画人伝・福島 洋風画家 風俗図・日常風景

会津に初めて西洋画法を伝えた遠藤香村

遠藤香村「西洋喫茶図」

南大戸村香塩(現在の会津若松市)の農家に生まれた遠藤香村(1787-1864)は、幼いころから画を好み、会津藩絵師・田村観瀾に狩野派を学んだとされるが、経歴には不詳な点が多い。文化年間、江戸や京都、大坂に遊学し、江戸では谷文晁に洋風画の技法を受けたとされるが、文晁の画塾「写山楼」に入門したかどうかは定かではない。ただ、文晁のもとで和漢の古画を見て、古画の知識や描法を学び、かつ多くの書籍に接したと思われる。

文政元年、京都で円山四条派の筆法を学んでからの帰途、須賀川に亜欧堂田善を訪ね、油彩画の手法を習得したという。香村が残した多彩な作品のうち「七里ケ浜の図」(下掲)「猪湖十六橋の図」は田善の流れを汲む油彩画である。

香村は蘭学者による翻訳書で知識を得て、模写により西洋画を学んだと思われる。掲載の「西洋喫茶図」(上掲)は、ティーポットを持った婦人が、主人らしき男性に近づき、召使がそれを見つめている場面で、人物らの衣服、室内の壁や柱、床の市松模様、背景の建造物などから判断し、西洋画の模写図と思われる。

遠藤香村「七里ケ浜の図」

遠藤香村(1787-1864)えんどう・こうそん
天明7年若松城下の南大戸村香塩生まれ。実家は農家。通称は平次郎、名は瘦梅。別号に如圭、石田農夫、水石、幽竹山窓、十五山水精舎などがある。幼いころから絵を好み、長じて天寧寺町に転居し、はじめ藩士・黒河内会山について画法の手ほどきを受け、千秋と号した。文化年間、川原町東北角に再び転居し、号を如圭と改め、会津藩絵師・田村観瀾について本格的に狩野派の画法を学び、のちに藩のすすめで江戸に出て谷文晁に入門したと伝わっている。ここで実用としての洋風画を学び、かたわら蠣崎波響や書家の石川悟堂らとも交友した。文化元年、再び姓を遠藤、号を香村と改め、円山四条派の筆法を学ぶため京に上り、森徹山、長山孔寅らと交友を深め、この年はいったん帰郷し、その途中に須賀川の亜欧堂田善を訪ね、西洋画法の伝授を受けた。文化2年、再び京に上り、東東洋浦上春琴らと交友し、さらに岸駒に入門したと伝わっている。元治元年、78歳で死去した。

福島(13)-画人伝・INDEX

文献:会津の絵画と書、会津に生きた会津の画人 遠藤香村展、会津の歴史(上巻)、会津人物事典(画人編)、亜欧堂田善とその系譜




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