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江戸時代を中心に全国各地で活動していた画家を調査して都道府県別に紹介しています。ただいま北関東地方を探索中。



画人伝・佐賀

百武兼行によってはじまる佐賀洋画

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佐賀藩最後の藩主となった鍋島直大は、維新後は新政府の要職につくほか、明治4年には政府派遣の欧米視察団としてアメリカに渡り、その後はイギリスに留学した。その時に直大に随行したのが、御相手役として直大に仕えていた百武兼行(1843-1884)である。百武は、明治7年と12年に一時帰国しているが、15年までロンドン、パリ、ローマに滞在し、公務のかたわら洋画の研究を続けた。このイギリスにおける百武の洋画技法の修得によって、佐賀県の近代洋画がはじまることになる。のちに佐賀洋画を牽引する岡田三郎助は、8歳の頃に鍋島直大邸に掛けられていた百武の絵を見て、陰影を入れた絵を描きはじめ、小代為重(1860-1951)は百武を通じてはじめて本格的な油絵にふれることになる。百武は明治15年に帰国し、その2年後に病を得て42歳で没しているが、その存在は佐賀出身の若者が洋画を志す大きなきっかけとなった。

百武兼行(1843-1884)
天保14年佐賀城下片田江生まれ。幼名は安太郎。8歳の時にのちに佐賀藩最後と藩主となる鍋島直大の御相手役となり、終生側近として仕えた。はじめ古川松根に師事して絵を学び、明治4年に英国留学する直大に随伴して渡英、ロンドン、パリ、ローマと公務のかたわら画技習得に励んだ。ロンドン時代は主に風景画を描いていたが、パリでレオン・ボンナに師事して飛躍的に画技が高まり、ローヤル・アカデミーに日本服を着た英国婦人を出品して評判になった。また、明治13年には駐伊特命全権公使としてイタリアに赴任した直大の書記官として随行してイタリアに滞在、マッカリについて洋画を研究した。この頃、外務書記官で経済学を専攻していて、画業は余技だったが、数々の傑作を残している。明治15年に帰国、農商務省に出仕したが、病を得て、明治17年、42歳で死去した。

小代為重(1860-1951)
文久元年佐賀城下生まれ。旧姓は中野、小代家の養子となった。明治8年に上京して慶応義塾幼稚舎に入るが、本科を中退して工部省修技校に学んだ。明治16年千葉師範学校助教員となり、この頃郷里の先輩である百武兼行に油絵の指導を受けたとされる。明治19年工部大学校雇となり、工部大学の造家学教室で曽山幸彦と建築装飾を講じた。明治22年に明治美術会創立に会員として参加したが、退会して明治29年の白馬会創立に参加した。明治33年パリ万博事務員として渡仏し、帰国後は青山学院で教鞭をとった。昭和26年、88歳で死去した。

文献:西洋絵画への挑戦-洋風画から洋画へ,そして、近代洋画の開拓者たち-アカデミズムの潮流-、佐賀幕末明治500人
参考:UAG美人画研究室(百武兼行)

イギリス美術史 (美術名著選書 (29))
岩崎美術社









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