画人伝・群馬 南画・文人画家 風俗図・日常風景

玉村宿で地方絵師として活躍した千輝玉斎

千輝玉斎「豊年満作襖絵」(水争いの部分)

千輝玉斎「豊年満作襖絵」(水争いの部分)

千輝玉斎「豊年満作襖絵」(田植えの部分)

千輝玉斎「豊年満作襖絵」(田植えの部分)「豊年満作襖絵」は四枚仕立ての襖絵。万延元年の制作で、上野国の農民の暮らしぶりを伝えている。

千輝玉斎(1790-1872)は、日光例幣使街道沿いの玉村宿(現在の群馬県佐波郡玉村町)で旅籠を営む一方、地方絵師として活躍した。群馬県吾妻郡中之条町竪町の町田家(染物屋)に生まれたと伝わっているが、御家人の末裔という伝聞もある。24歳頃に中之条を離れ、文政年間、玉村宿の早川与六家に寄食したが、のちに同宿で旅籠を営む萬屋仙蔵の娘ゑいに婿入りした。

画歴は定かではないが、幼いころから絵を好み、その腕前で周囲を驚かせていたといい、家業に余裕ができると、玉村宿にちなんで「玉斎」と号して絵を描いた。さらに、茶道や生花、彫刻なども手がけ、茶室「玉斎楼」を造り、文房四宝、落款用印章、印籠、茶刀など自らの手により制作した。明治2年頃には、中之条町で書画展を開き、大評判になったと伝わっている。

千輝玉斎(1790-1872)ちぎら・ぎょくさい
寛政2年吾妻郡中之条町生まれ。通称は幸兵衛、または幸吉。玉村にちなんで玉斎と号した。茶道では玉松斎一光と名乗った。文化10年郷里を出て、文政2年ころ玉村宿に至り、旅籠萬屋仙蔵の婿養子となった。北斎流の筆致で人物、花鳥画を得意とした。「豊年満作襖絵」「庚申侍図」「橋上衆人通行図」は当時の風俗を描いており、民俗的資料としての価値も高いとされる。挿花、篆刻、彫刻など多方面に才能を発揮した。数奇を凝らした茶室「玉斎楼」は、地方では稀なものと評判になった。明治5年、83歳で死去した。

群馬(7)-画人伝・INDEX

文献:描かれた民俗-文人画家・千輝玉斎の世界、幕末の文人画家-千輝玉斎、:絵農書一、群馬県人名大事典




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