画人伝・北海道 アイヌ絵 風俗図・日常風景

アイヌ絵の終焉後もアイヌを主題に描いた木戸竹石

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鮭漁図屏風 木戸竹石 北海道開拓記念館蔵

明治9年に没した平沢屏山は、最後のアイヌ絵師と称され、その屏山の死をもってアイヌ絵は終焉したとされている。アイヌ絵のおおまかな定義としては「鎖国下にふくらむ好奇心が求めた異国趣味的絵画」とされているため、時代的な区切りともいえる。しかし、屏山没後も木戸竹石をはじめ、屏山の門人・木村巴江ら数人の絵師たちがアイヌを主題とした絵を描き、すくなくとも大正期半ばあたりまでは、近世から続くアイヌ絵の流れが続いていたと思われる。

木戸竹石は、函館の画家とする文献もあるが、『津軽の美術史』によると、幕末津軽藩の漢画系の画家・平尾魯仙や三上仙年に学び、漢画の技術によって山水画や花鳥画とともにアイヌを主題とする絵を描いたとされている。生没年など詳細な経歴は不明だが、明治中期から大正にかけて、クマ送り儀礼などを題材にした群集描写や山水にアイヌを配した作品を残している。

木戸竹石(不明-不明)
はじめ相馬栄蔵といい、のちに栄之助、寛蔵とも称し、木戸家に養子に入った。別号に寛斎がある。はじめ平尾魯仙に学び、のちに三上仙年に師事し、山水を得意とした。廃藩後は巡査となり、かたわら画道に励んだ。性格的には偏屈な面があり、人との交わりも少なく、奇人とも言われた。のちに函館に渡り、内国絵画共進会などに出品した。

文献:アイヌ絵とその周辺、描かれた近世アイヌの風俗、津軽の美術史

アイヌ民族の軌跡 (日本史リブレット)
山川出版社







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