江戸以前の画家一覧

な行

内藤右膳(不明-不明)名重昌、後に業昌、別号桂斎・鳳翔、立原杏所に学ぶ
内藤常山(不明-不明)杉浦霞岳の門人、名庸之介、好古堂
内藤等甫(不明-1644)都城島津家の絵師、師狩野尚信
内藤東甫(1728-1788)尾張藩士、名正参、通称浅右衛門、別号閑水・泥江隠士・朽庵
那珂碧峰(1748-1817)画家・儒者、名通博、字公雅、通称長左衛門、別号渓山閣・絃誦堂・飽媛・鶴峰
長井槐斎(1730-1786)松阪の人、書道に長じ画もよくした
永井慶竺(1685-不明)狩野常信門下の四天王のひとり、師狩野常信・津曲朴栄、永井実益の二男
永井実益(1637-1696)都城の絵師、永井慶竺の父
中井泰嶺(不明-1865)師松村景文
永井探謙(不明-不明)師木村探元
中井文寿(不明-不明)寛政期の南画家、根本常南の仙台画塾「蠖斎社中」に参加
中井藍江(1766-1830)中井竹山の姪、名直、字伯養
長尾憲長(1503-1550)戦国時代の武将画人
長尾慶蔵(1834-1872)師近藤篤山
長尾景長(1461-1528)戦国時代の武将画人
長尾文岱(不明-不明)江戸時代の画家
長尾政長(1528-1569)戦国時代の武将画人
中臣典膳(1804-不明)医学にも通じた多芸多才の人で画もこなした
中川雲屏(1802-1863)師山縣岐鳳
中川耕斎(1838-1922)師吉田雪斎
中川秋山(不明-不明)巣見来山の孫、医業の傍ら南画をよくした
中川秋星(不明-不明)師富岡鉄斎
中川東澤(1794-1835)画をよくし、彫金も巧みだった
中川梅縁(1801-1858)師狩野梅栄・天嶺、名吉算、通称五郎右衛門、俳号契雪庵竹明
中川馬嶺(1783-1860)師長町竹石
中川久昭(1820-1869)岡藩主、藤堂の二男
中川久忠(1585-1629)通玄院殿雲外了山大居士
中川墨湖(1789-1861)広島藩絵師、師山田雪塘
中川菱香(1812-1869)師松村景文
永木竹雨(不明-不明)中川秋星と交友
長沢蘆洲(1767-1847)長沢蘆雪の養子、名鱗、別号南暁、円山派
長沢蘆雪(1754-1799)師円山応挙、円山十哲
長沢蘆鳳(1804-1871)蘆雪孫、円山派
長塩雪虹(1810-1871)師父長塩雪山
長塩雪山(1774-1833)安芸に移住、母里藩御用絵師
中島安泰(不明-不明)彦根藩士
中島華陽(1813-1877)師横山華山
永島岸翠(1814-1870)師早斯尹・岸良、通称岩吉、別号蕉鹿
中島魚坊(不明-1793)師田中五竹
中島秋挙(1773-1826)師井上士郎、通称鉄太郎、別号曙庵
中島勝孚(不明-不明)江戸後期の画家
長島青雀(1821-1847)師日尾荊山・梁川星巌
中島信雪(不明-不明)津和野藩絵師のはじめ、狩野益信の門人と伝わる
長嶋尉信(1781-1867)名尉信、字祐郷、通称治左衛門・二左衛・二左衛門、別号郁子園・二洲
中島来章(1796-1871)渡辺南岳門後応挙私淑、号神通堂
長瀬直福(1796-1867)字子寿、通称平右衛門、幼名直貞・鶴吉、別号鹿山・竜湖
仲宗根真代(1641-1710)琉球の絵師、唐名:査秉徳
中田湖山(不明-不明)明治期の画家、小室怡々斎に師事
永田崑山(1737-1791)亜欧堂田善の兄
長富等珍(不明-1702)師雲谷等宥
中西石焦(1733-1807)画家・篆刻家
中西南喬(不明-1871)師目賀多雲川信済
中根青藍(不明-不明)杵築藩の人
長野南山(1826-不明)師橋本小霞
中野龍田(1764-1811)名煥、字季友
中浜鶴汀(1793-1870)師佐々木泉景
中浜龍山(1830-1865)中浜鶴汀の二男
長浜屋小四郎(不明-不明)出雲の人
中林竹洞(1776-1853)師山田宮常・神谷天遊、名成昌、字伯明、通称大撫、別号仲澹・痴翁・大原庵・東山隠士
中林竹渓(1816-1867)中林竹洞の子、師父中林竹洞・山本梅逸
中原国華(1796?-1867)師白神こう々
永原権兵衛(不明-不明)尾張藩初代藩主義直に仕え、鷹の絵を得意とした
中原次右衛門(1726-1795)師江口順右衛門
長町竹石(1757-1806)師建凌岱、池大雅に私淑、名徽、字琴翁、号軒琴
永松玄偲(不明-不明)友関斎の子、永松秀精の父
永松秀精(不明-不明)肥前佐賀藩絵師
長峰探隠(1785-1861)師狩野探淵・山路探定
中村可敬(不明-不明)梅香堂の版元と版下絵師を兼務
中村西渓(1792-1845)師松村景文
中村晴江(不明-1868)中津藩の人
中村石鶴(不明-不明)画家・医師
永村茜山(1820-1862)渡辺崋山門、本姓長谷川、名寛、字済猛、別号寿山
中村竹圃(1841-不明)福島柳圃に師事、名邦敬
中村轍外(不明-不明)名公成、別号嶽蓮・無限道人
中村文彬(不明-不明)師谷文晁、名淑徳、通称与一左衛門
中村芳中(不明-1819)名徳哉、号温知堂・達々・担板漢
中村黙々(1827-不明)師毛利空桑
中村幽甫(1623-1698)狩野探幽門、名守以、通称八弥、別号幽恕斎
中村了斎(不明-不明)師狩野了承
永安薫畹(不明-1862)師三浦紫畹
中山月樵(1848-不明)通称甚五郎、播州の柴田雪樵に学ぶ
長山孔寅(1765-1849)画家・儒者・狂歌師、字子亮、号牧斎・紅園、呉春門
中山高陽(1717-1780)画家・書家、字延中、号仲仙
中山秀種(1745-1808)師父中山高陽
中山三屋(1840-1871)勤王歌人画家、名宮子、芦ノヤミヤ、中山みや子
中山養福(1808-1849)徳島藩御用絵師、師狩野晴川院養信・勝川院雅信、橋本雅邦と同門
中山蘭花(不明-不明)名盛元、漢籍に通じて詩書をよくした
波島(不明-不明)師蠣崎波響
那須芝山(1759-1832)津軽家一門、父親は弘前藩七代藩主信寧の弟
鍋島綱茂(1652-1706)肥前佐賀藩三代藩主
並川源章(不明-不明)師駒井源琦
並川甫雲(初代)(不明-不明)師狩野興甫・狩野常信
並川甫雲(2代)(不明-1748)二代目甫雲
並川甫仙(不明-不明)紀藩狩野派
滑川竹斎(1787-1856)画家・漢学者、初名通約、通称駒之助・長蔵、諱通惇、字子篤、別号緑蔭・頑翁、常世翠巒の門下
行田魁庵(1812-1874)師行田雲濤
行田八海(1771-1818)師釧雲泉
行田雲濤(1798-1853)師山本梅逸
成田五兵衛(不明-不明)金森氏に仕えた
成田半烟(1795?-1870)師浦上春琴、母は浦上玉堂の娘
成田益親(不明-不明)室町期の画家、名小次郎
成富独幽(不明-不明)初代広渡心海に師事した
成富峰雪(不明-不明)元禄の頃の肥前佐賀の絵師
成瀬古仙(不明-1809)藤堂家の重臣
成瀬正成(1568-1625)安土桃山期から江戸前期の尾張徳川家の付家老、号白林寺、三河の武将
南合果堂(1798-1863)儒者、師広瀬蒙斎、名琦、字圭卿・希韓、通称龍橘・彦左衛門、別号長風楼・頑石幽人
南郷元安(不明-不明)師山路探定
難波玖嶽(不明-不明)師古市金峨、同門四天王
南部一翁(不明-不明)伊島牧斎の門人
南部行信(1641?-1702)南部家30代藩主・重信の第3子
南部裕(不明-不明)南画
南浦(1235-1308)大宰府の崇福寺の画僧
南陽(不明-不明)広島の町絵師、四条派
新妻鶴巣(1818-1871)師高橋容所、佐沼の三大画家の一人
仁尾鱗江(1774-1833)師松村蘭台
二木長嘯(1755-1814)師池大雅・太田南畝
西苦楽(不明-不明)原南嶺斎らと同時代の人と思われる
西尾忠善(1768-1831)武士・画家、遠江横須賀藩の第5代藩主
西岡邦教(1739-1815)師月僊、屋号海老屋
西川恵園(不明-不明)号紅兒子
錦織霞江(不明-不明)出雲の人
西島鉄仙(1825-不明)師日高鉄翁
西宮四壁(不明-不明)明治期の画家、名正興、通称円右衛門、別号羽横
西原舜玉(1796?-1871)師佐々木雲屋、西原竹屋の妻
西原竹屋(1780?-1826)師長町竹石
西村清狂(1794-1794)名百春、通称清兵衛、独学で南画を描き丹羽嘉言とともに尾張南画の草創期に活躍した
西村楠亭(1775-1834)名予章、字子風、応挙門
西村嬾竜(不明-不明)広渡一湖の弟子とみられる
西山英眠(1767-1843)師狩野養川院惟信
西山芳園(1804-1867)四条派、松村景文門、名成章
西山孟郷斎(1799-1870)師狩野伊川院栄信、松平斉斎に仕え鷹の図をよく描いた
耳鳥斎(不明-不明)町絵師、狩野派の小柴隼人の門人
日収秋澗(1579-1650)江戸前期の僧
新渡辺姫岳(1761?-1823)与謝蕪村に俳諧と絵を学んだ
二宮文子(1824-1854)号奇峰、松隣
土師元雪(不明-1697)臼杵藩絵師、師狩野元俊
丹羽ジャコベ(1579-1638)安土桃山から江戸前期のキリシタン画家
丹羽桃渓(1760-1822)通称大黒屋喜兵衛、別号靖中庵・桃渓山人
丹羽嘉言(1742-1786)字彰甫、通称新治、号章甫・謝庵・福善斎・聚珍堂・名士関、尾張南画を創始した
仁海(0951-1046)平安中期の真言宗の僧侶、空海八世の法派、山城曼荼羅寺開祖、真言宗小野流の祖、通称・小野僧正
忍海(1696-1761)江戸芝増上寺の僧
額田照通(1569-1630)常陸額田城主、名彦三郎
貫名海屋(1778-1863)書画家・儒者、号林屋・海屋・海叟・海客・菘翁
貫名菘翁(1778-1863)儒者・南画家、師矢野栄教、狩野派から南画や
沼宮内蘭渓(1799-1837)盛岡藩の漢画家、本堂蘭室に学び、のちに鈴木南嶺・岡本豊彦に学んだ
沼沢永朔(1759-1839)尾花沢を代表する絵師、狩野永朔と同一
沼尻墨僊(1775-1856)地理学者・天文学者、名一貞、幼名常治、通称完蔵・墨僊彜・蠖斎・蘆間山人
沼津乗昌(不明-1641)狩野永徳門、本姓滝野、号屏風絵所
沼野棠宇(不明-1778)南画
根田秀儁(1794-1850)名俊安、通称冲之助、別号聴松軒、狩野秀水の門人
根本古柳(1656-1736)秋田藩、別号述情
根本周興(不明-不明)通称松之助、芙蓉の絵を得意とした
根本常南(1763-1811)菅井梅関の最初の師
根本幽峨(1824-1866)鳥取藩御用絵師、沖一峨に学ぶ
能阿弥(1397-1471)室町中期の連歌師・画家、師周文、号鴎斉
能美鴎友(不明-1846)師菅江嶺
直川屋梅亭(不明-不明)師野呂介石
野際蔡眞(不明-1871)紀藩絵師、白雪の養子
野際白雪(1773-1849)名蔡徴・載長、字伯亀、別号石湖
野口北川(1816-1868)師椿椿山、名勝章
野崎愛山(不明-不明)野崎鶴巣の子
野崎鶴巣(不明-1872)元徳島藩士、師岸駒
能島邑義(1710-1775)師狩野友甫
能勢一清(1790-1857)師森玄心、能勢探龍の曾孫
能勢探龍(1702-1755)師木村探元
野津無人相菩薩(1726-1797)仏画を多く描いた
野之口隆正(1792-1871)師増山雪斎
野之口持正(不明-不明)師浮田一蕙、野之口隆正の二男
野之口基正(不明-不明)師浮田一蕙、野之口隆正の長男
野々村国春(不明-不明)江戸中期の女性画家
信貞(不明-不明)平安後期の画家
野村玉渓(1785-1857)師松村月渓、通称参吾
野村紫澤(不明-1805)師谷文晁
野村竹外(1820-1866)師山本梅逸、名惟叙、字子哥、通称新次郎、別号橋左堂
野村天香(不明-不明)師平野五岳
野村望東(1806-1867)師大隈信道
野村訥斎(1831-1864)師円山応立
野呂介于(1777-1855)野呂隆基の子、介石の養子
野呂介石(1747-1828)師桑山玉洲・池大雅、字隆年