画家略歴

茨城(7)-ネット検索で出てこない画家

田原南塘 たはら・なんとう
安永6生まれ。江戸の人、鶴沢探索に学び、水戸在の勝僮寺住職に請われ仏画を描いた。円山応挙の師匠といわれる。水戸谷中の桂岸寺にも関係があり、太田屋与衛門の知遇を得て与衛門に伴われて京畿南海を遍歴した。文政7年、49歳で死去した。

竹田治右衛門 たけだ・じうえもん
龍ヶ崎の人。号は楽山。

竹山南圭 たけやま・なんけい
下館の人。名は伝。谷文晁の門人。花鳥人物をよくした。安政元年頃死去。

高野雪塘 たかの・せつとう
水戸市下市の人。林十江の従弟。松平雪山の門人。花鳥をよくした。明治初年頃死去。

高橋月庵 たかはし・げつあん
水戸の人。名は明。別号に月湾がある。春木南溟の門人。山水をよくした。

田所静山 たどころ・せいざん
天保3年生まれ。常陸太田の人。名は秀次市郎。田所静年の子、画を父に学んだ。太田近在で屏風などの作品がみらえる。明治2年、38歳で死去した。

武弓其年 たけきう・きねん
文化11年生まれ。現常陸太田市の人。名は義生。画を宇佐美太奇に学び、山水をよくした。通称「紋其」と称し家紋の師匠もした。明治26年、80歳で死去した。

竹内隆節 たけうち・りゅうせつ
天保3年生まれ。久慈郡世矢村の人。名は誠。野沢白華に師事し、医業のかたわら書画をよくした。江戸末期の検地や年貢の収納などの仕事もした。明治26年、62歳で死去した。

武石鴎崖 たけいし・おうがい
天保3年生まれ。水戸市十軒町の人。名は清。別号に李陽外史がある。水戸藩に仕え、松平雪山に学んだ。明治42年、78歳で死去した。

多田晴圃 ただ・せいほ
天保6年生まれ。名は彦兵衛。福島柳圃の門人。作品は県内の醤油醸造業者宅に残っている。

武石耕崖 たけいし・こうがい
明治4年生まれ。水戸市十軒町の人。名は胤昌。武石鴎崖の子。信越地方を遊歴し、新潟に7年留まったのちに、父の死後帰郷した。大正2年、42歳で死去した。

武石恵所 たけいし・けいしょ
水戸の人。武石耕崖の弟、武石鴎崖の子。東京に出て水野年方の門に入り、浮世絵を学んで水戸に帰り、父に花鳥を学んだ。

高島靄湖 たかしま・あいこ
明治元年生まれ。名は雪松。はじめ松本楓湖に人物画を学び、のちに京都で今尾景年の門人になった。さらに中国の元明南北両派を研究し、花鳥人物をよくした

高橋華屋 たかはし・かおく
水戸市谷中の人。名は於免。早くから東京に出て渡辺小華の門に入り、花鳥を得意とした。

茨城(7)-ネット検索で出てこない画家

文献:茨城の古書画人名事典




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