江戸以前の画家一覧
さ行
西海杖太郎左衛門(不明-不明)室町時代の画家、姓は小野寺、出羽国小野の城主といい、雄勝郡雄勝町小野の人と思われる
在顔(不明-不明)室町期の画僧、遍照院光明寺の住職
税所文豹(1809-1852)師松村景文
財津鏡江(1839-不明)家業は銭湯業、画をよくした
財津天民(1804-1853)師十市石谷
斎藤伊織(不明-不明)江戸末期の画家、陸奥会津藩士
斎藤香玉(1814-1870)師渡辺崋山、崋山十哲のひとり、通称よの
斎藤秋圃(1769-1861)師円山応挙、名相行、通称市太郎・惣右衛門、別号葦行・双鳩
西塔太原(1797-1848)師設楽東玉斎・谷文晁
斎藤太原(1789-1848)師菅井梅関
斎藤等順(不明-1626)師雲谷等顔
斎藤璘太郎(不明-不明)江戸後期の画家
佐伯岸駒(1756-1839)姓佐伯氏、名昌明
佐伯岸岱(1782-1865)岸駒の子、号卓堂、字君鎮
佐伯岸良(1798-1852)名子良、号雲楼、岸駒の子
佐伯景幽(1813-1869)師堀江友声
三枝真洞(1840-1868)師藤本鉄石
酒井藍山(不明-不明)後藤文琳の子で酒井家を継いだ
酒井雲峰(1803-1857)師鈴木南嶺
酒井雪谷(1833-1876)松代藩絵師
酒井宗雅(1755-1790)姫路藩主、酒井抱一の兄
酒井鶯蒲(1808-1841)江戸市ケ谷浄栄寺の住職、酒井抱一の養子、法名詮真、別号鷺浦
酒井抱一(1761-1829)画家・俳人、狩野派など広く学んだが光琳に傾倒し、光琳を基礎とし独自の画風を打ち立てた
阪上淇澳(不明-不明)師野呂介石、阪上素玉の夫
阪上漱雪(1765-1847)師野呂介石
阪上素玉(不明-不明)師野呂介石、阪上淇澳の妻
阪上梅圃(不明-不明)師野呂介石
彭城百川(1697-1752)日本南画の先駆者のひとり、別号蓬洲・八仙堂、元明南宋画法研究
榊原翠塘(不明-1870)表具屋・彫刻家、師石峰、名孫兵衛
坂場奇一(不明-不明)松平雪山の門人、名時成、号荷亭
酒巻亍宜(不明-不明)師立原杏所
坂本愛熊(1873-不明)師父坂本芳道・佐多椿斎
坂本浩雪(1800-1853)医業のかたわら本草の学問を研究、余暇に筆をとって画を研究した
坂本常以(不明-不明)師狩野常信、坂本養伯の父
坂元常有(不明-不明)師永井慶竺
坂本養伯(1662-1730)師狩野常信
崎山喜梢(1645-1710)崎山喜俊の長男
崎山喜俊(1626-1687)琉球の絵師、唐名:李基昌
崎山喜政(1674-1753)崎山喜梢の長男
崎山喜安(1704-1756)崎山喜政の二男
佐草春主(1794-1862)師千家尊孫
佐久間栄学(1730-1773)佐久間如節の養子、師狩野栄川院典信
佐久間玄徳(1607-1669)佐久間修理の子、仙台藩御用絵師
佐久間左京(1581-1657)仙台藩最初の御用絵師
佐久間草偃(不明-1828)師松村呉春
佐久間洞巌(1653-1736)江戸前期から中期の書画家・儒者、師狩野洞雲、仙台藩御用絵師
佐久間如琢(1681-1745)佐久間洞巌の養子
佐久間盛芳(1798?-1859)森藩の用人、画をよくした
佐久間友徳(1633-1688)佐久間玄徳の子、仙台藩御用絵師
佐久間六所(1782-1853)佐久間洞巌の子孫、仙台藩御用絵師
桜井才次郎(1678-1753)水戸藩士
桜井雪館(1715-1790)雪舟派の復興につとめ、自ら雪舟十二世と称した
桜井雪保(1754-1824)桜井雪館の娘、名は保子、号は秋山・桂月・小雲谷
桜井峯麿(1806-1860)師島高麿
櫻間清厓(1785-1851)岡崎藩士、師渡辺崋山、別号迂亭
佐香貫古(1812-1870)師渡辺広輝・住吉広定、住吉派
左合龍山(1754-1779)漢詩人
座光寺為忠(1720-1784)師佐竹蓬平、匠山吹藩七代藩主
左近司惟春(不明-不明)師目賀多家・小田切寒松軒・加藤文麗
佐々十竹(1640-1698)江戸前期の史学者、名宗淳、字子朴、通称介三郎、別号十竹斎
佐々重晁(1793-1846)水戸藩の儒者、西村氏、字明侯、別号了斎
笹川遊泉(初代)(不明-不明)狩野派、笹川遊原の父
佐々木雲屋(1776-1831)師長町竹石
佐々木鶯郷(不明-不明)金工、画をよくした
佐々木應陽(1777?-1853)師円山応挙
佐々木月岱(不明-1870)師吉川君渓・岡本清暉
佐々木玄仲寿信(1714-不明)徳島藩御用絵師の家系・佐々木家の絵師
佐々木作之丞(不明-不明)徳島藩御用絵師の家系・佐々木家の絵師
佐々木縮往(1648-1733)萩藩儒者
佐々木信之丞(不明-不明)徳島藩御用絵師の家系・佐々木家の絵師
佐々木晴洲(1803-1856)師中井藍江・鎌田巌松
佐々木晴造(不明-不明)徳島藩御用絵師の家系・佐々木家の絵師
佐々木泉景(1773-1848)加賀藩御抱絵師、名為絢、別号彩雲、師鶴澤探山、叙法眼
佐々木唯照(不明-不明)徳島藩御用絵師の家系・佐々木家の絵師
佐々木忠兵衛寿照(不明-不明)徳島藩御用絵師の家系・佐々木家の絵師
佐々木忠兵衛信照(不明-不明)徳島藩御用絵師の家系・佐々木家の絵師
佐々木定之丞(不明-不明)徳島藩御用絵師の家系・佐々木家の絵師
佐々木信照(不明-不明)徳島藩御用絵師の家系・佐々木家の絵師
佐々木典照(不明-不明)徳島藩御用絵師の家系・佐々木家の絵師
佐々木原善(不明-不明)南蘋派の熊斐の高弟・松林山人に師事、別号松峯山人・分水・楚宝など
佐々木由仙常照(不明-不明)徳島藩御用絵師の家系・佐々木家の絵師
佐々木養郭(不明-不明)徳島藩御用絵師、狩野派
佐々木養郭惟照(不明-不明)徳島藩御用絵師の家系・佐々木家の絵師
笹山養意(初代)(不明-1743)長府藩御用絵師、藤原常伝、師狩野常信
笹山養意(2代)(不明-1780)長府藩御用絵師、藤原甫伝、常伝の子
笹山養意(3代)(不明-1815)長府藩御用絵師、藤原美彦、甫伝の養子
笹山養意(4代)(不明-不明)長府藩御用絵師
佐世清宗(不明-不明)雲谷派
佐田月溪(不明-1837)文武に精通し唐画を得意とした
佐田宣文(不明-1632)法橋に叙せられた
佐竹噲々(1738-1790)師池大雅
佐竹曙山(1748-1785)洋風画家・秋田藩主、秋田蘭画、小田野直武に洋画を学んだ
佐竹南岳(1849-1868)湯沢十三世の城代、諱義誠、幼名新発意・三郎・淡路
佐竹蓬平(1750-1807)師池大雅、号亀文石主人
佐竹義敦(1748-1785)出羽国久保田藩第8代藩主
佐竹義方(1683-1710)大館の五代目城代、東家の義秀の五子で養子になった
佐竹義格(1695-1715)出羽久保田藩第四代藩主
佐竹義祚(1819-1858)師岡田閑林、初名義矩、字永錫、号松林堂・三斎
佐竹義文(1770-1825)佐竹氏一門の佐竹北家第十四代当主
佐竹義和(1775-1815)秋田藩主、号は泰峨、足知斎など
佐竹義躬(1749-1800)洋風画家・武士、直武に洋画を学んだ、秋田角館城代
皐錦春(不明-不明)長崎の洋風画家
佐々槻子(1795-1867)画家・歌人
佐藤鴎波(1815-1859)師岡本豊彦・広瀬淡窓
佐藤筠斎(不明-1865)江戸後期の画家
佐藤謙斎(不明-不明)仙台風藻に詩が収録されている
佐藤香雲(不明-不明)幕末の画家
佐藤周鱗斎(1776-1838)延岡藩の絵師
佐藤松溪(1811-1853)名延昌、字中卿、通称量平、青山雲龍の子、佐藤中陵の養子
佐藤松坨(1798-1866)師春木南湖
佐藤端周(不明-不明)文政頃の出雲の人で画事を好んだ
佐藤雪斎(不明-1866)師目賀多家
佐藤雪門斎(不明-不明)明治期の画家
佐藤大寛(不明-1848)師鈴木鳴門、名大寛、字栗
佐藤中陵(1762-1848)水戸藩の本草家
佐藤陶崖(1787-1843)師小橋陶復
佐藤東岸(1785-1864)師東東洋
佐藤桃月(1782-1857)南画風の花鳥画を得意とした
佐藤東嶺(不明-1853)師東東洋
佐藤南澗(不明-1807)諱徳柄、字大謙、別号欄干坊
佐藤南潤(1749-1807)師円山応挙、名徳柄、通称次郎兵衛、字大謙
佐藤梅宇(不明-1857)師谷文晁
佐藤梅塢(1774-1848)師井川鳴門、名大寛、通称新兵衛、字君粟
佐藤白麟(1833-1856)師塩川文麟、通称俊三郎、別号文陵
佐藤米河(不明-不明)別号米川、放浪の画人といわれるが足跡は不明
佐藤文永(1735-1814)師佐々木文山
佐藤正持(1809-1857)師春木南湖・谷文晁、通称理三郎、号北溟
佐藤守照(1725-1812)師狩野探信、佐藤探雲
佐藤幽美(1870-1869)本名勇美、平福穂庵に師事
佐渡山安健(1806-1865)琉球画人五大家、唐名:毛長禧
佐渡山安懿(1759-1827)琉球の絵師、唐名は毛光山、佐渡山安因の二男
佐野元敬(不明-不明)新潟町の南画家、五十嵐浚明の三男、佐野氏を継いだ
佐野柿園(1797-1835)師帆足万里、田能村竹田と交遊
佐野秋華(不明-1814)左忠豊と称して天明・寛政年間に活躍し尾張南画の先駆けとなった
佐野東庵(1795-1858)師田能村竹田・広瀬淡窓
佐野文漁(1750-1800)師佐竹蓬平
佐野北汀(1775-不明)新潟町の南画家、五十嵐浚明の孫、元敬の子
佐野盛致(不明-不明)松平雪山の門人
佐野榕堂(不明-不明)佐野(五十嵐)元敬の子
佐分柳喬(不明-1853)師野村玉渓、通称新右衛門
さぶろく(不明-不明)「おもろさうし」に登場する絵師
座間味庸昌(1718-1767)琉球画人五大家、唐名は殷元良
猿川英昌(不明-不明)師能勢探龍、永井慶竺の養子
猿田柏丘(1801-1839)通称銀平、諱光邦、字叔明
猿橋義近(1746?-1801)猿画を得意とした
佐和華谷(1759-1831)師中林竹洞
沢呉峡(不明-1855)師中林竹洞
佐脇嵩之(1707-1772)名道賢、字子嶽、号一翠斎、英一蝶門
佐脇嵩雪(1736-1804)字貫多、号中岳斎、父嵩之門
沢岻安長(1798-1825)首里士族
沢畑松嶺(不明-不明)高橋璞斎に学び、後に佐藤きん斎
沢村角右衛門(不明-不明)飯田城主・脇坂氏に仕えた絵師
沢山巾逸(1808-1869)師松村呉春、四条派
三田花農(1843-1859)名忠敬、字子顕、別号誉高、法橋三田忠純の子
山東京伝(1761-1816)戯曲者、北尾重政に学び北尾政演と名乗り浮世絵を描いた
紫雲(不明-1782)画僧、高松霊源寺住職
塩崎碧峰(不明-1886)高岡初期画壇の絵師
塩路鶴堂(不明-不明)円山派
塩田牛渚(1828-1866)師鉄翁祖門・木下逸雲
塩谷大四郎(1710?-1788)日田代官、歌俳・画をよくした
塩谷景山(不明-不明)師鎌田景麟
志賀北洋(不明-1868)花鳥画を得意とした、行田魁庵の師
式部輝忠(不明-不明)室町後期の画家
重田蘭渓(1799-1857)師谷文晁、彫刻も巧みだった
重冨蕉吾(1795-1858)師中林竹洞
慈光寺春叢(1704?-1793)阿波国慈光寺主
獅子目清雲(不明-不明)薩摩の狩野派の絵師と思われる
獅子目静雲(不明-不明)狩野派風の画を描いた
志静(1784-1854)師楠瀬大枝
設楽東玉斎(不明-不明)文化・文政期の漆山陣屋付き絵師
日観子温(不明-不明)中国南宋から元初の画僧
實山(不明-1751)讃岐の画僧、狩野派
蔀関牛(不明-不明)蔀関月の子
蔀関月(1747-1797)蔀関牛の父、師月岡雪鼎、名徳基、字子温・阮二、通称源次郎
子曇(1249-1306)鎌倉後期の画僧
篠崎小竹(1781-1851)画家・儒者、号畏堂、梅花書屋
篠島元琪(不明-不明)師石崎元徳
篠山養意(不明-1743)師狩野常信
司馬琴香(1801-不明)臼杵の人
司馬江漢(1747-1818)洋風画家・蘭学者、日本で初めて腐蝕銅版画制作に成功、鈴木春重と同一、日本の写真家(日外)
司馬江南(不明-不明)師系は不明、司馬江漢の門人かも
柴秋邨(1830-1871)江戸幕末の儒学者、師大沼沈山・広瀬旭荘
芝琳賢(不明-不明)戦国時代の画家、東大寺大仏殿縁起、春日派
柴田義董(1780-1819)四条派、字威仲、号琴緒
柴田義峰(不明-不明)柴田義董の子
柴田西涯(不明-不明)名は玄龍、景浩
柴山亭々(不明-不明)柴山東巒の娘
柴山東巒(1800-1848)師山本梅逸、名準春、字志賀三、通称先之、別号漂麦園・愛蝶軒
渋谷三貫(1798-1864)師増田九木・浦上春琴
渋谷松堂(1728-1797)儒者、画をよくした
渋谷道勝(不明-1851)師山県鶴江
島霞谷(1827-1870)幕末・明治期の洋風画家・写真家、師椿椿山
嶋琴江(1821-1899)師父琴陵
島琴陵(1782-1862)江戸で人をあやめたため長崎へ逃げたとされる。師は定かでないが南蘋風
島高麿(1791-1871)師春木南湖
島半閑(1849-不明)美人画、師三畑如龍
島岡彭栄(1740-1836)別号鼓栄
島崎雲圃(1731-1805)師高田敬輔、名輔吉、字黄裳、通称泉司、別号蝦蟆窟
島崎玉淵(1793-1858)師小泉斐
島崎呉江(1795-1853)師楠瀬大枝
島田(谷)元旦(1778-1840)[北海道10]谷文晁の実弟、鳥取池田侯の臣
島田探龍(不明-1778)津和野藩士、師狩野探常
島田文栄(1783-1856)師谷文晁
島田充房(不明-不明)本草家、号雍山
島田与惣治(1784-1829)豪農
島田鸞洞(1736-1819)師円山応挙、本姓紀、名元直、字子方、別号後素軒
島津継貴(1650-1704)島津家20代
島津継豊(1701-1760)島津家22代
島津綱久(1632-1673)島津光久の子
島津光久(1616-1694)島津氏19代
島津宗信(1728-1749)島津継豊の子
島袋宗仲(1799-1853)島袋宗雍の長男
島袋宗封(1794-1865)島袋宗雍の長男
島村庭暉(不明-不明)水戸藩士、内藤右膳に学ぶ、名伝、号南圭
島本蘭溪(1772-1855)師松村蘭台、幕末の土佐藩士
清水玉洲(不明-不明)師森西園
清水曲河(1747-1819)師谷文晁
清水縑山(不明-不明)藤堂歸堂の奮臣
清水謙堂(不明-不明)清水謙斎の子
清水諸葛監(1717-1790)南蘋派
清水静斎(1717-1790)師熊代熊斐または宋紫石、別諸葛監・静斎
清水天民(不明-不明)師市川君圭・岸駒、『雲遊文蔚』に谷文晁・司馬江漢らと挿図を描いている
清水東園(1824-不明)師斑目東雄・東東莱
清水有声(1902-1853)師川合玉堂、名彦輔、別号玉琴
下野九峰(不明-不明)水戸藩士、下野雪篁の子、名仁
下野雪篁(1823-1865)名遠明、通称隼次郎、水戸藩士下野遠歴の子
下村丹山(1804-1866)師松野梅山、名実頴、通称鉄造、別号湛山・藍衣斎
謝天游(不明-不明)福建画壇の画家
蛇玉(不明-不明)南画家
釈思玄(1786-1845)画僧、村松以弘に師事
周之冕(不明-不明)明代の画家
秋色(1669-1725)歌人画家、名あき、お秋、号菊後亭
秋月等観(不明-不明)室町中期の画家、師雪舟等楊
周耕(不明-不明)室町時代から戦国時代の画僧、雪舟傍系、入唐研鑽
周崇(1345-1423)記録的に阿波で最も古い画人
重直(不明-不明)八束郡鹿島町の人
周徳(不明-不明)室町後期の画家
周文(不明-不明)室町中期の禅僧・画僧
秀文(不明-不明)室町前期に李朝朝鮮より来日した画家と推測
周黙(不明-不明)桜井雪館の門人
宿茂稼暁(1798-1851)師若宮養徳
順梁亨(不明-不明)福建画壇の画家
俊賀(不明-不明)鎌倉前期の画家
春休(不明-不明)戦国から安土桃山期の画家、常陸水戸の人
春小(不明-不明)摂津の出身で出雲に住んだ
春叢(1751-1839)僧、北宗画
春嶺(不明-不明)掛川藩のお抱え医師、内藤春嶺
城義隣(1784-不明)唐絵、油絵、泥絵などを手掛けた
浄阿坊(1782-1858)本名政継、別号水滸山人・宗宝・一葉山人・小泉正統・月廼舎・顕徳
浄賀(1275-1356)鎌倉後期から南北朝の画僧、浄土真宗康楽寺住持、宅磨派に学ぶ
証覚(不明-不明)師池大雅
松花堂昭乗(1584-1639)江戸前期の真言宗の僧侶・文化人
松丘(1765-1833)紀州吹上寺の住職、松丘道人、紫陽和尚
正行寺大有(不明-不明)中津古城・正行寺主
祥啓(不明-不明)[栃木02]室町中期の画僧、鎌倉建長寺塔頭宝珠庵の住僧
松谿(不明-不明)室町中期の画家、詫磨派
正慶尼(不明-1806)師柳沢淇園、匠俗名は雪、号は正慶
庄司文螭(1782-1852)江戸後期の画家
正住肅叟(1808-1868)師父岡村鳳水
祥瑞(1750-1823)師中慈雲師
定智(不明-不明)平安後期の画僧
承澄(1205-1282)鎌倉中期の天台密教の画僧、法性寺忠通の曽孫
松亭(不明-不明)寛政期の南画家、根本常南の仙台画塾「蠖斎社中」に参加
成忍(不明-不明)鎌倉前期の画僧、号恵日房、京都高山寺の明恵上人の弟子
相李田次万呂(不明-不明)奈良時代の仏工・画工
松林院(不明-不明)肥前藩主松浦棟の正室
徐霖(1462-1538)室町後期・明代の画家
諸葛監(1717-1790)唐画の上手とされ南蘋風の作品に定評があった、号静斎・湖南
如水宗淵(不明-不明)室町後期の画僧、師雪舟
如拙(不明-不明)室町前期の相国寺の画僧
如龍(不明-不明)師吉原真龍
如蓮(1785-1858)画僧、大寅和尚禅師、神龍寺住職
白井華陽(不明-1836)師岸駒・岸岱、別号梅泉、鳥獣画を得意とした
白井直賢(不明-不明)字子斉、応挙門
白石探隠(不明-不明)師木村探元
白神皥々(1777-1856)師柴田義董
白谷卜斎(不明-1658)都城島津家の最初の絵師、師狩野光信
自了(城間清豊)(不明-不明)琉球の絵師、唐名は欽可聖
城間清豊(1614-1644)琉球画人五大家、唐名:自了、欽可聖
沈南蘋(1682-不明)[岐阜01]中国清の画家で江戸中期に来日、熊代熊斐、宋紫石らが師事し南蘋派を形成した
信海(不明-不明)鎌倉後期の画僧
信海玉盧(不明-1688)師松花堂
心岩(1647-1706)浄土宗大円寺の僧
真季(不明-不明)室町時代の絵師
神宮守満(1769-1844)師佐藤探雲
深賢(不明-不明)平安末期から鎌倉前期の画僧
真済(0800-0860)平安前期の画僧
神保杏村(1776?-1831)師巻菱湖・釧雲泉
神保柳波(1743?-1810)師釧雲泉
水雲居(不明-不明)寛政期の南画家、根本常南の仙台画塾「蠖斎社中」に参加
酔煙(不明-不明)明治幕末の画家
遂翁元盧(1717-1789)臨済宗の僧、白隠慧鶴に師事
水琴女史(不明-不明)妙齢にして見識高く、書画ともに堪能といわれた
末広雲華(1773-1850)頼山陽・田能村竹田と交友
末藤要造(不明-不明)師小橋陶復
菅江嶺(1762-1852)師山県鶴江・岸駒・春木南湖
菅井梅関(1784-1844)仙台四大画家のひとり、師谷文晁・江稼圃、別号東斎
菅井蘭亭(不明-不明)高田藩士、師滝和亭
菅江真澄(1754-1829)[秋田16]画家・紀行文作家
菅谷秀谷(1797-1854)名君恒、通称銀治、別号松声斎・大平庵、狩野秀水の門人
菅原曲渓(1778-1832)師小池曲江
菅原晋斎(不明-不明)仙台藩の狩野派の絵師
菅原素遊(不明-不明)岩手水沢の人、肖像画を得意とした
菅原洞旭(1817-1869)菅原洞斎の子
菅原洞斎(1772-1821)秋田藩江戸定居の御用絵師
菅原寅吉(不明-不明)[画歴秋田03]秋田蘭画の画家、菅原北明の父、生け花では応機斎其得と号した
杉浦雲渓(不明-不明)師谷文晁・松村景文・狩野勝川
杉浦桐邨(1801-1842)師東東洋・鉄翁祖門
杉浦溟一(不明-不明)春木南溟に学ぶ、名熈
杉谷行直(1790-1845)矢野派、師衛藤良行
杉沼無牛(1804-1845)師菊田伊洲
杉野怡雲(1791-1865)師岡本豊彦
杉山一元(1637-1732)師狩野昌運・英一蝶
杉山正仲(1725-1793)久留米藩士
菅泰峨(1777-1828)師釧雲泉
介川南溟(不明-不明)通称時也、字通経、謙と称して竹の絵をよく描いた
介川緑堂(1780-1847)秋田藩藩士
鈴江貫中(1831-1868)徳島藩御用絵師、師渡辺広輝・住吉広定、住吉派
鈴江孝之助(不明-不明)吉成葭亭のはじめの師、四条派
鈴川玉簾(不明-不明)大坂で淵上旭江と同居した女性画家
鈴木楽堂(不明-1855)小泉斐の門人、名市重郎
鈴木鵞湖(1816-1870)師谷文晁、石井鼎湖の父、石井柏亭の祖父
鈴木其一(1796-1858)酒井抱一の実質的な後継者で絵のほかに俳諧や茶も学んだ
鈴木月湖(不明-不明)師月僊
鈴木三岳(不明-1854)俳人・画家、師青々處卓池、通称與兵衛
鈴木三橋(1768?-1825)長町竹石と交友
鈴木重春(1773-不明)高田藩士、俳画を得意とした
鈴木若水(不明-不明)字は伯栗、穂寛、通称は平九郎
鈴木春山(1801-1846)蘭方医・兵学者、号童浦
鈴木松塘(不明-1845)師宇佐美太奇
鈴木小蓮(1779-1803)師皆川淇園・鈴木芙蓉
鈴木助三郎(不明-不明)水戸藩士桜井才治郎の門人
鈴木青玉(1780?-1857)師春木南湖
鈴木棲鳳(不明-不明)名采女、字采藻
鈴木素陵(不明-1849)狩野素川・章信に師事
鈴木蘭皐(不明-不明)師呉春
鈴木東海(1720-1802)水戸祇園寺の住職、名宝鼎、桜井雪館に師事
鈴木南嶺(1775-1844)名順、別号観水軒、岡本豊彦門
鈴木梅山(不明-不明)三代続いた本荘藩の御用絵師とみられる
鈴木豹斎(不明-1835)松阪の人、蝦夷で活動した
鈴木不求(1703-1775)名義寛、通称善八郎
鈴木芙蓉(1749-1816)[徳島05]徳島藩御用絵師、師黒川亀玉、名雍、字煕、号老蓮
鈴木文鴎(1823-1864)宇佐美太奇の門人、名文次郎
鈴木文平(1796-1866)師谷文晁、鈴木石橋の孫、麗沢舎三代目
鈴木文鱗(不明-不明)東磐井郡松川の人
鈴木萬悦(不明-不明)山内勝春の門人
鈴木鳴門(1787-1840)徳島藩御用絵師、鈴木芙蓉の養子、別号淡墨斎
鈴木蠣潭(1782-1817)画家・武士、字規民、酒井抱一門
須藤久甫(不明-1763)師狩野興益
須藤周甫(不明-不明)狩野派
住芸文(1778-1853)円山派を学ぶ
巣見東苑(不明-不明)名巣敏、字修父(甫)、通称治平、丹羽嘉言と親交があった
巣見来山(1757-1821)名握固、字赤子、別号石坡、丹羽嘉言を慕い画を学んだ
墨江武禅(1734-1806)月岡雪鼎の門人、号朦朧斎・心朧斎
住吉具慶(1631-1705)江戸前期の絵師、住吉如慶の子、幕府御用絵師、丸顔の愛らしい人物表現を特色とした
住吉慶恩(不明-不明)鎌倉時代の画家、姓藤原、住吉派祖
住吉如慶(1599-1670)江戸前期の大和絵の絵師、住吉派の祖、名広通、住吉絵所を再興
住吉弘定(1793-1863)住吉廣尚の弟、大横物を得意とし晴川院のもとで江戸城障壁画制作にも携わった
住吉弘貫(1793-1863)名弘定、徳川幕府御絵師、住吉広行の二男
住吉廣尚(1781-1828)廣行のあとを継いだが48歳で没した、和画の鑑定をよくしたと伝わる
住吉広夏(1641-1730)広通の二男、法名鶴洲
住吉廣守(1705-1777)住吉廣保の子、御用絵師、小石川御箪笥町に町屋敷
住吉広保(1666-1750)別号内記・内蔵允、晩年至石
住吉広行(1755-1811)幕府絵師、別号景金園、通称内記
須山素朴(1838-1865)儒者、土井ゴウ牙の女婿
陶山文帖(不明-不明)松江の画工
諏訪鵞湖(1764-1849)武官の職にあって画をよくした
諏訪忠林(1703-1770)信濃国高島藩5代藩主
諏訪忠晴(1639-1695)信濃高島藩第3代藩主
性安(不明-不明)室町期の画僧、溝山寺の住職、祥啓に学ぶ、号梅庵
声誉(1808?-1880年09月)画僧、極楽寺住職
瀬川永知(不明-1730)津和野藩士、師狩野永叔
関愛山(1828-1894)松代藩絵師
関石城(不明-不明)岸派の画家
関口雪翁(1753-1834)津山藩の儒者、雪竹を描いては日本三竹のひとりといわれた
石谿(1612-1674)江戸前期・中国明末・清初の僧・画家、雪舟・牧谿を慕う
石斉(不明-不明)師岡本俊彦
石室(1294-1389)相模国圓学寺の画僧
是山(1732-1811)幼名大助
赤脚子(不明-不明)室町時代の東福寺明兆系の画僧
雪渓(1813-1857)江戸後期の画家
雪好(不明-不明)特異なアイヌ像を描いた
雪斎(不明-不明)南画家
雪舟等楊(1420-1506)[大分19]室町後期の画僧、周文系、中世における水墨画の大成者
拙宗等揚(不明-不明)室町時代の画家
雪深等沢(不明-不明)戦国時代の画家
雪村周継(1504?-不明)戦国時代から安土桃山時代の禅僧・画僧、三春に雪村庵を構え奇態な人物描写や波の表現を完成させた
雪津(不明-不明)雪舟門
雪亭(不明-不明)寛政期の南画家、根本常南の仙台画塾「蠖斎社中」に参加
雪洞山人(不明-不明)精巧な猫の画を描いた
雪鯉(不明-不明)安来の人、富岡鉄斎の門人と伝わる
瀬戸貞好(不明-不明)簸川郡大社町杵築の人
瀬戸口永雲(不明-不明)師父瀬戸口栄春
瀬戸口栄春(不明-不明)師狩野栄川院典信
瀬戸口養元(不明-不明)師狩野養川院惟信
妹尾黄鶴(不明-不明)明治期の画家
瀬谷桐斎(1773-1833)儒者
僊可(不明-不明)室町後期の画僧
仙厓義梵(1750-1837)臨済宗古月派の画僧
千巌元長(1566-1643)中国元代の僧
千呆(不明-不明)筑前の画僧
千家清足(1770-不明)国学者、師本居宣長・八田古秀
仙蝶斎素峯(不明-不明)柳川市出来町竜蔵院の住職、狩野派眠蝶斉の門人
宋紫岩(不明-1760)中国・清の画家、沈南蘋の弟子といわれる、名岳、号石耕
宋紫岡(1781-1850)南蘋派、宋紫山の子、宋紫石の孫
宋紫山(1733-1805)宋紫石の子、父の画法に忠実に従った、尾張藩御用絵師
宋紫石(1715-1786)南蘋派、態斐・宋紫岩に学んだ
宋紫崗(1781-1850)宋紫山の子
相阿弥(不明-1525)室町後期の絵師、真芸の子、号松雪斎、真相とも称した
宗淵(不明-不明)室町時代の画僧、号如水、円覚寺僧、雪舟師事
草加堯墻(不明-不明)南画をよくした、沈南蘋に学んだとされる
巣雪僊可(不明-不明)戦国時代の画僧、啓書記門流
相馬松陵(不明-1856)浄雲寺寺主
荘門為斎(1778-1836)師岡村鳳水
蒼龍山人(不明-不明)寛政期の南画家、根本常南の仙台画塾「蠖斎社中」に参加、栗原郡花山村の城国寺の天井画を描いた
曾我蛇足(不明-1483)室町後期の曾我派を代表する絵師、実体は不明な点が多い
曽我秀文(1452-1530)明からの帰化人
曾我紹祥(不明-不明)戦国時代の画家、曾我派5代、曾我紹仙の子
曾我紹仙(不明-不明)戦国時代の画家、曾我派3代、名玄仙
曾我蕭白(1730-1781)奇抜な画風で「奇想の画家」と呼ばれている、別号如鬼・蛇足軒
曾我宗丈(不明-不明)室町時代の絵師、曾我派2代
曾我宗誉(不明-不明)室町時代の絵師、曾我派4代
曾我直庵(不明-不明)安土桃山時代の絵師
曾我二直庵(不明-不明)江戸前期の絵師、曾我直庵の子
曽岳(不明-不明)福建画壇の画家
曽木墨荘(1772-1838)田能村竹田と親交があった
即非如一(1616-1671)江戸前期に明から渡来した黄檗宗の僧
蘇山玄喬(1799-1868)臨済宗の画僧
祖庭(1804-1866)江戸後期の画家
曽根琴峯(不明-不明)松江の人
薗井守供(1626-1717?)江戸前期から中期の画家
園田洞兆(不明-1849)森藩絵師
園田南坡(1812?-1872)森藩絵師、師春木南溟、園田洞兆の養子
薗部屋東渠(不明-不明)師野呂介石
祖父江洞常(不明-1855)師狩野洞春、狩野派
曾和温山(1748-1797)四条派を学ぶ、松阪の人
孫君沢(不明-不明)14世紀の中国・元代の画家
孫師昌(不明-不明)福建画壇の画家
孫億(不明-不明)福建画壇の第一人者
尊海(不明-不明)室町中期の絵仏師
尊智(不明-不明)鎌倉前期の画僧