画人伝・茨城 画僧・武人 宗教画

水戸光圀が招いた中国明の禅僧・東皐心越

東皐心越「涅槃図」祇園寺蔵

東皐心越(1639-1695)は、明末曹洞宗の禅僧で、延宝5年、政治的混乱を避けて長崎に来航し、長崎興聖寺の明僧・澄一の招請を受けて同寺に住んだが、清の密偵との嫌疑を受けて監禁された。水戸光圀はその釈放に尽力し、水戸天徳寺(心越没後、移転し祇園寺に改称)に迎え入れた。

東皐は、ほかの明僧と同様に画事に巧みで、文人画系の作品をはじめ、達磨図、布袋、羅漢図、観音、寒山拾得や、梅、竹、菊、蘭などの四君子、牡丹図など、数多くの絵画を手掛け、「心越興儔自画像」「十八羅漢図」「花鳥図」などを残しており、いずれも水戸祇園寺の所蔵になっている。

東皐の作品は、同時代の黄檗僧の絵画と同じ様式ではあるが、描法に癖がなく、あくの強さがないといわれ、後世の立原翠軒が東皐の絵を評して「すっきりと垢抜けして抹香くさくない」と述べている。絵画のほか、篆刻や七絃琴なども日本に伝え、日本の近世文化の向上に貢献した。

東皐心越(1639-1695)とうこう・しんえつ
明国崇禎12年生まれ。法諱は興儔。明の杭州金華府蔣氏の子。中国明末の乱を避けて、長崎の明僧・澄一の名望を聞き、延宝5年長崎の興福寺に身を寄せた。日本への渡来後、天和元年に水戸光圀に招かれ、最初江戸小石川金画亭の近くの別殿に住み、その後水戸に移り北三の丸にいたが、月坡が去った時、天徳寺の住職となり、祇園寺を開き、日本の曹洞宗寿昌派の祖となったほか、中国文化を幅広く日本に伝えた。弟子に呉雲、法曇らがいる。元禄8年、57歳で死去した。

茨城(5)-画人伝・INDEX

文献:茨城の画人、茨城県立歴史館報(12)




You may also like

おすすめ記事

1

長谷川等伯 国宝「松林図屏風」東京国立博物館蔵 長谷川等伯(1539-1610)は、能登国七尾(現在の石川県七尾市)の能登七尾城主畠山氏の家臣・奥村家に生まれ、のちに縁戚で染物業を営む長谷川家の養子と ...

2

田中一村「初夏の海に赤翡翠」(アカショウビン)(部分) 昭和59年(1984)、田中一村(1908-1977)が奄美大島で没して7年後、NHK教育テレビ「日曜美術館」で「黒潮の画譜~異端の画家・田中一 ...

3

横山大観「秩父霊峰春暁」宮内庁三の丸尚蔵館蔵 横山大観(1868-1958)は、明治元年水戸藩士の子として現在の茨城県水戸市に生まれた。10歳の時に一家で上京し、湯島小学校に転入、つづいて東京府小学校 ...

4

北野恒富「暖か」滋賀県立美術館蔵 北野恒富(1880-1947)は、金沢市に生まれ、小学校卒業後に新聞の版下を彫る彫刻師をしていたが、画家を志して17歳の時に大阪に出て、金沢出身で歌川派の流れを汲む浮 ...

5

雪舟「恵可断臂図」(重文) 岡山の画家として最初に名前が出るのは、室町水墨画壇の最高峰に位置する雪舟等楊(1420-1506)である。狩野永納によって編纂された『本朝画史』によると、雪舟の生誕地は備中 ...

-画人伝・茨城, 画僧・武人, 宗教画

© 2024 UAG美術家研究所 Powered by AFFINGER5