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阿波の住吉派の第一人者・守住貫魚と門人

守住貫魚「騎馬武者像」徳島市立徳島城博物館蔵

守住貫魚(1809-1892)は、同郷の渡辺広輝に学んだのち、住吉広定に師事、住吉派の御用絵師として阿波蜂須賀家に仕えた。また、江戸時代に火がついた歴史ブームのひとつである「好古」に精通し、古物の模写や写生、拓本などに力を注いだ。そのあり方が、伝統的な流派から公募された内国絵画共進会での金賞受賞や、伝統的な日本美術の保護奨励を目指してはじまった帝室技芸員制度での選出にもつながった。森魚渕をはじめ多くの門人を育て、近代徳島画壇においてもその流れを汲む日本画家は多い。

守住貫魚(1809-1892)もりずみ・つらな
文化6年生まれ。姓は清原、字は士済、通称は徳次郎。父は藩の鉄砲方で幸次郎。幼名は伸美。はじめ輝美と号し、のちに定輝と改め、さらに貫魚と改号した。別号に是姓斎、寄生軒などがある。文政8年、16歳の時に江戸にいた徳島藩御用絵師の渡辺広輝に入門、その後、広輝の紹介で住吉広定に入門した。藩の鉄砲方をしながら画の修業をし、弘化元年には藩の御用絵師となった。明治4年の廃藩置県で暇をもらい、翌年、64歳で隠居し、旧城下の富田に住んでいたが、明治14年からは大阪に住んだ。明治17年の第2回内国絵画共進会に、平家物語に取材した「宇治川先登図」と、鯉が竜に変わる故事をあらわした「龍門図」を出品し、金賞を受賞。明治23年、82歳の時に、伝統的な日本美術の保護奨励を目指す宮帝室技芸員制度がはじまり、第一回の帝室技芸員に選ばれた。明治25年、84歳で死去した。

小沢輝興(1807-1852)おざわ・きこう
天保7年生まれ。名は豊太郎。徳島東富田の医師・小沢玄節の子。守住貫魚について住吉派を学び、のちに渡辺広輝にもついて学んだ。嘉永5年、46歳で死去した。

林半窓(1822-1906)はやし・はんそう
文政5年生まれ。通称は芳太郎。初号は魚藻。天保7年から10年間、守住貫魚について住吉派を学んだ。元藩の掃除坊主。徳島助任の人。明治17年の内国絵画共進会に出品。晩年は表具屋をしていたという。明治39年、85歳で死去した。

村瀬魚親(1824-不明)むらせ・ぎょしん
文政7年生まれ。名は貢。別号に授琴斎がある。徳島富田下代丁の人でのちに八百屋町に移った。旧藩士。初号は美名。別号に治親がある。村瀬興国の子。守住貫魚について住吉派を学んだ。明治15年、17年の内国絵画共進会に出品。

岸魚躍(1826-1908)きし・ぎょよう
文政9年生まれ。徳島沖ノ町の人。通称は周蔵。初号は美景。家は代々郡方手代。守住貫魚について住吉派を学んだ。花鳥、人物を得意とした。明治41年、83歳で死去した。

小沢魚興(1836-1888)おざわ・ぎょこう
天保7年生まれ。徳島藩御用絵師。幼名は熊蔵、ついで惣右門、にちに熊太郎。通称は魚雄記。別号に易雲斎がある。小沢輝興の子。はじめ父・輝興に学び、のちに守住貫魚について住吉派を学んだ。明治17年の内国絵画共進会に出品。明治21年、53歳で死去した。

三好賢古(1839-1919)みよし・けんこ
天保10年生まれ。板野郡勝瑞の人。別号に竹香、青蓮子がある。14歳で守住貫魚に入門し、住吉広賢に師事した。高野山で仏画の研究にも従事した。指絵にも長じていた。東京生活が長かったが、各地に遊歴し、神戸の須磨寺、京都の南禅寺、徳島の立江寺などの襖絵、また京都八坂神社拝殿の三十六歌仙図を描いた。勝海舟、山岡鉄舟らの師遇を得た。大正8年死去。

上田魚行(1841-1900)うえだ・ぎょこう
天保12年生まれ。徳島富田の人。藩の弓手・上田権右衛門の長男で、彼も弓術家だった。通称は房之進。守住貫魚について住吉派を学んだ。俳人としても著名だった。俳名は橘滴、喫柯、菊可、禾陽といった。明治33年、59歳で死去した。

守住周魚「孔雀に牡丹之圖」

守住周魚(1859-1925)もりずみ・みちかな
安政6年生まれ。守住貫魚の六女。若くして父とともに大阪に出て、高麗町二丁目に住んでいた。明治中期から大正期の閨秀画人として著名だった。大正14年、67歳で死去した。

徳島(14)画人伝・INDEX

文献:生誕二百年 守住貫魚-御絵師・好古家・帝室技芸員-、阿波の画人作品集、阿波画人名鑑




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