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UAG美術家研究所

江戸時代を中心に全国各地で活動していた画家を調査して都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。

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新着記事

鶴沢探鯨の門人・吉田元陳

2026/4/3  

吉田元陳(1728-1795)は、鶴沢探鯨の門人で、京都の豪商・角倉家の縁者とされる。その活動はほとんど不明だが、法橋、法眼に叙され、探鯨の子・探索らとともに寛政度禁裏御所の障壁画の制作に参加したこと ...

狩野派鶴沢家3代目を継いだ鶴沢探索

2026/4/1  

鶴沢探索(1729-1797)は、鶴沢探鯨の子で、狩野派鶴沢家3代目を継いだ。探索が当主をつとめていたころ、鶴沢派の京都における地位は高まりつつあり、寛政度禁裏御所の造営時には探索が土佐派の補佐役を命 ...

江戸から京都に移り探幽風を京都に広めた鶴沢探鯨

2026/4/1  

鶴沢探鯨(1687-1769)は、狩野探幽の門人・鶴沢探山の実子として江戸に生まれ、探幽の画風を学んだのち、元禄期頃に京都に移り住み、探幽風を京都に広めた。禁裏の御用をつとめ、父とともに宝永度禁裏御所 ...

風俗図に独自の画境を示し一画体を確立した英一蝶

2026/3/27  

英一蝶(1652-1724)は、医師・多賀白庵の子として京都に生まれ、幼い頃に江戸に出て狩野安信に師事した。早くから吉原に太鼓持ちとして出入りしていたためか、浮世絵に興味を持ち、岩佐又兵衛や菱川師宣と ...

幼年期に京都で尾形光琳に直接学んだ深江芦舟

2026/3/25  

深江芦舟(1699-1757)は、京都の銀座年寄筆頭役の家に生まれ、豊かな幼年期を過ごした。父の庄左衛門は、学識豊かな趣味人で、尾形光琳の有力な支援者だった中村内蔵助と親しく、その関係で芦舟は光琳に学 ...

狩野派や琳派の画風による優品を多く残した渡辺始興

2026/3/23  

渡辺始興(1683-1755)は、はじめ狩野派に学び、のちに尾形光琳に学んだとされるが、直接光琳と始興を結びつける史料はない。町絵師時代に乾山焼の絵付けを相当量行なったとみられ、光琳風に描いた人物画の ...

江戸で尾形乾山に学んだ加賀藩の侍医・立林何帠

2026/3/20  

立林何帠(不明-不明)については不明な点が多く、加賀前田家の侍医で、のちに江戸に出て白井姓に改めたなどと伝わっている。江戸で尾形乾山に師事し、乾山から「方祝」印や光琳の宗達写扇面画巻を譲り受けたとされ ...

陶芸に新たな様式を拓き晩年は書画を嗜んだ尾形乾山

2026/3/18  

尾形乾山(1663-1743)は、尾形光琳の5歳違いの実弟で、兄・光琳が絵師の道を志したのに対し、乾山は仁和寺近くに鳴滝窯を開き、陶芸の分野で新たな手法による様式を模索した。さまざまな陶器を試みている ...

宗達の様式を継承・発展させ一世を風靡した尾形光琳

2026/3/16  

琳派は、狩野派や土佐派のように血縁・師弟関係によって直接引き継がれた流派ではなく、私淑関係によって先人の作品を学んで引き継いでいった点に特徴がある。代表的絵師である俵屋宗達、尾形光琳、酒井抱一は、ほぼ ...

水墨画にも多くの傑作を残した琳派の祖・俵屋宗達

2026/3/9  

琳派の祖として知られる俵屋宗達(不明-不明)は、桃山末期から江戸初期に活躍したことが知られるが、その詳細な伝記は明らかではなく、生没年も分かっていない。断片的な情報をつなぎ合わせると、京都の町衆の家に ...

住吉派から分家して板谷派を創設した板谷慶舟

2026/3/6  

板谷慶舟(広当)は、住吉派の住吉廣守の門人で、廣守に子がなかったため一時期住吉家を継いだが、子の広行が成長すると、広行に住吉家を継がせ、自身は板谷姓に戻して板谷派を創設した。その後剃髪して慶舟と名乗り ...

やまと絵系として初めて幕府御用絵師となった住吉派

2026/3/4  

住吉派は、江戸時代のはじめに住吉如慶が起こしたやまと絵の画派で、如慶は、土佐光吉、もしくは光則の門弟とされ、土佐派の中央画壇復帰に先んじて朝廷の御用をこなし、寛文2年、後水尾院、後西天皇の命で鎌倉時代 ...

幕末まで重要な地位を占めた近世土佐派の絵師

2026/3/2  

土佐派として1世紀ぶりに宮廷絵所預への復帰を果たした土佐光起の跡は、子の光成がその職を継ぎ、さらにその子光祐へと受け継がれ、その後も光芳、光淳、光時、光禄、光文と代々土佐家の父子によって継承された。ま ...

土佐派中興の祖と称された土佐光起

2026/2/27  

土佐光起(1617-1691)は、土佐光則の子で、父とともに泉州堺で活動していたが、18歳の時、土佐家の再興を目指す父とともに京都に移住した。22歳の時に父と死別したが、その後は和漢の画蹟を研究し、父 ...

晩年は京都に戻り絵所預復帰を目指した土佐光則

2026/2/25  

土佐光則(1583-1638)は、光吉の子と伝わっており、父とともに堺で活動した。父と同様に源氏絵の作品を多く残しているが、父の大画面方式とは対照的に小さな画面に緻密に描いた作品が多い。晩年は京都に移 ...

京都から堺に拠点を移し土佐派を引き継いだ土佐光吉

2026/2/23  

土佐派は、南北朝時代の藤原行光を祖として始まり、室町時代後期の土佐光信・光茂父子はそれぞれ半世紀にもわたり宮廷絵所預の職に就き、やまと絵の本流として重きをなした。しかし、光茂の子・光元が若くして戦死し ...

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