画人伝・高知 南画・文人画家 旅の絵師 山水・真景 花鳥画

土佐に来て影響を与えた画人、種田豊水と名草逸峰

種田豊水「花鳥図」

土佐の人ではないが、幕末から明治にかけて土佐に来て影響を与えた画人に、種田豊水と名草逸峰がいる。種田豊水は長門国(現在の山口県)に生まれ、小田海僊に学び旅絵師となり、蒔絵を土佐に伝えた。華やかな花鳥画も名高く、その蒔絵はやがて土佐古代塗の伝統工芸品となった。門人には、小川窓月、下司凍月、山脇信三、若尾瀾水、小栗正気、田村章溪、島内松南、竹村渭川、若尾葭、楠瀬豊山らがいる。紀伊の国に生まれた名草逸峰は、京都で小田海僊や野呂介石に学びながら勤王志士となっていたが、安政の大獄を逃れ旅絵師として諸国を遊歴し、土佐に来て山水画の日本画家として活躍、多くの弟子を育てた。門人には田所松雲、岩井王山、久保田天南、宮地逸斎、山岡米華、菊池魯岳、池内秋峯、日比逸亭、尾崎逸岳らがいる。

種田豊水(1832-1899)
天保3年長門国生まれ。はじめ郷里の大野花渕に学び、のちに京都に出て小田海僊の門に入った。諸国を旅し、名古屋の漆芸家・一国斎から漆芸を学んだ。その後、宇佐青龍寺の住職をしていた叔父を頼って土佐に渡ったといわれ、高知県佐川町の種田家の養子になった。明治維新後は高知で画家として活動、花鳥画を得意とし、島内松南や下司凍月ら多くの後進を育てた。漆芸でも山脇信三らを指導し、土佐古代漆の礎を築いた。明治32年、68歳で死去した。

名草逸峰「水墨山水図」

名草逸峰(1821-1889)
文政4年紀伊国生まれ。本名は芳太郎。小田海僊に画を学び、のちに野呂介石の画法を究め、さらに熊野で画道に精進した。明治10年頃に高知に来て、中央画壇の画法を修得した画家として、山岡米華、岩井王山、久保田天南ら多くの若者が入門した。内国勧業博覧会や内国絵画共進会などに出品、褒状を受けた。水墨山水画を得意とした。晩年は広島に住み、絵の指導をおこなった。明治22年、69歳で死去した。

下司凍月(1880-1980)
明治13年高知市生まれ。14歳で種田豊水に入門し、豊水没後は柳本素石に師事した。島内松南とは兄弟弟子。明治36年に上京し、橋本雅邦、川合玉堂に師事した。襖や陶器の絵付けなどで生活しながら画道に精進した。この頃、砲兵工廠の煙突に痩せた半月がかかっているのを見て、凍える寒風の中に自分の姿を見た思いから「凍月」と号した。土陽美術会の会員としても活躍。戦後は高知県展の発展に尽力した。昭和55年、101歳で死去した。

久保田天南(1875-不明)
明治8年香美市生まれ。本名は良行。名草逸峰、河田小龍に師事した。朝鮮に渡り、南画院を設立して活躍した。土陽美術会にも会員として参加した。没年は不明だが昭和初期まで活躍していたとみられる。

宮地逸斎(1847-1918)
弘化4年生まれ。字は季文。本姓は田中。藩医・田中文仙の三男。高知市北与力町に住んでいた。明治11年、名草逸峰が来遊した際に画法を学んだ。大正7年、72歳で死去した。

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文献:坂本龍馬の時代 幕末明治の土佐の絵師たち高知の美術 150年の100人展高知県立美術館収蔵品目録




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