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異色の南画家・安田老山と蓑虫山人

安田老山「月下柳之図」

明治の南画壇において名声を博した美濃出身の異色の南画家として安田老山がいる。老山は高須藩の侍医の子として江戸の藩邸に生まれた。養老山からとって、名を養、号を老山とした。長崎に行って鉄翁祖門に南画を学び、中国に渡って胡公寿に南宗の筆法を学び、明治8年に帰国した。帰国後は東京に住み活動した。奔放な画風が維新後の人士の気風に合致し、老山派とよばれる画派を形成して一世を風靡した。

また、美濃国安八郡結村に生まれた蓑虫山人も老山と同じく長崎まで行き、鉄翁祖門に南画を学んだ。その後、全国漫遊の旅に出て東北地方各地を遊歴した。

関連:放浪の画人・蓑虫山人が描いた明治の青森

安田老山(1830-1883)やすだ・ろうざん
文政10年生まれ。高須藩医・安田春庵の子。名は養、字は老山。別号に万里翁がある。居所を水石艸堂と称した。長崎の日高鉄翁に画法を学んでいたが破門され、元治元年に中国に渡り清の画家・胡公寿に師事し、中国各地を周遊写生し、また古名画に接して技を研き、明治6年に台湾を経て帰国して東京に住んだ。同時代の清画をよく伝えており、東京画壇で活躍した。「盛名一時に昇り彼の絵を求むる人多く門前市をなす」とされるほどの人気だった。明治15年、52歳で死去した。

蓑虫山人(1836-1900)みのぬし・さんじん
天保7年安八郡結村生まれ。本名は土岐源吾。家祖光績は土岐光親(頼芸の弟)の四男で天文19年より結村に住んだ。土岐正鑑の妾「仲」の子で、家が没落して家族四散し、源吾は諸国を流浪して先々で画を描いた。故郷に帰らず、明治33年名古屋市矢田の長母寺において、65歳で客死した。長母寺に多くの作品が残っている。

浅野松江(1856-不明)あさの・しょうこう
安政3年羽島郡堀津生まれ。浅野平吉の娘。安田老山、武山霞岳に師事した。

中条舜耕(1854-不明)なかじょう・しゅんこう
安政元年愛知郡名古屋村生まれ。名は昌長。はじめ谷口藹山に学び、さらに村田香谷、安田老山に師事し、美濃を巡遊した。明治17年に第2回内国絵画共進会に出品した。

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文献:美濃の南画岐阜県日本画 郷土画家・画人名簿




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