画人伝・大分 南画・文人画家 山水・真景

杵築南画の創始者・十市石谷と十市家

十市王洋「浅絳山水図」大分県立美術館蔵

杵築の十市家は、杵築南画の創始者と称される十市石谷(1793-1853)をはじめ、子の王洋・古谷、及びその子たちも画をよくした。杵築藩家臣の家に生まれた十市石谷は、幼いころから画に親しみ、中国の名画をはじめ、内外諸大家の名作を写し取り、粉本は数千枚にも及んだという。田能村竹田とも親しく交流し、画技を深めたとみられる。しかし、藩の重職についていたため、画業に専念することはかなわず、藩務のかたわら作画活動を行なった。

画業に強い情熱を持ちながらも、ついに士官を離れることができなかった石谷の思いは、子の十市王洋(1832-1897)にそそがれた。早くから王洋の画才を見出していた石谷は、王洋に熱心に画法の指導をし、王洋もその期待に応えて画技を進めていった。やがて、臨終を迎えた石谷は、王洋への遺言として「おまえは画才に秀でている。今からその技を研き四方に雄飛して志をまっとうせよ。家政のことは二男の謙二にまかせてよい」と言ったという。

その言葉どおり、王洋は弟に家督を譲り、親子二代にわたる夢であった本格的な画家生活を始めた。王洋は、遺言に従って諸国に遊び、多くの文人墨客たちと交流、詩文、和歌なども修め、自らの画技を深めていったと思われる。大阪を中心に活動し、幕末の混乱期でありながらも、新たな南画の様式を追い求め、関西の南画界で注目される存在となった。

十市石谷(1793-1853)
寛政5年杵築町南台生まれ。杵築藩家臣の子。名は賚、字は子元、通称は恕輔。初号は霞村、のちに石谷と改めた。幼いころから画を好み、中津藩絵師・片山東籬について画を学び、また臨模をよくし、内外諸大家の名作を写し取り、粉本は数千枚にも及んだという。田能村竹田とも親しく、竹田の杵築紀行の際には最も厚く親交した。早くから藩務を退いて画業に専業することを希望していたが許されず、生涯仕官の身だった。門人には本草学者の賀来飛霞をはじめ、財津天民、中根青藍、松本此君、渡辺楽山らがいる。嘉永6年、61歳で死去した。

十市王洋(1832-1897)
天保2年杵築生まれ。十市石谷の長男。幼名は錫、字は安居、諱は祐之。別号に汪洋がある。嘉永5年、22歳で家督を継ぐが、28歳で弟に家督を譲り、画業に専念した。明治12年に東京に遊び、多くの名士と交流し、画技を進めた。明治14年には内国勧業博覧会で褒状を得て、明治17年には内国絵画共進会で審査官となり銅賞を受賞した。画業のかたわら、詩書を修め、歌道に精錬するなど、名声は次第に上がったが、閑寂を好む傾向にあったようで、やがて帰郷して久保坂に閑居し、門人を育てた。明治30年、66歳で死去した。

十市古谷(不明-1886)
杵築生まれ。十市石谷の二男。十市王洋の弟。名は謙二、通称は九十九。幼いころから画を父に学んだが、のちに兄王洋に代わって十市家をついで家業に専念した。家業のかたわら画もよくし、彫刻もよくした。明治19年死去した。

十市石田(1864-1894)
元治元年杵築生まれ。十市石谷の孫、十市古谷の子。名は遠、通称は為一郎。幼いころから画を好み、祖父及び父について画を修め、画技が進むつれて国内諸方に遊歴して筆をとった。明治27年、31歳で死去した。

十市羽谷(不明-不明)
杵築生まれ。十市王洋の長子。父に学び画をよくしたが、あまり作品は残っていない。

大分(24)-画人伝・INDEX

文献:大分県の美術、大分県文人画人辞典、大分県画人名鑑、大分県立芸術会館所蔵名品図録




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