河鍋暁斎(1831-1889)kawanabe-kyosai

河鍋暁斎「吉原遊宴図」(部分)

河鍋暁斎「吉原遊宴図」(部分)

7歳で歌川国芳に入門して浮世絵を学ぶが、10歳の時に狩野派の前村同和の門に移った。同和が病に伏したあとは、狩野洞白の下で学んだ。安政2年に鯰絵を描いて以来、美人画、武者絵、風刺画などの錦絵を数多く手がけた。28歳の時に惶々狂斎と号して「狂画」を描き、人気を博した。明治3年に描いた戯画が政府高官を風刺したものととがめられ投獄された。これを機に号を「暁斎」に改めた。独創的な作品を多く残している。

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