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春木南湖と讃岐の門人

春木南湖「七福神図屏風」(左隻)

春木南湖「七福神図屏風」(右隻)

谷文晁(1763-1840)と並び、「天下の二老」と称された春木南湖(1759-1839)は、伊勢国長島藩主・増山雪斎に抱えられ、その援助で京都、大坂、長崎に遊学しており、その折に讃岐に足を運んだものと思われる。市原陶々、鈴木青玉、戸祭雪湖ら、高松の人で南湖に学んだものは多く、南湖の作品も多く残されている。また、南湖の門人である戸祭雪湖も讃岐の地で多くの弟子を育てた。

市原陶々(1798頃-1840)いちはら・とうとう
寛政10年頃生まれ。名は政簡、字は伯敬、通称は太助。春木南湖に師事して六法を受け、特に山水を得意とした。天保11年、43歳で死去した。

鈴木青玉(1780頃-1857)すずき・せいぎょく
安永9年頃生まれ。名は美那。春木南湖に師事して花鳥をよくした。梅の花を最も得意とした。安政4年、78歳で死去した。

戸祭雪湖(1808頃-1861)とまつり・せつこ
文化5年頃江戸生まれ。生まれてすぐに高松に移住した。名は静馬、通称は又一郎。高松藩の老臣。春木南湖に師事して山水をよくした。文久元年、54歳で死去した。

山崎阿亭(不明-1832)やまさき・あてい
名は宗昌。春木南湖に師事し画をよくした。天保3年死去した。

堀田鶴渚(1824-不明)ほった・かくしょ
文政7年頃生まれ。名は正幸。春木南湖に師事し画をよくした。安政年間に死去した。

玉川竹溪(1825頃-1893)たまかわ・ちっけい
文政8年頃生まれ。名は秀信、戸祭雪湖に学び、山水をよくした。明治26年、69歳で死去した。

荒木雲溪(1826頃-1905)あらき・うんけい
文政9年頃生まれ。名は養、通称は養三。別号に友竹主人、巣松庵、白雲溪舎などがある。山田梅村、市原梅隣、渡辺有梅と交友した。画は戸祭雪湖に学んだ。明治38年、80歳で死去した。

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文献:讃岐画家人物誌、讃岐の文人画展、描かれし美の世界




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