画人伝・岡山 南画・文人画家 花鳥画

岡山の近代南画家、河合栗邨と門人

河合文林「秋圃双鶴図」

浅口郡西阿知村生まれの河合栗邨(1851-1908)は、小野竹喬の祖父である白神澹庵(1825-1888)に南画を学び、のちに井原に栗邨画房を開いて郷土の画家を指導した。そのためこの地方に南画が広まった。門人には長男の河合文林をはじめ、渡辺鼎溪、森六峰、藤井琴谷、高木栗軒らがいる。

河合栗邨(1851-1908)
嘉永5年浅口郡西阿知村生まれ。名は龍、通称は春畝、旧姓は小淵。後月郡芳井村の河合家を継ぎ、のちに井原市に移った。少年のころから玉島の白神澹庵に南画を学び、鎌田玄渓に詩文を学んだ。画は山水、花鳥を得意とした。明治41年、57歳で死去した。

白神澹庵(1825-1888)
文政8年生まれ。備中松山の人。小野竹喬の祖父。通称は謙蔵。別号に半渓がある。はじめ四条派を学び、南画に転じた。玉島の柚木家に寄寓して作画した。彫刻、篆刻にも長じた。明治21年、64歳で死去した。

渡辺鼎溪(1857頃-1905)
安政4年生まれ。後月郡芳井村飯名の人。通称は省吾。興譲館に入って坂田警軒に漢籍を学び、河合栗邨について南画を研究、のちに京都に出て九江、逸鵬の門を訪れて研鑽し、花鳥、山水をよくした。明治30年、49歳で死去した。

河合文林(1875-1912)
明治8年後月郡井原村生まれ。河合栗邨の長男。幼名は元之助。別号に復堂がある。はじめ備後福山の藤井松林に師事して四条派を学び、ついで京都の今尾景年の門に入った。画才に恵まれ、木島桜谷とならんで景年門の二俊才とよばれたが、健康を害し、10年余りの静養ののち、大正元年、38歳で死去した。

森六峰(1879-1946)
明治12年後月郡池谷村生まれ。本名は安太。別号に子兼、松嶽がある。はじめ河合栗邨に師事し、その後京都に出て田能村直入の門に入った。入門当時直入は80歳で、最晩年の弟子になるが、直入の画房「画神堂」に住み込み、師の歴遊の旅に同伴するなどして、短期間に直入の画法を学んだ。直入没後は郷里に帰り、文人と交わりつつ画業を続けた。昭和21年、68歳で死去した。

藤井琴谷(1879-1911)
明治12年後月郡明治村生まれ。名は彈、字は長嘯。16歳の時に河合栗邨に師事し、のちに大阪に出て森琴石の門に入った。明治44年、33歳で死去した。

高木栗軒(1880-不明)
明治13年生まれ。山口の人。医師・高木省斎の長男。名は折三。河合栗邨に南画を学び、一家をなした。

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文献:岡山の美術 近代絵画の系譜岡山の近代日本画 2000、岡山県美術名鑑、備作人名大辞典




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