画家略歴

茨城(1)-ネット検索で出てこない画家

秋山蘭谷 あきやま・らんこく
水戸藩士。通称は熊之介。渡辺崋山の門人。花鳥人物を得意とした。天保年間に死去。

赤荻丹崖 あかおぎ・たんがい
文化4年生まれ。名は徹、字は元徹、通称は順平。結城の人で江戸で生まれた。代々幕府に仕えており、赤荻欣左衛門の二子。漢籍に精通した儒者で、はじめ春木南湖に、南湖没後は谷文晁に師事した。諸国を遊歴、山水を得意とした。弘化5年2月に結城をたち、江戸の兄の家で42歳で死去した。

雨宮荊城 あまみや・けいじょう
名は圭。はじめ立原杏所に学び、のちに松平雪山の門人となった。山水を得意とした。文久年間に死去。

朝倉玉蘭 あさくら・ぎょくらん
明治19年生まれ。水戸の人。朝倉政通の娘。松平雪江の門に学び、出藍の名があったが、明治39年21歳で死去した。

粟野千秋 あわの・せんしゅう
明治16年結城郡玉村大字原宿生まれ。下妻市に住み、現在の下妻一高の図画教師を務めた。水彩画を研究して山水花鳥をよくした。画道のほかに剣道、尺八もたしなんだ。

池田知足 いけだ・ちそく
水戸藩の御用絵師、阿亥といった。山内伊村の門人。安政年間に死去。

飯島鐸斎 いいじま・たくさい
水戸の人。名は金平。別号に竹外堂がある。松平雪山の門人。明治初年頃死去。

生駒月處 いこま・げつしょ
水戸の生まれ。幼名は吉五郎。生駒貞応の養子となり、安政元年家督を継いだ。名は応、通称は誠蔵。はじめ立原杏所に学び、後に椿椿山に、さらに松平雪山に師事した。人物山水を得意とした。明治初年頃死去。

石井石欄 いしい・せきらん
明治初期の久慈郡磯初村の人。名は良知。東京に出て四条派を研究した。花鳥人物を得意とした。

岩間東芝 いわま・とうし
文化8年生まれ。名は平治郎。水戸の人で、下市茅根家より養子となった。目薬北斗香の薬舗の主人。明治8年死去。

飯田晴圃 いいだ・せいほ
真壁郡下妻の人。奥原晴湖の門人。明治20年死去。

伊藤耕洲 いとう・こうしゅう
嘉永5年生まれ。現江戸崎町高田の人。本名は弥六。明治4年に福島柳圃の門に入り画の六法を研究、明治11年関西諸国を遊歴した。のちに県会議員になった。明治43年、59歳で死去した。

伊東俊了 いとう・しんりょう
天保4年生まれ。結城郡袋村に住んでいた。伊東照広の子。嘉永元年より小田寿山に学び、その皆伝を受け、文久元年に西京大谷派本願寺画師となり、雲谷と号した。

茨城(1)-ネット検索で出てこない画家

文献:茨城の古書画人名事典




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