画人伝・徳島 南画・文人画家

村瀬栲亭と阿波ゆかりの南画家

藩の御用絵師となった南画家は、鈴木芙蓉・鳴門の鈴木家のみだったが、同時代に活躍した阿波ゆかりの南画家としては、京都で学び秋田藩に招かれて儒官となった村瀬栲亭(1744-1819)らがいる。栲亭は晩年には京都で多くの門人を育て、門下からは田能村竹田らが出ている。代々藩士の家の出である岡田墨樵(1742-1810)は、大坂に生まれ、片山北海に師事し、頼山陽の父・頼春水らと交友、のちに藩の教育に従事した。ほかには、京都に住んで画を業としていたが、のちに江戸に出た井川鳴門、詩書画にすぐれた師禅僧・閑々子らがいる。

村瀬栲亭(1744-1819)むらせ・こうてい
延享元年生まれ。阿波郡市場町香美の人。名は之煕、または小華陽、字は君績、嘉右衛門と称した。別号に神州がある。京都に出て武田梅竜について儒学を修めた。秋田藩に招かれて儒官となり佐竹義和の改革を助けて実績をあげた。詩文に長じ、書は草書、画は蘭竹にすぐれていた。のちに姓を妻の旧姓である「土岐」に改めて土岐仲書と称した。晩年は京都に住み多くの門人を育てた。門下からは田能村竹田らが出ている。揮毫をする時は前日から居室を掃除し起居をつつしんで、若い女性に墨をすらせたという。「墨を磨るのは女性の繊細な手でなければならない」と人に語ったという。当日は早朝から書き始めて終日休まず、最後に得意の蘭竹などを描いたという。文政元年、75歳で死去した。

岡田墨樵(1742-1810)おかだ・ぼくしょう
寛保2年大坂生まれ。家は代々藩士。名は豹、字は君章、別号に寧処、南山、清白主人、静所、古処、折庵などがある。片山北海に学び、詩文、書、画にすぐれていた。頼春水と交友があった。安永6年、藩主治和に従って徳島に移り、寛政5年、藩の教育に従事した。漢詩集に『半間園遺稿』がある。文化7年、69歳で死去した。

井川鳴門(1751-1805)いかわ・めいもん
宝暦元年生まれ。名は貢、字は君錫、通称は源兵衛。別号に雪下園、淑慎斎がある。画だけでなく、武芸、俳諧などにも優れていた。『近世逸人画史』によると、はじめ京都に住んで画を業としていたが、のちに江戸に出たとある。二軒屋実相寺にある墓記には江戸で没したとあるが、名古屋にも住んでいたとみえ「尾府門人眉岳謹識之」とあり、『近世逸人画史』には「名古屋で没す」とある。伊川姓で記した書籍もあり、墓記によると島田姓もあったらしい。江戸では神田左古間町に住んでいた。文化2年、55歳で死去した。

露木石門(不明-不明)つゆき・せきもん
文化頃の徳島の画人。名は珍。字は子潜、または子洗。京都に出て学んだという。井川鳴門の師(一説には鳴門の門人)。姓を「露城」と刻印したものもある。肖像画などの作品が残っているが経歴は不明。

閑々子(1752-1827)かんかんし
宝暦2年生まれ。三好郡箸蔵村州津の人。幼名は八重八、諱は天如、字は峻山。別号に閑々山人、換水和尚、南方松林子、松林老人などがある。来代禎左衛門の二男。徳島城下勢見の観音寺の快観上人に入門し、のちに備中の井山宝福寺の大雲禅師を訪ね、ついで南都奈良に出て東大寺など諸寺を歴訪して修行、さらに河州葛城山高貴寺の慈雲律師について数年学び、文化8年に徳島に戻った。博学で詩、書、画にすぐれていた。文政10年、76歳で死去した。

多田撃壤子(1773-1827)ただ・げきじょうし
安永2年生まれ。小松島の豪農多田家の八代助右衛門。南画をよくした。閑々人が晩年小松島中田に閑居したときに庇護して親交を結んだ。閑々人に南画を教えたとされる。別号に八不居士がある。文政10年、55歳で死去した。

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文献:阿波画人名鑑




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