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川口月嶺門下でも抜きん出た実力を示した実子の川口月村

川口月村「春馬之図」

川口月嶺には多くの門人がいたが、そのなかでも抜きん出た実力を示していたとされるのが実子の川口月村(1845-1904)である。月村は、幼いころから父に学び、8歳の時に父に従って八幡宮の流鏑馬を見て描いた絵が藩侯の目にとまり、筆墨を賜ったと伝わっている。また、武芸にも秀で、慶応4年の秋田戦争での活躍は、現存する「秋田戦地進道図」とともに長く語り継がれている。

慶応2年の月嶺の隠居により、早くに家督を相続したため、版籍奉還後の無収入に近い生活に苦しんだが、明治3年、25歳の時に画題を求めて函館に向かい、時の政府にその画才が認められ、札幌市街測量図作成などに従事した。

明治10年以降は内国勧業博覧会や内国絵画共進会などで受賞を重ね、東京美術学校の教師に推挙されたが、これを断ったと伝わっている。辞退したのが、日本画と西洋画を一緒に教える学校など嫌だという理由だったことから、西洋画科が増設された明治29年以降の話であると思われる。

川口月村(1845-1904)かわぐち・げっそん
弘化2年下野国烏山生まれ。幼名は亀次郎、字は冝寿。川口月嶺の長男。幼いころから父に画法を学んだ。慶応2年父の隠居により家督を相続するが、廃藩置県後は生活が困窮する。明治3年に画題を求めて函館に向かい、北海道開拓に出仕し測量図作成のかたわら多くの写生帖を残した。明治10年第1回内国勧業博覧会と翌年の第2回展で褒状を受けるなど展覧会で実績を残し、東京美術学校の教師に推されるが辞退した。明治37年、59歳で死去した。

岩手(11)-画人伝・INDEX

文献:川口家三代の画業、盛岡の先人たち、藩政時代岩手画人録、宝裕館コレクション




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