画家略歴

秋田(15)-ネット検索で出てこない画家

昭和期の画家(2)
牧野昌広
明治16年本荘市中横町生まれ。本名は昌造、雪僊の孫。18歳で上京し、小林清親に学び、のちに郷土の先輩・寺崎広業に師事した。身体が弱く、十分に実力を発揮できなかった。昭和14年東京で死去。

伊藤春興
明治27年横手市生まれ。本名は粂之助。少年時代に近所に住んでいた柴田棋渓に手ほどきを受けた。師の棋渓は京都の幸野楳嶺の門人で幅広い知識を持っていたため、春興も修業中に古今の絵画知識を広めることができたようで、いろいろな流儀の絵を描いたが、特に四条派の山水、花鳥、人物を得意とした。絵のほかに音楽、書道を趣味とし、横手で書道研究会を開いていた。昭和16年5月死去。

荘司半仙
明治3年7月3日由利町町村生まれ。荘司義敦の長男。代々神職だった。絵は牧野雪僊に学んだ。明治24年から43年まで小学校教師。昭和19年4月14日、74歳で死去した。

鈴木大祥
明治16年北秋田郡森吉町阿仁前田の名家・佐藤家に生まれ、神官の鈴木家の養子になった。大館中学を卒業後に上京して洋画を学び、帰郷後は森吉神社に奉仕した。その合間に地元の庄司穂軒に日本画を学び、のちの再び上京して小室翠雲に師事した。昭和19年11月11日死去。

柴田松谷
明治23年横手市上田中生まれ。南谷の孫、楳渓の子。京都美術学校、次いで京都絵画専門学校に入学し、森本東閣や木島桜谷に四条派を学んだ。この時期に竹内栖鳳、山元春挙、菊池芳文らにも教えを受けた。京都から帰って一時横手高女の絵画教師をしていたが、こんどは東京に出て、川合玉堂について学んだ。昭和20年死去。

矢野文川
明治9年生まれ。本名は健蔵。佐竹北家の士族操八郎の長男。角館小、刈和野小を経て、明治34年からは中仙町長野小校長を務めた。42年長男の大学進学のため横浜に転居、近郊の小学校教師となる。近くに南画家の征田文圃がいたので絵を習い、師に一字を譲り受けて雅号とした。昭和21年10月21日死去。

藤林豊稔
明治31年西仙北町刈和野字刈和野生まれ。本名は豊治郎。兄の柴関も日本画家。青年時代に上京し川端画学校日本画科に学び、帝展に《松》を出品した。昭和24年死去。

藤林柴関
明治28年生まれ。本名は喜一郎。豊稔の兄。平福百穂の白田舎に学び、光風会や院展に出品した。その後中央と秋田を行き来していたが、昭和35年大宮市で死去。

伊坂天坊
明治12年横手市新町生まれ。本名は新之助。別号に旭江、胡山がある。はじめ横手の木町の樋渡漆屋に奉公し、まき絵職人になった。まき絵の下絵を習っているうちに絵に興味を持ち、志を立てて上京、寺崎広業の門に入った。その後、台湾にわたり逓信省郵務官という肩書きで30年いて、東京に戻り久我山に住んだ。被災後は秋田県内を放浪、晩年には、肩からいくつもの布袋をさげ、洗面器から嗜好品までそれに入れ、自製の特大ウチワで懐に風を入れながら、夏の道を旅した。請われると軽妙に筆を走らせ、山水や人物を描いたという。昭和27年死去。

信田邦彦
明治18年昭和町大久保の円福寺に生まれた。本名は鉄治。玉常智仙の三男。大久保小を出ると、父の勧めで会津柳津の円蔵寺や京都妙心寺で修業した。花園中学を卒業すると、一転して京都絵画専門学校に入り、竹内栖鳳に手ほどきを受けた。同窓に土田麦僊や石崎光瑤がいる。卒業すると新進画家として注目されたが、兄の死などのため大正9年に帰郷、智詰和尚と称して千軒近い檀家をかかえた。絵は四条派で、禅画を得意とした。本来は信太の姓だが、京都から秋田に帰るとき役場の手違いで信田となり、そのまま信田とした。昭和34年死去。

秋田(15)-ネット検索で出てこない画家

文献:秋田書画人伝




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