画人伝・鹿児島 雪舟系 山水・真景

雪舟に学び薩摩画壇の基礎をつくった秋月等観

秋月等観「西湖図」(重文)石川県立美術館蔵

秋月等観は、室町時代後期の禅宗画僧で、現在の鹿児島県薩摩川内市に生まれた。もと島津氏の家臣で、俗称は高城重兼といった。高城氏は鎌倉時代に北薩地方を治めていた渋谷家の一族と伝わっている。武士である高城重兼がどうして出家して雪舟の弟子になったのかは定かではないが、薩摩の絵師・木村探元の口述集『三暁庵主談話』によると、合戦の最中に行方不明になり、後に山口の雪舟に弟子入りしたと記されている。

武士の道を捨て、雪舟のもとで研さんを積んだ秋月は、延徳2年に71歳の雪舟から印可の自画像を与えられている。禅僧にあって、師が自画像(頂相)を弟子に与えるということは、その受け手が後継者となることを意味するが、雪舟の場合は有力な弟子数名に自画像を与えていると思われ、雪舟門人にとっての師の自画像は、画僧として一人立ちすることの許可証のようなものと思われる。秋月は、この2年後薩摩に帰り、福昌寺の住持となり、雪舟系水墨画を薩摩の地に広め、地元で多くの弟子を育てた。

その間、明にも渡り中国絵画の研究をしている。石川県立美術館に所蔵されている「西湖図」(掲載作品)は、秋月の代表作で、明に滞在中描いたとされる。西湖の半周を展開図として写し、それをさらに縮めて画面に収めており、遠景の山や中景の寺院の描写、樹木などの筆法に雪舟派の特色がみられる。

秋月等観(不明-不明)
永享年間に現在の川内市に生まれた。諱は等観。島津家の家臣で俗名は高城重兼。その後、剃髪して山口の雲谷庵の雪舟等楊に学んだ。如水宗淵とともに雪舟に学んだ数少ない弟子の一人で、画風は雪舟様式を受け継ぐもので、花鳥画の作例が多い。延徳2年、師より「自画像」を与えれて、2年後の明応元年いったん薩摩に帰り、明応5年頃に明に渡り、中国絵画の研究をした。その後、島津忠隆の時代まで、薩摩で雪舟系水墨画を広め、多くの弟子を育成した。主な門人としては、等碩、等坡、等芸、等見、等雪、等海、湛賢、孤月周林らがいる。

鹿児島(1)-画人伝・INDEX

文献:薩摩の絵師、美の先人たち 薩摩画壇四百年の流れ、薩摩画人伝、かごしま文化の表情-絵画編、島陰漁唱、三暁庵主談話、石川県立美術館所蔵品図録




You may also like

おすすめ記事

1

長谷川等伯 国宝「松林図屏風」東京国立博物館蔵 長谷川等伯(1539-1610)は、能登国七尾(現在の石川県七尾市)の能登七尾城主畠山氏の家臣・奥村家に生まれ、のちに縁戚で染物業を営む長谷川家の養子と ...

2

田中一村「初夏の海に赤翡翠」(アカショウビン)(部分) 昭和59年(1984)、田中一村(1908-1977)が奄美大島で没して7年後、NHK教育テレビ「日曜美術館」で「黒潮の画譜~異端の画家・田中一 ...

3

横山大観「秩父霊峰春暁」宮内庁三の丸尚蔵館蔵 横山大観(1868-1958)は、明治元年水戸藩士の子として現在の茨城県水戸市に生まれた。10歳の時に一家で上京し、湯島小学校に転入、つづいて東京府小学校 ...

4

北野恒富「暖か」滋賀県立美術館蔵 北野恒富(1880-1947)は、金沢市に生まれ、小学校卒業後に新聞の版下を彫る彫刻師をしていたが、画家を志して17歳の時に大阪に出て、金沢出身で歌川派の流れを汲む浮 ...

5

雪舟「恵可断臂図」(重文) 岡山の画家として最初に名前が出るのは、室町水墨画壇の最高峰に位置する雪舟等楊(1420-1506)である。狩野永納によって編纂された『本朝画史』によると、雪舟の生誕地は備中 ...

-画人伝・鹿児島, 雪舟系, 山水・真景

© 2024 UAG美術家研究所 Powered by AFFINGER5