UAG美術家研究所

江戸時代を中心に全国各地で活動していた画家を調査して都道府県別に紹介しています。ただいま東北地方を探索中。

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座間味庸昌の後継者・屋慶名政賀(呉著温)

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関帝王 屋慶名政賀(呉著温)沖縄県立博物館・美術館蔵

屋慶名政賀(呉著温)は、首里に生まれ、幼いころから画家を志し、座間味庸昌(殷元良)に学び、22歳で貝摺奉行所の絵師となった。師の庸昌は、宮廷画家として王宮御用の鑑賞絵画を描いていたが、政賀の所属する貝摺奉行所でも図案制作の顧問的役割で指導をしていたことから、ここでも政賀は庸昌の指導を受け続けることとなった。

その師・庸昌が1767年に50歳で没したため、政賀は、自分こそが後継者であるという使命感から、自費での留学とともに留守中の家族の扶養を申し出て、1770年に北京に留学した。留学期間は3年間で、帰国後は宮廷画家に準ずる待遇を受け、漆器の図案や、人物、花鳥、山水など多くの作品を描いた。三男・屋慶名政喜、さらに政喜の長男・屋慶名政進も絵師になり、王府につかえた。

屋慶名政賀(1737-1800)
1737(元文2)年首里生まれ。唐名は呉著仁。はじめ呉著温といったが、尚温王が即位すると「温」の字が禁字となったため呉著仁に改めた。童名は太良金。幼いころから座間味庸昌について絵を学び、22歳の時に絵師として登用され、貝摺奉行者に勤務した。1767年に師が亡くなると、画技を磨くために中国に留学することを計画、2年後に王府に願い出て許され渡唐、北京で学んだ。帰国後の1773年、王世子・尚哲の従者として薩摩に赴き、この時に黄冠に叙せられた。その後は仕上世座大屋子、給地御蔵大屋子などをつとめた。現存作品に「山水図」「雪景山水図」「関帝王」などがある。1800年、63歳で死去した。

屋慶名政喜(1768-1825)
1768(明和5)年那覇生まれ。唐名は呉昆孝。屋慶名政賀の三男。1796年にはじめて絵師に登用され、1813年には絵師主取になった。1706年には小橋川朝安の加勢として尚成王の御後絵の制作に関わり、王府から褒賞として上布を賜った。1825年、57歳で死去した。

屋慶名政進(1798-不明)
1798(寛政10)年那覇生まれ。唐名は呉啓思。屋慶名政喜の長男。1815年に絵師に登用され、その後1842年までに8度も絵師に任じられていることから、優れた絵師だったと推測される。

文献:沖縄美術全集4、琉球絵画展、すぐわかる沖縄の美術沖縄の芸術家

マンガ 沖縄・琉球の歴史
河出書房新社







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