画人伝・山形 狩野派 版画家 風俗図・日常風景

遠近法を用いて「湯殿山道中版画」を描いた狩野派の絵師・早坂義川

早坂義川「湯殿山道中一覧」より「八日町道者宿」
左端の「湯殿山大権現」の幟が立っているのは誓願寺で、南側にならぶ店、町に出かける着流しの参詣客、客を招く女たちなど賑やかな町の様子が描かれている。

江戸初期から中期にかけて、山形・村山地方にはほとんど郷土画家が見当たらず、記録上最も早くこの地域で活躍した絵師は、江戸末期の安永・天明頃になって現れた狩野派の絵師・藤沢祐川である。祐川は、山形宮町両所宮の杜人として生まれ、天明7年に没しているが生年は不明である。天明3年に建立された両所宮楼門の天井に、鳳凰、麒麟、雲龍の作品を残している。

その後の山形・村山地方の絵師としては藤沢祐川に学んだ早坂義川がいる。山形旅籠町の旅宿屋八木屋に生まれた義川は、若いころから祐川に狩野派の画法を学んだ。生没年をはじめ詳しい画歴は明確になっていないが、西洋画法による写生画や泥絵、俳画、大和絵風の富士山水図など、多彩な作品を残している。

遠近法を用いて描かれた「湯殿山道中版画」(掲載作品)は、上山から月山、湯殿山までを歩いて写生し30余枚にまとめたものだが、現在は20枚前後の風景画しか確認されていない。多色刷りの版画で、上袋によって文政3年に山形の孤月堂から版画にして売り出されたものであることが判明している。

また、義川の長男・早坂文嶺は北海道に渡り、松前で絵師として活動した。

早坂義川(不明-不明)はやさか・ぎせん
山形旅籠町生まれ。家は旅宿屋八木屋。旧姓は宇野。27歳頃に近所の表具屋早坂家の養子となった。長男の文嶺も画家。藤沢祐川に狩野派の画法を学び、さらに西洋画法による写生画や泥絵、俳画などの作品もみられる。古希となった天保9年に、定信から定照と改名し、以後は「義川斎定照」と落款を記している。作品は、宇野家の菩提寺である山家の金勝寺や山形市を中心に、広く村山地方に残っている。没年は嘉永5年とも弘化4年とも伝わっている。

山形(17)-画人伝・INDEX

文献:村山の歴史、武田喜八郎著作集巻2、郷土日本画の流れ展




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