江戸以前の画家一覧
か行
甲斐良郷(1761-1829)矢野派、師矢野雪叟
海眼浄光(1722-1786)黄檗宗の僧
海山宗恪(1769-1846)画僧
快處(不明-不明)紀州の僧、日高郡御坊町浄国寺の第九世
海田相保(不明-不明)戦国時代の画家
海北友松(1533-1615)桃山期から江戸前期の絵師、元信門、海北派の始祖
海北友雪(1598-1677)江戸前期の絵師、名道暉、友松の子、後狩野派
海北友竹(1654-1728)名従親、号道香、海北友雪の子
海北友樵(1817-1868)幕末の画家、友松後裔、友徳の子、字如聞、別号抑聞
貝谷采堂(1786-1835)師山本蘭亭・張月樵、名善、字公器、通称吉兵衛
可翁(不明-1345)14世紀前半に活躍した
可翁宗然(不明-不明)鎌倉・南北朝時代の僧、名良詮、臨済十世虚堂法孫
可翁良全(不明-不明)鎌倉末期から南北朝時代の画僧
加賀了順(不明-不明)狩野永徳の庶子
香川永仙(不明-不明)香川香琴の妹、名園蔡、字不淑
香川氷仙(不明-1815)香川素琴の妹
香川氷川(不明-1815)香川素琴の妹
蠣崎縉斎(1785-1863)師荒川晴海
蠣崎波響(1764-1826)松前藩家老、師建部凌岱・宋紫石・円山応挙
柿沼山岳(1774-1859)上州南画の先駆者
垣本雪臣(1777-1839)画家・歌人、師松村月渓、本姓菅原、通称貢
賀来佐之(1799-1857)医師、本草学者
賀来木龍(不明-不明)師吉原真龍
覚円(1031-1098)平安後期の画僧、大僧正、延暦寺座主
岳翁蔵丘(不明-不明)室町中期の画僧、周文系
鶴洲(1641-1730)僧、宮脇村祥福寺を開く、住吉如慶の二男
鶴舟(1504-不明)室町時代の画家
覚超(不明-1034)平安中期の画僧
鶴亭(1722-1785)[岐阜01]南蘋派の画僧、別号鶴亭・如是・五字庵
覚仁(不明-不明)平安後期の画僧
覚鑁(1095-1143)平安後期の僧侶、名正覚、師詫磨為遠、新義真言宗の開祖、諡号・興教大師
覚猷(1053-1140)平安後期の画僧、鳥羽僧正
筧痴仙(1817-不明)南画
華江(不明-不明)松江の人
香西主馬(不明-不明)香西太郎右衛門の子
風折有丈(不明-1797)師内藤東甫、別号交淡斎東湖
風間花車堂(不明-不明)師狩野友元
梶(不明-不明)歌人画家、京の祇園鳥居下の水茶屋・松屋の女主、祇園三女、姓徳山
梶旗山(不明-不明)師鈴木芙蓉
加治松庭(不明-不明)水戸藩士、立原杏所の門人、名貞、別号東岳
梶蝸角(1752?-1792)師内藤東甫、名規正、通所久太郎
我謝盛保(1787-1830)琉球の絵師、唐名は毛世輝
梶山良恭(不明-1837)矢野派、師義父矢野良勝・衛藤良行
柏木素軒(不明-不明)美人画
柏木蕗村(1807-不明)師田能村竹田・岸岱
柏屋平八(不明-不明)寛文頃の人、雲谷派の画をよくした
可睡越溪(不明-不明)曹洞宗の僧、越溪休覚
春日行秀(不明-不明)室町前期の画家、土佐行秀と同一
糠谷蘭汀(不明-1819)師張月樵、名東四郎、別号浄秀
加瀬谷東嶺(1789-1836)円山四条派
化蔵院(不明-1591)常州の人
片岡簡斎(不明-不明)師柴田義董
片岡篁斎(不明-1857)本名春輝、字元寿、初号功斎、依田竹谷に師事
片岡朱陵(1715-1768)矢野派、師矢野茂安
片岡撫陵(不明-不明)松江に住んでいた
片桐其山(1795-不明)蒲原郡高木村古新田の庄屋・片桐家五代、片桐遜堂の父
片桐浚暉(1837-不明)師浦上春琴・青根九江、三好雲鳳の子
片桐桐隠(1759-1819)師渡辺玄対、号蘭石
板谷桂意(1760-1814)土佐派、板谷慶舟の二男
片山九畹(不明-不明)中津藩の画員、師円山応挙
片山九皐(不明-不明)師円山応挙、片山九畹の子
片山索準斎守規(1772-1833)狩野派、片山守春の子
片山尚景(1628-1717)名親信、通称弥兵衛
片山翠谷(1786-1846)師五十嵐浚明・清水維明
片山豊泉(1785?-1865)師中川馬嶺
片山墨随斎守春(1720-1794)狩野派
片山無知(1735-1806)別号華岳
片山楊谷(1760-1801)本姓洞、名貞雄、通称宗馬、別号画禅窟
片山養和常寿(不明-不明)弘前藩お抱え絵師、師狩野常信
片山蘆雪(不明-不明)円山派
花朝(不明-不明)南画
葛蛇玉(1735-1780)鯉の絵を得意とし「鯉翁」と呼ばれた
克譲(1787-1864)伊予の画僧
勝田松翁(不明-不明)狩野派、勝田竹翁の子をされる
勝田随翁(不明-不明)狩野派
勝田竹翁(不明-不明)狩野派、別号翠竹庵
勝田友溪(不明-不明)狩野派、勝田松翁の門人
勝野范古(不明-1758)南蘋の画法を学んだと思われる
勝屋蘆山(不明-不明)似顔絵を得意とした
勝山琢眼(1747-1824)本姓安倍、名仲起、別号鶴嶺子
勝山琢眠(1747-1824)勝山琢舟の子
勝山啄舟(不明-1788)師山崎如流、のちに土佐派
桂静章(不明-不明)師中島来章
桂宗信(1735-1790)師月岡雪鼎
加藤遠塵斎(1734-1810)狩野玉燕に学ぶ、名信清、通称栄蔵
加藤遠澤(1643-1730)会津藩御用絵師、狩野探幽門下四天王のひとり
加藤甘谷(不明-1841)師伊豆原麻谷、名正利、通称五左衛門、別号江南
加藤澗斎(不明-不明)増田九木・岸駒に師事したとみられる
加藤久皐(1764-1822)津和野藩士、山水花鳥を得意とした
加藤石華(不明-1851)師森高雅・山本梅逸、名半二、別号玉暁・玉山
加藤雪溪(不明-1872)師長塩雪山
加藤雪潭(1809-1864)画家・武士、水戸藩士、松平雪山に学ぶ、名義智・彦太郎
加藤信清(1734-1810)狩野玉燕に師事した伝えられる、江戸の様々な寺に文字絵による仏画を寄進した
加藤礬桂(不明-1868?)通称辰蔵、加藤雪潭の子
加藤文昇(不明-1862)後藤文琳の門人
加藤文琢(不明-不明)師谷文晁
加藤文麗(1706-1782)師狩野周信、谷文晁の師、号豫斎
加藤碧潭(不明-不明)師立原杏所
加藤宝鶏(不明-1831)名立參、別号芳渓
加藤歩簫(1743-1827)師谷文晁
加藤泰恒(1657-1715)伊予大洲藩の第三代藩主
上遠野雪峰(不明-不明)名典膳、別号清水堂、「横手鷹」を描いた一人
門脇塔玉(1828-1871)師塔然
金井烏洲(1796-1857)画家・画論家、名泰、南湖門
鼎金城(1811-1863)鼎春岳の子、師岡田半江・金子雪操、名鉉、字子玉、通称平作、別号澱水
鼎春嶽(1766-1811)師福原五岳、鼎金城の父、名元新、通称太郎右衛門
金丸常昭(不明-1758)津和野藩士
金谷仏水(不明-1827)俳句・画をよくした
金子鶴村(1759-1840)儒者、南画をよくした
金子金陵(不明-1817)師谷文晁、名允、字君璋、崋山の師
金子雪操(1794-1857)本姓犬塚、名大美、字不言・孟玉、別号美翁
兼子天聾(1759-1829)儒者、長久保赤水の門人、名穆、字如風、通称八三郎
金子豊水(1815-1864)師渡辺崋山、名徳褒、字猛卿、通称武四郎
金子龍淵(不明-不明)名維明、字子常
金田吉太夫(不明-不明)師狩野探幽、狩野派
金谷三石(不明-不明)沈南蘋の画法を学ぶ、金谷興詩の父
金山半佛(不明-不明)佐渡金山の人、詩歌・山水をよくした
狩野章信(1763-1826)浅草猿屋町代地狩野家5代
狩野察信(1695-1759)狩野洞学幸信の二男、狩野芳崖の曽祖父
狩野敦信(1639-1718)号寿石、別名淳信、永徳門
狩野伊教(不明-不明)長岡藩お抱え絵師
狩野伊川(1775-1828)木挽町狩野七世、名藤原栄信
狩野一渓重良(1599-1662)名重良
狩野一渓良信(1630-1716)狩野一渓重良の子
狩野一殊牧(不明-不明)室町後期の画家
狩野一甫(不明-1815)狩野派、田辺
狩野永雲(不明-1697)松江藩御用絵師、師狩野安信、本姓太田、名稠信
狩野永翁(1731-1805)上田藩の絵師奈須永丹の子
狩野永温(不明-不明)鳥取藩御用絵師牧野家初代
狩野永岳(1790-1867)[岐阜14]京狩野家九代
狩野永敬(1662-1702)永納の長男、別号仲簡子
狩野永元(不明-1704)松江藩御用絵師、狩野永雲の長男
狩野永玄(不明-1730)松江藩御用絵師、狩野永雲の子
狩野永湖(初代)(不明-1769)岸信永寿の養子、北上市正覚寺の「砂ずりの杉戸」が知られる
狩野永錫(不明-1822)本姓三谷、名映信、通称徳之助
狩野永寿(1659-1736)師狩野永叔、本姓藤田、名俊信、通称宇平次
狩野永叔(1675-1724)師父狩野時信
狩野永俊(1769-1816)京狩野家永常の養子、通称縫殿助、号山朴
狩野永諄(1652-不明)佐土原藩の絵師、師狩野右京時信
狩野永梢(不明-1716?)京狩野家・狩野永納の二男
狩野永章(1761-不明)京狩野、別号景山洞玉
狩野永常(1731-1787)狩野永隆の子、京狩野家永良の養子、通称縫殿助、号山隆
狩野永真憲信(1692-1731)中橋狩野家九代主信の長男
狩野永碩(1683-1752)盛岡藩の常府狩野派絵師、狩野休山(初代)の子
狩野栄川(1730-1790)狩野栄川古信の長男、名典信、号白玉斎、叙法印、木挽町五世
狩野栄川院古信(1696-1731)木挽町狩野家三世周信の子
狩野永泰(不明-1842)京狩野の絵師、狩野永岳の弟、冷泉為恭の父
狩野永徳(1543-1590)桃山時代の絵師、狩野派を代表する画人、松栄の長男、叙法印
狩野永納(1631-1697)江戸前期の狩野派の絵師、山雪の長男、号一陽斎・梅岳堂・山静
狩野永伯(1687-1764)狩野永敬の長男、名清信、別号山亮
狩野永良(1739-不明)狩野永伯の養子、通称縫殿助、号山晟
狩野永琳(1767-1808)狩野高信に師事したと伝わる
狩野伯円(1642-1726)神田松永町狩野家・狩野友益の長男
狩野養信(1796-1846)狩野伊川院栄信の長男、木挽町家狩野派九代、狩野派最後の大家とも称される、著書『会心斎年記』
狩野恩信(1742?-1813)肥後狩野家八代
狩野一信(1816-1863)幕末の画家、狩野素川門、本姓逸見、通称豊次郎、号顕幽斎
狩野閑川(1747-1792)狩野常川の子、名昆信、別号青坡斎
狩野休円(1641-1717)麻布一本松狩野の祖、狩野永徳の弟休伯の三男
狩野休円(初代)(1627-1703)麻布一本松狩野家の始祖、狩野永徳の実弟・狩野休伯長信の三男
狩野休円(2代)(1729-1802)盛岡藩の常府狩野派絵師、狩野休山徳信の子
狩野休山徳信(不明-不明)二代休山
狩野休山(初代)(1655-1724)麻布一本松狩野家初代、盛岡藩の常府狩野派絵師
狩野休雪(1781-1827)盛岡藩の常府狩野派絵師、師狩野洞白愛信、狩野休補の孫
狩野休伯(2代)(1621-1688)名昌信、松栄の子、叙法橋
狩野休補(1726-1775)盛岡藩の常府狩野派絵師、狩野永碩の子
狩野玉栄(1730-1804)御徒士町狩野家・狩野玉燕季信の二男
狩野玉燕(1683-1743)二代狩野休伯の三男、兄休碩の養子、名季信
狩野玉楽(不明-不明)室町末期の画家
狩野九郎太(不明-不明)狩野左京門、伊達政宗による仙台城本丸造営工事のため近畿より招来された画工のひとり
狩野匡信(不明-不明)狩野恩信の実子
狩野邦信(1787-1840)狩野探牧の二男、中橋狩野家泰信の養子、号探芳・祐清
狩野元俊(1588-1672)狩野元信の二男
狩野兼信(1753-1808)江戸城の襖絵を描いた
狩野源助ペドロ(不明-不明)江戸前期のキリシタン・狩野派絵師
狩野元仙(1685-1751)駿河台狩野三世、台野信の長男、名方信
狩野興以(1569-1636)安土桃山期から江戸前期の狩野派の絵師、光信門、別号興意法橋
狩野興雲(不明-1672)名孝信、父の狩野興也に学ぶ
狩野興益(初代)(不明-1705)紀伊藩御用絵師、狩野興甫の長男
狩野興之(不明-1635)安土桃山期から江戸前期の狩野派の絵師、狩野興以の三男
狩野興信(不明-不明)秋田狩野派の祖・狩野定信の妻の弟
狩野厚信(不明-1832)高松藩絵師、狩野明善の養子
狩野興碩(1667-1739)狩野元昭の四男
狩野興伯(不明-1707)紀伊藩御用絵師、狩野興益の長男
狩野興甫(不明-1671)紀伊藩御用絵師、狩野興以の長男、通称弥右衛門
狩野興也(不明-1673)狩野興以の二男、通称利右衛門、別号伯甫
狩野惟信(1753-1808)木挽町狩野六世、号養川院・玄之斎
狩野定吉(不明-不明)仙台藩初期画工のひとり
狩野定信(不明-不明)秋田狩野派の祖
狩野貞信(1597-1623)江戸前期の狩野派の絵師、祖父永徳私淑、狩野光信の子
狩野山雪(1590-1651)江戸前期の狩野派の絵師、号蛇足軒
狩野山卜(不明-不明)狩野山楽に学ぶ、名良次、通称権之助、別号不及子
狩野山楽(1559-1635)安土桃山期から江戸前期の狩野派の絵師、名光頼、師永徳
狩野実信(不明-不明)師狩野休山
狩野自得(不明-不明)岡山藩御用絵師
狩野秀元(不明-不明)名貞信、号蒼雪庵、狩野秀水の養子
狩野秀水(不明-不明)秋田藩江戸定居の御用絵師
狩野秀東(不明-不明)戸村家に仕えた
狩野受川(1715-1731)狩野随川甫信の長男、名玄信
狩野春賀(不明-不明)狩野春湖の子、名理信
狩野春湖(不明-1726)師狩野春雪、名元珍
狩野春雪(1614-1691)元俊の子、山下狩野家
狩野舜川(1800-1816)浜町狩野家五代融川の長男
狩野昌安(不明-不明)安土桃山期の絵師
狩野昌運(1637-1702)狩野安信門、狩野了昌の養子名、名季信、通称市右衛門、別号釣深斎
狩野松栄(1519-1592)安土桃山時代の狩野派の絵師、名直信、狩野元信の子、狩野四世、叙法眼
狩野宗秀(1551-1601)安土桃山期代の狩野派の絵師、名秀信、狩野松栄の子
狩野常眞(不明-1697)高松藩絵師、師狩野安信
狩野常川(1717-1770)浜町狩野家二代甫信の子
狩野松伯(不明-不明)師松栄・長信、初め直木与市と名のる、号雪川
狩野松林(不明-1835)盛岡藩の常府狩野派絵師、狩野休円(2代)の子
狩野如水(不明-不明)師狩野乗信
狩野如林(1802-1871)狩野洞学の養子
狩野松林喜信(不明-1835)盛岡藩の常府狩野派絵師
狩野如林乗信(1711?-1781)狩野洞学家が断絶したため狩野如林を名乗り如林系の祖となった
狩野如林宗信(1802-1871)狩野如泉の子
狩野真笑(不明-不明)秀頼の子、元信の孫、名秀信、叙法眼
狩野甚之丞(不明-不明)桃山後期の画家、狩野宗秀の子、永徳の甥
狩野随川(不明-1745)常信の二男、周信の弟、名岑信、浜町狩野家の祖
狩野随川院甫信(1692-1745)木挽町狩野常信の第三子
狩野随川峯信(1662-1708)木挽町狩野家常信の二男
狩野晴皐(1797-1867)長府藩御用絵師狩野陽信の子、狩野芳崖の父
狩野泉碩(1682-不明)奈須泉石の子、別号泉竹
狩野宗益(1786-1870)神田松永町狩野家の最後の表絵師
狩野宗心(1568-1620)築地小田原町狩野家の祖、名種永、通称甚十郎
狩野即誉(不明-1734)神田松永町狩野家・狩野友益の第四子、愛宕下狩野家の祖、名種信
狩野即誉(不明-不明)狩野派の絵師、愛宕下狩野家の即誉とは別人
狩野素雪(不明-不明)彦根の絵師
狩野祖酉(1556-不明)狩野松栄の養子、本姓工藤、名家政・秀家・秀信
狩野高信(1740-1794)肥前の絵師、中橋狩野家十一代英信の長男
狩野隆長(不明-不明)師狩野永納
狩野孝信(1571-1618)安土桃山期から江戸前期の狩野派の絵師、永徳の子、叙法眼
狩野種信(1600-1638)江戸前期の狩野派の絵師
狩野探淵(1805-1853)探信守道の子、叙法眼
狩野探原(1829-1866)幕末の画家、狩野探淵の長男、名守経
狩野探常(1705-1756)狩野探信の二男
狩野探信守政(1653-1718)探幽守信の長男
狩野探信(初世)(1653-1718)別号忠淵、狩野探幽の子
狩野探信守道(1785-1835)奥絵師、鍛冶橋狩野七代目
狩野探雪(1655-1714)探幽の二男、名守定、別号孟隣斎、幕府絵師
狩野探船(1686-1728)狩野探信の長男、名章信、鍛冶橋狩野を継ぐ
狩野探牧(1762-1832)別号探朴、名守邦、鍛冶橋家六世
狩野探幽(1602-1674)江戸前期の狩野派を代表する絵師、鍛冶橋狩野派、名守信、孝信の子
狩野探龍(不明-1855)江戸時代の画家
狩野探林(不明-1776)鍛冶橋狩野家・狩野探常の長男
狩野周信(1660-1728)常信の長男、木挽町三代、号如川・国燕
狩野中信(1811-1871)号董川、叙法眼、浜町狩野家
狩野常信(1636-1713)木挽町狩野二代、狩野尚信の子、号養朴
狩野英信(1717-1763)中橋狩野家九代主信の二男
狩野洞雲(1625-1694)駿河台狩野祖、名益信、叙法眼
狩野洞益(不明-1841)駿河台狩野六世
狩野洞学(不明-1743)津山狩野家の祖とされる
狩野洞元邦信(1643-1706)猿屋町代地狩野家素川信政の二男
狩野洞索(1764?-1844)師狩野梅二・狩野洞寿
狩野洞壽(不明-1777)師狩野永徳、狩野洞琳の子
狩野洞春(4代)(1747-1797)名福信、洞雲養子、駿河台狩野四世
狩野洞春(9代)(不明-不明)駿河台狩野九世
狩野洞春(2代)(不明-1724)駿河台狩野二世
狩野洞春福信(不明-1723)駿河台狩野家の二世
狩野董川中信(1811-1871)木挽町狩野家六代伊川院栄信の六男
狩野洞白(5代)(1771-1821)名愛信、駿河台狩野五世、表絵師、叙法眼
狩野洞白(7代)(不明-不明)駿河台狩野七世
狩野時信(1642-1678)狩野安信の長男
狩野俊信(1635-不明)狩野派、金沢市内に作品が残っている
狩野内膳(1570-1616)安土桃山期から江戸前期の狩野派の絵師、松栄門、別号一翁
狩野尚信(1607-1650)江戸前期の狩野派の絵師、木挽町狩野派祖、号自適斎、孝信の二男
狩野栄信(1775-1828)狩野養川院惟信の子、木挽町狩野家八代目、号伊川院・玄賞斎
狩野長信(1577-1654)安土桃山期から江戸前期の狩野派の絵師、号休伯、松栄の末子
狩野成信(1604?-1675)肥後狩野家四代
狩野信政(1607-1658)狩野祖酉長男、狩野孝信の娘婿、のち探幽の娘婿、通称外記、号素川
狩野憲信(1692-1731)狩野派一〇世、初名季信、父主信、奥絵師
狩野梅栄(1642-1700)深川水場狩野家、狩野春雪の子
狩野梅玄(不明-不明)師狩野梅二・狩野洞寿
狩野梅二(1704-1786)師狩野梅栄
狩野梅笑(1727-1807)東東洋を嗣子とした
狩野梅星(不明-不明)狩野梅二の子とみられる
狩野伯圓(1642-1726)神田松永町狩野家友益の子
狩野胖幽(1649-1730)久隅守景の子、師狩野探幽、吉原通いが過ぎ、主人に不届きがあったとして佐渡に流罪になった
狩野秀頼(不明-不明)室町後期から安土桃山時代の狩野派の絵師、元信次男、叙法橋
狩野寛信(1778-1815)閑川の子、狩野融川と同一
狩野弘信(初代)(1640?-1702)肥後狩野家五代
狩野弘信(2代)(1792?-1833)肥後狩野家九代
狩野文周(不明-不明)肥前の絵師、狩野元頼と同一、京狩野に学んだ
狩野墨川(不明-不明)狩野派
狩野正信(1434-1530)室町後期の絵師、周文門、狩野派の始祖
狩野昌信(1595-1662)狩野休伯長信の長男
狩野益信(1625-1694)駿河台狩野の開祖、狩野探幽の養子
狩野典信(1730-1790)木挽町家狩野派六代目
狩野光信(不明-1608)安土桃山時代の絵師、狩野永徳の子、狩野派六世
狩野岑信(1662-1726)浜町狩野派、常信の二男、号随川・覚柳斎
狩野宗信(1514-1562)戦国時代の画家、狩野祐雪と同一
狩野元昭(1623-1681)狩野了之の子
狩野元祐(不明-不明)師狩野元信
狩野元信(1476-1559)室町末期の画家、狩野派の画風を確立
狩野主信(1675-1724)中橋狩野第九世、別号澹然、幕府奥絵師
狩野守則(不明-不明)岡山藩御用絵師
狩野師信(1667?-1710)肥後狩野家六代
狩野泰信(1767-1798)中橋狩野家十二代高信の長男
狩野安信(1614-1685)江戸前期の狩野派の絵師、号牧心斎、中橋狩野派、孝信の子
狩野友益(不明-不明)表絵師・神田松永町狩野家を興した
狩野祐雪(不明-1545)戦国時代の画家、狩野元信の長男、名宗信、通称四郎次郎
狩野融川(1778-1815)名寛信、別号友川、浜町五代目、叙法眼
狩野友川(不明-1831)浜町狩野家五代融川の二男
狩野友巴(不明-1654)肥前の絵師
狩野幸信(1696-1761)肥後狩野家七代
狩野之信(1513-1575)戦国時代から安土桃山時代の画家、正信の次男、狩野元信の弟
狩野雪信女(1643-1682)狩野探幽の娘、清原雪信と同一
狩野養行(不明-不明)肥後狩野派
狩野養拙(不明-不明)戦国時代の画家画家
狩野甫信(不明-1745)浜町狩野派、号青柳斎、随川、峰信弟、奥絵師
狩野由信(不明-1820)洞庭興信の子
狩野美信(1625-1694)号洞春、式部卿法眼、幕府絵師
狩野吉信(1552-1640)号昌庵、師永徳・光信
狩野柳栄(不明-不明)山内伊村の門人
加納笠斎(不明-1868?)通称与右衛門、別号化龍
狩野了之(不明-1660)越前家御用絵師
狩野了承(1768-1846)庄内藩絵師、師狩野探信
狩野凉岷(貴信)(1751-1814)水戸藩絵師、師狩野探信
狩野凉岷(跡信)(不明-不明)狩野凉岷(貴信)の子
狩野涼珉(1751-1814)本姓池田、名貴信、池田幽石の子
狩野派常房(不明-不明)俳人長野馬貞賛の画幅が残っている
加波鹿鳴(不明-不明)能登の商人、師呉俊明
川平正肖(1698-1761)八重山の絵師
鏑木雲潭(1782-1853)師谷文晁、市川寛斎の子、号尚左堂
鏑木梅溪(1750-1803)荒木元融の門人で、沈南蘋に私淑したと思われる
鏑木梅亭(1804-1830)鏑木雲潭の長男
可卜(不明-不明)室町期の画僧、鎌倉建長寺住職、啓書記に絵を学ぶ、別号棟隠子
鎌田巌松(1798-1859)名子寛、号秀一、師狙仙・藍江
鎌田景麟(1808-1864)師松村景文
鎌田呉陽(1802-1858)師松村呉春
神谷栄春(不明-不明)水戸藩の画員、名惟雪、別号養秋
神谷慶秋(初代)(不明-1860)尾張藩御用絵師、神谷秋山の養子
神谷慶秋(2代)(不明-1856)尾張藩御用絵師、神谷慶秋(初代)の子
神谷高秋(不明-1860)尾張藩御用絵師、神谷慶秋(2代)の養子
神谷三圭(不明-不明)尾張藩御用絵師、神谷晴真の子
神谷秋山(不明-1818)尾張藩御用絵師、央秋の子
神谷晴雲(1793-1826)尾張藩御用絵師、木挽町狩野九代晴川院養信の門人、今村養寿の長男、名玉真・養顕、字碧峯、別号竹斎・養朔
神谷晴秋(不明-不明)尾張藩御用絵師
神谷晴真(不明-1862)尾張藩御用絵師、木挽町狩野九代晴川院養信の門人、神谷養朔の子、別号元真
神谷養朔(不明-1824)神谷詮敬の養子
神谷養寿(不明-1808)木挽町狩野七代養川院惟信の門人
神谷養秋(不明-1811)尾張藩御用絵師
神谷養周(不明-不明)尾張藩御用絵師
亀井幻弇(1750-1816)師月僊
亀井茲方(1817-1846)津和野藩主亀井家十二代
亀井茲胤(1725-1752)津和野藩主亀井家七代
亀井茲親(1669-1731)津和野藩主亀井家四代
亀井茲尚(1786-1830)津和野藩主亀井家十代
亀井少琴(1798-1857)亀井昭陽の長女、名友、原采蘋とともに鎮西二女史と称された
亀井竹溪(1784?-1847)讃岐の南蘋派、師父亀井東溪の子
亀井東溪(1748-1816)讃岐の南蘋派
亀井南皐(1798-1855)師春木南溟
亀井矩賢(1766-1821)津和野藩主亀井家九代
亀井矩貞(1739-1814)津和野藩主亀井家八代
亀岡規礼(1770-1835)名光茂、字子恭、応挙門十哲
亀田鶴山(1768-1834)金沢の家柄町人、師岸駒・頼山陽
亀山松濤(1818?-1841)師浦上春琴
亀山醴泉(1784?-1810)師呉春
蒲生羅漢(1784-1866)師谷文晁
辛島東溪(不明-不明)医師、田能村竹田と親交があった
唐橋君山(1745-1800)竹田と江漢の師匠
軽部竹堂(不明-1868?)名愼、人見淇堂に学ぶ
河合雪峨(不明-1866)師沖一峨
河合智月(1633?-1718)歌人画家・女流俳人
川井田正蔵(不明-不明)師永井慶竺
川上松岳(1823-1860)師谷口靄山・貫名海屋
川上遷有(不明-不明)師萩谷セン喬
川口月嶺(1811-1871)盛岡藩の円山四条派、川口月村の父、字有度、通称七之助、別号真象
河窪信雄(1601-1639)江戸前期の絵師
川崎竹山(不明-1868?)松平雪山・野沢白華に師事
川地柯亭(1780-1872)福井藩士、師谷文晁
川島一谷(1803-1870)長崎で南画を学んだ
川尻岱雲(不明-不明)明治初期の画家
河田雲岫(不明-不明)師小野雲鵬
河内卓坡(1796-1830)京都・大坂を巡ったが恵まれず35歳で没した
河西雪渚(不明-1868?)松平雪山の門人、通称蕭
川西東原(1780?-1839)師長町竹石
川端探濬(不明-不明)師山路探定
川原慶賀(1786-不明)長崎派の洋風画家、シーボルトお抱え絵師
河原南汀(1776-1831)土佐派、広島藩御用絵師
川原慮谷(不明-1872)川原慶賀の子
河村琦鳳(1778-1852)河村文鳳の養子
河村若元(1668-1744)肥前の絵師、師河村若芝(初代)、本姓小川、名道昌、字蘭栄、別号痴翁・華山
河村若芝(初代)(1630-1707)肥前の絵師、師逸然性融、僧名道光、号蘭溪
川村東仙(不明-不明)師東東洋、川村夢得の子
河村文鳳(1779-1821)岸派の絵師、岸駒に師事
川村夢得(不明-不明)師東東洋、川村春洋の父
河本雲痴(不明-不明)医師のかたわら書画に親しんだ
河本容軒(不明-不明)師来章
河原田兎毛(不明-不明)角館の画家
閑々子(1752-1827)阿波の画僧
岸規(不明-1864)師岸岱、江陵岸賢の子
頑極(1748-1808)画僧、興聖寺の僧
岸駒(1749-1839)岸派の祖
寛舜(不明-不明)鎌倉前期の画家
岸翠(不明-不明)京都で岸派に学ぶ、永島蕉六
神田宗庭(不明-不明)江戸幕府お抱え絵師、日光東照宮の御用をつとめた
神田単龍(1821-不明)美人画、師吉原真龍
神田露光(不明-不明)詩文がうまく書画も得意とした
岸岱(1782-1865)岸駒の長男、姓岸、初名国章、字君鎮、別号卓堂・虎岱
神足高雲(不明-不明)狩野探幽に学ぶ、探幽門下の四天王と称された、名守周、通称善右衛門、別号幽讃・常庵
観音寺祥巌(不明-不明)竹田観音寺主
神庭松嶺(不明-不明)師陶山勝寂
神原玉江(1823?-1861)四条派
神原鳳章斎(不明-1854)犬山城主成瀬家に仕え画を描いた
寛燿(不明-不明)鎌倉末期の画家
岸良(1798-1852)岸駒の娘婿、字子良、号画雲
祇園餐霞(1713-1791)祇園南海の二男
祇園井特(1755-1815?)[美人画作品]江戸中期から後期の浮世絵師、師系は不詳
祇園鉄船(1713-1791)名尚濂、字師援、南海の子
祇園南海(1676-1751)画家・儒学者・漢詩人、名正卿、字伯玉
菊田伊洲(1791-1853)仙台四大画家のひとり、師狩野伊川院栄信
菊田伊徳(1785-1851)仙台藩御用絵師、師狩野伊川院栄信
菊田栄羽(1712-1776)小川破笠の子で菊田栄喜の養子
菊田栄喜(1683-1742)仙台藩画員・菊田家の絵師
菊田栄秀(不明-不明)仙台藩画員・菊田家の絵師
菊田喜膳(不明-不明)仙台藩画員・菊田家の祖とされる
菊田東羽(1747-1817)菊田栄羽の長男、菊田伊洲の義父
菊池教中(1828-1862)幕末の勤王家、書画をよくした
菊池江外(不明-1868?)名徳、南画山水
菊池東籬(不明-1868?)松平雪山に師事、通称修平
菊地南山(不明-1835)名武博、通称良右衛門、別号煙霞釣客・画仏・自適庵
喜久元智重(不明-不明)久米島士族
木崎隆川(初代)(不明-不明)府内藩絵師、師狩野由信
木崎隆川(2代)(1803?-1872)府内藩絵師、狩野派
義産(1775-1838)画僧、小川鴎亭に学び、清源寺や宇治興聖寺などで修行
岸八行(1794-1857)師岸駒、岸派
岸遊鳳(不明-不明)岸派
崖熊野(1734-1813)紀伊藩の儒学者
岸連山(1804-1859)師岸駒、本姓青木、名徳、字士進
喜多元規(不明-不明)江戸前期の洋風画家、通称長兵衛
喜多宗雲(不明-不明)喜多氏一家で肖像画に長けていた
喜多武清(1776-1857)師谷文晁、字子慎、通称栄之助、別号可庵・五清堂
喜多道矩(不明-1663)江戸前期の画家
北川観雪(不明-1830)八戸藩お抱え絵師、本名小川潤、別号墨亭・菊麿・喜久麿・月種
喜多川相説(不明-不明)俵屋宗雪の後継者
北島勝永(1795-1867)師矢野良勝、筑後柳川立花藩絵師
喜多女(不明-不明)江戸時代の絵師
北野勝永(1795-1867)師矢野良勝・周峰
北原秦里(1785-1829)師箕浦髪山
北山寒巌(1767-1801)洋風画家、父の馬道良に学んだ、別称樊泥亀
義沖(1282-1352)博多承天寺の画僧
木津成助(1782-1853)岸派、師岸駒
吉川五明(1731-1803)画家・俳人
吉祥寺佛母(不明-1854)吉祥寺第七世寺主
木戸鶴仙(不明-1814)師鶴亭
喜名楽山(不明-不明)師佐渡山安健
木梨恒充(不明-不明)土佐派
衣笠守岡(不明-1789)福岡藩絵師衣笠家四代、衣笠守恒の子
衣笠守起(不明-1798)福岡藩絵師衣笠家五代
衣笠守恒(不明-1758)福岡藩絵師衣笠家三代、衣笠守弘の子
衣笠守弘(不明-1743)福岡藩絵師衣笠家二代、師狩野探幽、衣笠守昌の子
衣笠守昌(不明-1705)福岡藩絵師衣笠家初代、師狩野探幽
衣笠守由(1785-1852)福岡藩絵師衣笠家六代
紀楳亭(1734-1810)南画家・俳人、名時敏、号九老、師蕪村、紀梅亭とも
紀梅亭(1734-1810)南画家・俳人、名時敏、号九老、師蕪村、紀楳亭とも
木下逸雲(1799-1866)師石崎融思、別号如螺物々子、長崎三画人
木下応受(1777-1815)師円山応挙、応挙の子、字君賚、別号水石
木下俊長(1648-1716)日出藩第三代藩主
木下俊泰(1729-1768)日出藩第九代藩主
吉備幸益(不明-不明)伊達政宗による瑞巌寺内装工事のため近畿より招来された画工のひとり
宜野湾朝宏(1834-1870)琉球の絵師、唐名は向有章
宜野湾朝昆(1777-1835)伊是名朝宜の二男
宜野湾朝範(1853-1870)宜湾朝保の二男
木村玉英(不明-不明)字君華、通称彌須子、号鶴洲
木村蒹葭堂(1736-1802)南画家・蔵書家、姓木村、名弘恭、師大雅
木村兼葭堂(1736-1802)池大雅・高芙蓉らに学び、多くの文人と交友した
木村紅蓼(1777?-1836)通称伊佐衛門、名正教
木村卓素(不明-1872)師岡田半江
木村探元(1679-1767)江戸時代の薩摩を代表する絵師、師狩野探信
木村竹雄(不明-不明)四条派、師松村景文
木村常房(不明-不明)師狩野常信
木村培樵(1817-1875)川上冬崖に絵を教えたとされる
木村舞雪(1816-1865)幕末の画家
木村黙老(1774-1856)高松藩第9代藩主松平頼恕の家老・藩政家
木村了琢(不明-不明)京都御所の絵所の一家、日光東照宮の御用をつとめた
木村亮啄(不明-不明)東照宮の家康肖像画を描いた
九淵(不明-1498)室町時代の画僧、建仁寺僧
久家暢斎(1793-1844)高松藩の儒官
及雪(不明-不明)戦国から安土桃山期の画僧、雪村に学び継村斎と号した
喜友名安位(不明-不明)八重山の絵師
喜友名安著(1826-1854)八重山の絵師
清家恕(不明-不明)徳島中学校の図画教師をしていた
藕華(1707-1822)僧侶
教懐(1001-1093)平安後期の画僧
行海(1109-1180)平安後期の画家、藤原基光の子、珍海の弟
尭儼(不明-不明)鎌倉時代の絵仏師、巨勢派一七世
堯儼(不明-不明)鎌倉後期の画家
教禅(不明-1075)平安後期の仏画師
行尊(1057-1135)平安後期の画僧
堯尊(不明-不明)鎌倉中期の画家
尭然法親王(1602-1661)江戸前期の皇族・僧、後陽成帝第六皇子、天台座主
玉英(1847-不明)四条派
玉畹梵芳(1348-1420?)室町時代の臨済宗の僧
玉瀾(1728-1784)女性画家、池大雅の妻
清野一幸(不明-不明)尾張藩御用絵師の祖、師狩野尚信、名重信、別号円成・童翁
清野円嘉(不明-1760)尾張藩御用絵師、木挽町狩野二代尚信の門人、清野養山の子
清野円斎(不明-不明)清野円嘉の子
清野養山(不明-1721)尾張藩御用絵師、木挽町狩野派・狩野常信の門人、一幸の子、名常進、通称一成
清原春信(不明-不明)清原雪信の子
清原雪信(1643-1682)久隅守景の娘、雪信女と称す、名は雪子、別号は匠貴
清久佐野(1823-1842)歌人、書画にすぐれた
桐山楸閨(不明-1859)桐山浄所の妻
金大受(不明-不明)東京国立博
金渓道人(不明-不明)室町時代の画家、良敏
金原白玉齋(不明-1826)住吉派
空光(不明-不明)平安前期の画家
空谷(不明-1834)僧侶
愚極礼才(1370-1452)室町前期の画僧、東福寺僧、牧渓に学ぶ
愚渓右慧(不明-不明)南北朝時代の画僧、号幻庵
草鹿蓮浦(1834-1867)大聖寺藩典医、南画をよくした
日柳燕石(1817-1868)幕末の志士、号柳東・春園
草場佩川(1787-1867)漢詩人・佐賀藩儒者、名韓、字棣芳
釧雲泉(1759-1811)[岡山10]南画家、名就、字中孚、元明画蹟研究
楠瀬大枝(1776-1835)師楠瀬南溟、松村蘭台に私淑
楠瀬南溟(1743-1790)師横山竹林斎
楠原竹堂(不明-不明)師小橋香村
久隅胖幽(1648-1730)師狩野探幽
久隅守景(不明-不明)師狩野探幽、探幽門下の四天王と称された
楠本圭山(不明-不明)楠本雪溪の子
楠本雪溪(1781-1850)尾張藩御用絵師、別号紫岡宗琳
百済河成(0782-0853)平安前期の貴族・画家、姓余氏百済人、歴史に名が残っている最初の画家といわれる
百済常良(不明-不明)平安前期の画家、百済河成の子孫と思われる
百済常長(不明-不明)平安前期の画家
工藤五鳳(不明-1841)津軽の初期南画家、師毛内雲林
久保田東湖(1791-1858)師東東洋、達磨図を得意とした
窪田統泰(不明-不明)室町後期の絵師、窪田家三代目
窪田撲翁(1808-1868)師浮田一蕙
久保田要親(不明-不明)首里士族
熊谷東琢(不明-1868)師斑目東雄
熊谷儀克(不明-不明)通称元章
熊谷月郷(1828-1868)秋田の画家
熊坂適山(1796-1864)松前藩御抱絵師、師蠣崎波響・浦上春琴
熊代熊斐(1712-1773)[岐阜01]師沈南蘋
熊本眞碩(初代)(不明-不明)師衣笠守昌
熊本眞碩(2代)(不明-不明)師衣笠守昌
久米悦之助(不明-不明)水戸藩士、松平雪山の門人
粂川祐景(1791-1861)師平出雪耕
倉井雪舫(1792-1844)師岡本豊彦
倉石米山(1769-1810)師釧雲泉
倉嶋端心(1795-1869)能登の画僧
倉谷鹿山(1759-1833)長崎で清人に学んだ
倉淵玉鳳(1780-1863)師岡田玉山、名由信、通称竜左衛門、別号淵竜・蛙堂・淵庚子、俳号年々
栗栖探叔(不明-1708)師狩野探信
栗田季久(1693-1753)師狩野永叔
栗田雪仙(不明-不明)福岡藩士、師狩野探雪
栗田長珉(1752-1808)南蘋の画法を学んだ、別号蕉鹿
栗林竹友(不明-不明)幕末から明治期の画家
栗村北沙(1799-1858)師菅井梅関
栗本格斎(1845-不明)師岡野洞山
栗本柳崖(不明-不明)藩の分領越後栢崎陣屋詰の会計吏
久留島通容(1811-1850)旧森藩主
久留島有斐(1783-1861)森藩家老、蘭画をよくした
黒岩金岳(1785-1853)師楠瀬大枝
黒川亀玉(初代)(1732-1756)南蘋派、別号商山処士
黒川亀玉(2代)(1754-1814)別芙蓉山人・清風館、画業は未明だが初代亀玉は沈南蘋の画風を独学
黒川亀玉(3代)(不明-不明)亀玉三代目の絵師で、右膳徳邦と称した
黒川正山(不明-不明)広渡一湖の弟子とみられる
黒子棠林(不明-1882)近世壬生の画人
黒田梧堂(1848-不明)師岡脇塔玉
黒田綱政(1659-1711)福岡藩の第四代藩主
黒田稲観(不明-不明)黒田稲皐の甥
黒田稲皐(1787-1846)画家・武士、本姓林、名文祥、通称六之丞、別号稲葉
黒田綾山(1755-1814)[香川04]讃岐に生まれ岡山南画の草分けとなった、別号起雲道人
鍬形蕙斎(1764-1824)北尾重政の門人、浮世絵師名は北尾政美
鍬形赤子(不明-不明)鍬形蕙斎の子
桑原彦甫(不明-不明)師岸文貫道
桑原鳳井(1793-1841)師衣笠守由
桑原幽宅(不明-1707)師斎藤等室
桑山曦亭(1774-1806)桑山玉洲の子
桑山玉洲(1746-1799)画家・美術評論家、池大雅らと交わり南画を描く、独特の南画論を展開した
訓谷沢水(不明-不明)法書・名画を多く所蔵した
倪元璐(1593-1644)書をよくした
啓書記(不明-1493)室町期の画家、名祥啓、鎌倉建長寺の書記であったことから啓書記で知られる
芸愛(不明-不明)室町中期の画家
芸阿弥(1431-1485)室町後期の画家、能阿弥の子、号学叟
桂月子(不明-不明)江戸時代の絵師
景斎(不明-不明)石見の人、雪舟の門人といわれる
景叔(不明-不明)石見の人、雪舟の門人といわれる
恵心僧都(不明-不明)平安中期の天台宗の僧・叡山天台座主、名源信
啓孫(不明-不明)「啓孫」を捺した作品は近世の画譜類ですべて祥啓の作品とされる。
慶忍(不明-不明)鎌倉中期の画家
化宿(不明-1816)画僧、円通寺十三世
月桂寺大同(1729?-1780)白隠禅師の法弟の一人
月桂寺鉄箒(1630?-1716)月桂寺第六世寺主
月僊(1741-1809)[尾張16・茨城13]画僧、師円山応挙、伊勢山田寂照寺住職、名玄瑞、字祥啓、別号雷沢
月峰(1760-1839)画僧、名辰亮、別号菊澗、大雅の画風を学ぶ
元賀(不明-不明)室町後期の画家、雪舟の弟子とされる
源琦(1747-1797)駒井源琦と同一
玄牛(不明-不明)明治期の画家、書画をよしく、海老の絵を得意とした
源慶(不明-不明)鎌倉前期の画家
賢江祥啓(不明-不明)室町後期の画僧
元興寺玄朝(不明-不明)平安中期の画家
玄朔(不明-不明)江戸時代の画家
玄証(1146?-1206?)鎌倉前期の画僧
元鎮(不明-不明)師石崎元徳
見心来復(1319-1391)中国元代の僧
源信(0942-1017)平安中期の天台宗の僧侶
玄心堂完永(不明-不明)姓石原、名完永、別号舎山・青雲
元穆(不明-不明)寛政期の南画家、根本常南の仙台画塾「蠖斎社中」に参加
古子方(不明-不明)寛政期の南画家、根本常南の仙台画塾「蠖斎社中」に参加
呉浚明(1700-1781)画家・儒者、山崎闇斎の門人、号孤峯・穆翁、五十嵐浚明と同一
小池曲江(1758-1847)仙台四大画家のひとり、師松林瑶江、別号甘眠堂
小池雪江(不明-不明)師小池曲江
小池仙李(1770-1857)小池曲江の妻
小池梅浦(1784-1850)小池曲江の二男
小泉斐(1770-1854)師島崎雲圃
小泉檀山(1770-1854)名斐、字子章、別号青鸞・檀林斎
小泉探賞斎(不明-1872?)浅野藩御抱絵師
高嵩溪(1760?-1817)高嵩谷の養子
高芙蓉(1722-1784)南画家・儒学者・篆刻家、号永睿
高遊外(1675-1763)黄檗宗の僧、売茶翁とも
江稼圃(不明-不明)中国清代の画家、来舶四大家のひとり、字連山、号大来
高乾(不明-不明)沈南蘋が来日した際に同行した弟子の一人
興義(不明-不明)平安中期の画僧
高鈞(不明-不明)沈南蘋が来日した際に同行した弟子の一人
香坂松洲(不明-不明)師小田切寒松軒
鰲山(1759?-1759)江戸前期から中期の画僧
鼇山(不明-不明)江戸時代の望月派の画僧
豪信(不明-不明)鎌倉から南北朝時代の似絵画家、藤原隆信六世の孫
幸田皆春(不明-1830)師宋紫石、藤堂侯に仕える
豪潮寛海(1749-1835)天台宗の僧、字快潮、別号洞竜・旡所得道人・八萬四千煩悩主人
河野栄寿(不明-1802)徳島藩御用絵師、師狩野栄川院典信、狩野派
郷目貞繁(不明-不明)天童市若松観音堂の絵馬「舎人曳駒図」(重文)が残っている
康楽寺円寂(不明-不明)鎌倉・南北朝時代の画僧
康薬寺浄賀(1275-1356)南北朝時代の画僧
高力猿猴庵(1756-1831)高力家七代目、尾張藩士、名種信、通称新蔵のちに与左衛門
高力全休庵(不明-不明)高力猿猴庵の孫
高力種篤(不明-不明)高力猿猴庵の父
高力種英(不明-不明)高力猿猴庵の一族と思われる
高力種昌(不明-不明)高力猿猴庵の祖父
江陵岸賢(不明-1825)長府藩岸派の祖
古礀(1653-1717)江戸時代の画僧、名明誉、号虚舟
孤月周林(不明-不明)戦国時代の画家、雪舟の筆意を学んだ
小坂東州(不明-1804)稲荷町の恩行寺二十代住職
越寛一(1803-1864)師谷文晁
小島左近(1824-1868)幕末の弘前藩士、現存する最古のねぷた絵を描いた
小嶋春晁(1798-1855)師谷文晁
兒島竹處(1805-1868)師佐々木雲屋
小島亮仙(不明-不明)戦国時代の画家
小島老鉄(1793-1852)師山本梅逸、名友一郎・左一郎、別号采風軒・采風外史
呉春(1752-1811)師円山応挙
悟心元明(1713-1785)禅僧・画家・篆刻家
小杉後楽斎(不明-不明)岡野梅老・渡辺崋山に学ぶ
巨勢相覧(不明-不明)平安前期の画家
巨勢有家(不明-不明)鎌倉後期の画家、姓紀氏、光康の子、巨勢派第十四世
巨勢有久(不明-不明)鎌倉末期から南北朝時代の巨勢派の絵師、巨勢派傍系、有行の三男
巨勢有康(不明-不明)巨勢派一五世、光康次子
巨勢有行(不明-不明)鎌倉中期の画家、巨勢派傍系
巨勢相見(不明-不明)平安中期の宮廷絵師、巨勢派第二世、絵所絵師、相覧とも
巨勢金岡(不明-不明)平安前期の画家、巨勢派の祖
巨勢堯尊(不明-不明)鎌倉時代の画家、有尊の子、巨勢派一六世
巨勢公忠(不明-不明)平安中期の画家、巨勢派三世、采女正絵所長者
巨勢公望(不明-不明)平安中期の画家、巨勢派四世、造酒正絵所長者
巨勢源尊(不明-不明)鎌倉中期の画家
巨勢是重(不明-不明)平安中期の画家、巨勢派六世、左近将監絵所長者
巨勢惟久(不明-不明)鎌倉時代から南北朝時代の画家
巨勢俊久(不明-不明)南北朝時代の画家
巨勢有忠(不明-不明)鎌倉時代の画家、巨勢派傍系、有行の子
巨勢有宗(不明-不明)平安後期の画家、巨勢派第十世
巨勢永有(不明-不明)鎌倉中期の画家
巨勢信茂(不明-不明)平安後期の画家、是重の子、巨勢派七世
巨勢久行(不明-不明)南北朝期後半から室町初期の画家
巨勢弘高(不明-不明)平安中期の宮廷絵師、巨勢派中興五世、采女正絵所長者
巨勢益宗(不明-不明)平安後期の画家
巨勢光康(不明-不明)鎌倉後期の画家、姓紀氏、永有の子、巨勢派一三世
巨勢宗茂(不明-不明)平安後期の画家、姓紀氏、巨勢派八世
巨勢行有(不明-不明)南北朝時代の画家
巨勢行忠(不明-不明)南北朝期後半から室町初期の巨勢派の絵師、有久の子
児玉大山(1794-1859)大聖寺藩士、狩野派を学んだ
児玉探月(不明-不明)雅号から木村探元の門人と思われる
児玉探翠(不明-不明)師狩野探信守道
児玉探翠斎(不明-不明)師狩野探信守道
小玉貞良(1688?-不明)アイヌ風俗画の草分けとされる、号玉円斎・竜円斎
児玉梅坪(1801-1868)頼山陽・佐藤一斎に学ぶ
児玉芳陰(不明-不明)益田市高津の人
己智帯成(不明-不明)奈良時代の画家
小寺玉晁(不明-不明)尾張藩の陪臣、師森玉僊(高雅)
小寺顕義(1775?-1849)盛岡大慈寺の恵観和尚に学んだとされる
小寺芦屋(1827-1870)師山本梅逸・貫名菘翁
後藤月洲(不明-1835)師沼田月斎、通称衛門七・加蔵
後藤芝山(1721-1782)師林榴岡
後藤夕山(不明-不明)松平雪山の門人、名壬介
古藤探達(不明-不明)雅号から木村探元の門人と思われる
後藤文琳(不明-不明)師谷文晁、名幸蔵
後藤方大(不明-不明)広瀬淡窓の叔父月化の肖像画が残っている
後藤田南渓(1807-1866)師山本梅逸
小西松塢(1797?-1845)師浦上春琴
小西眉山(1807-1855)師堀江友声
古波蔵爾方(1767-1832)古波蔵道橋の三男
古波蔵長光(1789-1851)古波蔵爾方の長男
小橋香村(1793?-1859)小橋陶復の子
小橋陶腹(1763?-1820)師釧雲泉
小橋陶復(1764-1820)名信咸、通称市蔵、別号・姑射山人
小橋川朝安(1748-1841)琉球画人五大家、唐名は向元瑚
小浜常慶(不明-不明)師狩野常信
小林玄甫(不明-不明)立原杏所・松平雪山に学ぶ、名抱古
小林秋谷(1793-1827)師増山雪斎
小林西台(1794-1854)西条藩絵師、若宮養徳に学ぶ
小林天淵(1778-1863)画家・書家、師谷文晁、名謹質、字孟素、通称勘右衛門・六郎兵衛
小林豊章(不明-不明)西蝦夷地(北海道の日本海沿岸)と樺太(サハリン)南部を調査し「蝦夷草木図」にまとめた
小林藍溪(不明-不明)佐伯で最も古い画人の一人
古藤養山(不明-1846)師狩野養川院惟信
古藤養真(不明-不明)師狩野晴川院養信
駒井源琦(1747-1797)師円山応挙、姓源
駒井孝礼(1793-1860)師吉村孝敬
駒井常爾(1724?-1807)師池大雅
小宮山桂軒(1692-1737)水戸藩の儒者、林整宇に学んだ、別号忍亭
古森癡雲(1790-1858)師西岡邦教・小俣蠖庵
小森守春(不明-不明)師狩野友元
小山渭泉(不明-不明)師野呂介石
小山霞外(1785-1864)儒者・古河藩士
戸来錦嶺(不明-不明)師湯川玉遷・川口月嶺
五楽院等随(不明-不明)古河藩御用絵師
吾楽院等明(不明-不明)栃木市の雲谷派系の五楽院等院一門と思われる
近藤九渓(1748-1823)名令章・雅久、字子憲、通称求馬、別号楳堂
近藤雪嶺(不明-不明)師加藤雪溪
近藤長次郎(1838-1866)師河田小龍・学塾墨雲洞、幕末に散った志士
近藤洞簫(1653-1693)師狩野洞雲、名益尚、別号丹静斎・自斎
近藤洞蕭(1653-1693)師狩野洞雲益信
近藤芙山(1806-1856)[尾張11]師渡辺清・松野梅山、通称忠三郎、別号煙霞斎・雪翁
近藤舫斎(1763-1815)師月僊