画人伝・青森 狩野派 動物画 鷹図

狩野派を学んだ弘前藩士・今井玉慶

今井玉慶「鷹図」

藩のお抱え絵師は、国元の藩士にも絵を教えたが、狩野派の描法で画家として名を成すものは、きわめて稀だった。大浦城跡のある賀田に生まれ、藩の狩野派絵師・今村惟慶に師事した今井玉慶は、賀田の玉慶として親しまれ、岩木川以西の岩木山麓に絵馬などが残っている。鷹の絵を得意としたが、四代藩主・信政を祀る高照神社に奉納された「信政公葬送図絵巻」を描いており、本来御用絵師の仕事であるこのような作画をしていることから、藩の作画御用の体制に組み込まれていたと思われる。

ほかには、幕末に藩のお抱え絵師・今村渓寿栄慶に狩野派を学んだ弘前藩士の外崎則清と弟で黒石藩士だった外崎鶴幼がいる。則清の門人で鯵ケ沢の表具師だった松山玉泉は、藩のお抱え絵師だった新井勝峰にも学び、狩野派の絵を残している。鶴幼の門人としては、上田鶴雲、工藤青山、八戸鶴静、吉崎北陵、伊藤鶴村、矢川友弥、平川平治、三上大弘、長谷川浩らがいる。八戸鶴静、伊藤鶴村らはねぷた絵を多く手掛けるなど、当地の文化の独自性を作り出していった。

今井玉慶(1770-1834)いまい・ぎょくけい
明和7年岩木町賀田生まれ。別号に秀山がある。賀田玉慶と名乗り、弘前藩お抱え絵師・今村惟慶養淳に入門して狩野派の技法を学び、鷹の絵を得意とした。岩木町の所々の寺院に絵馬が奉納されており、高照神社には、四代信政の葬送を描いた「御鎮座行列絵図」が奉納されている。天保5年、64歳で死去した。

青森(12)-画人伝・INDEX

文献:青森県史 文化財編 美術工芸、津軽の絵師、津軽の美術史




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