画人伝・山形 狩野派

やまと絵や琳派のスタイルも取り入れた狩野了承

狩野了承「秋草図屏風」板橋区立美術館蔵

江戸幕府の御用絵師としての地位を得て、巨大な組織をつくりあげていった江戸狩野派は、やがて粉本主義に陥り、創造性を失っていったとされる。しかし、その歴史のなかで、江戸狩野派は幾度かの変貌を遂げ、絵師のなかには、やまと絵、琳派、浮世絵など多様なスタイルを取り入れた独自の画風を示すものも現れたことが知られている。狩野了承も、そんな狩野派のひとりだった。

酒田に生まれた狩野了承は、江戸に出て幕府の奥絵師・鍛冶橋狩野家の狩野探信守道に入門した。その後、深川水場狩野家の梅笑師信の養子となり、文化5年に養父の跡目を継いで深川水場狩野家の4代目となった。修業時代は、探信守道の自由な教育のもと、風俗画や琳派、写生画など幅広い他派の画風を学んだと思われ、師・探信守道の影響で、巧みなやまと絵も残している。

掲載の「秋草図屏風」は、当時酒井抱一によって江戸に紹介された琳派のスタイルを取り入れており、強風にあおられて大きく弧を描く薄をリズミカルに配し、その間に萩や女郎花などの可憐な草木をあしらった軽妙な作品に仕上げている。

狩野了承(1768-1846)かのう・りょうしょう
明和5年酒田生まれ。名は賢信。初号は信川。享和2年に了承と改号した。狩野探信守道に師事し、狩野梅笑師信の養子となり、深川水場狩野家の4代目を継いだ。時の将軍徳川家斉の姫である和姫、溶姫、峯姫、暉姫、喜代姫らの御用絵師としても活躍した。弘化3年、79歳で死去した。

山形(8)-画人伝・INDEX

文献:もっと知りたい狩野派 探幽と江戸狩野派、江戸狩野派の変貌、酒田市史史料篇第7集、郷土日本画の流れ展




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