画人伝・山口 南画・文人画家

防長における南画の祖・矢野括山と門人

矢野括山(1780-1845)は、周防・長門における南画の祖とされ、画のほかに書や篆刻も巧みで、岡田半江、浦上春琴、小田海僊、貫名海屋、田能村竹田ら南画家と広く交流、防長の地に南画を根付かせた。門人には林百非(1796-1851)、安富笠山(1808-1882)、光妙寺半雲(1812-1874)らがいる。林百非は矢野括山に師事し、田能村竹田にも学んだ。百非の門人には石川瓊洲(1810-1858)がおり、百非は、萩に南画をひろめたのは瓊洲の功績であるとたたえたという。

矢野括山(1780-1845)
安永9年生まれ。萩藩士。名は淳、字は子淳、通称は市蔵。三田尻に住み、居を小橋流水・留雲閣といった。別号に竹舌、山樵、留雲痺僊、四十八峰外史などがある。防長における南画の祖とされる。画のほかに書や篆刻も巧みだった。弘化2年、66歳で死去した。

林百非(1796-1851)
寛政8年生まれ。萩藩士。別号に如是、百是、太平山人などがある。画を矢野括山に学び、のちに田能村竹田の教えも受けた。書や詩もよくし、禅や山本勘介流の兵学にも通じていた。嘉永4年、56歳で死去した。

安富笠山(1808-1882)
文化5年生まれ。間田村の人。益田氏の老臣。画を矢野括山に学び、笠山学舎を御堀に開き、子弟に読書算術を教えた。明治15年、75歳で死去した。

光妙寺半雲(1812-1874)
文化9年生まれ。三田尻の真宗光妙寺の僧侶。はじめ矢野括山に学び、その後、京都の中林竹洞に師事した。山水花卉を得意とした。篆刻、俳句にも長じていた。明治7年、63歳で死去した。

石川瓊洲(1810-1858)
文化7年生まれ。萩藩士。名復、字子礼、通称は復蔵。はじめ林百非に学び、のちに田能村竹田に師事した。師の百非は、萩に南画をひろめたのは瓊洲の功績であるとたたえたという。安政5年、49歳で死去した。

佐伯圭山(1815-1878)
文化12年生まれ。萩藩士。林百非に師事した。別号に桂林がある。明治11年、64歳で死去した。

万福寺抱月(1836-1880)
天保7年生まれ。萩の浄土真宗万福寺の九世。画を佐伯圭山に学び、和歌にも堪能だった。明治13年、45歳で死去した。

山口(6)画人伝・INDEX

文献:防長人物誌、防長の書画展-藩政時代から昭和前期まで




You may also like

おすすめ記事

1

長谷川等伯 国宝「松林図屏風」東京国立博物館蔵 長谷川等伯(1539-1610)は、能登国七尾(現在の石川県七尾市)の能登七尾城主畠山氏の家臣・奥村家に生まれ、のちに縁戚で染物業を営む長谷川家の養子と ...

2

田中一村「初夏の海に赤翡翠」(アカショウビン)(部分) 昭和59年(1984)、田中一村(1908-1977)が奄美大島で没して7年後、NHK教育テレビ「日曜美術館」で「黒潮の画譜~異端の画家・田中一 ...

3

横山大観「秩父霊峰春暁」宮内庁三の丸尚蔵館蔵 横山大観(1868-1958)は、明治元年水戸藩士の子として現在の茨城県水戸市に生まれた。10歳の時に一家で上京し、湯島小学校に転入、つづいて東京府小学校 ...

4

北野恒富「暖か」滋賀県立美術館蔵 北野恒富(1880-1947)は、金沢市に生まれ、小学校卒業後に新聞の版下を彫る彫刻師をしていたが、画家を志して17歳の時に大阪に出て、金沢出身で歌川派の流れを汲む浮 ...

5

雪舟「恵可断臂図」(重文) 岡山の画家として最初に名前が出るのは、室町水墨画壇の最高峰に位置する雪舟等楊(1420-1506)である。狩野永納によって編纂された『本朝画史』によると、雪舟の生誕地は備中 ...

-画人伝・山口, 南画・文人画家

© 2024 UAG美術家研究所 Powered by AFFINGER5