画人伝・秋田 狩野派 中国故事

藩御用絵師から初期秋田画壇の中心人物になった津村洞養

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津村洞養「司馬温公」

津村洞養(1834-1905)は、祖父、父と続いた秋田藩御用絵師の家に生まれ、はじめ父に学び、嘉永5年に江戸に出て、狩野洞庭、狩野洞白に学び、さらに河鍋暁斎について本格的に絵の修業し、藩御用絵師を継いだ。明治になっても、初期秋田画壇の中心となって活動、明治17年に発足した秋田伝神画会に参加、明治24年の同会絵画品評会では小室怡々斎とともに審査委員をつとめた。

狩野派の様式に忠実な骨法で、故事人物をよく描いており、掲載の「司馬温公」も中国故事に取材したもの。司馬温公とは、中国北宋中期の歴史学者で政治家の司馬光のことで、幼いころから沈着冷静だった司馬光が、7歳の頃に酒甕に落ちた子どもを石で甕を割って助けたという語り伝えを題材にしている。この逸話は「司馬光の甕割り」として多くの絵画や工芸品の題材となっている。

津村洞養(1834-1905)つむら・とうよう
天保5年秋田生まれ。祖父から三代続いた秋田藩御用絵師。祖父は津村洞達、父は津村洞仙。名は重悦、通称は新達、別号に安養斎がある。はじめ父に学び、嘉永5年に江戸に出て、狩野洞庭、洞白、さらに河鍋暁斎について学んだ。明治15年第1回内国絵画共進会、明治17年第2回内国絵画共進会などに出品、明治23年第3回内国勧業博覧会では褒状を受けた。門人には小室怡々斎、田中竹翠、石井楽水らがいる。明治38年、71歳で死去した。

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