江戸以前の画家一覧
江戸以前の画家をはじめ、儒者、国学者、僧、武士など、書画をよくした文人を含めた一覧です。作家名のリンクはUAG美術家研究所の関連記事のページに移動します。その作家に複数の関連記事がある場合は[]内に記しました。
あ行
相沢石湖(1806-1848)師春木南湖、別号観画楼主人
藍沢南城(1792-1860)儒者、松下一斎の葛山塾に入り折衷学を修めた
愛石(1764-不明)紀伊の画僧、師野呂介石
合葉文山(1797?-1857)師田能村竹田、蝶収集家
亜欧堂田善(1748-1822)洋風画家・銅版画家、師月僊、実用的銅版画を完成させた
青木玄章(1781-1858)師円山派・武川維章
青木崑山(1805-1871)師勾田臺嶺・谷口靄山、別号鴨洲・松坪・如雲
青木夙夜(不明-1802)師池大雅、韓天寿の実父の二男、韓人姓餘氏、号八岳山人
青木図南(1790-1859)四条派
青木石圃(1830?-1860)師浦上春琴
青木雪卿(1804-1903)松代藩絵師
青木典則(1778-1840)画及び挿花をよくした
青木蒲堂(1810-1872)師山本梅逸
青木木米(1767-1833)京焼の陶工、書画にすぐれた
青根九江(1804-1854)師山本梅逸
青柳興昌(不明-1748)宇都宮神社に天井画
青山金貞(1783-1855)通称忠七、号仙流
青山淇水(1779-1848)墨竹を得意とした
青山石泉(1770?-1819)師長町竹石
赤石蒲池(不明-1764)画家・秋田藩士、師平元梅隣
赤荻丹崖(1807-1848)師春木南湖・谷文晁
赤木華石(不明-不明)柴田義董と同時代の画人
赤坂雪峰(不明-不明)横手の画家
明石大助(1793-1865)佐伯藩の書物奉行、師鏑木雲丹・三浦黄鶴
県一雲(不明-不明)狩野派、師狩野昌運
赤田章斎(1784-1845)儒者、詩文、絵画にも優れた
赤松陶濱(1810-1868)師中川馬嶺
赤松藍州(1787-1858)師浦上春琴・養父赤松鳩峰・中井藍江
安芸雲峰(不明-不明)師円山応挙
安芸猛斎(1794-1854)土佐派
秋田壤吉(不明-不明)狩野派
秋田節斎(不明-不明)木村玄量の養子、狩野派を学ぶ
秋山雲平(1820?-1864)森藩士、山水画をよくした
秋山窓蘭(1838-1861)戯作家秋山紫雲の子、画と篆刻に長じた
秋山胤彦(不明-不明)狩野永朝の弟、土佐画をよくした、浮世絵を冷泉為恭に学んだ
秋山蘭谷(不明-不明)水戸藩士、師渡辺崋山
阿久根能賢(不明-不明)都城の絵師
揚分潮(1765?-1835)柴野栗山・皆川淇園らと交友
浅井星洲(1788-1862)師柴田義重、名正永、通称勘兵衛、猿を得意とした
浅井図南(1706-1782)画家・医者、名政直のち惟寅、通称頼母、別号幹亭・篤敬斎
朝岡興禎(1800-1856)画家・美術史家、初名は信義、通称は三之助・三次郎、伊川院栄信の二男
浅香旭元(不明-不明)幕末から明治期の画家、父は象洲、画と鉄筆を得意とした
浅倉旭斎(1791-1859)師西塔太原
朝倉震陵(1798-1871)徳山藩御用絵師、朝倉南陵の三男
朝倉等泉(1737-1767)徳山藩御用絵師
朝倉南陵(1757-1844)徳山藩御用絵師、師雲谷等徴・等竺・岩井江雲
浅野霞外(1801?-1865)師前田有竹・菅茶山
浅野重晟(1743-1813)浅野家第七代藩主
浅野西湖(不明-不明)師谷文晁、名晁敬、通称庄五郎、別号桂斎白毫
浅野綱長(1659-1706)狩野派、広島浅野藩主四代
浅野屋秋台(不明-1815)金沢の町人・書画家
朝日郷保(1705-1783)朝日家五代、松江藩家老、余技で画を描いた
朝日千助(1742-1815)松江藩家老、朝日家六代、書画、俳句をよくした
浅山蘆洲(不明-1818)浅山蘆渓の子
浅利牛蘭(1544-1613)武将・鷹絵師
足利義持(1386-1428)室町幕府第四代将軍、師明兆
芦塚若鳳(1723-1780)師河村若元、山本若麟の弟
飛鳥部常則(不明-不明)平安中期の画家、村上朝に活躍した宮廷画家
東東寅(1793-1853)東東洋の長男
東東洋(1755-1839)仙台四大画家のひとり、号白鹿園、円山応挙らと交流した
東東莱(1808-1871)仙台藩画員、東東洋の二男
麻生春所(不明-1863)師小田海僊
足立雲山(1770-1851)鶴崎の狩野派の画家
安達三楽斎(1791-1853)師立原杏所
安達伯義(不明-不明)寛政期の南画家、根本常南の仙台画塾「蠖斎社中」に参加
渥美節斎(1790-1850)名正載、字大車、通称林五左衛門
渥美白濱(不明-不明)師野呂介石
阿部永暉(1807-1869)師狩野隆則
阿部月哉(不明-不明)師斑目東雄
阿部棕軒(1775-1826)備後福山藩藩主、名正精、号蕪軒
阿部椿堂(1794?-1855)国学にすぐれ詩書をよくした
安部掉月(1819-1851)師堀江友声
阿倍仲麻呂(0700-0770)奈良時代の遣唐留学生
阿部北涯(不明-不明)安政年間の画人、岡田竹涯・三木恒山らの師
阿部正精(1774-1826)福山藩阿部氏五代藩主
阿部正福(1700-1769)福山藩第2代藩主
天野芳湖(不明-不明)師福田半香
雨宮荊城(不明-不明)立原杏所・松平雪山に学ぶ、名圭
雨宮瑞亭(1759-1832)名広安、通称又五郎
綾部錦江(1793-1821)杵築藩士
鮎川一雄(1813?-1869)四条派
新井勝房(1793-1846)新井勝重の父
新井寒雪典償(不明-不明)津軽藩御用絵師、師狩野栄川院典信
新井寒竹常償(不明-1731)津軽藩御用絵師、師狩野常信、常信門下の四天王、新井寒雪の父、別号樗翠斎
新井勝峰(1829-不明)津軽藩御用絵師、師狩野勝川院雅信
新井晴斎(不明-1846)津軽藩御用絵師・新井家
新井晴峰養償(不明-1838)津軽藩御用絵師、師狩野晴川院養信
新井梅谷(不明-不明)師寒山禅師
新井朴也常寛(不明-1752)津軽藩御用絵師、師狩野常信
新井養雪惟償(1765-1810)津軽藩御用絵師、師狩野養川院惟信
新垣通事親雲上(不明-不明)八重山の絵師に絵を教えた記録がある
荒金呉石(1785-1869)醸造業、画をよくした
荒川洞月(不明-1808)仙台藩画員、荒川如慶の孫
荒川如慶(1707-1767)仙台藩画員
荒川養湖(不明-不明)仙台藩画員、荒川洞月の孫
荒木寛快(1785-1860)荒木寛一・寛畝の養父、片桐桐隠門、名季舜、字挙公、通称弥次右衛門、別号達庵・蓬生
荒木君瞻(1781-1819)熊代熊斐の弟子・真村芦江の子
荒木元慶(不明-不明)師渡辺秀朴
荒木元融(1728-1794)師石崎元徳、通称為之進、字士長、号円山
荒木香亭(不明-不明)荒木曲肱の養子
荒木如元(1765-1824)師荒木元融
荒木是水(1657-1713)江戸前期から後期の書家・画家、師佐々木志津麻、名維時、字蔵六、通称山三郎
有川梅隠(1771-1852)薩摩藩士、明の画法を学び墨梅図を得意とした
有田養圓(不明-不明)師狩野勝川院雅信
有地含章(1814-1871)師小田海僊
有馬織部(1781-1851)画は狩野風で、書は董其昌風に学んだ
有馬喜三太(不明-1769)師雲谷等達
有馬純明(不明-不明)草牟田に住んでいた
有馬頼徳(1797-1844)筑後久留米藩第9代藩主
粟田口慶羽(1723-1791)住吉広守門、名直芳、通称五郎兵衛
粟田口桂羽(1779-1821)粟田口直隆の子
粟田口隆光(不明-不明)室町前期のやまと絵粟田口派の代表的絵師
粟田口直隆(1753-1807)粟田口慶羽直芳の子
安藤遠佐(1701-1763)師加藤遠澤
安藤五琴(1806-1871)師幸田皆春
安東実季(1576-1660)安土桃山から江戸前期の大名、愛季の子、秋田氏を名のる
安藤叔明(1807-1842)四条派、師岡本豊彦
安藤止堂(不明-不明)師柴田義董・岡本豊彦・浜口南涯、四条派
安東愛季(1539-1587)戦国時代から安土桃山時代の戦国大名
安藤梅峯(1777-1825)日出藩絵師、狩野派
安藤碧鳳(1785?-1867)上伊那南部に作品を残している
安藤雷雨(1808-1865)師江稼圃
伊孚九(1698-1747?)中国清代の画家・貿易商、来舶四大家のひとり、名伊海
居相平潤(不明-不明)師小橋平咸
井伊直恒(1693-1710)彦根藩6代藩主
飯島雲岳(不明-不明)松江藩御用絵師、師狩野伊川院栄信
飯島華岳(不明-不明)飯島雲岳の子
飯島珈涼(1696-1771)歌人画家・女流俳人、飯島五々の妻、号艸婦人
飯島鐸斎(不明-1868?)松平雪山の門人、名金平、別号竹外堂
飯島文常(不明-1866)長岡藩お抱え絵師
飯田松坡(不明-不明)師青木崑山
飯塚竹斎(1796-1861)師広瀬臺山・谷文晁
飯塚桃枝(不明-不明)飯塚桃葉の子
飯塚桃秀(不明-1820)飯塚桃枝の養子
飯沼慾斎(1783-1865)本草学者、日本で最初の体系的植物図鑑『草木図説』を著し、印刷用の下絵づくりにも参加した
五十嵐雲嶺(不明-不明)師春国(仙台絵師)
五十嵐華亭(1780-1850)師狩野梅笑・岸駒
五十嵐元敬(不明-不明)新潟町の南画家、五十嵐浚明の三男
五十嵐元誠(1746-1784)新潟町の南画家、五十嵐浚明の二男
五十嵐顧行(1744-1771)新潟町の南画家、五十嵐浚明の長男
五十嵐浚明(1700-1781)新潟町の南画家、狩野良信・竹内式部に師事、法眼、山水人物、別号孤峯・穆翁
五十嵐俊明(1700-1781)師山崎闇斎
五十嵐雪槎(不明-不明)五十嵐竹沙の子
五十嵐竹沙(1774-1844)新潟町の南画家、五十嵐浚明の孫
五十嵐蠧仙(1793-1865)武者絵師
五十嵐片原(1746-1784)五十嵐浚明の子
五十嵐茂世女(不明-1837)五十嵐華亭の妻
五十嵐蘭児(不明-1814)本名栄助もしくは善助、別号如泉斎・周皐
井川鳴門(1751-1805)画家・書家、名貢、字君錫、通称源兵衛、別号雪下園・淑慎斎
生島三郎左(不明-不明)日本初期の洋画家、南蛮人から洋画を伝授されたと伝わっている
生島三郎左衛門(不明-不明)南蛮人に西洋画法を学んだとされる
井口幾山(1786-1847)師鈴木芙蓉
井口機山(1786?-1847)師鈴木芙蓉
池玉瀾(1727-1784)池大雅の妻、名町、号松風、葛蕈居、祇園三女
池大雅(1723-1776)画家・書家、別号霞樵・九霞、師南海・淇園
維馨周徳(不明-不明)室町後期の画像、師雪舟、惟馨とも号す
池上休柳(1794-1867)池上秀畝の祖父
池添氏助(不明-不明)師父池添美光、狩野派
池添儀七(不明-不明)鋳掛け師、池添美光の兄
池添洞斎(不明-不明)師狩野洞白、狩野派
池添美光(1755-1822)師狩野洞春美信、狩野派
池添楊斎(1791-1841)師父池添美光、狩野派
池田孤邨(1801-1866)師酒井抱一、琳派継承者として光琳作品の縮図集出版、別号孤村
池田知足(不明-不明)水戸藩の御用絵師
池田継政(1702-1776)岡山藩三代藩主、池田家宗家五代、狩野派に学ぶ、号は空山
池田綱政(1638-1714)岡山藩二代藩主、池田家宗家四代
池田文真(1830-不明)師松原文忠
池田凉岷(養信)(1751-1813)師狩野玉永
池西言水(1650-1722)江戸前期から中期の俳人、号紫藤軒、風下堂
池野観了(1753-1830)能登の画僧、師池大雅
生駒月處(不明-1868?)松平雪山の門人、幼名吉五郎、生駒貞応の養子となる
生駒等寿(1626-1702)名勝政、別号眠翁
砂金文洲(1818-1871)砂金嘉門次郎の子、東東洋・東莱らに学んだとされる、別号九仙人
伊沢梅塢(不明-不明)詩人・画家
石南園(不明-不明)師石南岳、四条派
石井収(1649-1724)画家・水戸藩の儒者、彰考館員
石井鶴山(1744-1790)藩校弘道館の設立に参画
石井三峰(不明-不明)師大西雪溪
石井子龍(1778-1842)庄内藩弓術家・画家、師氏家龍渓
石井石欄(不明-不明)名良知、東京で四条派を研究
石井東周(不明-不明)石井東江の子、父から絵を学ぶ
石井夏海(1783-1848)師紀南嶺・谷文晁・司馬江漢
石井文海(1809-1849)師紀南嶺、石井夏海の子
石垣抱真(1790-1856)師酒井抱一
石川侃斎(1764-1840)新潟町の南画家、京都・大坂、長崎、江戸に遊学
石川筠谷(不明-不明)江戸後期の画家
石川瓊洲(1810-1858)師林百非・田能村竹田、名復、字子礼、通称は復蔵
石川晃山(1821-1869)師谷文晁、名晃、字士晃
石川大浪(1765-1818)洋風画家、名乗加、別号董松軒・董窓軒
石川達堂(1780-1859)師岸駒、名平直、別号貫河堂
石川総陽(1693-1744)姓は源、石川総茂の養嗣となる
石川孟高(不明-不明)大和文華館
石川林泉主幸(1718-1808)盛岡藩の国元狩野派絵師
石川林泉(初代)(1718-1808)盛岡藩の国元狩野派絵師・石川家二代
石川林流(1768-1834)盛岡藩の国元狩野派絵師・石川家三代
石川林流主景(1768-1834)盛岡藩の国元狩野派絵師、師湯川玉流
石崎影雲(1811-不明)師木村竹渓
石崎元章(1731-1778)師石崎元徳
石崎元徳(1693-1770)唐絵目利石崎家初代、師小原慶山
石崎元甫(1768-不明)石崎元章の子
石崎融思(1768-1846)師荒木元融、名慶太郎、号鳳嶺
石崎融済(1810-1862)洋風画家、字世美、号玉浦・手峯
石里洞秀(不明-1827)福岡藩絵師、駿河台狩野家・狩野元仙に師事
石沢遊鶴(1747?-1814)南部藩お抱えの表具師、松雲斎と号した
石田逸翁(1800-1869)師白井華陽
石田玉山(不明-1811)挿絵画家、岡田玉山の門人
石田秀蘭(1803-1863)石田逸翁の妹
石田幽汀(1721-1786)名守直、応挙の師、狩野派
石田友汀(1756-1815)石田幽汀の子
石田悠汀(1798-1859)石田友汀の二男、名信明、字叔英、通称半兵衛、別号如雲
石田友篤(1813-1871)石田悠汀の子
石田友徳(不明-1835)石田友汀の子
石田藍山(不明-不明)明治期の画家、南宗画をよくした
石坪独歩(不明-不明)曹洞宗の僧侶
石原准南(1758-1814)師皆川淇園
伊島牧斎(不明-不明)師狩野安信、別号卜斎・朴斎
伊島牧斎(不明-不明)師狩野安信、鷹および鳥類を得意とした
石丸春牛(1793-1860)師浦上春琴
石嶺伝憲(1714-1771)石嶺伝福の四男
石嶺伝俶(1709-1778)石嶺伝福の長男
石嶺伝莫(1658-1703)琉球の絵師、唐名は琥自謙
石嶺伝房(1737-1802)石嶺伝俶の長男
石村東秀(1828-1872)師陶山勝寂
伊舎堂盛方(1800-1837)琉球の絵師、唐名:翁成藩
石山月澗(不明-不明)津軽の初期南画家、歌人としても知られる
伊豆原麻谷(1778-1860)名迂、字大迂、通称橘蔵、旧号松谷
泉守一(不明-1814)雪舟末流雲谷派等琳門、号春香斎
泉龍嶂(1795-1850)四条派、師横山清暉
泉川寛英(1767-1844)琉球の絵師、唐名は慎思九
泉川寛道(1800?-不明)琉球の絵師、唐名は慎克熙、泉川寛英の三男
泉川寛郁(1791-1821)琉球の絵師、唐名は慎克明、泉川寛英の長男
泉沢修斎(1863-1870)師田鎖蘭室
伊是名広管(1773-1818)八重山の絵師
伊是名広品(1790-1855)八重山の絵師
板垣東流(不明-不明)師斑目東雄
板倉呂仙(1800-1858)通称市兵衛
板谷慶舟(1729-1797)初名広当、住吉広守門、幕府絵師
板谷桂舟(初代)(1729-1797)名広当、旧号慶舟
板谷廣隆(1786-1831)廣長の長男、西丸御用を仰せつかる、号桂舟
板谷廣長(1760-1814)廣當の子、奥御用を仰せつかり神田鎌倉横町に町屋敷を拝領、号桂意
板谷廣當(1729-1797)住吉廣守門人で奥絵師板谷言の祖、号慶舟・桂舟
市岡喬山(1765-1833)別号蘭斎・臨霞
市岡猛彦(1781-1827)国学者・尾張藩士、号槲園・椎垣内
市岡智寛(1739-1808)師村瀬栲亭
市川其融(不明-不明)鈴木其一に学ぶ、名泰度、字子高、通称其二
市川徳行(不明-1835)福井藩士
市川君圭(1736-1803)元明の古法研究、号眠竜
市川春仙(不明-不明)市川米庵の娘
市川東谿(1765-1838)名元宣、字子和、通称井桁屋茂兵衛、別号青生・芸亭
伊地知呉東(不明-不明)師小田海僊
市成弥平太(不明-不明)師木村探元
市原陶々(1798?-1840)師春木南湖
市村鳳頂(1781-1822)師河村文鳳
佚山(1702-1778)画僧・書家・篆刻家
一山一寧(1247-1317)鎌倉末期に日本に来た元の僧
一之(不明-1394)南北朝から室町前期の画僧、師明兆
一絲文守(1608-1646)江戸前期の臨済宗の画僧、達磨、祖師画
一色直朝(不明-不明)画人・武人、後北条氏の家臣、足利義嗣の玄孫
逸然性融(1601-1668)江戸前期・中国明末に日本に渡来した僧、長崎漢画の祖とされる
井手定賢(1789-1799)師石崎元徳
伊藤越川(不明-1836)師狩野洞春・前野河洲、狩野派
伊藤煙垌(1784-1857)江戸後期の画家
伊藤鶴嶺(不明-不明)通称仁兵衛・儀兵衛・儀平、阿部鶴峰師事、家相学もした
伊藤若冲(1716-1800)狩野派・光琳派を学び中国名画を研究、号斗米庵
伊藤如竜(不明-不明)明治期の画家
伊東深江(1835-不明)師三浦梧門、長崎後の三筆
伊藤東駿(不明-1839)師東東洋
伊藤南華(1797-1847)師小田海僊
伊東梅月(1814-1846)師氏家龍渓・谷文晁
伊東真奈魚(1774-1840)加賀藩士
伊東養定(1780-1860)薩摩の狩野派の絵師と思われる
伊東蘆水(不明-不明)通称茂兵衛、初号偽峯、別号光山・弧月窓
稲木黙雷(1801-1875)師高久靄崖
稲田敬反(不明-不明)師谷文晁
稲葉弘通(1751?-1818)臼杵藩第十一代藩主
犬伏梅渓(1781-1862)本名武左衛門
犬山呉濤(不明-不明)犬山凌濤の父と思われる
井上士朗(1742-1812)俳人・産科医
井上親明(不明-不明)師佐々木縮往
井上東離(不明-不明)名は邦高、通称は嘉兵衛
井上楠堂(1799?-1856)師白神こう々・大原呑舟
井上端木(1768?-1840)師岸駒
井上浮山(1794-1842)晩年絵画を以て法橋に叙された
井上文昌(1818-1863)師谷文晁
今井玉慶(1770-1834)師今村惟慶養淳、鷹の絵を得意とした
今大路悠山(1790-1849)師中林竹洞、名源秀、叙法眼
今川了所(不明-不明)南画
今城敬慶(1747-1807)狩野派
今立春山(不明-1855)福井藩士
今村栄里典慶(不明-1783)弘前藩お抱え絵師、師狩野栄川院典信
今村玉豊(1795-1867)別号玉蘭
今村溪寿栄慶(不明-1863)弘前藩お抱え絵師、師狩野晴川院養信
今村勝渓(不明-不明)尾張藩御用絵師、今村真静と同一人物とも考えられる
今村正元古慶(不明-1777)弘前藩お抱え絵師、狩野受川玄信に学んだと思われる
今村真静(不明-不明)今村晴雲の長男
今村随学(不明-1792)尾張藩御用絵師、浜町狩野三代常川の門人
今村晴雲(不明-1826)尾張藩御用絵師、木挽町狩野九代晴川院養信の門人
今村楮堂(1798-1868)師楠瀬大枝・古屋竹原
今村朴元常慶(不明-1729)弘前藩お抱え絵師、師狩野常信
今村道之進(1761-1830)師狩野探索、村狩野
今村惟完(不明-不明)今村養寿の子
今村養寿(不明-1808)尾張藩御用絵師、木挽町狩野七代養川院惟信の門人
今村養淳惟慶(不明-不明)弘前藩お抱え絵師、師狩野養川院惟信
今村義比(1714-1786)師鶴沢探鯨、今村義広の孫
今村義衡(1691-1738)師鶴沢探山、今村道之進の祖父、今村義広の四男、号幽山斎守義
今村義広(1653-1726)今村道之進の曽祖父、号松嶺斎
維名(1731-1808)師伊藤若冲、京都相国寺中光源院の僧
維明周奎(1731-1808)師伊藤若冲
伊良皆盛昆(1777-1848)琉球の絵師、唐名:翁公煕
色川三中(1802-1855)本名色川英明、通称弥三郎、別号三郎兵衛・東海・瑞霜園
岩井正斎(不明-1801)松平鳳山家御用絵師、江戸狩野養川院惟信の門人、別号養月
岩井泉流(1714-1772)紀伊藩御用絵師、狩野派
岩井宗雪(不明-不明)岩井宗泉の後継者とみられる
岩井宗泉(不明-不明)岩井泉流の後に狩野派を継ぐ
岩井養月(不明-不明)岩井泉流の一派
岩川西臺(不明-1795)師中山高陽
岩佐勝以(1578-1650)安土桃山期から江戸前期の南画家、同一岩佐又兵衛
岩佐半山(1787-1814)津軽の初期南画家、師松宮岱陽・岸駒
岩崎古雲(不明-不明)狩野派、師狩野昌運
岩崎蕉陰(不明-1872)南画、師石丸春牛
岩瀬蟾州(1818-1861)幕末の画家・政治家、名忠震
岩田健文(1762-1814)字仲明、号咸章堂、水戸藩における拓本文化の鼻祖として知られる
巌田洲尾(1792-1816)新潟町の南画家、師佐野北汀、五十嵐浚明の外孫
岩田單水(不明-不明)南画家
岩淵元方(1724-1808)東東洋の実父
岩淵道元(不明-不明)寛政期の南画家、根本常南の仙台画塾「蠖斎社中」に参加
岩間治信(不明-不明)師清野養山、通称吉右衛門
岩間北溟(1778?-1837)富裕の家に育ち書画、詩、俳諧をよくした
岩本一信(1680-1756)狩野昌運の子
岩本一僊(1820-1868)岩本茂登の子
岩本琴斎(1776-1849)師岡田閑林・谷文晁
岩本直益(不明-不明)狩野派、師狩野安信、狩野昌運の子
岩本茂登(1795-1869)渡辺崋山の実妹
岩谷観瀾(不明-不明)諱宗恕、通称新一郎、字一貫、別号幽斎
隠元隆琦(1592-1673)中国明末の僧、日本黄檗宗の開祖
因斯羅我(不明-不明)日本書紀にある渡来人
因陀羅(不明-不明)中国元代末の画家
宇江城智久(不明-不明)久米島士族
上杉桂翁(不明-1724)師渡辺秀石
上杉墨水(不明-不明)南画家
上田永朴(1656-不明)師狩野常信・狩野昌運
上田旭山(不明-1843)師釧雲泉
上田琴風(1788-1843)名菊子、字瓊芝
上田公長(1788-1850)通称順蔵、号雍洲・水雲閑人
上田桃逸(不明-1869)師山本梅逸、名為民、別号常春軒
植田鳳沖(不明-不明)師岡本豊彦
上田主治(不明-不明)福岡藩御用絵師上田家の一族と思われる
上西山徳(1619-1697)師狩野山楽、藤堂家に仕える
上野江陵(不明-1782)師中山高陽
上野若元(1668-1744)師河村若芝、河村若元とも称した
上野若瑞(1758-1827)山本若麟の二男
上野若龍(1790-1851)上野若瑞の子
上原真知(1666-1702)琉球の絵師、唐名は査秉信
植松文昌(不明-1868)香西植松家の一族
上村尚庵(不明-不明)頼山陽と親交があった
鵜川常雲(1620-1703)弘前藩お抱え絵師、津軽に狩野派の画風を初めてもたらした
浮田一蕙(1795-1859)大和絵の絵師、田中訥言門、名公信、宇喜多一蕙と同一
宇喜多一蕙(1795-1859)大和絵の絵師、田中訥言門、名公信、浮田一蕙と同一
宇喜多秀家(1572-1655)江戸前期の武将、秀吉から五大老に列せられた、慶長の役では朝鮮に渡った
浮村定直(不明-不明)塑像
宇佐美奇玉(1843-1868)名喜美、宇佐美太奇の子
宇佐美太奇(1794-1872)北宗画や四条派など各派を学び一派をなす、名弘毅
氏家龍渓(1775-1834)庄内藩士
牛島若融(1754-1817)山本若麟の子
牛島藍皐(不明-不明)儒者の古賀朝陽、古賀穀堂らと交わり画をよくした
臼井酔石(不明-不明)秋月藩士、画をよくした
歌川春蝶(1789-1866)師江村春暉
内尾栄一(不明-不明)細川藩御用絵師
内田雨香(不明-1849)師貫名海屋・篠崎小竹
内田九山(不明-不明)師野呂介石
内田浯溪(不明-1852)師斎藤李節
内田梅溪(不明-1868?)水戸藩士、松平雪山の門人
内林雪溪(不明-不明)田辺文琦の実弟、兄に画を学んだ
内山真龍(1740-1821)国学者、書画をよくした
宇都宮康甫(不明-不明)秋田藩の重臣で絵もよく描いた、通称敬吉
内海元孝(1772-1835)師円山応挙
宇野適斎(不明-1842)師田中大秀・赤田章斎
宇野蘭溪(不明-1822)四條派の画人
海野溪雲(不明-不明)師大西雪溪
梅川夏北(1799-1847)明治版画
梅沢晴峩(不明-1854)師狩野晴川院
梅田喜平次(2代)(不明-1702)加賀藩御用絵師梅田家2代
梅田喜平次(3代)(不明-1766)加賀藩御用絵師梅田家3代
梅田喜平次(4代)(不明-1744)加賀藩御用絵師梅田家4代
梅田喜平次(5代)(不明-1774)加賀藩御用絵師梅田家5代
梅田九栄(6代)(1757-1800)加賀藩御用絵師梅田家6代
梅田九渕(7代)(1779-1806)加賀藩御用絵師梅田家7代
梅田九栄(8代)(1791-1846)加賀藩御用絵師梅田家8代
梅田九栄(9代)(1815-1860)加賀藩御用絵師梅田家9代
梅田九栄(10代)(1846-1864)加賀藩御用絵師梅田家10代
梅田江波(9代)(1815-1860)八代梅田九栄の子
梅田与兵衛(1627-1692)加賀藩御用絵師梅田家初代
梅津黄州(1794-1856)師藤桃斎、狩野派、若林虎吾の祖父
梅津月橋(1777-1858)師荒川洞月
梅津克所(1789-1840)師蒔田必器・王僊
浦上玉堂(1745-1820)[福島03]南画家、名孝弼、別号穆斎
浦上秋琴(1785-1871)[福島03]師浦上玉堂、玉堂の二男
浦上春琴(1779-1846)浦上玉堂の子、号睡菴、各地を遊歴したのち京都に居住し頼山陽ら多くの文人と交流した
浦上春圃(1820?-1849)浦上春琴の養子
浦田半山(不明-不明)岡山藩士、画をよくした
漆原漆園(1771?-1824)師長町竹石
上部茁斎(1781-1862)上部光映の養子、伊勢神宮外宮権禰宜、師岡村鳳水、本姓橋村、名光済、字子海、通称雅楽之
雲窠(1819-1862)江戸後期の画家
雲居(不明-1867)恩敬寺七世の住職
雲華大含(1773-1850)浄土真宗の僧、別名末広雲華
雲谷等意(1721-1753)雲谷等珠の長男
雲谷等益(1591-1644)[山口01]等顔の二男、名元直、叙法橋
雲谷等鴎(1786-1819)雲谷等愷の嫡子
雲谷等屋(1582-1615)雲谷派等顔の子
雲谷等愷(1743-1805)長富等海の養子
雲谷等鶴(1674-不明)雲谷等はんの長男
雲谷等活(1708-1741)雲谷等鶴より雲谷家を譲られた
雲谷等顔(1547-1618)[山口01]安土桃山期から江戸前期の絵師、名原直治、雲谷派の祖、叙法橋
雲谷等起(1836-不明)雲谷等範の平士により家督を相続
雲谷等儀(1727-1771)雲谷等琳の実子
雲谷等球(1810-1847)雲谷等隆の長男
雲谷等玉(1812-1867)雲谷等郁の嫡子
雲谷等呉(1787-1846)原東吉の家督を相続
雲谷等效(不明-不明)雲谷等周の嫡子
雲谷等作(1615-1671)雲谷等屋の三男
雲谷等祚(1652-1699)雲谷等的の三男
雲谷等策(1846-不明)雲谷等守の嫡子
雲谷等爾(1615-1671)雲谷等益の二男
雲谷等竺(1741-1803)雲谷等徴の養子
雲谷等守(1811-1858)雲谷等鴎の嫡子
雲谷等珠(1693-1753)雲谷等甫の養子
雲谷等壽(1808-不明)雲谷等呉の嫡子
雲谷等周(1758-1822)雲谷等叔の嫡子
雲谷等宿(不明-不明)雲谷等爾の子
雲谷等術(1749-不明)雲谷等無の養子
雲谷等潤(1745-1812)雲谷等琳の嫡子
雲谷等恕(1639-1722)雲谷等的の長男
雲谷等叔(1722-1779)雲谷等徴の養子
雲谷等節(不明-1746)雲谷等達の長男
雲谷等全(1662-1731)雲谷等恕の長男
雲谷等村(1759-1810)原熊八の家督を相続
雲谷等宅(不明-1683)雲谷等屋の二男
雲谷等達(1667-1725)雲谷等爾の二男
雲谷等智(1730-1770)雲谷等徴の長男
雲谷等仲(1720-1781)雲谷等達の三男
雲谷等徴(1700-1776)雲谷等全の養子
雲谷等直(1684-1762)雲谷等宥の長男
雲谷等陳(1730-1762)雲谷等活の養子
雲谷等的(1606-1664)雲谷等屋の長男、名元明
雲谷等哲(1631-1683)雲谷等益の三男
雲谷等玻(1737-1793)雲谷等珠の二男
雲谷等珀(1713-不明)雲谷等列の養子
雲谷等璠(1635-1724)国谷等益の四男
雲谷等徽(1767-1851)雲谷等竺の養子
雲谷等甫(不明-1730)雲谷等陸の養子、等宅の三男
雲谷等珉(不明-1680)雲谷等宅の二男
雲谷等無(1729-1760)雲谷等仲の養子
雲谷等陸(不明-1705)雲谷等陸の長男
雲谷等郁(1781-1838)雲谷等潤の嫡子
雲谷等宥(1660-1716)雲谷等爾の長男
雲谷等与(1612-1668)雲谷等益の長男
雲谷等☆(不明-1707)雲谷等作の長男、☆は「王」+「楽」
雲谷等隆(1787-1828)雲谷等徽の長男
雲谷等琳(1702-1774)雲谷等直の家督を相続
雲谷等列(1693-1741)雲谷等らくの養子
雲室(1753-1827)儒者・画僧、師谷文晁、名子軌、字公範
雲室上人(1753-1827)師清水諸葛監
雲岫(不明-不明)豊後日田の僧
海野蠖斎(1748-1833)画家・武士
海野柯亭(不明-不明)海野蠖斎の子
雲峰等悦(不明-不明)室町時代の画僧、雪舟直系
雲友(1764-1774)鼠除猫の絵を得意とした
雲嶺(不明-1839)師野呂介石
永宮寺松堂(1695-1772)師久隅胖幽・鶴沢探鯨
栄西(1141-1215)鎌倉前期の僧侶、臨済宗の開祖、明菴栄西とも呼ばれる
永春(1369-1418)南北朝時代の画家
暎雪(不明-不明)光明寺の住職
江川龍門(不明-1867)動物画をよくした
江口栄春(不明-不明)師御厨夏園
江崎寛斎(1743?-1811)円山派
柳後亭其雪(1788-1842)俳人、画もよくした
恵鶴椿南(1796-1870)椿椿山の門人、名寿、字芥舟
衛藤勝夷(1790-1831)矢野派、師義父衛藤良行・矢野良勝
衛藤良行(1761-1823)矢野派、師矢野雪叟
恵日房成忍(不明-不明)鎌倉時代の画僧、詫磨派
榎倉杉斎(1798-1867)師岡本鳳水
江馬細香(1787-1861)江馬蘭斎の娘、師頼山陽、号湘夢
会理(0852-0936)平安中期の真言宗の僧、東寺宗叡禅師
円伊(不明-不明)鎌倉後期の画家、「一遍上人絵伝」等
延円(不明-1040)平安中期の絵仏師、藤原義懐の子
延源(不明-1096)平安後期の絵仏師
円心(不明-不明)平安後期の画僧
圓智(1817-1871)師高久靄崖
遠藤曰人(1758-1836)仙台藩士で俳人、「ぼんぼこ祭図」を描いた
遠藤玉瑩(1807-不明)名正以、通称金次郎、「横手鷹」の一人
遠藤香村(1787-1864)会津に初めて西洋画法を伝えた
遠藤萃雅(1789-1821)師鈴木芙蓉・谷文晁
遠藤高璟(1784-1864)加賀藩士、洋学を学び画もよくした
遠藤貫周(1829-不明)師住吉弘貫、遠藤広実の二男、住吉家八代住吉廣賢の兄
遠藤田一(1765-1834)洋風画家、師亜欧堂田善・谷文晁
遠藤白近(1772-1850)囲碁を好み詩書画もした
遠藤広実(1784-1862)遠藤広古の子、住吉派五代広行に師事
遠藤広古(1748-1824)住吉派四代広守に師事、号蝸盧
遠藤広宗(1824-不明)師住吉弘貫、遠藤広実の長男
及川濯二(不明-不明)寛政期の南画家、根本常南の仙台画塾「蠖斎社中」に参加
尾池忍斎(1814-1855)師池添楊斎、狩野派
王瑾(1718-1810)天龍道人と同一
王克三(不明-不明)中国清代の画家
応源(不明-不明)平安後期の絵仏師
王調鼎(不明-不明)福建画壇の画家
応眠(不明-1868)師西脇蘭渓
小浦松園(1791-1851)岸派の絵師、師白井華陽
玉潾(不明-1814)師王翁
大石古閑(不明-不明)師狩野常信、常信門下の四天王
大石真虎(1792-1833)葛飾北斎・沼田月斎・張月樵の門人、通称衛門七・小門太、別号樵谷
大内蘚圃(1764-1842)師森狙仙、宇和島藩士、猿の絵を得意とした
大江霞岳(不明-1850)南画、師海僊
大岡雲峰(1765-1848)師谷文晁・高芙蓉
大岡春川(1719-1773)大岡春卜に学び養子となった、本姓有元、名甫政、通称丹次
大岡春卜(1680-1763)狩野派・漢画を研究
大河原五郎右衛門(不明-不明)雲藩御用絵師
大河原同風(不明-不明)松江藩御用絵師
大木英鉄(1638-1668)肥前の絵師
大城石農(不明-不明)師渡辺秀実
大岸探海(1819-1868)鳥取藩御用絵師
大国士豊(1779-1844)師円山応挙
大久保一丘(不明-1859)諱好古・好徳、字敏夫、通称惣次郎、別号伯隣・王江蘋
大久保江山(不明-不明)師松平雪山
大窪詩佛(1767-1837)詩人、江戸の三大詩人といわれた、画もよくした、別号詩聖堂・江山など
大久保桃園(不明-不明)益田の画家
大倉嘉十郎(1783-1863)秋月藩士
大倉南岱(1810?-1864)師釧雲泉
大倉笠山(1785-1850)師中林竹洞、名毅、号義邦
大越靖国(不明-不明)別号秀岳、狩野秀水に師事
大越雪香(不明-不明)松平雪山の門人、名資好
大塩嘉月(1785-1837)菓子商のかたわら画を描いた
大重伯親(不明-不明)師坂本養伯
大島松溪(1758-1846)師鏑木梅溪
大島芳雲斎(1766-1840)松代藩絵師
大島芳暁斎(1823-1886年09月02日)松代藩絵師、大島芳雲斎の子
大島来禽(不明-不明)高芙蓉の妻、本姓奥田氏、名蘿井、字檎々
大須賀鬼卵(1744-1823)戯作者、別号陶山・知白・栗杖亭
大園明政(不明-1657)狩野友巴の門人
太田錦城(1765-1825)儒者・漢学者、名天貞、字公幹、折衷学派
太田鯨呑(1807-1870)師河田小龍・画塾
太田山陰(1727-1792)名太田新右衛門、諱皓、字白駒、別号大夢堂・宮道山樵
太田昌雲(不明-不明)師狩野安信、狩野派
太田洞玉(不明-不明)洋風画家、久留米藩の家士
大田守章(不明-不明)福岡藩絵師、師狩野友元
大田弥兵衛(不明-1659)狩野永雲の父
大田龍(不明-不明)幼少時の森寛斎に画を教えた
大平蘆平(1769-1846)師佐竹蓬平
大高岑峯(不明-不明)師萩谷セン喬
大高坂南海(1766-1838)師吉田蔵澤
大瀧石山(不明-1867)師釧雲泉
大谷蘭室(1789-1828)師月僊
大塚荷渓(1778-1844)画家・商人、名正弘、字風暁、通称甚左衛門
大塚玉湖(1750-1810)師狩野梅笑
大塚玉明(1775-1849)師狩野玉元
大塚南窓(不明-不明)美濃国に客居して門人が多い
大塚米岳(不明-1859)師鈴木芙蓉・大塚玉湖
大寺雪江(1798-1854)醸造業、俳諧・詩・画に長じた
大寺雪節(1810-1840)詩・書画をよくした
大友雲泉(1777-1840)元府内光西寺第十五世寺主
大友月湖(不明-不明)師熊代熊斐
大友梅舘(1814-不明)師菅井梅関
大西圭斎(1773-1829)師田能村竹田・谷文晁・宋紫石
大西酔月(不明-不明)師望月玉蟾
大西仙洲(不明-不明)大西圭斎の子
大西椿年(1792-1851)字大寿、号楚南、南岳門
大野雲庵(不明-不明)師撫玉・友聲
大野葭洲(不明-1872)師菅江嶺・小田海僊
巨野泉祐(1774-1837)白河藩御用絵師、師谷文晁、別名は大野文泉
大野文泉(1774-1837)巨野泉祐と同一
大場雄淵(1758-1829)仙台大崎八幡神社の神官、「奥州名所図絵」を描いたことで知られる
大庭月湖(不明-不明)大庭松風の同族、村松以弘に学んだ
大庭春龍(不明-不明)師吉原真龍
大庭松風(1767-1846)村松以弘に学ぶ、名廷香、字国馥、幼名豊蔵、通称代助、別号松風亭など
大橋(不明-不明)歌人画家、号喬木尼、慧林、通称遊女大橋
大橋享斎(不明-不明)師谷文晁、名喜久、通称紋太郎
大橋訥庵(1815-1862)朱子学者・攘夷思想家
大橋文養斎(不明-1870)師若宮養徳
大浜善功(1768-1835)八重山の絵師
大浜善繁(1761-1814)八重山島士族
大原重成(1783-1838)師松村景文
大原左金吾(1761-1810)画家・経世家、名翼、字雲卿、通称観次・貫治・寛治のち左金吾、号呑響・墨斎
大原東野(1771-1840)人物画を得意とし多くの門人がいた
大原呑響(1762-1810)画家・儒者、名翼、別号墨斎
大原呑舟(1792-1857)[岡山14]呑響の子、師柴田義董、名鯤、号崑崔
大平亀陰(1802-1864)秋田の画家
大宮荷江(1833-1871)師荒木千洲
大森黄谷(1786-1852)画家・書家、師浦上春琴、通称蘆之助・武右衛門・蔭次郎、別号岱斐
大森捜雲(不明-不明)師鶴沢探山
大森捜月(1749-1786)師大森捜雲
大矢玉秀(不明-1837)師松村景文
大山探賢(不明-1867)師狩野探淵守真・馬場伊歳
大山等雪(不明-1849)師狩野探信守道
大山二楽斎(1712-1792)本名惟清、通称久蔵・与右衛門、別号喜楽翁・善喜翁・不尤
岡延年(1740-1811)師大西酔月、岡鶴汀の弟
岡鶴汀(1736-1811)漢詩人、大西酔月に学ぶ
岡昂準(1794-1866)京都で学び、人物画を得意として
岡邨需(不明-不明)寛政期の南画家、根本常南の仙台画塾「蠖斎社中」に参加
岡貞徳(不明-不明)寛政期の南画家、根本常南の仙台画塾「蠖斎社中」に参加
岡岷山(1734-1806)師宋紫石・勝田友溪、広島藩士
岡熊嶽(1762-1834)名文暉、字世昌、福原五岳門
岡崎喜斎(1562-1636)仙台藩画員・菊田家の祖とされる
岡田一得(不明-1870)狩野派
岡田閑林(1775-1849)谷文晁門とされるが南蘋風の写実画法に興味をもちやや堅い南蘋風を特色とした
岡田玉山(初代)(1737-1812)名尚友、字子徳、師雪鼎、叙法橋
岡田玉春(不明-不明)師玉置荊窓、岡田元善の妻
尾形乾山(1663-1743)江戸前期から中期の陶工・絵師、号尚古
岡田香雪(1777-1823)亀田鵬斎と親交した
尾形光琳(1658-1716)琳派中興の祖、山本素軒に学び、本阿弥光悦・俵屋宗達に私淑した
岡田糸桐(不明-不明)岡田半江の妻
岡田春燈斎(不明-不明)幕末から明治期の銅版画家
岡田静山(1806-1871)加賀藩士、南画をよくした
尾形宗謙(1621-1687)江戸前期の書画家・商人、光琳・乾山の父、名宗甫、字子拍、号洗斉
岡田為恭(1823-1864)幕末の画家、冷泉為恭と同一
尾形探香(1812-1868)福岡藩絵師尾形家八代
小方(尾形)仲由(不明-1669)福岡藩絵師尾形家初代、師狩野探幽
尾形洞谷(1753-1817)福岡藩絵師尾形家六代
尾形洞霄(1791-1863)福岡藩絵師尾形家七代、狩野洞益の門人
尾形洞水(不明-1807)尾形洞谷の子
岡田半江(1782-1846)岡田米山人の子、字子羽、大阪文人画壇
岡田文鴻(不明-不明)師加藤文麗、『文麗画選』を著した
岡田米山人(1744-1820)明清の画法を極める
岡田墨樵(1742-1810)師片山北海
小方(尾形)守厚(1721-1781)福岡藩絵師尾形家五代
小方(尾形)守等(1695-1772)福岡藩絵師尾形家四代
尾形守俊(不明-不明)尾形家三代市佐衛門友元の長男
小方(尾形)守房(不明-1732)福岡藩絵師尾形家三代、狩野友元を名乗った
小方(尾形)守義(1643-1682)福岡藩絵師尾形家二代、師狩野探幽、探幽門下四天王のひとりとされた
岡田楊斎(1785-1864)加賀藩士、墨梅を好んで描いた
岡田六幽(不明-1811)画僧、林興庵十三世、仙巌六幽と呼ばれた
岡野石圃(不明-不明)名享、字元震、別号雲津・大和主人
岡野洞淵(不明-1759)津和野藩御用絵師、師狩野洞雲益信
岡野洞桂(1725?-1747)津和野・岡野初代益清の子
岡野洞岡(不明-不明)津和野藩御用絵師、岡野洞石の子
岡野洞山美高(1770-1856)津和野藩御用絵師、師狩野洞春美信
岡野洞山陳盖(不明-1860)津和野藩御用絵師、師狩野洞白
岡野洞石(不明-1867)津和野藩御用絵師
岡野洞林(不明-1854)岡野洞山陳盖の子
岡野梅老(1804-1872)古河藩士、名為治
岡野逢原(1775-1820)立原翠軒の門人、名行從、字子言、号逢原堂
岡野蓬原(1775-1820)師立原翠軒・松平雪山・立原杏所
岡部洞水(不明-1868?)土浦藩御用絵師、名敬之
岡部南嶽(1733-1800)福井藩士
岡村鶴汀(1790-1867)四条派、大聖寺藩士
岡村東皐(1860-不明)本名元良、字子慎
岡村鳳水(1770-1845)師円山応挙、名徽芳(房)、通称左膳(全)、別号粛叟
岡本玉梅(不明-不明)渡辺玄対に学んだと思われる
岡本茂彦(1807-1844)師岡本豊彦
岡本秋暉(1807-1862)小田原藩士、彫金家石黒政美の二男、師大西圭斎、渡辺崋山・椿椿山と交流した
岡本清暉(不明-不明)四条派の画家
岡本池陽(不明-不明)師松村蘭台
岡本豊彦(1773-1845)字子彦、号鯉喬・澄神斎、呉春門
岡本宣就(1575-1657)安土桃山期から江戸前期の兵法家・画家
岡本雄山(1751-1803)画家・秋田藩家老、名元亮、漢詩、画、俳句もよくし、俳号は掬月斎
岡本綾江(1742?-1823)師黒田綾山
岡本乗円(不明-不明)号玄々翁、字朗然、師松花堂
小川霞山(1806-1868)医師、良寛を敬慕した
小川華亭(不明-1810)江戸日暮里・南泉寺の住職
小川守黒(不明-不明)書籍業のかたわら南画をよくした
小川隆雅(不明-不明)[画歴秋田01]横手地方によく鷹を描いた系譜があり、その継承者
小川只七(1737-1816)仙台藩士、画をよくした
小川破笠(1663-1747)江戸前期から中期の漆芸家・浮世絵師・俳人、師英一蝶
沖一峨(1797-1855)鳥取藩御用絵師沖家七代
沖清信(不明-1703)鳥取藩御用絵師沖家初代、木挽町狩野の門人
沖清友(不明-1717)鳥取藩御用絵師沖家二代
沖探玉(不明-1791)鳥取藩御用絵師沖家四代
沖探高(不明-1822)鳥取藩御用絵師沖家五代
沖探容(不明-1839)鳥取藩御用絵師沖家六代
沖探陸(不明-1756)鳥取藩御用絵師沖家三代
小木曽文洲(1794-1866)師塩川文麟
荻津勝孝(1746-1809)秋田蘭画の画家、別号独元斎
荻山常山(不明-1821)木挽町狩野に学ぶ
荻山養弘(不明-1841)師荻山常山
奥文鳴(不明-1813)師円山応挙、名貞章、号陸沈斎、応挙門
奥倉魚仙(不明-1859)名辰行、字子園、通称甲賀屋長右衛門
奥田龍溪(不明-不明)奥田三角の兄
奥野碧潭(1790-1854)師山本梅逸、名友之、通称喜兵衛
奥村玉蘭(1761-1828)師岸駒
奥山金陵(1795-1866)藤本鉄石と交遊し竹中文輔の門に学んだ
奥山常雄(不明-不明)幕末の画家、仙台藩士
小倉秋翠(不明-不明)通称範兵衛
小倉武駿(不明-1839)岡眠山の子
小栗十洲(不明-1811)詩人・書家・画人
小栗宗継(不明-不明)室町中期の画家、小栗宗湛の子
小栗宗佐(不明-不明)室町期の画家、小栗宗舟の子、父に学ぶ
小栗宗湛(1413-1481)室町中期の画家、法号宗丹、宋元画法研究
小栗宗丹(1413-1481)室町期の画家、名助重、通称小二郎、別号宗湛・自牧
小栗宗甫(不明-不明)室町期の画家、小栗宗舟の弟、兄に学ぶ
小栗宗栗(不明-不明)室町時代の画家、小栗宗湛の子、周文の画法修復
小栗伯圭(1792-1837)師呉春・景文、通称半七、字士復、別号素軒・修同館
小栗晩翠(1795-1871)師呉春・景文、小栗伯圭の弟、通称仙八郎、字徳卿、別号先慎・愛善・松下堂
小栗美成(1810-不明)師小栗伯圭・岡本豊彦、通称兵作、別号春江・成美
小栗文明(不明-不明)師谷文晁、通称良三郎
小栗豊水(1812-1847)師岡本豊彦、小栗伯圭の長男、通称半七、字士績
小澤華嶽(不明-不明)師横山華山
小沢輝興(1807-1852)師守住貫魚・渡辺広輝、住吉派
押川元春(不明-不明)師木村探元
小田海僊(1785-1862)周防富海の回船業の家に生まれ染織業小田屋の養子となる、師松村呉春、後に中国元明の古画を研究、別号
織田共樵(不明-1862)師張月樵
尾田郷澄(不明-不明)師甲斐良郷、八代の絵師・法橋勝延の子
織田瑟々(1779-1832)津田貞秀の長女、独自の桜図を考案、何処の桜かを銘記するのを特色とした
織田瑟瑟(1779-1832)師三熊露香、桜の花を専門に描いた
小田寿山(不明-不明)五楽院等随に学んだと思われる
小田南豊(1785-1862)南画、松村呉春に四条派を学び、頼山陽を知り南画に転じた
小田莆川(1805-1858)師崋山、名重暉、字士顕、通称、清右衛門、別号拙修亭
小田切寒松軒(1690?-1774)師目賀多雲川守息
小田野直林(1772-1841)秋田蘭画の画家、小田野直武の二男
小田野直武(1750-1780)洋風画家・秋田藩士、号羽陽、秋田蘭画の中心人物
越智山斎(不明-不明)森藩絵師らしい
越智凌雲(不明-1865?)水戸藩士、松平雪山の門人、名兼良
小津石斎(1785-1857)師烟崖
乙丸義方(1800-1871)四条派、師松村景文
小野雲鵬(1796-1856)師黒田綾山・柴田義董
小野通女(1559-1631)安土桃山期から江戸前期の歌人画家、小野正秀の娘、通称お通
小野栗城(不明-不明)師栗野
小野岡義年(1756-1801)画家・秋田藩執政、源四郎、大和と称した、字楽圃
小野田直林(1781-1841)秋田の画家
小野寺周徳(1759-1814)盛岡藩の漢画家、花巻三画人のひとり
小野寺東鵞(1783-1838)師東東洋
小幡五峯(不明-不明)気仙郡唐丹村の人、画を業とした
小原慶山(不明-1733)師渡辺秀石、名雅俊、字霞光、初号渓山
小原才蔵(不明-不明)石崎元章の三男
小原鉄心(1817-1872)幕末の美濃大垣藩の家老、師日根野對山、号是水酔逸
小原桃洞(1746-1825)紀州藩医、本草学者
小原東洋(不明-1781)野口市左衛門と称した
小原梅坡(不明-不明)詩人・画家
小原巴山(1693-1777)師小原慶山
小原文英(1778-1854)大聖寺藩士、南画をよくした
小原友閑斎(不明-不明)佐賀本藩の絵師
小俣蠖庵(1765-1837)名孟寛・孟奬、字子猛・名六、別号栗斎、本姓藤原
小宅文藻(1793-1865)師谷文晁
温古斎(不明-不明)肥前の絵師、白如斎成真の子と伝わっている
恩田石峰(1775-1847)師渡辺南岳、名方、字大矩、通称吉作、別号(華道)二世心応軒
恩田緑蔭(1819-1874)師山田島寅・青木雪卿
恩地山濤(1716-不明)師犬山凌濤