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土佐の印聖・壬生水石と高松小埜

壬生水石「七福神之図」

壬生水石(1790-1871)は、寛政2年城下唐人町に生まれ、大坂や江戸で兵学、儒学などを学び、天保3年には与力職になった。篆刻を本格的に学び全国にその名が知られ、「土佐の印聖」と称された。また、書画、茶道、詩歌、能など諸芸にも通じ、池大雅を私淑して興趣に富んだ南画を描いた。古書画の鑑定にもすぐれ、弘瀬洞意(絵金)の贋作問題でも、業者が洞意の作品に探幽の印を入れて売り出した作品を洞意の筆であることを見破ったことでも知られる。門人には龍馬の義理の兄である高松小埜らがいる。

壬生水石(1790-1871)
寛政2年城下唐人町生まれ。父は彦右衛門正寿、母は水田氏。幼名は銀三郎。15歳で前髪をおろして八十郎と改め、のちにさらに志摩助と称した。姓は壬生、源、王、児玉といった古姓を併称し、自ら「古姓集成村舎主人」と号した。名は正文、あるいは弘文、寛政庚戍の出生を以って長庚、戍、また樸(璞、朴)といい、姓名を縮めて児樸、または王樸と称した。字は無名、子文、文卿、中札、欽古。号は水石を早くから用いていたが、他にも徳弘石門に学んだ際に受けた石坡道人をはじめ、鷹里、写意山人、管豹老人、河内軍師、東山道者など非常に多くの号を使用した。漢字、兵学、武術、有識故実を学び、さらに南画を志し、島本蘭溪、松村蘭台の作品を手本に独学で画を学んだ。のちに徳弘石門に師事し、広瀬臺山、春木南湖の画風を学び、池大雅の小帖で養成を受けた。天保3年、土佐藩12代藩主・山内豊資の参勤に従い、富士山、箱根をはじめ宿駅を写し『東遊詩草』44編をつくった。篆刻は南画以上に優れ、「土佐の印聖」と称された。明治4年、82歳で死去した。

高松小埜(1807-1876)
文化4年生まれ。郷士・高松益之丞の長男。名は順蔵。別号に小埜清素とも称した。坂本龍馬の姉・千鶴の夫。楠瀬大枝に画を、壬生水石に書と篆刻を学び、江戸に出て経書を修めた。長谷川流居合術の達人でもあり、漢字や歴史、歌や画にも優れた文人で、各地を旅して文人や学者と親交を結んだ。和歌もたしなみ、自作を『採樵歌』全4巻にまとめた。門人には中岡慎太郎、石田英吉、安岡直行らがいる。明治9年、70歳で死去した。
長男・高松太郎は海援隊士で、明治に入って龍馬の跡を継ぎ、二男・習吉も龍馬の兄・権平の養子となり自由民権運動で活躍した。

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文献:土佐画人伝坂本龍馬の時代 幕末明治の土佐の絵師たち




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