UAG美術家研究所

江戸時代を中心に全国各地で活動していた画家を調査して都道府県別に紹介しています。ただいま東北地方を探索中。

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角館に四条派を移入した武村文海

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武村文海「鶏」

秋田藩内で盛んになった円山四条派の絵は、柴田南谷川口月嶺によって広まったものと思われ、幕末から明治にかけて中央画壇でもその画名を知られるようになった角館の平福穂庵も、川口月嶺の影響を受けていると思われる。その穂庵が四条派の画技をはじめて学んだのは、同じ角館の武村文海である。

武村文海がどのようにして四条派の画法を習得したかは不明だが、実家が裕福で諸芸万事にすぐれた人物と伝わっており、絵画のほかに人形、彫刻などの作品も残っている。豊かな教養を持った文化人で、芸文を好む町人たちの多くが文海の門をくぐったと思われる。

穂庵の父・平福文浪も、半職業的に文海に画法を学んでおり、実家は大商店だったが、転業して染物屋をひらき、婚礼衣装の裾模様を染めたりする美術工芸の仕事をしていた。その影響で穂庵も文海に学んでおり、幕末から明治にかけて角館から出た画家の多くが文海の影響を受けているとみられる。

武村文海(1797-1863)たけむら・ぶんかい
寛政9年生まれ。字は朝宗、儀兵エと称した。角館における文芸一般の指導者で、角館付近に多くの作品が残っている。角館で文海が切り開いた四条派の画法は、平福文浪、穂庵、百穂へと引き継がれた。文久3年、66歳で死去した。

平福文浪(1823-1877)ひらふく・ぶんろう
文政6年生まれ。平福穂庵の父、平福百穂の祖父。名は太治右エ門、通称は徳蔵。平福家は文浪の父・万七の代までは米や乾物の大商店だったが、文浪は商売を好まず、絵が好きだったため、竹村文海について四条派の画を習った。父の没後は家運も傾き、転業して染物屋をひらいた。明治10年、54歳で死去した。

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