画人伝・茨城 画僧・武人 中国故事

建長寺の僧となりのちに常州水戸に住んだ長柳斎(可卜)

長柳斎「巣父図」神奈川県立歴史博物館蔵

祥啓の門弟のひとりに、建長寺の僧となり、のちに常州水戸に住んだ長柳斎(不明-不明)がいる。最初の画史といわれる『丹青若木集』によると、祥啓とその周辺の系譜のなかで、可卜(長柳斎)と性安の名があげられている。系譜のなかで可卜は、仲安真康の下に祥啓とともに名を連ねており、傍注には「啓書記法眷」とあるが、画風から見て実際には祥啓の弟子だろうと考えられている。

長柳斎が水戸のどこに住んでいたかを具体的に記している資料はないが、当時の臨済禅が行なっていた水戸および周辺への布教活動のなかでの位置付けは推測可能と思われる。関東水墨画のなかに「棟隠」「植玉」などと押印された作品を一様に長柳斎の作品としているが、再検討が必要との指摘もある。

長柳斎(不明-不明)ちょうりゅうさい
別号に可卜、棟隠子がある。鎌倉建長寺の住職で、画を啓書記に学び、人物、山水をよくした。建長寺の僧をつとめ、のちに常陸の水戸に住んだという。

茨城(2)-画人伝・INDEX

文献:茨城の画人、茨城県立歴史館報(12)、型とイメージの系譜 関東水墨画、中世にみる型とイメージの系譜 関東水墨画の200年




You may also like

おすすめ記事

1

長谷川等伯 国宝「松林図屏風」東京国立博物館蔵 長谷川等伯(1539-1610)は、能登国七尾(現在の石川県七尾市)の能登七尾城主畠山氏の家臣・奥村家に生まれ、のちに縁戚で染物業を営む長谷川家の養子と ...

2

田中一村「初夏の海に赤翡翠」(アカショウビン)(部分) 昭和59年(1984)、田中一村(1908-1977)が奄美大島で没して7年後、NHK教育テレビ「日曜美術館」で「黒潮の画譜~異端の画家・田中一 ...

3

横山大観「秩父霊峰春暁」宮内庁三の丸尚蔵館蔵 横山大観(1868-1958)は、明治元年水戸藩士の子として現在の茨城県水戸市に生まれた。10歳の時に一家で上京し、湯島小学校に転入、つづいて東京府小学校 ...

4

北野恒富「暖か」滋賀県立美術館蔵 北野恒富(1880-1947)は、金沢市に生まれ、小学校卒業後に新聞の版下を彫る彫刻師をしていたが、画家を志して17歳の時に大阪に出て、金沢出身で歌川派の流れを汲む浮 ...

5

雪舟「恵可断臂図」(重文) 岡山の画家として最初に名前が出るのは、室町水墨画壇の最高峰に位置する雪舟等楊(1420-1506)である。狩野永納によって編纂された『本朝画史』によると、雪舟の生誕地は備中 ...

-画人伝・茨城, 画僧・武人, 中国故事

© 2024 UAG美術家研究所 Powered by AFFINGER5