画人伝・長野 狩野派 中国故事

安曇野における狩野派の先覚・狩野梅二

狩野梅二「故事人物図」

狩野梅二「故事人物図」

信州安曇野に狩野派の絵師が登場するのは、江戸中期に入って宝永年間のことである。穂高町だけでも十指を数える絵師が記録に残っており、そのなかでも最も年代が古いのが狩野梅二(1704-1786)である。

穂高町白石に生まれた狩野梅二は、享保年間に江戸に出て、幕府表絵師・深川水場狩野家の狩野梅栄に師事した。門弟のなかでも優秀だったとみられ、師の一字を得て「梅二」と号し、狩野姓も許されている。梅二の江戸での修行期間については明らかではないが、かなりの修行を積んで帰郷したとみられ、その後40歳代から80歳代の30年間から40年間を穂高で活動したとみられる。

梅二は、安曇野における狩野派の先覚であるとともに、穂高を中心とした中信地域の画家たちに大きな影響を与え、特に海二に学んだと伝えられる狩野梅玄(不明-不明)は、江戸に出て狩野梅笑に入門後、高田藩江戸御絵所画員となり大成している。

狩野梅二(1709-不明)かのう・ばいじ
宝永6年穂高町白金生まれ。姓は平林。本名は不詳。別号に媒二、槑二、有明人、有明里人などがある。享保年間に江戸に出て狩野梅栄に師事した。晩年は、白金や有明に住んで活動したと考えられるが、没年は明らかではないが、天明6年83歳の落款が確認されている。

狩野梅星(不明-不明)かのう・ばいせい
狩野梅二の子といわれるが、作品は極めて少なく、経歴も不詳。

狩野洞索(1764頃-1844)かのう・どうさく
穂高町矢原出身。本名は荻原で、荻原碌山の祖先とされる。はじめ隣村の狩野梅二に学び、のちに京都に出て狩野洞寿に入門した。天保14年死去した。

狩野梅玄(不明-不明)かのう・ばいげん
化政期に活躍した。本姓は小口、通称は周蔵、藤原賢安とも称した。はじめ狩野梅二に学び、晩年江戸に出て狩野梅笑に師事し、高田藩江戸御絵所画員となった。俳句、茶の湯にも通じた。宋林寺鐘楼の天井画に「雲龍之図」が残っている。

望月章斎(1814-1892)もちづき・しょうさい
文化11年穂高町等々力生まれ。別号に三橋、章霊、信山などがあり、藤原姓を称した。はじめ同郷の狩野洞索に学び、のちに江戸に出て狩野洞章に師事した。帰郷後は多くの門人を育てた。明治26年、79歳で死去した。

望月硯斎(1843-1909)もちづき・けんさい
天保14年穂高町神田町生まれ。望月章斎の子。幼いころから父に画を学び、蘭方医・高嶋章貞に学問を学んだ。三郷村中萱の熊野神社の絵馬をはじめ、小岩嶽城址の小祠、富田の妙教寺、栗尾の満願寺などに多くの作品を残している。満願寺聖天堂の格天井画は、藤森桂谷、赤羽雪邦、丸山雲章、筒井楓所らとの合作。明治42年、66歳で死去した。

丸山雲章(1849-1907)まるやま・うんしょう
嘉永2年穂高町上原生まれ。本名は米太郎。穂高神社の花崗岩造りの手水舎天井画、満願寺聖天堂の格天井画や襖に「雲龍」を描いている。明治40年、58歳で死去した。

青柳龍斎(不明-不明)あおやぎ・りゅうさい
穂高町本郷の人。望月章斎の門人。龍章斎とも署名している。丸山雲章とほぼ同年代と推測される。

望月雅章(1870-1918)もちづき・がしょう
明治3年穂高町神田町生まれ。望月硯斎の長男。本名は直弥。はじめ祖父の望月章斎に学び、のちに上京して橋本雅邦に学んだとされる。のちに帰郷して穂高高等小学校、常盤尋常高等小学校などにつとめた。のちに熱烈なキリスト教徒として伝道活動が主となり制作から遠ざかった。大正7年、48歳で死去した。

筒井楓所(1878-不明)つつい・ふうしょ
明治11年大町市生まれと伝わる。女性画家。望月硯斎や丸山雲章と交友し狩野派の画をよくしたが、のちに松本楓湖の門に入ったという。合作の満願寺聖天堂の格天井画に数点描いている。

長野(2)-画人伝・INDEX

文献:安曇野の美術、長野県美術全集 第1巻




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