江戸以前の画家一覧
た行
大瀛(1759-1804)江戸時代後期の画僧
対岳(不明-1855)石井東江の弟子と伝わる
大雅堂清亮(1807-1869)京都双林寺第三十七世住職
大地恵斎(1777-1827)加賀藩士、師谷文晁
大鵬(1691-1774)明の書家・画家
大文字屋市兵衛(1777-1846)三代、大文字屋は江戸新吉原京町の妓楼、歴代市兵衛は酒井抱一のパトロン的存在
平淳吉(不明-不明)寛政期の南画家、根本常南の仙台画塾「蠖斎社中」に参加
平曼容(不明-不明)師大西酔月
大楽朴水(1696-1769)師狩野永信
高嵩谷(1730-1804)字子盈、号屠龍翁・楽只斎
高井二百(1780-1855)師青木木米
高岡掌山(不明-不明)医師、書と南画にすぐれた
高川文筌(不明-1858)松代藩士・医師、師谷文晁
高木一岳(不明-不明)大社町杵築の人
高木空洞(1808-1872)南画、上村米山の弟
高木雪居(不明-不明)師谷文晁・中林竹洞、名秀真、通称八郎右衛門、別号大応
高木萬水(1819-1865)師山本梅逸
高木文仙(不明-1872)師谷文晁・木下逸雲、津に住み藤堂家に仕える
高木豊水(不明-1858)小倉藩絵師、師岡本豊彦・広瀬淡窓
高久靄厓(1796-1843)師谷文晁、別号如樵・疎林外史
高久隆古(1810-1858)渡辺清・浮田一蕙に古代大和絵を学んだ、高久靄崖の養子、別名高隆古
高桑錦水(不明-不明)能登の画人
高階隆兼(不明-不明)鎌倉後期の宮廷絵所絵師
高階隆盛(不明-不明)南北朝時代の画家
高島千春(1777-1859)通称寿一郎、号鼎湖・融斎
高島孫右衛門(不明-不明)土佐の狩野派、高知城三の丸に障壁画を描いた
高須煥斉(1829-1893)近世壬生の画人
高須甘棠(1802-1872)近世壬生の画人
高須梅室(不明-1776)北宋の漢画家、麦雪の孫、通称嘉兵衛元敦、字稚原
高田円乗(不明-不明)師加藤文麗、容斉の師、名正和、号文庸斎
高田蕙圃(1825-1879)師堀川敬周
高田敬輔(1674-1755)狩野系、別号竹隠斎、叙法眼
高田敬甫(1673-1755)師狩野永敬
高田太郎庵(1684-1763)師狩野常信、別号良斎
高田良斎(1684-1763)号朴黄孤、狩野堂信門
高梨雲結峰(不明-不明)隠岐の人、島前焼火神社に絵馬がある
高野雪塘(不明-不明)松平雪山の門人、林十江の従弟
高橋杏村(1804-1868)[尾張08]師中林竹洞、別号爪雪
高橋旭香(不明-不明)幕末から明治期の画家
高橋空中(1742-1804)狩野風を学ぶ、彫刻・陶芸をよくした
高橋卦斎(1796-1852)本名茂親、通称藤吉、別号載陽軒・松涛庵・雲客居士、俳号五英
高橋月庵(不明-不明)春木南溟の門人、名明
高橋光房(不明-不明)師池添楊斎、狩野派
高橋草坪(1804-1835)師田能村竹田
高橋琢斎(1809-1866)師高橋璞斎
高橋東華(1734-1801)師熊代熊斐
高橋波香(不明-不明)師蠣崎波響
高橋波藍(不明-不明)師蠣崎波響
高畠一溪(不明-不明)師大西雪溪
高畠夢蝶(不明-不明)福井藩士
高林方朗(1769-1847)国学者
高原里之子親雲上(不明-不明)首里士族
高原竹窓(1746?-1836)画・彫刻をよくした
鷹部屋春鳩(1828-1862)師貫河堂・高久靄崖、名季固、通称新右衛門、字日華
高間春渚(1756-1786)師磯谷滄洲、名明遠、通称増兵衛、別号清環堂主人
田上菊舎(1753-1826)歌人画家・女流俳人、名道、号一字庵
高森観好(1750-1831?)蘭学者・画家
財部盛陳(不明-不明)都城の絵師、師阿久根能賢
財部常之(不明-不明)師狩野常信
滝尾文谷(不明-不明)師谷文晁、別号画仙堂・雪香堂・泉石斎
滝口国成(不明-1848)土佐唯一の土佐派、師土佐光貞、川村清之助に私淑
滝沢昌良(1771-1843)秋田の画家
多久茂文(1669-1711)多久三代邑主
琢斎(不明-不明)寛政期の南画家、根本常南の仙台画塾「蠖斎社中」に参加
田鎖鶴立斎(1773-1829)盛岡藩の漢画家
田口葵皐(不明-不明)黒田家の家臣
田口四軒(不明-1828)俳諧俳画をよくした
田口慮慶(不明-不明)肖像画を得意とした
詫磨栄賀(不明-不明)南北朝頃の詫磨派最末期の画家、良賀の子
詫磨俊賀(不明-不明)鎌倉前期の画僧、号薩摩法橋
詫磨勝賀(不明-不明)平安末から鎌倉初期の詫磨派の画家
宅磨勝賀(不明-不明)鎌倉前期の画家、宅磨派絵仏師の始祖、宅磨為遠の子、俗名為基
宅磨為氏(不明-不明)平安中期の画家、姓藤原氏、詫磨派始祖
詫磨為遠(不明-不明)平安後期の画家、詫磨派中興祖、姓藤原、絵仏師
宅磨為遠(不明-不明)平安後期の画家、宅磨派の祖とされる絵仏師、勝賀・為久の父
宅磨為成(不明-不明)平安中期の画家、詫磨派二世、姓藤原
宅磨為久(不明-不明)平安後期から鎌倉時代の画家、詫磨派、姓藤原、為遠三男
宅磨為行(不明-不明)鎌倉前期の画家、宅磨為久の子、宮廷絵所の画師
宅磨長賀(不明-不明)鎌倉時代の画家、宅磨派の絵仏師
宅磨澄賀(不明-不明)鎌倉前期の画家、詫磨為久の子
宅磨良賀(不明-不明)鎌倉時代の画家
宅磨了尊(1265-不明)鎌倉後期の画家
武井周発(1694-1770)浜町狩野派、初め作之丞と称し、のちに半三郎・半蔵・作右衛門・常美
竹内雲崖(不明-不明)師長町竹石
竹内雲石(不明-不明)温泉津の人、南宗派
竹内栄之丞(不明-不明)雲藩給帳に名がある
武内小鸞(不明-不明)師円山応瑞・岸駒、名は千賀、字は左琴
竹内式部(1712-1767)新潟町の文人、五十嵐浚明の師
竹内衡山(不明-不明)師父竹内春山
竹内随春(不明-1758)師狩野随川甫信
武川維章(1744-1799)師円山応挙
竹崎元章(不明-不明)師木村探元
竹沢養渓(不明-1808)師狩野養川院惟信
竹重香雨(1827-不明)師佐野東庵
武重桃堂(1773-1853)児玉胤堂の二男
竹重鳴春(1792-1847)師鈴木鳴門
武田雲室(1753-1827)江戸芝西久保の光明寺住職
武田永球(1622-1675)武田狩野の祖、本名安親
武田柯笛(1802-1868)師山本梅荘、名晨業、通称新次郎のちに新蔵
武田耕雲斎(1804-1865)水戸藩の天狗党の首領
竹田治右衛門(不明-1845)号楽山
武田信廉(1532-1582)戦国時代から安土桃山時代の武将
武田竹亭(1764-1829)寛政期の南画家、菊田伊洲の実父
武田南灘(不明-不明)書画をよくした
武市瑞山(1829-1865)師徳弘董斎
竹中北丘(不明-不明)師三浦梅園、竹画をよくした
竹内春山(1743-1817)師狩野栄川院、竹内甫記の子
竹内甫記(不明-不明)師狩野随川甫信、竹内春山の父
竹之下信成(1639-1682)都城島津家の絵師、師狩野常信
竹原玄路(1720-1794)矢野派、師矢野雪叟
建部巣兆(1761-1814)画家・俳人、師谷文晁、号秋香菴、菜翁
建部樸斎(1769-1838)鳥取初の南画家
建部凌岱(1719-1774)画家・俳人、号綾足
竹村悦人(1818-1862)南部三戸藩の医者
竹村四勿軒(1815-1868)諱宗政、字以徳、幼名政太郎・平七郎・仲、別号如向・北海・徳山・柳塘・梅竹陳人
竹村節斎(不明-不明)通称平助、別号湖南
武村文海(1797-1863)角館四条派の創設者
竹山南圭(不明-不明)師谷文晁、名伝
多胡逸斎(1802-1857)津和野藩家老・多胡外記真恭の養子
田尻種美(1794-1855)師松村景文
田尻常秀(不明-不明)師狩野昌運
田代雲夢(1757-1830)名国綱、忠国・周助とも、別号春秋庵・金台散人・雲夢
田代忠国(1757-1830)洋風画家・武士、出羽久保田藩士
田代等甫(不明-不明)矢野派
多田撃壤子(1773-1827)閑々人に画を教えた
多田玄介(1732-1788)師彭城百川
多田晴宜(1827-1862)師狩野晴川院養信
湛木澄山(不明-1809)牛川正太寺住職
忠岡三千子(不明-不明)仙台藩七代藩主・伊達重村夫人観心院の侍女として仙台を訪れ奥女中となった
多々羅西皐(1782-1838)南画、金沢の家柄町人
立入快堂(不明-不明)代議士、余技で画を描いた
橘崑崙(1761?-1819?)「岳陽楼之図」や「浮山之晴景」が残っている
橘守国(1679-1748)師鶴沢探山、号後素軒
橘保国(1715-1792)橘守国の子、号秋筑堂・後素軒
立原杏所(1786-1840)水戸藩士、師谷文晁、別号東軒
立原春沙(1818-1858)立原杏所の長女、師立原杏所・渡辺崋山
立原翠軒(1744-1823)水戸藩士、立原杏所の父、別号東里
立原竹沙(1817-1847)立原杏所の次女
立原朴二郎(1832-1864)水戸藩士、立原杏所の三男、椿椿山に学ぶ、号裕堂
伊達邦宗(1870-1823)仙台藩十三代藩主・伊達慶邦の子
伊達忠宗(1599-1658)仙台藩二代藩主
伊達綱宗(1640-1711)仙台藩三代藩主、伊達正宗の子
伊達綱村(1659-1719)仙台藩四代藩主
伊達政宗(1567-1636)江戸前期の武将、出羽国と陸奥国の戦国大名、陸奥仙台藩の初代藩主
伊達吉村(1680-1751)仙台藩五代藩主、伊達宗房の子
立野芳山(不明-不明)師岡眠山
立林何帛(不明-不明)名立徳、別号喜雨斎
建部綾足(1719-1774)俳人・国学者、俳号葛鼠・都因・涼袋、費漢源に学び画をよくした、
田所静山(1832-1869)名秀次市郎、田所静年の子
田所静年(不明-不明)宇佐美太奇に学ぶ、名弘
田中亀水(1820-1867)師福田太華
田中笈斎(不明-不明)幕末の画家
田中索我(1742-1814)師鶴沢探索
田中雪堂(不明-不明)師加藤雪溪
田中泉明(不明-1868)加賀藩士、師佐々木泉玄
田中田信(1748-1825)医師、豊後南画の初期を代表する画家
田中陶居(1789-1829)田能村竹田と交遊した
田中洞慶(不明-1831)師狩野洞春
田中洞仙(不明-不明)津の人、南画をよくした
田中訥言(1767-1823)師土佐光貞、名痴、字虎頭、別号大孝斎・痴翁・得中・過不及子・求明、復古大和絵派の祖と呼ばれる
田中日華(不明-1845)師岡本豊彦、字伯暉、号月渚
田中貝峯(1757-1833)師石里洞秀、狩野派
田中瓶山(不明-1847)松江藩士
田中美芳(不明-1831)師狩野洞春
田中岷江(1735-1816)画家・彫刻師、名淳徳、通称藤左衛門、別号五瀬・湖南
田中守義(不明-不明)師鶴澤探泉
田邊如亭(1812-1863)師村瀬藤城・頼山陽・佐藤一斎
田辺素山(1801-1842)師佐々木泉景
田辺文琦(1801-1869)師谷文晁
谷阿佐子(不明-不明)谷文晁の後妻、谷阿佐
谷幹々(1770-1799)谷文晁の先妻、本姓林氏、字翠蘭
谷紅藍(1780-1833)菅原洞斎の妻、谷文晁の妹
谷舜英(1772-1832)谷文晁の末娘、字小春、別秋香
谷等閑斎(不明-不明)狩野派に学んだ
谷文一(1787-1818)谷文晁の養子、号痴斎
谷文二(1812-1850)谷文晁の子、名義宣
谷文三(不明-不明)師谷文晁、田辺文琦のいとこ
谷文晁(1763-1841)江戸南画を確立、師加藤文麗・渡辺玄対、号写山楼・文阿弥
谷川青野(1777-1820)師長町竹石
谷川石瀬(不明-不明)津の人
谷口月窓(1774-1865)師月僊
谷山洞龍(不明-1811)師狩野洞春美信
狸源兵衛(不明-不明)畸人と伝えられる
田能村竹田(1777-1835)[大分10・大分11]豊後竹田の岡藩侍医の子に生まれ儒学や詩画を学んだ、幕末文人画壇を代表する作家のひとり
田原南塘(1776-1824)鶴沢探索に学び仏画を描いた
多福寺賢巌(1627?-1696)臼杵・多福寺第三世寺主
玉井鵞渓(不明-1862)師月僊・中林竹洞、名裔涯、通称貞次、別号月皋
玉江蓬洲(1779-1848)師村上東洲
玉置敬窓(1780-1829)浜田に住んだ
玉置景雲(1780-1829)師松村景文
玉手棠洲(1795-1871)中井藍江門
田村建顯(1656-1708)一関藩主、隠岐守宗良の二男
田村直翁(不明-不明)江戸前期の画家
田村安貞(1786-不明)田沼町の種徳院観音堂の天井絵が残っている
為氏(不明-不明)平安中期の画家
俵屋宗雪(不明-不明)俵屋宗達の後継者、工房印「伊年」を継承
俵屋宗達(不明-不明)本阿弥光悦とともに琳派の祖とされる
単庵智伝(不明-不明)室町後期の画家、名知伝、相国寺僧、師周文
湛海(1629-1716)江戸前期の僧、彫刻もよくした
湛慶(1173-1256)鎌倉時代の慶派仏師
丹山(不明-1820)画僧、真浄寺十五世
湛賢(不明-不明)師秋月等観
探水(不明-1868)師長塩雪山
谷田忠兵衛(不明-1733)蒔絵師
近松昌栄(不明-不明)佐竹氏に仕えた
近森半九郎(不明-1724)師狩野養朴常信
力石遷交(不明-不明)水戸藩士、通称勘五郎
千輝玉斎(1790-1872)玉村宿で地方絵師として活躍した
知久綾麿(不明-1828)花鳥画を得意とした
知久龍涯(不明-1864)阿島の旗本の養子となった
千島春里(不明-不明)狩猟や漁業を主な題材にアイヌ絵を描いた
智順(不明-不明)平安後期の絵仏師
知念昌之(1787-不明)知念昌俊の長男
茅根一鴎(1787-1868)古河藩士、名信之、通称杢左衛門、奥原晴湖の師
千葉華岳(1780-1839)小池曲江の長男
千葉竜卜(不明-不明)名胤綱、号松翁斎
千村鵞湖(1727-1790)師月僊、名諸成、通称総吉、字伯就、別号笠沢・自適斎・大観盧・七楽居
仲安真康(不明-不明)15世紀中頃の画家
仲安梵師(不明-不明)南北朝から室町前期の画家
中條雲堤(不明-1866?)讃岐の南蘋派、師木下逸雲
中条康永(不明-1824)通称多膳、別号勲章、狩野派の画を学んだ
中天和尚(不明-不明)師清野養山、竜を得意とした
中峰明本(1263-1323)中国の元代の禅僧
千代(1703-1775)歌人画家、号素園、草風
張月樵(1772-1832)[尾張19]師市川君圭・松村呉春、名行貞、字元啓、通称晋蔵のちに快助、別号酔霞堂
張子祥(不明-不明)中国清代の文人画家
張秋谷(不明-不明)中国清代の画家、来舶四大家のひとり
張瑞図(1570-1641)明の書家・画家
張天然(1715-1786)師佐々木縮往
晁有輝(不明-1811)宋紫石門、名豊興、字詩叔、通称久兵衛
長久寺鴻雲(1804-1865)萩原長久寺第十二世寺主
長康亭道三(不明-不明)秋田の画家
漲川永海(不明-不明)画僧、不明な点が多い
長宗我部信親(1565-1587)戦国・安土桃山時代の武将
長柳斎(不明-不明)鎌倉建長寺の住職、別号に可卜
陳柱中(1597-1676)明の福建の画家
珍海(1091-1152)平安後期の学僧・画僧、藤原基光の子、禅林寺十世
陳惟(不明-不明)福建画壇の画家
塚原夢舟(不明-不明)逓信省に務める、名周造
月岡雪渓(不明-不明)月岡雪鼎の次男、師父雪鼎・兄雪斎
築山楽山(不明-1837)師岡田米山人、名穣、字玄厚、通称平楽山・平野屋忠右衛門
筑和文嶺(不明-不明)明治期の画家
辻錦崖(不明-不明)津魚町の人
辻雪蕉(不明-1840)師法橋俊乗
辻鳳山(1794-1850)師渡辺南岳、上島鳳山の祖父
辻内文福(不明-不明)師谷文晁、徳川幕府の役人
津田永清(不明-不明)雲藩御用絵師、狩野永雲の孫
津田応圭(不明-1780)名乗文、通称織部・縫殿、別号北海・柘榴園、沈南頻を学び、特に花鳥を得意とした
津田菜窠(1742-1813)金沢の医者・南画家
津田小石(1790-1872)中津藩の執政、田能村竹田と親交があった
津田辨作(不明-不明)小倉藩画人
土屋篤直(1733-1776)第4代土浦藩主、幼名左門
土屋観斎(1975-不明)師野々垣清三朗・織田杏斎、名賢之助、字孝臣、別号好雨・草居
土屋索進斎(不明-不明)師鶴沢探鯨・探索
土屋彦直(1798-1847)常陸土浦藩の第9代藩主、水戸徳川斉昭の叔父、藤森弘庵に学んだ
筒井永年(1817-1856)師浦上春琴
筒井香山(1843-1869)師村山半牧・藤本鉄石
堤蕉岡(不明-不明)寛政期の南画家、根本常南の仙台画塾「蠖斎社中」に参加
角田九華(1784-1856)師中井竹山・林逑斎
椿華谷(1825-1850)椿椿山の子、名恒吉、幼くして崋山に入門
椿椿山(1801-1854)師金子金陵・渡辺崋山、名弼、字篤甫、通称忠太、別号梧軒・休庵、清国・張秋谷の画法を研究
椿恒吉(1825-1850)椿椿山の子
津曲朴栄(1654-1701)都城島津家の絵師、師狩野常信
津村雨林(1774-1832)南画、絵画のほかに彫刻や楽焼も得意とした
津村洞仙(1804-1856)師渡辺洞昌、名重信、
津村洞達(不明-1819)本名重之のちに由之、通称伝兵衛、別号印月斎・松翠
津森等為(不明-1686)雲谷派
露木石門(不明-不明)井川鳴門の師という説がある
鶴沢探鯨(不明-1769)狩野派鶴沢家二代
鶴沢探索(不明-1797)鶴沢探鯨の子、狩野派鶴沢家三代
鶴沢探山(1655-1729)名守見、別号幽泉・探春叙法眼
鶴沢探泉(不明-1816)鶴沢探索の子、狩野派鶴沢家四代、名守之
鶴沢養琢(不明-不明)越前家御用絵師
鶴田卓池(1768-1846)俳人、師石川貫河堂、名光貞、通称与三右衛門、号青々処・藍叟
貞雲女(不明-不明)寛政期の南画家、根本常南の仙台画塾「蠖斎社中」に参加
丁雲鵬(1547-1628)中国明代末期の画家
鄭大観(不明-不明)福建画壇の画家
貞玄(不明-不明)画僧、師野呂介石
鄭培(不明-不明)沈南蘋が来日した際に同行した弟子の一人
手柄岡持(1735-1813)画家・戯作者、別名は朋誠堂喜三二
出久廼坊画安(不明-1871)二代勝川春山
手島君山(不明-1824)田能村竹田とも親交があった
手島香苓(1824?-1872)師木下逸雲
手銭白沢園(不明-不明)通称宮三郎、号薄庵
鉄翁祖門(1791-1872)師石崎融思・江稼圃、画僧、長崎春徳寺の住持、長崎三画人
手塚鴎盟(1774-1833)師長町竹石
鉄崖(1626-1703)禅宗黄檗派の僧
銕牛(1628-1700)僧侶
鉄舟徳済(不明-不明)南北朝時代の画僧、夢窓国師の弟子
徹心(不明-1815)京都府の山城神応寺の東谷直伝の高弟らしい、よく虎を描いたので「虎和尚」と呼ばれていた
寺門静軒(1796-1868)儒者・随筆家
寺崎広意(不明-不明)通称藤九郎、祖父は広方、子が広長
寺島応養(1776-1837)加賀藩士
寺島梅里(不明-1798)夭折の南画家
寺西芸園(1796-1858)加賀藩士、主に墨梅を描いた
照田穿石(1793-1870)師行田雲濤、慶念寺住職
田文卿(1770-1822)寛政期の南画家、根本常南の画集「優遊一奇」に牡丹図を描いている
天桂伝尊(1648-1735)禅宗曹洞派の僧
天香豊(不明-不明)江戸後期から明治期の画家
天龍道人(1718-1810)[佐賀08]名瑾、子は公瑜、通称渋川虚庵、別号草龍子・水湖観
土井平所(不明-不明)通称竹屋権四郎、別号蘭竹草堂
土井有隣(不明-1811)師石崎融思
十市石谷(1793-1853)師片山東籬、名賚、通称恕輔、別号霞村
東鶴斎(不明-不明)本吉郡気仙沼の人
董九如(1745-1802)名董烈、通称井戸平助、紫石門
洞楊谷(1760-1801)沈南蘋の画風を学んだ、別号片山楊谷
等安(不明-不明)雪舟門
桃澐(不明-不明)寛政期の南画家、根本常南の仙台画塾「蠖斎社中」に参加
等海(不明-不明)師秋月等観
道口雪窓(不明-1864)立原杏所・松平雪山に学ぶ、名貞徳
等芸(不明-不明)師秋月等観・雪舟
等碩(不明-不明)室町後期の水墨画家、秋月等観の子
等見(不明-不明)師秋月等観
東皐心越(1639-1695)江戸前期の禅僧・画家、帰化明人、号兆隠、水戸祇園寺開山
等秀(不明-不明)島津家のために架鷹図を描いた
等春(不明-不明)[岡山01]室町後期の画家、周文・雪舟傍系
東條探竺(不明-不明)師山路探定
東條東園(不明-不明)師能勢一清、東條探竺の子
東条南溪(不明-不明)師大西雪溪
等雪(不明-不明)師雪舟・秋月等観
等坡(不明-不明)室町後期の画僧、師秋月等観
東福門院(1607-1678)第2代将軍徳川秀忠の5女、名は和子
等本(不明-不明)室町期の画僧
遠坂文雍(1783-1852)師谷文晁、名文応、号友園、文晁門
栂静逸(不明-不明)師春木南溟
冨樫晴貞(不明-1570)加賀国野々市城主
土岐洞文(1502-1582)戦国時代から安土桃山時代の画家
土岐頼芸(1501-1582)戦国時代の美濃の守護大名・武人画家、師周文、別号徳秀斎
土岐某(不明-不明)尾張藩初代藩主義直に仕え、鷹の絵を得意とした
常盤光長(不明-不明)平安末期の大和絵師
徳川綱條(1656-1718)江戸前期の水戸第3代藩主
徳川斉昭(1800-1860)水戸第9代藩主
徳川斉彊(1820-1849)幕末の紀伊第12代藩主
徳川治保(1773-1816)水戸藩第6代藩主
徳川治紀(1773-1816)水戸第7代藩主
徳川宗尭(1705-1730)水戸藩第4代藩主
徳川宗輸(1728-1766)水戸藩第5代藩主
徳田常房(不明-不明)師狩野常信
独湛禅師(1628-1706)江戸前期に明から来た黄檗宗の僧
徳力善宗(1549-1637)名存之助、本願寺絵所
徳弘石門(1777-1825)画家・武士、土佐高知藩士、師広瀬台山・雲室、名保孝、通称直蔵・庄九郎、別号石崖
土蔵栄松(不明-不明)室町中期の画家
戸倉耕月庵(不明-1871)師日比野鶴翁
徳力善章(1493-1583)戦国時代から安土桃山時代の画家
徳力善雪(1599-1680)徳力善宗の子
常世翠巒(1767-1814)独学で狩野派、南蘋派を学んだ
土佐一得(不明-不明)土佐派の絵師、土佐光吉の門人ともされる
土佐隆相(不明-不明)鎌倉時代の画家、土佐支族、長隆の二男、藤原隆相と同一
土佐経隆(不明-不明)鎌倉中期の画家、春日光長男、土佐派始祖
土佐鉄山(不明-不明)三好応山の師とされる
土佐広周(不明-不明)室町中期の土佐派の絵師、土佐十世
土佐光顕(不明-不明)鎌倉末期から南北朝時代の画家、隆兼の子
土佐光淳(1734-1764)土佐光芳の長男
土佐光起(1617-1691)江戸前期の土佐派の絵師、土佐中興
土佐光清(1805-1862)土佐光孚の子、絵所預、従四位土佐守
土佐光国(不明-不明)南北朝から室町前期の画家
土佐光貞(1737-1806)土佐派の絵師、土佐光芳の子
土佐光孚(1780-1852)土佐光貞の子
土佐光重(不明-不明)南北朝時代の画家、行光の二男
土佐光茂(不明-不明)室町後期の土佐派の絵師、土佐派一二世
土佐光祐(1675-1710)土佐派一八世、号常心、幕府絵所預
土佐光高(1676-1710)土佐光成の子
土佐光親(不明-不明)光起の二男、光成の弟
土佐光時(1764-1819)土佐光淳の子
土佐光禄(不明-1849)土佐光時の子
土佐光長(不明-不明)平安末期の画家、藤原隆親の男、春日派四世
土佐光成(1647-1710)江戸前期から中期の土佐派の絵師、光起の子、号常山
土佐光信(不明-1521?)室町中期の絵師・土佐派中興の祖
土佐光則(1583-1638)江戸前期の土佐派の絵師、光吉の子、絵所預
土佐光久(不明-不明)室町後期の画家
土佐光秀(不明-不明)鎌倉後期の画家
土佐光弘(不明-不明)室町前期の画家、土佐派八世
土佐光正(不明-不明)鎌倉時代の画家、吉光の二男
土佐光元(1530-1569)戦国時代の画家、土佐一三代絵所預
土佐光芳(1700-1772)土佐派一九世、号常覚、幕府絵所預
土佐光吉(1539-1613)安土桃山期の大和絵土佐派の絵師、光茂の子
土佐行長(不明-不明)鎌倉時代の画家、藤原隆親の子
土佐行広(不明-不明)室町初期の土佐派の絵師、行光の長男、絵所預
土佐行光(不明-不明)南北朝時代の画家
土佐吉光(不明-不明)鎌倉後期の画家、土佐家三世
土佐邦隆(不明-不明)鎌倉中期の画家、経隆の二男
利光常尹(不明-不明)師狩野常信、日出藩士
嗒然(1796-1861)僧侶、師台腎
戸田黄山(不明-不明)大坂天満の酒屋主人、師鼎春岳
戸田松嶺(1783-1841)師狩野了承・田中洞慶
戸田忠翰(1761-1823)戸田忠寛の長男、号粛亭
杜澂(1748-1816)日本の南画家・篆刻家・出版家
戸塚茗溪(1809?-1854)讃岐の南蘋派
百々広年(不明-1856)師山脇東暉、別号菱華
十時梅厓(1749-1804)儒者、師伊藤東所、名業・賜、字季長・子羽、通称半蔵、別号顧亭・清夢軒・天臨閣
十時梅谷(不明-不明)十時梅厓の養子、本姓山田、名順、字伯祐、別号梅谷樵夫
舎人葵園(1780-1848)師山本梅逸、名経栄、字華卿、通称平兵衛、別号鼓腹
鳥羽石隠(不明-1823)別号台麓
鳥羽僧正(1053-1140)平安後期の天台宗の僧・天台座主、名覚猷
戸部一憨斎(1645-1707)秋田で最も古い著述家、本名正直、別号一閑
戸祭雪湖(1808?-1861)師春木南湖
戸祭友古(1828-1869)椿椿山の門人、名為之介
富川大塊(1799-1855)大橋白鶴の長男、江戸・京都に出て文武を修め書画にもすぐれた
富田古観(不明-1832)師張月樵、名道寧、通称忠兵衛、別号日月亭
富田呉舟(不明-不明)松平雪山の門人
富永竹村(1801-1851)師亀田鵬斎・中林竹洞
富松蘭溪(不明-不明)南画
戸村旭峰(不明-不明)諱義辰、義通の子
戸村後草園(1768-1854)横手城代の戸村家第六代、名は義通
富山方亭(1820-1870)医師、医業のかたわら詩歌を好み、画もよくした
豊田克斎(不明-不明)秋田の画家
豊田随園(不明-1732)浜町狩野派、別号常之
豊田随可(1721-1792)浜町狩野派、豊田随園の孫、別号常令
豊平良全(1786-1848)琉球の絵師、唐名は馬執宏
鳥井翠崖(1810-1868)堂号は三笑堂
鳥居靖斉(不明-不明)鳥居荀美の父、名黙、通称加納屋新三郎
鳥越烟村(不明-不明)備前岡山藩士、師浦上春琴、通称仙蔵、別号煙村・梅圃