画人伝・和歌山 南画・文人画家 花鳥画

紀伊の南画家たち

坂(阪)本浩雪「桜花図」

坂(阪)本浩雪「桜花図」

紀州三大南画家である祇園南海桑山玉洲野呂介石を輩出した紀伊には、その門人の他にもさまざまな師系の南画家が活躍した。大江龍眠の実弟で小田海僊に師事した大江霞岳、本草学者で南画をよくした坂本浩雪、『小梅日記』で知られ、当時の和歌山における女性画家の第一人者と称された川合小梅、山本梅逸風の南宗画を描いた岡本緑邨をはじめ、諏訪鵞湖、崖熊野ら多彩な南画家がいる。

大江霞岳(不明-1850)おおえ・かがく
名は一郎。大江龍眠の実弟。南画をよくし、小田海僊に師事した。嘉永3年死去。

井爪丹岳(1832-1900)いづめ・たんがく
天保3年有田郡生石村生まれ。名は脩祐、字は敬肅、通称は與次兵衛。別号に晩茶翁がある。井爪與次兵衛の子。幼い頃から学問や画を好み、はじめ田辺の大江霞岳について学び、のちに京都に出て小田海僊の門に入った。研究熱心で、南北合法を以って新機軸を打ち立てた。師の海僊も丹岳を養子に迎えたいと願ったが、家業を継ぐために成らなかったという。しかし丹岳は公事の傍ら終生画を描いた。明治33年、69歳で死去した。

東山琴堂(1847-1912)ひがしやま・きんどう
椒村光明寺の住職。名は義賢。幼い頃から画を好み、井爪丹岳に師事して南画を学んだ。四君子を得意とした。大正元年、65歳で死去した。

坂(阪)本浩雪(1800-1853)さかもと・こうせつ
寛政12年生まれ。名は直大、字は櫻宇、通称は浩然。別号として香村、永齋、寫蘭、櫻香などがある。紀伊藩江戸詰の医師・坂本順庵甫道の長男。父から医学を学び、かたわら本草の学問を研究、余暇に筆をとって画を研究した。天保15年45歳の時に医業を廃し、画道に精進し、草木花卉などの写生に専念した。桜の花に力を入れ、『浩雪櫻譜』を著している。また、諸国を歴遊し、奇木異草や多数の菌類も写生し、『菌譜』2巻を著した。ほかにも『百卉存眞圖』『百花圖纂』など多くの著書がある。嘉永6年、54歳で死去した。

川合小梅(1804-1889)かわい・こうめ
文化元年生まれ。羅浮洞仙と号した。藩儒の川合豹蔵梅處の妻。野際白雪に師事したとされ、南画をよくした。特に花鳥、美人画を得意とした。当時の和歌山における女性画家の第一人者と称された。身辺の雑事を記した『小梅日記』でも知られる。明治22年、86歳で死去した。

岡本緑邨(1811-1881)おかもと・ろくそん
文化8年生まれ。紀伊出身だと思われる。名は邦直、字は子温。山本梅逸風の南画をよくした。画域が広く紀伊各地に作品が残っている。明治14年、71歳で死去した。

諏訪鵞湖(1764-1849)すわ・がこ
通称は兼次郎。岡本小平太道率の二男に生まれ、江戸の諏訪新左衛門親次の養子となり、明和8年に跡を継いだ。武官の職にあって画をよくした。10代藩主・徳川治宝に同行して紀州へ行った際、熊野を遊歴し、那智滝を模写した。また、公命で富士山に登り、その真景を写生して藩主に献上した。嘉永2年、86歳で死去した。

崖熊野(1734-1813)きし・ゆや
享保19年熊野生まれ。紀伊藩の儒学者。名は弘毅、字は剛煥、はじめ順助と称し、のちに權兵衛と改めた。学問を好み、画をよくした。紀伊藩に仕えて文学となり『仁井田好古紀伊続風土記』の編纂をした。文化10年、80歳で死去した。熊野に子はなく明の崖南嶠を養子とし、南嶠は養父の業を継いで書画をよくした。南嶠の子・蘭嶠、その子・雲嶠と続いた。また、文化6年刊行の『南紀若山新書画展展覧会目録』のなかに中村翠宇は岸熊野の門人とあるが詳細は不明。

中田熊峰(不明-1886)なかた・ゆほう
田辺の人。名は確、通称は泰平。別号に一簑、孤山などがある。幼い頃から読書を好み、書画もよくした。泉州の日根野対山に師事して南画の画法を学び、山水を得意とした。門人に小山雲泉がいる。明治19年、72歳で死去した。

小山雲泉(1855-1911)こやま・うんせん
田辺の人。名は袁榮、字は秀水、通称は要助。別号に芝石道人がある。明治11年に同地の中田熊峰に学んで南画を修めた。のちに大坂に出て堀江に住み、烟草業のかたわら筆をとった。其間、琴石、玉江、竹外らの先輩と交遊して研究に励んだ。また余技に篆刻を学び『千字文百顆印譜』を著した。赤松雲嶺はこの門から出た。

水野花陰(1850-1887)みずの・かいん
嘉永3年生まれ。名は子、別号に華仙がある。三州田原藩主三宅泰直の三女。幼い頃に渡辺崋山の妻たかめ守役として仕え、長じて紀州新宮藩主の水野家に嫁いだ。画を好み、椿椿山渡辺小華に学び、明治20年に小華の没後は滝和亭に師事した。大正9年、71歳で死去した。

酒井梅斎(不明-不明)さかい・ばいさい
字は子文。戯れに鳥巣閣主人と称した。尾張の山本梅逸の門を出て、巧みに師の画風を伝えた。和歌山山本町に住んで絵筆をとった。明治12年頃に神戸に行き、海外輸出の陶器画の筆をとった。

堀田霞岳(1897-1931)ほった・かがく
海草郡内海町の人。名は重蔵、別号に醉山荘主がある。15歳頃に青木梅岳の門に入り、さらに小室翠雲の門に入って学んだ。帰郷してからは藤白山麓に住んで醉山荘主と称した。昭和6年、35歳で死去した。

諏訪醉古(不明-不明)すわ・すいこ
紀州伊都郡九度山の人。名は寛。若い頃から画を好み、郷里を離れて田能村直入の門に入って学んだ。明治10年頃に死去した。

松韻(不明-不明)しょういん
日高郡御坊町島の人。画を志して京都に遊び、田能村直入の門に入って学んだ。画技は巧みだったが夭折して名を残せなかった。

吉田南涯(1844-1905)よしだ・なんがい
明治年間の人。名は直、字は子和、通称は庄太郎。旧和歌山藩御勘定方の武士。畑屋敷榎丁に住んでいた。京都の南画家・重春塘について南画を学んだ。山水を得意とした。

竹中南渓(不明-不明)たけなか・なんけい
和歌山米屋町の商人。中西耕石について南画を学び、米法山水を得意とした。明治12、3年頃病死した。

神保江村(不明-不明)じんぼ・こうそん
名は市右衛門。南紀古座中湊の人。代々醤油醸造を業としていた。風雅を好み、山下蕉雨に南画を学び、花鳥を得意とした。

依岡三交(1839-1901)よりおか・さんこう
有田郡石垣村生まれ。和歌山藩の町与力。名は道義、字は子徳、通称は豫十郎。住居を碧梧翠竹草房と称した。師系は定かでないが南画をよくし、四君子、山水を得意とした。明治34年、62歳で死去した。

田崎藍涯(不明-不明)たさき・らんがい
牟婁郡の人。通称は伊兵衛。師系は定かでないが南画をよくし、山水を得意とした。明治15年の内国絵画共進会に那智瀑布の図と富岳の図を出品している。

沼野棠宇(不明-1778)ぬまの・しょうう
名は国幹、字は子禮。和歌山の沼野家八代の孫で、南画をよくした。安永7年死去。

今川了所(不明-不明)いまかわ・りょうしょ
文化年中の人。名は忠懿、字は君美。南画をよくした。

富松蘭溪(不明-不明)とみまつ・らんけい
文化年中の和歌山の人。名は長辰。南画をよくした。名数画譜の幽詩7月のうち「猗彼女桑」の図を描いた。

多賀春泉(不明-1897)たが・しゅんせん
和歌山吹屋丁般若院の住職。名は良潭。南画をよくし、花鳥を得意とした。

的場南岳(不明-不明)まとば・なんがい
寛政文化の人。和歌山中の島に住んでいて南画をよくした。

藤江石鼎(不明-不明)ふじえ・せってい
名は椿、字は八千。文化文政期の和歌山に住んでいた。名数画譜の中に五岳嵩山の図がある。

塩路五水(1853-1930)しおじ・ごすい
名は久雄、字は徳善、通称は彦右衛門。日高郡島村の人。南画の山水をよくした。

千本碧龍(不明-不明)ちもと・へきりゅう
和歌山藩士で本町御門番の頭役。通称は左門八。余技で南宗画を修め、山水を得意とした。明治10年頃、鳴神村に移って悠々自適に過ごした。

快處(不明-不明)かいしょ
名は法潤。日高郡御坊町浄国寺の第九世。安政6年より13年間同寺に住んでいた。仏事の傍ら南宗画の山水をよくした。

水野巨海(不明-不明)かいしょ
通称は澣二郎。新宮藩主土佐守の弟。椿山と交友があり、沈南蘋風をよくした。

和歌山(11)画人伝・INDEX

文献:紀州郷土藝術家小傳




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