画人伝・秋田 洋風画家 中国故事

平賀源内から直接西洋画法を学んだとされる田代忠国

三聖人図 田代忠国

秋田の俳人・森田顕忠の子として生まれた田代忠国は、秋田藩士・田代網紀の養子となり、産物方として佐竹曙山、義和の二代の秋田藩主に仕えた。洋学に通じ、直臣としてよく仕えたので、曙山から「忠国」の名を賜ったとされる。曙山没後は義和に仕えたが、世事に長け、経理物産に詳しく、事業面でも多くの業績をあげている。

安永2年に小田野直武とともに平賀源内から直接西洋画法を教示されたという説もあるが、真偽も含め洋画法習得の詳細は明らかになっていない。秋田蘭画の主要人物で、制作期間は没するまでの57年間と考えられるが、残された作品は多くない。

田代忠国(1757-1830)たしろ・ただくに
宝暦7年生まれ。森田顕忠の第二子。のちに秋田藩士・田代綱紀の養子となった。初名を忠誘、ついで国綱、忠国と、周吉と称し、雲夢、金臺散人、春秋庵などと号した。忠国の名は、藩主・曙山に賜ったと伝わっている。天保元年、74歳で死去した。

秋田(7)-画人伝・INDEX

文献:秋田蘭画展、小田野直武と秋田蘭画




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