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悠々自適に書画に親しんだ弘前藩士・棟方月海

棟方月海「蝦蟇仙人」弘前市立博物館蔵

明治維新の動乱期に軍政で活躍し、大隊長をつとめた弘前藩士の棟方月海は、廃藩置県後の動向については不明な点が多いが、酒を楽しむ悠々自適の生活を送り、書画に親しんだとされる。画の師は定かではないが、三上仙年と深く関わりがあったといわれ、書にも名を残している。当時としては、藩内きっての文化人のひとりで、画は山水などにも優れていたが、人物を得意とした。なかでも「蝦蟇仙人」をよく描き、藩士らしい気骨あふれる作品を残している。

同じ青森県出身で姓が同じ棟方志功が、自宅にあった月海の絵をみて、自分の祖先だと思い込み、そのことから画家を志し、画家になってからも月海のことを誇りに思って画道に励んだという逸話が残っているが、真偽のほどは定かではない。しかし、『津軽の美術史』では、月海と志功の関係について「北海道の帯広に住んでいる老女が、正伝寺の長谷川達温さんを訪ねられ、棟方月海家の者であり、志功の家も血縁にあること、月海は極貧の身となり縁者をたよって画を描いて歩き、大鰐にも来たが、そこで亡くなった等々を語って行ったといわれている」と記している。

棟方月海(1836-1904頃)むなかた・げっかい
天保7年生まれ。旧弘前藩士。通称は熊太郎、のちに角馬と改めた。別号に蠖山がある。慶応4年目付として家老・杉山八兵衛に従い仙台九条総督に遣わされてその任をよく果たした。明治2年の箱館戦争に際しては軍監として北海道に渡り、終戦後に弘前に戻った。明治3年会議局が創設された時に副長を命じられた。その後の経歴については不明な点が多いが悠々自適に過ごし、書画に親しんだとされる。明治37、8年頃、70余歳で死去した。

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文献:青森県史 文化財編 美術工芸、津軽の絵師、津軽の美術史、青森県近代日本画のあゆみ展




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