物故日本画家一覧
か行
川合石舟(1823-1899年07月10日)師岡本秋暉
甲斐虎山(1867-1961年09月26日)師帆足杏雨・加納雨篷
甲斐青萍(1882-1974年02月24日)東美卒、師高橋広湖、馬と武者絵の画家といわれた
甲斐宗平(1902-1988)長崎県展・市展の創立審査員をつとめた
甲斐常一(1893-1966年08月10日)師玉堂、別号秋聲
甲斐東渓(不明-不明)師竹村大鳳、谷村巣玄の子
甲斐巳八郎(1903-1979年06月16日)京都絵画専卒、師福田平八郎、元日本美術院院友
甲斐和里子(1868-1962)足利義山の五女、甲斐虎山の妻
海外天年(1860-不明)師岸竹堂・鈴木百年
水野巨海(不明-不明)椿山と交わり、沈南蘋風をよくした
海碧(不明-不明)宮城県田地方に作品が残されている
垣内右嶙(1825-1891年08月31日)[岐阜18]師塩川文麟
垣内雲嶙(1845-1919年07月18日)[岐阜18]師塩川文麟、号錦嶺・右竹斎
甲斐庄楠音(1894-1978年06月16日)[美人画作品]京都絵画専卒、師川北霞峰、国画創作協会同人
貝谷春涛(不明-1879年11月10日)師父貝谷采堂、貝谷采堂の長男
帰山雲崖(1830-1903年11月06日)師行田雲濤
帰山阡蒼(1899-1978年12月05日)日本美術学校卒、師小林古径・橋本静水、帰山秀子は妹
帰山秀子(1904-1956年11月18日)日本美術学校卒、師橋本静水、帰山阡蒼は兄
華岡(不明-不明)菊地華樵など華の付く画家の門人とみられる
花厓(不明-不明)四条派風
垣内霞峰(1813-1875年02月17日)漢詩人・画家
柿内青葉(1892-1982)[美人画作品]師鏑木清方、美人画
蠣崎波鶩(1797-1874)蠣崎波響の子
垣添文亭(1890-1963)宮司、山下太助に漢学を学ぶ
柿沼宗居(1903-1971)日美卒、師中村岳陵・咄哉州、日本美術院院友
鍵野石耕(不明-不明)師野際白雪
柿木初子(1905?-1988年01月09日)青峰美術院常任委員
柿本柿融(1836-1897)師土田鉄船
賀来春斎(1806-1891年04月17日)医師、南画をよくした
賀来飛霞(1816-1894年03月10日)賀来有軒の長男、小石川植物園園長
鶴聲(1819-1884)師堀江友声
加倉井和夫(1921-1995年09月24日)日本芸術院会員、日本芸術院賞、東美卒、師山口蓬春、日展常務理事
筧梅屋(不明-不明)師加藤梅翁・篠崎小竹
筧伯雅(不明-不明)医師、俳画をよくした
影浦鉄洲(1917-不明)西日本日本画連盟会員
掛札芙二子(不明-不明)東京芸大卒、日本美術院院友
笠素竹(不明-不明)師堤紫僊
葛西松隠(1832-1906)山本梅逸に私淑
葛西省斎(1820?-1884)日柳燕石らと交友した
葛西潮山(不明-不明)南画
笠井道明(1918?-1989年12月26日)全日本水墨会会員、富士宮市地区桃源会員
笠井利光(1917-不明)師加藤栄三、院展出品
笠井柳堤(1829?-1881)師中川愛山、山内水竹らと交友した
笠原雲樵(1810-1882年12月25日)師藤堂凌雲
笠原愷泉(不明-不明)明治29年出版の「松島真景全図」に挿絵画が掲載されている
笠原景親(1845-1922)師楊洲周延
笠原可夫(1912-1990)師野田九浦、日展会友
笠原清見(不明-不明)京都絵画専門学校で学ぶ
笠原輝芳(1944-1993年06月20日)おわら絵師と呼ばれて活動した
笠原可雄(1912-1990年10月24日)師野田九浦、日展会友
笠間桃園(1813-1892)狩野派、師山野峻峰斎
笠間桃溪(1828-1896年11月)師立石石翁
笠松紫浪(1898-1991年06月14日)[美人画作品]師鏑木清方
笠谷貫樹(1879-1962年12月30日)師湯浅桑月、住吉派
笠谷総樹(不明-1901年03月21日)笠谷貫樹の祖父、書画をよくした
梶喜一(1904-1980年02月15日)[美人画作品]京都絵画専卒、師都路華香・西村五雲・山口華楊、日展会員、晨鳥社所属
梶徳行(不明-2012年06月02日)日展出品、香川県展等出品
梶浦奇渕(1822-1891)師村瀬秋水・雪峡、僧名得聞、別号蘭月
柏倉雪章(1878-1925)師小松雲涯・川端玉章
梶田半古(1870-1917年04月23日)[美人画作品]師鍋田玉英・菊池容斎・鈴木華邨、日本青年絵画協会を創立
梶並蘭窟(1805?-1881)師丸川松隠
梶野玄山(1868-1939)師鈴木松年、京都中学絵画科教授
樫野南陽(1887-1956年07月31日)京美卒、国画創作協会展出品
鹿島鹿峯(不明-1994年12月08日)日本文人画府常任理事、国際墨画協会顧問
賀島牛山(1853-1931)詩と南画をよくした
加島祥造(1923-2015年12月25日)詩人・墨彩画家
鹿島探琱(1825-1886)師狩野探淵
梶間文洋(1874-不明)四条派
梶村義川(不明-1897?)師田能村竹田
樫村白圭(1905-1973)横山大観の門人、名篤、院展出品
樫本翠邨(1893-1973)別号石亭・蕉雨荘、漁火同人、前衛墨画院主宰
梶山九嶽(1804-1877)矢野派、師矢野良敬
梶山九江(1940-1890年07月30日)師佐々布篁石・田中亀水・淵野桂仙・鉄翁、別号泉外
梶山大海(1836-1923)宇佐美太奇に学ぶ
華州(1880-不明)師山元春挙
柏木貫邦(1900-不明)師山元春挙
柏木蜂溪(不明-1879)師高木豊水・石南園
柏木緑雨(1843-不明)師中西耕石、別号半農・石亭・松処
梶原水田(1827?-1874)師兒島竹處
梶原緋佐子(1896-1988年01月03日)[美人画作品]師菊池契月、日展参与、伝統的な美人画を継承しながら対象の個性を見据えた女性像を描いた
鹿末坪石(不明-1900年01月17日)師田辺文琦
春日仲装(1848-1873年01月21日)画家・儒者、通称装三郎、号融化
春日鉄三郎(1852-1918)師真壁雲郷・児玉果亭
春日鉄山(不明-1883)師土佐光起
春日光親(不明-1883)別号鉄山
数原俊(不明-1995年09月07日)芙峰画会所属
片岡京二(1899-1993)師龍岬、別号光明
片岡球子(1905-2008年01月16日)[美人画作品]文化勲章、文化功労者、日本芸術院会員、日本芸術院賞恩賜賞、師安田靫彦、日本美術院同人
片岡米山(1811-1897)師佐藤周鱗斎
片桐乙日子(1926-2019年05月05日)師加藤栄三・加藤東一、日展会友、元日本美術院院友
片桐遜堂(1838-1893年09月10日)師行田雲濤
片桐白登(1908-1997年06月17日)日本南画院副会長、日本中国水墨画交流協会名誉理事、日本文人画府相談役、師竹圃
片桐文畝(1882-1920)師荒木寛畝・長谷川玉順
片倉白麟(不明-不明)師菅原白龍
片野松外(1861-1941年10月03日)南画家、元大面村長
片野南陽(1841-1882)師山本梅逸
片村晩翠(不明-不明)北画
片山雅洲(1872-1942年08月12日)師幸野楳嶺・今尾景年・橋本雅邦、全国絵画共進会出品
片山貫道(不明-不明)師住吉弘貫
片山菊渓(1833-1887)師後藤田南渓・鉄翁
片山春潮(1839-1896)師浦上春琴・成田半煙
堅山南風(1887-1980年12月30日)文化勲章、文化功労者、日本芸術院会員、師高橋広湖・横山大観、日本美術院同人
片山牧羊(1900-1937年08月26日)師鶴友・蔦谷龍岬、帝展
勝浦舟屋(1841?-1912)師中川愛山
勝田蕉琴(1879-1963年09月09日)東美卒、師野出蕉雨・橋本雅邦、文展受賞、帝展審、福陽美術会を組織・会長
勝田深氷(1937-2012年07月31日)伊東深水の二男、姉は朝丘雪路、兄は伊東万耀
勝田哲(1896-1980年11月17日)[美人画作品]京都絵画専卒、東美卒、師山元春挙、日展会員
勝部其峰(1823-1881)師横山雲南・浅井柳塘
勝部静処(1861-1919)出東村村会議員などと勤め、書画をよくした
勝見完斎(1831-1896年09月30日)兼金工、師容斎、名恭世
勝見光雪(1930-2012年03月08日)日本文人画府常任理事
勝谷米荘(1871-1925)文人画家、日本南画院同人、日本美術協会員
勝谷木僊(1894-1978)師西山翠嶂
勝山西圃(1866?-1915)四條派、師矢部楳山
桂香屋(1852?-1920年01月09日)師十市王洋・帆足杏雨
門井掬水(1883-1976)師鏑木清方、帝展出品、清方門下の郷土会や伊東深水・山川秀峰の青衿会に美人画を発表した
加藤雨月(1891-1968年03月15日)東美で学ぶ、師結城素明・寺崎広業
加藤雨艇(1858-1916年02月27日)師木村雲渓・川崎千虎・木村金秋、名彬、字経明、通称菊三郎、別号梧雲・蘿石・臨池堂
加藤英舟(1873-1939年02月15日)師幸野楳嶺・竹内栖鳳
加藤栄三(1906-1972年05月24日)日本芸術院賞、創造美術協会の創立に参加後に離れて官展に復帰、東美卒、師結城素明、日展理事
加藤和夫(1919-2003)東美卒、師結城素明、日展出品
加藤勝重(1914-2000年09月06日)師奥村土牛、日本美術院特待
加藤吉甫(1823-1905)師吉川君渓
加藤牛山(1832-1902)師牧野永昌
加藤狂濤(1843?-1913)師三上蠖屈
加藤玉壺(1828-1919年06月03日)師渡辺小華、通称皆蔵
加藤玉荘(1912-不明)師玉置頼石
加藤玉亭(1872-不明)東美卒、橋本雅邦・川端玉章に師事、名紀高、別号香霞洞
加藤丹丘(1889-1945)師中野春翠
加藤琴江(不明-不明)内国絵画共進会出品
加藤元白(1825-1910年06月15日)師桜斉広元、別号玄白・粽猿
加藤香蘭(1890-1953年02月07日)師福田平八郎、鯉図の閨秀作家として知られる
加藤香瀾(不明-1953)師伊藤素軒
加藤彩華(1912-2001年09月14日)師中村岳陵、日展会友
加藤紫雲(1901-1931年03月28日)師沢梅谷、名弥太郎、通称孫八
加藤重寿(1913-1974年05月14日)京都絵画専卒、日展
加藤紫軒(1895-不明)師沢梅谷・菊池契月、名三造
加藤子柏堂(1872-不明)師望月玉泉・岸竹堂
加藤秋生(不明-不明)師富取風堂、院展出品
加藤秋荘(1912-1995)東美卒、院展・日展出品
加藤竹邨(1880-不明)師田能村直入
加藤秋村(1839-1917年04月20日)師村瀬秋水、名豊、字子誠、別号青哦・秋耕
加藤春甫(1879-1950)師鈴木松年
加藤春峰(1912-1991年01月09日)師郷倉千靱、日本美術院特待
加藤正音(1930-2014年08月18日)白士会委員
加藤松溪(1909-1948)師後藤松亭・小室翠雲、新文展出品
加藤晨明(1910-1998年07月07日)師中村岳陵、日展参与
加藤清隠(1869-不明)師加藤秋村・石川柳城、名欽治、別号春泉・六々野人・洗心軒
加藤井竿(1930-2007)一掃米作百熊、鳥取県庁知事室買上
加藤石邨(1895-不明)師白井永川、名房一
加藤雪窓(1872-1918年11月22日)師小室秀俊・橋本雅邦、連合絵画共進会二等褒状
加藤雪柳(不明-不明)内国絵画共進会出品
荷堂禅石(1837?-1878)旧大分町外堀・常念寺第七世寺主
加藤素毛(1825-1879年05月12日)師沙門鉄翁
加藤春来(不明-不明)師川田墨鳳
加藤丹楓(1850-1924)篤学者
加藤千波(1827-1877)宮城の人、萩園と号した
加藤鼎山(1815-1890)師十市王洋
加藤天岳(1883-1951)師高島北海・尾形月山
加藤東一(1916-1996年12月31日)文化功労者、日本芸術院会員、日本芸術院賞、東美卒、師山口蓬春、日展顧問
加藤東効(1785?-1878)狩野派
加藤淘綾(1901-1987年05月01日)師安田靫彦、短歌を斎藤茂吉に学ぶ、日本美術院
加藤蘆鶴(1838-1921年03月14日)師蘆汀、名喜重、通称喜右衛門
加藤獨歩(不明-不明)昭和初期に大牟田市で活動
加藤直昌(不明-不明)堀尾実、水谷勇夫らと匹亞会を結成
加藤南涯(1873-1959年11月)東美卒、師幸野楳嶺・橋本雅邦、西岐波村村長
加藤南峰(1809-1892)師東東洋、佐沼の三大画家の一人
加藤登(1930-2006年02月01日)師小松均・今野忠一、日本美術院特待
加藤半渓(1841-1905年02月10日)師父加藤半山・伯父加藤墨渓、、内国絵画共進会賞状
加藤半僊(1839-不明)師森下北雪
加藤楓斎(1826-1879)名来治、養蚕の導入の傍ら画を描いた
加藤豊春(不明-不明)津の人、染織の傍ら画を描いた
加藤将郎(1933-1985年01月22日)師小松均、日本美術院
加藤美代三(1912-2012年05月10日)京都絵画専卒、師西山翠嶂、日展会友
加藤弥寿子(1919?-2014年04月28日)日本文人画府会長
加藤友介(不明-不明)兼洋画、高校定時制の主事をやっていた
加藤雄飛(1839-不明)師高橋容所
荷堂弦(1878?-1962年04月17日)大分市長浜町常念寺寺主
加藤揚州(1883-1926)師三宅呉暁・川北霞峰
加藤和英(不明-不明)本名半造、屏風や襖絵を多く描いた
門垣無門(不明-不明)南画
金井一章(1879-1944年02月)東美卒、師川端玉章・寺崎広業
金井敬陽(1899-1994年12月19日)日本美術学校卒、師中村丘陵、旺玄会委員、元日本美術院院友
金井研香(1806-1879)金井烏洲の末弟
金井畊風(不明-1997年08月20日)日本南宗会常任理事、日本自由画壇壇人
金井毛山(1806-1879)名寿、字寿平、別号無溟・研香
金沢虹坡(1900-1990)師川合玉堂、平和博・奉祝展等
金沢牧童(1862-1940年06月16日)獣医のかたわら画をよくした
金島桂華(1892-1974年09月16日)日本芸術院会員、日本芸術院賞、師竹内栖鳳、日展顧問
金田青僊(1888-1964)小学校教員、長野県展等出品
金田錬(1919-1984)長野県展等出品
金田和郎(1895-1941年11月12日)師曽木聴松、京都市美卒、国画創作協会展樗牛賞
金谷朱尾子(1953-2004年10月06日)京都芸大卒、日展会友、特選
金光成文(1888?-1971年01月10日)師松林桂月
要樹平(1906-1994年02月10日)京美卒、師土田麦僊、国画創作協会展、新樹社展
金森観陽(1882-1932年04月18日)師尾竹越堂、文展褒状、大正美術会
金森南耕(1880-1935年10月28日)師祖父金森南塘・尾形月耕、文展出品
金森南塘(1823-1904年08月31日)師春木南湖、日本絵画協会展二等褒状、兄は山内林斎
金谷玄道(不明-不明)東美卒、見樹院第十五世住職
金山鴎隣(1863-不明)師天野漱石
金山霊水(1910-1996)師落合朗風・児玉希望、院展・日展出品
可児無門(1852?-1919年03月08日)醸造業、画をよくした
金内松洲(1849-1925)師須田順三郎・高森碎巌
金子雲英(1890-不明)尾竹国観に師事、名英太郎
兼子雲英(1890-不明)師尾竹国観
金子鴎雨(1848-1884)師岸明・帆足杏雨
金子海堂(1865-1946)師小澤小門
金子菊所(1853-不明)師日根野対山、名耕平
金子耕雲(不明-不明)師亀田耕雨
金子山眠(1843-1898)土佐派の流れを汲む画風で知られた
金子秀雲(1924-1997年03月23日)日本美術院院友
金子紫陽(1885-不明)師岡秋芳
兼子泰秋(1899-1979)師下村為山、遊戯三昧会副会長
金子孝信(1915-1942年05月27日)東美卒、モダンな女性風俗を描く、26歳で戦死
兼子東雨(1862-不明)渡辺小華の門人、別号小華堂、俳号雨来
金子八畝(1903-1983)師寛畝、新興美術院会員
金子米軒(1883-1946)師小室翠雲・山岡米華、帝展出品
金子兵輔(1848-1884)師岸明・帆足杏雨
兼重暗香(1872-1946年11月02日)師荒木寛友・野口小蘋、文展出品
金重菱江(1895-1967年08月22日)師松林桂月、戦後山口市で江山画塾を開設
兼島暗香(1872-1946)師野口小蘋
金嶋圃西(1901-1946年06月10日)師平岡玉匠
兼城昌興(1866-1930)師中川蘆月
金曽大畔(1911-1989年10月21日)師矢野橋村・佐藤太清、日展会友、元日本南画院理事
金田雪真(1885-1960)師若狭成業
金田南村(1895-1941)京都市立美術工芸大学卒業
金田豊(1906-1999)師亀割隆・田中青坪、日本美術院院友
金田由人(1914-1981年04月17日)師石川竹邨、名睿
兼松南園(不明-1890)師春木南溟・中村鏡湖
兼松蘆門(1864-1917年08月20日)師鷲見春岳・神保木石・中野水竹、名亀四郎、別号松泉
兼本春篁(1855-1926)師田能村直入
金山郡司兵衛(1812-1881)画と彫刻に勝れた
鹿野金華(不明-不明)南画
狩野晏川(1823-1892年11月20日)名貴信、別号皆春斎、師栄信、表絵師
加納雨篷(1866-1933年09月)師帆足杏雨
狩野永笑(1819?-1888)高松藩絵師、松平頼該の師
狩野永祥(1811-1886)師狩野永岳、父は永信
狩野永朝(1831-1900年08月12日)狩野山楽直系の九代狩野永岳の養子
狩野永悳(1814-1891年01月29日)帝室技芸員、木挽町狩野伊川院栄信の第六子
狩野応信(1842-1907年01月)木挽町狩野家十代勝川院狩野雅信に師事、父は狩野玉圓
狩野応心(1851-1907)師狩野勝川
加納黄文(1824-1891)師野村玉渓・横山清暉
狩野休意(1817-1881)盛岡藩の常府狩野派絵師、師狩野洞白春信、狩野休雪の子
狩野光雅(1897-1953年12月17日)東美卒、師松岡映丘、帝展・文展出品、国画院の結成に同人として参加
狩野三岳(1829-1904)師東東莱
加納三楽(1898-1981)師山元春挙・山村耕花、後に川端龍子に師事し青龍社社人として活動
加納三楽輝(1898-1981年04月30日)師山元春挙・川端龍子、元青龍社社人
狩野寿信(1814-1897)『本朝画家人名辞書』を著した
狩野春碩存信(1845-1913)盛岡藩の常府狩野派絵師、休意の子
狩野春水(不明-不明)狩野三岳の子
狩野春碩(1845-1913)盛岡藩の常府狩野派絵師、師狩野董川中信
狩野春川友信(1843-1912年08月15日)浜町狩野家董川中信の子
狩野勝玉(1840-1891年01月16日)師狩野雅信、父は貞信
狩野勝川院(1823-1880)名雅信、別号素尚斎、叙法印、木挽町九世
狩野翠穂(1888-不明)狩野三岳の孫
狩野素川(1814-1897)名寿信、幕府表絵師、別号朝音斎、猿屋町狩野
狩野素川寿信(1820-1900)猿屋町代地狩野家九代
狩野素朴(不明-1911)狩野派
狩野忠信(1864-不明)宗家中橋狩野家の狩野永悳に師事し養子となる
狩野探岳(1859-1922年01月08日)師叔父狩野探美、父は狩野探原
狩野探道(1890-1948年06月04日)師狩野応信・荒木探令、日本美術協会審査員、父は狩野探岳
狩野探美(1840-1893年06月19日)狩野探淵の子、名守貴、叙法眼、奥絵師
狩野探令(1857-1931年04月09日)師狩野深美守貴、日本画会幹事
狩野千彩(1905-不明)[美人画作品]師木谷千種
狩野洞春(8代)(不明-不明)駿河台狩野八世
狩野友信(1843-1912年07月15日)師狩野雅信、中信の子、東美教授
狩野梅斎(1883-1969年02月19日)師池上秀畝、名政次郎
狩野芳崖(1828-1888年11月05日)[鹿児島27・美人画作品]師狩野雅信、別号松隣・勝海、近代日本画の父と称される
狩野雅信(1823-1880年08月09日)晴川院養信の子、号勝川院・素尚斎
狩野養長(1815-1875)肥後狩野家十代
狩野幽谷(不明-不明)師堀江友声
狩野良信(1848-不明)師狩野雅信、内国絵画共進会受賞
加納凌雲(1878-1958)師野村文挙・野口小蘋・橋本雅邦、仏画や寺社天井画等を制作
狩野朗左門(1911-2001)岡田三郎助に師事、槐樹社展・白日会展等出品、その後日本画に転向、落合朗風に師事
彼末一溪(不明-不明)師弘瀬洞意、狩野派
彼末堤馬(1842-1926)師弘瀬洞意、絵金派
加畑桃僊(1897-1985年04月03日)京都絵画専卒、山元春挙、日展・大毎展
鏑木華国(1868-1942年06月05日)師渡辺小華、名武輔、小崋会会長
鏑木清方(1878-1972年03月02日)[美人画作品]文化勲章、文化功労者、日本芸術院会員、帝室技芸員、師水野年方、結城素明らと金鈴社を創立、日展顧問
蕪城秋雪(1840-1906年09月10日)師貫名海屋
加部松園(1850-1922)師野口幽谷
下保昭(1927-2018年08月07日)師西山翠嶂、日展文部大臣賞、菊華賞
蒲至正(1917-1941)別号香崖
鎌倉秀雄(1930-2017年03月14日)師安田靫彦、日本美術院同人・常務理事
鎌田糸平(1917-1980年01月01日)師水越松南
鎌田堅白(不明-不明)町狩野
鎌田方晴(1919-1997年02月12日)師野田九浦・中谷光炎、父は鎌田緑峯
鎌田緑峰(不明-1979)新興美術院会員
蒲池玉英(不明-不明)蒲池来潮の妻
蒲池来潮(不明-不明)四条派
上泉華陽(1892-1979)東美卒
神坂松濤(1882-1954)師菊池芳文・浅井忠、神坂雪佳の弟
神坂雪佳(1866-1942年01月04日)[美人画作品]佳都美会主宰、京都市立美術工芸学校教諭
上條静光(1908-2007年04月24日)師川端龍子、元新興美術院常任理事
上條肇(1925-2005年11月13日)師郷倉千靱・今野忠一、日本美術院特待
上條義守(1876-1967)松本美術会の結成に参加
神庭白黎(不明-不明)東美卒、師百穂
上村広成(1870-1938)川島文信と五光会結成
神谷光徑(1905-不明)師菊池契月
神谷幸子(1927-2011年01月02日)日展会友
神谷紫水(1836-1901)師浅井香雨・村瀬秋水、名彦・泰彦、通称彦十、別号霞外山房主人
神谷石洞(1864-1936年02月)師山本梅荘、名有馬之助
神谷飛佐至(1894-不明)師山内多門、帝展出品
亀井琴嶺(不明-不明)師根本幽峨
亀井玄兵衛(1901-1977年03月11日)元青龍社社人、東方美術協会結成に参加
亀田耕雨(1898-1977)師小室翠雲
亀井明二(1909-不明)師大智勝観、名明治
亀川盛棟(1861-1893)師小波蔵安章
亀川盛武(1808-1890)琉球の絵師、唐名は毛允良
亀田豊二(1912-1987年01月22日)京都絵画専卒、新制作協会出品
亀田正行(不明-不明)福岡美術会結成に参加
亀永吾郎(1890-不明)師鏑木清方
亀山秀景(1927-2009年11月18日)師春峰、玄画会副会長
亀割隆(1901-1981年01月15日)師葛谷龍岬・荒木十畝、文展・帝展・日展、別号青亀洞
鴨下晁湖(1890-1967年10月20日)[美人画作品]東美卒、師松本楓湖、文展賞、戦後は挿絵や装丁に従事し出版美術家連盟会員
嘉本周石(1889-1976年08月15日)師森琴石
掃部千鶴(1929-2022年03月17日)元元展美術協会理事
萱島鶴栖(1827-1878)師斎藤秋圃・桑原鳳井・石丸春牛・村田東圃
萱島秀岳(1886-1939)師父秀山、萱島秀山の長男
萱島秀山(1858-1938)師荒木寛畝、萱島鶴栖の長男
萱島秋邨(不明-不明)南画
萱島秀峰(1901-1973)師父秀山、萱島秀山の三男
萱田万海(1851-不明)師父月仙
茅野春村(不明-不明)師斎藤秋圃
香山梧堂(1812?-1891)師佐々布篁石・福田太華
香山太宣(1899-1963年04月09日)師山内多門
加山又造(1927-2004年04月06日)文化勲章、文化功労者、師山本丘人、創画会会員、元東京藝術大学教授、元多摩美術大学教授
狩山幽壑(1811?-1883)師中西耕石・鼎金城
粥川伸二(1896-1949年01月01日)師土田麦僊、国画創作協会
華陽仙人(不明-不明)黒田長政三百年祭記念美術展出品
唐沢湖城(1819-1980年01月06日)師鈴木鵞湖・島高麿・狩野甘国斉
唐沢秀江(1915-2000)師毛涯江陵
唐沢水洞(1908-1976)別号雪洞
辛島詢士(不明-不明)医師
辛島望山(1855?-1943年10月28日)師田口橘林
川合雲鳳(不明-不明)帝展出品、南画をよくした
河合英忠(1875-1921年09月17日)師右田年英、清方らの烏合会参加
川井勝美(1941-2000年11月20日)日本美術院院友
河合玉泉(1896-1966)師白井青淵、宗墨会顧問、県議会議員、本名河合源三郎
川合玉堂(1873-1957年06月30日)文化勲章、文化功労者、日本芸術院会員、帝室技芸員、師橋本雅邦・幸野楳嶺、名芳三郎、別号偶庵、日本美術院創立に参加
川合清(1918-2008年10月27日)元日本画院同人、東美卒、中村岳陵に師事、新潟大学名誉教授
川井硯海(不明-不明)南画
河合健二(1908-1996年02月04日)京都絵画専卒、師西村五雲・山口華楊、日展参与
川合小梅(1804-1889)紀州藩藩校「学習館」督学の妻、小梅日記を書いた
河合秋堂(1826-1898)師高橋杏村
川合誠司(1927-2008年01月)師川端龍子、新美術副理事長
川合白流(1899-1940年12月12日)東美卒、師玉堂
河合琶江(1821?-1907年11月09日)師帆足杏雨
河合文林(1875-1912年09月01日)師父河合栗邨・今尾景年、絵画共進会二等褒状
河合墨雪(1901-1989年12月21日)現代水墨画協会顧問
河合栗邨(1851-1908年03月14日)師白神澹庵・鎌田玄渓
川合龍山人(1875-1945年09月15日)師福本松鄰・寺崎広業
河内舟人(1898-1968)師横山大観・大智勝観、日本美術院院友
川上馨谷(不明-不明)大和絵凧を描いた
河上鴻立(1869-不明)師河上鶴立、別号梅痴庵主々子
川上孤山(不明-不明)師川上盤山
川上拙以(1901-1976年12月03日)京都絵画専卒、師翠嶂、帝展文展
川上如雲(不明-不明)日本楽器会社社長、似顔を描く
川上游(1929-1995)日本美術院院友
川上芳江(1903-1988年01月20日)師中村貞以、日本美術院院友
川北霞峰(1875-1940年08月14日)師幸野楳嶺・菊池芳文、文展特選、帝展委員
川口月泉(1875-1934)川口月村の子
川口月村(1845-1904年10月17日)師父川口月嶺、絵画共進会三等褒状
川口春波(1899-1972)師川端龍子、青龍社の結成に参加、脱退後明朗美術連盟を結成
河口小波(1913?-2011年05月11日)師河口楽土、日本自由画壇創立に参加・名誉顧問
川口澹斎(1853-1909年12月05日)師渡辺拈華
川口南天(1874-不明)名茂、別号一竿、帝国絵画協会会員
河口祐貴子(不明-1995年03月10日)日本画府理事、元女流画家協会委員
河口楽土(1898-1991年04月27日)師富岡鉄斎・橋本関雪、日本南画院の創立に参加・会長、日本自由画壇を創立・理事長
川崎彰久(1911-不明)師小林古径・堅山南風、日本美術院院友
川崎小虎(1886-1977年01月29日)日本芸術院賞恩賜賞、東美卒、師川崎千虎・小堀鞆音、名隆一、日展顧問
川崎千虎(1835-1902年11月27日)師沼田月斉・土佐光文、通称源六・鞆太郎、東美教授、日本美術院設立に参加、故実に通じ歴史画を得意とした
川崎春彦(1929-2018年10月02日)日本芸術院会員、日本芸術院賞恩賜賞、日展顧問、師川崎小虎・東山魁夷
河崎蘭香(1882-1918年03月12日)師菊池芳文・寺崎広業、文展褒状
川崎李塘(不明-不明)博多祇園町で活動
河島春嶂(1889-1967)師父河島雪峰・岡秋芳
川島梅関(1902-1977)京都絵画専卒、師山元春挙
河島梅峯(1878-不明)師池田琴峰
川島浩(1910-1994年01月09日)京都絵画専卒、師西村五雲・山口華楊、日展会員、晨鳥社役員
川島文信(1889-1975)師荒木探令
川島芳華(1875-1939)別号志都廼舎
川島正之(1910-不明)師川崎小虎、別号香陽
川島雄童(1948-2015年03月15日)無所属
河島養素(不明-不明)師江馬細香
川島伃音子(1916-1994年03月26日)師堅山南風、日本美術院院友
川瀬麿士(1941-2019年08月15日)院展同人・評議員、師今野忠一
河底墨翠(不明-不明)師川田墨鳳
河田賢三(1904-1970年04月20日)京都絵画専卒、師堂本印象、日展・新日展出品、東丘社
河田小桃(1864-1919)師父河田小龍・滝和亭
河田小龍(1824-1898年12月19日)師中林竹洞・島本蘭溪
河田翠涯(1822-1900)師根本幽峨
川谷高雅(1827-1890)師松浦松洞
河内雅渓(1873-1943)師橋本雅邦、連合絵画共進会出品
河内郷花(1908-1988)師荒井寛方
河内鼓外(不明-不明)南画
川地寿山(1912-1983年02月21日)師鈴木松年・田中松峯
河内政義(1919-2002)元日本総合芸術協会理事
河津光浚(1899-1990年10月24日)京都絵画専卒、師菊池契月、創作の傍ら宇治平等院鳳凰堂壁画などの模写を手がけた
河津胖子(1937-2022年08月15日)院展特待
河出幸之助(1933-2020年01月09日)創画会准会員
川手青郷(1902-1966年08月)師鴨下晁湖・堅山南風、日本美術院特待
川手米洲(1867-1936)師大平小洲
河鍋きく子(1884-1918)師菊池芳文・寺崎広業、号蘭香
河鍋暁雲(1860-1908年08月28日)名周三郎、別号猩々暁雲、河鍋暁斎の二男
河鍋暁斎(1831-1889年04月26日)[美人画作品]諷刺の効いた独特の画風を展開した、師狩野洞白、別号狂斎・惺々狂斎・画鬼など
河鍋暁翠(1868-1935年05月07日)師父河鍋暁斎、日本美術協会会員、東京女子美術学校教授
川浪養治(1898-1985年11月14日)無所属
河野珠石(1875-1950年04月)師三好藍石
河野僊山人(不明-不明)師十市王洋
河野竹陰(不明-不明)師田能村竹田
河野東溪(不明-不明)師十市石谷・小沢小門
河野棹舟(1868-1945)師宮田洞雪・菊池芳文、土佐美術協会創立に参加、土陽美術会高知支部会員
河野白華(1875-1962年01月11日)医師
河野米邨(1891?-1950年09月13日)師前田直渓
川辺旭陵美楯(1879-1931)川辺御楯の三男
川辺白鶴(1871-1892)川辺御楯の長男
川辺御楯(1838-1905年07月24日)師土佐光文、号花陵・鷺外
川端健生(1944-1995年10月09日)京都市立美大卒、創画会会員、父は川端皐白
川端玉章(1842-1913年02月14日)帝室技芸員、師中村来章、東美教授、川端画学校創立
川端皐白(1896-不明)師三井飯山
川畑春翠(1880-不明)師山元春挙
河端石泉(1877-1940)川端画学校
川端茂章(1883-不明)川端玉章の二男
川端龍子(1885-1966年04月10日)文化勲章、文化功労者、日本芸術院会員、元日本美術院同人、青龍社結成
河原瑛州(不明-1997年02月)南画家、日本書画新興協会理事
河原進(1933-2015年01月24日)師龍子・操
河原木鶏(1866-不明)師奥村石蘭、名鉄次郎
河原融斎(1865-不明)はじめ本多錦吉郎に学び日本画に転じて橋本雅邦に学んだ
川人穎栗(1871-1962)師森魚渕・富岡永洗・結城素明・狩野友信
川船水棹(1887-1980年05月16日)師小堀鞆音、帝展受賞
川辺華堂(1893-1962)京都絵画専卒、師西村五雲・菊池契月、文展・帝展・日展出品
川辺菊久(1899-1980年09月16日)師安田靫彦・川崎小虎、日本美術院院友
川辺九皐(1871-1892)師父御楯、川辺御楯の子
河部貞夫(1909-1987)東美卒、師松岡映丘、創造美術展・日展等
河辺青蘭(1868-1931年04月19日)師橋本青江
川辺忠孝(1929-2021年08月14日)師西山翠嶂、創造美術会会員、兼洋画
川部洋子(1932-2006年01月03日)師武、日本画院幹事、国際美術運営理事
川俣眞澄(不明-2008年05月16日)日本画府会員
川松石泉(1856-不明)師司馬老泉、名礼助
川村雨谷(1838-1906年12月29日)師木下逸雲・日高鉄翁、別号陸蓮子・烏黒
川村淇泉女(不明-不明)那珂淇水弟の娘、はじめ観斎に師事した
河村慶士(1913-不明)師本田翔
川村憲邦(1913-1985年10月28日)京都絵画専卒、日展会友
河村虹外(1861-1932)師重春塘、日本南画協会の結成に参加
河村更堂(不明-不明)黒田長政三百年祭記念美術展出品
河村光文(1867-不明)師父河村穆堂・立松義寅、名竹彦
川村春洋(1800-1876)師東東洋
河村清司(1902-1995)大分の日本画家
河村双舜(1907-1959年01月28日)師小茂田青樹、元日本美術院院友、新興美術院会員
川村智保(1896-1993年03月09日)東美卒、師結城素明
川村斗己(不明-1994年12月)新興美術院理事
河村富絵(不明-不明)博多築港記念博覧会出品
河村春生(1904-1958)師中村貞以
河村穆堂(1839-1880)師佐々木月岱・柴田義董・岡本清暉
川村曼舟(1880-1942年11月07日)帝国芸術院会員、師山元春挙、帝展審、京都市立絵画専門学校長兼京都美術工芸学校長
川村雲民(1846-不明)南宗の画風を修めた
河原茂郷(1894-1949)師山内多門
川村暘谷(1882-1955年12月21日)師西島青浦・木村香雨
河村李軒(1896-1953年12月19日)師池田春渚・甲斐虎山
川面稜一(1914-2005年01月09日)日本建築物・壁画修復家
河本其山(1875-1951)京都絵画専卒、師山元春挙
川本月下(1818-1882)本名改作、成人後に姓を川本と改めた
川本末雄(1907-1982年12月24日)日本芸術院賞恩賜賞、東美卒、師松岡映丘・山口蓬春、日展参事、文部大臣賞
神木鴎津(1873-1962)師松本楓湖、南宗画を修め美術批評に携わる
岸恭(1815-1874)岸良の実子、父に学んだ
神崎慶次郎(不明-不明)南画
神沢素堂(1843-1902年05月10日)師西宮藤長
冠者幸作(1912-不明)師木村斯光
神田英僊(1904-1979年11月23日)師郷倉千靱、日本美術院院友
神田可亭(1868-1938)師林晴山・児玉可亭
神田耕雲(1817-1888)詩文をよしく、画も巧みだった
神田幸始(1918-2001年02月07日)師荒井寛方・堅山南風、日本美術院特待
神田三千枝(1924-1992年01月20日)師安田靫彦、日本美術院特待
菅野梁川(1881-1933)師高森砕巌
神林玉葉(1889-1975)花鳥・山水画を得意とした
上林房峯(不明-不明)師狩野友元
神戸凌雪(1871-不明)師奥村石蘭・森川曽文・今川景年、名直三郎・直盛、字盛卿、別号操軒・蔔邦・喬松軒・玄遠斎
岸明(不明-1905)師父・岸規
岸礼(1816-1883年06月)岸岱の子
喜井黄羊(1901-1997)師矢野鉄山
木内春園(1869-不明)師藤重春山
木内晋斎(1837-1905)師柿沼山岳
木内直秋(1862-1930)師池田雲樵・重春塘・村田香谷・田能村直入、四条派
菊池花仙(1887-1966)師川合玉堂
菊川淵斎(1838-1891)師佐久間六所・狩野探淵
菊川多賀(1910-1991年01月15日)師堅山南風、日本美術院同人・評議員
菊川南楊(1896-1929年05月29日)姫島竹外に師事した後、橋本関雪に師事
菊川晩香(1848?-1920年11月19日)帆足杏雨
菊川三織子(1944-2022年01月05日)師堅山南風、日本美術院同人
菊田桂州(1829-1903年09月)菊田伊洲の養子、内国絵画共進会出品
菊田香蘋(1830-不明)菊田伊州の娘
菊田米子(不明-1912)菊田伊州の娘
菊竹六鼓(1880-1937年07月21日)福岡日々新聞の編集長をつとめた
菊地愛山(1819-1906)師狩野貞信、染物屋の染付けの仕事ののち作画に専念
築地雲渓(1902-1948)師土田麦僊
菊池鴎江(不明-不明)福井江亭の門人
菊池華秋(1889-1946年06月09日)[美人画作品]師川合玉堂、文展・帝展出品
菊地華樵(1888-1965)師佐藤華岳
菊地華陽(不明-1946)菊地華樵の子
菊池九江(1830-1900)本名貞蔵、別号九皇・起、漢詩人としても知られる
菊池清彦(1811?-1883年10月12日)庄屋
菊池契月(1879-1955年09月09日)[美人画作品]日本芸術院会員、帝室技芸員、師菊池芳文、京都市立美術大学名誉教授
菊池公明(1899-1993年05月06日)大調和会委員、新興美術院創立同人・後に退会
菊池成輝(1871-1934)[美人画作品]師島成園
菊池栖月(1874-不明)師赤池南鳳・北郷南水、山内多門と交流
菊池柾壽(1929-2017年10月27日)新興美術院理事長
菊池素空(1873-1922)師幸野楳嶺、詩人菊池三渓の養子
菊池素香(1852-1935)師橋本雪蕉・菊池黙堂
菊池隆志(1911-1982年05月16日)[美人画作品]東美卒、師父菊池契月、創造美術の創立に参加、創画会会員
菊地武郎(1967-2000年08月06日)日本美術院院友、芸大大学院修
菊池猶喜(1888-1966)東美卒
菊沢武江(1882-1975)東美卒、師寺崎広業、帝展
菊池芳文(1862-1918年01月18日)帝技、師幸野楳嶺、京都絵専教授
菊地黙仙(1878-不明)北陽会展に参加
菊池黙堂(1837-1897)師橋本雪蕉
菊地友一(1912-1993年01月17日)創造美術会員
菊池容斎(1788-1878年06月16日)狩野派・高田円乗師事、有識故実研究の他幅広い流派を学ぶ
菊地養之助(1909-2003年12月15日)創画会会員、川端画学校・クロッキー研究所に学ぶ、前衛美術会結成に参加
菊地良爾(1922-1975年10月20日)師川合玉堂・奥田元宋
菊池魯岳(不明-不明)師名草逸峰
木越金谷(1886-1958年01月19日)画僧、木越文谷の長男
木越文谷(1864-1949年12月08日)能登の画僧、師柳沢文真
岸九岳(1852-1921)岸連山の実子、父と岸竹堂に絵を学んだ
岸魚躍(1826-1908年04月03日)師守住貫魚、住吉派
岸大洞(1904-2007)独修、郷土史家
岸竹堂(1826-1897年07月27日)[富山02・美人画作品]帝室技芸員、中島安泰・狩野永岳に狩野派を学んだ後に岸連山に師事、連山没後に岸家を継いだ
岸天岳(1814-1877)師岸駒
岸米山(1883-1910)師竹堂、京美卒、名精太郎
岸融岳(1885-不明)師柿本柿融
岸龍山(1816-1889)岸駒の娘婿
岸井静斎(1826-1893)師森西園
岸上西筠(1795-1880年12月03日)師山本梅逸、名嘉樹
岸浪静山(1889-1952)師小室翠雲、父は岸浪柳渓
岸浪百艸居(1889-1952年09月21日)師小室翠雲、元日本南画院同人
岸浪柳渓(1855-1935年12月10日)師田崎草雲、明治・大正・昭和に亘る南画壇の古老
岸野海雪(1888-1975)師町田曲光・田村豪湖
岸原白鳳(不明-不明)黒田長政三百年祭記念美術展出品
木島柳鴎(1882-不明)師島崎柳塢・松岡映丘、日本画会会員
岸村鵬山(1844-不明)師川村春洋・渡辺佐洲・宍戸九帯
岸本圭逸(1890?-1977年04月26日)師川合玉堂、圭逸会主宰
岸本江峯(不明-不明)師上田鉄耕
北逸斎(不明-1887)師塩田銕香
喜田華堂(1802-1879年02月07日)師岸駒、名是静、字伯寿、別号竹石居・半舟翁、木田華堂の表記も
木田寛栗(1875-不明)師早瀬寛仙・荒木寛友
北喜久子(1911-1990年01月14日)師竹圃、日本南画院評議員、日本水墨画協会同人
喜多暉月(1864-1919)師中川露月
貴田成峰(1903-1986)師歌川国峰
北尾次郎(1844-1907)師内村鱸香
北垣公麟(1834-1922)師田中日華・塩川文麟
北垣静処(1874-不明)京都美工卒、鴨緑茶話会を起こした
北角六橋(1898-1983年02月01日)師大口蓊山・白井青淵、本名藤吉
北上峻山(1881-1915年08月24日)師下村観山、日本美術院院友
北上聖牛(1891-1970)京都絵画専卒、師竹内栖鳳、文展・帝展出品
北川金鱗(1874-不明)師佐竹永湖
北川金嶙(1874-不明)師佐竹永湖
喜多川玲明(1900-1940年06月19日)[美人画作品]京都絵画専卒、師菊池契月、帝展・新文展出品
北郷南水(1858-1913)都城の四条派、師速見晴文
北沢映月(1907-1990年04月07日)[美人画作品]師土田麦僊、日本美術院同人・評議員
北沢耕雲(1907-1961)師川手米洲
北沢楽天(1876-1955年08月25日)日本画家・漫画家、近代漫画の先駆者
北島順孝(1803-1886)北島家七十五代全孝の初名
北田到津(1898-不明)九州南画院会員
北出三紀子(不明-1984年10月19日)日本画府会員
木谷千種(1895-1947年01月24日)[美人画作品]師野田九浦・北野恒富、文展無鑑査
木谷来僊(1874-不明)師野口友真・川端玉章
北野以悦(1902-1971年07月03日)京都絵画専卒、師西山翠嶂、父は北野恒富
北野恒富(1880-1947年05月20日)[美人画作品]師稲野年恒、日本美術院再興に参加・同人、巽画会・大正美術会、大阪画壇で活躍・美人画
北野等永(1839-1915)北島勝永の子
北野治男(1946-2018年07月29日)日展会員・元理事
北野井正義(1920-1993年11月05日)大阪美術学校卒、師佐藤太清、日展会友、奈良県美術人協会委員
北原米麟(1862-1921)師菅原白龍・久保田米僊・佐々木篁石
北原龍太郎(1932-2013年03月01日)日本水墨美術院理事長
北村愛竹(1876-1930年05月01日)名周助、称置石月・菅原白竜に師事
北村五台(1909-1945)師川合玉堂・河野棹舟
北村左久馬(1883-1957)師河田小龍
北村佐久馬(2代)(1883-1957)師宮田洞雪・南部錦溪
北村秋亭(不明-不明)南画
北村省吾(不明-不明)師北野勝永
喜多村松斎(1867-1934年10月05日)師小野晴雲・三好雲外・今尾景年
北村石樵(1841-1913)師高橋杏村
喜多村麦子(1899-1986)師森村冝稲・土田麦僊・福田平八郎、旧姓内藤、名林吉
喜多村麦人子(1899-1986)京都絵画専卒、師土田麦僊・福田平八郎、帝展出品
北村三千代(1907?-不明)師木谷千種
北村明道(1896-1962年01月28日)師児玉希望、帝展・新文展・日展出品、歴史画
北村幽林斎(1840-1887)師前村洞泉、狩野派
北村李軒(1881-1961)師細谷立斎
北目春月(1880-1937)竜雲院再建時に紫苑と合作で欄間壁画「飛天図」を描いた
吉川忠安(1824-1884年10月09日)幕末の武士
吉川秀山(1891-1960年12月07日)師松林桂月・池上秀畝、信濃美術会の結成に参加
吉川椿香(1840-不明)内国絵画共進会出品
吉川霊華(1875-1929年03月25日)師山名貫義、帝展審査員
木付義路(1839?-1898)師広瀬淡窓・長三洲
吉祥寺雲外(1885?-1969年12月05日)吉祥寺寺主
橘田永芳(1902-1974)師小室翠雲、文展・日展
狐坂忠信(不明-1992)新興美術院会員
木戸高顕(1892-1967)師五条某
木戸竹石(不明-不明)師平尾魯仙・三上仙年
鬼頭如石(1891-1978年10月)師川合玉堂、名米吉
貴道草衣(1899-1984)京都絵画専卒、師山元春挙、別号春鳳、帝展
鬼頭篁(1907-1988年12月16日)京都絵画専卒、師中村岳陵、名正三、白士会顧問、東海地方の日本画家の育成に尽力した
鬼頭道恭(1840-1904年04月15日)師森高雅・北村季隆・岡田為恭、名道恭、通称玉三郎
鬼頭道周(1874-1943年03月20日)師父鬼頭道恭・日比野白圭・橋本雅邦、鬼頭道恭の子、名道周、通称隆三郎
鬼頭敏郎(1945-2013年03月10日)日展会員、23特選、11特選
衣笠豪谷(1850-1898年04月26日)師中西耕石、別号天桂山人、日本南画協会創立
衣笠探谷(1852-1912)福岡藩絵師衣笠家八代
衣笠守正(1852-1912)福岡藩絵師衣笠家八代
衣笠守是(1822-1894)福岡藩絵師衣笠家七代
木下章(1927-2017年06月21日)京都創画10賞
木下旭(1919-2001年03月27日)新興美術院会員
木下一耕(1894-1921)師大平小洲・小泉勝爾
木下薫平(1895-1930)仏画、教師のかたわら絵を描いた
樹下孝太郎(1909-1993年12月20日)師堅山南風、日本美術院展出品
木下二介(1896-1968年03月27日)挿絵画家、師河井寛次郎・矢野橋村、時代小説の挿絵で人気を博した
木下紫水(1882-1951)児童自由画展を開催
木下小麟(1890-1970)師松林桂月・太平小州
木下神嶺(1924-1946)師川合玉堂
木下静涯(1887-1988年08月)師村瀬玉田・竹内栖鳳
木下正洲(1859-1945)師大平小洲
木下青陽(1901-1966年11月04日)京都絵画専卒、師西山翠嶂、青甲社
木下仙(1904-1969)滝江村村長等を歴任、余技で絵を描いた
木下蘇雲(1856-1926)師岡田半江
木下春(1892-1973年06月27日)[美人画作品]師前田青邨、日本美術院特待、富安風生に師事し俳句をはじめ若葉同人となる
木下明畝(1891-1965)師荒木十畝
木下蘆洲(1807-1879)名直行、師林文坡
其白(不明-不明)師堀江友声
木原敦子(1938-2014)日春展出品、富山県日本画家連盟会員
木原春城(1882-不明)古画を研究し画法を身につけた
木原信(1914-2005年06月03日)師小室翠雲、日本南画院同人
鬼原素俊(1902-1978年03月16日)師荒井寛方、新興美術院創立同人
木間明(1934-2016年12月07日)創作画人協会会長
儀満暢園(1849-1926)師黄仲祥・浅井柳塘
木村雲渓(1829-1880)師野村玉渓、名元雅、字士尚、通称六右衛門、別号雪渓・見外山人
木村葭郷(不明-不明)師浦上春琴
木村雅祥(1895-1959)日本美術学校卒、院展・帝展出品、名寛次
木村華邦(1903-1982)師関田華亭・松林桂月、日本南画院常任委員、関東水墨画研究会主宰
木村貫山(1835-不明)師円山応立
木村其樵(1850-1937年12月09日)師養父木村培樵、日本美術協会会員
木村杏園(1885-1957年08月22日)師橋本関雪、帝展・日展出品、木村雨山の兄
木村金秋(1833-1917年06月22日)師森高雅、尾張藩士橋本義俊の子、名充恒、通称鍬吉、号蓬乾舎
木村月塘(1812-1876年02月04日)金谷町西照寺の住職、木村半雨の父、師板倉呂仙
木村香雨(1842-1912年11月03日)師草野東蕙、日本美術協会員
木村耕巌(1830-1911)師中西耕石・前田暢堂
木村広吉(1912-1990年09月12日)師西山英雄・まつ本一洋、日展会員
木村斯光(1895-1976年11月10日)[美人画作品]師菊池芳文・菊池契月、帝展受賞
木村尚仙(1829-1895)師新井素真、日光東照宮などの御用をつとめた
木村松亭(1885-1948年05月07日)師森魚渕、住吉派
木村棲雲(1885-1967年07月27日)師宮崎竹叢・小室翠雲、田能村竹田に私淑
木村青籃(不明-不明)師堀江友声
木村泉石(1859-1877年08月20日)師森寛斎
木村大成(1898-1947)美人画をよく描いた、九曜会を結成
木村丈夫(1900-1976年06月27日)京絵卒、師菊池契月・川北霞峰
木村武夫(1935-1987年10月22日)師父木村武山・前田青邨、日本美術院特待
木村巴江(不明-不明)平沢屏山にアイヌ絵を学んだ
木村半雨(1844-1910)幕末から明治期の画僧、福田半香の門人
木村武山(1876-1942年11月29日)[美人画作品]東美卒、師川端玉章、日本美術院同人、岡倉天心の日本画への理想を体し天心没後も大観らと日本美術院の発展に尽くした
木村碧山(不明-不明)豊前企救郡の人
木村揚昭(不明-不明)京都絵画専卒、国画創作協会出品
木村立雲(1873-1905年03月09日)東美修、父は狩野派の木村立嶽
木村立嶽(1825-1890年09月09日)師狩野養信・狩野雅信、名雅経
木村立峯(不明-不明)木村立嶽の子
木本橘巣(1828-1888年01月02日)師後藤碩田・帆足杏雨・小田海僊
木本大果(1901-2001年11月09日)師松本楓湖・荒木十畝、日展会友、日本画院客員
木本板屋(1859?-1880年10月15日)熊本藩で医を学んだ
喜友名安信(1831-1892)八重山の絵師
行徳玉江(1828-1901年06月22日)漢詩人・篆刻家
玉湖(不明-不明)昭和期に仙台地方で活動
清瀬九帯(1802-1882)師菅井梅関
清竹紫秋(1923-2003年05月13日)ル・サロン会員
清原雅石(1893-1967年12月21日)師高橋清舫・白井青淵、本名清原速雄
清原南豊(1861-1893)清原無暦の長女
清原斉(1896-1956年09月14日)師松本楓湖・堅山南風、日本美術院同人
清原無暦(1832-1904年03月24日)森本重誓の四男
清久南畝(不明-1876)四条派
清光光雲(1927-2010年01月16日)宝石象嵌、新日本美術院常任理事
桐谷洗麟(1877-1932)師富岡永洗
桐村秋亭(不明-不明)師十市石谷、中津藩士
桐谷洗鱗(1877-1932年07月19日)東美卒、師富岡永洗、旧官展、渡印仏跡巡
桐谷天香(1896-1929年01月29日)桐谷洗鱗の妹
宜湾朝保(1823-1876)宜野湾朝昆の三男
金泰伸(1922-2014年12月25日)新美術協会創立会員、雪舟国際美術協会委員
金城唯貞(1888-1969)丹青協会に所属
金城安太郎(1911-1999年01月)師山田真山
琴石(不明-不明)明治期に活動、琴石山人等と号した
金原霞汀(1839-1904)名玉城、金原明善の妻
空閑虎頭(不明-不明)南画
久我小年(1868-1938年05月27日)柚木玉邨の実弟、師清人胡鉄梅・松田呑舟・鎌田平山
空閑陽樹(1881-1938)東美卒
釘宮春魁(不明-不明)師渡辺拈華
釘宮對宕(1920-1986年08月19日)ドイツ音楽や文学をテーマに墨絵を描いた、兼油彩
釘宮晩翠(1827?-1895年11月01日)師帆足杏雨・石艸逸峯
久座梅屋(1838-1889)師上代英彦・堀江友声
草生鉄蕉(1856-1931)師飯島半耕・田能村直入
日下八光(1899-1996年03月23日)東美卒、師結城素明、古墳壁画模写を多く手がけた、東京芸大名誉教授
日下部鳴鳳(不明-不明)師小室翠雲
草刈樵谷(1892-1993年02月15日)師田近竹邨・佐久間竹浦、田能村竹田の研究で知られる
草刈龍岡(不明-不明)師菅原白龍
草川華山(1832-1908)師岸連山
草彅興宗(1904-1936年11月22日)京都絵画専卒、師竹村篁邨・平福百穂・中村大三郎、帝展・文展出品
日柳三舟(1839-1903)教育者、日柳燕石の子
草野東蕙(不明-不明)師斑目東雄
草野露光(不明-不明)大正中期から仙台市の展覧会に出品
草場金台(1858-1933)草場船山の三男
草場船山(1819-1887)師篠原小竹・古賀精里
草深香畦(1895-1973年02月28日)師松林桂月・河北霞峰、名孫之丞、日展委員
具志堅古嘉(1908-1998)師山田眞山
具志堅聖児(1908-1998年09月09日)師伊東深水・佐藤太清、日展会友、日月社委員
櫛田直観(1889-不明)師奥村恭法
串原龍陽(1867-1952)師木下蘇雲
久住三郎(1946-2000年07月16日)日本美術院院友
葛江月(1880-1918年04月30日)東美卒、岩手県初の美術団体岩手彩友会を結成
葛岡年定(1876-1948)月岡芳年の孫弟子
楠瀬豊山(不明-不明)師種田豊水
葛西磯山(1874-1915)師高森碎巖
楠瓊州(1892-1956年03月24日)師田中柏陰、油彩や水彩を研究し南画との融合をはかる、詩作や書にも秀でた
楠原琴泉(1832?-1907)師小石石鱗
葛村啓一郎(1906-不明)師中村貞以、日本美術院院友
楠本宗平(不明-1991)師竹内栖鳳・金島桂華、竹杖会員
久世時子(不明-不明)師鏑木清方
工藤華章(1845-1919)師三木恒山、岸派
工藤甲人(1915-2011年07月29日)芸術選奨文部大臣賞受賞、毎日芸術賞、師福田豊四郎、創画会会員、元東京芸大教授
工藤紫煌(1904-1946)[美人画作品]川端画学校卒、帝展、日本画院展出品
工藤晴華(不明-1965)師三上仙年
工藤晴好(1867-1924)師三上仙年
工藤青山(1873-1946)東美卒
工藤仙乙(1839-1895)師平尾魯仙
工藤仙来(1863-1944)師工藤仙乙・三上仙年
工藤久(不明-不明)師秦米陽
工藤不学(1868?-1936年05月05日)工藤和男の父
工藤龍橋(1877-不明)名祐興、叔父の石川道之助に学ぶ
国井應章(1844-1873)明治中期の日本画家、應立の嗣、本姓森氏、名龍次郎
国井應文(1833-1887年03月29日)円山派、師円山応立、円山応震の甥、字仲質、別号彬々斎
国井馨水(1887-不明)師寺崎広業
国井月峰(1904-1967)師川合玉堂
国井独立(1871-1962)師本沢竹雲
国枝佳玉(1922-1997年09月)師玉置頼石、日本動物画協会幹事
国枝杏蹊(1835-1891)師高橋杏村
国枝杏邨(1807?-1879年06月19日)師帆足杏雨
国島半僊(不明-1932)師田能村直入・草場船山
国友大誉(1898-1971年01月10日)京絵卒、烏城会会員
国安竹陵(1828-1883年06月17日)名庫治・光徳、俳号は梅の屋、宮沢水寮に師事
久野樵仙(不明-不明)四条派
久野千代子(1922?-2018年07月13日)師松永光玉、創造美術会員
久野柳荘(1887-1975年09月27日)師尾之内半農・小室翠雲、名林太郎
久場島清輝(1864-1920)八重山に移住した画家
久保安悟(1822-1893)師弘瀬洞意、絵金派
久保吉郎(1942-2015年05月07日)日展会友、師堂本印象、東丘社
久保清子(1909-1996年03月16日)師安田靫彦、日本美術院院友
久保祖石(不明-不明)師堤紫僊
久保提多(1885-1955年12月01日)東美卒、中学教師として川越で活動
久芳冬斧(1914-不明)院展出品
久保南窓(1848-1917)師弘瀬洞意、絵金派
久保梅亭(1821?-1883)師中川馬嶺
久保井翠桐(1882-不明)師内海吉堂
久保田矮松(不明-不明)師野際白雪
久保田翁谷(1883-1944)師小室翠雲
久保田魁(1915-1976年05月27日)師児玉希望、日展会員、菊華賞、特選2
久保田華房(1895-不明)師岩崎天外
久保田金僊(1875-1954年10月09日)舞台装置家、師父久保田米僊・幸野楳嶺・川崎千虎、別号雪片子・喜舞・紫波画房
久保田春峰(1889-1971)師小泉勝爾
窪田松門(1838-1921年04月30日)師古曳盤谷
窪田積翠(不明-1887)唐風画
久保田僊斎(1864-1925)師森寛斎
久保田善太郎(1906-1982)師川端龍子
久保田宗九(1877-1936)東美中退、師橋本雅邦
久保田竹文(1879-不明)師森川曽文・山元春挙
久保田天南(1875-不明)師名草逸峰・河田小龍
久保田南崖(1830-1890年06月30日)佐伯藩士、師平野五岳・鉄翁・木下逸雲
窪田寛(不明-1972)新興美術院会員
久保田米斎(1874-1937年02月14日)舞台美術家、師久保田米僊
久保田米斎(1898-1940)師精屋鶴清気、達磨図を得意とした
久保田米僊(1852-1906年05月19日)[美人画作品]師鈴木百年、別号錦麟子、京都青年絵画研究会結成に参加、京都美術協会創立に尽力、元石川県立工芸学校教授
久保田満明(1874-1937年02月14日)久保田米僊の長男、師原田直次郎・田崎草雲・橋本雅邦
久保田菱雨(1860?-1882年04月12日)師児玉芦香
久保田桃水(1841-1911年04月18日)師横山清暉・西山芳園、日本美術協会員
久保村抱村(1900-1935)師平沢雅堂
熊谷三静(1896-1978)水墨画をよくした
熊谷晴岳(1887-1954年06月26日)師狩野三岳
熊谷青城(1819-1900年11月23日)福田半香の門人、字子方、別号全安・此君楼
熊谷雪山(1885-1963年04月10日)本名善松、三浦雪堂に師事
熊谷藻川(1884-1943)和田三造らに洋画を学んだ後日本画に転向
熊谷敏雄(1928-不明)師井端皐白、日本南画院理事、日本墨彩画協会顧問
熊谷豊四郎(1898?-1987年08月08日)水墨画家、別号春華
熊谷直彦(1828-1913年03月08日)帝室技芸員、師岡本茂彦、四条派
熊谷龍崖(1864-1936)師田能村直入
熊耳耕年(1869-1938年08月24日)師尾形月耕、創刊期の『河北新報』に挿絵を制作
狗巻南名雄(1906-不明)師郷倉千靱、日本美術院院友
熊倉光好(1862-1937年04月01日)蒲原郡で似顔絵やからくり屋台の看板絵を描いた
熊坂翠坡(1872-不明)師滝和亭
熊坂長庵(1844-1886年04月29日)日本画家・医師
熊坂東以(1907-1995)師安田靫彦・小倉遊亀、日本美術院特待
熊沢観明(1910-2003年01月10日)無所属
熊代芳谷(1898-1970年06月10日)師黒住章堂
熊田梅石(1889-1971年06月23日)師毛利梅友、名嘉平、日本南画院院友
熊田梅芳(1898-1976年05月01日)師夫熊田梅石、名とみ
熊埜御堂春暉(1849-1929年03月)官職退職後画をよくした
熊本峻斎(1820-1890)師荒木千洲
久米霞岳(1815-1900)加藤雪潭の門人、名雅禮、通称波衛門
雲居我章(1870-1938年05月)養徳寺住職
公文菊僊(1873-1945)師楠永直枝・久保田米僊、土陽美術会会員
公文芦渕(1876-1942)師森魚渕、住吉派
倉石乾山(1799-1869)倉石米山の長男
倉石松畝(1874-1945年08月02日)師荒木寛畝、日本画会評議員
倉内一壺(1899-不明)師白井永川・福田浩湖、初号寛山道人
倉沢桃雨(1872-1937)官吏、山梨県東八代郡長を歴任
倉島丹浪(1899-1992年12月23日)師横山大観・橋本静水、創作画人協会結成に参加・名誉理事、倉島美友・重友の父
倉田謙(不明-不明)黒田長政三百年祭記念美術展出品
蔵田耕州(不明-1994年12月05日)神奈川県美術協会会員
倉田鼓瑠(不明-不明)南画
倉田松濤(1865-1928年07月11日)師平福穂庵、日本美術協会会員
倉田澤上(不明-不明)師田能村竹田、津の人
倉田立美(1934-2012年02月08日)師木村琢一、中村岳陵門
倉富勇三郎(1853-1948)儒者・倉富胤厚の二男
倉野煌園(1827-1896)師日高鉄翁
倉光博之(1911-2007年12月10日)師中村岳陵、日展会友
倉持芳柳(1864-1943)本名倉持子之吉、五姓田芳柳の娘と結婚して二世芳柳を名乗る
栗田愛石(不明-不明)南画
栗田沙羊(不明-不明)南画
栗田石癖(1869-1927)師守山湘帆
栗田富美(1912-2003)師湯川松堂
栗田嵐嶽(1919-1984年11月14日)無所属
栗原映霞(不明-不明)昭和期に福岡市で活動
栗原玉葉(1883-1922年09月09日)[美人画作品]女子美校卒、師寺崎広業、文展褒状
栗本梅谷(1849?-1919)師岩瀬広隆
栗山弘演(1907-1998)師石崎光瑤、院展出品
栗山鴻山(1855-1918)師梶山九江
栗山石宝(1822-1888)幼名徳松、名子孝、通称寿、別号快雲堂石宝
車崎天真(1878-1932)師田崎草雲
榑松玉峰(1890-1982年01月15日)小室翠雲の門人、名良平
久蓮石雨董(1902-不明)京都絵画専卒、師川崎千虎
黒川雪蒼(不明-不明)師阿刀雪庵、南画
黒木華郷(1848-1919)師黒木華郷(初代)
黒河内芳洲(1877-1951)師小室翠雲・土屋漁洋
黒崎木舟(1833-1923)師鈴木鵞湖
黒澤亜津志(1915-1998年11月23日)師望月春江、日本画院同人
黒沢吉蔵(1928-2009年02月22日)東京芸大卒、師山本丘人、創画会会員
黒沢花子(不明-不明)師鏑木清方
黒島孫正(1848-1905)八重山の絵師
黒住章堂(1877-1943年01月29日)師岡本金波
黒田一槍(1893-1967年12月21日)師白井青淵、宗墨会会長、本名黒田彦蔵
黒田華川(1880-1934年03月13日)師荒木寛畝、名孝顕、田原洗浄寺十四世住職
黒田古郷(1893-1967)師松本楓湖、日本美術院院友
黒田彩弘(不明-1977)日本画院委員幹事、受賞4、煌土社同人、院展他出、
黒田城峯(1858-1924)独修
黒田盛山(不明-不明)師堀江友声
黒田青龍(1839-1886)南画
黒田猛(1910-2002年03月28日)京都絵画専卒、師山口華楊、晨鳥社、大阪府美術家協会副代表、元園田学園女子短期大学教授
黒田椿年(不明-不明)師堀江友声
黒田貞次郎(1902-1973)師長谷川朝風、日本美術院院友
黒田哲二(1910-1995)東美卒、成層絵画研究集団結成、日本美術院院友
黒田彦次郎(不明-1996)新興美術院会員
黒田米秀(不明-不明)昭和初期に大牟田市旭町で活動
黒田耕仲(1885-1950)師父黒田城峯
黒野猪吉郎(1855?-1921年08月27日)南画同好会水石会会員
黒部拈華(1856-1933)元鳥取藩士、師日根対山
黒光茂樹(1909-1993年03月21日)京都絵画専卒、師金島桂華、日展会員
黒柳雅勝(1914-1994年07月05日)師小室翠雲・三尾呉石、虎・山水を得意とした
畔栁赫(1912-2014年02月11日)白士会創立会員、岡崎市文化協会顧問
畔柳孤峰(不明-不明)師野際白雪
鍬形恵林(1826-1909年08月17日)師狩野雅信、鍬形蕙斎の養子
桑波蘇堂(不明-不明)博多築港記念展覧会出品
桑野青晃(1899?-1986年01月02日)京都美術協会顧問・同会の創設に参加
桑野博利(1913-2008年04月11日)京都絵画専卒、日展出品、司馬遼太郎『街道をゆき』の挿絵担当
桑原文(1919-1999年07月30日)元たぶろう美術協会委員
桑原喜八郎(1920-1945年02月07日)東美卒、無言館
桑原玉晃(1940-不明)師玉置頼石
桑原繁(1923-1988年11月22日)師小松均、日本美術院院友
桑原大暉(1894-不明)師渡辺秋谿、五日会所属
桑本鉾郷(不明-不明)狩野派
郡司硯田(1907-1975)師堅山南風、日本美術院院友、日光東照宮の天井画の修復に従事
軍司白羽(1882-1978年09月27日)師狩野三岳
毛涯江陵(1866-1937)師福井江亭
袈裟丸鬼笑(不明-不明)南画
下司凍月(1880-1980)師種田豊水・柳本素石、土陽美術会会員
下司龍川(1817-1896)師町田光雅、狩野派
下條桂谷(1842-1920年12月01日)師目賀多雲川信済、日本美術協会員、貴族院議員
月小路石朋(不明-不明)師小室翠雲
月査(1822-不明)俗姓高橋、名行慶、別号遠湖
玄空(不明-不明)画僧
呉斉旺(1917-2014年09月22日)墨画新鷹会会長、日本・中国水墨交流協会顧問
小荒井豊山(1858-1908)師父小荒井輪鼎
小荒井輪鼎(1819-1898)師遠藤香村
五井金水(1879-1942)師久保田桃水・中川蘆月
小池池旭女(1824-1878)大沼枕山の義妹
小池汀雪(1932?-2009年10月13日)日本文人画府評議員
小池梅処(1831-1913年07月)小池余薬の子、南画をよくした
小池裸石(1911-不明)師速水御舟、朝光会会員
小石井金鳳(1892-不明)師寺崎広業
小泉勝爾(1883-1945年07月28日)東美卒、師結城素明、東美教授、帝展審
小泉淳作(1924-2012年01月11日)東美卒、師山本丘人、元創画展、作陶でも活躍
小泉芦舟(1887-1919年03月25日)東美卒、本名政吉、荒木寛畝に師事
小泉二山(1858-1936年02月26日)師川上冬崖・鈴木月谷
小出東嶂(1823-1889年05月)福田半香の門人、山梨稲川の甥、「静岡新聞」を刊行した
小出半畝(1862-不明)師林半窓、住吉派
小井上曻(1911-1998年02月19日)師児玉希望、日展、旧号定夫
小岩井秀鳳(1919-2007)師木村武山・中村岳陵
小岩井秀雄(1919-不明)師中村岳陵、院展出品
洪小南(不明-不明)日本民俗資料館
郷倉和子(1914-2016年04月12日)文化功労者、日本芸術院会員、日本芸術院賞恩賜賞、師安田靫彦、日本美術院同人・理事
郷倉千靱(1892-1975年10月25日)日本芸術院会員、日本芸術院賞、師安田靫彦、日本美術院同人、帝国美術学校教授
高坂青邱(1901-1981)師堅山南風
高坂東竜(1801-1878年12月30日)医師
高坂鳳山(1876-1949年04月13日)南画家、独修
郷司黄城(1878?-1956年10月30日)南画
幸田暁治(1925-1975年11月16日)京美卒、師池田遙邨、日展
幸田春耕(1897-1976年12月16日)師山元春挙・池田遙邨
甲田雪嶺(不明-不明)画僧
河内錦舟(1937?-2008年11月16日)日本水墨画会会員
河内豊嶙(1863-1923年06月07日)師垣内雲嶙
上妻華堂(1899-1978)師池田松華・山元春挙
高妻五雲(1820-1891)師篠崎小竹、高妻騰雲の弟
上妻陽年(1884-1966)師松田蘇雪
神門桐郎(1932?-2018年04月26日)京都墨彩画壇理事、元日本南画院理事
甲堂九山(1906-1983)師片桐白登・仲村南美
郷内楓嶽(不明-1908年01月27日)師松本楓湖
河野華涯(1900-1984年02月22日)師松林桂月、日本南画院理事
河野渓南(1818-1890)医師、詩・画をよくした
河野香村(1835-1912年06月10日)兄は医家・漢詩人の河野鉄兜、山水画と書をよくした
河野秋邨(1890-1987年12月03日)師田近竹邨、日本南画院会長・理事長、墨道興隆運動
幸野西湖(1881-1945年03月29日)京美卒、師父幸野楳嶺・師谷口香きょう
河野泰山(1915-1997年12月22日)無所属
河野泥麟(1902-1967)県展等出品
幸野豊一(1914-2002年04月14日)京都絵画専卒、師西村五雲、日展会友
幸野楳嶺(1844-1895年02月02日)[美人画作品]帝室技芸員、師塩川文麟・中島来章、京都青年絵画会創設、京都府画学校設立に参加
河野正長(1909?-2000年08月31日)新興美術院理事
河野立巌(1855-1920)師鈴木月谷
河野菱渚(1844-1900)師父幽篁、京都市画学校教授、別号半湖
鴻巣一善(1892-1969)東美卒
香梅国照(1815-1876)岡野梅老に学び、後に豊国に学ぶ
郷原古統(1887-1965年04月06日)東美卒、台湾美術振興に尽力
光妙寺半雲(1812-1874)画僧、師矢野括山・中林竹洞
合谷三顧(1822-1883年02月04日)師斎藤秋圃
五雲亭貞秀(1807-1878年頃)歌川国貞の門人、歌川貞秀と同一
古小高信吉(1925?-1990年11月22日)師石井大順
古賀一壺(1902-1984)独修
古賀観山(不明-不明)南画
古賀玄洲(1877?-1922年05月15日)東美卒、文展出品、国画玉成会会員
古賀晨生(1892?-1948年09月18日)新聞記者、俳句・画をよくした
古賀台仙(不明-不明)師武島桂岳
古賀初二(1894-不明)大牟田高等小学校の図画教師をつとめた
古賀半夢(不明-不明)南画
国分文友(1823-1900年11月26日)師松村景文、別号双松など
国分友雪(1817-1879)師能勢一清、平岡為龍の子
国府田亀山(不明-1884)小林蔵六の門人、のちに猪瀬東寧に師事
木暮成起(1913-1998年07月03日)川端画学校卒、日本美術院院友
古後雲溪(1860-1924)南画
小坂勝人(1901-1953年05月01日)東美卒、師結城素明、帝展・文展出品、富山の美術振興に尽力
小坂虎雪(1850-1897年12月06日)師藤森江岸
小坂春里(不明-1930年07月24日)師甲斐虎山・松林桂月
小坂象堂(1870-1899年06月02日)浅井忠に洋画の指導を受ける、東美助教授
小沢鉄巌(1863-不明)野竹我師に師事、名亮、字子敬、別号有竹居
小塩美州(1899-1966)師野原桜州・寺崎広業
越田勝治(1905-1981年09月13日)東美卒、師松岡映丘
越田香秋(1883-1925年08月17日)師中浜松香
腰塚藹岳(1869-1927年12月02日)師王欽古
越塚友邦(1875-1936年07月03日)師橋本雅邦、連合絵画共進会出品
こしの千涯(1895-1958年02月27日)良寛に私淑、相馬御風・会津八一と親交
小柴春泉(1898-1943年08月26日)師翠雲、別号春道人、旧日本画会員
小島一谿(1899-1974年11月12日)師前田青邨、日本美術院特待、前号一谷
児島華鳳(1900-不明)師矢沢弦月、日本美術院院友
児島基隆(1819-1887年07月28日)師森高雅・浮田一蕙、名基隆、通称平太郎
小島景信(1869-不明)師野村文挙
小島紫光(1889-1960年08月08日)師菊池芳文・契月、新興岐阜美術院の創立に参加
小島雪更(1852-1936)師青木崑山
小島雪☆(1806-1878)師宋紫岡、☆「山」+「青」
小島丹漾(1902-1975年09月27日)師大智勝観・奥村土牛、日本美術院同人
兒島竹外(1845?-1893)師父兒島竹處
小島竹泉(1860-不明)師司馬老泉、名金之助
小島貞観(1923-1951)日展出品
小嶋悠司(1944-2016年06月07日)芸術選奨文部科学大臣賞、創画会会員、京都市立芸大教授
古城江観(1891-1988年10月25日)師福井江亭・山元春挙、文展・帝展出品
古城江洋(1910-不明)京都絵画専門学校卒業、師山元春挙
五条巒遷(1815-1887年06月)師上田旭山
小杉放庵(1881-1964年04月16日)[美人画作品]日本芸術院会員、太平洋画会会員・再興院展洋画部同人を経て春陽会創立に参加、兼洋画、別号未醒
巨勢小石(1843-1919年09月17日)巨勢家末裔、師岸連山・中西耕石、東美教授
小関雲洋(1852-1925)師川村春洋
小関きみ子(1905-1984年12月)師川崎小虎・東山魁夷、元日本画院同人
古関静山(不明-不明)師長谷川嵐渓
五代友厚(1835-1885年09月25日)五代秀堯の子
小平栄太郎(1846-1894)模様絵師、諏訪に染物の会社を創立
古田嶋菅子(不明-2004年08月01日)若葉会会長、元日本南画院同人
小谷苔明(不明-1990年05月26日)元江戸浮世絵研究会員
呉谷義盛(1929-2012)日展会友、師山口華楊
児玉果亭(1841-1913年01月14日)師田能村直入、日本南画会の設立に参加
児玉希望(1898-1971年05月02日)日本芸術院会員、日本芸術院賞、師川合玉堂、日展常務理事
古玉荊山(1873-1952)師菅原竹侶
児玉三鈴(1915-2002年02月01日)師川端龍子、御形塾に学ぶ、日本画府理事長、新興美術院初代会員
児玉石峯(1853-不明)師高橋杏村・武光桂園、名玄成、別号間梅寒士
児玉素光(1890-1966年02月)師下村観山・木村武山、日本美術院院友
児玉輝彦(1898-1992年09月27日)師鞆音、日本国画院会長
児玉天雨(1826-1888年12月24日)上原源兵衛の子、昌平校に学んだ
児玉東洋(1896-1930年03月03日)花鳥画を得意とした
児玉徹(1904-1990年11月05日)川端画学校卒、師奥村土牛、日本美術院院友
児玉芳月(1883-1926)師土井義芳
児玉実枝(1918-1972)師中村丘陵・田中青坪
児玉芦香(1846-1906年05月08日)師帆足杏雨
小槌雙竹(1831-1909年11月23日)師藤田蕉陰
小寺雲洞(1871-1930年01月13日)師奥村石蘭・竹内栖鳳、名鈴彦、東海美術協会理事長
小寺霞峰(1808-1885)師日野霞山
小寺春翠(1866-1918)師藤重春山
小寺稲泉(1882-1945年06月05日)師森村冝稲、別号公僊
小寺藤兵衛(不明-1886)九谷焼の陶画工、狩野派の画をよくした
後藤杏(1910-1973)師橋本関雪、日本美術院院友、別号杏塢
後藤蟹洲(1828?-1905年03月17日)師帆足杏雨
後藤鶴磯(1826?-1873年11月15日)師田能村直入
後藤和信(1930-2007年05月22日)師田中青坪、日本美術院特待、元国際墨絵協会会長
後藤華平(1885-1945)師今尾景年
後藤紀一(1915-1990年09月11日)師北村紅華、文筆にも親しみ、第49回芥川賞を受賞した
後藤喜太郎(不明-不明)元大分町長
後藤吸霞(1903-不明)師山田介堂・喜田華堂、別号半仙
五島耕畝(1882-1958年06月11日)師荒木寛畝、日本美術家協会会員、文展褒状、日展委員
五藤自適(1839-1913)東照宮の神官、松平雪山に学ぶ、名近知
後藤秋厓(1886-不明)師田近竹邨・後藤釣雪
後藤春兆(不明-1889)師本間探兆
後藤松亭(1870-1933)師小松雲涯・滝和亭・小坂芝田・田能村直入
後藤志朗(1924-1992年04月19日)師前田青邨、日本美術院特待
後藤普(1925-2007年09年23日)日本美術院院友
後藤純男(1930-2016年10月18日)師山本丘人・田中青坪、日本美術院同人・理事、中国・西安美術学院名誉教授
後藤碩田(1805-1882年05月25日)師田能村竹田
後藤蘇雲(不明-不明)庄内町の人
後藤蘇山(不明-不明)師村瀬秋水
後藤大学(不明-1986)師川端龍子、新興美術院会員
工藤岱泉(1910-1982)日本南画院・春光会などの出品
後藤たき(1930-2001年01月16日)白士会会員
後藤釣雪(1846-不明)師村瀬秋水
後藤貞之介(1905-1958)京都絵画専修、師菊地契月
後藤奈牙遠(1811-1886年03月10日)臼杵藩家老、師中島広足
後藤梅巌(1807-1874)師山本梅逸
後藤晩青(1829-1898)師渡辺拈華
古藤半仙(1834-1892)藤井藍田・重春塘と交友
後藤芳仙(1904-1987年07月07日)師安田靫彦、大調和会の復活創立に参加、元日本美術院院友
後藤隆法(1890-不明)師奥村恭法
琴塚英一(1906-1982年02月21日)京都絵画専卒、師岡本大更、元青龍社社人
小永井小舟(1829-1888)儒者・佐倉藩士、名岳、字君山、通称八郎
小波魚青(1844-1918)師長谷川玉峰
小西皆雲(1828-1900)南画、師胡公寿・張子祥
小西皆雲(1832-1909)師蠣崎縉斎・鉄翁祖門
小西国葉(1914-不明)師前田青邨・平山郁夫、日本美術院特待
小西翠蘭(1838-1896)小西皆雲の妻
小西蒼山(1858?-1898)師中川愛山
小西長広(1892-不明)京都絵画専卒、日本画研究会蜜栗会結成に参加
木島桜谷(1877-1938年11月03日)師今尾景年、旧帝展審査員、京都市立絵画専門学校教授、円山四条派の流れを汲む叙情的な写実的画風
木間秀草(1901-1983年11月23日)師竹内蘆風
許斐白川(1872-不明)師木村耕巌
小波蔵安章(1832-1886)琉球の絵師、唐名は毛文達
小畠鼎子(1898-1964年01月26日)師川端龍子、青竜社社人
小浜亀角(1899-1985年09月29日)師岩橋英遠、日本美術院特待、旭川大学教授、大雪山をテーマにした
小早川清(1899-1948年04月04日)[美人画作品]師鏑木清方、帝展受賞
小早川好古(1888-1971)京都絵画専卒、師木島櫻谷、小早川秋声の弟
小早川秋声(1885-1974年02月06日)京都絵画専卒、師山元春挙、元北京国画院顧問、日展委員、新古典派宗教画
小林一意(1872-1931年01月29日)東美卒
小林雲岳(不明-不明)師小室翠雲
小林雲道人(1893-1972)僧侶、書・画・篆刻・陶芸と広く活動
小林永濯(1843-1890年05月27日)別号鮮斎、師狩野永悳
小林晦堂(1832-1891年11月30日)東京池上本門寺第六十二代貫主
小林華徑(1897-1980年04月05日)京絵卒、師土田麦僊・西村五雲、前号雅青
小林柯白(1896-1943年11月08日)師今村紫紅・安田靫彦、文展無鑑査、日本美術院同人
小林観爾(1892-1974年12月23日)京都絵画専卒、師荒木十畝、日展無鑑査、帝展特待
小林寒林(1814-1887)椿椿山に学ぶ、名翠、字幹
小林菊枝(1926-不明)女流創作日本画会会員
小林玉潤(1841-1877)小林蔵六の妻
小林藕塘(1832-1908年01月)師渡辺小華
小林月峰(1834-1888)狩野派、師山野峻峰斎
小林源太郎(1883-1951年10月27日)東美卒、養祖父結城正明に学ぶ、成層絵画研究集団結成
小林恒岳(1932-2017)師小林巣居人、新興美術院常任理事
小林呉嶠(1871-1928年11月12日)師今尾景年、号日昇斎、日本美術協会委員
小林古径(1883-1957年04月03日)[美人画作品]文化勲章、文化功労者、日本芸術院会員、帝室技芸員、師梶田半古、日本美術院同人、東美教授
小林五浪(1926-2005)師福王林法人、日本美術院特待
小林三季(1893-1971)藤島武二に洋画を学んだのち梶田半古に師事、新興美術院創立同人
小林朱土(1912-2004年07月20日)師加藤栄三、日展会友
小林淳亮(1929-2007年02月01日)東京芸大卒、師安田靫彦、日本美術院院友
小林正路(1923-2002年04月16日)師児玉希望、日展会友、志木市美術協会会長
小林松僊(1877-1946年02月11日)師竹内栖鳳・山元春挙・川合玉堂、名清六
小林晴楓(不明-不明)日本民俗資料館
小林石雲(1889-不明)師児玉果亭
小林草悦(1885-不明)師平福百穂・川端龍子、日本美術院院友
小林巣居人(1897-1978年09月25日)師小川芋銭・平福百穂、新興美術院創立同人
小林草月(1906-1986年10月)師小室翠雲、日本南画院理事、日中水墨画協会理事
小林蔵六(1837-1878)南画家、妻は小林玉潤、師椿椿山・山本琴谷・福田半香、名明、字子益、号友竹居
小林大幾(1911-1984年10月14日)師八木岡春山・堅山南風、日本美術院特待、菊川多賀らと八晃会結成
小林忠(1910?-2002年01月30日)日本画府理事
小林竹石(1838-不明)独修
小林長陵(1847?-1884年11月)師飯島文常・長谷川嵐渓
小林恒火子(1916-2011年07月25日)師玉村方久斗、八元会会長
小林天外(1845-1929)書画や漢詩をよくした
小林珮芳(1799-1879)師小橋香村・鉄翁祖門、小林栄秀の三女、東夢亭の妻
小林彦三郎(1896-1987年10月17日)京都絵画専卒、師山元春挙・西山翠嶂・川端龍子、元大輪画院主宰
小林秀恒(1908-1942年09月10日)挿絵画家
小林等(1910-2003)兵庫県日本画家連盟参与
小林黙山人(不明-不明)佐伯藩士、師広瀬淡窓
小林養建(1815-1876)師狩野晴川院養信・馬場伊歳
小林磊渓(不明-不明)内国絵画共進会出品
小林立堂(1903-不明)師川崎小虎、元日本画会会員
古原鶴谷(1847?-1923年10月16日)師十市王洋
古曳盤谷(1807-1885年06月)師岡田半江・山本梅逸、名愿、字正民、別号鋤竹斎
小藤圓太(不明-不明)師別所春濤
小堀喜代栄(1918?-1997年10月06日)創作画人協会理事、ル・サロン理事
小堀鞆音(1864-1931年10月01日)帝国美術院会員、帝室技芸員、師川崎千虎、展審
小堀碧山(不明-不明)南画
小堀墨秀(1915-2005年08月29日)師堅山南風、日本扇面芸術協会運営委員
小堀安雄(1902-1970)師小堀鞆音・安田靫彦、日展特選
駒瀬暁洋(1878-1950)新聞記者のかたわら絵を描いた
小俣王水(不明-不明)師十市石谷
小松雲涯(1833-1919)師服部武陵・春木南溟
小松應春(1878-1943)土陽美術会高知支部会員
小松甲川(1861-1938)師佐多椿斎・柳田龍雪・鍋倉春窓
小松砂丘(1896-1975年11月)師筏井竹の門、金沢最後の文人墨客と称された
小松秋洋(1844-不明)師十市王洋
此松春峰(不明-不明)南画
小松澄佳(1926-1998年01月28日)東美卒、師小倉遊亀、日本美術院特待
小松洞玉(1831-1893)師前村洞和
小松南渓(1826?-1890年05月09日)師長谷川嵐渓
小松均(1902-1989年08月23日)[美人画作品]文化功労者、日本美術院同人、芸術選奨、師土田麦僊
小松正二(1940-2017年09月11日)日展準会員、特選2、師堂本印象、東丘社
小松原翠邨(1898-1995年01月21日)師竹内栖鳳・翠濤、兵庫県日本画家連盟参与、西日美会長
小松原良之進(1883-1944)師菅原嘯雲
小味丑太郎(1847-1913)絵金派
五味秋篁(1883-不明)師奥村恭法・竹内栖鳳・渡辺秋谿、別号秋皐
小南香堂(1891-1957)土陽美術会会員
小峯大羽(1873-1945年05月24日)師狩野洞谷
小宮栄泉(1921?-1991年11月)日本清興美術協会会員
小宮綿石(不明-不明)土佐派
小宮好信(不明-1890?)狩野派、師鎌田堅白
小宮大宙(1907-不明)京都絵画専門学校卒業
小宮山俊(1918-2006年09月12日)師結城素明、新美術協会理事長
古村紘一(1941-不明)院展院友
小村雪岱(1887-1940年10月17日)[美人画作品]東美卒、師松岡映丘・荒木寛畝、国画院同人
古村徹三(1909-1982年07月02日)師中村貞以、日本美術院院友
小村桃里(1820-1891)師古屋竹原
小村洞里(1819-1891)師弘瀬洞意、狩野派
小室怡々斎(1837-1900年12月17日)出羽久保田藩藩士、別号耕雲館主人
小室谿邨(不明-1914)文人画家、翠雲の父、名牧三郎
小室翠雲(1874-1945年03月30日)日本芸術院会員、帝室技芸員、師田崎草雲、日本南画会・日本南画院の設立に参加
小森研甫(1884-1932)東美卒、師荒木寛畝
古森鼓☆(1872-不明)師杉原鼓澤、☆は「土」+「厓」
小森天籟(1887-1973年10月29日)東美卒、師松岡映丘
小谷津任牛(1901-1966年05月19日)[美人画作品]川端画学校卒、師小林古径、日本美術院同人
小谷津雅美(1933-2011年10月11日)師小谷津任牛・安田靫彦、日本美術院同人
小柳創世(1906-1983年07月05日)京都絵画専卒、師土田麦僊・橋本関雪、日本南画院常務理事、創造美術会会員
小薮白江(1889-1963)師津田白印
小山雲泉(1855-1911年12月25日)南宗画、師中田熊峰、別号芝石道人
小山栄達(1880-1945年08月18日)師小堀鞆音、文展褒状
小山汪水(1858-1935)渡辺小華の門人、通称伝二郎、初号華谷、別号甞百艸堂
小山松渓(1863-1903年11月01日)小山杉渓の養子、師服部波山・小野湖山、本姓伊藤、名堅、字子鑽、通称三木造
小山大月(1891-1946年07月02日)師松本楓湖、日本美術院同人
小山聴雨(1816-1893)師中島広足
是永学秀(1900-不明)師堂本印象
紺一彩(1929-2002年07月10日)無所属
今田青宏(1909-1988年05月06日)師荒井寛方・中村岳陵、院展・日展出品、別号青康
今田彦治(1909-1969年09月03日)川端画学校卒、師福王寺法林
近藤五浦(1924-不明)師藤田隆治
近藤一雄(1923-2010年12月09日)師寺田白鳳、白鳳社会員
近藤乾年(1894-1984年05月23日)京都絵画専卒、師寺崎広業、川崎小虎らと日本画院を創設
近藤浩一路(1884-1962年04月27日)[美人画作品]東美洋画卒、日展会員、白日会創立会員、元日本美術院同人、水墨画、諷刺画
近藤香村(1857-1934年01月12日)長崎で南画を学んだ
近藤弘明(1924-2015年09月13日)東美卒、師山本丘人、創造美術・新制作展出品
近藤紫雲(不明-不明)大正後記から終戦まで小説の挿絵を描いた
近藤樵仙(1866-1951)師杉谷雪樵、文展褒状、日本美術協会委員審
近藤昌鳳(1898-不明)師西山翠嶂、名良一
近藤翠嵐(1890-1954)岩波其残に私淑
近藤泰山(1868-1930年12月)師川端玉章
近藤藍圃(1832-1914)師高木豊水
近藤千尋(1903-1995年06月14日)師前田青邨、日本美術院特待、法隆寺金堂壁画模写修復などに携わった
近藤桃江(不明-不明)師小田海僊・熊斐
近藤東来(1850-1925)近藤乾年の父
近藤白鳳(1899-不明)師小寺雲洞・西山翠嶂、名良一
近藤美光(1936?-2008年03月24日)師岩田彌光王、連展会長、元日本画府理事
今野雨洗(1879-1939)師佐藤耕雲
今野可啓(1898-1986)京都絵画専卒、師植中直斎・堂本印象
紺野朱泥(1913-1964年10月19日)長岡商業学校卒業後、画や俳句を学んだ
今野忠一(1915-2006年04月15日)師郷倉千靱、日本美術院同人・常務理事
今野由恵(1927-1996年01月04日)無所属