画人伝・和歌山 南画・文人画家 山水・真景

野呂介石の門人たち

浜口灌圃「山水図」和歌山県立博物館蔵

池大雅の高弟として全国的に名前を知られるようになった野呂介石のもとには、各地から多くの文人たちが訪れてきた。その中には田能村竹田頼山陽など次世代の南画壇を担う画家たちも含まれていた。また、紀伊でも多くの弟子たちが介石の門に入り、野際白雪、前田有竹、愛石ら多くの南画家が育っている。

前田有竹(不明-不明)まえだ・ゆうちく
文化文政の人。名は世美、字は子濟、俗称は山田屋總十郎。野呂介石に師事した。介石の高弟とされ、介石と行動を共にすることが多かったとみられる。山水を得意とした。

前田紫石(不明-不明)まえだ・しせき
前田有竹の妻。夫とともに野呂介石の門に学び、よく師の画風を修得したという。

愛石(1764-不明)あいせき
明和元年生まれ。名は直瑞。紀伊の画僧。幼い頃から画を好み、野呂介石に師事し、のちに元明の遺蹟や本朝の先哲の画風を研究して技術が進み、ついに一家をなした。野呂介石と、讃岐の長町竹石(1757-1806)とともに、南画の三石と呼ばれる。

馬上清江(不明-1842)ばじょう・せいこう
名は徳五郎、有田郡湯浅の人。通称は馬徳。野呂介石の門に入り、平林無方や浜口灌圃らとともに画を学んだ。天保13年死去。

平林無方(1782-1837)ひらばやし・むほう
天明2年有田郡湯浅町生まれ。名は瑞宝。有田郡湯浅の福蔵寺の住職。浜口灌圃らとともに野呂介石の門に学んだ。天保8年、56歳で死去した。

浜口灌圃(1778-1837)はまぐち・かんぽ
安永7年生まれ。有田郡広村出身の町人。字は恭、幼名は儀三郎、通称は儀兵衛。浜口教表の長男。その居を風信亭と呼んだ。幼い頃から画を好み、平林無方らとともに野呂介石の門に学んだ。天保8年死去。

阪上漱雪(1765-1847)さかがみ・そうせつ
明和2年生まれ。名は正巳、字は立禮または楽中、通称は傳兵衛といい、田平と表記することもあった。家号は岡崎屋と称した。野呂介石の門人。弘化4年、83歳で死去した。

阪上梅圃(不明-不明)さかがみ・ばいほ
名は謙、字は皆吉、通称は岡崎屋吉左衛門。別号に熈春齋がある。野呂介石の門人。漱雪の子とみられる。

阪上淇澳(不明-不明)さかがみ・きおう
名は正行。漱雪、梅圃と同じく岡崎屋の出で、野呂介石の門人。特に竹の画を得意としたとされる。

阪上素玉(不明-不明)さかがみ・そぎょく
名は淑充。淇澳の妻。夫と共に野呂介石に師事した。

薗部屋東渠(不明-不明)そのべや・とうきょ
名は久敬、通称は薗部屋百助。別号に清静がある。画を好み野呂介石の門に学んだ。

雲嶺(不明-1839)うんれい
名は俊應。寺町護念寺二十世住職。画を好み檀家の野呂介石に師事した。天保10年、68歳で死去した。

小山渭泉(不明-不明)こやま・いせん
文化頃の人。名は萬年、字は玄鶴、通称は笹屋孫右衛門。野呂介石の門人。

内田九山(不明-不明)うちだ・きゅうざん
別号に紀九山人がある。紀州伊都郡高野下九度山の人で、それにちなんで号を「九山」とした。医業のかたわら野呂介石に学び画をよくした。

直川屋梅亭(不明-不明)のがわや・ばいてい
名は亦章、通称は次左衛門。家号は直川屋と呼んだ。画を好み野呂介石に師事した。

前田蕉庵(不明-不明)まえだ・しょうあん
名は寛、字は襄平、通称は山口屋。野呂介石に師事した。

貞玄(不明-不明)ていげん
浄心寺の住職。別号に禹洲がある。野呂介石に師事した。

渥美白濱(不明-不明)あつみ・はくひん
名は政要、字は伯善、通称は甚五郎。別号に雲松斎がある。野呂介石に師事した。

三宅看雲(不明-不明)みやけ・かんうん
西浦と称した。備前の人だが、紀伊に住み野呂介石に師事した。

和歌山(9)画人伝・INDEX

文献:紀州郷土藝術家小傳




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