物故日本画家一覧

た行

大海一郎(1928-2005年04月08日)現代創像美術協会運営委員、日本書画振興協会評議員
太劫和尚(1800-1879)百華山延命寺第十三世寺主
大儀寺南国(1813?-1896年01月08日)大儀寺寺主、詩画をよくした
大道あや(1909-2010年09月14日)日本美術院院友、女流画家協会会員
大道寺雨田(不明-1886年10月26日)師前田暢堂・日根野対山、名直良、通称主水、別号華陽洞
大楽桃白(1884-1953)特定の師につかず、みずから画壇を組織して展覧会を開催した
田岡秋邨(1902-1991)中学で楠永直枝に学ぶ
田岡春徑(1887-1969年10月17日)師小室翠雲、日本南画院理事
田岡梅荘(1808?-1890)師森東溟
多賀二峰(1824-1897年06月)師山本梅逸・行田雲濤、多賀春塘の子
高秋田(1839-1893)師日根対山
多賀春泉(不明-1897)和歌山吹屋丁般若院の住職
多賀春塘(1800-1879年10月10日)師浦上春琴
多賀春洞(1847-1913年04月19日)師富取芳斎
高井鴻山(1806-1883年02月06日)名三九郎、師星巌・北斎
高井康州(1927-2004年04月)師玉置頼石、元日本動物画協会会員
高井松齢(1886-1933年06月05日)師竹村松嶺、住吉派
高井對雲(1847-1911)師村瀬秋水
鷹尾桂仙(不明-不明)師武島桂岳
鷹尾祥風(1907-1955)名兵衛、茨城美術会の創立に名を連ねる
鷹尾兵衛(1907-不明)師木村武山、日本美術院院友
高川少萍(1836-1888)師石丸春牛
高木黄史(1905-1993)北海道日本画協会の創立に参加
高木古泉(1878-1963)東美中退、師堅山南風、鯉図を得意とした
高木松雨(不明-不明)高木豊水の後裔
高木青巌(不明-不明)師白須心華・木村耕巌
高木晴江(1829-1905)師橋本小霞
高木長葉(1887-1937年04月21日)師今尾景年・梶田半古、資生堂に勤務
高木美石(1887-1951)師大橋翠石
高木保之助(1891-1941年08月16日)東美卒、師松岡映丘・川端玉章、文展無鑑査、大和絵派
高木義夫(1923-2001年10月16日)師伊東深水・高山辰雄、日展評議員
高木栗軒(1880-不明)師河合栗邨
高木林斎(1876-不明)字全鼎、別号非空・畊霞館
高倉観崖(1884-1957年07月27日)京絵卒、師竹内栖鳳・山元春挙
高鍬義穆(1894-1886年06月12日)師立松義寅、名藤重郎
高崎興(1908-1985年08月02日)師木村武山・前田青邨・中村岳陵、日本美術院特待、田中嘉三らと常土社結成
高澤七郎(1914-2000年02月22日)現代壁画研究会主宰
高士北岳(不明-不明)師岸駒
高島靄湖(1868-不明)松本楓湖・今尾景年に師事、名雪松
高島鼓枻(1871-1929)師杉原鼓澤
高嶋祥光(1894-1987年03月06日)師小室翠雲・山内多門、新興美術院理事長・初代会員、元日本南画院同人
高島北海(1850-1931年01月10日)文展審、日美協幹事、独自の山水画を追究、エミール・ガレなどアールヌーボーの作家たちと交流した
高須芝山(1887-不明)師小室翠雲・小坂芝田、名長治、別号翠光・画舫・子常
高須白雲(1900-不明)師山本梅荘・水田竹圃、別号白玉・耕心艸堂
高須半湖(1895-不明)師山本梅荘、名英一、別号半香
高瀬五畝(1878-1961)師荒木十畝・寛畝、帝展等出品
高瀬春暁(1885-不明)師山元春挙、名戊太郎、別号榲園・竹翠居
鷹田其石(1873-1946年11月28日)東美修、師橋本雅邦・川端玉章
高田杏塢(1806-1889)師松村呉春・柴田義董
高田鳳渓(不明-1918)師村瀬雪峡
高田墨淵(不明-不明)師川田墨鳳
高田墨擧(不明-不明)師川田墨鳳
高谷篁圃(1870-不明)四条・円山派の流れを汲み花鳥画を得意とした
高妻騰雲(1813-1905)師篠崎小竹・三邑翠山
高取稚成(1867-1935年01月30日)師山名貫義、文展受賞、帝展審
高梨宝山(不明-1929)画僧
高浪勢以(1907-2001年07月04日)師田中青坪、日本美術院特待
高根宏浩(1902-1979)師山口蓬春、歌舞伎の舞台美術を手がけた
高野薫邦(1903-1988)東美卒、師結城素明、日本画院同人
高野耕雨(1868-1933)師川村雨谷・山岡米華
高野士峰(1831-1887年10月)高野米峰の弟
高野照汪(1914?-1999年10月17日)創作画人協会会員
高野松涛(1852-1917)師中原南渓・渡辺芝谷
高野常与志(1924-1993年09月08日)師小島丹漾、日本美術院特待
高野天民(1894-1982)滝和亭・古沢雪田に師事、名秀夫、別恒山
高野米峰(1821?-1909)昌平坂学問所に学び日本各地を巡った
高野隆雅(1863-1930年10月28日)師田能村直入
高羽幸槌(1871-1933年04月18日)日本画家・教育者、師橋本雅邦、号園邦
高橋愛洲(1883-1951)荒木寛畝に師事したと伝わる
高橋一斎(1803-1876年05月07日)師山脇東暉、叙法橋
高橋印波(1895-不明)師小林古径
高橋雨亭(不明-不明)師十市王洋・田辺文琦
高橋雲亭(1872-1949)名友雄、松を得意とした
高橋應真(1855-1901年07月12日)師山本素堂・山本琴谷・柴田是真、内国絵画共進会等出品
高橋華屋(不明-不明)渡辺小華の門人、名於免
高橋霞湖(1872-1945)師広瀬柳仙
高橋克明(1907-1978年03月11日)師伊東深水、日展
高橋かね子(1934?-2014年12月30日)日本画院監事、群馬県美術会会員
高橋強方(1894-1965年02月20日)美人画、彩光社画塾主宰
高橋玉淵(1858-1938)師川端玉章、日本美術協会・日本画会評議員
高橋金年(1883-1946)師熊耳耕年
高橋敬美(1892-1978年08月24日)川端画学校卒、師川端玉章・松林桂月、帝展等出品
高橋月査(1822-不明)師川本月下
高橋玄輝(1910-1978年06月25日)師前田青邨、日本美術院特待
高橋広安(1899?-1986年10月30日)金魚、鯉、花鳥を得意とした
高橋耕雲(1830-1892年02月07日)師富取芳斎
高橋耕園(1896-1929)師佐藤耕雲
高橋光輝(1913-1985年07月30日)川端画学校卒、師池上秀畝・望月春江、日本画院同人
高橋廣湖(1875-1912年06月02日)師松本楓湖、浦田雪翁の子、国画玉成会審
高橋晁山(1852-1922年01月06日)谷文晁に私淑
高橋杭水(不明-1887)師高橋杏村、杏村の長男
高橋廣峰(1947-2000年03月19日)日本水墨画会会長、日本書人会会長
高橋五仙子(1903-1978年05月14日)師小室翠雲
高橋史光(1897-1970)師契月
高橋秋華(1878-1952年01月29日)師石井金陵・山元春挙、文展出品
高橋周桑(1900-1964年02月27日)師速水御舟、創画会会員、晩年は舞台装置も手がけた
高橋秀芳(不明-不明)仙台市内に作品が残っている
高橋春村(不明-不明)南画
高橋湘雨(不明-不明)師淵野桂僊
高橋松山(1932-2018年08月21日)大津絵師、四代
高橋松石(不明-不明)師淵野桂僊
高橋翠延(1929-2014年03月08日)師松村翠鳳、能画、童子、無所属
高橋清水(1887-1969)中村爽歩の友人として日本画を描いた
高橋清泉(1878-不明)狩野派の画を学んだ
高橋静波(不明-不明)日本民俗資料館
高橋成薇(1902-1994)[美人画作品]師島成園
高橋清舫(不明-1959)独修、本名正次郎
高橋辰郎(1910?-1997年12月18日)日本画府理事
高橋竹年(1887-1967年06月17日)師野村文挙・三上仙年、日本美術協会展等出品
高橋澄爽(1926-1979年05月18日)師朝一圭鳳・中村岳陵
高橋常雄(1927-1988年05月03日)師福王林法林、日本美術院同人、武蔵美
高橋桃園(1897-1988年09月25日)宮沢子昇の子、仙台市で活動した
高橋都哉(1893-1965年08月)師木島柳鴎・小林古徑
高橋梅渓(1848-不明)師佐久間晴岳
高橋梅圃(不明-不明)内国勧業博覧会出品
高橋白峰(1914-不明)師菅原白龍
高橋英雄(1877-1959)米国の美術学校卒
高橋萬年(1897-1956年08月10日)師寺崎広業、日本美術院院友
高橋容所(1812-1875)師斑目東雄
高橋米子(1913-1951年03月30日)師中村貞以、日本美術院院友、春泥会会員
高橋立洲人(1913-1996年10月30日)大美卒、師矢野橋村、立鼎社水墨画協会会長
高橋隆雅(1863-1930年10月28日)師田能村直入、連合絵画共進会出品、郷里三和村村長をつとめた
高橋龍僊(1890-1917)師鈴木松年
高橋凌雲(1843-1899)師橋本小霞・川村雨谷
高橋陵山(1892-1956)独学で油彩・日本画を研究
高畠華宵(1888-1966年08月31日)[美人画作品]美人画、挿絵界で活躍
高畠式部(1785-1881年05月28日)女流歌人・画家、名とみ(刀美)、号式部
高濱祺(1922?-2013年05月03日)無所属
高濱虎喜(1895-1964)京絵卒
高林海荻(1815?-1892)名乾助、字苔、俳号萩守
高林芳谷(1840-1894年05月06日)師椎名文囿
高原雅州(1882-1929年09月03日)師深井豊洲・狩野永湖・橋本雅邦
高広孤堂(1891-1945)富山県議会議長、議員活動のかたわら絵筆を握った
鷹部屋雲城(1853-1925)師長井桂山・村瀬秋水、名荘、通称嘉祥、別号特健・晏起
高松小埜(1807-1876)師楠瀬大枝・壬生水石、高松順蔵と同一、坂本龍馬の姉・千鶴の夫
高松千嶺(不明-不明)師小堀鞆音
高松苔石(1952-不明)師山本梅荘、名惣一郎
高松登(1916-2000年11月16日)師望月春江、日本画院同人
高見杏園(1865-不明)師梶山九江
高味石田(1867-1939)師田能村直入
高見澤柳佳(1933-2003年09月25日)東方美術協会会員、天竜生々会創立会員
篁牛人(1901-1984年02月25日)東美彫刻部、遊学、浄土真宗本願寺派の住職、別号光麿・牛山人
高村静眠(不明-不明)南画
高村草樹(1907-不明)師小谷津任牛、日本美術院院友
高村素月(1877-1892年09月09日)高村光雲の長女、師狩野寿信
高村正之(1912-1976年01月03日)東美卒、福岡教育大学教授、日本美術院
高村右暁(1867-1954年03月)四条派、狩野派絵師の家に生まれた
高本心田(不明-不明)師十市王洋
高森碎巌(1847-1917年10月25日)師山本琴谷、東京南画会創立に参加、別号翠巌・朶香
高屋肖哲(1866-1945)東美卒、師狩野芳崖
高安紫山(1835-不明)医師、別号に雨岳古樵
高柳淳彦(1898-1957)東美卒、師松岡映丘、名淳、帝展等出品
高柳快堂(1824-1909年05月22日)師鉄翁祖門・中林竹洞・田能村直入
高山完(1891-1973年01月10日)京都絵画専卒、師西山翠嶂、帝展・文展等出品
高山三路(1903-1963年03月11日)京都絵画専修、師西村五雲、国画創作協会等出品
高山春陵(1886-1921)師山元春挙、文展出品、日本自由画壇同人
高山春浦(1872-1954年11月)元大分市議長
高山春凌(1886-1921年07月22日)師山元春挙
高山精華(1885-1950年01月08日)師鈴木松年・竹内栖鳳、国画創作協会・新樹社出品、父は彫刻家・高山冨重
高山雪叟(1823-1904年11月01日)石光寺第十一代寺主
高山辰雄(1912-2007年09月14日)文化勲章、文化功労者、日本芸術院会員、日本芸術院賞、師松岡映丘、日展顧問
高山朝陽(1885-1979年10月13日)花鳥・水墨画を得意とした
高山無双(1916?-2001年10月14日)師川端龍子、東方美術協会創立会員
田川奨(1915-1994)東美卒、師素明
滝和亭(1832-1901年09月26日)帝室技芸員、師大岡雲峰・日高鉄翁、明治期の代表的な花鳥画家
瀧秋方(1902-1979年04月16日)[美人画作品]小杉放庵と墨人会を興す、墨人会・圏外社を主宰、別号龝方
滝凌雲(1846-1916年09月01日)師滝和亭、巽画会会員、『東奥日報』創刊
瀧川龍山(1849-1931)田能村直入が松江にきた際学んだ
瀧沢巨森(1918-2016年02月24日)群馬日本画家協会会長
瀧澤龍二(不明-1996年11月29日)日本画院同人
滝山霞崖(1826-1875年08月19日)師福田半香
滝山稲洲(不明-不明)師幸野梅嶺
滝脇晴華(1896-1949年12月27日)師奥原晴湖・奥原晴嵐、初号秋汀
田口一穂(1888-1980)師寺崎広業・堅山南風
田口映月(1893-1974年05月11日)大陸各地を遊学し仏画を研究、寺院の国宝の修正や壁画の制作をした
田口桜川(1864-1903年01月18日)師中村晩山・小林清親、狂画をよしく古画を愛玩した
田口橘林(1848?-1930年12月28日)里正職で画をよくした
田口径邨(不明-1966年01月22日)師松本楓湖・望月春江、日本画府理事
田口秋魚(1903-1988)角館美術館図録
田口石田(1902?-1985年09月24日)文人画家・儒学者
田口壮(1910-1945年07月20日)京都絵画専卒、福田豊四郎らと新日本画研究会を結成、歴程美術協会を結成
田口豊洲(1907-1971)南宗寺十七世住職
田口雄山(不明-1995年02月06日)雅美会代表、日本染織作家連盟正会員
田口柳所(1839-1892)師大沼枕山・福島柳圃
宅野田夫(1895-1954年06月26日)師岡田三郎助・田口米舫、別号傅布
宅間古峰(1911-1996年09月18日)師疋田拡邦、宮崎県展他
宅和義雲(不明-1931)東美卒、中学教諭
武井晃陵(1890-1942年12月14日)東美卒、文展・帝展出品
武井真澂(1875-1958年06月03日)東美鋳金科卒、師小山正太郎・児玉果亭・寺崎広業、山岳画を描いた
武井☆泉(1927-2009年08月09日)日本水墨画振興会副理事長、☆は「王」+「争」
武居大明(1901-1984年07月14日)師尾竹竹坡・葛谷龍岬
武居梅堤(1873-1945年08月06日)武居梅坡の養子
武居梅坡(1831-1905年02月11日)師宮崎竹坡
武井漣洲(1850-1926)師渡辺小崋、日光東照宮の縮図制作に従事した
竹井漣洲(1850-1926)師船越雲溟
武石鴎崖(1832-1909)松平雪山の門人、名清、別号李陽外史
武石恵所(不明-不明)師水野年方、耕崖の弟、鴎崖の子
武石耕崖(1871-1913)名胤昌、鴎崖の子
武市政輝(1907-1965年11月29日)元青龍社社人
竹内一起(1901-1956)東美卒、師山口蓬春、名喜一
竹内雲渓(1889-不明)名貞一郎
竹内寒水(1862-1909年11月24日)大川郡鴨庄の西方寺の住職
竹内吉鳳(1882-不明)師奥村石蘭・久保田金僊・渡辺秋谿・福井江亭、名鈴樹、別号柏雪・畊雪・雪家
竹内邦夫(1937-2004年03月28日)日本美術院特待
竹内敬二(1920-1997年01月18日)氷見市美術協会の設立に参画
竹内桂舟(1861-1943年01月03日)師狩野永悳、挿絵や陶器画も手がける
武内巌円(1814-1892)能登の画僧、師貫名海屋
竹内松雲(1893-1957年12月22日)師中浜松香
竹内如巌(1877-1961年12月27日)名彦四郎
竹内栖鳳(1864-1942年08月23日)[美人画作品]文化勲章、帝国芸術院会員、帝室技芸員、師幸野楳嶺、文展審査員、京都絵画専門学校教授、国画創作協会顧問
武口多景志(1897-不明)師西村五雲・小林古径、院展出品
竹内梅汀(1884-不明)師山本梅荘、名志き
竹内梅嶺(1849-1915年12月)師山本梅荘、名浦弌
武内法山(1875-1952)師巨勢小石
竹内未明(1901-1986年12月16日)師堂本印象・川端龍子、元青龍社社人、日本画府名誉会員
竹内無憂樹(1896-1972年02月13日)師堂本印象、日本画府理事、新樹社主宰、別号晟晁・素石
竹内鳴鳳(1888-1945年05月30日)京都絵画専卒、文展出品
竹内柳蛙(不明-不明)真野亭に学ぶ、名茂
竹内隆節(1832-1893)画家・医師、野沢白華に師事、名誠
竹内蘆風(1874-1939)師川端玉章、日本美術協会会員、連合絵画共進会等で受賞
竹尾龍峯(不明-不明)名章郷、通称六郎、字敬甫
武弓其年(1814-1893)宇佐美太奇に学ぶ、名義生、通称紋其
竹下愚溪(1825?-1907年01月25日)中津藩の人、南画
武島桂岳(1859-不明)師中野春翠
武田栄学(1835-1916)本名は信好、武田永球の子孫
武田桜園(1814-1879年02月)福田半香の門人、名慶曜、別号墨翁
竹田霞村(1884-1955)東美卒、師下村観山・川端玉章
竹田義堅(1841?-1922年04月)全久院二十七世住職
竹田敬方(1873-1942年12月04日)師水野年方・川端玉章、日本美術協会々員、川端画学校評議員
武田耕雪(1889-1973年03月15日)京都絵画専門学校卒、師菊池芳文
武田鼓葉(1894-1964)師山元春挙、文展・帝展出品、耕人社結成に参加
竹田秋桜(不明-不明)黒田長政三百年祭記念美術展出品
武田松荷(1842?-1922年04月)全久院二十七世住職
武田泉斎(不明-不明)通称親親房
竹田大助(1928-2008年08月28日)堀尾実、水谷勇夫らと匹亞会を結成
武田墨霞(1841-1901)師西塔太原
武田将美(1926-2003年10月29日)日本美術院院友
武田与志(不明-1996年04月13日)新興美術院参与
武田良三(1920-2002年04月24日)日展会友
竹谷菜嶼(1850-1918)師浅井柳塘
武谷雪嶺(1896-1981)師川合玉堂・山内多門
武富圯南(1806-1875)佐賀の文化・学術の発展につとめた
竹冨清嘯(1833-1899年12月07日)師佐々布篁石、名祥、字子謙、通称利平・理三、別号嘯山
竹中南渓(不明-不明)南画、師中西耕石
竹原嘲風(1897-1947)師蔦谷龍岬・荒木十畝、帝展・文展出品、吉岡堅二らと美術人社結成
竹原啁風(1897-1947)師十畝、前号嘲風
武部秋畦(不明-不明)師西山完瑛
武部白鳳(1864-1927)師西山完瑛
武政勇造(不明-不明)絵金派
竹村渭川(1877-不明)師中谷一近・種田豊水、土陽美術会設立に参画
武村耕靄(1852-1915年06月08日)師山本琴谷・春木南溟、東京女子師範学校などの教職につき女子美術教育に貢献
竹村篁邨(1867-1920年10月26日)師平福穂庵
竹邨三陽(1799-1857)師山本梅逸・中林竹洞
竹村秋峰(1882-不明)師渡辺秋谿・菊池芳文、名清治、別号狸々軒・樵月
竹村松嶺(1876-1945年12月09日)師河田小龍・幸野€楳嶺、住吉派
竹村大鳳(1813-1873年08月12日)四条派
竹村白鳳(1895-1951)京美卒、師石崎光瑤
竹本石亭(1822-1888年01月01日)師相沢石湖、別号対松堂
竹森節堂(1896-1970年02月02日)師蔦谷龍岬
竹山渭渓(1831-1900)師長谷川嵐渓、眼科医
武山霞岳(1824-1891)師日野霞山
竹山博(1923-1994年02月26日)東美卒、師西山翠嶂・山本丘人、創画会会員・創立に参加
多湖白峰(不明-不明)日本民俗資料館
田崎草雲(1815-1898年09月01日)帝室技芸員、師谷文晁・春木南溟
田崎藍涯(不明-不明)南画、内国絵画共進会出品
田島杉渓(1863-1929)師山岡墨仙・津野梧窓
田代観山(不明-不明)師藤瀬冠邨
田代錦山(不明-不明)南画
田代古崖(1882-1936年08月26日)師梶田半古、連合絵画共進会一等褒状、文展等出品
田代崇山(1864-不明)師小沢琴山
田代長谷(不明-不明)南画
田代二見(1890-1960年11月15日)師吉田博、洋画もよくした
田代放生(1904-1956)東美卒、院展出品
田代正子(1913-1995年10月21日)師堂本印象、日展会友、東丘社委員
田代有樹女(1948-2006)師鬼頭篁、名造大教授、仏教美術研究者
田代柳外(不明-不明)名嘉平次
多田敬一(1900-1981年03月01日)京都絵画専卒、師入江波光、国画創作協会解散後に新樹社結成参加
多田瓊林(1909-1955)師希望
多田浩太郎(不明-不明)師伊東深水
多田晴圃(1835-不明)福島柳圃の門人、名彦兵衛
多田宅兵衛(1818-1879年08月31日)岸派の流れを汲む能登の画家
多田竹渓(不明-不明)師野呂介石
多田千浪(不明-不明)師木谷千種
多田豊洋(1825-1903)八重樫豊澤の孫、医術を伊藤玄円に学び、松浦武四郎、頼三樹三郎らと交友した
多田墨厓(不明-不明)師川田墨鳳
多田藍香(1858-1928)師佐香貫古・吉永藍畦、住吉派
田近竹邨(1864-1922年04月11日)師田能村直入、日本南画協会結成に参加、京都南画壇三元老と称され日本南画院創立に中心的役割を果たす
立花一雄(1878?-1939年02月24日)元荷揚町小学校校長
立花秀渓(1917?-2003年03月09日)水墨画家、無所属
橘翠徑(不明-不明)師野際白雪
橘霜林(不明-不明)師森嶰谷
立花素嵒(1869-1951)立花鉄嵒の子
立花鉄嵒(不明-1892)師鉄翁祖門
橘天敬(1907-1984年06月01日)伊文勲・パリ芸術功労賞、米フリーア美術館・大英博物館等作品収蔵
橘幽景(1878-1959年10月24日)師今尾景年、連合絵画共進会出品
田付鈴児(1916?-1992年03月07日)日本画府名誉会員
立野雪郷(1890-1969)東美卒、師寺崎広業・結城素明
龍野満黄(1871-不明)師今尾景年
辰巳教祇(不明-1883)長岡藩お抱え絵師、師狩野伊教
伊達翠雨(1838-1924)南画
伊達探良(1833-1874)師狩野探淵・筒井雲泉
伊達宗基(1866-1917)仙台藩十三代藩主・伊達慶邦の子
立石春美(1908-1994年04月27日)[美人画作品]師伊東深水、日展参与、美人画
館岡栗山(1897-1978年10月16日)師近藤浩一路・安田靫彦、日本美術院特待
舘野三玄(1902-1964)師虚山老師・田畑茄郷
立松輝石(1876-不明)師奥村石蘭・幸野楳嶺・竹内栖鳳、名秀、字如晦、通称新三郎、別号五采堂主人
立松宏年(1894-不明)師水谷芳年、名鉱一
立松春渓(1842-不明)師松吉樵渓、通称孫左衛門
立松翠濤(1869-1936年07月02日)師石川柳城、僧名豪鑑
立松義寅(1810-1883年12月16日)師松村景文、通称太左衛門、号嘉陵
立脇泰山(1886-1970)京美卒、師竹内栖鳳、新美術協会創立会員
田所孤雲(1846-1910)師橋本小霞
田所松雲(1834-不明)師土方洞甫・弘瀬洞意・名草逸峰、狩野派
田所量司(1919-1990年08月03日)東美卒、師結城素明、山田皓斎らと新美術協会を結成・元理事長
田中蛙骨(1882-1942)師村瀬太乙・阪井久良岐、名丈石衛門、別号川柳
田中案山子(1906-1970年05月14日)師田中以知庵、新興美術院創立同人
田中亥三(不明-1997年04月22日)創作画人協会理事
田中以知庵(1893-1958年03月15日)師松本楓湖、元日展審査員、旧号咄哉州
田中一華(1864-1924)師久保田米僊、内国絵画共進会褒状、竹内栖鳳らと煥美協会結成
田中一村(1908-1977年09月11日)[栃木33]東美中退、奄美の動物や植物を主に描き没後注目された
田中雲嶽(不明-不明)南画
田中永雲(1850-1934年08月01日)師狩野永愿
田中鵞群(不明-1876)師山田雪塘
田中嘉三(1909-1967年08月17日)師木村武山・奥村土牛、日本美術院院友、高崎興らと常土社結成
田中寒渓(1842-1922)師小林寒林・富取芳斎、別号幽亭
田中玉園(1912-2000年03月29日)大阪美術協会会員
田中旭薫(1904-不明)師小室翠雲・松藤山風・野元琴尚
田中蕉雨(1884-不明)田中静山の子、渡辺蓬島の子
田中圭一(不明-不明)師小松均、元日本美術院院友
田中虎二郎(1866-1941年09月22日)毛馬内町助役
田中梧堂(1860-1924)師筑紫翠雲、墨林会を主宰
田中五峰(1861-1929)師筑紫翠雲
田中貞子(不明-不明)師木谷千種
田中穣(1929?-2009年04月06日)無所属
田中焦雨(1884-不明)田中静山の子
田中樵山(1876-不明)師福井江亭、名朝吉
田中昭陽(1895-1970)京都市立絵画専門学校卒、師
田中畟(不明-不明)南画家
田中深拡(不明-不明)師伊東深水
田中針水(1902-1979)師川合玉堂、帝展・文展・日展出品
田中翠香(1905-不明)師小室翠雲
田中静居(1835-1898)師中西耕石
田中静山(不明-不明)師渡辺蓬島
田中青桃(1879-不明)師土岐三江・日比野白圭・秦金石、名定光、字子省、通称佐七、別号玉池・一松庵
田中青坪(1903-1994年05月07日)師小茂田青樹、日本美術院同人・理事、横山大観記念館理事長、東京藝術大学名誉教授
田中雪山(1870-不明)師猩々暁斉、別号鶴遊軒、山水・花鳥、肖像画等を描いた
田中雪峻(1864-不明)師猪瀬東寧、名銀子、別号雪草
田中雪窓(1871-不明)東美卒
田中草辰(1847-1927)師上杉勝重・田崎草雲
田中素調(不明-不明)画家・俳人、津村洞養に師事
田中大越(1890-1978)師福井江亭、本郷研、帝国絵画巽画会
田中武(不明-2012年03月09日)日本画院理事
田中端(1836-1895年02月26日)田中泉明の子、教師のかたわら画を描いた
田中千香枝(不明-不明)師木谷千種
田中亭山(1838-1913年08月)駒ヶ根で画作、南宗画風の襖絵を残す
田中鉄斎(1871-不明)師滝和亭・橋本雅邦
田中天遊(1875-1937)師滝和亭・児玉果亭
田中咄哉州(1893-1958)師楓湖、前号咄哉、別号一庵
田中梅崖(1865-1907年02月19日)名音次郎、初代浜松郵便局長
田中梅甫(1873-1942年06月17日)師其角堂機一、本名雄吉
田中柏陰(1866-1934年06月03日)師田能村直入、竹田・直入の画風を継承、竹田系統の鑑定の第一人者
田中馬溪(不明-不明)師岡本豊彦
田中比左良(1890-1974年08月31日)[美人画作品]漫画家・挿絵画家、パリで死去
田中広(不明-不明)日本美術院院友
田中抱二(1805-1885年01月)光琳派、師酒井抱一、俳名鴬居
田中墨外(1877-1957年04月19日)師橋本雅邦、截金仏画技法
田中墨仙(不明-不明)師川田墨鳳
田中墨邨(不明-不明)師川田墨鳳
田中北嶺(1838-1918年02月18日)師川口月嶺・森寛斎、剣術に優れた
田中實(1869-不明)師滝和亭
田中有美(1840-1933年02月20日)師岡田為恭、田中親美の父
田中有芳(1902-不明)師水谷芳年・服部有恒、別号篠原荘
田中頼璋(1868-1940年02月16日)[広島13]師森寛斎・川端玉章、文帝展審、写生風に山水画を得意とした
田中隆元(1947-2009年11月11日)JIAS会員
田中竜児(1927-2014年07月06日)京絵卒、新美術協会創立会員、元兵庫県日本画家連盟会長
田中凌雪斎(不明-不明)津村洞養に師事
田中良明(1831?-1877年10月15日)南画
田中六一(不明-不明)南画
田中路人(1925-2002年12月23日)創作画人協会創立・名誉会長、日本表現派創立に参加、師岩崎巴人
田中蘭谷(1890-1959年07月07日)師米山朴庵・田崎翠雲、別号幽香堂
棚田暁山(1878-1959年09月05日)師小堀鞆音
棚田泰生(1916-1977年01月21日)師森白甫、日展特選、創造美術・新制作
棚橋文子(1932-2012)元創画会員
田辺一女(1925?-2012年02月01日)無所属
田辺孤鶴(1870-不明)師船田孤舟
田辺荘掬(1903-1979年06月01日)彩象美術協会創立、神奈川美術家協会理事長、三彩会主宰、元日本画院幹事
田辺民輔(不明-不明)師別所春濤
田辺東洲(1880-1949)師山本石荘
田辺秀子(1944?-2012年02月19日)新興美術院参与
田南岳璋(1876-1928年02月11日)師幸野楳嶺・久保田米僊・野村文挙、山元春挙、連合絵画共進会等で褒状
田南岳嶂(1876-1928年02月11日)師磯部百鱗・幸野楳嶺・野村文挙、日本美術協会・日本画会会員
谷袖翠(不明-不明)博多築港記念博覧会出品
谷筑水(1896-1977)師水田竹圃
谷聴泉(1898-1939)師菊池契月
谷文中(1823-1876)幕末から明治初期の日本画家、師父文二、号魯斎
谷井秀峰(不明-1996年12月17日)漉画創始
谷井蘆岳(不明-1907)円山派、師片山蘆雪
谷垣墨溪(不明-不明)師川田墨鳳
谷角日沙春(1893-1971年03月21日)[美人画作品]師菊池契月、文展・帝展、女性画から晩年は仏画を描いた
谷口藹山(1816-1899年12月30日)師谷文晁・高久靄厓
谷口香嶠(1864-1915年10月09日)[美人画作品]師幸野楳嶺・菊池芳文、楳嶺門四天王、文展審、京都画壇における歴史画をリードした
谷口香泉(1894-1954)師望月玉泉
谷口山郷(1914-2000)岩崎巴人・長崎莫人らと日本表現派を設立
谷口湘客(不明-不明)師宮崎青谷、津の人
谷口深秋(1902-1968)師伊東深水
谷口青児(1954-2007年06月04日)日展会友、特選
谷口仙花(1910-2001)師川端龍子
谷口瀧子(不明-不明)師伊東深水
谷口南洲(不明-不明)師野際白雪
谷口富美枝(1910-2001)[美人画作品]師川端龍子
谷嶋翠邨(1931-2009年01月17日)芳翠会常任理事、公墨会常任理事
谷野圭一(1904-1984年06月20日)京都絵画専卒、師西村五雲・山口華楊、日展会友、晨鳥社所属
谷本郁子(1921?-1992年12月)師稲葉春生
谷本蘇牛(1897-1986年12月23日)独自のろうけつ染め技術を開発した染織家でもあった
谷山探成(1807-1879年01月14日)師狩野探信・馬場伊歳、谷山洞龍の子
谷山龍瑞(1832-1891年10月17日)師狩野晴川院養信・馬場伊歳、父谷山探成
種田豊水(1832-1899年10月01日)日本画家・漆芸家、師小田海僊・初代金城一国斎
田之口青晃(1897-1965年12月22日)京都絵画専卒、師西村五雲、帝展特無
田能村小篁(1878-1910年05月27日)師祖父田能村直入・父田能村小斎
田能村小斎(1845-1909年12月31日)師養父田能村直入、内国絵画共進会褒状
田能村小竹(1879-1945年09月22日)東美卒
田能村如仙(1808-1896年03月06日)田能村竹田の二男
田能村直外(1903-1997年01月21日)師田能村小篁・栢陰・竟山、元京都書画院理事長、京都市文人連盟参与、日本南画院準同人、
田能村直入(1814-1907年01月21日)[島根11]師田能村竹田、京都府画学校設立に参加・校長、日本南画協会の設立に参加、別号小虎・小虎散人
田場笙月(1913-1993年12月30日)師山口華楊、日展会友、全関西美術展審査員
田畑茄郷(1880-1967)師佐竹永湖・橋本雅邦・小堀鞆音
田畑豊秋(不明-不明)日本美術院院友
田原春塘(不明-不明)医師、師十市王洋
旅河華芳(1891-1957)師木島桜谷
田平玉華(1878-1923年12月17日)師川端玉章
多福寺鰲顛(1821?-1891年02月04日)臼杵・多禅寺第十五世寺主
田総百山(1871-1953)師森寛斎・橋本雅邦
田部香雲(1854-1930)師塩田銕香
田部宗章(不明-不明)師上代英彦
田部大備(1885-不明)師高島北海、別号備山
田戸米舟(1881-1926)師山岡米華
田部井竹香(1862-1918年09月)師神谷紫水、名鉚太郎
玉井安秀(1895-1958)師佐竹永陵
玉井敬泉(1889-1960年09月30日)師山田敬中
玉井紅嶙(1874-1933年08月09日)師垣内雲嶙
玉井桃溪(1840?-1880)師狩野永笑
玉井徳太郎(1902-1986年11月20日)出版美術家連盟会員、川端校卒
玉置頼山(1924-不明)師玉置頼石
玉置頼石(1899-1978年04月16日)師大橋翠石、日本動物画協会会長、日動会主宰、虎を得意とした
玉川巻石(不明-1888年07月13日)画僧
玉川竹溪(1825?-1893)師戸祭雪湖
田巻雲峰(1890-1950年04月02日)東美卒、山水・仏画を得意とした
玉木鶴亭(1807-1879年11月03日)洋画も得意とした
玉置環斎(1829-1912年06月14日)書画鑑定にすぐれた
玉城末一(1897-1943)[美人画作品]京都絵画専修、国画創作協会会友、新樹会の結成に参加
玉置邦山(1826?-1890)師岩瀬半夢、南宗画
玉越雲洞(1881-不明)師森脇雲溪・松岡呉藍
玉手菊洲(1839-不明)玉手棠洲の子
玉村吉典(1915-不明)師服部有恒、院展出品
玉村方久斗(1893-1951年11月08日)京都絵画専卒、師菊池芳文、三科造型美術協会・劇場の三科・単位三科の結成に参加
玉舎春輝(1880-1948年05月03日)師山元春挙、日本自由画壇結成、別号臥牛
田村綾野(1974?-2013年04月01日)日展会友
田村玉鈴(1934-2021年04月22日)全日本水墨画会理事
田村耕雲(不明-不明)徳山の画家
田村光瑩(1903-1977年03月04日)画僧、修験宗大蔵院住職
田村豪湖(1873-1940年03月09日)師佐竹永湖、日本画会会員、文展褒状
田村彩天(1889-1933年10月10日)東美卒、師寺崎広業、帝展特選
田村章溪(1882-1966)師種田豊水
田村松翠(1853-1922年05月14日)本名義雄、別号智山
田村梅雙(1815-1881年12月23日)師宮内海涯
田村樊崖(不明-不明)日本民俗資料館
田村豊洲(1897-1983年03月09日)京都絵画専卒、師西村五雲、帝展出品
田結荘千里(1816-1896)夭折の南画家
樽井青峰(不明-1996年09月19日)水墨画家・陶芸家
俵石峯(1860-不明)師松本秋颿
田原梅谷(1865-不明)師高林芳谷・藤堂二州伯
丹鶴丹(1867-不明)師上田鉄耕
團藍舟(1873-1935年12月13日)師多田藍香・吉永藍畦・川端玉章
丹阿彌岩吉(1901-1992年11月24日)師横山大観、元日本美術院院友、元明朗同人
丹慶三揚(1903-1984)帝国美術学校洋画科助手を経て日本画に転向し山口蓬春に師事、市展・県展審
丹野金示(1905-1944年02月)京都絵画専卒、師土田麦僊、国画創作協会出品
近久雪巌(1853-1945)師阿部雪庵
近松栄和(1821-1889)本名遠藤昌益、字立敬、別号雪翁・得宜園
近村雅堂(1916-2007年09月13日)日本水墨院常務理事
竹翁(不明-不明)江戸時代の画家
千種掃雲(1873-1944年10月16日)[美人画作品]師竹内栖鳳、連合絵画共進会等で褒状
筑紫翠雲(1837-1905)師堀端養恒・笹川遊原、狩野派
千地琇也(1898?-1993年06月06日)無所属
千島華洋(1891-不明)[美人画作品]師鏑木清方・川合玉堂
千島華祥(1890-不明)師川合玉堂・鏑木清方
千種誠庵(不明-不明)東洋絵画共進会に出品
因清香(1877-1961年04月14日)師竹内栖鳳
千葉雲洞(1909-1979年03月22日)師松林桂月、大恵美術院主宰、東洋水墨一心会
千葉耕斎(1873-1952)師佐藤耕雲
千葉雪堤(1863-不明)松平雪山の門人、名真
千葉鉄斎(1842-1923)師三好閑斎・荒川晴海・安田老山
千葉文清(1852-1923年09月01日)本名常蔵
千原華溪(1832-1904年02月26日)千原夕田の弟
千原昔湖(1835?-1885年11月12日)南画
千原夕田(1830-1894年01月05日)師木下逸雲・広瀬淡窓
千村甫(1913-1980)師野本文雄・野田九浦
千本碧龍(不明-不明)和歌山藩士で本町御門番の頭役
長華溪(不明-不明)師菅原白龍
張晋斎(1813-1875年11月27日)師父張月樵、名行寛、字得象、通称卯之吉、別号月戴
長竹軒(1885-1964)長竹斎の子
長八海(1811-1893)師岸駒・岸岱
長微弦(1888-不明)師長華渓
鳥海二楽子(1902-1981)師雲堂・竹圃、日本南画院常務理事
長久寺臥雲(不明-不明)萩原長久寺第十三世寺主
長美方(1865?-1934年02月23日)師水野年方、堀暁中の娘
朝陽(不明-不明)師野際白雪
塚越岳(1914-1978)東美卒、全群馬日本画協会の発足に尽力
塚越三岳(不明-1941)師山本石荘
塚原哲夫(1933-2012年12月05日)東京芸大卒
塚原南岳(1856-1919)師村瀬秋水・村瀬雪峡
塚本琴村(1890-1943)師岡田琴湖
塚本香湖(1904-不明)師朝見香城
塚本雪湖(1870-1933)松平雪山・高久隆古に学ぶ、名亮、通称亥之次郎
塚本万之助(不明-不明)鈴木鵞古に学ぶ、号萍川知新
月岡榮貴(1916-1997年06月21日)東美卒、師結城素明・前田青邨、日本美術院同人・評議員
月岡玉瀞(1908-1994年12月19日)月岡雪鼎5代、元日本能雅院同人、本名稲田文子
月居偉光(1912-1993年02月24日)師矢野橋村、日本南画院常務理事、現代南画協会副理事長
月形錦峰(1905-1970)師波多野秋錦
月田淡山(1844-1920)師佐藤鼎古・細谷風翁・神田宗隆
佃田郁(1933-1983)日本美術院院友
白青山(1880-1926)東美卒、北海道展創立会員
柘植一枝(不明-2002年01月13日)日本画府理事、元青龍社
津崎湘江(不明-不明)杵築藩士、師鉄翁
津沢末枝(不明-不明)日本美術院院友
辻宇之助(1870-1931年08月04日)都路華香の本名
辻雲仙(1887-1964年03月29日)美校を中退し農業に従事
都路華香(1870-1931年08月04日)帝国美術院会員、師幸野楳嶺、楳嶺門下四天王と称される、京都絵画専校長
辻嘉潭(1827-不明)師角谷華谷、通称左右、別号嘉潭散人・楽天斎
都路華明(1903-1965年01月16日)京都絵画専卒、師父都路華香・金島桂華、亭展・新文展出品
辻九皐(1863-1900年09月13日)師平福穂庵
辻玄順(1803-1880)華岡青州に学ぶ、名安正、号湖堂
逵紫嶂(1823?-1888)師大西雪溪
辻翠蘭女(1842-1912年12月20日)師佐藤いん斎
辻百壺(1896-1977年02月07日)師平福百穂、新興美術院会員
対馬安正(1898-不明)師小林古径、日本美術院院友
津島寿山(1864-不明)篠原香山に師事したのち上京し南画を研究、東京南画協会評議員、文墨協会評議員
対馬白龍(1904-1984年10月28日)師坂原五行、日本清興美術協会長、日本表象美術協会創立常務理事
対馬迪(不明-不明)日本美術院院友
津田栄子(1916-不明)大美校卒、日本美術院特待、前号芳子
津田英川(1792?-1877)師狩野如林
津田恵策(1856-1902年01月31日)四条派の画家
津田正太郎(1906-1937)京都絵画専門学校卒、師菊池契月
津田青楓(1880-1978年08月31日)二科会・日本表象美術協会の創立に参加、左翼との関わりで検挙された後は日本画に転向した、師谷口香きょう
津田時子(1907-不明)女子美卒、師安田靫彦、日本美術院特待
津田南皐(不明-不明)狩野・四条派の画を学んだ
津田白印(1862-1946年02月15日)師成富椿屋、甘露育児院や淳和女学校を開設
津田辨正(不明-不明)昭和初期に久留米市寺町で活動
津田真(1920-1991年03月02日)日本美術院院友
津田露色(1892?-1972年08月19日)大分市津田肛門医院長、画をよくした
蔦谷龍岬(1886-1933年10月07日)東美卒、師寺崎広業・三上仙年、帝展委員・審査員
土岡春郊(1891-1959年05月22日)花鳥画制作・鳥類生態研究、「鳥類写生図譜」刊行、
土田銀松(不明-1968年01月25日)日本画府理事、1930年協会展出品
土田雪鴻(不明-1906年02月08日)篆刻家、師平野五岳・草場船山・長三洲
土田鉄船(1812-1879)師鉄翁
土田南皐(1822-1887年03月22日)師渡辺茜園、胡兆新に私淑
土田麦僊(1887-1936年06月10日)[美人画作品]帝国美術院会員、師鈴木松種年・竹内栖鳳、小野竹喬らと国画創作協会を創立
土宗英(1926-1995年01月15日)水墨画、芦屋水墨研究会主宰
土屋鴎涯(1867-1938)山形県庄内地方で「土屋はんの鳥羽絵」と呼ばれた、「鴎涯戯画」を出版
土屋暁峯(不明-1996年07月19日)全日本美術協会理事
土屋光湖(1908-1987年06月22日)師田村豪湖、日展出品
土屋秀禾(1868-1929年08月22日)師寺崎広業・平福百穂・川端玉章、晩年は仏画を描いた
土屋泉石(1873-1938)師児玉果亭、文筆等多彩な活動をした
槌谷素竹(1882-1943)師塚越三岳
土屋竹軒(不明-不明)師別所春濤
土屋輝雄(1909-1962)師徳田隣斎・市野亨、青龍社出品
筒井清隆(1901-不明)師菊池契月
筒井楓所(1878-不明)師松本楓湖
都築華城(1890-1961年06月)師沢梅谷、名弥三一
続木君樵(1835-1883年07月16日)通称宇多三、別号六宜道人、鉄翁・逸雲に師事
続竹香(1867?-1929)師名塚王峰
塘雲田(1835-1879年10月13日)師飯塚竹斎、名は芳、字は士蘭、通称は芳造・芳蔵
堤紫僊(1887-不明)師野村紫水・松岡呉藍・石川柳城・小室翠雲
堤春草(不明-不明)南画
堤恒造(1894-1968年04月23日)師首藤雨郊
堤徳次郎(1902-不明)師安田靫彦、日本美術院院友、別号春甫
堤南国(不明-不明)美人画
綱島静観(1876-1963年12月06日)東美卒、師橋本雅邦
恒石徳治(1853-1912)師弘瀬洞意、絵金派
常岡文亀(1898-1979年11月29日)東美卒、師結城素明、帝展審・文展受賞等
常岡幹彦(1930-2015年07月11日)東京芸大卒、師山口蓬春・加藤栄三、元日展会友
恒川鶯谷(1846-1928年11月24日)師張晋斎・鉄翁、恒川宕石の嗣子
恒松愛軒(1842-1903)師貫名海屋・池内陶所・藤井竹外
津野梧窓(1836-1890)師山崎弘泰・貫名海屋
角田金谷(不明-不明)師十市王洋
角田静竹(1879-1953)師青山翠山
角田磐谷(1889-1970)高森砕巌に学んだのち寺崎広業に師事、日展委員、福陽美術会幹事長
角田北川(1818?-1881)師岩田北岳
椿活宗(1878-1927)師藤島星光
椿隆(1872-1905年08月13日)師野口幽谷、椿椿山の孫
椿二山(1872-1905年08月13日)師野口幽谷、祖父は椿椿山
津端道彦(1867-1938年04月03日)師山名貫義、土佐派、別号佳芸乃舎
坪井上之丞(1889-1975)木村武山に師事、号玉水・ム一、翠泉
坪井泰治(1904-1961年06月15日)師村上華岳、国画創作協会出品し解散後は洋画に転ずる
坪内滄明(1939-2006年07月13日)師中村岳陵、元日展会友、特選
津村青芽(不明-不明)師鏑木清方
津村洞養(1834-1905年02月21日)洞達、洞仙と三代続いた藩の御用絵師
角懸鹿谷(1867-1895)師川村雨谷・滝和亭
津本柳塘(1854-1939年02月13日)師上田田単
鶴崎熊太(1909?-2008年09月11日)新創美術協会名誉会長
鶴沢探真(1834-1893年06月30日)探山後裔、名守保、叙法眼絵所預、狩野派鶴沢家七代
鶴田機水(1874-1914年05月28日)東美卒、師川端玉章・荒木寛畝・山名貫義、連合絵画共進会等出品
鶴田煕(1927-2001年09月29日)日本画府副理事長、元青龍社
鶴原亀齢(1810-1879)狩野派
鶴原西獄(1810-1879)師堀江友声
手賀菘圃(1862-1926年09月24日)師湯口椿斎・川口月村
出口雄章(1929?-1997年09月13日)東水社客員
手島旭江(1835-1907年01月15日)師竹冨清嘯
手島二溪(1856-1901)手島香苓
出島春光(1897-1940)東美中退、油絵を描いたが渡仏は日本画家として活動
手島石泉(1852-1947年09月01日)師鉄翁・逸雲
手島素岳(1862-1936)師森琴石
寺井南滄(不明-不明)師橋本雅邦
寺門昭治(不明-不明)日本美術院院友
寺川香舟(不明-不明)師十市石谷
寺崎広業(1866-1919年02月21日)[美人画作品]帝室技芸員、東美教授、師橋本雅邦、日本美術院創立に参加
寺沢綾湖(1816-1876)鉄翁祖門に学んだとされる
寺島応姜(1817-1881年07月04日)寺島応養の娘
寺島紫明(1892-1975年01月12日)[美人画作品]日本芸術院賞恩賜賞、師鏑木清方、日展参与、文部大臣賞、美人画
寺島春響(1896-1946)師西山翠嶂、帝展・文展・新文展出品
寺田弘仭(1914-1997年07月21日)新美術協会顧問・元理事長、芸大卒
寺田秋嶠(不明-1878年08月09日)師渡辺清
寺田六華(1907-1985)師中村貞以、日本美術院院友
寺西昭和(1921-1994)師増川武雄・斎藤清策
寺本郷史(1916-2002年01月10日)師中村貞以、日本美術院特待
寺山静峰(不明-不明)四条派
照井一宅(1818?-1881)師山本琴谷
天坂古琴(1925?-1999年05月07日)日本南画院理事、日本水墨院理事長
土井聱牙(1817-1880)儒者、師斎藤拙堂、名有榕、字士恭
土居彩畝(1891-1987)師荒木寛畝
土居松鱗(1828-1885)師徳弘董斎・弘瀬洞意
十市羽谷(不明-不明)師父十市石谷
十市王洋(1832-1897年01月08日)師父十市石谷、竹田私淑
十市古谷(不明-1886年08月12日)師父十市石谷
十市石田(1864-1894年02月13日)十市石谷の孫、祖父・父に学んだ
鳥居堂風(1833-不明)師江馬細香、通称大項
堂昌一(1926-2011年09月25日)元日本出版美術家連盟会長
東海猷禅(1841-1917)師佐藤北洲・近藤藍圃・吉嗣拝山
東海林僊芳(1872-不明)師久保田米僊・久保田米僊
道幸春雨(1844-不明)師鉄翁祖門・木下逸雲
道幸春芹(1852-1932)新妻鶴巣の娘
冬至磬堂(不明-不明)南画
東條艸竹(不明-2000年06月14日)柳史俳画砂丘会監査
冬青小林勇(1903-1981)出版人・画家、岩波書店初代会長
東澤居士(不明-不明)仏像・兒戯の図を描いた
東達(1871-1945)梅林寺十六世
藤堂歸雲(1816-1887)藤堂高芬の庶長子
藤堂石樵(不明-不明)藤堂凌雲の子
藤堂蘇亭(1831-1880)凌雲の男、名良駿、字千里
藤堂高潔(1831-1889年11月18日)伊勢津藩の第12代(最後)の藩主、号二洲
藤堂凌雲(1809-1886年11月30日)師山本梅逸、藤堂梅花の子、名良驥、字千里
藤兵衛(不明-不明)押絵両目師
堂本阿岐羅(1922-2008年12月12日)京都絵画専卒、師堂本印象、日展参与、東丘社所属
堂本印象(1891-1975年09月05日)[美人画作品]文化勲章、文化功労者、日本芸術院会員、帝室技芸員、師西山翠嶂、日展顧問、芸能研究家・堂本寒星と漆芸家・堂本漆軒は実兄
堂本元次(1923-2010年01月04日)日本芸術院賞、京美卒、師堂本印象、日展参事
東洋越陳人(1836-1916年04月18日)師鉄翁祖門・木下逸雲
稲用越堂(不明-不明)南画
陶楽山(1828?-1876)師安積良斎、関山の子
桃里亭卯香女(1817-1896)師佐久間雲窓・寺沢綾明
遠上素香(1877-不明)師竹内栖鳳
遠坂文岱(不明-不明)師谷文晁
遠田悌子(不明-1993年10月)大調和会準委員
遠山青果(1907-1989年11月14日)人物画を得意とした
遠山唯一(1907-1959年10月25日)師松林桂月・伊東深水、インドの女性をミチーフにした
融紅鸞(1905-1982年05月26日)大美卒、師矢野橋村、日展出品、タレントとしても活躍
富樫景堂(1876-1952)師今尾景年
渡嘉敷唯選(1886-1927)「琉球新報」や「沖縄毎日新聞」の記者を経て美術教師となった
砥上如山(1888-不明)独修
戸川喜久良(1918-2004年07月)東美卒、師岩橋英遠、日本美術院
外川利雄(1931-2012)師尾竹邦男・長井亮之・五十嵐勉、院展院友
外川牧聲(1939?-1998年02月06日)水墨画家、日本文人画府常任理事
土岐源吾(1836-1900)師鉄翁祖門、号蓑虫山人・六十六庵主人
土岐東周(1845?-1918年05月06日)医師、師賀来飛霞
土岐暘谷(1817?-1891)医師
時枝峰雲(不明-1879)師仙厓
時川米陽(1852-1928)師松岡浄雲寺城陽
時田光稲(1837-1877年04月14日)師森高雅・土佐光文、名光稲、字寛卿、通称金右衛門、別号流翠・松蔭斎
時田直善(1907-2000年10月25日)師川端龍子、東方美術協会創立会員、元青龍社社人
時谷晃山(1940-2014年11月15日)全日本水墨画協会理事、日本・中国水墨交流協会副理事長、日本水墨画振興会副会長
常盤大空(1913-1983年04月14日)師荒井寛方・堅山南風、日本美術院同人
徳岡神泉(1896-1972年06月09日)文化勲章、文化功労者、日本芸術院会員、日本芸術院賞、師竹内栖鳳、日展顧問
徳川斉修(1797-1892)水戸第8代藩主
徳田寛所(1822-1888年01月04日)加賀藩老臣青山将監の侍医、師吉田公均
徳田玉竜(1883-1958)師村瀬玉田
徳田隣斎(1882-1947)師前川文嶺・竹内栖鳳、内国勧業博覧会褒状等
徳永観林(1890-不明)師華邨・野田九浦、帝展・文展
徳永桂堂(1880-1964)師武島桂岳
徳永春穂(1914-2005年01月19日)師伊東深水、春光会主宰、元現美展審査員
徳永操(1927-不明)日本南画院同人、日本墨彩画協会理事
徳弘董斎(1807-1881)画家・砲術家、土佐高知藩士徳弘石門の長男、師楠瀬大枝
戸倉泉石(不明-1916)師高橋杏村
都甲九峯(1876-1934年12月24日)師田近竹邨・入田被雲
所輝夫(1906-1990年05月17日)師前田青邨、日本美術院院友
土佐光章(1848-1875年07月04日)師父光文
土佐光文(1813-1879年11月09日)師土佐光起、光孚二男、字子炳、別号韓水
戸沢雪庵(1842-1905)本名盛得、字三亥、文人趣味の絵をよくした
豊島停雲(1878-1937年08月14日)師竹内栖鳳・三宅呉暁
利見喜美香(不明-不明)師木谷千種
利光皓村(1903-1964)小松島成願寺の僧、南画家
戸田英二(1910-2009年12月19日)京都絵画専卒、師池田遙邨、日展会友、青塔社
戸田海笛(1888-1931年03月25日)文展・帝展入、師米原雲海、兼彫刻
戸田霞溪(不明-不明)南宗派
戸田玉秀(1873-1931年08月06日)師川端玉章、東京勧業博覧会褒状等、川端画学校教授
戸田敬石(1898-1966)師高味石田
戸田康一(1940-2012年05月19日)東京芸大院修、創画会会員
戸田三顕(1912?-1989年02月08日)東美卒、師結城素明
戸田天波(1880-1961年03月23日)東美卒、師今尾景年・橋本雅邦・寺崎広業
戸田北堂(1837?-1898)片山雅洲の最初の師
戸田北遙(1903-1987年10月14日)京都絵画専卒、師西山翠嶂・堂本印象、国画創作協会・日展等出品
戸田葆堂(1851-1908)師天野方壷
戸田祐暉(1921-1950年08月27日)師児玉希望、日展出品
戸田良直(1895-1970)師渥美芙峰
戸塚すず(1893-不明)師池上秀畝・小茂田青樹、院展出品
土手内白樹(1944?-2008年01月11日)新興美術院理事
都島雲香(1869-不明)都鳥英喜の妻
等々力克彦(1960-1995)院展出品、多摩美卒
登内景淵(1879-1933)師高橋玉淵
登内微笑(1891-1964年03月02日)京都絵画専卒、師寺崎広業・菊池契月、帝展審査員
鳥羽雲明(1818-1880年11月17日)師岸八行、岸派、浄徳寺第11世住職
鳥羽古桐園(不明-不明)南画
戸畑溪山(不明-不明)上田鉄耕塾で学んだ
戸早春邨(1837?-1906年12月06日)医師・詩人
戸張節士(不明-不明)師中村貞以、日本美術院特待
土肥武雄(1908-1993年06月10日)京都絵画専卒、師福田平八郎、草美会主宰
飛田昭二(1927-1996年06月19日)師渡辺富栄
富岡永洗(1864-1905年08月03日)[美人画作品]師小林永濯、新聞社で挿絵を描いた
富岡九峯(1845-1892)師宮崎青谷・藤澤南岳
富岡鉄斎(1836-1924年12月31日)[北海道13]南画家・儒者、帝国美術院会員、帝室技芸員、日本南画協会の設立に参加
富岡春子(1846-1894)富岡鉄斎の妻
冨田溪仙(1879-1936年07月06日)[美人画作品]帝国芸術院会員、師都路華香・富岡鉄斎、日本美術院同人
富田壺僊(1849-1898)師岸明・帆足杏雨、内国絵画共進会等出品、全国各地を行脚し画道を研鑚した
富田細雨(1846-1907年09月03日)師稲田文笠・村瀬秋水・村田香谷、山水と得意とした
富田紫牛(1900-不明)名治作、写生画をよくした
冨田松峰(1923?-2003年01月21日)水墨画家、福井県美術協会理事
富田翠霞(不明-不明)師野際白雪
富田翠波(1923-不明)師小島紫光・玉置頼石
富田范渓(1883-1947)東美卒、師水谷芳年・池上秀畝、名賢太郎
富田墨汀(不明-不明)師川田墨鳳
富田頼渓(1928-2003年02月17日)日本動物画協会理事
富田利吉郎(1919-1995年03月26日)新制作協会出品
富田令禾(1893-1985)東美中退、京都絵画専卒、師菊池契月、郷土史家としても活躍
富所友竹(1882-1942年06月15日)坂田箭水の子、富所家の養子となった
富取清旭(1836?-1913年03月25日)富取芳斎の子
富取風堂(1892-1983年02月12日)師松本楓湖、日本美術院同人
富取芳谷(1857?-1925年11月17日)富取芳斎の子
富取芳斎(1808-1880年05月26日)師中林竹洞・五十嵐華亭
富永九峯(不明-不明)南画
富永錦堂(不明-不明)師都路華香
富永青鱗(1911-1985)日本美術院院友
富永石洲(1837?-1899年03月15日)元中津藩士
富永雪旦(1876-1913)松平雪江・望月玉泉に師事、名榮松
富長雪旦(1876-1913)師松平雪江・望月玉泉
富永竜太(不明-1931)福岡美術会日本画部評議員
富安元昌(不明-不明)師武島桂岳
富山豁園(1857?-1880)師中川愛山
富山竹溪(1845?-1878)師中川愛山
戸室臨泉(1887-1932年06月22日)師川合玉堂
留岡松影(1913-1977)師上村松園・竹内栖鳳・西山翠嶂
友定紫鳳(不明-不明)黒田長政三百年祭記念美術展出品
友田九渓(1862-1918年07月)師池田九華・内海吉造
友田白萠(不明-1998年11月05日)師安田靫彦、日本美術院院友
友田政揚(1930-2017年12月03日)日展会友、師栄三・末雄
友寄喜恒(1845-1885)琉球の絵師、唐名は恵光翰
外山雅堂(1889-1951)師橋本雅邦
豊秋半二(1907-1992年06月26日)師安田靫彦、日本美術院院賞、大観賞、大徳寺障壁画などを手がけた、本名は半次
豊岡茘墩(1808-1880)師鉄復堂
豊嶋紫雲(不明-不明)南画
豊島都山(1838-1919年10月01日)師五十嵐蠢仙
豊田松堂(1833-不明)師佐々木月岱・森義章、通称惣兵衛、字義峰、別号可楽・喜雅・耕雲
豊田専次(不明-不明)師別所春濤
豊田天来(1872-1949)東美卒、師橋本雅邦
豊田天嶺(1874-不明)松本楓湖の門人とみられる
豊田古茂(1900-1986)師三好賢古、住吉派
豊田美枝子(1932-2012年11月23日)師中村貞以、院展特待
豊田笠州(1874-不明)師松平雪江・松本楓湖、別号静観など
豊原南塘(不明-不明)師太田藍州・後藤田南渓
豊守雅章(1880-1956)師関根江左
鳥居言人(1900-1976年07月13日)[美人画作品]八代鳥居清忠と同一
鳥居忠雅(1904-1970年05月13日)昭和期の浮世絵師・歌舞伎絵師、四代鳥居清忠の門人
鳥井未央(1894-1970)川端画学校卒、師郷倉千靱、日本美術院院友
鳥居道枝(1902?-1930)[美人画作品]夫は山本紅雲
鳥飼竜海(1897-1979)東美卒
鳥越箕峰(不明-不明)師大城谷桂樵
鳥越蘆洲(不明-不明)師大城谷桂樵
鳥谷幡山(1876-1966年02月20日)師寺崎広業・橋本雅邦、十和田湖の紹介に半生を捧げた