UAG美術家研究所

江戸時代を中心に全国各地で活動していた画家を調査して都道府県別に紹介しています。ただいま東北地方を探索中。

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江戸後期の筑前四大画家

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左:桑原鳳井「羅婦仙図」(賛:二川相近)
右:石丸春牛「柘榴に山鳥図」乳峰寺蔵

江戸後期、狩野派の御用絵師たちが粉本主義に陥り、精彩を失っていくなか、筑前画壇では町絵師たちが独自の画業を展開していた。なかでも元秋月藩御用絵師でのちに大宰府で町絵師として活躍した斎藤秋圃、藩から召し抱えの交渉があったが固辞して大宰府に閑居した四条派の桑原鳳井(1793-1841)、浦上春琴に学び北宗風の山水花鳥を得意とした石丸春牛(1793-1860)、四条派から南画に転じた村田東圃(1802-1865)の4人は、各自が自分の持ち味を生かした活動をし、のちに「筑前四大画家」と称された。村田東圃の門からは、のちに大阪南画壇を代表する画家の一人として活躍する姫島竹外らが出ている。

桑原鳳井(1793-1841)くわはら・ほうせい
寛政5年嘉麻郡大隈生まれ。幼名は鹿吉。別号に梧竹がある。実家はのちに席田郡二股瀬に移り茶店を営んだ。幼いころから画を好み、福岡藩御用絵師・衣笠守由について狩野派を学び、のちに長州の小田海僊に南画を学び、さらに大坂に出て森一鳳に師事し四条派を修めた。帰郷後は次第に画名が上がり、藩から召し抱えの交渉もあったが、自由奔放な性格のため固辞して大宰府に閑居したという。門人に吉嗣楳仙、萱島鶴栖がいる。天保12年、下関において49歳で死去した。

石丸春牛(1793-1860)いしまる・しゅんぎゅう
寛政5年生まれ。名は和、通称は半助など。別号に石耕、墨窩、芸甫がある。晩年は専ら純翁を名乗り、水石書楼、花僊楼、十里松下人などとも称した。茶商「茶忠」の通い番頭源助の子で、父の仕事を継いだが、主人のすすめもあって画家を志し、長崎に来遊していた南画家の浦上春琴に従い京都で行き師事した。以後は明清の南画を研究した。のちに博多上新川端に帰郷して画業に専念、北宋風の山水花鳥を得意とした。門人に子の石丸僊舟のほか、姫島竹外、高川少萍、萱島鶴栖らがいる。安政7年、68歳で死去した。

村田東圃「桃里仙遊図」亀陽文庫・能古博物館蔵

村田東圃(1802-1865)むらた・とうほ
享保2年那珂郡春吉生まれ。実家は農業を営んでいた。字は子壁、通称は瑣一郎。別号に紫溟釣徒、黒江遊人がある。30代で、博多橋口町の製墨業を主とする文具商・常春園村田治右ヱ門の養子となった。はじめ狩野派を学び、ついで斎藤秋圃に師事し、さらに京都に出て松村景文に四条派を学んだが、のちに元明の南宗画家を敬慕し、南画に転じた。50歳を過ぎた頃、京都で修行をしていた子の香谷が一時帰郷したのを機に、親子三人で京都に出て10年余り京都で活動、晩年は帰郷し子弟の教育にあたった。門人に村田香谷、村田秋江、姫島竹外、松尾耕雲らがいる。元治2年、64歳で死去した。

石丸僊舟(1824-1893)いしまる・せんしゅう
文政7年生まれ。石丸春牛の子。名は萬次郎。父に画を学び、山水をよくした。門人に萱島秀山、半田鶴城、石井澹石らがいる。明治26年、70歳で死去した。

高川少萍(1836-1888)たかがわ・しょうびん
天保7年生まれ。博多春吉に住んでいた。別号に錦堂がある。石丸春牛に師事した。明治21年、53歳で死去した。

岩崎蕉陰(不明-1872)いわさき・しょういん
博多西町の人。別名は十太夫。石丸春牛に学び南画をよくした。竹田の偽筆に長じていたといわれる。明治5年死去した。

村田香谷(1831-1912)むらた・こうこく
天保2年筑前生まれ。村田東圃の子。名は叔。別号に蘭雪・適園がある。はじめは父に、のちに長崎の日高鉄翁、京都の貫名海屋に南画を学んだ。詩は梁川星巌に学んだ。中国に3度渡り胡公寿らと交わり研究した。帰国後は大阪に定住した。大正元年、82歳で死去した。

村田秋江(1836-1890)むらた・しゅうこう
天保7年生まれ。村田東圃に学んだ。明治23年、55歳で死去した。

麻生東谷(1836-1908)あそう・とうこく
天保7年鞍手郡木屋瀬改盛町生まれ。12歳で村田東圃に入門。17歳で家督を継いだ。生活苦の中で人形製造業などに従事した。明治41年、73歳で死去した。

柳坂塘雨(1837-1898)やなぎさか・とうう
天保8年筑前生まれ。村田東圃に師事した。名は新平。明治31年、62歳で死去した。

姫島竹外(1840-1928)ひめしま・ちくがい
天保11年筑前生まれ。幼名は磯熊、名は純、字は子純、通称は解三。別号に玄洋釣徒、悟竹草堂がある。福岡藩士の子で、武芸に励むかたわら、藩校修猷館で館長の梶原弥平太について漢学を修めた。安政4年、18歳の時に村田東圃に入門、のちに石丸春牛にも学んだ。明治維新後に画家を志し上京、その後大阪に移り住み、明治31年に南宗画会を結成、全国南画共進会で受賞するなど、大阪南画壇を代表する画家の一人として活躍した。大正7年竹外南画院を設立し、水田竹圃、赤松雲嶺、幸松春浦らの門人を育てた。昭和3年、89歳で死去した。

文献:斎藤秋圃と筑前の絵師たち筑紫路の絵師-斎藤秋圃と吉嗣家・萱島家-福岡県日本画 古今画人名鑑筑前名家人物志

まずは笑顔から 錦山亭金太夫の博多有情
日本経済新聞出版社







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