江戸以前の画家一覧

ま行

舞田屋理作(不明-不明)南部めくら暦を出版した
前田紫石(不明-不明)師野呂介石、前田有竹の妻
前田蕉庵(不明-不明)師野呂介石
前田有竹(不明-不明)師野呂介石
前野河洲(不明-1792)師狩野栄川院典信、狩野派
前村洞泉(不明-不明)師前村洞和、狩野派
前村洞和(不明-1841)師狩野洞白、狩野派
勾田香夢(不明-不明)師中林竹洞、名清、号芳仙・香夢
勾田台嶺(1772-不明)名寛宏、字文饒、師中林竹洞
牧忠輔(不明-1813)加賀藩士
蒔田雲処(1812-1865)越前福井藩士
蒔田暢斎(1738-1801)画家・書家、師月僊、名器、字必器、通称亀六、別号彪山・箕山等
牧田歴山(1775?-1828)書画詩文を好んだが師系は定かではない
牧野永昌(1747-1824)師鈴木梅山・狩野梅笑、別号遊心斎・高興
牧野忠精(1760-1831)第9代長岡藩主、雅号は万亭、乾々斎
牧野梅僊(1778-1860)牧野永昌の養子、狩野永岳に師事のちに松村景文に私淑、別号牧遊斎
牧野牧陵(1805-1884)南画、師津村雨林
牧野黙庵(1796-1849)師斎藤一斎
政池遠耻(1761-1839)名彦作、諱威、別号遠恥堂
政池子董(1761-1839)太田山陰の甥
正宗直胤(1799?-1862)師武田五峰
正宗雅敦(1788?-1838)師武田五峰
益子魯山(不明-1860)鯖江藩士
増山雪園(1785-1842)増山雪斎の長男
増山雪斎(1754-1819)南瀕派、伊勢長島藩第5代藩主、名正賢、字君選
増田九木(1782-1848)本荘藩御用絵師、師谷文晁
益田春山(1815-1862)師斑目東雄
益戸滄洲(1726-1777)画家・儒者・俳人
升屋勘十郎(1792-1853)廻船商のかたわら書画に親しんだ
斑目東雄(1795-1863)師東東洋
町田雲平(1678-1756)元米沢藩士で、新庄藩の絵師となった
町田半岡(不明-不明)野呂介石の画風を慕った
松井慶仲(1781-1819)松井霞山元仲の子
松井慶徳(1721-1782)師石崎元徳
松井元仲(1752-1813)師石崎元徳
松井竹山(1804-1862)松窓乙二の二男
松浦春挙(1771-1847)師森狙仙・円山応挙
松浦松洞(1837-1862)幕末の南画家、名温古、通称亀太郎、変名松田和介
松浦桃挙(不明-不明)師森狙仙・森徹山、松浦春挙の養子
松尾琴江(1836-1865)師鉄翁祖門
松尾齢右衛門(不明-1809)長崎版画文錦堂の版元・絵師
松岡栗材(1736-1831)渡辺蓬島の師
松岡李堂(1787?-1861)師浦上春琴
松川藤華(1837-1862)師春木南溟
松崎敬信(不明-不明)師狩野洞春、狩野派
松崎昨非坊(不明-不明)俳画を得意とした
松嶋仙流(1722-1784)矢野派、師矢野雪叟
松田黄峰(1772-1835)師野呂介石・頼山陽
松田周修(不明-1730)師狩野周信、日出藩士
松田翠崖(1804?-1862)師浦上春琴
松田翠玉(1818-1838)師楠瀬大枝・島本蘭溪
松平義山(1664-1744)名頼貞、姓源、字子剛
松平玉峯(不明-1861)師本多玉岡・堀江友声
松平治郷(1751-1818)出雲松江藩主・茶人
松平松翁(不明-不明)松平康映の弟
松平近訓(不明-1852)府内藩大給氏第八代藩主
松平近貞(1688?-1757)府内藩大給氏第四代藩主
松平近形(1723-1773)府内藩大給氏第五代藩主
松平直興(1800-1854)出雲母里藩主松平直方の子
松平綱隆(1631-1675)松江藩松平家二代、師太田永雲
松平乗完(1752-1793)三河西尾藩主
松平不騫(1755-1840)府内藩大給氏第六代藩主
松平鳳山(1735-1811)師岩井正斎、名勝長
松平頼該(1809-1868)松平頼儀の子
松平頼救(1756-1830)宍戸藩第5代藩主、字子徳、号謙山・太玄
松平頼恭(1711-1771)高松藩五代藩主、書画をよくした
松平頼常(1652-1704)高松藩二代藩主、書画をよくした
松平頼儀(1775-1829)高松藩八代藩主、書画をよくした
松平頼恕(1798-1842)高松藩九代藩主、書画をよくした
松平鸞山(1697-1742)宍戸藩第3代藩主、名頼慶、狩野派の山水を描いた
松波悦翁(1820-不明)師木下逸雲・僧鉄翁
松永昌言(1751-1826)円山応挙に師事したと伝わっている
松波鶴山(1769-1855)師山田鶴洲、名文右衛門、別号邦章・慶翁
松波景栄(1794-不明)師佐々木泉景
松野梅山(1783-1857)画僧、師岩井正斎・狩野養川院、名栄興、字純恵、別号雪香斎、無我道人・叙法眼
松林山人(不明-1792)熊斐に師事
松原栄元(1710-不明)松原探水の子
松原探水(不明-不明)松原探梁の子
松原探梁(不明-不明)師狩野探幽
松原文忠(不明-1865)師谷文晁
松原幽知(不明-不明)師狩野探幽
松宮岱陽(不明-不明)津軽の初期南画家、門人に岩佐半山がいる
松村玉文(1819-1870)師父松村景文、別号光清
松村景文(1779-1843)四条派、号華渓、呉春門、別名・呉景文
松村月渓(1752-1811)四条派の始祖、別号呉春
松村呉春(1752-1811)四条派の祖、別号月渓、師与謝蕪村
松村梅宰(1815-1864)師小田海僊
松村蘭台(1760-1820)師横山竹林斎・楠瀬南溟
松本一雄(不明-不明)号仙鶴堂
松本甘暁(1814-1896)近世壬生の画人
松本玄々堂(1786-1867)銅版画家、師中屋伊三郎
松本交山(1784-1866)画家・俳人、師谷文晁、本姓上条、叙法眼
松本山月(1650-1730)名貞則、初めは佐次之丞、別号半輪斉、松本山雪の養子
松本山雪(不明-1676)江戸前期の絵師、本名恒則、初名庄三郎、別号岨巓・心易
松本晩翠(1824-不明)師飯島雲岳
松本保居(1786-1867)玄々堂と称して天保年間初期に銅版画をはじめた
松山清(不明-1824)松山茂粛の弟、号は五是道人
松山琴谷(不明-不明)松山清の長男、師那波魯堂・江村北海
松吉樵渓(不明-1870)師野村玉渓、父樵渓のあとを継いだ
的場南岳(不明-不明)南画
真砂幽泉(1770-1835)紀南田辺で活躍した狩野派の画人
真野桃蹊(不明-1818?)名恭、通称菅四郎、字子儉、別号墨亭
馬淵里夕(不明-不明)秋田の画家
間宮林蔵(1780-1844)北方探検家、間宮海峡を発見、名倫崇、書画をよくした
真村蘆江(1755-1795)南画家、名斐瞻、通称長之助
眞山蕙園(不明-不明)師高久靄崖、眞山梧洞の実父
丸尾月嶂(不明-1827)本姓河村
丸野清耕(1784-1843)上山藩御用絵師
円山応挙(1733-1795)円山派の祖、師石田幽汀
円山応震(1790-1838)名仲恭、應受の子、應瑞の養子
円山応瑞(1766-1829)師円山応挙、応挙の子、字儀鳳、号真堂・怡真堂
丸山閑山(1810-1872)師大高坂南海
丸山大塊(不明-不明)画詩文にすぐれ、小野湖山らと親交があった
丸山南海(不明-1801)松山藩士、丸山閑山の父
馬渡高雲(不明-不明)肥前佐賀の絵師、達磨の画をよくした
満香(不明-不明)江戸後期
三海在敬(不明-不明)原在正の長男
三浦呉舟(不明-不明)椿椿山に学ぶ
三浦梧門(1808-1860)師石崎融思、名惟純、字宗亮、長崎三画人
三浦紫畹(1773-1856)師宋紫山
三浦子璨(不明-1794)肥前の絵師、師林龍斎・舶方西園
三浦楚畹(1804-1832)三浦紫畹
三浦南溪(不明-1787)津和野藩士、師楠本雪溪
三浦文渓(不明-不明)名富作、文嶺に学んだ
三上隆圭(1785-1834)津軽の初期南画家、弘前藩医、江戸で酒井抱一に学んだとされる
三木菁里(1832-1861)師赤松藍洲・小寺芦屋
三木文柳(1716-1799)讃岐の南蘋派、師宋紫石、分流とも表記
三熊花顛(1730-1794)名思孝、字介堂
三熊思孝(1730-1794)師大友月湖
三熊露香(不明-不明)三熊花顛の妹
御厨夏園(不明-1722)師狩野文周
三島雲嶺(1828-不明)師長塩雪山
三島等泉(不明-不明)松江の人、仏画
三須蘭溪(1753-1824)岸派、師村上松堂
水田宋紫峰(1780?-1851)宝亀院に住んで画を描いた
水谷正村(1524-1598)下館城主、号蟠龍斎
水野鏡川(不明-不明)師横山竹林斎、狩野派
水野真邦(1785-1862)画家・歌人、通称貢、別号池有亭・内膳・梅下山人
三隅房安(不明-不明)師狩野友元
溝口栄春(不明-不明)寛文頃の金森家の絵師で鷹を得意とした
溝口景山(1799-1858)新発田藩10代藩主
溝口重元(1680-1718)新発田藩5代藩主
三谷永玄(不明-1724)三谷等悦の二男、名安常、通称仁右衛門
三谷永恕淵信(不明-1761)久留米藩絵師三谷第二分家初代、三谷安常の長男
三谷永錫映信(1752-1822)久留米藩絵師三谷本家五代、三谷永雪の二男、師狩野法眼永徳(二代)
三谷永就資信(不明-1825)久留米藩絵師三谷第一別家五代、師狩野法眼永徳(二代)
三谷永雪白信(不明-1756)久留米藩絵師三谷本家四代、三谷永伯の長男、師狩野永叔
三谷永恕(不明-1761)三谷第二別家初代、師狩野永叔
三谷永伯邑信(1663-1739)久留米藩絵師三谷本家三代、三谷安俊の養子、師狩野永真・永叔
三谷勝浦友信(不明-1845)久留米藩絵師三谷本家六代、三谷永錫映信の長男
三谷勝波方信(1805-1869)久留米藩絵師三谷第一別家六代
三谷元就柳眼(1687-1748)久留米藩絵師三谷第一分家二代、三谷安常の二男
三谷勝竹(1815-1840)師狩野勝川院
三谷勝浦(不明-1845)師狩野伊川院・晴川院
三谷仙八(不明-1812)三谷第一別家四代
三谷仙八主景(不明-1812)久留米藩絵師三谷第一分家四代
三谷宗恕主邑(1702-1769)久留米藩絵師三谷第一分家三代
三谷宗恕(1702-1769)三谷第一別家三代
三谷等悦(不明-1675)[福岡05]久留米藩絵師三谷本家初代、三谷等哲の長男
三谷等雪(不明-不明)雪舟派
三谷等哲(不明-1630)[福岡05]久留米藩御用絵師三谷家の祖、雲谷等益の三男
三谷方信(1805-1869)三谷第一別家六代、師狩野伊川院・晴川院
三谷元就(1687-1748)三谷第一別家二代
三谷盛直(不明-1654)師雲谷等顔
三谷安常(不明-1724)三谷第一別家初代、師狩野永真
三谷安俊(1634-1671)久留米藩絵師三谷本家二代、三谷等悦の長男、狩野派に転向
三谷祐八(不明-1781)三谷第二別家二代
三谷友林主郷(1819-1864)久留米藩絵師三谷本家七代、三谷勝浦の養子
三井丹丘(1729-1811)画家・医者、三井久英の子、師谷川士清、名重諟・諟、字伯顧・子幹・文幹、通称建章・建二・建子、別号芝園
三本北斎(不明-不明)紺屋のかたわら絵を描いた
緑姫(不明-不明)徳川家斉の養女、水戸中納言の簾中、狩野勝川院に学んだ
皆川雨邨(不明-不明)明治期の画家、狩野派、名清四郎
皆川淇園(1735-1807)画家・儒者、名愿、字伯恭、別号節斉
皆田高渚(不明-不明)師中山高陽
源忠卿(1763-1808)寛政期の南画家、根本常南の画集「優遊一奇」に鳳凰図を描いている
源鸞卿(1729-不明)名は義和、字は翩之、別号隴南・黙亭、一説には山本又三郎とも言われる
源信(0810-0868)平安前期の画家、嵯峨天皇の皇子
源師時(1077-1136)平安後期の画家
蓑田周賀(不明-不明)師狩野周信
蓑田常僖(1665-1732)師狩野常信
源為憲(不明-1011?)平安中期の画家
箕浦桂林(1779-1813)師狩野洞春、狩野派
三畠上龍(不明-不明)別号乗良・乗龍等
三原文叢(1812-不明)師和田芸谷、三原静軒の子
壬生水石(1790-1871)師徳弘石門
三増文高(不明-不明)師谷文晁
三村自閑斎(不明-不明)松代藩真田家に絵図師としてつかえた
三村常和(初代)(不明-1678)庄内藩御用絵師、師狩野探幽
三村常和(2代)(1644-1721)庄内藩御用絵師、師三村常和(初代)
三村常和(3代)(不明-不明)庄内藩御用絵師、三村常和(2代)の養子
三村晴山(1800-1858)松代藩絵師、別号金斎、狩野晴川門
三村養益(不明-1834)松代藩絵師、師狩野養川院惟信
宮悟崗(不明-不明)京にあって細密画で一世を風靡したとされる
宮内梁洲(不明-不明)南画、益田市高津町教西寺住職
宮尾流芳斎(不明-不明)師森狙仙
三宅鴨渓(1794-1857)師谷文晁、名寅、字希唐、通称熊五郎、別号緑个
三宅看雲(不明-不明)師野呂介石
三宅紫山(1792-1792)師梶山九江、了閑の曽孫、名泰邦
三宅西浦(1786-1857)師伊孚九・野呂介石、名高哲、字稚由、通称辰蔵、別号看雲楼
三宅雪僊(1839-不明)師小田海僊
宮崎筠圃(1717-1775)名奇、字子常
宮崎青谷(1811-1866)画家・儒者、伊勢津藩士、師斎藤拙堂・頼山陽
宮崎白山(不明-不明)通称十郎次、字慎甫
宮崎友禅斎(1654-1736)扇絵師・染物絵師、別名深江幽禅、友禅染の創始者
宮沢鶴斎(1806-1850)師東東洋
宮沢水寮(不明-不明)明治期の画家、名茂、通称運蔵、菊池容斎の門人
宮路惣右衛門(不明-不明)師狩野常信
宮地敬之(1734?-1791)師頼春水
宮田嘯台(1747-1834)漢詩人
宮地惣右衛門(不明-不明)鹿児島城において蓑田傳兵衛とともに描いた
宮野丘陵(不明-1844)森藩士、師父雲巌
宮部雲錦(1749-1815)師栗田長珉
深山台州(不明-不明)加賀藩士
宮本君山(不明-1827)星渓の子、名は瓊、別号峨洋堂
宮本二天(1584?-1645)宮本武蔵と同一
宮本武蔵(1582?-1645)[熊本02]画家・剣豪、号二天、師友雪
宮本綾浦(不明-不明)師黒田綾山
明菴栄西(1141-1215)平安末期から鎌倉初期の僧
明恵上人(1173-1232)鎌倉中期の画僧
明屋有照(1695-1777)画僧、蔭涼寺六世住職
明実(不明-1093)平安後期の画僧
明順(不明-1118)平安後期の絵仏師
明正寺竹叟(1774-1840)画僧
妙性尼(不明-不明)狩野栄川右信の妻
妙沢(1308-1388)室町前期の臨済宗の僧、日本初期水墨画の先駆者
三好応山(1792-1849)師土佐鉄山
三好元一(1793-1843)水戸藩士、酒井抱一の門に学ぶ、幼名徳太郎
三輪雪溪(不明-不明)下館藩士、竹内南圭に学ぶ、名才次郎
明中(不明-不明)画僧、名如寿
明兆吉山(1352-1431)室町前期の東福寺の画僧、通称・兆殿司、宇吉山、号破草鞋
向井竹斎(不明-1859)讃岐の南蘋派、長崎で鉄翁逸雲らと交友
無倪(1744-1811)画僧、岡寺山継松寺の僧
六平寿栄(不明-不明)明治期の画家、本姓池田、増田九木に師事
武藤玄海(不明-不明)明治期の画家、秋田六郷町の人
武藤細鸞(1788-1855)師楠瀬大枝
無等周位(不明-不明)南北朝時代の画僧
村東旭(不明-1851)師岸駒
村井琴山(1733-1815)医師、村井見朴の長男
村井蕉雪(1769-1842)福田太華の師
村井樵雪(1769-1841)熊本南画の祖
村井中漸(1708-1797)医業の傍ら画を描いた
村井漠所(1821-1862)師東夢亭・東佩芳
村井守憲(不明-不明)師衣笠守昌、福岡藩士
村尾石溪(1783?-1845)師長町竹石
村岡岳民(不明-不明)名粛、萩谷セン喬の弟
村片相覧(1778-1846?)住吉派、福山藩絵師
村上島之允(1760-1808)幕府の蝦夷地調査に同行し『蝦夷島奇観』を著した
村上十兵衛(不明-不明)師狩野探幽、狩野派
村上松堂(1776-1841)師岸駒、名茂篤、字元厚
村上菁莪(1761-1826)師池大雅
村上専助(不明-不明)土佐藩の御用絵師・村上家三代
村上貞助(1780-1864)村上島之允の養子、養父の仕事を引継ぎ『蝦夷生計図説』を完成させた
村上東洲(不明-不明)師望月玉蟾
村瀬栲亭(1744-1819)画家・漢学者、名之煕
村瀬石斎(不明-1808)村瀬栲亭の子
村田鶴皐(1802-1857)師渡辺秀実
村田経方(不明-不明)別号の類似性から探達と近い関係にあったと思われる
村田千里(不明-不明)加賀藩士、似顔絵の名手と評された
村田東圃(1802-1865)師松村景文・斎藤秋圃
村田筆岳(不明-不明)讃岐の四条派の画家、森琴岳の師
村田龍亭(不明-不明)円山応挙と交流
村松以弘(1772-1839)南画家・歌人、名維孝、字以弘、通称奥五郎、別号笠斎・小笠山房主人など
村松弘道(1795-1862)師谷文晁、通称孫兵衛、号原谷
村山半牧(1828-1868)師長谷川嵐渓、別号荷亭
明正天皇(1624-1696)第109代天皇、本名は興子
目賀多雲川信済(不明-1847)師狩野探信守道
目賀多雲川守息(1641-1714)師狩野探幽
目賀多幽雲守如(不明-不明)師狩野探幽
米良東嶠(1811-1871)日出藩儒官
毛受昇堂(1864-1827)師織田杏斎、名金次郎
毛内雲林(不明-1837)津軽の南画家、津軽に南画をもたらした
茂木知矩(不明-不明)秋田藩士、歌、絵画をよくした
木庵性瑫(1611-1684)臨済宗黄檗派の僧
黙庵霊淵(不明-1345?)鎌倉末期から南北朝時代の禅僧、日本の初期水墨画の重要作家の一人
望月玉川(1794-1852)名暉、字子瑛、玉仙の男
望月玉仙(1744-1795)名真、字守静、玉蟾の子
望月玉蟾(1692-1755)名重勝・玄、通称藤兵衛、字守静、号玉蟾
牧谿(不明-不明)宋末元初の僧
茂庭幽紅(不明-不明)「原田宗輔公像図」が残っている
百川学庵(1799-1849)画家・儒者、百川玉川の二男、師谷文晁、別号名山楼
桃田伊信(不明-1765)狩野派
桃田柳栄(1647-1698)師狩野探幽
森一鳳(1798-1871)師森徹山、名敬之、森徹山の義子
森嶰谷(1800-1856)師谷文晁、森昌義の子
森寒峯(不明-不明)師岸駒
森煕斎(不明-不明)森五石の娘婿
森休印(不明-1740)盛岡藩の国元狩野派絵師、師狩野休山
森玉僊(高雅)(不明-不明)高力猿猴庵と関係があると思われる
森荊田(不明-不明)森五石の甥
森月航(不明-1814)和歌山藩画員、師月僊
森研樵(不明-不明)森秋艇の一子
森玄心(不明-不明)師森探瑞
森五石(1747-1822)日田の御用商人、森春樹・森秋艇の父
森西園(1783-1859)師岸駒
森三桐(不明-不明)師父森探龍
森秋艇(1786-1868)師田能村竹田・広瀬淡窓、森五石の第三子
森周峰(1738-1823)師月岡雪鼎、森徹山の父、号鐘秀斎
森春溪(不明-不明)森狙仙の門人
森釣雪(不明-不明)師岸駒・森西園
森銭江(不明-不明)森一族の入り三の人
森狙仙(1747-1821)師円山応挙、名守象、字叔牙
森高雅(1791-1864)師吉川一渓・中林竹洞・牧墨僊、通称右門・蜂助、号玉僊・蝦翁・菊亭・素堂・紫川亭
森探瑞(1724-1769)師木村探元
森淡亭(不明-1845)森五石の又従兄
森徹山(1775-1841)師円山応挙、名守真、字子元
森東溪(1793-1857)師春木南湖・大西圭斎
森桐谷(1831?-1855)森カイ谷の養嗣子
森東溟(1772?-1843)師谷文晁
森春樹(1771-1834)師田能村竹田・広瀬淡窓、森五石の長子
森萍雨(不明-不明)森秋艇の二子
森平原(不明-1858)森家一族山三家の人
森保斎常以(不明-1771)森休印の子、江戸で狩野如川に学んだ
森行貞(不明-不明)文化年間の人、月航と号した
森義章(不明-不明)四条派の画家、師景文
森蘭斎(1740-1801)[長崎10]加賀藩お抱え絵師、師熊代能斐
森菱許(不明-不明)文久年中の豊前の人
森菱湖(不明-不明)森秋艇の長子
盛合魯斎(1813?-1866)寺沢綾湖に画を学んだとされる
森岡永眠(1766-1822)京狩野の門人
森崎春旦(不明-1840)徳島藩船絵師、師森崎常福師大岡春川
森崎常福(不明-1798)徳島藩船絵師、森崎家の最も古い存在
森田樵眠(1795-1872)師松村呉春・岡本豊彦、四条派
森田南濤(1808-1872)小松藩絵師、師春木南湖
森田二斎(不明-不明)師幸田皆春
森田梅子(1811-1871)豪農・画家
森田珉岑(1792-1866)儒者
森田魯舟(1722-1783)秋田の俳人で書画もよくした、別号百花園
守屋中岳(不明-不明)師黒田綾山
守屋貞治(1765-1832)仏師
森脇塔玉(1828-1871)師塔然
諸葛函溪(1780-1848)狩野陽信の養子、諸葛家を創立
諸葛秋錦(不明-不明)長府藩御用絵師
諸藤実斉(1829-不明)柳川藩絵師、師狩野永岳
文覚(1139-1203)平安末期・鎌倉初期の真言宗の画僧、俗名遠藤盛遠
文観(1278-1357)南北朝時代の真言宗立川流の僧侶