UAG美術家研究所

江戸時代を中心に全国各地で活動していた画家を調査して都道府県別に紹介しています。ただいま東北地方を探索中。

画人伝・鹿児島 狩野派 四君子(梅蘭竹菊)

木挽町狩野家・狩野常信に学んだ薩摩の絵師

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坂本養伯「竹に鶏図」鹿児島県立図書館蔵

江戸前期から中期にかけて、多くの薩摩の絵師が江戸に出て木挽町狩野家当主・狩野常信の門に学んでいる。諸文献に登場する絵師を合わせると、竹之下信成、坂本常以、財部常之、徳田常房、藤崎常興、安山親信、宮路惣右衛門、坂本養伯、津曲朴栄、蓑田常僖、永井慶竺、長谷川養辰、小浜常慶の13人になる。そのうち、長谷川養辰と永井慶竺の二人は、新井寒竹、大石古閑とともに常信門下の四天王と称された。

竹之下信成は晩年近くになってから都城から江戸に出て狩野常信の門人となった。都城からは永井慶竺津曲朴栄も常信に学んでいる。坂本常以は信成とほぼ同世代の絵師で、子の坂本養伯とともに常信に学んだ。養伯は法橋に叙せられており、記録で見る限り、鹿児島では法橋位を授かった最初の絵師である。安山常親は、はじめ坂本常以に学び、常以に伴って江戸に出て常信の門に入った。財部常之、徳田常房、藤崎常興、小浜常慶らの詳しい経歴は伝わっていない。

坂本養伯(1662-1730)
寛文2年生まれ。名は重賢、通称は勘兵衛。坂本常以の子。狩野常信に学び、近衛家の御用をつとめ、法橋に叙せられている。『旧記雑録追録』によると、宝永3年に屏風一双を、翌年、鹿児島の海辺を描いた絵巻を院御所に献上している。宝永年間に鹿児島城本丸造営に際して主要な障壁画の制作を命じられたが、京都の近衛家で同様の仕事があったため、鹿児島城での作画を当時29歳の木村探元に託している。探元の師であったとも伝わっている。享保15年、69歳で死去した。

坂本常以(不明-不明)
通称は次郎兵衛。坂本養伯の父。狩野常信の門人。

安山常親(1649-1724)
慶安2年生まれ。名は親信、通称は早兵衛。垂水島津家の家臣。寛文7年、19歳の時に領主久治の命で、坂本常以から絵を学んだ。翌年師の常以に従って江戸に行き、21歳から常信門人となり江戸で12年を過ごした。藩内諸地方の絵図を描いたとされるが、作品は確認されていない。享保9年、76歳で死去した。

宮路惣右衛門(不明-不明)
踊郷の家臣。作品は残されていないが、記録によると宝永4年に鹿児島城本丸造営に際して作画を命じら、蓑田常僖と共同作業で描いている。他に、坂本養伯や木村探元も作画に参加している。

蓑田常僖(1665-1732)
寛文5年生まれ。名は長政、通称は伝兵衛。もとは隅州帖佐郷の出身で、狩野常信に学んだのち島津家21代吉貴に召し抱えられ本府の士となった。別号に恵川叟、常雪がある。踊郷の士・宮路惣右衛門とともに、宝永3~4年、鹿児島城造営にあたって杉の間、菊の間、鴨居上の絵などの作画を行なった。享保17年、68歳で死去した。

文献:薩摩の絵師、美の先人たち 薩摩画壇四百年の流れ、かごしま文化の表情-絵画編、薩摩画人伝、薩摩の書画人データベース

美術フォーラム21 第15号 特集:京都美術曼荼羅
美術フォーラム21刊行会/醍醐書房







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