画人伝・鹿児島 雪舟系 中国故事

雪舟系水墨画を継承した江戸時代最初の薩摩絵師・日野等林

日野等林「孔子聖蹟図屏風」(部分)目黒雅叙園美術館蔵

江戸時代に薩摩で活躍した最初の絵師としては、加治木の日野等林がいる。等林は弓削等薩に学び「等」がつく号を有していることから、雪舟系水墨画を継承したと考えられている。等林のあとには、雪舟、秋月に直接つながる水墨画家の名をみることはできないことから、等林で薩摩の雪舟系水墨画は途絶えたと考えられている。

等林は、公方同朋衆の一人となり珍阿弥と称していた。同朋衆とは室町時代に、足利幕府歴代将軍に仕え、収集品の鑑定管理やさまざまな雑用に従事していた、いわゆる唐物奉公を家職とする人たちのことで、能阿弥、芸阿弥、相阿弥の三阿弥が著名である。同朋衆すべてが鑑定業務を行なっていたわけではないので、等林が同朋衆の中でどのような役職についていたかは定かではない。

慶長13年に、島津家18代当主・家久の命を受け、かつて家久の曽祖父・忠良が描かせた孔子聖蹟図屏風を模写している。等林が写した「孔子聖蹟図屏風」は、高野山蓮金院に寄進されたのち、現在では目黒雅叙園美術館に保管されている。模写本であるため、等林本来の画風とは異なると考えられる。

日野等林(不明-不明)
名は国明、通称は藤次兵衛、掃部助。田中姓を名乗り、加治木に住んでいたともいう。公方同朋衆の一人となり珍阿弥と称した。島津家18代の家久の命により「宇治川合戦屏風」を描き妙谷寺に奉納した。さらに、家久の命により「孔子聖蹟図屏風」を模写、模写本は高野山蓮金院に寄進されたのち、目黒雅叙園美術館に保管された。

鹿児島(6)-画人伝・INDEX

文献:薩摩の絵師、美の先人たち 薩摩画壇四百年の流れ、かごしま文化の表情-絵画編、薩摩画人伝




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