画家略歴

秋田(1)-ネット検索で出てこない画家

江戸前期の画家
西海杖太郎左衛門
16世紀の初め、室町時代の画家。姓は小野寺ともいう。出羽国小野の城主といい、雄勝郡雄勝町小野の人と思われる。雪舟の門下で筆力奔放と伝えられている。

狩野興信
雄勝町院内生まれ。二代目秋田藩主佐竹義隆のお抱え絵師。「秋田狩野派」の祖であった狩野定信の妻の弟。若い頃京都に絵の修業に行くが、不才を恥じて真言僧となり、不洗と号したこともある。のちに定信の養子となり狩野派を継いだ。

武田永球
元和8年生まれ。本名は安親。秋田市に独自の狩野派を築いた「武田狩野」の祖。父信親は甲州武田系の人で、山形最上郡に住み、慶長14年秋田に来て佐竹氏に仕えた。佐竹義隆に見込まれて絵師になり、延宝2年法橋の位を得た。俗に古永球と呼ばれた。延宝3年死去。

平野喜伯
本名は益信。別号に船遊斎。三代目秋田藩主佐竹義処のお抱え絵師。秋田にいたのではなく江戸に住み、佐竹の江戸屋敷にかよっていた絵画教師である。『群玉宝鑑』の挿絵を描いた。八橋の日吉八幡神社に額が残っている。

小川隆雅
十文字町新田目の出身で、横手の商人・小川甚兵衛家の養子となった。横手地方に好んで鷹を描いた「横手鷹」といわれる絵の系譜があり、その継承者。増田町満福寺に黙山賛《達磨図》が残っている。全国を流浪し、三重県で死去したらしい。

根本古柳
明暦2年4月28日生まれ。名は通猶、通称は正右衛門、別号に述情がある。秋田藩。詩歌もよくした。著書に『俗老損益解』がある。元文元年8月7日死去。

赤石蒲池
寛永3年9月24日生まれ。秋田藩士。本名は行保。罪を得て郊外の水口村に隠棲した。画に親しみ、諸種の著述をなした。平元梅隣に学んだ。『水口夜話』『水口雑話』『麓の塵』などの著書もある。明和元年11月2日死去。

秋田(1)-ネット検索で出てこない画家

文献:秋田書画人伝




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