物故日本画家一覧

ま行

舞原東海(1883-1953年02月03日)師奥原晴湖、熊谷製紙常務や郷里の村長を務める、祖父は舞原耕雲、父は舞原松潭
前川五嶺(1805-1876年10月16日)師柴田義董・松村景文、別号泡斎
前川星心(1913-1996年12月)香川県展理事、県美術協会副会長
前川文嶺(1837-1917年05月01日)師父前川五嶺、内国勧業博覧会褒状、京都美術協会会員、後素協会会員
前沢麓石(1894-1985)師安藤耕斎
前島悟月(1894-1978)師木下小麟・大平小洲
前田靄斎(1883-不明)名長太郎、別号田徴
前田一鶯(1890-1939年10月08日)東美中退、師山元春挙、早苗会、名賢一
前田荷香(1833-1905年03月03日)師前田半田、半田の子、名鏡堂
前田和子(1936-2002年01月14日)全日本美術協会会員
前田其道(不明-1905年03月03日)師樋口探月
前田玉英(不明-不明)師望月玉泉、京都で活躍した閨秀画家
前田金蔵(1877-不明)師橋本雅邦、截金仏画
前田錦楓(1863-1945年10月15日)師松本楓湖・狩野芳崖・橋本雅邦、名りゑ、内国勧業博覧会等受賞
前田香陵(1880-不明)師香蘭・森村冝稲
前田士孝(不明-不明)明治頃に仙台で活動
前田秀邦(1882-不明)師日比野白圭・橋本雅邦、名豊七
前田翠崖(不明-不明)津藩士
前田青邨(1885-1977年10月27日)[美人画作品]文化勲章、文化功労者、日本芸術院会員、帝室技芸員師梶田半古、日本美術院同人、東京芸大教授、歴史画・武者絵
前田曎(1921-不明)師小松均、日本美術院招待
前田暢堂(1817-1878)師山本梅逸・中島来章、名碩、通称碩太郎、別号半田
前田直溪(1869-1942年03月07日)師田能村直入
前田貫業(1840-不明)大蔵省・博物局などに勤務、山名貫義の弟、号春迺舎
前田蹄聴(1927?-1998年12月23日)南画家、墨影会会長
前田荻邨(1895-1947年01月19日)京都絵画専卒、師西村五雲、京都市立美術専門学校助教授、晨鳥社同人
前田直衞(1915-2008年12月23日)師菅楯彦・橋本関雪・光志、日本美術院特待
前田半田(1817-1878年10月25日)師山本梅逸・中島来章・貫名菘翁
前田米子(1929-2019年01月23日)日展会員・元参与
前原豊三郎(1907-1973年10月12日)師伊東深水、新文展出品
中沢達知(1868-1945)中学校で楠永直枝の教えを受ける
真壁雲郷(1844-不明)師松岡環翠
真柄維新亭(不明-不明)師五十嵐浚明
牧綾造(不明-不明)家は旅人宿屋「松屋」
槇羽南(1865-1934)師槇五鳳
牧櫻山(不明-不明)大分地方に作品が多く残っている
槇玄範(1851-1921)漢方医、号隣仙
牧皎堂(1885-1954)京絵卒、師竹内栖鳳・寺崎広業、前号如月
巻梧石(1813-1879年03月27日)師椿椿山
槇五鳳(1814-1889)師大江雋斎・春木南溟・菅井梅関・椿椿山
真木翠篁(1925-1986年08月16日)艸炎社主宰
牧哲斎(1840-1906年05月24日)師柴田東嶺・福島柳圃・中野水竹、名斐久、通称忠三郎
牧信成(1924?-2016年11月17日)日本美術院院友
牧フミ(不明-不明)黒田長政三百年祭記念美術展出品
牧内呑風子(1917-2000)祖父は安藤耕斎、兄は牧内駿司
牧島閑雲(1851-1942)師田崎草雲
槇戸観海(1888-不明)師尾竹国観
牧野永昭(1880-不明)師佐竹永湖
槙野潔(1909-1996)師吉田秋光、元日本美術院院友
牧野交翠(1862-1931)師戸田葆堂
牧野三生郎(不明-1989)師前田青邨、日本美術院特待
牧野芝石(1840-1903)師藤井竹外・森田節斎
牧野秀一(1914-1990年02月21日)日本美術院院友
牧野松亭(1879-不明)師奥村石蘭・奥村石亭
牧野雪僊(1820-1904年07月07日)[秋田14]師狩野永悳、牧野梅僊の子
牧野大成(1907-1986年05月14日)無所属
牧野淡山(1856-1932)師梶山九江
牧野竹翠(1892-1973年12月03日)師白井青淵、三河美術展・豊橋市美術展等に出品
牧野竹亭(1861-1937年11月)師田部井竹香・神谷紫水・柴田芳洲・野崎華年、名敏太郎
牧野昌広(1883-1939)師寺崎広業・小林清親、本名昌造、雪僊の孫
牧野錬石(不明-1885年07月08日)師山本梅逸・伊豆原麻谷
牧村木南(1877-1959)師山本石叟・傍島養雲
馬来田愛岳(1895-1991)師小室翠雲、日本南画院
曲子光男(1915-2011年07月19日)京都絵画専卒、師堂本印象、日展参与、東丘社顧問
孫福梅知(1829-1889)師高木聞泉・日根野対山
正井和行(1910-1999年05月12日)京都絵画専卒、師福田平八郎・池田遙邨、日展参与、青塔社
正木圭子(1913?-1996年01月07日)日本清興美術協会会長
正木圭峰(不明-1996年01月07日)日本清興美術協会名誉会長
正木巍(不明-1983)師船田玉樹、新興美術院会員
真崎半顛(不明-不明)名一郎、白竜の門人
正山松石(不明-1923)師高橋杏村
間島竹荘(1849-不明)師神保木石・山本梅荘、名養雄
真島北光(1900-1960)東美卒、師小貫博堂
真島元枝(1909-1994年06月27日)日美卒、師前田青邨・太田聴雨・中島多茂都、日本美術院院友
益井三重子(1910-2010年03月06日)師安田靫彦・小倉遊亀、日本美術院特待
増田秋峯(不明-1887年10月20日)中津藩士、師吉田公均
馬杉青琴(1874-1910年02月23日)師熊谷直彦、婦人絵画研究会創立
増沢俊畝(1875-1969年06月18日)師荒木寛畝
益頭峻南(1851-1916年04月02日)師野口幽谷、文展審査員
増田象江(1818-1897)[秋田14]師山本梅逸、増田九木の養子
益田玉城(1881-1955年04月22日)[美人画作品]東美卒、師川端玉章、文展褒状
増田桂堂(1810-1875)高田榊原藩士、藩お抱え絵師、師椿椿山
増田香石(不明-不明)南画
益田春光(1912-1995年01月29日)師高橋立洲人、元日本南画院理事
益田正堂(1911-1973)師山口虚明・徳永桂堂
増田正宗(1886-1966年12月07日)東美卒、師下村観山
益田筈峰(1872-1945)師吉野拝山・森琴石
増田遷晁(1810-1883)幼名和助、のちに増田惣右衛門と称す、萩谷セン喬に師事
益田南扉(不明-不明)府内藩士
益田豊年(1902-不明)師河上鴻立
益田柳外(1877-不明)師池田琴峰・望月金鳳・久保田桃水・寺崎広業
桝田隆勝(1944-2021年11月03日)師森田曠平、元院展招待、元号隆一
升永陣正(1830-1907年12月11日)杵築八幡宮の祠官
増原宗一(不明-1928?)師鏑木清方
増山浩康(不明-不明)日本美術院院友
俣野方寿(1832-1890)師三谷方信
町田曲江(1879-1967年06月05日)東美卒、師寺崎広業、文展褒賞
町田竹塢(1810-1886)師楠瀬大枝
町田悦男(1920-1984)師今野忠一、日本美術院院友
馬調玉仙(不明-不明)田能村竹田と交友があった
松井章(1924-1985年10月16日)京都絵画専卒、師加藤栄三、創造美術展・新日展出品
松井亜堂(1872-1929)我楽苦多会に出品
松井暁海(不明-不明)師風折有丈(東湖)、通称弥兵衛、別号東楽庵
松井孝二(1921-1984)師西山翠嶂、青甲社、新日展・日展出品
松井宋鳩(1899-1989)師富取風堂、日本美術院特待
松井白奎(不明-不明)狩野派、白雪とよく交遊した
松井富民夫(1914-1976)クリスチャンで宗教的な題材の作品を多く残した
松井牧牛(1914-2009年09月22日)師小松均、元日本美術院院友、日本表現派代表
松井黎光(1900-1974)日本美術学院卒、師荒木十畝
松生春芳(1918-1986年12月19日)師山元春挙・川端龍子、元青龍社社人、日本画府理事
松浦応真斎(1824-1886)師山下守胤
松浦霞舟(1867-1934)医師のかたわら絵を描いた
松浦巌暉(不明-1912)師森田樵眠、四条派
松浦小坡(1883-1950年05月)師浅井柳塘、別号守拙
松浦青濤(1917-2007年09年26日)師郷倉千靱、日本美術院
松浦武四郎(1818-1888年02月10日)[三重09]幕末から明治期の探検家・出版人、別号北海道人
松浦天龍(1857-不明)師福島柳圃・滝和亭、名庄太郎、字巌、別号兼山・小桃源
松浦舞雪(1886-1970)[美人画作品]京絵卒、文展出品
松浦満(1908-1998年12月18日)師松林桂月、日展会員
松枝花洲(1869-1945)俳画、別号松月花洲
松尾晃華(1893-1983年01月25日)師梶田半古、横山大観、院展・文展等出品、福岡の美術振興に貢献
松尾其賞(1839-1907)師兄・松尾琴江
松尾松谷(不明-不明)師幽谷
松尾冬青(1907-不明)京絵卒、師土田麦僊・堂本印象、日本美術院院友、前号實
松尾敏男(1926-2016年08月04日)文化勲章、文化功労者、日本芸術院会員、日本芸術院賞、師堅山南風、日本美術院同人・理事長、多摩美大名誉教授
松尾信春(不明-2005年03月19日)創画出品
松尾馬城(不明-1905)師帆足杏雨
松尾晩翠(1877-不明)師内海吉堂、南画
松尾方丈(1922-1999年09月25日)現代東洋画会主宰
松尾美枝(1930-2012年06月22日)華星会主宰、元ima展代表理事
松尾幸治(1927-2008年04月26日)師川本末雄、晨彩会主宰
松岡映丘(1881-1938年03月02日)[美人画作品]帝国芸術院会員、師山名貫義・橋本雅邦、大和絵会結成
松岡環翠(1818-1887年07月14日)文人画家・津藩士、師五十嵐竹沙
松岡九嶷(不明-不明)竹田と交遊した
松岡玉峰(1833-1879)横手鷹、師遠藤玉瑩
松岡百泉(1886-1969)師奥富宝年
松岡太和(1894-1978年02月05日)彩漆画の第一人者、日本漆画会代表
松岡白石(1870-1910年12月)通称剛造、諱常綱、別号雲舟・寒翠処
松川藤陰(1843-1921年11月17日)師行田雲濤
松川半山(1818-1882)狂歌師鬼粒亭力丸の子、名安信、通称高二、別号翠栄堂
松木白羊(1835-1919年01月)斑目東雄の子
松口鼓春(不明-不明)師杉原鼓澤
松隈観月(1881-1941)円山派
松倉星光(1904?-1964年12月17日)文展・日展出品
松坂菜圃(1836-1912)師蠣崎縉斎・鉄翁祖門
松坂秀峰(1828-1889年03月12日)師恩田石峰・中島来章、幼名和三郎、別号倉水
松坂冬佐(1901-1978年01月07日)師小茂田青樹、日本美術院院友
松阪春久(1898-1982年11月14日)師菊池芳文・菊池契月、国画創作協会・帝展出品
松坂眠石(不明-不明)師渡辺小華、印刻に転じる
松崎直樹(1929-1975年06月12日)東美卒、師安田靫彦、日本美術院特待
松里清風(1873-1939)東美卒、師山名貫義・橋本雅邦
松澤松湖(1880-不明)師松本楓湖
松下雲畝(1888-1921)師荒木寛畝・十畝
松下慶維(1931?-1987年06月17日)サロン・ド・パリ会員
松下残菊(1850-1915)郷土史家・詩人
松下直宰(1918-不明)師田近竹邨・大野竹皐
松島芝谷(1883-1950)師小坂芝田、日本南画院を中心に発表
松島善海(1855-1923年30月23日)大江村照雲寺第十二世住持
松島白虹(1895-1937年02月22日)東美卒、師結城素明、帝展等出品
松田霞城(1859-1931年10月15日)師平福穂庵
松田葵亭(不明-不明)師東夢亭
松田郷人(1939-2019年02月07日)フランス芸術家協会永久会員
松田呉竹(不明-不明)南画
松田秀石(1879-1922)師池上秀畝
松田修平(1892-1946)師鏑木清方、太平洋画会研究所
松田杏亭(1887-1965年08月12日)師織田杏斎・池上秀畝、名錠太郎
松田樵洞(1870-不明)師鷲見春岳、名一吉
松田青風(1892-1941)師鏑木清方
松田蘇雪(1865-不明)師鈴木松年
松田立敬(1825-1894)師浦上春琴・篠崎小竹
松田竹園(1850-不明)師田能村直入
松田敏彦(不明-不明)黒田長政三百年祭記念美術展出品
松田文鳳(1876-1937)師槇五鳳
松田黎光(1898-1941年07月25日)師曼舟、国民総力朝鮮美術家協会理事
松田葦舟(1895-不明)師小室翠雲、名景男
松平雪江(1833-1914)立原杏所に学び父雪山に師事、南宗画を主に研究、『茨城常磐公園攬勝図誌』を編集
松平雪山(1794-1879)水戸藩士、師杏所、別号雪軒・東丘
松平親良(1810-1891年02月03日)杵築藩第九代藩主、師狩野勝川・田辺文琦・足立秋英
松平春樹(1898-1989年12月09日)京都絵画専卒、師横山大観・西山翠嶂、元日本美術院院友、創造美術出品
松平穆堂(1884-1962年10月15日)師黒崎研堂
松永雲濤(不明-不明)師石丸僊舟
松永冠山(1894-1965)京絵卒、師菊池契月
松永光玉(1902-1987年07月29日)師池上秀畝、新興美術院理事、新世美術会結成に参加
松永松琴(不明-不明)南画
松永松亭(不明-不明)南画
松永成路(1895-不明)師小茂田青樹、日本美術院院友
松永天章(1879-不明)師川端玉章
松永凌雲(1886-不明)師竹内栖鳳
松根雲渓(1822-1879)師菅井梅関
松野霞城(1867-1927年07月07日)師野口幽谷、日本美術協会会員、日本画会委員
松野自得(1892-1975)師小室翠雲、別号破來頓など
松野秀世(1936-2002年02月13日)日本美術院特待
松林桂月(1876-1963年05月22日)文化勲章、文化功労者、日本芸術院会員、帝室技芸員、師野口幽谷、日本南画会設立に参加、元日本南画院会長、日展顧問
松林雪貞(1880-1970)師野口幽谷
松原寛泉斎(1819-1888)八雲村神職、師狩野勝川院雅信
松原耕嶺(不明-不明)師耕雨
松原佐久(1835-1910年05月30日)師相沢石湖、土佐派・住吉派を学ぶ、各地で裁判長を務める
松原石舟(1899-1977年12月)師佐野石峯・松林桂月
松原竹坡(1845-1920)師兒島竹處
松原墨江(1808?-1885)師中川馬嶺
松久休光(1899-1956年08月06日)師荒木寛畝、読画会会員、帝展・新文展・日展出品
松廣松琴(不明-1891)師筑紫翠雲
松藤山風(1874-不明)師川合玉堂・久保田米僊
松宮芳年(1886-1970)京美卒、文展出品、元青龍社社人
松村茂雄(1893-1924)師鏑木清方・門井菊水
松村松僊(1877-不明)師久保田米僊、名茂、別号櫻雨
松村竹僊(不明-1890年09月03日)松村梅宰の次男
松村棠陰(1832-不明)南画
松村梅叟(1885-1934年03月02日)京都絵画専卒、師今尾景年、文展褒賞
枩本一洋(1893-1952年03月09日)[美人画作品]京都絵画専卒、師山元春挙・川村曼舟、帝展日展審
松本卯三郎(1906-不明)京都絵画専門学校卒
松本英峰(1910-不明)東美卒、師堅山南風、日本美術院院友
松本郭(1917-2007年01月10日)師矢野橋村、日展会友
松本一穂(1916?-1985年08月20日)歴程美術協会会員
松本華羊(1893-不明)[美人画作品]師池田蕉園・尾竹竹坡
松本亀山(1855-不明)師田中亀水
松本挙鴻(1840?-1916)師父松本此君
松本乾山(1841-1913年01月25日)師父松本此君
松本玄鷺(1836-1898)元久留米藩士
松本俊喬(1941-2018年11月25日)師吉岡堅二、元創画会友
松本宏洞(1827-1911年03月13日)師福田半香
松本護石(1921-1983)師野元琴堂
松本古村(1874-1946年02月01日)東美卒、大分県美術会を創設し、副会長をつとめた
松本此君(1800?-1879年10月)醸造業
松本榮(1927-2007年09月01日)東美卒、師山口蓬春、日展参与、特選
松本紫園(1879-不明)東美卒、師川端玉章・鏑木清方
松本芝巌(1865-1920)師塩田銕香
松本姿水(1887-1972年10月23日)師川合玉堂、日本画院創立同人、帝展審
松本清一(1883-1950)日立安来工場収蔵
松本青華(不明-不明)南画
松本仙挙(1880-1932年09月17日)師山元春挙、文展・帝展に出品
松本洗耳(1869-1906)師富岡永洗
松本爽博(1926?-2002年05月31日)無所属
枩本武雄(1902-1996年05月25日)師菊池契月、桂離宮などの模写を多く手がけた、兄は枩本一洋
松本晁光(1904-1997年06月18日)京都絵画専卒、師土田麦僊、墨心社主宰
松本哲男(1943-2012年11月15日)師今野忠一、日本美術院同人・理事、元東北芸術工科大学長
松本直治(1880-不明)師上田鉄耕・野村紫水
松本白雲(1871-1936)大阪美術学校などで学ぶ
松本楓湖(1840-1923年06月22日)帝国美術院会員、師菊池容斎・佐竹永海、日本画会結成に参加、日本美術院創立に参加
松本奉山(1925-2010年01月05日)師松本尚山、山岳画を得意とした
松本真砂雄(1900-1964年10月22日)美人画、川端画学校に学ぶ
松元道夫(1896-1990年08月12日)京都絵画専卒、師菊池契月、日展会友
松本幽石(不明-不明)川合玉堂に師事、名清一、字子龍、別号白雲居
松本☆坡(1821-1875)師浄山・梅関、☆は「凌」の「にすい」を「つちへん」に
松谷昇雲(不明-不明)明治期の美人画家
松山雲章(1805-1879)津軽の南画家、師毛内雲林
松山春秋(1909-1993年11月05日)師堅山南風、日本美術院院友
松山秋峰(不明-1935年01月01日)師山本石荘、名秋峰
松山雪童(1839-不明)名古屋の城南飴屋町に住み画を業とした
松山雪堂(不明-1914)師父松山敬誠
松山味間(不明-1873)松山琴谷の弟、師貫名海屋
間藤布山(不明-不明)船漕業家
的野石雨(不明-不明)黒田長政三百年祭記念美術展出品
真野香村(1866-不明)師村田香村・田能村直入、名適、字梅処、別号香邨・香雲山人・静観亭主人
間野凸溪(不明-1898)師横矢南山・岡田閑林
真野満(1901-2001年07月01日)京都絵画専卒、師安田靫彦、日本美術院同人・評議員
馬渕香外(1861-不明)師村田香谷・山岡米華
馬渕春涛(1888-不明)師竹内栖鳳、初号梅溪
馬淵瑞村(不明-不明)師高橋杏村
馬淵南渓(1835-1887)俳人、書画をよくした
間宮正(1911-1984年12月29日)師野田九浦、帝展・文展・日展出品
間宮露庵(1926?-2007年06月18日)師河口楽土、日本自由画壇顧問、元日本南画院同人
眞山梧洞(不明-1926)南画
丸儀太郎(1891-不明)師川端龍子、日本美術院院友
丸岡比呂史(1892-1966年05月02日)京都絵画専卒、師土田麦僊、国画創作協会会友、新樹社結成に参加
丸木位里(1901-1995年10月19日)[広島14]从会会員、洋画家の俊夫人と連作で「原爆の図」15部を共同制作、反核、反戦、人類平和を訴えた
丸木スマ(1875-1956年11月14日)丸木位里・大道あやの母
丸田省吾(1880-1961)[美人画作品]師山内多門・益田玉城
丸田竹濤(1892-1964)師水田竹圃
丸投三代吉(1911-1991年06月23日)日本美術院特待、号大挙
丸浜大檣(1876-1960年02月22日)師菊池芳文・菊池契月
丸宮素妍(1903-1997年09月25日)師結城素明
圓山咸洞(1828?-1890)師末藤臣徳
丸山雲章(1849-1907)穂高神社の花崗岩造りの手水舎に天井画を残している
丸山雲照(1882-1972年11月27日)師上野一雲
丸山雲田(1878-1937年08月23日)師菅原白龍・児玉果亭、信濃美術会結成に参加
丸山永畝(1886-1962)師荒木寛畝、読画会展・日本画会展出品
円山応鶴(1883-1943年07月20日)円山応挙末孫七世
円山応祥(1904-1981年07月21日)師円山応陽、円山派七世、応挙をはじめ同派の鑑定家
円山應立(1817-1875年03月03日)師円山応震、円山家四世、應震養子、別号才壷・米斎
丸山拳石(1841-1909年05月25日)丸山湘雲の養子
丸山古香(1873-不明)師久保田米僊・川辺御楯
丸山伍山(1834-不明)武者絵をよくした
丸山尺蠖(不明-1916)師谷口靄山
丸山翠城(1902-1975年06月07日)師小室翠雲・石原紫雲
丸山石根(1919-1999年08月06日)京都絵画専卒、師波光・中村岳陵、関西美術家連合会会長
丸山素屋(1844-1911)師古曳盤石、絵画共進会・南宗画会出品
丸山天皎(不明-1975年03月12日)日本画府理事
万福寺抱月(1836-1880)萩の浄土真宗万福寺の九世
三浦玉亭(1881-1926)師川端玉章
三浦広洋(1882-1974年10月01日)東美卒、師寺崎広業、連合絵画共進会受賞、文展出品
三浦春外(1894-1942年01月20日)師菊池契月
三浦小有斐(不明-1923年06月11日)三浦有斐の子
三浦石斎(1849-不明)師若林素文・鷲見春岳・奥村石蘭、名厚隆、字為美、通称伝八、別号雲鶴
三浦雪堂(1871-1928年10月06日)本名六三郎、別号宋眠・鳥海、俳号瓢六、村瀬玉田に師事
三浦雪峰(1861-不明)師林白水
三浦竹斉(不明-1923年06月16日)師帆足杏雨・児玉芦香
三浦晁古(1896-1979)師竹内栖鳳
三浦白琇(1919-2007年03月27日)師中村岳陵、元日展会友、特選
三浦楓江(不明-不明)三浦梅園の末胤
三浦文治(1906-1994年09月07日)東美卒・同期と六篠社を結成、松岡映丘に師事、郷土新潟の美術新興に貢献
三浦北峡(1882-1974)東美卒、師寺崎広業
三浦有斐(不明-不明)師帆足杏雨
三浦理観(1895-不明)京都絵画専卒、別号李観
三重野徐来(1829?-1911年02月02日)里正、画をよくした
三尾霞山(1854-1930)師三尾暁峯
三尾暁峯(1798-1876)師岸駒
三尾呉石(1885-1946)師大橋翠石、虎画を専門とした
三尾秀蘭(1844-1922)師三尾暁峯
三尾彰藍(1922-2011年12月14日)師山口蓬春・辰雄、日展会友
三方緋紗(1908-2002年04月11日)無所属
味方松景(1884-1945年05月10日)師竹内栖鳳・林半窓、住吉派、初号晩景
三上仙年(1836-1900年07月13日)師平尾魯仙
三上巴峡(1913-1985年05月01日)師児玉希望、日展特選
三上誠(1919-1972年01月16日)京都絵画専卒、星野真吾らとパンリアル結成、从展創立に参加
三上正寿(1915-1984年09月06日)師荒木十畝・田中以知庵、現代水墨派協会理事長、版画も手がけた
三河義太郎(1917-1991年09月19日)東美卒、師川崎小虎、日本美術院院友
三木恒山(1811-1891年04月17日)師岸駒、岸派
三木彩光(1900-1936年02月09日)京絵卒、師菊池契月
三木春暉(1852-不明)師父三木恒山、岸派
三木松嶺(1854-1922)師父三木恒山、岸派
三木翠山(1887-1957年03月25日)[美人画作品]師竹内栖鳳、帝展・新文展出品
三木道碩(不明-不明)三木恒山の父
三木文夫(1912-2004)師川村曼舟
御塩春章(1825-不明)師渡辺清・松吉樵渓
三島右畊(1929?-2008年07月07日)日本自由画壇副理事長
三島蕉窓(1856-1928年01月)師菊池容斎、晩年は南画を手がけた
水落信厓(1867-1919年10月21日)新潟県会議員、別号翠荘
水落翠荘(1893-1966年03月15日)水落信厓の子
水落東舟(1932-2004年11月24日)師露舟、雅舟社主宰
水落柏洲(1825-1904)師梁川星巌
水落楓一(1830-1897年12月23日)書画に親しんだ
水口温清堂(1833-1909)師前村洞泉、狩野派
水越松南(1888-1985年03月04日)京都絵画専卒、師谷口香きょう
水沢南芳(1860-1914年02月)師滝和亭
水島爾保布(1884-1958年12月30日)東美卒、漫画家・小説家・随筆家としても活躍
水嶋春水(1869-1894)師幸野梅嶺
水島竹翠(1899-1986)田川美術協会の日本画部門の基礎を築いた
水島裕(1917-1982年05月23日)師川端龍子、名裕、青龍社社人を経て東方美術協会創立会員
水田慶泉(1914-1997)京美卒、師父水田竹圃・堂本印象、日展会友、特選
水田硯山(1902-1988年09月07日)師兄水田竹圃、帝展特選、大東南宗院結成に参加、日本南画院顧問
水田黄牛(1897-1968年11月19日)師水越松南、日本南画院の創立に理事として参加、兄は水田竹圃、弟は水田硯山・要樹平
水田舜人(1917-1986年05月04日)東美卒、師郷倉千靱、元日本美術院特待
水田竹圃(1883-1958年07月11日)師姫島竹外、帝展審、日本南画院の設立に参加
水谷愛子(1924-2005年03月22日)女子美卒、師前田青邨・中島清之、日本美術院同人、山中雪人は夫
水谷勇夫(1922-2005年06月05日)現代美術家、日本画の素材を用いて独自の技法で描いた
水谷浩象(1904-1993年04月7日)師島崎柳塢・蔦谷龍岬、国画創作協会出品
水谷棲谷(不明-不明)師前田暢堂・山田訥斎、毛利梅友の伯父
水谷春夫(1910-1998年04月03日)東美卒、新日展出品、元日本画院同人
水谷芳年(1879-1928年08月07日)師中島有年・石河有りん、名勝挙、字平卿、通称千代吉
水谷揚生(1905-不明)師朝見香城
水溜米室(1817-1882)師岡村鳳水・鳳僊・横山清暉
水野桜山(1936?-1997年10月)師高須芝山、近代日本水墨画院理事長
水野花陰(1850-1887)師椿椿山・渡辺小崋・滝和亭
水野松巌(不明-不明)徳川藩士、別名原島松巌
水野深草(1903-1995)京都絵画専卒、師西山翠嶂、日展会友
水野畊雨(1862-1913)独修、花園町眞宗浄円寺の元住職、僧名了忍
水野静子(不明-1995年09月07日)新興美術院会員
水野清亭(1893-1920年06月22日)京都絵画専卒、師奥村石蘭・福井江亭、名清
水野疎梅(1864-1921年10月06日)独修
水野陶山(1890-1911)師大平小洲・木下小麟
水野年方(1866-1908年04月07日)[美人画作品]師月岡芳年・渡辺省亭、日本画会・日本美術院の創立に参加
水野南渓(1886-1968年01月29日)師山田松渓・鈴木松年、名徳豊、別号松年館
水野梅崖(1849-1921年04月23日)師渡辺小華、名轉、通称源市、別号葦昌・茅春・乕信・桜湖・永照堂斎
水野文華(1870-1917)師藤井松林、別号松嶺
水野陽翠(1897-1985年06月24日)師川合玉堂、日展会友、戊辰会同人
水野柳人(1896-1963)独修
水野龍年(1911-1985年10月)師父水野南渓、名茂豊
水野良哉(1879-1973)表具師のかたわら達磨画を描き続けた
溝口月耕(1820-1893年10月18日)師張晋斎、名延蔵、通称謙蔵
溝口静山(1819-1874年04月26日)新発田藩11代藩主
溝口萬年(不明-1879)師大原東野
溝部孖山(不明-不明)南画
三田桂雲(1937?-1999年12月03日)日本文人画府常任理事
御田勝平(1938?-2008年10月15日)師上條静光、新興美術院常任理事
三谷有信(1842-1928年02月05日)師狩野勝川院
三谷一馬(1912-2005年06月15日)江戸風俗画家
三谷勝沢有信(1842-1928)三谷勝波方信の長男
三谷石門(1842-1894)師貫名海屋
三谷十糸子(1904-1992年02月11日)[美人画作品]日本芸術院賞、女子美卒、師西山翠嶂、日展参事、元女子美術大学学長、三谷青子の母
三谷真澄澹園(1851-1928)久留米藩絵師三谷本家八代、三谷友林主郷の長男
三谷三雄義信(1834-1880)三谷勝浦の三男、師狩野永真
満井寒泉(1894-不明)独修
三井飯山(1881-1934)師田能村直入、日本南画院の設立に参加
三石紅樹(1901-1969年06月25日)師堅山南風、日本美術院特待
三石愛里(1894-1989)菩薩像千体奉写を達成した
三ツ石景洲(1892-1946)別号真泉
三ツ石三笑(1820-1918)別号橘香山人、唐沢湖城の従兄弟
光浦霽月(不明-1995年11月26日)京都文人連盟運営委員
三岡明(1901-1942年05月13日)師寺松国太郎、国画創作協会出品、新樹社結成に参加
三澤鼓舟(不明-不明)南画
光島呉城(1891-不明)師速水岳陽・早川世外・小林呉橋、名律治、別号麗江・煙外・老蛙堂
満田天民(1905-1985年12月15日)師永田春水、元展美術協会会長
三橋節子(1939-1975年02月24日)京都市立美大卒、新制作展・創画展出品、夫は鈴木靖将
三堀舜董(1898-1987)師岡本清彦・池上秀畝・小堀鞆音
三松松琴(不明-不明)三松青洲の長女
三松青洲(1833-1907年11月24日)師広瀬淡窓
三宗智惠子(1936-2007)日展会友、青塔社
三森山静(1864-1920年02月16日)師平福穂庵、画風は穂庵に近似している、本名・清治
三矢琴泉(1873-1946)師秦金石、名栄三郎、別号登彬
三矢半亨(1873-不明)独修、名栄三郎
光安椎仙(1880-不明)師竹内栖鳳
三露千鈴(1904-1926)[美人画作品]師木谷千種
三露千萩(1882-1952)[美人画作品]師木谷千種
水戸童(1937-2016年04月03日)師伊東深水、日展会員・元評議員、審査3、特選2
三苫英之(1803-1876)三苫家三代、代々博多山笠絵を描いた
三苫顧一(不明-不明)黒田長政三百年祭記念美術展出品
三苫祖山(1866-1943)南画
水上香雪(不明-1877)水上源淵(蘭堂)の娘
水上泰生(1877-1951年02月21日)東美卒、師寺崎広業、元帝展委員
皆川東僊(1877-不明)小室怡々斎・久保田米僊に師事
皆川晩霞(1892-不明)田崎草雲に学ぶ、名麓
湊青古(1875-1945)四条派
南春兆(不明-不明)日本美術院院友
南谷水(1881-1938)農業のかたわら絵筆を握った
南谷春雄(1903-不明)東美卒、師郷倉千靱、日本美術院院友
源喜邦(1806-1885)師狩野信広
三根墨荘(不明-不明)師川田墨鳳
峯岸魏山人(1900-1985年03月27日)国画院創立・会長、墨の国展運営委員、二紀会名誉会員
峰村香圃(1859-1909年08月14日)師滝和亭・福島柳圃
峯村北山(1899-1962)師高島北海・小室翠雲、日本南画院展等出品
三野光治(1928-2009年08月03日)立鼎社水墨画協会監事
蓑虫山人(1836-1900年02月20日)[岐阜08]通称源吾、師は不詳だが渡辺崋山の画風を慕い、一説には長崎の鉄翁に学んだともいわれる
箕輪芳二(1926-2022年03月17日)師郷倉千靱、日本美術院特待
三原慧高(1852?-1896年01月14日)師淵野桂僊・村田香谷・鈴木百年
三原玄海(1856-1948)南画
御船綱手(1876-1941年08月29日)東美卒、師木村応春・川端玉章・橋本雅邦
御船半山(不明-1897)師梶山九江・佐々布篁石
美馬君田(1812-1874年07月27日)幕末の志士、師美馬太玄
美馬晴伯(不明-1966)南画
三村石峰(1845-1882)師中西耕石
三村石邦(1903-1997)師郷倉千靱、日本美術院特待
三村雪嶺(不明-不明)師加来孤山
三村竹山(不明-1904)師神田耕雲、藤堂侯に仕えた
三村悠紀(1924-2006)師加藤晨明・鈴木竹柏、日展会友
宮雲山(1831-1881年03月14日)師釧雲泉
宮入黎光(1890-1958年03月14日)十日町小学校の代用教員をつとめた
宮内文山(1888-1966)医師のかたわら絵を描いた
宮城晴洲(1821-1886)師高松圭璘
宮城石鹿(1882-不明)師西山翠嶂
三宅英湖(不明-1924)牛画を得意とした
三宅英斎(1810-1878)師玉手棠洲
三宅薫(1922-不明)師小松均・片岡球子、日本美術院院友
三宅凰白(1893-1957年02月26日)[美人画作品]京美卒、師山元春挙、旧号呉月
三宅呉暁(1864-1919年08月26日)師幸野楳嶺・森川曽文、絵画共進会・文展褒状
三宅聴雪(不明-不明)南画
三宅竹隠(1862-1903年10月)師田能村直入、南宗画学校校長
三宅友信(1807-1886年08月08日)蘭学者
三宅拈華(不明-1927)渡辺小華の門人、初号蘭台
三宅秀雄(1916-2004年01月11日)東美卒、師児玉希望、日展会友
三宅舞村(1833-1907)師広瀬淡窓・貫名菘翁
宮坂一義(1912-不明)師横山葩生、元日本美術院院友、元白士会顧問
宮坂勝春(不明-不明)代々の菓子商
宮坂巴堂(1882-1957)岡谷美術考古館
宮崎茂人(不明-不明)日本美術院院友
宮崎碩山(1855-1924年10月26日)師後藤碩田
宮崎武夫(不明-1980)東美卒、師結城素明、新興美術院会員
宮崎照雄(不明-不明)昭和頃に活動
宮崎東里(1900-1962年11月17日)師堅山南風、日本美術院院友
宮崎佛南(不明-不明)師森下青谷
宮崎亮吉(1916-1996)日展(京都)会友、師池田遙邨
宮里静輝(1881-1952年08月13日)師鈴木松年・田村豪湖
宮沢子昇(不明-不明)宮沢勇之助の子
宮沢静居(1869-1946)師大平小洲
宮澤節子(不明-2010年04月17日)日本画府理事
宮澤鉄夫(1898-1966年12月19日)東美卒、師結城素明、日本画院同人
宮沢百山(1833-1893)師小田海僊
宮沢勇之助(不明-不明)宮沢鶴斎の子
宮地延(1918-不明)師渥美芙峰
宮下文蟻(1819-1881年11月28日)四条派、伊地知希賢の子
宮下幽畝(1878-1949)師荒木十畝・池上秀畝
宮島柳正(1850-1940)師滝和亭
宮庄一藤(1846-1919)九谷焼の陶画工、四条派の画をよくした
宮杉伝八郎(1818-1892)幕末から明治期の官吏、名直親、号槐庵
宮瀬泉城(1901-1984年01月07日)師関雪、別号艸雨、帝展などに出品
宮田海岳(1826-1902年09月)塩沢小学校付属目来田小学校初代校長
宮田司山(1889-1971)師菊池芳文・荒木十畝、日本画会会員
宮田慈泉(1903-1986年08月)師桐谷洗鱗
宮田隆子(1895-不明)横山大観に私淑、日本美術院院友
宮田洞雪(1828-1897)師狩野洞春、狩野派
宮田友川斎(1860-不明)師弘瀬洞意、絵金派
宮岳春山(1869-1918年01月28日)平野五岳に私淑
宮地逸斎(1847-1918)師名草逸峰
宮戸松斎(1857-1906年10月29日)独修、名宗太郎、別号月華
宮橋慥軒(1854-1886)土井ゴウ牙の三男
宮原勝伯(1859-不明)久留米高等女学校の図画教師をつとめた
宮原水雲(不明-不明)明治初年頃、浜松県課長を務めていた
宮原明良(1904-1968年07月09日)師松林桂月、帝展等出品、水墨抽象画
宮原柳僊(1899-1984年08月05日)師小室翠雲・岸浪柳溪、国宝仏画の復元に尽力した
宮路柳霞(1853-不明)師稲田文笠・渡辺小華、名東一、別号柳霞堂、表具屋・柳霞堂店主
宮本寄傲(不明-1925)師岸岱
宮本骨清(1814?-1894年05月08日)田能村竹田・森狙仙に私淑
宮本青架(1913-1979年08月01日)師安田靫彦、日本美術院特待
宮本八松(1828-1896)俳画と得意とした
宮本昌雄(1917-不明)師中島清之、日本美術院院友
宮本龍嶺(1819-不明)師岸岱
宮良安宣(1862-1931)最後の八重山蔵元絵師
宮脇杏峰(1869-1958)我楽苦多会出品
三好雲仙(1812-1895年04月12日)師古市金峨
三好応岸(1832-1909)師三好応山・大西雪溪
三好清篤(不明-不明)三好観斎監物清房の子
三好賢古(1839-1919年05月18日)師守住貫魚・住吉広賢、住吉派
三好鉄香(1836-1885)師続木君樵
三吉富久(1914-1940)師北野恒富、美人画
三好藍石(1838-1923年10月20日)師児島竹処・山田梅村・鉄翁祖門
三輪越龍(1868-1952)師鈴木松年
三輪可墨(1830-1901年03月25日)師山本鉄山・山本梅逸・小島老鉄、通称喜兵衛
三輪清江(1908-不明)師矢沢弦月・望月春江
三輪青谷(不明-不明)師鷲見春岳、名福松
三輪千稲(1896-不明)師森村冝稲
三輪高英(1904-1995年03月13日)師中島華鳳・堂本印象、平安桜楓会代表、元新興美術院理事
三輪晁勢(1901-1983年09月07日)[美人画作品]日本芸術院会員、日本芸術院賞、京都絵画専卒、師堂本印象、日展顧問
三輪敏夫(1906-2000年11月19日)東美卒、師中村岳陵、日展会友、日本山林美術協会会員
三輪蟠龍(1803-1879年11月20日)儒者・医者、菅楯彦の祖父
三輪良平(1929-2011年04月20日)京美卒、師山口華楊、日展参与、京美
武井泰道(1932-2018年09月03日)日本墨相展名誉代表、墨相画心統一筆法創元
向井久万(1908-1987年01月20日)師西山翠嶂、青甲社、創造美術の創立に参加、創画会創立会員
向井舟皐(1820?-1892)師上杉墨水・宮内梧皐
武笠玉秋(1893-1968)独学で学ぶ、伝統美術会所属
向原常美(1943-2016年11月01日)日本表現派同人・委員、玄の会主宰、虹色空間主宰
武者篁斎(1824-1885年03月26日)師岸駒
牟田秀月(不明-不明)四条派
武藤彰(1913-2006)京絵卒、文展・日展出品
武藤嘉門(1910-1995)師伊東深水、前号佐太郎
武藤孤舟(1911-2010年03月15日)師橋本静水、雪舟国際美術協会名誉顧問、別号不二庵
武藤重次(不明-1986年05月18日)日本画府評議員
武藤直信(1885-1971年03月)東美卒、師島田佳矣
六人部暉峯(1879-不明)師竹内栖鳳、六人部是暉の二女
棟方月海(1836-1904)悠々自適に書画に親しんだ弘前藩士
無門(不明-不明)仙台年中行事「流木図」を描いている
村閑歩(1904-1988)東美卒、師中島秋圃、富山の日本画振興に貢献
村井竹山(不明-1980年12月31日)日本画府常務理事
村井芳流(1880-1953)東美卒、藤島静村に師事
村岡応東(1873-1946年05月16日)師松本楓湖、緑巽会・巽画会、文展・帝展等出品
村岡萠芽(1883?-1962年06月04日)日本画府委員、師春挙
村形雲涛(1855-1924)師小松雲涯
村上愛岳(1838-不明)師安井安山
村上委山(1867-1936年10月15日)師滝和亭、日本美術協会展等で受賞、別号香露山房・白蓬画房
村上華雲(1862-不明)師日比野白圭・奥村石蘭・鈴木松年、通称敬一
村上華岳(1888-1939年11月11日)[美人画作品]京都絵画専卒、師竹内栖鳳、国画創作協会創立会員、帝展無鑑査
村上臥牛(1904-1993)名は勝
村上華谷(1867-1927年10月29日)師大河戸晩翠、名啓八、字松寿、別号安楽堂主人
村上我石(1844?-1914年07月22日)晩年中津に来て画をよくした
村上菊田(1811-1881)広島藩士、師小倉武駿
村上漁邨(1830?-1900)師畑尾茶庵
村上香峯(不明-2009)新興美術院会員
村上姑南(1818-1890年06月21日)師広瀬淡窓、南画
村上志郎(1900-1949年11月23日)師小野竹喬・土田麦僊、国画創作協会出品
村上精僊(1857-不明)師堀江友節
村上石雲(1869-1930)津和野町妙壽寺住職
村上爽峰(1915-1996年11月25日)日本国際美術家協会会員
村上太魯(1907-1996年07月14日)創作画人協会の結成に参加・名誉理事、日本表現派創立会員
村上千鶴子(1933-2003年11月28日)師祖父玉泉、正筆会準同人
村上鏑邨(1822-1893)師中西耕石、勤王画家とも呼ばれる
村上天心(1877-1953年10月22日)飯淵櫟堂に学び後に独修、杵築に移る
村上田長(1838-1906年02月21日)中津藩典医
村上南嶺(1836-1916)師浜口南涯
村上瓢園(不明-不明)師堤紫僊
村上鳳湖(1879-1955)師松本楓湖・川合玉堂
村上望山(1870-1939)名望子、留守家家臣・佐藤竜三郎の長女
村上凌雪(1908-2003)師山本柳雪、日本南画院同人
村雲大樸子(1893-1957年07月27日)師川合玉堂、帝展出品、日本美術会の創立に参加
村越都規(1933?-2000年08月13日)無所属
村下美芳(1915-1975)新興美術院会員
村嶋酉一(1897-1973)東美卒、師結城素明
村瀬義徳(1877-不明)東美卒、師寺崎広業、名義徳
村瀬玉田(1852-1917年10月12日)師養父双石・横山清暉、日本美術協会審、別号・彩雲亭
村瀬魚親(1824-不明)徳島藩御用絵師、師守住貫魚、住吉派
村瀬秋水(1794-1876年07月30日)師中林竹洞・張月樵・野呂介石・鉄翁、名徽、通称平三郎、字世猷、別号韓江・秋翁
村瀬青涯(1890-不明)師平井直水、名慶輝
村瀬雪峡(1830-1879)師村瀬秋水、秋水の長男、画を秋水に詩文を伯父村瀬籐城・佐藤一斎に学ぶ、名東作
村瀬双石(1822-1877)幕末から明治初期の日本画家、四条派、名魚、号彩雲
村瀬雙石(1822-1877)四条派、名魚、号彩雲
村瀬太乙(1803-1881年07月03日)画家・儒者、師頼山陽、名黎、通称泰一、字太乙、別号太乙散人
村瀬長晃(不明-不明)師橋本関雪・前田青邨
村瀬藍水(1861-1892)師村瀬秋水・村瀬雪峡
村田応成(1816-1877)師円山応震
村田閑(1902-不明)師安田靫彦、日本美術院院友
村田香谷(1831-1912年10月08日)師日高鉄翁・貫名海屋、父は村田東圃、名叔、別号蘭雪・適園、日本美術会の結成に参加
村田茂樹(1946-2018年07月01日)無所属、山種展等出品
村田寂順(1838-1905)僧侶
村田秋江(1836-1890)師村田東圃
村田小圃(不明-1921年10月03日)師稲田文笠・渡辺小華、本名周作
村田猛(1918-1999年02月)師奥村土牛、日本美術院特待
邨田丹陵(1872-1940年01月27日)師川辺御楯、日本美術院創設に特別賛助員として参加
村田泥牛(1906-1980年03月31日)師小林古径、日本美術院特待
村田東谷(1884-不明)師川端玉章、村田香谷の子
村田白峰(1837-1918年09月28日)師清水麓松
村田文欣(不明-不明)師田辺文琦
村田瑞枝(1914-2001年10月21日)師小林古径、日本美術院特待
村田行弘(1935-2005年12月24日)師無憂樹、大阪美術協会常任委員
村田美実(不明-1880)津和野藩士、師佐藤一斎
村永定観(1919-1992年01月25日)東美卒、新制作協会展等出品
村野深秋(1902-1968年02月25日)師伊東深水
邨松雲外(1870-1938)師森寛斎
村松乙彦(1912-1983年10月13日)師中村不折・児玉希望・矢崎弦月、日展評議員
村松小洲(不明-不明)渡辺小華の門人、初号小邨、村松白華の子
村松白華(1821-1897)福田半香の門人
村松秀太郎(1935-2018年11月21日)師吉岡堅二、元創画会会員
村山鶴巣(1835-1895年09月01日)画僧、広大寺二十五世
村山徑(1917-1987年01月23日)日本芸術院賞恩賜賞、師児玉希望、日展理事、総理大臣賞
村山紅果(1902-1984)師小堀鞆音
村山克谷(1903-1951年01月22日)師瀬尾南海
村山翠屋(1818-1890年11月01日)師山本梅逸
村山水光(1920?-2003年02月17日)無所属
村山竹翁(1828-1903年03月15日)関口雪翁に影響を受けたと思われる
村山致道(1820-1884)師岸駒
村山哲斎(1821-1899)師帆足半雨・村山致道
村山半山(1858-1884年07月20日)師大橋訥庵
室井東志生(1935-2012年10月05日)師山口蓬春・橋本明治、日展理事、総理大臣賞、会員賞、特選2
室田湖山(1841-1889)師古市金峨・田能村直入
室田秀太郎(1909-1981年08月27日)京都絵画専修、日展会友、華楊塾晨鳥社役員
室野素月(1884-1937年03月18日)東美卒、金城画壇作品展出品
目賀田介庵(1813-1880年04月27日)南画家、師谷文晁、号介翁・文村
目黒巣雨(1910-2009年09月20日)師内山雨海、アート未来常任理事
毛利秋晃(1898-1949)京絵卒、師春挙
毛利錠佐久(1905-不明)師井川洗崖・門井掬水
毛利武彦(1920-2010年04月13日)東美卒、師山本丘人、創画会会員、武蔵美大名誉教授
毛利精(1837-1874年07月25日)毛利空桑の二男
毛利梅友(1885-不明)師水谷棲谷・田能村直入、名卓、字士熙、別号半窓・竹影草堂主人
毛呂桑陰(1854-1930)師田崎草雲・皆川柳涯・河野東寧
茂木翠堂(1888-1972年09月27日)師田中頼璋、信濃美芸倶楽部の結成に参加
持田卓二(1906-1995)美校卒、師渓仙、別号卓人
持田卓人(1906-1995年05月12日)京都絵画専卒、師冨田溪仙、日本美術院院友
望月雲荘(1832-1896)椿椿山に学ぶ、名俊
望月雅章(1870-1918)望月硯斎の長男
望月玉渓(1874-1938)師父望月玉泉、日本美術協会会員、日本美術会会員
望月玉泉(1834-1913年09月16日)帝室技芸員、師父望月玉川、内国勧業博覧会等で活躍
望月金鳳(1846-1915年07月18日)師森一鳳・完瑛、文展審、狸の絵を得意とした、初号小蟹
望月玄汪(1959-2015年11月01日)日本美術展院友、鎌倉勧画館仏画研究部門主任
望月硯斎(1843-1911)師父望月章斎
望月定夫(1913-1994年04月08日)東美卒、師中村岳陵、日展評議員
望月春江(1893-1979年02月13日)日本芸術院賞、師結城素明、日展参与、日本画院創立に参加、元日本美術家連盟理事長
望月章斎(1814-1892)師狩野洞章
望月青鳳(1886-不明)師養父望月金鳳・竹内栖鳳・山元春挙、東京勧業博覧会褒状等
檍松塢(1838-不明)師尾形洞霄
物集高世(1817-1883年01月02日)歌人・国学者、山水画をよくした
本居豊頴(1834-1913)紀州の国学者
本方秀麟(1881-1932年09月23日)師垣内雲麟
本沢竹雲(1836-1907)儒学者
本島翠苑(1907-不明)師野元琴堂
元野柳園(不明-1933年06月26日)美人画をよくした
元野木平僊(不明-不明)師斎藤秋圃
本橋富夫(1932-2020年05月12日)師前田青邨
本広礼(1906-1937)師首藤雨郊
本宮柳所(1839-1901年10月)師狩野立信
本山紫山(不明-不明)南画
茂庭竹泉(1833-1922)師東東莱・貫名海屋・鉄翁祖門
桃沢茂春(1873-1906年08月29日)東美卒、岡麓・香取秀真らと短歌誌「国華」を出版
桃沢如水(1873-1906年08月29日)東美卒、師橋本雅邦、正岡子規の根岸短歌会に参加し歌作にも打ち込んだ
百瀬徳三郎(1909-1993)師蔦谷龍岬・児玉希望・田中青坪、日本美術院院友
桃野夢子(1935-2015年11月08日)無所属
森朱美(不明-1997年03月23日)和歌山県美術家協会会員
森霞巌(1842-1908)森東溪の子
森華江(1899-1966)師池上秀畝・武田頼恭
森寛斎(1814-1894年06月02日)[美人画作品]帝室技芸員、森徹山に学び養子となる、円山派の重鎮として活躍、別号桃渓・晩山
森閑山(1844-不明)師森一鳳
森関山(1844-不明)師森一鳳
森杏溪(不明-不明)師高橋杏村
森魚海(1876-1928年11月51日)師森魚渕、住吉派
森琴岳(1863-不明)師村田筆岳、四条派
森琴石(1843-1921年02月24日)帝室技芸員、師鼎金城・忍頂寺静村、文展審、南宗画会顧問
森月城(1888-1961年11月21日)師竹内栖鳳、文展・帝展出品、兵庫の日本画振興に貢献
森公挙(1903-1979年01月02日)師山元春挙、森寛斎の孫
森紅凝(1897-1983年07月07日)東美卒、師結城素明、国画創作協会・院展出品後画壇を離れる
森広陵(1874-1921)師森霞巌・寺崎広業
森沙鴎(1874?-1932年02月28日)師十市王洋
森三樹(不明-不明)名昭治、山水が得意
森茂雄(不明-1940)東美卒
森二鳳(1818-1891年01月12日)森一鳳の養子
森秋江(不明-1894年11月27日)森家の一族丸三森家の人
森守明(1892-1951年07月11日)[美人画作品]京都絵画専卒、師西山翠嶂、青甲社、帝展無鑑査、堂本印象は義弟
森春岳(1836-1917年05月)師岸連山
森松塢(不明-不明)師広瀬林外
森青軒(1849-不明)森菱許の子
森静古(1821-1888)森秋艇の第三子
森対石(1848-1919年09月16日)師赤松藍洲・真田円山・木村耕巌
森泰石(1870-1940)師鈴木松年・大橋翠石、名豊次郎、字子秀、別号仙鏡・萬翠園
森為泰(1811-1875)師千家尊福・中村守臣
森直樹(1847-1908)高松藩画師、森良敬の子
森魚渕(1830-1909年10月23日)師守住貫魚、住吉派
森梅逕(1902-1984年08月09日)師水田竹圃、日本南画院常任理事、東洋南画院を創設
森白甫(1898-1980年05月27日)日本芸術院会員、日本芸術院賞、師荒木十畝、元多摩美術大学教授
森半逸(1848-1940)師村瀬秋水・前田暢堂、名喜兵衛、字子静、別号六々斎、森泰石の従兄弟
森半景(1858-1938)師森泰石・田能村直入・山本梅荘、通称嘉禄、字子脩、別号半逕・半渓・無墨斎
守墨叟(不明-不明)師川田墨鳳
森昌義(不明-不明)森カイ谷の父
森有一(1897-1984年10月30日)師武者小路実篤
森雄山(不明-1917年05月)祖父森寛斎に師事し後に養子となる、後素協会の発足に委員を務める
森養齋(1859?-1928)狩野派、師堀端晴野
森養淳(不明-不明)師狩野晴川院養信・馬場伊歳
森良敬(1809-1880)師土佐光文、森東溟の子
森緑翠(1917-1999年03月10日)師中村岳陵、白士会創立会員
森六々斎(1848-1940)師村瀬秋水・前田半田
森六峰(1879-1946年02月14日)師河合栗邨・田能村直入
森合木仙(1871-1921)福島絵画研究会を結成
森岡顕道(1852-1886)師山口五水
森上青水(1906-1998)師五井金水
森川菊畝(1880-不明)師荒木十畝、日本美術協会・日本画会で受賞
森川翠水(1945-2020年05月12日)翠水会主宰
森川青坡(1900-不明)[美人画作品]師西山翠嶂
森川曽文(1847-1902年12月27日)師前川五嶺・長谷川玉峰、四条派五嶺門、日本美術協会委員
森崎春潮(1849-1897)徳島藩船絵師、師守住貫魚、住吉派
森崎桃春(1814-1887年09月05日)徳島藩船絵師、師守住貫魚、父森崎春旦、住吉派
森崎伯霊(1897-1992年12月02日)日本美術院特待
森作湖仙(1876-不明)松本楓湖の門人、歴史画・人物画をよくした
森茂高嶙(不明-1900年04月10日)師垣内雲嶙
森下省己堂(不明-不明)南画
森下青谷(不明-不明)川村雨谷の門人、名佐七
森島松坡(1869?-1901)細谷立斎の子
守住貫魚(1809-1892年02月26日)徳島藩御用絵師、帝室技芸員、師住吉弘貫、徳島藩絵師
守住周魚(1859-1925年09月03日)師守住貫魚、貫魚の六女
守田☆川(1884-1928)師堤紫僊、☆は「酉」+「音」
守田亦可(不明-不明)南画
森田玉仙(1923-1993年09月)師玉置頼石、日本動物画協会理事長
守田桂窓(1823-1894)師中西耕石
森田曠平(1916-1994年12月29日)師安田靫彦、日本美術院同人・評議員、歴史人物画を得意とした
森田沙伊(1898-1993年10月12日)日本芸術院会員、日本芸術院賞、東美卒、師結城素明、別号沙夷、日展顧問
森田秋香(1867-不明)本名は伸恵
森田春光(1879-不明)師川端玉章・井上文龍
森田青起(1914?-1986年11月23日)現代水墨画協会監事、百墨会会長
森田静也(不明-不明)東美卒、群馬県前橋中学などで教員をした
守田石香(不明-不明)紙商屋
守田洞山(1869-1900)師中西耕石・吉嗣拝山・平野五岳
森田秀治(1910-不明)日展会友
森田揚甫(1869-1955年02月09日)師石河有りん・素雲、名定
森田緑雲(1853-1913年08月25日)師渡辺小華、名光文、京都青年共進会一等賞
森谷南人子(1889-1981年03月11日)京都絵画専修、師竹内栖鳳、国画創作協会出品、新樹社の結成に参加
森戸果香(1898-1993年12月24日)師小堀鞆音、匠日展・帝展等出品
森戸國次(1904-1991年08月16日)師山口蓬春
森永雲溪(1914-不明)師中村梅庭
森村宜稲(1871-1938年10月04日)師奥村石蘭・木村金秋、日本美術協会審査員
森村采園(1801-1873年03月28日)岡田閑林に学ぶ、名嘉教、通称米治
森村紫峰(1888-1956年02月)師酒井道一・森村冝稲、名田鶴子、別号峯光、森村冝稲の妻
森村宜永(1906-1988年05月04日)東美卒、師松岡映丘、名冝永、通称行雄、別号稲門、森村冝稲の子、日本画院顧問
森村冝稲(1871-1938年10月04日)師木村雲渓・日比野白圭・木村金秋、通称悌二、別号雲峰、森村冝民の子
森本亀川(不明-不明)南画
森本紫雪(1935-2014年09月22日)遙玄水墨画協会会長
森本秋涯(不明-不明)師奥村石南・小島老鉄
森本遙(1923-2004年05月21日)遙玄水墨画協会会長、師矢野鉄山、元全日本水墨画協会創立会員
森本有泉(1917-1988年04月11日)師中村貞以、日本美術院特待
守屋多々志(1912-2003年12月22日)文化勲章、文化功労者、師前田青邨、日本美術院同人・評議員、元愛知県立芸術大学教授
守屋未息(1896-1970)師沼夜涛
森安石象(1879-1952年12月)師谷口香きょう、歴史画
森安濤石(不明-不明)南画
森山越山(1847-不明)森山信谷の弟
森山香浦(1883-不明)美校卒
森山其声(不明-不明)師堀江友声
森山壽静(不明-不明)師堀江友声
守山湘颿(1818-1901)師鉄翁祖門
森山信谷(1838-1893年12月05日)師椿椿山
森山精玉(不明-不明)師堀江友声
森山麦笑(1901-1946)師橋本永邦・橋本静水、日本美術院を退会して新興美術院の創立に参加
諸葛信澄(1849-1880)諸葛力斎の子
諸永青晁(1906-1971年04月26日)京都絵画専修、師堂本印象、新美術協会結成に参加
諸橋湘江(1858-1929)師富取芳斎・守山湘風
諸藤春山(1890-不明)師平井楳仙・猪飼嘯谷
諸藤英世(1919-1999年01月12日)師嘯谷・堂本印象、新興美術院顧問
諸星成章(1870-1943)師川端玉章、明治絵画会の結成に参加、日本画会幹事、川端画学校教授