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江戸時代を中心に全国各地で活動していた画家を調査して都道府県別に紹介しています。ただいま北関東地方を探索中。



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南画を描きながら足利の青年たちに漢学を教えた牧島閑雲

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左:牧島閑雲「孔子像」 右:牧島閑雲「鍾馗之図」

左:牧島閑雲「孔子像」
右:牧島閑雲「鍾馗之図」

牧島閑雲(1851-1942)は、栃木県梁田郡梁田宿(現在の足利市梁田町)に生まれ、9歳頃から館林藩の儒臣・田中泥斎に漢学を学んだ。22歳の時に田崎草雲に師事し、以後20年間にわたり草雲の指導を受け、草雲没後は加藤欽古(王欽古)に師事した。

23歳で梁田郡上渋垂村(現在の足利市上渋垂町)の豪農・牧島芳平の長女ダイと結婚し婿養子となった。牧島家は敷地600坪で、母屋、蔵、物置があり、西隅には駄菓子屋があったという。蔵には一時3人の内弟子が寝泊りし、1階に画室があった。のちに閑雲は、家督を子に譲り、絵画制作と漢学を地域の青年たちに教えることに没頭する毎日を過ごすことになる。

ハリストス正教の熱心な教徒で、31歳頃にはすでに入信していたと思われ、牧野家は御厨教会として当地の正教の拠点となっていた。明治37年、日露戦争が勃発し、ハリストス正教会が迫害を受け多くの人が改宗するなか、閑雲一家は信仰を貫いたという。子はイコン画家の牧島如鳩で、晩年の弟子に長谷川沼田居がいる。

牧島閑雲(1851-1942)まきしま・かんうん
嘉永4年栃木県梁田郡梁田宿(現在の足利市梁田町)生まれ。正田半七の二男。本名は百禄。通称は恒次郎。9歳頃から館林藩の儒臣・田中泥斉に漢学を学んだ。明治6年田崎草雲に入門、南画を学び、草雲没後は加藤欽古に師事した。昭和17年、91歳で死去した。

栃木(27)-ネット検索で出てこない画家

文献:魯牛・閑雲・沼田居展、河野次郎と明治・大正の画人ネットワーク

 









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