、祝詞殿の天井画を復元し、その功により一代小給を認められた。「白鷺の図」「源氏物語絵巻(写)」などが残っている。文化12年、56歳で死去した。

安田義為(李仙)(1782-1832)
天明2年生まれ。安田家六代。幼名は利平次、のちに利左衛門。李仙と号した。狩野友川寛信に師事し、九代種任に仕えた。作品は残っていない。天保3年死去した。

安田守義(李仙)(不明-1841)
安田家七代。幼名は兵吉。李仙、閑鶴斎と号した。橋口無尽院の二男で、六代義為の娘婿となり安田家を継いだ。狩野探信守道に師事し、九代種任に仕えた。花鳥画の名手とされた。高鍋町の弥専寺に「聖徳太子像」などが残っている。天保12年死去した。

安田守世(李仲)(1830-1908)
天保元年生まれ。安田家八代。守義の長男。幼名は利平次。李仲、閑春斎、龍川と号した。狩野守玉探龍に師事し、九代種任、十代種殷、十一代種樹に仕えた。画業のほか長沼流砲術免許、西洋砲術中位ならびに免許を得た。万延元年西洋砲術頭取に任命され、その後郷兵教示方、砲術副師の職を歴任した。明治になって藩内分郷絵図取調、宮崎県勧業課地図認め、日向国地図調整、高鍋学校幹事、上江小学校学務委員などの職に就いた。作品は比較的多く残っており、「折衷和漢図」「群鶴図」、最晩年の「仙女西王母図」などがある。現在の木城町比木神社の天井絵「双竜の図」も守世の作とされる。明治41年、79歳で死去した。

宮崎(6)-画人伝・INDEX

文献:宮崎県地方史研究紀要第12号「宮崎の近代美術」、郷土の絵師と日本画家展、かごしま美の先人たち-薩摩画壇四百年の流れ




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