江戸以前の画家一覧

は行

梅香堂可敬(不明-不明)唐人、紅毛人、丸山遊女、異国人、異国女などを描いている
梅雪(不明-不明)日向の人
梅痴(1793-1858)飯沼弘経寺の住職、名秦冏、字壹純・白純、号小蓮主人
梅道人(不明-1354)元代の画家
梅坡(不明-1829)竹堂の弟
馬遠(不明-不明)中国南宋の画家
萩千嶽(不明-不明)師揖取魚彦
萩谷☆喬(1779-1857)水戸藩三大画家に数えられる、名徹、字霓夫、通称八介、☆は「僊」から「にんべん」をとる
萩原一山(1778-1832)師月僊、名範別
萩原盤山(1772-1846)奇行で知られた会津の狩野派
伯益乗(不明-不明)師狩野洞雲
白隠慧鶴(1685-1768)禅僧、勅謚・神機独妙禅師
白雲(1764-1825)浄土宗の画僧、号は白雲・松堂・蝸牛叟
白雲上人(1764-1825)松堂白雲と称した浄土派の僧
柏山(不明-不明)肥前の絵師、温古斎の子
白如斎成真(不明-不明)肥前の絵師
柏庭(不明-1857)江戸後期の画家
橋石斎(不明-不明)寛政期の南画家、根本常南の仙台画塾「蠖斎社中」に参加
橋本雲山(不明-1822)師狩野洞春、狩野派
橋本鶯谷(不明-1857)師足立雲山・矢野右膳
橋本養邦(不明-1847)橋本雅邦の父
橋本長兵衛(初代)(不明-不明)敦賀の人、画鷹を得意とした
橋本長兵衛(2代)(不明-1647?)敦賀の人、初代橋本長兵衛を継いだ
馬上清江(不明-1842)師野呂介石
長谷川永信(不明-不明)長谷川派、等伯とも名乗った
長谷川久蔵(1568-1593)長谷川等伯の長男
長谷川玉巒(1744-1825)仁和寺お抱え絵師
長谷川玄門(不明-不明)長谷川玉峰の父
長谷川左近(1593-不明)長谷川等伯の四男
長谷川主殿(不明-不明)長谷川派
長谷川信吉(不明-不明)長谷川派、等栄ともいう
長谷川信春(1539-1610)長谷川等伯と同一人物
長谷川甚丞(不明-不明)長谷川派
長谷川雪旦(1778-1848)別号一陽庵・巌岳斎等
長谷川雪朝(不明-不明)雪舟に私淑したとされる
長谷川宗圜(1589-不明)長谷川派、左近輝敏とも名乗った
長谷川宗宅(不明-1611)長谷川等伯の二男
長谷川宗伯信近(1637-1687)長谷川等憶の養子、等雲ともいう
長谷川宗也(1590-1667)長谷川等伯の三男
長谷川聴秋(不明-不明)秋田の画家
長谷川常宇(不明-1784)岡山藩御用絵師
長谷川常雄(不明-1757)岡山藩御用絵師
長谷川常時(不明-1726)岡山藩御用絵師師狩野常信、常信門下の四天王
長谷川等意(不明-不明)長谷川派
長谷川等胤(不明-不明)長谷川等伯門、伊達政宗による仙台城本丸造営工事のため江戸より招来された画工のひとり
長谷川等憶(不明-1682)長谷川等伯の娘婿・等秀の子
長谷川等学(不明-1623)長谷川等伯の娘婿、等岳ともいう
長谷川等玉(不明-不明)長谷川派、信雪ともいう
長谷川等言(不明-不明)長谷川派、等権ともいう
長谷川等作(1621-1692)長谷川等伯の三男・宗也の二男
長谷川等秀(不明-1613)長谷川等伯の娘婿
長谷川等仁(不明-不明)長谷川派
長谷川等重(不明-不明)等伯の一族、通称左近
長谷川等哲(不明-不明)長谷川派、岩佐又兵衛の二男
長谷川等伯(1539-1610)長谷川派の祖、桃山時代を代表する画人のひとり、雪舟五世、叙法眼
長谷川等誉(不明-1636)長谷川等伯と近い関係にあったと思われる
長谷川等楊(不明-不明)師雪舟
長谷川融記(1770?-1844)狩野融川院の門人
長谷川養辰(不明-1726)師狩野常信
長谷川嵐渓(1814-1865)南画家、張嵐溪と称した、師春木南湖・菅井梅関
長谷部柳園(1780-1860)師渡辺玄対、高橋草坪の師
秦燕恪(1732-1799)師狩野栄川院典信
秦鼎(1761-1831)字士鉉、通称嘉奈衞、別号滄浪・小翁・夢仙
羽田子雲(1835-不明)東京築地本願寺宝林寺の住職、師岡本秋暉
畑潤章(1807-1867)師中島来章
秦如春武貞(不明-不明)弘前藩お抱え絵師・秦家三代
秦新右衛門養雪(不明-1668)弘前藩お抱え絵師・秦家初代
蓁致貞(不明-不明)平安中期の画家
秦致真(不明-不明)平安後期の画家、法隆寺絵殿障子絵、聖徳太子襖絵伝
秦致貞(不明-不明)平安後期の画家、別称致貞
☆白英(不明-不明)寛政期の南画家、根本常南の仙台画塾「蠖斎社中」に参加、☆は「拳」の「手」を「示」に
秦文昇(1818-1857)師越寛一
奏文昇(1818-1857)師越寛一
秦養雲常貞(不明-不明)弘前藩お抱え絵師・秦家二代
畠山仙江(不明-1860)蘭方医・画家
波多野賢斎(不明-1677)雲谷派
蜂須賀重喜(1738-1801)師矢野栄教、狩野派、11代藩主
蜂須賀載(1771-1795)師矢野栄教、狩野派
蜂須賀寿代(1772-1838)師矢野栄教、狩野派
蜂谷蘭洲(1756-1840)師月僊
蜂谷蘭渓(1769-1840)蜂谷蘭州の弟
蜂谷蘭州(1758-1814)蜂谷九右衛門の子
八田古秀(1760-1822)字子瑩、号希軒、応挙門
服部南郭(1683-1759)日本南画の先駆者のひとり、儒者・漢詩人
花城善定(1740-1826)八重山の絵師
英一圭(不明-不明)江戸時代の画家
英一珪(1749-1844)英一川の養子
英一蜩(不明-1736)初代英一蝶の二男
英一川(不明-1778)師英一舟
英一蝶(初代)(1652-1724)狩野安信に破門される、本姓多賀、別号朝湖、俳号曉雲
英一蝶(2代)(不明-不明)初代英一蝶の長男
英一峰(初代)(1691-1760)師英一蝶(初代)
英一蜂(2代)(不明-1788)初代英一蝶門人、別号春窓翁
英一峰(2代)(不明-1788)英一峰(初代)の子
馬場明義(不明-不明)師石里洞秀、狩野派
馬場伊歳(1783-1854)師狩野伊川院栄信、馬場養龍の子
馬場竹琴(1801-不明)尾道の浄土寺上道に住んでいたとされる
馬場養龍(不明-不明)師狩野養川院惟信
浜口灌圃(1778-1837)師野呂介石
浜口南涯(1801-1865)師松村景文、四条派
浜崎屋市左衛門(不明-1816)津和野の商人、書画も堪能だった
浜田杏堂(1766-1815)画家・医師、名世憲、字子徽、別号希菴・痴仙
浜地庸山(1775-1835)名任重、字伯仁、通称十郎兵衛、別号画痴斎
浜中英信(不明-1838)別号琢堂・楽天翁
早川泉流(不明-不明)師佐々木泉景
早坂義川(不明-不明)師藤沢祐川、早坂文嶺の父
早坂文嶺(1797-1867)山形から松前に渡りアイヌ絵を描いた
林旭堂(1814-不明)師井川鳴門・山口余延年、名正維、字子均、通称正九郎
林巨渓(1810-1856)師吉成葭亭、四条派
林玄川(不明-不明)京都の狩野派に学んだとみられる
林十江(1777-1813)画家・篆刻家、名長羽、字子翼・雲夫
林晴春(1814-1855)新発田藩お抱え絵師
林蓀坡(1781-1836)加賀藩儒者、詩や書画をよくした
林稚瞻(不明-1792)師熊代熊斐
林長羽(1777-1813)別号十江
林南唐(不明-不明)池添美光の最初の師
林晩翠(1804-1861)師中林竹洞・頼山陽
林百非(1796-1851)萩藩士、師矢野括山・田能村竹田
林方斎(1795-1846)字道甫、通称久平、名隆久、別号旭川
林養清(不明-1773)師狩野常信
林隣潮(1769-1843)狩野派、新発田藩お抱え絵師
林閬苑(不明-不明)江戸時代の南画家、字日新、師福原五岳
葉山朝湖(不明-不明)桃山期の肥前の絵師、江戸で狩野派を学んだ
速水春暁斎(初代)(1767-1823)画家・読み本作者
速水春暁斎(2代)(不明-1867)幕末の画家、初代速水春暁斎の子
原熊八(1754-1765)雲谷等陳の養子
原在照(1813-1871)原派三代目、原在明の娘婿、字子写、別号観瀾
原在正(1778-1810)原在中の長男
原在中(1750-1837)原派の祖、師石田幽汀、名致遠、明人の古法を学ぶ
原在明(1778-1844)原在中の二男、字子徳、別号写照・大和介
原紫泉(不明-不明)師吉田蔵澤
原周映(不明-不明)俳画を描いた
原東吉(1775-1790)雲谷等術の嫡子
原文哲(不明-不明)福井藩士
波羅蜜(不明-不明)旭岳麟の師
原田玉芝(1792?-1844)讃岐の南蘋派
原田文漁(不明-不明)師慈雲寺慈仙
原南嶺斎(1771-1836)師山本若麟
春木南華(1819-1866)春木南溟の子
春木南湖(1759-1839)師葭堂門、字子魚、別号烟霞釣叟
半化坊闌更(1726-1798)画家・俳人、別号・高桑闌更、師大雅
範舜(不明-不明)平安後期の絵仏師
範俊(1038-1112)平安後期の画僧
半田卵啼(1766-1828)佐沼の三大画家の一人
費漢源(不明-不明)[鳥取05]中国清代の画家、来舶四大家のひとり
費晴湖(不明-不明)中国清代の画家、名肇陽、字得天、別号耕霞使者
日置風水(不明-1708)連歌を詠み俳諧を楽しみ諸国を修行した
檜垣素袋(1716-不明)狩野永真安信の門人、通称庄右衛門
東方蒙斎(1790-1861)南画、大聖寺藩士
樋口思斎(1812?-1871)幕末から明治期の画家、福田半香の門人、通称彌市郎
肥後如雪(1848-不明)師国分友雪
久子翠峯(1790?-1847)師亀田鵬斎
久永鶴歩(不明-不明)師谷文晁
土方稲洋(不明-不明)土方稲嶺の孫
土方稲林(1796-1859)鳥取藩御用絵師土方家二代、土方稲嶺の子
土方稲嶺(1741-1807)鳥取藩御用絵師土方家初代、名広邦、紫石門
菱川吉左衛門(1597-1662)縫箔師、菱川師宣の父
備前屋昌益(不明-不明)法橋洞昌の門人
日高鉄翁(1790-1871)木下逸雲・三浦梧門と共に長崎南画三筆とされる
飛騨守惟久(不明-不明)南北朝時代の画家、巨勢惟久と同一
日根対山(1813-1869)星巌・海屋らと交遊、師半江
日根野対山(1813-1869)師桃田栄雲・岡田半江、名盛長、字成言・小年、別号茅海・錦林子・同楽園・雲煙楼・酔墨庵
日野雅亮(不明-不明)明治期の僧、茶と画をよくした
日野霞山(不明-1872)師浦上春琴
日野資時(1690-1742)公卿、従一位権大納言、土佐風
日野資愛(1780-1845)師皆川淇園
日野等林(不明-不明)師弓削等薩
樋畑翁輔(1813-1870)松代藩士、能楽師
日比野鶴翁(1764-1847)師山田鶴洲、名清蔵・景亮、字公明、初号亀洲
百拙元養(1668-1749)江戸前期から中期の黄檗宗の画僧、名元養、号元椿・葦菴、山城法蔵寺開祖
百川(1766-1848)師野呂介石
百束幽谷(1804-不明)師目賀多雲川信済
檜山淡斎(不明-1842)狩野派を習得して江戸に出た
平井顕斎(1802-1856)師松村以弘・渡辺崋山、名忱、字欽夫、通称治六、別号三谷山樵
平井時善(不明-1859)虫魚草木など2000種類を写生した
平井伯栄(不明-1686)師坂本養伯
平出雪耕(1749-1823)壬生藩絵師
平岩七十郎(不明-不明)屏風絵をよく描いた
平岡為龍(1786-1840)師能勢一清
平賀源内(1728-1780)蘭学者・本草学者・戯作者・浄瑠璃作者・洋風画家、日本の写真家(日外)
平川徳順(不明-不明)尾張藩初代藩主義直に仕え、鷹の絵を得意とした
平栗墨翁(1767-1839)師佐竹蓬平
平田可竹(1665-1728)師甫山和尚
平田玉蘊(1787-1855)師福原五岳・八田古秀、名は豊子
枚田水石(1796-1863)古河藩士、名之盛、字保之、通称源之丞
平塚研樵(不明-不明)北條玉洞の師
平野喜伯(不明-不明)三代秋田藩主佐竹義処のおかかえ絵師、別号船遊斎
比良野貞彦(不明-1798)弘前藩士、津軽に最初に漢画をもたらした
平野文蔚(不明-不明)松平雪山の門人、名幸一、別号暢谷
平林無方(1782-1837)師野呂介石
平松可逸(不明-1862)寺小屋師匠
平山西海(1774-1847)師中林竹洞、種子島の人
平山文鏡(1732-1801)師加藤文麗、名直員、『文麗画選』を著した、田原藩藩主平山忠左衛門直儀の別号だといわれる
広江殿峰(1756-1822)長府藩御用絵師
広瀬花隠(不明-不明)名自勝、号睡足園
広瀬百羅(不明-不明)師小豆澤常悦
廣瀬周度(1780-1840)画家・谷田部藩医
広瀬春樵(不明-不明)山田訥斎の初期の師
広瀬楚川(不明-不明)通称土佐之助
広瀬臺山(1751-1813)南画家・武士、字穆甫、師五岳
弘瀬美高(不明-不明)師池添楊斎、狩野派
広瀬梁水(不明-不明)師狩野永岳
広渡一湖(1644-1702)唐絵目利兼御用絵師、師広渡心海・陳清斎・渡辺秀石
広渡猪三郎(不明-不明)広渡湖秀の子、師石崎元章
広渡桂洲(1833-1866)師荒木千洲、唐絵目利
広渡湖月(1761-1799)広渡湖秀の子、師真村蘆江
広渡湖秀(1737-1784)唐絵目利兼御用絵師、広渡湖春の子
広渡湖春(不明-1746)唐絵目利兼御用絵師、広渡一湖の二男
広渡湖亭(1717-1762)唐絵目利兼御用絵師、広渡湖春の子
広渡湖笛(不明-1746)広渡一湖の長男
広渡湖峰(不明-不明)広渡系の画人
広渡作三郎(不明-不明)師石崎融思、唐絵目利
広渡重次平(不明-不明)広渡湖亭の子
広渡丈輔(1826-1846)唐絵目利
広渡心海(初代)(1596-1685)肥前の絵師、師狩野洞雲
広渡雪山(不明-1674)佐賀本藩の絵師
広渡大輔(1806-1844)唐絵目利の広渡為八郎の養子
広渡為八郎(1795-1860)師石崎融思、唐絵目利
広渡虎蔵(不明-不明)師石崎融思、唐絵目利
藤井梧園(1780-1844)師柴田義董、四条派
風外慧薫(1568-1658)安土桃山期から江戸前期の画僧
風外和尚(不明-不明)独修
風外本高(1779-1847)画僧、難波円通寺・三河香積寺の住持、俗姓平、号好幽
深江玄珠(不明-1862)師馬場伊歳・住吉内記弘定
深江簡斎(1771-1848)弘道館監察、のちに東原庠舎教授
深江蘆舟(1699-1757)琳派、名庄六、別号青白堂
深谷喜覚(不明-不明)深谷梁燕の子
深谷養節(不明-不明)仙台藩画員・深谷家の絵師
深谷養竹(不明-不明)仙台藩画員・深谷家の絵師
深谷梁燕(不明-不明)深谷養節の身内とみられる
福王雪岑(不明-1785)別号白鳳軒、英一蝶門
福岡文孝(1787?-1847)若くして京にのぼって仏師としての修業を積んだ
福島晁山(不明-不明)津軽家一門、弘前藩九代藩主寧親の家老津軽頼母の家に生まれ
福田太華(1796-1854)師村井蕉雪
福田棠陰(1827-1868)近世壬生の画人
福田半香(1804-1864)師渡辺崋山、名佶、字吉人、別号暁斉・暁夢生
福谷水竹(不明-1850)俳人・画家、師青々處卓池、諱世黄、俳号涼石居水竹、狂号赤守
福原五岳(1730-1799)名元素、字子絢、号玉峰、大雅門
藤素羊(1775-1850)師小池曲江
藤多喜(不明-不明)浦上春琴の妻
藤桃斎(1752-1820)師河野栄寿
藤桃洲(1781-1837)師藤桃斎
藤北鳳(不明-不明)寛政期の南画家、根本常南の仙台画塾「蠖斎社中」に参加
藤井玉翁(不明-不明)浜田の人
藤井後村(不明-1828)師釧雲泉
藤井藍田(1816-1865)幕末の儒者・尊攘派、師中井藍江・田能村竹田、別号梅軒
藤江石鼎(不明-不明)南画
藤枝月躬(不明-1789)師田能村竹田
藤沢祐川(不明-1787)両所宮山門の天井画を描いた
藤氏憲承(不明-不明)洋風画家
藤田永湖(1693-1769)盛岡藩の国元狩野派絵師・藤田家二代
藤田永寿(不明-1740)盛岡藩の国元狩野派絵師・藤田家初代
藤田錦江(不明-1773)出羽国庄内藩酒井家藩士
藤田松湖(1820-1864)幕末から明治期の画家、福田半香の門人、通称三千郎、別号永規
藤田雪原斎(不明-不明)名祥元、別号北海陳人など
藤崎常興(不明-不明)師狩野常信
藤村鵞講斎(不明-不明)屋号荒木屋
藤村墨雨(1797?-1855)貫名海屋・上杉墨水らと交友
藤本鉄石(1816-1863)幕末の尊攘派志士、名真金、号鉄寒士、都門売茶翁
藤盛江岸(1802-1869)鳥潟一族
藤森素檗(1758-1821)師藤森文輔・加藤暁台・井上士朗、俳画をよくした
撫松(不明-不明)師片岡撫陵
藤原有宗(不明-不明)平安後期の画家
藤原憲承(不明-不明)秋田蘭画家
藤原豪信(不明-不明)南北朝時代の画家
藤原伊信(不明-不明)鎌倉中期の画家、信実の孫、為継の子
藤原伊久(不明-不明)南北朝時代の画家
藤原隆章(不明-不明)南北朝時代の画家、号覚智、京都祇園社絵師
藤原隆成(不明-不明)平安後期の画家
藤原隆相(不明-不明)鎌倉後期の画家
藤原隆信(1142-1205)平安末期から鎌倉前期の貴族、春日派
藤原隆昌(不明-不明)南北朝時代の宮廷絵所絵師
藤原隆能(不明-不明)平安後期の宮廷画家
藤原為家(1198-1275)鎌倉中期の歌人
藤原為親(不明-1172)平安後期の画家
藤原為継(1206-1265)鎌倉中期の画家・歌人、中務大輔、画を父藤原信実に学ぶ
藤原為信(1248-不明)鎌倉後期の似絵絵師・歌人
藤原長章(不明-不明)鎌倉後期の画家
藤原長隆(不明-不明)鎌倉後期の画家
藤原信実(1176?-1265?)鎌倉中期の歌人・似絵師
藤原光範(不明-不明)鎌倉前期の仏画家
藤原基光(不明-不明)平安後期の画家、巨勢公望に学ぶ、春日土佐・住吉派元祖
藤原玄上(0856-0933)平安中期の画家
藤原隆親(不明-不明)平安後期から鎌倉時代の官吏・歌人、隆能男、春日派三世
藤原隆房(1147-1209)平安末期から鎌倉前期の公卿・歌人
藤原済時(0941-0995)平安中期の僧侶(真言宗)
藤原久国(不明-不明)戦国時代の画家、通称・掃部助
藤原宗弘(不明-不明)平安後期の宮廷絵師
藤原行秀(不明-不明)室町前期の土佐派の絵師
二川玉篠(1805-1865)二川相近の二女、名龍
二川相近(1767-1836)師亀井南冥・青柳種磨
二熊一笑(1792-1857)江戸狩野家の門人
二葉膠山(不明-不明)師谷文晁、秋田江戸邸に住んだ、小室怡々斎は孫
淵上旭江(1753-1816)師大西酔月、名禎、字白亀
淵野香斎(1794-1835)淵野真斎の娘婿
淵野真斎(1760-1823)豊後岡藩士、師淵上旭江・渡辺玄対、名世龍字玉麟、
淵野天香(1797-1825)淵野真斎の長子
物外(1795-1867)尾道済法寺に住んだ
仏乗慈僊(1809-1870)僧侶
佛頂(1642-1715)江戸前期の画僧、号河南
不動院香園(不明-1815)師渡辺清、僧名宥如、海東郡津島の不動院住職
舟谷処節(不明-不明)広瀬勝願寺住職
船曳大滋(1819-1847)土佐派風の画をよくした
古尾谷竹村(不明-不明)明治期の画家、秋田市鷹匠町の画家
古川松根(1813-1871)師柴田是真、住吉広行に私淑
古屋竹原(1788-1861)画家・医師、師楠瀬大枝、名良材、字棟梁、通称尉助・荘助、別号点伯・顧岳
古谷洞芸(1828-1872)師弘瀬洞意、絵金派
文清(不明-不明)室町中期の画家
文藻(不明-不明)江戸後期の画家
米鳥斎(不明-不明)江戸時代の画家
碧雲寺渕黙(1784-1846)竹田碧雲寺第十八世寺主
辺文進(不明-不明)福建画壇の画家
方西園(1736-不明)中国の画家、名済、字巨斎、別号巨川
法眼吾学(不明-1875)天台宗の僧侶
葆斎(不明-不明)広瀬町岩倉寺に作品がある
北条蟠木(1719-1789)秋田藩士、名忠友、通称重蔵、本名幡木、別号八十
芳春院(1547-1617)織田信長の家臣篠原主計の娘、本名はまつ
芳明(不明-不明)新潟町の南画家、師五十嵐浚明
牧松(不明-不明)室町時代の画家、雪舟傍系
穆浄(不明-不明)書画、和歌をよしくた
北泉戴岳(不明-不明)二代葛飾戴斗門人あるいは北斎門人、号は戴岳・溪斎・雲鶴・北泉・卍など
墨川亭雪麿(1789-1856)師墨川亭月麿
墨痴(不明-不明)画僧、師兒島竹處
星野月庭(1779-1823)堀之内の荒地を開いて星野新田とした
星野田斉(不明-不明)別号天福道人、鉛筆画を得意とした
星野文良(1798-1846)[三重05]白河藩絵師、師谷文晁
甫雪等禅(不明-不明)室町時代の画僧、師雪舟、俗称松浦等禅
細井平洲(1728-1801)儒学者
細貝静山(1772-1832)師狩野梅笑
細川成之(1434-1511)師雪舟
細川林谷(1780-1843)篆刻家・漢詩人
細谷耕雲(1830?-1853)細谷松坡の二男
細谷松坡(1797?-1868)医業のかたわら画をよくした
法橋俊芳(1762-1847)近世高崎の画人
法橋義信(1788-1868)別名長安義信、師佐野龍雲
墨溪(不明-1473)室町中期の画僧、曾我派初代、名鑑貞、字桃林、周文門
堀田鶴渚(1824-不明)師春木南溟
堀田正敦(1755-1832)仙台藩主・伊達宗村の八男
堀田正民(1781-1838)近江宮川藩六代藩主
没倫紹等(不明-不明)室町中期の画僧
堀直央(1797-1860)安田藩第9代藩主
堀直休(1836-1860)安田藩第10代藩主
堀直吉(1637-1676)安田藩第2代藩主
堀井竹堂(不明-不明)明治期の画家、秋田市八町の画家、名和兵衛
堀川敬周(1789?-1858)師紀広成・東東洋、高岡最初の町絵師
堀越長祥(1798-1872)師岡本豊彦
本阿弥光悦(1558-1637)桃山期から江戸前期の書画・陶芸家、号自得斎・太虚庵
本阿弥光甫(1601-1682)江戸前期の芸術家、本阿弥光悦の養子光瑳の子、光伝の父、号空中斎
本田玉岡(不明-1865)雲州広瀬藩御用絵師
本田蘿山(1821-1864)師小田海僊
本堂蘭室(1776-1843)盛岡藩の漢画家、田鎖鶴立斎の実弟
本間探兆(不明-1837)師鹿島探春・狩野探信
本間凌山(1795-1854)師松村景文